投稿日:2021-01-19 Tue
また、フランスの俳優さんの訃報を書くことになってしまった。昨日(1月18日)、名優ジャン=ピエール・バクリ Jean-Pierre Bacri 氏が亡くなった(69歳)。さっそく、以前ビデオに取っておいた『恋するシャンソン On connaît la chanson』(アラン・レネ Alain Resnais監督)を見直した。私生活でもパートナーのアニェス・ジャウイ Agnès Jaoui とともに脚本を書き、出演した映画だ。監督がヌーヴェル・ヴァーグの旗手、あの名作『二十四時間の情事 Hiroshima mon amour』(現在なら変な題名にしないでそのまま原題『ヒロシマ・モナムール』としただろうに)のアラン・レネということでご覧になった方も多いと思うが、とにかく奇想天外な作りの映画だ。観客は、第1シークエンスののっけから度肝を抜かれる。あの「パリは燃えているか」のセリフで有名な場面、ヒットラーからの電話を受けるコルテッツ将軍の苦渋の顔から始まる。と突然ジョゼフィン・ベーカーの歌声が館内に響くと想像して見るといい(J’ai deux amours)。「好きなのは二つ、祖国とパリJ'ai deux amours, Mon pays et Paris,」
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投稿日:2021-01-14 Thu
今「報道ステーション」を見ていたら、コロナ関係で苦しんでいる食堂の方に、この度の政府の施策について質問をしていた。と書き出したが、その反応や彼らの不満についてここで書きたいわけではない。記者の問いに、食堂の方が「・・・日程を鑑(かんが)みて」と答えていたことをあげつらうわけでもない。問題なのは、「・・・日程を鑑みて」と画面の下に字幕が出ていたことだ。インタビューなどで政治家も実業家も「・・・を鑑みて」としょっちゅう間違った言い方をしているが、ついに字幕までもこの誤用を平然と書いていると、唖然としたのだ。
鑑みてを使うときは「・・・に鑑みて」であり、「・・・を」と言うなら続くのは「考えて(考慮して)」となる。ほとんど一般化している「ら」抜き言葉については、まだ字幕は訂正しているところを見ると、もしかしたら「鑑みて」については字幕を出すテレビ局の人が勘違いしているのかもしれない(あるいは間違いを指摘しているようで遠慮しているのか)。その字幕から30分以上経ったが、番組のアナウンサーは訂正について一言もない(多分その遠慮から訂正はないだろう)。
たかが助詞一つ、大きなお世話かもしれない。されど助詞一つ。
投稿日:2021-01-06 Wed
今日1月6日はカトリックの国ではエピファニーの日(L'Épiphanie)だ。東方三博士(les Rois Mages)が星に導かれてベツレヘムのイエス誕生の地までやってきて礼拝したという伝説がある。ガスパール、メルキオール、バルタザールの名が知られている。お菓子の中にFève(そら豆)と呼ばれる陶器の小さな人形を入れて、切り分けられたお菓子の中にその人形があったら、その人が王となり、誰かひとり王妃(女王)を選ぶ。
そんな話を、優れた短編小説にしたのはギー・ド・モーパッサンだ。原題は『Mademoiselle Perle』「マドモワゼル・ペルル」とも「真珠嬢」とも訳されている。モーパッサン持ち前の弱者に対する眼差し、人生のどうしようもない不条理への静かな怒りが見出されるのはもちろん、短編としての物語の構成力、人物・風景の描写力が遺憾無く発揮された作品といえる。
«その晩、どんな気持ちからマドモワゼル・ペルルを女王にえらんだのか、じっさい、自分ながらふしぎでならない» (p.250)
小説はこんな一文からに始まる。


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投稿日:2021-01-03 Sun
フランスの映画俳優・監督ロベール・オッセンRobert Hosseinが2019年最後の日に亡くなった(新型コロナによる)。その前日が誕生日で、93歳になったばかりだったそうだ。新年3日目の今日、彼が出演した映画『愛と哀しみのボレロ Les uns et les autres』(クロード・ルルーシュ監督)を鑑賞した。オッセンを語るのに、ジョルジュ・ドンのボレロがあまりに美しく(モーリス・ベジャールの振り付け)、あまりに印象深いので、エッフェル塔を望むあのシャイヨー宮殿前のシーンしか思い浮かばない人が多いので、地味な俳優は忘れられているのではないかと心配している。邦題『愛と哀しみのボレロ』の影響も強い。原題のフランス語訳は「お互いに」「一緒に」ぐらいで、決してセンセーショナルな題名ではないのだが。映画は、第二次世界大戦、主にフランスの地を中心とした大戦に関わったフランス人、ドイツ人、アメリカ人、ロシア人(ソ連人)が二代に渡ってどのように戦争を生き抜き、戦後を生きたか描かれる。戦争と音楽以外にまったく共通項のなかったその人たちが、戦後30年が経って音楽と舞踏という縁からチャリティーのイヴェントに共に参加することになる。そのとき、シャイヨー宮での前で演奏し、歌い、踊るのがラヴェルのボレロだ。ちなみに、指揮者はカラヤン、踊りはヌレーエフ、歌はグレン・ミラーの娘とゴールドマン(注)というように実在の人物を彷彿とさせるが、あくまで創作上の人物(架空)としている。オッセンはフランスの青年(ゴールドマン的)の父親役で登場する。
上映時間は3時間近くと長く、戦争戦後の一大絵巻ということができる。登場人物が多数で戸惑うところもあるが、印象に残る場面が多いので退屈からは程遠い。
この度じっくりと見ることにより、オッセンのさらりとした演技を堪能できた。例えば、短いシーンだが、精神病院で妻に会いに行く場面での後ろ姿が良かった。やはり名優は後ろ姿の演技がものを言う。
ロベール・オッセン氏の冥福を祈ります。
注) フランス人の最も好きな人物というアンケートでほとんど常にトップになるジャン=ジャック・ゴールドマン(1951年生)は戦後生まれなので、物語中の歌手と一致しない。他にユダヤ人の歌手としては、フランス・ギャルの夫ミシェル・ベルジェ(1947年生、1992年没)、イヴ・デュテイユ(1949年生)、セルジュ・ゲンスブール(1928年生、1991年没)もいるが、いずれも1942年生まれという設定の歌手と一致しない。ちなみに、イヴ・デュテイユはあのドレフュス事件のドレフュス大尉の血を引いていて、«Dreyfus»という歌を作詞作曲している。
投稿日:2021-01-01 Fri
明けましておめでとうございます。Covid=19というウィルスのパンデミックが終息することを願わずにはいられません。今年がそんな年になりますように!!!今年の年賀状に書いた拙い俳句は「スキピオの夢連綿と去年(こぞ)今年」だった。全く臆面もなく、と我ながらあきれているが、なんの挨拶もなしよりはましかと思ってハガキに印刷している。フランス人の方にそれを送ったことがきっかけで、その句をフランス語にしてみた。
Le songe de Scipion va durer sans cesse, non seulement l'année dernière mais aussi cette année, l'année prochaine, et pour toujours...
こんなものでいいだろうか。ちなみに、僕のブログのタイトル「スキピオの夢」は Le rêve de Scipion だ。夢は夢でも、いわゆるキケロが書いた夢はフランス語訳によると「le songe」となる。では、Le rêve と Le songe の違いはとなると結構難しい。
まずは、songe の方が文語的だということだ。そのせいか「僕の夢はパイロットになることです」と言った時の夢は rêve が用いられる。songe のほうが「夢想」に近い夢だと思えばよいのではないか。タイトル「スキピオの夢」の夢が rêve なのは、もちろんキケロと同じでは恐れ多いということもあるが、やはり通常用いられる語を使ったほうが良いと判断したからだ。そして何よりも、rêve という語の音も、綴りも、意味も大好きだということだ。実をいうと好きが高じて、以前作った僕の(妻の)墓石に rêves という語を刻んでもらったほどだ。
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