投稿日:2020-03-04 Wed
『〝フランスかぶれ〟ニッポン』(橘木俊詔著 藤原書店)という風変わりな本を読んでいる。著者は明治以降の日本人(文化人)がどれほどフランスに憧れを感じ、留学・遊学をしたか、あるいは影響を受けたか、様々な分野の日本人をあげて紹介する。ちょうど今藤田嗣治の箇所を読んでいて、去年のフランス旅行で彼の終焉の地ランスに行ったことを思い出した。何度か行ったことのあるランス行きを思い立たせたのは、藤田画伯が晩年建立した礼拝堂をまだ見ていないので是非とも見学したいという思いからだった。パリ二日目の日帰り旅行である。
パリの東駅でTGVに乗り込んだのはよいが、のっけからトラブルがあった。TGVは全て指定席なので、友人夫妻共々、8号車両の我々の4人席(2人席と4人席がある)を探していると、なんと男性二人がすでに腰掛けているではないか。Eチケットを取り出して、座席番号を再度確認する。また、偶然通路を挟んだ旅客の方達が日本人だったので、8号車であることを確かめる。まちがいない。そこで、年配の方の人にその旨を告げる。と、相手は意外と自信に満ちて「絶対にここだ」と言い張る。そこでチケットを見せてもらう。7号車とあり、おじさん非を認める。一件落着。
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投稿日:2019-11-28 Thu
マルセイユは旧港の北に位置するパニエ地区から始まったと言っても過言ではないかもしれない。紀元前600頃、ギリシャ人達が最初に足を踏み入れた地区だったと言われている。当時、『ギリシャ人の物語 I』(塩野七生著)によると、ギリシャ人たちは地中海各地にまさに勇躍し、植民したらしい。イタリアのシラクサやターレントなどが有名だが、ニースやマルセイユもギリシャ人の植民地だった(カルタゴはフェニキア人が建設した)。が、当時のマルセイユは都市国家というには多分程遠かった、寒村くらいと思われる。今は残念ながら、この度パニエ地区を歩いたが、古代の匂いを嗅ぐことはできなかった。あるのは混沌ばかり。狭い路地とストリートアートというと聞こえは良いが、落書きまがいの絵や図案が所狭しと描かれている。


パニエ地区の路地
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投稿日:2019-11-01 Fri
フランスから戻ってきて、寝転びながら、池澤夏樹の『セーヌの川辺』(2008年 集英社)を読んだ。「寝転びながら」と言うと、作者に失礼のような気もするが、この本はまさにそんな気楽な旅行記、エッセー集だ。少し残念なのは、2008年発行ということで、10年ほど経っているので、少し旧聞に属するものが時々あるということか。しかし、「フランスの景観」という章の内容は、まさにふむふむという感じなので紹介したくなった。簡単にいうとなぜフランスの景観は美しいのか(もちろん日本と比べて)、ということで何も真新しい話ではないのだが、さすが、池澤氏はその問いに対する答えを立派な書で得ていたのだ。『フランスの景観を読む 保存と規制の現代都市計画』(和田幸信著 鹿島出版会)という本だ。引用が孫引きにもなるので気がひけるが、紹介しよう。
前者(フランスの「建築に関する法律」)には、「建築は文化の表現である。建築の創造、建設の質、これらを環境に調和させること、自然景観や都市景観あるいは文化遺産の尊重、これらは公益である」とある。つまり景観は公益であるとはっきり書いてある。
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投稿日:2019-10-29 Tue
何回もアルルの町に行ったことがあるが、近郊にある L'Abbaye de Montmajour 「モンマジュール大修道院」に行ったのは初めてだ。アルルから北東4キロほどにある、ベネディクト派の大修道院で、現在はモニュメントとして残っている。アルルといえばゴッホが滞在したので有名だが、彼は『モンマジュールの夕暮れ』という作品を残している。廃墟となった大修道院を絵の左隅に小さく描き、画面全体のオークの木は夕焼けの黄金色に染まっている。残念ながら、我々はこのゴッホの風景を全く得ることはできなかったが・・・当たり前だ、修道院に到着したのは午前11時ごろだし、最寄りのバス停で降りた時いやが応にも目に飛び込んだのは巨大な廃墟の修道院だった・・・修道院の内外を見学し、上から周囲を見渡すことにより、中世という往時を偲ぶことができた。創建は10世紀末、まさにロマネスク芸術の傑作であると同時に、南フランス特有のイスラム(サラセン)への恐怖をもろに体現した建造物でもある。つまり、修道院というより、要塞と言ったほうが良いくらいの頑健な大修道院なのだ。

まるで要塞のようなL'Abbaye de Montmajour
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投稿日:2019-10-16 Wed
この度のフランス旅行は、ふた夫婦4人の旅というところが特別であった。もちろん我々夫婦同様年配者どうし、体力に自信なしというマイナスを背負っての旅だった。おまけに、パリならずどこにも拠点がなかったので、大きなスーツケースを抱えての移動という難問も抱えていた。そこで、大移動(大荷物あり)の時、上り下りを問わずいかに階段を使わずに移動するかが課題となる。パリ到着の日は、飛行場の鉄道駅でNAVIGO(1週間乗り放題のスイカのようなカード)を買ったりチャージしたりして、RER線でパリ北駅まで行き、駅近くのホテルに泊まった。このホテルはあくまで1泊だけの仮の宿で、常泊にしたのはパリのはずれの17区にある Odalys City というアパート・ホテルだ。翌朝さっそく17区のはずれまで引越しをする。
検討した結果、ホテル前のバス停でバスに乗って「ポルト・ド・クリニャンクール」まで行き、そこからトラム3Tbで、「エピネット・プーシェ」で降りる。予定ではそこから歩くつもりであったが、当日は雨が降っていたので、ちょうど目の前に来たバスに乗る。たった一つ目のバス停「ボワ・ド・プレートル」で降りると、ホテルは目の前だ。ちなみに、この辺りの様子はストリートビューで確認しておいた。特に、我々に重要だったのは、トラム3Tbがどこまで伸びているかということだった。もしも、今回のホテルの最寄駅になっていなかったら(完成していなかったら)、このホテルを予約しなかったであろう。この3Tb、今ではここから3つ先の「ポルト・ダニエール」まで伸びている。もうすぐ、パリをひと回りするだろう。
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