投稿日:2008-06-29 Sun
この度、近親者を弔うこととなった。死は避けることのできない、人の世のならい。とはいえ、お世話になった人を失うことは身が削られるようなものだ。ただひたすら、八十七歳直前で迎えた、ロウソクの炎が消えるがごとき昇天を、大往生と呼んで慰めるのみ。お通夜と告別式は西日暮里にある『メモリアルセレス』という葬儀場でしめやかにおこなわれた。この古代ローマの女神の名を冠した会場で、我らの葬儀は神式にて執り行われたが、後に知ったところによると、ここの立派な神式の祭壇は、この葬儀場でも初めて使用された由、やはり神式の葬儀は珍しいのだろう。
僕自身もだいぶ長く生きて来たが、故人の母親以来二度しか経験していない。そこで、この場を借りて、報告できればと思い、キーを叩き始めた。結論から言うと、神式の葬儀は、こういうのも変だが、なかなかいいものだ。
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投稿日:2008-06-25 Wed
ある会社が新製品を作ったとき,その商品に名前を付けるのは,よほど神経を尖らせるのだろう。いわゆるいいネーミングは、売り上げアップに大いに繋がるかもしれないからだ。たとえば、「モツ」という、ともすれば人に嫌われがちな製品を味付けして「こてっちゃん」という親近感あふれる名前で売り出した会社はたいしたものだ。きっと良く売れたに違いない(今でも売れているか?)。
ところでそのネーミングのことだが,大分前から気になる商品名がある。それは、明治乳業の「おいしい牛乳」という商品名だ。この名前は,少々「ずるい」のではないだろうか。たとえば、
「おいしい牛乳を下さい」
「あいにく今おいしい牛乳を切らしてしまいました。この酪農3.6牛乳ではいかがですか」
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投稿日:2008-06-25 Wed
先日、勤め帰りの電車の中でぼんやりと読んでいた本に「グリブイユ」のことを見つけてびっくりした。「グリブイユ」という単語こそなかったものの,あきらかにグリブイユのことだ。《しかし彼等は、雨に濡れるのをおそれて川にもぐりこむ男のように、侏儒(こびと)の腕からのがれて巨人の慈悲にすがるのです》(p.107・・・傍点は筆者)
これは、シラノ・ド・ベルジュラックの『日月両世界旅行記』(有永弘人訳・・・岩波文庫)から引用したものだ。してみると、シラノの生きていた17世紀には、このようにごく自然に使われていたということか。
例の『フランス 故事・名句集 Trésors des expressions françaises』にも、《一五四八年の『愚者の説教』にも、「グリブイユ以上に愚かな」(plus sot(te) que n’est Gribouille)という表現が見られる》と、ある。念のために,グラン・ロベール辞典で、調べてみると,同じ表現が引用されていた。『名句集』の作者はロベールを参考にしたのかもしれない。
投稿日:2008-06-11 Wed
先週の月曜日、僕はグリブイユをやらかしてしまった。まったくひどい話だ。というのは,こういうわけだ。
月曜日は朝の一時間目から授業なので、最寄り駅を毎週7時台の電車に乗るのだが,先週は乗った瞬間に,車内放送が入り、人身事故のため一時運転を取りやめとなってしまった。人身事故による、運転停止はどのくらいかわからない。実際,案内でも見通しが立たないと言っている。そこで僕は、一計を案じた。
まだ時間があったので,別の線を使い,遠回りをして行っても授業開始十五分近くの遅れで到着できるのではないか。こうして,僕のグリブイユは始まったのだ・・・
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