投稿日:2020-03-13 Fri
昨日映画を観に新宿まで足を伸ばした。映画館は武蔵野館、駅のすぐ近くだ。家を出る前に、まず映画館に電話をして、上映しているかどうか確認した。こんなご時世、休館中ということも考えられるからだ。
映画は『レ・ミゼラブル』、まるでヴィクトル・ユゴー原作の映画化のような題名だが、ラジ・リ監督の全くのオリジナル作品だ。時代は現代(2018年)、舞台はパリ郊外の町モンフェルメイユ、ユゴーと関係ないようだが、舞台となった町モンフェルメイユは、小説『レ・ミゼラブル』の敵役に当たるテナルディエ一家(テナルディエ、その妻と二人の娘)が旅館をしていた町だ。コゼットの母親ファンティーヌは娘を連れてこの町を通りかかり、優しい一家だと勘違いして娘を預けてしまう。ファンティーヌの悲劇の原因となるのはまさにこのテナルディエ夫婦であり、ジャン・ヴァルジャンが幼いコゼットを救い出すのはこのモンフェルメイユにおいてであった。
※新型コロナ対策のため、映画館では座席は奇数番のみ使用が許された。僕はD-5を選んだが、D列には僕以外1人しかいなかった。要するに、観客は全部で10人いたかどうか、ガラガラだった。このたびだけというのではなく、武蔵野館では(僕が観る映画は、といったほうが良いか)ほとんどいつものことだが・・・
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投稿日:2020-03-05 Thu
今日(3月5日)の毎日新聞の埼玉版に以前投稿した短歌と俳句が同時に掲載された。俳句は何度目かだが、短歌は初めて投稿した。選ばれたのは嬉しかったのだが、心から喜べない。というのは、投稿した短歌が無断で添削され変形していたからだ。こういうことはよくあるのだろうか。それとも、植字の際の単純なミスだろうか。以下通りだ。
掲載の短歌:
カツレツにふと思い出す学生食堂のさんざめく声触れ合う食器
僕の元の短歌:
カツカレーふと思い出す学食のさんざめく声触れ合う食器
毎回「添削コーナー」として、選者は匿名の短歌を1首選び、添削・指導して手本を示す。その後「短歌形式は5・7・5・ 7・7の五句に収まるようにしたほうがよい」 と意見している。これは驚きだ。僕の直された短歌は「学食の」が「学生食堂の」となって、完全な字余りではないか。
また、「カツカレー」を「カツレツに」 に変えられたのもひどく遺憾だ。この短歌はまさに「カツカレー」 を食している時に浮かんだ作品だから、というだけでなく 、学生用語の意味や使用ということに関しても、一般に学生は「カツレツ」 なんていう語を使用しない。結句「カツカレー」 のほうが断然優れていると思う。
ネットで調べると、選者の水野昌雄氏は非常に有名な短歌の先生らしい。が、1930年生まれというので、現在90歳近くのご高齢だ。そこで、疑問が湧いてきた。先生は、もしかすると「カツカレー」なるものをご存じなく、「カツカレー」を「カツレツ」と勘違いしたのかもしれない(確かに字面が見た瞬間似ている)。また、「学食」という省略語についても同様だ。先生の語彙の中に存在しなかったのだろう。どちらの語も、新しい表現だからだ。
そう考えると、新聞を見たときの違和感は徐々にうすらいだ。「しょうがない」
Covid 19 蔓延の折、拙い1首
惑星の春はコヴィドの繁殖期マスクマスクと人の彷徨う
投稿日:2020-03-04 Wed
『〝フランスかぶれ〟ニッポン』(橘木俊詔著 藤原書店)という風変わりな本を読んでいる。著者は明治以降の日本人(文化人)がどれほどフランスに憧れを感じ、留学・遊学をしたか、あるいは影響を受けたか、様々な分野の日本人をあげて紹介する。ちょうど今藤田嗣治の箇所を読んでいて、去年のフランス旅行で彼の終焉の地ランスに行ったことを思い出した。何度か行ったことのあるランス行きを思い立たせたのは、藤田画伯が晩年建立した礼拝堂をまだ見ていないので是非とも見学したいという思いからだった。パリ二日目の日帰り旅行である。
パリの東駅でTGVに乗り込んだのはよいが、のっけからトラブルがあった。TGVは全て指定席なので、友人夫妻共々、8号車両の我々の4人席(2人席と4人席がある)を探していると、なんと男性二人がすでに腰掛けているではないか。Eチケットを取り出して、座席番号を再度確認する。また、偶然通路を挟んだ旅客の方達が日本人だったので、8号車であることを確かめる。まちがいない。そこで、年配の方の人にその旨を告げる。と、相手は意外と自信に満ちて「絶対にここだ」と言い張る。そこでチケットを見せてもらう。7号車とあり、おじさん非を認める。一件落着。
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