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石田明生

Author:石田明生
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今日帰国
 今日(8月30日)、帰国の途につきます。今パリは7時過ぎ、これから朝食をとり、食後荷造りに入りますが、この時が何とも言えず寂しい気がします。事故にも事件にも遭わず、実に平和な旅行でした。
 しかし、細かい話は帰国してからにしましょう。今使用しているPCはタブレット型で、使い慣れていないので、元気が出ません。帰国したら、旅の喜びをじっくり咀嚼するつもりです。

雑感 | 14:23:24 | Trackback(0) | Comments(0)
明日(8/15)、フランスに出発
 明日、2週間の予定でフランスに向けて出発する。今回の旅はなんと名付けたら良いのだろう。「ノスタルジック旅行」とでもいうのだろうか。というのは、今から40年近く前に新婚旅行で辿った道を行くからだ。
 それは、ドーフィネ、サヴォワ地方だ。前者はスタンダールことアンリ・ベール、後者はジャン=ジャック・ルソーゆかりの地だ。
 スタンダールは死ぬまで生誕の地グルノーブルを好きになれなかった。父親を筆頭とする保守的なブルジョワインテリに我慢ならなかったのだ。だがパラドキシカルになるが、絶対的自由人スタンダールの形成はその環境を抜きにしてはありえないのだ。よほど父親の名字「ベール」を払拭したかったのだろうか。彼は何十というペンネームを使って、物を書いていた。自伝ですら『アンリ・ブリュラールの生涯』というタイトルなのだ。
 サヴォワの町シャンベリー郊外にレ・シャルメットという瀟洒な別荘がある。孤児同然だったジャン=ジャック・ルソーは、そこで14歳年上のヴァランス夫人と生活をする。ルソーが夫人を「ママン」と呼んでいるように、母子のような関係だった二人はやがて恋人関係に陥る。音楽家及び哲学者ルソーの人物形成に大きな影響を及ぼしたシャンベリーとレ・シャルメット、40年近く前にはそれほど関心がなかったが、今回は是非二人の心情を思い描きながら、見学したい。

雑感 | 16:11:18 | Trackback(0) | Comments(0)
聖女ジュヌヴィエーヴのメダル(5)
◇カタラウヌムの戦い

 アッティラはパリ占領を諦めて、東へと転進しました。彼はシャンパーニュの平原に野営地を設置したのです・・・その野営地の遺跡は現在も残っています。«アッティラの野営地»と呼ばれ、シャロン・シュル・マルヌ近郊にあります・・・。彼はそこから出撃して、近在の村や町を頻繁に略奪しました。
 アエティウスはその略奪行為に終止符を打ち、アッティラをガリヤから追い出そうと決心しました。そのために、彼は国のいたるところに駐屯しているレギオン部隊を集結させ、フランク族のメロヴェ王とヴィジゴット族のテオドリック王に助勢を求めました。
 四百五十一年六月二十二日、この三軍は、アエティウスの指揮のもと、フン族と一戦を交えるために集結しました。フン族も陣地から出撃して、カタラウヌムの野で会戦は起こりました。
 この戦いを描き切ることは不可能です。双方の部隊は、比類ない凶暴性の虜となってぶつかり合いました。蛮族どもが獅子奮迅のごとく戦ったことは認めねばなりません。しかし、フランク族やヴィジゴット族の兵やローマのレギオン兵達は、フン族が犯した罪を目の当たりにしていので、呵責なき憎悪で煮え繰り返っていました。彼らは、アッティラの哀れな犠牲者達の復讐に燃えていたのです。
 殺戮によって戦場を流れる小川が血の急流に変じたとは年代記作者の謂です。
 テオドリックは戦闘の最中で命を失いました。が、夜になると、アッティラは潰走しました。荷や車を打ち捨て、何千という死者や負傷者を大地に残したまま、ライン川の方面へと敗残兵とともに落ち延びました。

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翻訳 | 08:35:49 | Trackback(0) | Comments(0)
聖女ジュヌヴィエーヴのメダル(4)
抵抗の町(3)

 彼女は台座の足元で立ち止まり、話しました。耳をそばだてた聴衆の真ん中で話しました。最初総督の方を向き、それから徐々に群衆の方に向き直りました。
 「閣下」彼女は言いました。「あなたの言葉は主人の言葉でも、大都市の司令官の言葉でもありません。あなたはこの町を、神様の法も人の法も踏みにじり、女や子供を虐殺する異教徒に、防御しようともせず、譲ろうとお考えか。ローマ軍の指揮者たるあなたが。分別も経験もおありになるあなたが、どうして残酷な野蛮人どもは降伏すれば武装を解くと想像できるのですか ? いつから、狼は子羊を襲わなくなったのですか。子羊が犬のように鋭い牙を見せないからですか?」
 最初はおずおずと、それからだんだん高まる「そうだ、そうだ !」の声が群衆の中を伝播していきました。ジュヌヴィエーヴの声は以前よりも強くなり、口調はよりはっきりし出しました。目に見えないある存在によって、言葉が彼女に吹き込まれているようでした。
 「あなたは言いました。疲れ切った男達ばかりで編成された出来損ないのレギオンしかないと。でも、あなたのレギオン兵達は、臆病者扱いされるという侮辱に甘んじるでしょうか ? いつからローマ人達は、数で優勢な敵を前にすると武器を捨てるようになったのでしょうか。この人たちが・・・彼女はパリ中の群衆を指さしました・・・自分たちの家庭や妻子を守るためだとしても、戦いを拒むとお思いですか ? あなたの宮殿に武器があります。それをみんなに配りなさい。この穏やかな市民達が、町の敵を前にしたら大胆極まりない兵士になることをあなたは見ることでしょう !」

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翻訳 | 08:18:56 | Trackback(0) | Comments(0)
若狭代議士のセンス
 今日のニュースは台風関連ばかりだったが、それ以外のニュースで、びっくりもし同時にがっかりしたのは、若狭代議士の新党設立のそれだった。新党設立そのものにいちゃもんをつけるつもりは毛頭ない、どころか立ち位置のはっきりしたインパクトのある新党設立なら大いに歓迎だ。落胆しうんざりしたのは、党名のことだ。「日本ファーストの会」にするというのだ。この党名は、小池都知事の「都民ファーストの会」の人気にあやかったのかしれないが、どうしてもアメリカ大統領のキャンペーンを想像してしまう。トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」は、文字どおりアメリカ第一主義のことだ。つまり、他の国はどうなっても構わないが、アメリカの利益を中心に考えるという、いわば利己主義の思想だ。それをそのまま日本の政党名にするということの意味を、若狭氏は本当に考えているのだろうか。そもそも、トランプのキャンペーン文句をそのまま借用することの短慮さと愚かさに思い至らないのだろうか。
 小池都知事の「都民ファーストの会」という党名には、自民党を中心とした都議もしくは都議会から視点や利益を都民に移すという意味が込められていると思われるので、あまり違和感はない。が、それにあやかって人気を集めようと目論んでいるとするなら、若狭氏はあまりに軽薄すぎないか。聞くところによると、本当は「国民ファーストの会」にしようと思ったが、すでに存在していたので「日本ファーストの会」にしたという。「都民ファーストの会」を「東京ファーストの会」と書き換えてみれば、「国民」と「日本」との違いは歴然としているではないか。もしも「東京ファースト」なら、周辺の県にとってどれほど不愉快なネーミングになるか想像するにかたくない。
 さらに危惧しているのは、そんな利己主義的な政党名を支持する国民がもしも多数いるなら、日本国民にうんざりしてしまうだろう。自国だけの利益を追求する日本は、周辺諸国及び他国にとってまさに「日本ワースト」になることは必定だからだ。

雑感 | 18:41:12 | Trackback(0) | Comments(0)