Category: 神社仏閣教会
大河ドラマの世界へ
7日の朝。
山王山温泉から厳美渓方面へ戻り、途中左折して尾根を越えると平泉。

中尊寺からはまだ少し離れた山里に、拝観料を取る社寺がある。

達谷西光寺って書いてあるな。
達谷窟毘沙門堂だ。

寺なのに鳥居が並ぶ、神仏混淆の社寺なんだな。

延暦20年(801年)、征夷大将軍であった坂上田村麻呂が、ここを拠点としていた悪路王を討伐した記念として建てたと言い伝えられている。

蝦蟇ヶ池辨天堂。池は凍って雪で覆われていた。

寺のHPによれば、およそ千二百年の昔、惡路王・赤頭・髙丸等の蝦夷がこの窟に塞を構え、良民を苦しめ女子供を 拐さらう等乱暴な振舞が多く、国府もこれを抑える事が出来なくなった。

そこで人皇五十代桓武天皇は、坂上田村麿公を征夷大将軍に蝦夷征伐の勅を下された。
対する惡路王等は達谷窟より三千余の賊徒を率い駿河国清見関まで進んだが、大将軍が京を発するとの報を聞くと、武威を恐れ窟に引き返し守を固めた。

岩面大佛。

延曆廿年(801年)大将軍は窟に籠る蝦夷を激戦の末打ち破り、惡路王・赤頭・髙丸の首を刎ね、遂に蝦夷を平定した。

大将軍は、戦勝は毘沙門様の御加護と感じ、その御礼に京の清水の舞台を模して九間四面の精舎を建て、百八体の毘沙門天を祀り、鎮護国家の祈願所とし、窟毘沙門堂(別名を窟堂)と名付けた。
翌延曆廿一年(802年)には別當寺として達谷西光寺を創建し、奥真上人を開基として東西三十余里、南北二十余里の広大な寺領を定めた。

降って前九年後三年の役の折には源頼義公・義家公が戦勝祈願のため寺領を寄進。

奥州藤原氏初代清衡公・二代基衡公は七堂伽藍を建立したと伝えられる。
文治五年(1189年)源頼朝公が奥州合戦の帰路、毘沙門堂に参詣され、その模様が「吾妻鏡」に記されている。

戦国時代には東山の長坂家より別當が赴き、多くの衆徒を擁したが、天正の兵火により、岩に護られた毘沙門堂を除き、塔堂楼門ことごとく焼失した。
慶長廿年(1615年)伊達政宗公により毘沙門堂は建て直され、爾来伊達家の祈願寺として寺領を寄進されてきた。

少なくとも三つか四つの大河ドラマに、関わりがある寺なんだな。

平泉中心部へ移動したら、青空が見えてきた。

最初は毛越寺を参拝する予定で、昼メシ処をGoogle Mapで検索してたら、こんな施設が道の駅の向かいにあるのを発見したのだ。

昨年11月に完成した、平泉世界遺産ガイダンスセンターだ。入場無料。

受付のお姉さんに、コロナ関係の書類に記入させられながら、いろいろ聞かれた。

仙台から来たと伝えると、この場所をどこで知りましたか? と。

Google Mapで発見しました。

これはMAPには載っていない、藤原三代が暮らした、平泉館の模型だ。

極楽浄土の中心。

鎌倉殿の13人にも登場するかな。
また雪が降ってきて、そしてここも、Google Mapで見つけた食堂。

夢乃風。

旅館で暴食する旅の昼メシは、少しだけ美味いもん。
はっと汁だ。715円。

これは大当たり。

登米がある宮城北部とは、旧仙台藩つながりの同じ文化圏なのだ。
また晴れてきた。

つづく
山王山温泉から厳美渓方面へ戻り、途中左折して尾根を越えると平泉。

中尊寺からはまだ少し離れた山里に、拝観料を取る社寺がある。

達谷西光寺って書いてあるな。
達谷窟毘沙門堂だ。

寺なのに鳥居が並ぶ、神仏混淆の社寺なんだな。

延暦20年(801年)、征夷大将軍であった坂上田村麻呂が、ここを拠点としていた悪路王を討伐した記念として建てたと言い伝えられている。

蝦蟇ヶ池辨天堂。池は凍って雪で覆われていた。

寺のHPによれば、およそ千二百年の昔、惡路王・赤頭・髙丸等の蝦夷がこの窟に塞を構え、良民を苦しめ女子供を 拐さらう等乱暴な振舞が多く、国府もこれを抑える事が出来なくなった。

そこで人皇五十代桓武天皇は、坂上田村麿公を征夷大将軍に蝦夷征伐の勅を下された。
対する惡路王等は達谷窟より三千余の賊徒を率い駿河国清見関まで進んだが、大将軍が京を発するとの報を聞くと、武威を恐れ窟に引き返し守を固めた。

岩面大佛。

延曆廿年(801年)大将軍は窟に籠る蝦夷を激戦の末打ち破り、惡路王・赤頭・髙丸の首を刎ね、遂に蝦夷を平定した。

大将軍は、戦勝は毘沙門様の御加護と感じ、その御礼に京の清水の舞台を模して九間四面の精舎を建て、百八体の毘沙門天を祀り、鎮護国家の祈願所とし、窟毘沙門堂(別名を窟堂)と名付けた。
翌延曆廿一年(802年)には別當寺として達谷西光寺を創建し、奥真上人を開基として東西三十余里、南北二十余里の広大な寺領を定めた。

降って前九年後三年の役の折には源頼義公・義家公が戦勝祈願のため寺領を寄進。

奥州藤原氏初代清衡公・二代基衡公は七堂伽藍を建立したと伝えられる。
文治五年(1189年)源頼朝公が奥州合戦の帰路、毘沙門堂に参詣され、その模様が「吾妻鏡」に記されている。

戦国時代には東山の長坂家より別當が赴き、多くの衆徒を擁したが、天正の兵火により、岩に護られた毘沙門堂を除き、塔堂楼門ことごとく焼失した。
慶長廿年(1615年)伊達政宗公により毘沙門堂は建て直され、爾来伊達家の祈願寺として寺領を寄進されてきた。

少なくとも三つか四つの大河ドラマに、関わりがある寺なんだな。

平泉中心部へ移動したら、青空が見えてきた。

最初は毛越寺を参拝する予定で、昼メシ処をGoogle Mapで検索してたら、こんな施設が道の駅の向かいにあるのを発見したのだ。

昨年11月に完成した、平泉世界遺産ガイダンスセンターだ。入場無料。

受付のお姉さんに、コロナ関係の書類に記入させられながら、いろいろ聞かれた。

仙台から来たと伝えると、この場所をどこで知りましたか? と。

Google Mapで発見しました。

これはMAPには載っていない、藤原三代が暮らした、平泉館の模型だ。

極楽浄土の中心。

鎌倉殿の13人にも登場するかな。
また雪が降ってきて、そしてここも、Google Mapで見つけた食堂。

夢乃風。

旅館で暴食する旅の昼メシは、少しだけ美味いもん。
はっと汁だ。715円。

これは大当たり。

登米がある宮城北部とは、旧仙台藩つながりの同じ文化圏なのだ。
また晴れてきた。

つづく
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