Category: ドライブ
まだまだ復旧工事は進行中
とても天気が良さそうな予報になった先週後半。
早めに宿を取り、11日の朝ゆっくり東へ。

そう言えば祝日だったが、特に混みあう事は無かった。
引退してから土日祝日は避けて旅行しているので、結構珍しい体験。
多賀城から三陸道に乗って、着いたのは南三陸志津川だ。

昨年完成した震災復興祈念公園と、さんさん商店街を結ぶ木製の橋が出来ていた。

上下二層構造になっている。

宮城人はずっと志津川と呼ぶ街なのだが、震災発生後、南三陸という地名が全国区になったため、妙にいづい。

多くの人が暮らしていた街の中心部が嵩上げされ、さんさん商店街と復興祈念公園ができた。

ただ、ただ、広い公園だ。

一昨年の4月に、追分温泉に泊まった時以来の志津川訪問だから、公園ができてからは初めて。

多くの命を奪った、東日本大震災の津波は、この旧防災庁舎の屋上まで到達したため、基本的に嵩上げ高はそれよりも高い。

しかしこれを保存するため、このエリアの地上高は昔のまま、よってすり鉢状の凹みだ。

そのため、ふたたび同程度の津波が来た場合、避難するための丘が設けられている。

もちろんバリアフリーだ。

すっきり青空の日だが、強風で寒かった。

さんさん商店街へ戻る。

買い物の前に昼メシだな。

祝日だけあって、混んでいる店はそれなりに順番待ちだった。

少しすいていた店のカウンターで、三陸産カキフライ膳、1,265円。

ポテトサラダが付いてると思ってたら、タルタルソースだったのに、あとで気づいた。
デカいカキフライだ。

2個ずつ合わせ揚げだったかな。
食後、少し買い物して、今回は気仙沼や登米方面には向かわず、南へ戻る方向。
何度か来ている、大川小学校前を通過して、ここは初めての長面浦へ。

上手く変換してくれないのだが、ながつらうらだ。

美しい内海だが、ぐるり防潮堤に囲まれつつある。
鶺鴒もいて、近付いて来そうで来ない。

行き止まりエリアなので、一旦大川小学校まで戻り、さらに南へ峠を越える。
未だに復旧工事のダンプだらけ。
今度は旧雄勝町の雄勝湾。

東京駅の屋根にも使われているスレート材、雄勝石の採れる町だ。
子供の頃に使った硯も、ここの産品だったのかも。

そんな雄勝石の博物館と、小さな道の駅のような施設があるものの、周りには人が暮らす街はない。
美しく碧き海の景色だけ。

工事が始まったころに来た時、食べた美味しい蕎麦屋は、今も少し高い同じところで営業していた。
震災発生後に、最も入り込めなかったエリアだ。
今もまだ、防潮堤と新しい道路の工事中。
悲しい。
東京がオリンピックなぞ引き受けなければ、もう少し早く復旧が進んで、残る住民も多かったかもしれない。
海沿いのくねくね道を走って、いったん女川に入り、コバルトラインを走って牡鹿へ向かう。

途中の展望台から眺める、コバルトブルーの外海。

雄勝も牡鹿も、石巻と合併しなかったら、なにかもう少し、上手く進んでいたのかな。
良く判らない。
西側の海沿い道路に降りたら、ここも道路工事ばかりで、片側通行多数。
トイレを我慢しながら鮎川に着いた。

前回通った時にはまだ完成していなかった、おしかホエールランド。

ここも海沿いにあった街を嵩上げして、新しく造られた観光スポットだ。

景色の好いフードコートもあるが、人は少ない。

そしてこれは、震災前にもあった、おしかホエールランド。

そう、鮎川は世界有数の捕鯨の拠点なのだ。

以前の施設は津波で破壊され、やっと再建。骨標本は流されずに何とか残ったものらしい。
ワタシも小学生の時には、ずいぶん食べさせられた、鯨肉の給食。

そう言えば小学校の近くには、日魯漁業の社宅があって、友達も何人かいたなぁ。

捕鯨は再開されているが、ここ牡鹿鮎川の復旧はまだまだ。

いつになることか。

時間がかかり過ぎている。
早めに宿を取り、11日の朝ゆっくり東へ。

そう言えば祝日だったが、特に混みあう事は無かった。
引退してから土日祝日は避けて旅行しているので、結構珍しい体験。
多賀城から三陸道に乗って、着いたのは南三陸志津川だ。

昨年完成した震災復興祈念公園と、さんさん商店街を結ぶ木製の橋が出来ていた。

上下二層構造になっている。

宮城人はずっと志津川と呼ぶ街なのだが、震災発生後、南三陸という地名が全国区になったため、妙にいづい。

多くの人が暮らしていた街の中心部が嵩上げされ、さんさん商店街と復興祈念公園ができた。

ただ、ただ、広い公園だ。

一昨年の4月に、追分温泉に泊まった時以来の志津川訪問だから、公園ができてからは初めて。

多くの命を奪った、東日本大震災の津波は、この旧防災庁舎の屋上まで到達したため、基本的に嵩上げ高はそれよりも高い。

しかしこれを保存するため、このエリアの地上高は昔のまま、よってすり鉢状の凹みだ。

そのため、ふたたび同程度の津波が来た場合、避難するための丘が設けられている。

もちろんバリアフリーだ。

すっきり青空の日だが、強風で寒かった。

さんさん商店街へ戻る。

買い物の前に昼メシだな。

祝日だけあって、混んでいる店はそれなりに順番待ちだった。

少しすいていた店のカウンターで、三陸産カキフライ膳、1,265円。

ポテトサラダが付いてると思ってたら、タルタルソースだったのに、あとで気づいた。
デカいカキフライだ。

2個ずつ合わせ揚げだったかな。
食後、少し買い物して、今回は気仙沼や登米方面には向かわず、南へ戻る方向。
何度か来ている、大川小学校前を通過して、ここは初めての長面浦へ。

上手く変換してくれないのだが、ながつらうらだ。

美しい内海だが、ぐるり防潮堤に囲まれつつある。
鶺鴒もいて、近付いて来そうで来ない。

行き止まりエリアなので、一旦大川小学校まで戻り、さらに南へ峠を越える。
未だに復旧工事のダンプだらけ。
今度は旧雄勝町の雄勝湾。

東京駅の屋根にも使われているスレート材、雄勝石の採れる町だ。
子供の頃に使った硯も、ここの産品だったのかも。

そんな雄勝石の博物館と、小さな道の駅のような施設があるものの、周りには人が暮らす街はない。
美しく碧き海の景色だけ。

工事が始まったころに来た時、食べた美味しい蕎麦屋は、今も少し高い同じところで営業していた。
震災発生後に、最も入り込めなかったエリアだ。
今もまだ、防潮堤と新しい道路の工事中。
悲しい。
東京がオリンピックなぞ引き受けなければ、もう少し早く復旧が進んで、残る住民も多かったかもしれない。
海沿いのくねくね道を走って、いったん女川に入り、コバルトラインを走って牡鹿へ向かう。

途中の展望台から眺める、コバルトブルーの外海。

雄勝も牡鹿も、石巻と合併しなかったら、なにかもう少し、上手く進んでいたのかな。
良く判らない。
西側の海沿い道路に降りたら、ここも道路工事ばかりで、片側通行多数。
トイレを我慢しながら鮎川に着いた。

前回通った時にはまだ完成していなかった、おしかホエールランド。

ここも海沿いにあった街を嵩上げして、新しく造られた観光スポットだ。

景色の好いフードコートもあるが、人は少ない。

そしてこれは、震災前にもあった、おしかホエールランド。

そう、鮎川は世界有数の捕鯨の拠点なのだ。

以前の施設は津波で破壊され、やっと再建。骨標本は流されずに何とか残ったものらしい。
ワタシも小学生の時には、ずいぶん食べさせられた、鯨肉の給食。

そう言えば小学校の近くには、日魯漁業の社宅があって、友達も何人かいたなぁ。

捕鯨は再開されているが、ここ牡鹿鮎川の復旧はまだまだ。

いつになることか。

時間がかかり過ぎている。
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