はてなキーワード: カラオケとは
といってもいわゆる駐在員としてではなく、ホテルでの清掃アルバイトである。勤務を始めて1ヶ月になり、だんだんと考え込まずに仕事を回せるようになってきた。
日本を離れての生活は今回が初めてなので、個人的に感じたことを備忘も兼ねて記すことにする。あくまで私の観測範囲の話としてご理解いただきたい。
現在夏に差し掛かっているはずだが、夜明け前は10℃近くまで冷える日もある。
この国では夏は午後9時頃に日が沈む。就寝時間になっても暑いので、シーリングファン(初めて実物を見た!)を回して薄着で寝るのだが、明け方には極寒になっていて目が覚める。
もちろん地域によるだろうが、これは意外な点の一つだった。
次の総選挙が11月とまだ先だからかもしれないが、政治的な話題をまるで聞かない。というか、そもそもニュースを見ている・新聞を読んでいる人をほとんど見かけない。ショッピングモールのフードコートに設置されているTVはずっとクリケットかラグビーを流している。
政治的な話題が出てもせいぜい「食料が高い、家賃も高い」という愚痴レベルであり、そこから「だから今の政権は〜」という政治批判まで話が伸びることはない。
私の観測範囲が職場と彼氏の親族・知人などに限られるので、そういうクラスタなだけかもしれない。ただ、街に出ても政治的な主張のポスターや看板はあまり見かけない。
渡航前からNZ増田の文章を読んでいて、ニュージーランドは政治に関心が高い人が多い国なのかと思っていたが、そうでもないようである。あのNZ増田が特に熱心だったんだなあと、現地に来てみて改めて感じる。
日本語で「お金稼ぐ、私はスター」と歌う曲がよく流れたり、カラオケで歌われたりしている。
勉強不足で全く知らず、日本にいた頃には一度も聴いたことがなかった。私の周りの人たちは大体知っており、「日本の歌といえばコレだよね」みたいな雰囲気さえ出ている。
なお、最近は「チョコミントよりもあなた」も若干流行っている。
NZ増田は「そういうわけでニュージーランドに来ることはおすすめしない」で締めていたが、今のところニュージーランドへの移住を検討している。日本では同性結婚が認められていないからである。
数年前にとあるジャンルで知り合ったおそらく40代(30代の私や他の人が年齢を明かしても頑なに言いたがらないので)の人がやばかった。
ツイッターで相互になってイベントで初対面の時に正直うわっと思った。
肌が汚い。皮脂でギトギト。毛穴パカパカ。イチゴ鼻ブツブツ。だけどまぶたに変な色のシャドウ乗せてる。眉毛は描いてない。唇はガサガサ。
髪ボサボサ。そのボサボサの髪でリボン編み込み。変なバレッタもついてる。
どこのキッズバレエの発表会ですかみたいな大きく広がったチュチュみたいなスカートのフリルたっぷりワンピ。
あとごめん、デブ。
正直アフターに行くのに一緒に歩くのも一緒に店に入るのも恥ずかしかった。
話してみたら、自分はジャンル最古参なのに同じく最古参で今や大手になっているあの人やこの人からいつの間にか
ハブられるようになってアンソロにも呼ばれないとか色々聞かされたけど、最古参大手の中心人物が有名企業に勤めていて
そこのHPに「先輩からのメッセージ」的な顔出しで出ているイケイケOL風な人だったし、子供おばさんはまず
やばい見た目が原因で一緒に行動することを避けられて弾かれたんじゃないかと思ってしまう。
人を見た目で判断するなんて云々、何を着ようが本人の自由云々。
同じ立場になってみたらいかにきついか分かると思うんだけど、そういう友達がいない幸せな人なのか自分がそうだから目を背けたいのか
こんなことを書いている私のことも「自分のことを棚に上げているんだろう」とか「オタクに見えないと思っているのは自分だけ」とか
色々言う人はいるだろうけど、それも実際どうなのかは増田を読んでいるだけの人には分からない。
自分ではだいぶ老け込んだと思っているものの、たまに仕事絡みの人から言われる「若く見える」がお世辞ならいいけれど、
宮崎勤の事件があったりして、とにかくオタクは迫害対象であるという事実を突きつけられながら育った世代なので
ある程度の年齢以上になってからはいかに一般人に偽装するか、せめて見た目でオタク認定されないようにと思って生活してきた。
「オタクに見えない」と言われるのが一種の安心材料というかステータスというか。
ちなみに私は自分のお金の使い方は決して褒められたものではないと思う。
ソシャゲは飽きてグッズもランダム商法には乗らなくなったけど、別に独身で一人暮らしだから子供のための貯蓄とか必要ないし…と
「物より思い出」「推しは推せる時に推せ」の語感の良さに乗っかって作品の公式イベントは遠征も辞さず参加しているし、
聖地巡礼旅行でお金を使ったりしているので、ランダムグッズを買いまくっていた頃と出費は変わらない。
経済的には誰の世話にもなっていないし、年の収支はプラスで今のところは生活に困らない範囲なのでまあ、といったところ。
あと、定期的に会うような友達はいない。飲み会やカラオケの写真をツイッターに上げている都会の相互を内心蔑んでいる、そんな感じ。
私は東京生まれ東京育ち(足立区)で中学受験なんか無縁のまま誰でも受かる都立高校に進学した
当時はその高校の大学進学率は1割程度だと思う、あとは専門学校とか就職とか消息不明とか
私も高校時代はマックやミスドやカラオケとかでバイトをしていた。時給1000円くらいで
とりあえず専門学校に進学したものの、ほとんど行かなくなり、当時の学校の友人に誘われて夜職デビュー。キャバ嬢である
よく言われるように一度、夜職を経験すると昼の仕事ができない。1日朝から夜までマックで働くのと同じ金額が夜の数時間でゲットできる
もうバカらしくて昼間になんて働けなくなっていった
でも、夜職をする女子は常に不安である。この仕事をずっとはできないことがわかっている。このまま年を取れば風俗に行くしかない
かといってバカらしくて昼間は働けない。働いてはみるもののこんな大変な仕事して得られる給料が夜の1/3以下だったりする。コスパを考えると夜が楽。でも不安
ただの自慢話なのでキレてくれてもいい
渋谷のゲーセンで遊んでいるときに、好きなゲームが一緒で大学生男子と仲良くなった
私は同伴の時のおっさんの好みで昼は清楚系の格好をしていたので、その大学生をコロっと落とすことができた
昼は彼氏とゲーセンで遊び、夜は門限が厳しいといって別れてからキャバで働いていた。ひどい女である
しばらく付き合っているうちに彼氏は私を大学生と思っていたようだが、フリーターであることを告げると驚いて「大学に行けば?」と軽々しく言ってきた
そもそも私の高校は大学進学率は1割程度であり、10年くらい前に明治大か中央台に受かった先輩が開校以来の天才と呼ばれている高校である。
ふざけんなと思った
しかし、話を聞くと彼は東大生であった。平日の昼間っから渋谷のゲーセンに入り浸っているので私と同レベルの知能だが金があって通っているFラン大学生だと思っていたのだけど。
奴にやたらお金があるのは東大受験生向けの塾で塾講師をしているからということもわかった。めちゃくちゃ時給が良くて私のキャバの時給よりも高かった
話を聞けば聞くほどだんだんムカついてきたし、自分が惨めで泣きたくなってきたし、実際泣いた
ぶん殴ろうかと思ったが、私は発狂しながら、しかし心の奥底で冷静に、つまり夜職のコスパと昼職のコスパを比較して昼職を馬鹿らしいと感じる頭くらいの冷静さで
この東大生を逃す訳にはいかないと思った。なんといってもFラン大学生だと思う程度に私と話が合い、見た目やセックスの相性も良く、さらに東大生なのだ。有料物件である。
専門学校や就職した友達にマウントするためにブランド物を身に纏ったり、キャバで周りの女子を威嚇するために同伴や売上を誇ってマウントしたりする自分と決別した
私がアホ高校卒業で、受験というものをやったこともなく、そもそも高校ではお菓子を食べて暮らしていたこと、
どうやって抜け出せばいいのかわからないこと。
彼氏は話を聞きながら、私の人生を自分が背負うことはできないけど、変えたいなら勉強を手伝うことはできる、奨学金の制度もあるし、大学に行くのがいいんじゃない?と言った
大学。
私と最も遠い存在だった。正直ネットでFランとか言われている大学ですら羨ましかった。羨ましいという感情を隠して生きてきた。
私も大学行っていいんだと思った。もちろん大学に受かったわけでもないけど、私が大学に行ってもいいという人がここにいる(しかもそいつは東大生である!)という事実に感動した
そこから私はキャバを辞め、彼氏の家に転がり込み、居候彼女兼生徒として勉強をした
高校1年の内容から教えてもらい、中学の内容もわかってなかったけど、彼曰くそこまで戻ってたら時間がかかりすぎるから、高校レベルからでなんとかしようと戦略を練ってくれた
私は家で勉強をし、彼は大学に行き、彼が帰ってきたらわからないところを教えてもらい、明日やるべきことをリストアップし、セックスする
これの繰り返しだった。
勉強を初めて3年後、私はMARCHのどこかの大学に受かった。彼は大学院生になっていた。
「自分が教えてもやっぱりきっちり3年かかるんだな…」と彼は悪態をついていたが、私は合格の文字を見て、狂喜乱舞した
これは私が開校以来の天才と並んだ証なんだ
3年間の勉強と彼による矯正の結果、私はすごく真面目になっていた
大学ではどの講義もほぼ1番前列の座席に座り、真面目に授業を受けていた。サークルや部活にうつつを抜かすこともなかった
もし皆さんの大学で1番前に座って授業を受けている年増の変な女がいた記憶があるならばそれが私である
彼にはめちゃくちゃ勿体無い、せっかく大学に出たんだから就職すれば?と言われたけど、
私がやりたかったのは昼職のちゃんとした仕事に就くことではなく、夜職という不安定な環境を抜け出したい、ということだったんだなと在学中に痛感した
私は自分の力で大学に合格したことで(もちろん周りのサポートのおかげである)「やればできる」ということを心の底から実感したんだと思う
だから、働きたくなれば働くということも苦労すればできるんだろうと思ったし、その苦労するということを嫌がらずにできる自分になったことに自信を持ったんだと思う
だからこそ、私は彼に尽くしたくなったのだ
彼の仕事を応援したいし、疲れて帰ってきたら心身ともに癒してあげたいし、浮気などされたら困るのでいつまでも美人を維持し、周りの同僚に自慢できるような奥さんになりたいし、
フードコートで食事するときは自然に俺と息子、妻と娘に分かれる。
俺は旅行の時ぐらい食べたいもの食べればと思うが、妻は何となく節約を意識してる気がする。
娘はほぼうどんかラーメンを食べたがるが、もっと肉を食べて欲しい。
午後3時、実家着。
義父はもう認知症で妻を見て誰と言っていた。
今まで使ってたのはFUNAIで同じメーカーがいいと言っていたが、もう倒産してる。
希望は目立つ場所に合ったパナソニックのスティック掃除機69,300円。在庫がないため送料がかかる。
「AMAZONだったら安くならない?」
「指定価格品だからどこで買っても変わらない。年寄りが買うなら送料ぐらい払って近くの店で買ったほうがいい」妻を説得する。
義母は頷いてた。
遠くで聞いてた店員が気を使って配送料を取らない形にしてくれる。
妻は歌わない。新婚当初は二人でカラオケ行ってたが、仲が悪くなって歌わなくなった。
中1の息子は歌に興味がない。100%勇気とひまわりの約束、虹のサビだけ参加。
あとは小4の娘と俺が適当に選曲。ライラック、白日、アイドル、マリーゴールド、大体うろ覚えでガイドボーカル入りでこっちもサビだけ歌う。
息子が最後にデザート食べたいって言うと何故か妻が渋る。帰りにコンビニで買ったやるからって慰める。
4人で大体一万。こっちが出す。
二日目、また妻の実家に向かう。妻と娘は実家。俺と息子はマンガ喫茶で時間をつぶす。
1時間ぐらいで妻と娘回収。
俺と息子、海鮮丼(2500)、妻ネギトロ丼(1100)、娘ラーメン(800)
1時間ぐらい遊んで帰る。
俺アラビアータ、息子カルボナーラ大盛り、妻しらすのスープパスタ、娘エビのトマトクリーム。
息子が食べ終わってデザート頼みたいと言うとまた妻が渋る。
それぐらいいいだろって言ったら妻が具合悪いって言いだす。
2年ぶりの大阪旅行、前回は恥ずかしながら四十を過ぎても存在自体知らなかった新地に行ってみたいという下心丸出しな思いで訪れた飛田新地は恐怖そのものだった。
まず駅から向かうアーケードが怖い。どれだけあるのか分からないくらい無数のカラオケ居酒屋が立ち並び、所々から女性が顔を出してきてどうぞどうぞと客を呼んでいる。目的地に着く前に精神が削られていくのが分かる。
ここに来なかったら一生見ることのないフレーズだろう。
無限に続きそうな居酒屋からようやく暗がりの横道へ入ると奥に向かってちらほらと浮かぶ看板と軒先の灯り。ここが飛田新地か。
メイン通りや青春通りの場所について少し予習していたはずが完全に頭が真っ白になり闇雲に歩き回る。
はじめは恐る恐る、灯った看板が少ない通りを。
ピンク色の光が漏れる軒先を通りかかるかその寸前か、おばちゃんの声が聞こえると同時にチラッと横目で玄関の上がりの方を見やる。いた。確かに女の子はそこにいた。ある目的のためだけに座る女の子は本当にいた。きれいだと思った。
ちらほらと灯る道でもおばちゃんの呼び込み一つ一つに胃が縮むような感覚を覚える。一瞬見やる女の子の顔が頭に残らない。だけどここまで来てこんな入門編にすらならない場所で逃げ帰るわけにはいかないだろう。
一念発起、灯りが多い道に出た。何通りだったのかすら記憶にない。左右に首を振りながら歩く。女の子は見えたり見えなかったり。おばちゃんの声が前から後ろから聞こえる。なんたる度胸なし。
知らなかった、自分は女の子を選ぶならじっくりと顔や雰囲気を吟味をしたいのだと知る。どれだけ自分勝手なんだろう。いやそもそも新地に向いてない。
そうして無意味にいくつかの路地を歩き回るうち、とある一軒の前でおばちゃんの声に混じって胸を強調した服のお姉さんにおいでおいでと声をかけられた……ような気がする。通り過ぎるときはあー……と残念そうな声。
普通はここに並ぶ女の子は男が通りかかっても手を振る程度で呼び込みはおばちゃんが担当するらしいのだけど、となると相当なイレギュラーらしい。
もしここに入っていたら何か変わっていたかもしれない。何も変わらないかもしれない。
結局飛田新地から逃げ出した。ここは怖い。圧がつらい。見たいのに見られないのがもどかしくて逃げた。
でもいつかは……
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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## 🧭 1週間分の総括
この1週間は、年末年始らしい生活実感・家族・食・地域の話題を土台に、
そこへ仕事観・物価・テクノロジー・国際情勢といった現代的テーマが重なる、
広がりのある会話が展開されました。
「個人的な雑談」と「社会への考察」が自然に共存するコミュニティの温度感が際立つ1週間でした。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
気持ちの整理のためにここに吐き出させてもらいたい。知っている人が見たら即身バレだろうが。
自分の出身は関東で相手は関西。当時自分は北東北で働いており、相手も大学が隣の県であったためにマッチしてやり取りするようになった。顔が可愛いのはもちろん、頭がよくて話が合い、英語が話せて海外志向である点など自分とは違うタイプであったのがとても魅力的であった。
いい感じではあったが向こうに他に付き合う人ができたようで連絡しなくなり、その何ヶ月か後に別れてまた連絡を取るようになった。
自分はそれまでろくに女性と付き合ったことがなく、いわゆる童貞であった。
最初に会ったのは東北の中心地の仙台で、何をとち狂ったのかいきなりシティホテルのちょっと良い部屋(ツインにはした)を3泊予約した。
水族館とかありきたりなデートをしたり少し高めな焼肉に行ったりして2日め夜に彼女に促される形で告白し、付き合うことになった。
3日めに初体験を迎えることとなったのだが、緊張のため立たなかった。しかし一日中部屋でイチャイチャして幸せであった。
それからは1ヶ月記念旅行や3ヶ月でペアリングを買ったり、順調であった。
毎年付き合った記念日には旅行に行っていた。記念日ごとに彼女が作ってくれた手作りのアルバムが宝物だ。
普段は遠距離であったが相手は学生でコロナ禍のためリモート授業であり(寮生活だったのが実家の関西に戻っていた)、2ヶ月に一回くらい私の家に数週間泊まりに来てくれた。帰り際にサプライズで1つ1つにコメントを書いて作り置きのおかず何品を冷凍庫に残して行ってくれたのは今でも記憶に残っているし、別れ際に毎回泣いてしまう私に手紙を書き置きしてくれたこともある。
そんなこんなで時々旅行などに行きつつ、普段は私の家まで来て泊まってくれるという感じで関係が続いていた。
3年め頃には彼女はヨーロッパに半年×2+8ヶ月くらいで留学にいった。大学時代の留学と大学院だ。時差の関係でこっちの深夜か朝方に毎日のように電話した(電話に関しては彼女の意向が強かった)。寝不足に悩まされることも多かったが、元気にやれていることがわかって良かった。時々日本からの食糧などの荷物も送った。毎回10kg近くになって重かった。
初めての海外旅行に行ったのもこの頃だ。自分は英語に苦手意識があったが、彼女は留学先に戻る前に行きたいとのことで全額自分持ちでサントリーニ島に行った。景色が本当に素晴らしく、また絶対に行こうねとよく話していた。お土産のパーカーをお揃いで買った。
そこから海外へのハードルが下がり、彼女の留学先に遊びに行ったり、海外在住の友人に1人で会いに行ったりなどするようになった。他にも彼女と1回ヨーロッパに旅行に行った。相変わらず英語は下手だが、下手なりに話せばいいんだなと思えるようになった。
この頃から恋愛的なドキドキはなくなり、一緒にいると落ち着く相手に変わっていった。それは相手も同じだったと思う。
留学から帰ってきてしばらく経った4年めのクリスマスには手作りのアドベントカレンダーを送った。箱自体は既製品で中身を24品+α選んで詰めた。本当に大変だったがすごく喜んでくれた。次やるのはプロポーズの指輪を最後に仕込むサプライズをやる時かな、とぼんやり考えていた。
このことを話した職場の先輩からはカラオケの後の3次会で「4年めのアドベントカレンダーなんて俺が3年めの浮気を楽しく歌ったのが軽すぎるな」なんて茶化された。
転機は昨年だった。彼女が4月から東京の外資系コンサルに就職した。当然仕事は忙しく、メンタルをやられたりした時もあったが同期ともよく遊んだり楽しそうに過ごしていた。自分は変わらず仙台だったが今までのうちで一番近かったため月1以上で週末に会いに行った。ここに至っても毎日のように電話する習慣は変わっていなかった。
前からもう少し恋愛がしたいとは言っていたが、周り(彼女より2-3歳下)がそういうことで楽しそうにしているのを間近で見て影響を受けたのだろう。
1ヶ月前くらいに彼女が留学時の友人に会いに一週間ほど旅行に行った。その頃から連絡がそっけなかったり、必ず繋いでいた手を繋がなくなったり、電話しようと言っても断られたりなど兆しは見えていた。また、外すことのなかったペアリングとプレゼントのブレスレット・ネックレスを外していた。
余談だが、ブレスレットは留学先で切れて落ちてしまい、彼女に泣きながら謝られた。その後サプライズのつもりで留学先に行った時にブレスレットをプレゼントしたが、予期されていたらしい…。
そして前々から約束していたので予定通り年越しを彼女と過ごし、予感していた通り振られた。
彼女との関係性を言っていなかったな。趣味もご飯とお酒や好きなyoutuberが同じということ以外は被りがなく、価値観も異なり政治的な考え方に至っては真逆であった。ケンカ(というより怒られた感じだが)はしょっちゅうだった。自分は仕事はそれなりのものに就いているが生活態度がかなりだらしない。一方で彼女は非常にしっかりしている。自分の片付けがだらしなかったり物を出しっぱなしにしていたり報連相がなかったりなど色々と言われることが多く、きつい時には別れた方が楽になると何回か思ったほどだ。
それでも改善の努力をしてケンカの頻度はやや減ってきた(生活態度はまだまだ直っていない)。
正直人から見て合わないタイプの2人だったと思うし、努力で関係性を続けてきた面も否めない。相手は感情など素直にぶつけてきたが私は言いたいことをなかなか言えないことも多かった。
それでも自分は彼女のことをかけがえのない存在だと思っていたし、性的な目で見ることが減ってきても大切だという思いは増していった。
無垢な寝顔が好きだったしプレゼントなどで喜ぶ顔が嬉しかった。自分の愛情をほぼ無条件に受け入れてくれる相手として、自分のことを深く理解してくれる相手として、なくてはならない存在であった。また、これからも彼女の一番の理解者になれるのは自分だと自信を持っている(この辺はだいぶ重いだろうか)。
今の自分は彼女によって作り直されたと言っても過言ではない。内向きからやや外向きになったし、友人関係も前より大事にするようになった。身につけているものはほとんどが彼女からのプレゼントだ。髪型もパーマにするようになった。付き合う前はお金第一であったが、今では彼女が喜ぶのが一番でそのための出費は惜しくなかった。仕事優先から彼女優先にも変わった。日常で彼女が関係しないものはないと言ってもいい。
彼女も付き合っていくうちに変わってきたと思う。前はメンヘラ傾向というか、自信のなさからか、夜に電話してても急に泣き出して別れないよね?と聞いてくることが度々あったが今では可愛いねと言ってもでしょ?と答えるくらい自信を持てるようになったようだ。ただ、モテないというコンプレックスについては自分がどんなに愛情を注いだつもりでも、癒すことはできなかったようだ。
話を戻そう。別れ話は淡々としていた。彼女は相手に尽くすタイプだったが私が尽くしていたためにそれができなかったこと、それにより思うように女性らしくいられなかったのがストレスだったこと、ドキドキ感がなくなってしまったこと。
それでも5年間は大切な日々だったし大切な存在を失って後悔するかもしれないとも言ってくれた。自分は泣きながら聞くばかりだったが、彼女もまだ気持ちが揺らいでいるなどと言いながら泣いてくれた。
別れ話以外は量は減ったものの普段通りの会話だったし年越しの初詣は彼女の幼馴染と3人でいった(去年も同じであった)。
別れ際も新幹線改札まで送ってくれた。最後にはいい〇〇(私の職業)になってねと応援してくれた。最後まで私のことを大事に思ってくれてるんだなと感じた。改札を通ってからも振り返れば笑顔で大きく手を振ってくれていた。普段の別れの時のように、まるでまた会えるかのように。私はいつも以上に泣いていた。
一年くらい引きずるのは確実だろう。彼女の3月の誕生日にはおめでとうのメッセージの許可ももらってしまった。それでも、脳内の彼女に怒られながら部屋をきれいにしたり、海外にまた行くために英会話を頑張ったりして引きずりながらも成長はしていけると思う。いわばこれは彼女からの卒業なのだ。今は気持ちの整理がつかず、これを泣きながら書いているがいつか部屋がきれいな状態を保てるようになり、英語にも自信がついて職業技能も向上し、身につけるものが刷新された時、新しく愛せる相手を見つけられるようになるはずだ。
脱線も多くわかりにくい駄文を最後まで読んでくれてありがとう。
彼女への愛、自分の気持ちを昇華するために文章にさせてもらった。いわゆるジャーナリングのつもりである。
追記:なぜプロポーズをしなかったと訊かれそうだから断っておくが、プロポーズについては彼女が社会人として落ち着いてからがいいということを前から話し合っていたためにまだしていなかった。指輪を見に行こうねとも話していたがそれが実ることはなかった。
でも、難易度はかなり上がってるとは思ってる、コード進行、演奏、特にボーカル…😟
そうなると、カラオケで選択されなくなる可能性がある、と思ってる
この曲はバカでも弾けるぐらい簡単、みたいにヒットした曲をバカにする人がいるけど、自分は違うと思ってて…😟
バカでも弾けるってことは、小中高の軽音とかが簡単にコピーできるってことで、これは重要だと思う
誰でも弾ける、ということが流行に繋がってる
あと、本当の所はよくわからんけど、子供向けの楽曲はハ長調、Cメジャーが多くない?とも思ってる
老人の「昔の歌の方が分かりやすい」は、自分もちょっと同意してしまうところがある
自分も老人側だからだろうけど、やはりシステム同様に、物事は複雑化していく
子供の頃のMSXやファミコンはラズパイどころかArduinoでも動作するレベルである
OSのないZ80の方が分かりやすかった、みたいな意見は分からなくもない
今のOS、Windows、Mac、Linuxであれ、色々なプロセスとかが走ってる
挙動が完全には読めない、不確定要素の中でできるだけ安定動作させようとしている
それに比べれば、音楽は共通点が多くある、本質は何も変わってない
何が変わらないかって、いわゆる音楽理論的な部分は、長く共通化される
相当のことがないかぎり、ドレミファソラシドの平均律をこれからは廃止します、とかならないはず…😟
昭和であれ、平成であれ、令和であれ、クラッシックであれ、もっと昔の音楽であれ、
https://magcomi.com/episode/2551460909751834862#
花のひと(Hiromu。)
https://magcomi.com/episode/2551460909759647548
竜のプライド(光彩)
https://www.sunday-webry.com/episode/2551460909787946988
https://comic-days.com/episode/2551460909765781164#
なんつうのかな「派手なアクションや根源的なカオスに乏しいボーボボ」みたいな漫画っていうんかな。
ナンセンスっぽくはあるけど小理屈っぽさは残ってて地面から足を放しきれてないっていうか。
それでいて論理的なストーリー展開はしなくてその場のノリっぽさがあるっていうか。
「M-1でいきなりカラオケ歌い出すタイプの芸人」っていうか。
なんつうか「真面目と不真面目の山谷」みたいなのが人間の中にはあって、その絶妙なラインをいい感じに反復横とびすることで産まれる緊張と緩和の緩急に合う合わないがあると思うんだよね。
多分なんだけど、パタリロとかが好きな人は呪術廻戦の死滅回遊編とか楽しめないと思うんだよ。
俺は最後のボーボボごっこしながら世代ネタ乱発する所に死に場所を見つけられなかった生霊が満足して死ぬに足る物語性を感じられたけど、ああいうの見て「は?全てにおいてつまらんし滑ってるよね」と感じる人が、パタリロとかで大爆笑するんじゃないかなって
平日は夜10時過ぎまで電話掛けまくり。電話帳に個人の番号載ってたから客が尽きることはなかった。
それで毎月数百万から多い時は1千万超える売り上げで賞金もらったりなんやかんやで手取り40〜60万もらってた。
それでも武富士、プロミスで借りまくって借金返済に追われてたよ。借金して金返す為に仕事で稼いでたような感じ。
女遊びはしない、飲みにも行かない、賭け事もしない。
仕事終わりに上司に誘われてカラオケはよく行ってたがこれは上司のおごりなので金はかからない。
タクシーはよく使ってた。電車がないと普通にタクシーに乗ってた。
今みたいに100円ショップやドラッグストアはなかったな。日用品は今で言うホームセンター的なチェーンじゃない店で買ってた。
ディスカウントショップでブランド物が安くなるのをチラシでチェック。
大きな催し物会場に行って行列に並んで買ってた。そういえば渋谷駅前にあったディスカウントショップの社長はよくテレビに出てたな。
会社にPHSの営業が来て新しい物好きのみんなで個人契約。歩くと電話の電波が切れるから立ち止まって掛けてた。
2〜3ヶ月で料金払わず止められた。今の携帯と違って番号に執着もないから掛け捨て感覚だった。
そういえば引っ越した先ですぐに夜にピンポン鳴って固定電話の営業が来た。
電話番号は売ることもできるし資産になりますって10万くらいだったかな?保険屋の営業感覚で訪問営業してたよ。
映画は新聞でチェックして映画館で切符買ってた。座れなかったら後ろで立ち見。
別にギャル男とかじゃないけど日サロも普通に行ってたな。街中どこでも日サロあったよ。
ゲーセンで金使わず家で出来るのが本当かって感じで信じられなかった。
TSUTAYAでビデオもよく借りてた。返す時にイチイチ巻き戻すのが面倒だった。
テレビはビデオと一体型のブラウン管。友達も持ってたけどビデオだけ壊れてるって言ってた。
外食は吉牛が多かった。後はデニーズで朝までコーヒーで時間潰したりしてた。
今みたいにチェーンのラーメン屋は多くなかった。
追記: