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はてなキーワード: 絵本とは

2026-05-08

俺が幼いころ(80年代前半)、まだ物価は上がっていくのが当たり前だった

ウン十年前は餡パンが1円で買えた!みたいな話が絵本に書いてあったりして、夢を感じたもの

それがいつの間にかモノの値段は上がらないのが普通で、安ければ安い方がよく、値上げは悪だとみなされるようになった

いつからだろう?

給料が上がらなくなってからなのか、それとも卵と鶏が逆なのか

2026-05-07

[]5月6日

ご飯

朝:アーモンドエナドリ。昼:焼きそば目玉焼き。夜:たまごやき。沢庵納豆冷奴キュウリトマト。ギョニソ。バナナヨーグルト。間食:柿の種あずきバー

調子

むきゅー。はややー。お仕事は9連休の5日目で休み

ゲーム三昧。

ポケットモンスターY(ゴーストポケモン旅)

フロストケイブを終わらせて、ミアレシティ観光も終わり。

ここから後半戦なのでもう一息。

○旧シャドウバースのメインストリー感想

「才気学園編ベルディリアルート」

 ・5段階評価:3

 ・あらすじ

  魔法を学ぶ「学園」の新入生アリシアと、その担任教師ベルディリア。

  「学園」では教師に座学を教わる教師派と生徒同士の実践魔法学ぶ生徒派の権力闘争が盛んだった。

  ベルディリアは生徒派のリーダーライルと、生徒会長の幼馴染アマリリスを新たに担任するため「学園」を駆け回る。

  そして自分の妹カステルを守るため頑張るのだった。

 ・印象に残ったセリフ

  ベルディリア「手が空いたら…… また会いにくるから。その時でいいか?」

  妹に食事に誘われての言葉。そっけないように見えて選択肢の選び方次第では速攻で会いに行けるので、妹にはだだ甘いのが可愛い

 ・印象に残ったキャラ

  ベルディリア。生徒大好き甘々ティーチャーにして、妹大好き甘々シスター。同じ教師ヴァイス学園長には辛辣な態度を取るのが面白い

 ・感想

  舞台も一変し今度は魔法学園もの。新入生のアリシアがいきなり退学させられるビックリな導入から魔法の種を見抜くためのサスペンス展開に、妹可愛がるイチャイチャムードにと、多種多様お話だった。

  主人公ベルディリアは大人には辛辣な態度だが、子供たちはデレデレ甘々な優しい人なギャップ可愛いキャラだ。

  今のところ、恒例の管理者に関する怪しい噂や過去キャラの暗躍などもない独立したエピソードになっているが、ライルの人形が青っぽいのが気になるところさん。

  生徒会長アマリリス共依存してそうで、あっさりとアマリリスが独り立ちしたのも、流石に生徒会長がこれだけで終わらないよな? と不安がある。

「才気学園編ライルルート」

 ・5段階評価:2

 ・あらすじ

  学園長に都合の良い道具として使われていたライルの母親

  彼はその復讐のため「学園」にはいるが、そこで築いた関係値はそれだけではなかった。

 ・印象に残ったセリフ

  「お前なら、きっと勝てるさ。頑張れよ!」

  学園長の息子であることを黙って、目的の打倒学園長も隠していたライルを率直に真っ直ぐ応援するモブの生徒。いい子だ。

 ・印象に残ったキャラ

  ライルの母。明らかに何かの伏線が張られたが、先行きが不透明なので不穏な気配。

 ・感想

  ベルディリアルートの補足で文量も短めなライルルート。

  学園長が実は良い人でした、というサゲはありえなさそうだが、まだライル目線しか語られていないため判断は保留したい。

  ペルソナを被った本音じゃない付き合いだったけど、ライルと生徒派の面々の関係値は優しく暖かい雰囲気で好きだ。

「才気学園編アマリリスルート

 ・5段階評価:2

 ・あらすじ

  孤児院凄惨暮らしをしていたリリウムアマリリス

  リリウム創造魔法の根幹はアマリリスのついた小さな嘘だった。

 ・印象に残ったセリフ

  アマリリス「あの絵本を、本当は好きじゃなかったって。……そこからやり直したいって。」

  リリウムアマリリスを繋ぐ絵本への本当の気持ち吐露する言葉。それが二人の関係自体否定じゃないのがもどかしい

 ・印象に残ったキャラ

  リリウムアマリリスのためなら第三者の命を無下にしてしまう程だったのは驚き。反省とかでどうにかなるレベルを超えているように思うので先が気になる。

 ・感想

  ベルディリアルートの補足で文量も短めなアマリリスルート

  二人のベッタリな関係値のオリジンが語られるが凄惨過去話は読んでて辛かった。

  とはいえ、ただの好奇心旺盛な女子生徒を龍に変えて使役するのはやりすぎなので、しっかりと懲らしめられて欲しい。

「才気学園編カステルルート」

 ・5段階評価:2

 ・あらすじ

  姉に守られ続けてきたカステル。

  しかし、教師仕事に夢中な姉が自分よりも優秀なライルとアマリリスに構う姿が許せなくなり……

 ・印象に残ったセリフ

  カステル「お姉ちゃんと、もう一度……。」

  お姉ちゃん大好きカステルが力に溺れていそうな顔でいったセリフ。読者目線では甘々お姉ちゃんのままだが、あの甘さじゃ妹には足りないのが怖い。

 ・印象に残ったキャラ

  ベルディリア。過去編でも妹思いでなんと神を打破している模様が描かれた。この辺が管理者と繋がるのかしら、気になる。

 ・感想

  ベルディリアルートの補足で文量も短めなアマリリスルート

  ライルやアマリリス比較してもなお駆け足な回想と現状のシーンで、恋する妹はせつなくてお姉ちゃんを想うとすぐ闇堕ちしちゃうのだった。

  いや、茶化す気はないんだけど、爆速で闇堕ちしてビックリしちゃった。

「才気学園編最終章

 ・5段階評価:3

 ・あらすじ

  それぞれの因縁相手と、ベルディリから教わったことを生かして決着を付ける面々。

  そのベルディリアは、ネルヴァの力を振るうカステルと対峙し大苦戦。

  しかし、教え子二人の協力と、神を宿す力でそれを奪い、無事に管理者の介入を許さずに事件解決するのだった。

  しか人間感情理解したネルヴァは遂に策を実行に移すのだった。

 ・印象に残ったセリフ

  ライル「そっちは任せる。こっちは任せろ。」

  ライルは学園長ベルディリアはカステルのもとにそれぞれ向かう際の頼れる言葉

  端的な言葉で力強くて好き。

 ・印象に残ったキャラ

  ベルディリア。一貫して最初から最後まで、いい先生で、いいお姉ちゃんだった。管理者にしてやられることもなく、防衛してみせたのもお見事、良いキャラだ。

 ・感想

  前章で揶揄ったカステルの闇堕ちの早さだが、なんとそもそも物語の開始時点ですでにカステルはネルヴァ接続していた衝撃の展開。

  生徒二人の結末のテンポが小気味よく、かつベルディリアの言葉キーとなるまとまり具合で面白かった。

  教師としてのベルディリアがある種完成しきっているからこその、優しいだけじゃない叱れる姉の様相が足りなかったと生徒たちかた教わるのも綺麗な構成だった。

  今までのエピソード群とは接点が非常に薄いからこそ、逆にベルディリアの優秀さが際立って好きになれた。

2026-04-29

1週間くらい前。

同人誌の値段が5倍になるからオタクは今のうちに本を作ろう」

というツイートを見たら、

オタクさん達、もっと世の中に興味を持ちましょう。同人誌どころの話じゃないですよ。電気ガス下水が止まる危機なんですよ」

というツイートが流れてきた。そこから石油がどうのナフサがどうのデモがどうの高市がどうのっていうツイートで溢れてきて、不安になった。え?そんなにやばいの…なんか買い溜めしといた方がいいかな…と思って、猫の餌と猫砂を結構買い足した。



土日になって、マリオ映画を見た。

ピーチロゼッタの話、ゲームと違いすぎるだろ!!ロゼッタ絵本って何だったの???って思って、マリオ映画について検索したら、同じように思った人のツイートがたくさん出てきた。

そこからタイムラインマリオ映画についてたくさん流れてくるようになって、石油の話は全く見なくなった。

そんで、今日トモダチコレクションの島クリエイトが上手くいかなくて検索したら、トモコレ話題ばっかり流れてくるようになった。

なんだかとても疲れる。

無駄不安を煽るツイートが多すぎる。

2026-04-25

anond:20260425203624

絵本に使われている絵は挿絵であり、絵本文章主体」でどうだ?

2026-04-23

お伽草紙

太宰治


「あ、鳴つた。」

 と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾かぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。

「近いやうだね。」

「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」

「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」

「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」

「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます

 母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。

 この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである物語創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ

 ムカシ ムカシノオ話ヨ

 などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである

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瘤取り

ムカシ ムカシノオ話ヨ

ミギノ ホホニ ジヤマツケナ

コブヲ モツテル オヂイサン

 このお爺さんは、四国阿波剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽歌舞伎芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、

ムカシ ムカシノオ話ヨ

 と壕の片隅に於いて絵本を読みながら、その絵本物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)

 このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独ものである孤独から酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである若いから無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。

「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、

「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しまから。」と言ふ。

 お爺さんは浮かぬ顔になる。

 また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。

 けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのであるしかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。

「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」

 言はなくたつていい事である

 お婆さんも息子も、黙つてゐる。

「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。

「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。

「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。

 うちでお酒を飲むと、たいていそんな工合ひである

アルヒ アサカラ ヨイテンキ

ヤマヘ ユキマス シバカリ

 このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、

「よい眺めぢやなう。」

 と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、

「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、

「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、

いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分可愛い孫のやうに思ひ、自分孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのであるけふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、

「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである

ハカニ クラク ナリマシタ

カゼガ ゴウゴウ フイテキテ

メモ ザアザア フリマシタ

 春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、

「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」

 と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、

「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である

はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」

 とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、

「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである

ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ

ツカレガ デタカ オヂイサン

イツカ グツスリ ネムリマ

オヤマハ ハレテ クモモナ

アカルイ ツキヨニ ナリマシタ

 この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、

「これは、いけない。」

 と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。

「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、

オヤ ナンデセウ サワグコヱ

ミレバ フシギダ ユメデシヨカ

 といふ事になるのである

 見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いかである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇鬼才何某先生の傑作、などといふ文句新聞新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万醜悪綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである

 見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである

 お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、

「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物もつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐ種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかい言葉は、まるで無意味ものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、

「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく

ヲドリノ スキナ オヂイサン

スグニ トビダシ ヲドツタラ

コブガ フラフラ ユレルノデ

トテモ ヲカシイ オモシロ

 お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、

むすめ島田年寄りやかつらぢや

赤い襷に迷ふも無理やない

嫁も笠きて行かぬか来い来い

 とかい阿波俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、

大谷通れば石ばかり

笹山通れば笹ばかり

 とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。

オニドモ タイソウ ヨロコン

ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ

ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ

ソノ ヤクソクノ オシルシ

ダイジナ モノヲ アヅカラウ

 と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。

 お爺さんは驚き、

「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。

アサデス ツユノ ヒカルミチ

コブヲ トラレタ オヂイサン

ツマラナサウニ ホホヲ ナデ

オヤマヲ オリテ ユキマシタ

 瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。

「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。

「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失てゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである

 家に帰るとお婆さんは、

「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。

「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。

「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。

「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。

「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。

「うむ。」

「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」

「さうだらう。」

 結局、このお爺さんの一家於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24

2026-04-17

絵本かなにかでふろふき大根なる食べ物が大好きでおいしそうに食べる男の昔話を見た記憶があるけどなんていう話か分からない

きつね森の山男

アッアッこれ多分これ!ウワーありがとうこれだこれ!!

2026-04-12

anond:20260412093933

刺激が少ないものを見るのがいいよ

同じような状態だった時、Amazonプライムビデオ内村さまぁ〜ずをシーズン1から最新話まで見て、それからまたシーズン1に戻って繰り返し見たりしていた

水曜どうでしょうもいい

フルハウスもいい

長く続いてる、ゆるいシリーズぼんやりと見て時間を潰したり、寝たり、少し体力がある時はその場足踏みとかでいいから少し運動体操をして体をほぐしたり

そういう風に過ごすといい

本が読めないのがつらい時は児童書絵本がいい

シルヴァスタインエリック・カール韓国の「すいかプール」なんかもよかった

収入がなくても図書館なら無料で借りれるし他の館から取り寄せもできるぞ

夜眠れないならラジオのゆるい番組やPodcasを聞くのがいい

自分が鬱だったころは放送大学を聞きながら寝ていた(何時間も眠れなくても少しは勉強になるから自己嫌悪が減らせた)が、今はラジオ放送がないんだよ

PodcastならTempleMorningRadioがよかったな

司会が静かな話し方なのと、後半のお経でよく眠れた

自愛せえよ

2026-04-11

映画 えんとつ町のプペル約束時計台〜』 作中で起きていたイベント淡々と並べる

淡々事実だけを書いている。「なんでそうなるの?」と言う箇所が多いが、なぜそうなるのかは作中で一切説明はなく私に聞かれても答えられない。自分で見て考えてとしか言えない。

物語全体のテーマは「待つことの尊さ」

ビッチ自身が「待つっていうのは、何もしないってことじゃない。相手を信じぬくってことだ!」と語る。

情報

原案2019年発売の絵本『チックタック 約束時計台』であり、本来はプペルと関係がない。

本作はそれを『えんとつ町のプペル』の続編とするため、ルビッチ異世界に登場させているが最初最後以外ほとんど見せ場はない。

物語舞台は、時計の町。主人公・ルビッチ(前作『えんとつ町のプペル』の主人公)は、冒頭と最後2019年近畿大学卒業式西野亮廣が行った「時計の長針と秒針が重なる瞬間」を人生に例えたスピーチモノローグで語る。しかし本編の中心は、時計師の宗家である青年・ガスと、植物精霊ナギの2人による物語

あらすじ

出会いと恋の始まり

ガスが酔ってナギ肩に腕を回す。ナギがそれを拒否してガスを殴り、店内が大混乱になる。ナギと同居する子供たちは「謝る必要はない」とフォローする。

その後、ガスがナギの顔に急接近して「絶対に許さないです!」と冗談めかして恫喝するシーンや宴会の場でナギに踊りを強要する場面を経て、2人は恋仲になっていく。

ナギ宴会HYの『366日』を歌う。

ナギ秘密と死の偽装

ナギはガスに「植物精霊人間は結ばれない」という事実を明かさず、町を襲った炎をまとった巨人スルト」の攻撃による火事を利用して、自分の死を偽装する。

(ちなみにスルトはこの後特にまともな出番がないので忘れてもらっても構わない。)

ガスの100年間の待つ姿

ガスは時計師の仕事を完全に放棄し、100年間引きこもり続け、ナギの帰りを待ち続ける。

この間、町の時計は止まったままになり、時間を知らせる手段大砲ニワトリが「たぶん7時」と告げる程度の雑なものになった。

ビッチの介入により、ガスとナギが結ばれる

前作の主人公・ルビッチがこの世界に迷い込む。ガスが止めていた時計には「プペル」という名前が付けられていた。その時計が動き出すと、ルビッチは元の世界に戻る。

ビッチナギの元へ行き、100年待ち続けたガスのもとへ2人を再び引き合わせる。

植物精霊人間は結ばれない」という障害があったが、100年経ったあと特に理由もなく消えていた。

最後は年老いたガスと若い姿のままのナギが結ばれるハッピーエンド

プペルの復活

ビッチ親友(実は父親であるゴミ人間・プペルが、時計が動き出したことにより「物に霊が宿る」という付喪神の力で蘇る。

前作でプペルの死を受け入れていたルビッチは、ガスの「待つ」姿勢に影響を受け、プペルの復活を受け入れる。

プペル1に関しては邦キチのまとめがすべて

https://x.com/hattorixxx/status/1471818336900358152

プペルはかつて壮大なビジョンを持った西野さんと

バカにされても絶対に夢を諦めなかった西野さんの

意思を引き継いだ西野さんが

西野さんと力を合わせて夢を叶える物語

オール西野

この映画西野さん自身サクセスストーリー西野さんが自分で感動の物語化した

いわばえんとつ町の西野!!

2026-04-10

anond:20260410081346

生物として子どもを作るのが普通か?」

なんか、それにこだわってる人いるけどさ。

あー、、そう言われてみると、なるほど、普通普通じゃないかなら子育て普通じゃない、ってなるか

多分だけど、幼い頃見た絵本とか小学校時代の生き物を育てる経験マイナスになってると思う

生物子どもを作るのが普通

かいステレオタイプ刷り込みって不合理だしLGBT時代少子高齢化時代にはまったく的外れ

2026-03-25

anond:20260325130253

絵本でも一部分コマ割りしてあるやつあるしそこから慣らすのもいいかもね。

子供漫画を読まない

昨今、うちの子だけじゃないらしいが。

子供の頃から寝る前に読み聞かせを行い、図書館に連れて行き、絵本を購読し、とにかく読書というものには触れさせてきた。

自分が親からそうしてもらった。

でも親が漫画誘導してきた記憶はない。それでも私は漫画出会った。

学校ではちゃおなかよし派で分かれるくらい漫画が浸透していた。

今の小学校はそうではないらしい。

漫画を読めと親が言うのもおかしい気がする。

でもある程度大きくなった時、子供漫画を読む習慣がなかったら、これ面白いよと言い合えないのは寂しいな。

2026-03-24

発達障害の子療育に通えば幸せになるのか?

最近発達障害療育話題がやけに目に入るようになった。きっかけの一つは、いわゆる体験ベース漫画だと思う。中でもみぃやまみたいな作品を読んで、療育に行けば何かが変わると感じた人は少なくないはずだ。

実際、ネットでもとりあえず療育に行った方がいいという意見がかなり増えている印象がある。

でも、現場に通ってみると、そのイメージとはだいぶ違う。

やっていることはシンプルで、少人数で集まって遊んだり、絵本を読んだり、一緒に昼ごはんを食べたり、散歩したりする。それに加えて、順番を守るとか体の使い方とか、そういう説明が少し入る程度。言ってしまえば、かなり穏やかな集団生活の延長みたいなもの

正直なところ、これで何か大きく変わるのかという疑問はずっとある

もちろん、環境としては丁寧に整えられているし、先生たちもよく見てくれている。でも、やっている内容自体は、いわゆる定型発達の子どもたちが日常的に経験していることと大きくは変わらない。特別トレーニングをしているわけでも、劇的な介入があるわけでもない。

結局のところ、その子がもともと持っている特性の影響の方がずっと大きいんじゃないか、という感覚になる。

特に多動の子を見ていると、それを強く感じる。とにかく止まらない。声をかけても反応しないこともあるし、ルール説明しても頭に入らない。周りがどれだけ整えても、その場でコントロールできるものではないという現実がある。

もちろん、長い目で見れば意味はあるのかもしれない。環境に慣れるとか、他者と関わる経験を積むとか、そういう積み重ねは否定しない。ただ、行けば変わる、行かないとダメになるというほど単純な話ではないとも思う。

療育は万能ではないし、魔法でもない。

しろ、過度な期待を持たせることの方が、親にとってもしんどいのではないかと感じる。変化が見えにくいと、通い方が悪いのか、もっと回数を増やすべきかと自分を責める方向に行きやすいからだ。

現場にいると、もっと地味で、もっと長い時間の話だと分かる。

少しずつ慣れていく子もいれば、ほとんど変わらないように見える子もいる。その差を生むのは、プログラムの違いというより、その子自身特性による部分が大きいように思う。

からこそ、とりあえず療育に行けば何とかなるという言い方には、どうしても違和感がある。

必要な子にとっては意味がある場所だと思う。ただ、それは劇的に変える場所ではなく、その子なりに過ごせる環境の一つくらいの位置けが現実に近い。

そのくらいの温度感で語られた方が、実際に通う側としてはしっくりくる。

2026-03-17

そぉいゃ小学生とき、飲めない名水?煮沸して飲んだことあったなぁ…

十数メーターぐらいの川幅の川岸に通ってる道路に沿って建ってた家に住んでたけど、絵本なんかでみた「山の中の湧き水」みたいなのに憧れてたら、護岸工事されてない川岸からそのショボい河川蛇口ちょっと開けたぐらいの水が流れ出てるのを近所の悪友と発見して「これ『湧き水』じゃね!?」って盛り上がって、家まで戻って鍋だかなんだか取って来て、汲んだそれを嫌がる親に無理やり煮沸させて、冷まして悪友と呑んだような記憶が〜〜…

2026-03-14

anond:20260314101234

ディズニー版や子ども向けの絵本とかではカットされてるけど

白雪姫原作だと最後は継母が焼けた鉄を履かされて死ぬまで踊らされるって言うじゃん

あいうのがルーツなんだと思う

しか女子の方がそういう「本当は怖い〇〇」だとか凄惨な展開好きじゃない?少女漫画えげつないの多いし……

こどものときこわかった絵本 いまでもこわい

しろいむすめマニ 味のある絵が逆に不気味 話もいいはなしっぽいけど不気味で気持ち悪い

韓国の人が書いた絵本だったとおもうけど やまたのおろちみたいなのを倒すやつ 輪切りになった首から血が噴き出てる絵が気持ち悪かった

[]

昨日の夜サニーで買ったカニクリームコロッケ2個のうち、1個にクリームが入ってなくて衣だけだった

2,3口咀嚼してたけどあわてて吐き出した

衣だけだったことがわかる程度には残骸が残ってるしレシートもあるからあとで店に行こう

それで思い出したのはおばけのてんぷらって絵本

おばけが抜け出した後に衣だけ食べて驚く場面があって

衣だけでもうまいだろう何言ってんだこいつと昔から思ってたけど、

衣だけだとマジでまずいわ

百歩譲って最初から衣だけってわかってたらよかったんだろうけど、カニクリームコロッケを期待してたから落差がひどい

2026-03-11

猫が鼠や鳥の死骸持ってきて飼い主ありがとー!ってイラスト

そりゃ猫以外の小動物飼いはいい気分せんわなとは思ったけどそれ以上に同じ猫好きであろうアカウントも苦言を呈していて驚いた

似たようなので数年前猫がインコ食う漫画だか絵本描いたイラストレーター鳥飼いにキレられてた時は「こんなことで怒るなんて鳥飼いってこわ〜い!」ってヨシヨシされまくってたのに…変わったな…

2026-03-10

anond:20260309181425

主体複数の事もある」

ただこれだけの話。

 

今回の話をまとめるなら、主体に生成AIダメってルールで、絵本文芸の表紙に生成AIは使えないって例示でしよ。

そこから導かれる結論は、コメティアの考え方は「絵本文芸は表示、本文、挿絵の全てが主体

 

なんで今回の文章で、本文が主体ではないって思えるんだ?

屁理屈言葉遊びなら理解できるが、本気で誤解してるなら論理的思考の欠如か、言葉知識の不足。

anond:20260310180038

ツッコミどころ多すぎて困るが、まずは小説本文をただの情報としている元の文章表現引用してほしい…。

一応、自分の読み方について解説すると、

この規約の一行目では、AI活用した主体表現禁止する。補助的利用については適切な範囲使用許可する旨を明示している。

そして、問題の「補助利用に該当しない例」のセクションでは(歴史的勘違いを生んできたと思われる)補助的利用ではない例をいくつか挙げている。

このセクションはあくまで「例」なので網羅的ではなく、一行目の補助的利用の範囲についてサポートする役割で書かれている。


その中に「AI生成物を表紙や挿絵に用いた絵本文芸」という一文がある。

これは、補助的利用ではない例についての話なので表紙・挿絵文芸絵本主体的利用の範囲に含まれるということになる。

しかし、この表現からは表紙や挿絵排他的文章主体的ではないとする表現にはならない。

まり文芸絵本における主体表現という表現範囲を拡大しているに過ぎない。

他に文芸について言及している行はないので、コミティア文芸主体から文章排除するような表現はしていないと考える。

どうでしょうか?

anond:20260309181425

まず改訂後のルールには「生成AIの出力結果を主体とした作品販売、配布、展示は不可」とあって、補助利用に該当しない例として、「AI生成物を表紙や挿絵に用いた絵本文芸。」が挙げられてる。

けどこれって「小説主体挿絵・表紙である」と言っているんだよね。

そりゃあ騒ぎにもなるだろう。

2026-03-09

コミティアAIルール改定で「文章主体じゃない」ってどこに書いてあるのかよくわからなかった

自分行間読み取るのが苦手なだけだったら申し訳ないんだけど、コミティアAIルール改訂を読んでも「小説主体挿絵・表紙である」ってのがどこからも読み取れない。


まず改訂後のルールには「生成AIの出力結果を主体とした作品販売、配布、展示は不可」とあって、補助利用に該当しない例として、「AI生成物を表紙や挿絵に用いた絵本文芸。」が挙げられてる。

けどこれって「表紙や挿絵AIを使ったらアウト」と言っているだけで、「本文テキスト主体に含まない」とはひとことも書いていない。


これをもとにして「表紙が手書きなら本文がAI生成でもOK」みたいな解釈が出回っているけど、さすがにそれは例示だけから変な読み取り方してるなぁというか。

絵本文芸において表紙・挿絵がアウトだと明示されているのは、それらも独立した「主体」に含まれからこそであって、文章主体から外れる根拠にはならない。


そもそもコミティア公式は「オリジナル作品であればマンガ以外の作品イラスト小説評論音楽、グッズなど)も発表できます」と言っているので文章部分と絵部分は別々の主体として分離できる。

小説も「作品である以上、その本文が生成AIの出力結果を主体としていればアウトというのは素直に導けるルール改定の書き方かと。


例示はあくまで例示であって網羅しているわけじゃないので。

普通に読み取れば「手描きの絵にAI生成の文章」を組み合わせた詩集なんかも文章というAI製の主体が併存している以上アウトだと普通に類推できるはずなんだけど、「例に載ってないかOK」という読み方こそ無理がある。

じゃあ何で例示として文芸が挙げられてたかというと、純粋に「手描き+AI文章」より「AI絵+手書き文章」の頒布が多かった・多くなりそうと予測されただけだったからじゃないかなぁと思った。(これは推測)


自分の読解がおかしいのかと何回か読み返してもやっぱりそうとしか読めないんだけど、読み書きに優れた字書きさんたちが「小説主体挿絵・表紙だなんて遺憾だ!」って言ってるのがすごい不思議

でも読み書きに優れた字書きさんがそういうならきっと自分の読み方がおかしいだけなんだろうなと思ったので、どの部分を読み取って根拠としたのか知りたいんだよね。

2026-03-06

野球観戦をしたいキュウリを囓りながらの増田酢魔野良が鳴り時価を莉ウュ聞いた四をン戦果ウュ器や(回文

おはようございます

宇宙ビジネス最前線繁盛待ったなしでお馴染みなのはカイロス発射は残念だったけれど、

見学広場の周りで繰り広げられているお祭り屋台の出店!

まさに宇宙ビジネス

あそこのカイロス冷やし1本キュウリ食べたいなぁ。

あの賑わいは見逃せられないわ!

でさ、

見逃せることが出来ないと言えば、

私も大谷翔平選手みたくなりたい!って思っていた野球大会が始まるじゃない?

そんで、

今回テレビで見ることが出来ないから、

私は家電量販店

早速飛び込み前転でネットフリックスください!って言ったら

売ってません!って。

うーん、

そんな私でも買うことが出来なかったネットフリックス時価総額どえらいことになってるわよね!

私も一瞬『地面師たち』が流行ったときに観よう!って

見よう見まねでネットフリックスに加入してみたけれど、

なんか1話も観ることができなくて早々に脱落!

以降見てないので解約してーってところまでが

私のマイネットフリックストーリーね。

そんで実家の父が急に言いだしたのか分からないけれど、

妹が実家インターネッツ回線を引いて

ネットフリックスも導入して大谷翔平選手をみるあの野球大会が観戦できるように、

ワールドベースボールクラシックなのよ!

そんな父が急にそんなこと言い出すのかしら?って

あんまり野球を見ている姿なんて私知らないんだけど。

そんなさー、

勢い余っている人が多いと思うので

昨日とか今日とかネットフリックスに加入したい!って

気持ちを加速させたい人が多いと思うわ!

加速させたいだけで実際に加速させて加入した人は

その加速させたい!って思った人が篩に掛けられてインターネッツの最難関の関門である

ネットフリックス契約までこぎつけられるのかしら?って

インターネッツに疎い父と母の暮らしを思うの。

結局最後私が解約とか継続とかカードの支払いとかやるんだから私もそれ把握しておかないと、

妹が勝手に話進めて

アイディーとパスワードを忘れてしまってそれなんてアイデンアンドティティ?って思うの。

すごい家電量販店とか町の電気屋さんとかは

対応に大忙しだったと思うわ。

みんなスマートフォンもってるんだから

それで観れば良いのにね!って思うんだけど、

それはみんな気付いていないみたい必ずしもワールドベースボールクラシックは大きな画面のテレビで観なければならない信仰が年配の方にはあるみたいね

そんな話はさておき、

私は昨日は早く寝よう!って

心に誓った固い約束自分との取り決めがあったんだけど

23時に就寝待ったなし!

また睡眠時間の高スコアを叩き出すことができるのよ!って

私も大谷翔平選手みたくなるんだ!って生活に取り入れている、

大谷翔平選手の夢を叶える曼荼羅チャートの1マスの早寝早起き!ってのを実行するべくべき、

ベッドにスライディング就寝を決めたにもかかわらず、

今絶賛コラボレーション中の

NIKKEでの『リコリス・リコイル』をアニメまた観ちゃったのよね!

ショート全話と本編の1話と2話!

わ!観すぎ!

24時を珍しく回っちゃったわ時計

なんかコラボ当初は燃え上がっていたのに、

今は静かに落ち着いているわ。

長いコラボ期間なのにちょっと気持ちが消沈した感じ。

そしてまたアニメ観たら気持ちのションテン上がっかも!って思ってアニメ観てみるんだけど、

NIKKEとリコリコのコラボちょっとなんか静かになったわ。

今また新しくイベントストーリーの渋い仕事人みたいなニケのエンターヘブンってお話が始まったんだけど、

それでも静かな感じだわ。

静けさの前の湖畔にカッコウが鳴く前触れなのかしら?

なんかNIKKEってすごいの来る前って何か穏やかで静かなのよね。

日々のデイリーミッション淡々とこなしていく暮らし

私も世間で賑わっているワールドベースボールクラシックそれこそ李珠ちゃん始球式を務めたら

絶対に加入していたデコピンが忘れた野球ボールアメリカ大陸から韓国まで届けるベーリング海峡を泳いで渡るクライマックスの感動巨編の物語絵本にしたら爆売れ間違いなし!の、

大谷翔平選手アメリカから持っていこうと思った始球式で使う野球ボール

デコピン配達する!って

涙無くしては語れないその野球ボールを受け取ってーの李珠ちゃん始球式だったら、

キュウリの1本冷やしをテレビの前で囓りながらお茶の間で泣くのよ!

デコピンが泣いた!って言い過ぎでもないわ。

そのぐらいのネットフリックスストーリーテーリングがあったら

私も地面師たちに挫折したネットフリックスのある丁寧な生活

いや丁寧な暮らし実施することが出来たのになぁって。

私はてっきり昨日まで、

普通に日本テレビでもワールドベースボールクラシック野球中継やるのだと思っていた自分がいて、

え?ネットフリックスじゃないと見れないの?って気付いたときには、

時すでにお鮨の出前の時間も終わっていたのよ。

あちゃー!

せっかくお鮨つまみながら上質のワールドベースボールクラシックを観よう!って思っていたのに、

チャンネルを変えてみて「ワールドビジネスサテライト」を観てみるけど、

やっぱり中継はやってなくって、

今日ホームラン!って今日のまとめのプロ野球ニュースでやるときのビージーエムのヴァイブレイションズを聞きながら、

ご機嫌にワールドベースボールクラシックの結果をみれるとも思っていたのになぁって。

観戦するときに食べようと思っていた

冷やし1本キュウリも串に刺したまま冷蔵庫で食べられることなく出番を待っているのよ。

あーあ、

私のワールドベースボールクラシック初日からして終わってしまたかも知れない鴨鹿。

この気持ちまだ取り戻せるのかしら?

私は昨日食べ損なった観戦するときに食べようと冷やしておいた、

冷やし1本キュウリ

テレビカイロス見学広場で賑わっているお祭り屋台の出店が映ったときに思い出して明日食べよう!って心に誓ったの。

あーあ、

どこかにネットフリックス落ちてないかなぁ。

でも絶対に李珠ちゃん始球式やんなら絶対ネットフリックスを何が何でも探してくるわ!

うふふ。


今日朝ご飯

納豆巻きフィーバーが止まらないわ!

今日もめでたく陳列されていた納豆巻きをゲットしてご機嫌に朝ご飯を迎えたところよ!

忙しくなる前の朝に手軽に食べられる納豆っていいわよね!

納豆好きからしたらたまらない弾けるいや粘る美味しさよ!

デトックスウォーター

レモン炭酸水ウォーラーしました。

いつも買っている銘柄レモン炭酸水

なんか炭酸弱め?って思ってたけど、

アップデートされたのか結構強強炭酸になっていて、

シュワッと感が抜群に良くなった気がするわ。

レモン炭酸水決まったわ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

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