はてなキーワード: ロウソクとは
外国人はメタ認知できないみたいな話になってるけど若干違うと直感している。
ラテン語圏は皮肉がスタンダードになりすぎてんだよ。皮肉と風刺(今だとガッツリ差別)がドレスコードだから見えてない説がある。お前、何結婚式で白い服着てんだよ…って俺も着てたわ笑みたいな。これ全部英語=イギリス人が悪いです。イギリスは核兵器を保有してます(保有してなかったらゴメン)。
そういう文化圏だと「お笑い=皮肉」は知性のある程度高い人でないと楽しめないって話を聞いたが、その人らをもってもなかなか気がつけない。こんなの思考のガンです。バカとバカが話してるとそんなガンが増えていくんだよ。今だとインターネットにもこびりつきます。
自然言語はやはり破壊すべきという結論に至る。みんなもそうだよね?
日本には皮肉文化があんまなくて、バナナがあったら踏んで滑った方が面白いサイドに立っている。だからびっくりするかもだけど、ニーハオしてきた奴には笑ってバカデカ中国語でまくしたてて怖がらせましょう。
あるいは、あいつら散々バカにしたあと怒ってきたら「おいおい冗談だって」とかいうだろ。恥という概念に芯がないんだわな。平気で約束破ったり人をモノ扱いできる人種で、実直に生きるより支配者に向いている奴らなんだよ。だからEUは散々「規格」という首輪を作って奴隷に嵌めたがる。国が発展して魂がアセンションするとそういう商売に収束していくんですね。
7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。
自分が企画した仮設の公園シリーズのデザイン制作物を依頼する場だった。
まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズで世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息でストローの袋を吹き飛ばした気がする。
その後に作ったA3のフライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。
それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。
Hさんはあれから、マジでA3サイズで世界を少しずつ変えてってると思う。
「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。
Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。
哲学と、対話という言葉の意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。
今の自分は、どうだろう。
「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくその感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。
どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。
思い出すと自分も「A3で世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。
少し前、自分は臨時職員だった。アートと教育に関わる仕事。給料は月13万円。
でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。
「アーティストやクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。
それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。
先にコンビニでおにぎりとホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンはダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。
同じ部署の臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。
それは素晴らしいことで、自分は今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないからしょうがないんだ。自分も子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。
「カタパンの説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク(映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司がうまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンはエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」
大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックのライブを初めて聞いて衝撃を受けた。
退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。
こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。
そこには市民の有償ボランティア制度、サポートスタッフがあった。入りたいと思った。
でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイトを経験した。
3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフに登録する。
“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日、教育普及の職員に付けられたあだ名。
理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラだから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分は否定しなかった。
ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。
もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。
自分も笑われているのに。
どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。
周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分は大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。
周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない。
自分は自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。
ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。
今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。
常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。
付き合いの長い上司から、あなたに専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。
たしかに自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。
伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。
今の自分は、どうだろう。
昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画の感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶やジュース(ミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分の過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。
コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。
離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。
祖母が隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。
「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。
飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単に自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護の仕事を諦めたそうだ。
「介護の仕事は給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。
彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。
彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。
そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。
尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。
自分は、館長の本棚にあった「公共の役割とはなにか」という本をもらった。
館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。
まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、
公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。
人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。
それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。
誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。
小学生がうちの施設に社会見学に来たら「メディア・テクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターやインターネット、映像、照明、音響とかいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいものを想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディア・テクノロジーのひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉”だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。
このアートセンターでは、メディア・テクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来や可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって。
例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。
昨日立ち寄ってくれた年配の2人組。
少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。
これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。
男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。
その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクトが大事」とか「経営的な戦略が必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング(自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。
いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。
簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界は絶対間違ってる。
世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手に世界を掻き回すことじゃ絶対にない。
世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい。
この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。
「人の心に反射したその光こそが作品。作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。
心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。
収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。
言葉に日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。
先週も大学を訪ねたら「アートは自分には縁がないもの」と学生が匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。
でも自分もアートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。
あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。
ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。
自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。
たしかに自分の文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。
それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。
昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。
朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生がブラインドトークのワークショップに参加させてくれた。
10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。
5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。
その後のフィードバックの時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。
右から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気やテイスト(イラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。
どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。
最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっちゃ説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。
ほんとは完璧なコミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらはもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。
みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう。
先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生も先生も全員サポスタに登録して欲しい。
同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これから生まれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。
トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリー・タンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護の夜勤でウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しのVtuberにスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛のカップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話でコントをやる芸人も、補聴器の電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いすで山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学の講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所で自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島で保育士を探す町長も、推し色ジャージでライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井まで SSRが来ない高校生も、フィリピンのごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<
すっかり中年になって思ったのは、町のおもちゃ屋が減ったなぁということ。
おもちゃ屋は、遊びへの門戸だった。
ファミコンソフトを求めて入って、そこからミニ四駆にハマったなぁ。
俺は昭和の後期の生まれだけど、ベイブレードつながりでベイゴマを廻すのを見せてもらったり、ゴム動力の模型飛行機を買って、爺ちゃんと組み立てたこともあった。
竹ひごをロウソクで炙って曲げて枠を作って、トレーシングペーパーのように薄い紙を張って翼にした。
現代っ子には、紙以外のものを切ったりするのは新鮮で、竹や木を加工するのが楽しかった。
借りた物を無くしたり壊したりして、謝ったり他のもので埋め合わせたり、今となってはいい思い出だ。
うちには長男6歳と次男4歳がいるんだけど、この歳からずっとYouTubeとテレビばかり。
今はプラレールやトミカで遊ぶけれど、あと数年もするとホントにYouTubeしか興味がなくなりそうで怖い。
少し前に、ニンテンドーラボというダンボール工作を長男と楽しんだ。
長男は作ることに、次男は触ることが楽しいようで、次男が壊し、長男が直すのを繰り返している。
妻の目にはゴミにしか映らないみたいだけど、また買ってやるつもりだ。
なぜおもちゃ屋が減ったんだろう?
やはり少子化かなんだろうけど、他にもある気がする。
ソニーがプレステソフトをコンビニで売り始めたのは大きいなと思う。
爺ちゃんが俺に彫刻刀や肥後守を使わせるのを、母は嫌がってた。危ないとか、家が汚れるとか。
誰かの家に玩具を持ち寄ったり貸し借りしたりしにくいんだろうな。みんな学童保育に預けられちゃってるし。
あるいらショッピングモールの有料プレイスペースや習い事や塾。
安全だけど、それでいいのかな?と思ったりする。
息子が癇癪を起こし、それに絶望した母親が親族全員を殺した事件が話題だが、
https://togetter.com/li/2490170
⚫︎私のこと
疲れやすく、土日になると起き上がれないこともしばしば…
息子の機嫌次第で家事ができなくなってしまう(安全面、やる気)
わが家、実は誕生日なんですが。
ロウソクをつけてケーキを出したら、息子が「ローソク差したかった!!」と癇癪起こしそうになり、もうこの時点で苦労して買ったケーキもどうでもいいや…とイライラ。
ポンコツクズ夫が子供達にクラッカーを持たせていたことに気付き「子供に持たせるのは危ないからやめて」と伝えただけで
いや、息子は自分に向けて紐を引っ張ってたんだよ?危ないよ?それがもう、理解できないらしく
「あーーあ!!クラッカーできねぇってよ!!!!!!!!!!!!!!!!ギャーーーーーー!!!!!!!!俺は子供達にやらせたいんだーーーーーー!!!!!!!!!どうもすみませんでしたぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー!!!!!!!!!」
適応障害、躁うつ病持ちでした。夫のことは書いてないけど、このパニックの仕方からして発達障害持ちなのはほぼ確定。
せみまるこ
@semimaruko
ケーキの切れない意識低い系発達ママ/サブカルクソBBA/モラ離婚済/特別高等支援学校在籍息子/支援学級在籍娘/不登校/ADHD/ASD/境界/虐待サバイバー/AC/鬱・解離・睡眠障害/原田病/ゴールデンカムイ/ウクレレ/寝たきり芸人あそどっぐ/怪談と猥談が好き/通知はオフ/成人済/
@ayuchidori ね。私もあゆコちゃんも、子供が不登校で癇癪持ちだからこそ、このお母さんの気持ち凄くよくわかる。でも、そうじゃなければ、子供だけが可哀想だと思う様な浅はかな考えを持っていたんだろうなと思う。その位、不登校癇癪持ちの子を育てるって、母親だけが背負う負担が大きいのが問題だよね。
従って、発達障害、適応障害を持ってる女性とは付き合わない方が良いし、子供を持たないほうがいい。
親が発達障害持ちだと子供も癇癪持ちになり、かなりの高確率で育てにくい子供になる。
むろん、黄連解毒湯、女神散、半夏厚朴湯、六君子湯、ストラテラ、インチュニブなど効く薬はあるにはある。
だが、この手の薬を飲んでも、子供は最低賃金の仕事につければいい方で、たいていはニートや不登校になる。
ようやく最低賃金の仕事に就けたところでアル中や弱者男性になるのが関の山だ。
だから、発達障害や適応障害を持ってる女性とは結婚しない方が良いし、子供もこ作らないほうがいい。
とはいえ、女性にこれらのラベルが貼ってある訳では無い。だが、見る人が見れば分かる特徴というのがある。
女性の輪に入っていけない
感覚過敏
体調を崩しやすい
家事ができない
https://meden.co.jp/column/mentalhealth58/
忘れ物が多い
不注意が多い
なお、この手の特徴だが、子どもの癇癪や軽度認知機能障害、pmsに効く薬を飲むと緩和できる。
ただ、因子は未だに残り続けるので、子供も癇癪持ちになりやすく、支援の輪もどんどん小さくなるので、この手の女性はマシで避けたほうがいい。
まだ3回目くらいだけど。
昔から雑貨屋でよくお香を買ってたけど、ふと自分でも作れんじゃないかとYoutubeで検索するとそれっぽいのが出てきたからやってみることにした。
最初は公園に落ちているヒノキの葉を持ち帰って、4,5日くらい感想させて、すり鉢ですり潰してぬるま湯をちょっとづつ足しながら粘土っぽくなったのを手で円錐の形に整形して、それをまた4,5日乾燥させる。
火を付けると、すり潰し足りないのか、乾燥しきれていないのかすぐに消える。
2回目は粉末状になるまですり潰し、お湯も少なめで作った。
だけど、香りはヒノキのいい匂いがするが、煙が多いのか、煙たく鼻の奥がチクチク痛くなる。
次は公園に生えていたローズマリーを取ってきて、同じように乾燥+すり潰し+整形でやってみたけど、おなじようにいい香りよりも煙が鼻に来てしまう。しかも色々検索しているとお香はベンゼンやホルムアルデヒドなど発がん性物質が発生し、体に良くないらしい。蚊取り線香やお線香も同様だと書いてある。お寺の人は大変だな。
今度は煙を出さないお香があるか調べたら、茶香炉という、古風でおしゃれな陶器とロウソクの炎で間接的にお茶っ葉を暖めて香りを出すというのがあった。
100均でキャンドルホルダー、ロウソク、小皿を買ってきて、皿の上にお香を置いて熱すると、煙は出ずローズマリーの香りだけする。なんか紅茶の香りを嗅いでいるような暖かさもある。
しかも直接燃焼させていないから、灰にならず長く匂いがしている。いつまで匂いが持つんだろうか?
ほかにもベランダで杉の葉とネムノキの葉も干しているから、これからいろんなお香を作れるのが楽しみた。いまは金木犀もいい匂いが漂っているから、近所の公園でいっぱい落ちている花を拾って作ってみたい。
まずブクマカの読解力が低過ぎる
「ケースバイケースであることを一般論にし過ぎてしまっている。隣の班に辞書を貸すのと、隣の国に武器を貸すのとでは違う判断になって当然でしょ」
ロウソクの火を貸す話として、辞書を貸す例えまでしてくれてるのに、なんで隣の国に武器を貸す話が出てくるの?頭クラクラしてくるわ
そもそも、お前らリベラル自称しときながら、ロウソクの火すら貸さない気でいるのかよwww
ロウソクの火を課さないことを正当化する理由を足りない頭で探すことばかりに一生懸命になって、どの口が弱者を救え、マイノリティを救えって言ってるの?
恐ろしいな
これ見て思い出したんだけどさ
世の中には「隣人に手を貸さない(相手が利する行為はしない)」層が一定数いるが、これに対しある作家が言った「ロウソクの火」のたとえが秀逸だった
https://togetter.com/li/2391376
昔付き合ってた彼女がトイレか買い物かなんかでいなかったのよ。んで、俺がボーッと外で待ってた
するとアジア系のにいちゃんが来て学校作ってるから募金してくれって来たのよ
ウザいなって思って財布に入ってた小銭渡してどっか行ってもらったのよ
それを戻ってきた彼女に話したら、血相を変えて「なんていらないことするんだ」って言い始めて「どっち行った?」「私が取り戻しに行ってくる」って言って言い始めたのよ
完全にしんどかったから「いいよ、50円くらいなんだし」みたいにいっても「関係ない」とかブチ切れまくってて
とりあえず止めさせたら「あー!もー!」って不愉快感丸出し
んで
帰りの電車でもずっとブチブチ言われててウザかった
どっちが早いかは忘れたけど東日本の地震があって募金しよって思ったらすげえ反対されたよね。募金先も「ここなら安心だから」って赤十字とか見せても全然納得しなくて参ったのを覚えている
基本赤い募金とかもあいつらは詐欺だって言ってたし本当に騙されたくない&金を損したくないんだなと
自分が1円でも損するのを防ぐために100円の努力する人だった
そういうところホント嫌いだった
おばさんに対しておっさんが多過ぎる。
なのに何故こんなにもおっさんが多く感じるのか。まず現実社会は男性優位だから男が前に出てきやすく、さらに少子化でおっさんばかりが目立つ。そしてネットにおいてもどこを見てもおっさんばかり。こことかXとか5chがおっさんばかりなのは当然だがインスタ、TikTokすらもおっさんがしゃしゃり出てる。自分が表立って出ないけど、若い女の投稿者にコメントしたりDMしたりとにかくおっさんが蔓延ってる。
先日古谷徹70歳の不倫報道が出てけど今は70歳のおじいちゃんですらこんなに元気だから30〜60代のジジイはもっと元気なんだろうな。
もうさぁ、落ち着けよマジで。良い歳こいて何してんだよ。どこ見てもおっさんが「俺だ!俺だ!」と自己アピールして貪欲過ぎる。ジジイに未来なんて無いんだから残りの人生慎ましく生きてくれよ。
その中でも特に50代のウザさは群を抜いてる。
燃え尽きる前のロウソクが如くとにかく自己アピールがウザい。コイツらの中ではバブルの勢いを30年間継続してる。いくら元気でも仕事では使えないのに性欲だけは20代を凌駕してる。
何もしてないのに偉そうだし常にチンポギンギンだしウザいしキモい。
俺は男だけどおっさん嫌いすぎる
「パパ大好き」
五歳の息子が一日30回くらい口にする
記憶曖昧だが3歳くらいから言い出した気がするが最近特に頻繁に言う
口癖のように言う
こーゆー事も言う
どこでそういうの覚えてくるの?
みたいなセリフで毎回答える、正直面倒臭くなってきた、いや嬉しいけどさ
妹が帰省し家族集合、妹は7歳の男子を育てているが、その場でも「パパ大好き」
妹驚く、「そんなセリフ我が子から聞いたことが無い」羨ましそうだった、へへへ
当人に聞いてみた
「どのような意図でそのような事を言うのか、パパとママの愛に疑いでもあるのか?」
「パパのこと大好きだから」
答えになってねぇ、もういいや、そのうち言わなくなるだろう
「泥棒を見つけたら腹をぶん殴って宇宙までぶっ飛ばして殺してやる」
みたいな事も言う
ゲームをやってて思い通りにならないと
「これ作ったやつをぶん殴って宇宙までふっとばして殺す」とか言うてる子が
「パパ大好き」て
息子と二人でファミレスで飯を食うた
なにを撮っているのだと尋ねたら
いや殺すな
家はガラクタで溢れている
「あのね、キミはこれが欲しいんじゃない、どうせ使わない、遊ばない、秒速飽きる、手に入れたという喜び過去の経験、報酬系快楽の反復欲求に脳が支配されているだけだ、愚かな事だよキミ、資本社会の奴隷だよ」
「ぼく子供だからそういう難しいことはわからない、とにかく欲しいんだよ」
「しかしねぇ、誕生日プレゼントは1024歳まで前借りしてるよ、いい加減ヤバいよ、もう誕生日もクリスマスも無いよ」
「自分でバイトして買いなさいよ、今どきはユーチューバーとかあるじゃん」
「そういうのは嫌だ、パパに買ってもらうのがいいの」
2割くらいの割合でこっちが根負けする
昔は9割だったから成長しているのだろうか
ママに見られたら叱られるのでオレの部屋に来て俺の椅子の肘掛けにあん馬のように乗り股間を押し当て足ピン汗だくでハァハァしている
チンチン壊れないかしら、まぁいいんだけど
それより心配は性的快楽はA10神経系、脳幹、大脳辺縁系、前頭葉に作用した刷り込み
つまりナニが性的快楽のトリガーになるか、精通初期の体験や五感情報が重要
側溝男というのが居る、「生まれ変わったら道になりたい」と名言を残した男
グレーチングの下にでハァハァする三度逮捕されても辞められない男
精通初期、社会的に許容される常識の範囲に快楽とトリガーの紐づけができなかった哀れな人たち
同じようになってもらっては困る
俺は息子のオナニーの横でパソコンで増田やらニュースやら株価を見ているのだが
俺のお宝コレクションを観せてやったほうがいいのだろうか
悩む
やめろ、マジで
①
上島竜兵が死んだ時、特別大ファンというわけでもなかったのに何故か家でオンオン泣いた。その時はわからなかったけど、私は上島竜兵が生きているだけで社会の懐の深さを勝手に感じていたんだと思う。バカがつくほど(おそらく)優しくて、優しいが故に少しポンコツでも生きていける世の中の余裕を私は彼に見出していて、だから彼の芸風を見ても辛くなることがなく、ケラケラと笑って見れたんだと思う。社会のシステムだけではこぼれ落ちてしまうかもしれない、とびきり優しい人は、生きているだけで社会そのものが本来持ちうる懐の深さや余裕を証明していた。その人が、おそらく世の中で最も辛い自死を選んだことに完全に打ちのめされたんだと思う。
②
「くもってら ドーナッツ 食べたくなったけど
チバユウスケが書いた「誰かが」の歌い出しには、そういう世の中にまだあるかもしれない懐の深さや暇を感じる。ドーナッツを見て「なんでこの穴空いてんだ、かわいいな」と、思える世の中にある一瞬の暇や余裕を感じる。このワンフレーズを聴くだけで元気が出る、大好きだ。「誰かが」でチバはその後、こう宣う。
「誰も教えてくれない でもわかっていることがある
誰かが泣いてたら 抱きしめよう それだけでいい
誰かが笑ってたら 肩を組もう それだけでいい」
なんだよそれ。信じられないくらいシンプルな話に落ち着いて、子供っぽさすらある。でもその子供っぽさに私はこの1年間、本当に随分支えられた。エブリバディ・ニーズ・サンバディーって言ってくれたから、駄々をこねれたこともあった。
③
「涙がこぼれそう」も大好き。私はこれをただの酔っ払いの曲だと思ってる。だってあまりにも見覚えのある光景が多すぎるから(笑)。夜中に泥酔して、ロータリーで寝っ転がってて、転んだ拍子に口とか切ってるんだよ。立ち上がりたくねー、てかここどこだよとか思ってると男女が横でキスとかしててマジで情けなくて泣けてくる。夫くーん、ここどこ〜迎えに来て〜とか電話したくもなる。んで、気づいたら朝になってて、おっしゃ!帰るか!って。覚えがあまりにもありすぎる。
チバが死んで、多くの人がこれを追悼ソングに選んだ。でもこれは、チバが酔っ払いのことをかっこよく歌ってくれたもの。私にとってはそう。
④
そもそも、私はあまりうるさい曲が好きじゃない。Birthdayだってミッシェルだって、学生の時にちょろっと聞いたけど、はまらなかった。なのに、youtubeディグで、民生の「世界の終わり」をみつけて、心がブルブルと震えて、アベフトシのことを知り、解散ライブの映像を見て、知りもしないバンドの聴いたことのない曲でポロポロ涙が出た。
⑤
思えば、うるさい曲を好んで聴くようになったのは、大人であることを求められるようになった社会人になってからかもしれない。
⑥
「息もできない」は、世界の終わりのライブ映像を狂ったように見続ける私に、10年来のマブが「これも好きなはずだ」と教えてくれた。そして、完璧にBirthdayにハマった。ほんと、今年「息もできない」を狂ったように聞いた。Aメロの文字数に比べると、Bメロの文字数は極端に少なくて、その言葉少なさを保ったままサビに駆け抜けていく。
⑦
チバユウスケが作る歌、特にbirthday以降は、すべてがシンプルな話に帰着していく。そこが好きだ。大人になったことや忙しさを盾に、正当な理由ばかりが上手くなっていく中で、取りこぼしてしまいそうになる単純なことを思い出させてくれる。歩いて家に帰る夜道、お風呂に入っている時、大音量でイヤフォンから「アイラブユーは最強、愛し合う姿は綺麗」とチバが叫んでくれる。
⑧
チバがインタビューで大きい愛と小さい愛の違いを問われた時の回答が好き。
「愛だけで何もかもが作られていればいいなとは思うけど。それは無理なんだよ。無理なのは知ってるんだけど、それでも愛で行こうよ、と俺は思うけどね。(中略)いろんなところにポツポツと愛があるじゃない。それがあればすごくいいことになるっていう風に思っただけ。マジックの人がいて、そこにロウソクがあってさ、パチン(指を鳴らす音)ってやったら、火がついたのよ。小さな愛って、ちょっとそれに近いっていうか。なんか“おぉ〜”と思って。違うかな(笑)。」