はてなキーワード: WiiUとは
弟は「良い奴」だ。明朗快活で行動によどみが無く、それゆえ友好関係も広い。物怖じしない性格で、自分の望みを果たすためには投資をためらわない。中高で入っていたバスケットボール部ではキャプテンを務め、体育祭では応援団長の役目を買って出ていた。なんというか、いわゆるクラスの一軍である。
弟は専門学校を出たのちに、水産系の企業に就職した。船に乗って遠洋に出ていたこともあった。いまは別業界に転職しているが、話を聞く限りどうやら職場の人間関係は良好で、金払いも良かったようだ。僕は大学院生なので、弟に高い食事を奢られたことがある。
僕は弟のことが嫌いではない。それどころか、むしろ応援している。弟は、僕にできないことができる。まごうことなく「人間」をしている。僕は忙しそうにしている店員さんに遠慮なく自分の要望を伝えることができないし、友達を家にたくさん呼んで、楽しくお酒を飲んだり笑い話をするなんてこともできない。はっきりと言うが、なにかこの状況に不足があるとするならば、それは僕にあると思う。どちらかといえば僕がひとでなしなのだ。自己の土台があやふやで弱く、諸般の「実際」に関わる能力に劣っているのだ。
ところで僕は幼少のころ、弟にいじめられていた。兄にも関わらず。年子なので年齢差は小さかったし、弟の方が身体が大きく、力も強かった。下賤な言い方をすると、「オス」として優秀だった。
食卓で、弟の好きなものを先に食べたら、肩を箸で刺されたことがある。僕は、そこで泣いたりしたら負けたことを認めてしまうと思って、余裕を見せるアピールのつもりでへらへら笑っていたが、実際ものすごく痛かった。傷跡は25になった今でもはっきり残っている。ゴキブリ用の殺虫スプレーを顔面に散布されて、顔の筋肉が麻痺痙攣したこともある。母親が外出中でのことだったが、当時、母には打ち明けられなかった。中学生になっても弟が怖かった。共用のWiiUを占有されていた。弟が塾通いで不在の時にだけ、ひそひそ隠れてゲームをしていた。暴力や、人格の否定が怖かった。自分の弱さを突き付けられるのが怖かった。僕は勉強机に「死にたい」と書いた。希死念慮というほど固まった願望ではなく、本当に死にたかったわけではない。ただ、自分の弱さと、居場所の無さに情けなく、それら問題を誰かにどうにかしてもらいたかった。母にそれは見つかり、「命は大切にするもの」と叱られて終わった。ささやかでみじめな抵抗だった。
弟から結婚の報せを受けたその瞬間のこと、僕には目立った感情の動きがなかった。驚きがなかった。ただ、「まあ、だよな」との納得があった。嬉しさもなかった。「まあ、これは弟の話で、人生で、兄の自分のことではないからな」と、頭に自分と弟とを分別して考える壁が生えていた。置いていかれる悲しさもなかった。「まあ、自分が結婚できないのは当然だし、他人から愛を感じたこともないし、そういうものだろうな」と受け入れた。
僕は後付けで感動した。感動しておくことにした。こういうとき、兄ならば結婚を祝福するのが普通だろうと思って、「おめでとう」と言い、表面上喜んだ。
僕はひどく自己嫌悪した。僕はなんという砂漠で、渇いていて、不気味なんだろうと思った。弟の結婚ひとつも、心根から喜べないのか? どこまでも人間のロールプレイで、周りの真似事で、そして愛を受け取れないのか? 弟にいじめられていたからだろうか? もし弟に昔のことを誠心誠意謝られたら、僕の中に情動は沸き起こってくるのだろうか? こんなことを考えていては、慶事に対する何かしらの冒涜ではないだろうか?
これは嫉妬ではなかった。弟は僕にとって、嫉妬を抱く対象ではない。ステージが違いすぎる。比べても仕方が無い。だからこそ、余計に自分が目立つ。このステージにはもはや自分しかいなかった。横に並ぶものはほかにいなかった。
被害者意識にまみれた、この醜い自分をどうにかしたい。癒えない傷ばかり抱えてうじうじとしている自分を殺したい。もしかしてこれが希死念慮か? 僕は何年か越しに、また「死にたい」と書くことになるのか?
こんど両家の顔合わせがある。どんな面下げて僕は行けばいいのだろうか。少しでもマシな気分になれることを祈る。
良作はあったんだよ地味ってだけで
遊びたかったとしても
「今更別のハード買うのもな」
で終わっちゃったんだよ
コンシューマ機の値段がつり上がってる時期だったのもよくなかった
WiiUがコケたのは、ソフトの路線より、Wiiが駄目だったんだと思うけど
Wii自体はCMのインパクトで売れたけど、買ってみたらあまり使わない(リモコン型は使いづらいし、体重計は埃被ってるし)って人が実は多かったから、同じ路線のWiiUはいいや、となったんだと思うよ
結婚が決まっていて、もう来月には家を出る。
その前に、弟が応募していた任天堂ミュージアムの抽選に当たった。
両親と兄、私、弟で行くことになった。兄は結婚していたが、たまたま奥さんも友人と旅行なうえ、かねてより行きたかったらしい。
新幹線に家族で乗るのは相当久しぶりだった。年老いた犬に「日帰りだからね」と手を振った。
任天堂ミュージアムでも、小さいころの話をしたり、建て替える前の家の話もした。
「お父さんがね、兄弟で遊べるものと思ってゲームを買ってきたのが始まり」と母が教えてくれた。それがゲームキューブだった。
実は64は父が持っていて、膝の上で遊んでいた話。
GBのワイヤレス通信が面白くて、家なのにわざわざ離れて試した話。
雨の日にポケットに入れたGBを水溜まりに落として真っ二つになったけどコードが繋がっていたので生きていた話。
DSを遊びすぎて何機か壊れた話。
建て替え前の家ではゲームキューブを落として床に穴が開いた話。
Wiiを買った後に親子喧嘩してしまい、配線という言葉もわからない兄弟で説明書を読みながら自力で接続した話。
今も手あかまみれのWiiリモコンを残している話。
初めのMHシリーズ、モンハン3を遊んだ時、リオレイアに「明らかに大ボスだよ!どうしようどうしよう!」とビクビクして挑んだ話。
今じゃ余裕だもんなな話。
兄がマリギャラ1,2のグリーンスターまでコンプリートしていた話。
「夕飯だよ!」と母に怒られた中、マスターオブギャラクシーをクリアした時の話。
マリギャラ1のEDが神秘的すぎて未だに傑作としてみんなに伝えているという話。
マリオカートでお父さんがこっそりタイムアタックを更新していた話。
ヨボヨボし始めた父にswitchの使い方を教えた話。
マリカの新作が早くみんなで遊びたい話。
母が仲良く遊んでくれてよかったと、嫌っていたゲーム機に感謝している話。
疲れるほどいろいろ話していたら「USJの任天堂エリアにも一緒に行きたいね!」と思わず言ったが「ははは!もう難しいでしょ」と言われた。そうだよね、ははは!とその場は流した。
その後も笑いながら、楽しみながら、思い出を語って、たくさんお土産を買って、帰路についた。
みんな寝ている中、私はその言葉を思い出して泣きそうになった。
お金は全部兄、私、弟で支払ったので親は感慨深げに喜んでいた。それもなんだか悲しくなった。
もう、こうやって家族と遊べないんだな。家族で任天堂エリア行けたらきっと楽しめただろうなぁとか、城の絵の前で兄が絶対ケツワープを真似してただろうなぁとか、64とマリオカートが好きな父を連れていったらなぁとか、なんか、たくさん。いろいろ。
あーあ。私、よその家の家族になるのか。
父が「俺はもう足がダメ。あと少しで車いすになるし、出かけるのも難しいだろうなぁ」と悲しそうに言っていたのを思い出してしまった。
母が「ふと、思うのよね。お父さんは私より10も年上だから、みんな結婚したら私は一人の時間長いのよね。動物でも飼おうかしら」と笑って言っていたのも思い出してしまった。
Wiiが欲しいと思ったのに5個全部DSだった。バカじゃないの。誰だよ売り場のをシャッフルしたやつ。運がいいのか悪いのか。でも本当に運命だったのかもしれない。
みんな大爆笑して「また買える楽しみが残ったな!」と父が言った。
ぶっちゃけこの家族が本当に大好きだから、『xxxx年~xxxx年 増田家の証』として墓に埋め込んでほしい。『Wiiを所望する』と書いておいてくれ。
予言する。
Switch2は失敗する。
SNSに集う任天堂コアファンたちは「思ったより安い!」とか「これだけ高機能ならこの値段でも仕方ない」と嘯いている。
独身の社会人ならまあ難無く払える額ではあるが、学生や子持ちにとってはとても払える額じゃない。
同価格帯のPS5が捌けなかったようにSwitch2も捌けないだろう。
Switchの強みは、安いけど値段の割に十分楽しめる庶民さだった。
誕生日やクリスマス等の年に1度のお祝いやご褒美にちょうどいい値段だった。お金持ちの子なら何にも問題ないが貧乏な家でもギリギリ払える額だった。
だからみんながもってるし、みんなが楽しめる共通のツールとして爆発的に売れた。
でも5万はそういう値段じゃない。
裕福なら買えるが貧乏だと無理。そうなると持ってる子と持ってない子の格差が生まれる。そういうゲーム機は売れない。PS5のように。
新しい機能、それはdiscordのようなボイスチャット機能、そしてPS4とPS5の中間くらいの処理性能・描画性能。
これいる?
大人ならいいかもしれない。コロナ禍ですっかりリモートワークになっておうち時間が長くて他人と中々会えないライフスタイルだったり、転勤や上京で友人や恋人と突然遠距離になったりすることもある大人にとっては。
でも子供にはいらないよね。もうコロナじゃないし、普通に会えるし。
しかも値段のせいでみんなが持ってるツールじゃなくなるんだからね。金持ちの子が一人で遊ぶゲームになるのに誰と通話するんだよ。
処理性能上がったところで子供の遊べるゲームはそもそもそんなスペックいらないんだよね。
いやもちろん上がった方がいいのはそうだよ?けど、あくまでお値段据え置きで上げられる分くらいでいいんだわ。
2万円も値が上がるなら、じゃあいいですってなるのよ。あくまで子供のおもちゃなんだからね。
ここまで書いたことと矛盾するようだけど、Switch2は初動はめちゃくちゃ売れると思う。
そしてめちゃくちゃ転売されると思う。
買いたくても買えない。そんな状態が続く。そうするとじゃあいいやってなって買われなくなる。PS5みたいにね。
「いやいや抽選システムで転売対策しっかりしたから大丈夫だよ」って?
予言しておこう。
あの無駄にハードルの高い新規層切り捨ての抽選システムをかいくぐって買った人たちは間違いなくメルカリで転売する。
そして買えなかった人たちがそれを見てSNSで大暴れする。
間違いなくそうなる。
なぜかって?
もしあなたが運よく当選して5万円で買えたSwitch2が、メルカリに10万で出品されていて飛ぶように売れていた場合、出品せずに封を開けて遊ぶ自信がありますか?
ただでさえ人気が高そうなのにわけわからん抽選でさらに希少性を高めるような施策を取ってるんだから間違いなくバカみたいな実勢価格になるよ。もしかしたら15万超えるかもね。
この3条件がそろったとき、多くの人は「とりあえず1回売ってお小遣い稼ぎして、またしばらくしてみんなが買えるようになるくらいの時期になったら買おう」という思考回路に陥る。
間違いなくそうなる。
PS5だってそうだったんだから。転売ヤー許すまじとかみんな言ってるけど、組織的な転売屋や外国人の転売屋って全体でみたらほんの一部だからね。
転売してるのはほとんど運良く手に入れたけど高値で売れるなら売っちゃおうかなで売ってる一般人なのよ。
そんなこんなでSwitch2は初動でめちゃくちゃ値段あがって、1年くらい簡単には買えない状態が続いて、運良く買えても新機能を活かせないからあんまり面白くない状態が続いて、
そのうち高いなら買わなくていっか、steamやPS5やdiscordあるし、って独身客が離れて、
無印switchの主要顧客だったファミリー層も、別に2じゃなくてもいっか、高いし、みんな持ってないしって離れ始めて、
そうすると本体が出回ってないから、当然ソフトも売れなくなってって、サードパーティーが離れ始めて。
最終的にwiiUになる。
間違いなくそうなる。
それがSwitch2の末路だ。
せっかちさん向けに結論だけ書くと「サードパーティーがソフトを出しやすくした」だと考えてる。
以下乱雑な各論。
Switchが出た2017年からグラフィックスAPIは大きく進化した。進化より大事な点として最近は割と収斂してきたのがある。
今ではスマホでも当たり前に使えるGPUの機能がSwitchでは使えないとか多かったから、現代のGPUを使って「普通に」ゲームが作れるのは開発者にとってはありがたい。また収斂してきたおかげで、今ハードを更新したらきっと長く安定して開発できるようになるはず(今後年月がたって主流のAPIと乖離が進むことで、Switch2独自の手法を保存しておかないと作れない...とかが多分ない)。わかんないけど。
APIの差はスペックの差より大きい。これからはPS5やPCから移植する時、丸ごと作り替えずともポリゴン数やテクスチャサイズを妥協すればいいだけになるから割とどうにでもなるはず。
結構ソフトメーカーラインナップの尺が長かった。フロム新作もいいインパクトだった。明らかにサードパーティーを重視している感じがする。
開発者に訊きました、で開発者が何もしなくともソフトの価値が上がる、と発言していたのも同じ文脈で、やはりサードパーティーの労力をかけずに価値を提供できるのを目指している。
WiiからWiiUへの移行はサードパーティー含めて全然ソフトが出なかったのも敗因の一つだから、移植しやすさによってソフトを拡充してるところに反省が見られる。あとやっぱり当時からゲーム開発の現場も変わってきてて、いろんな技術がコモディティ化・横展開して当然、みたいにどんどんなってきてる。独自路線をある程度捨ててでも主流に合わせてきた感じ。
WiiUの失敗は新規性のなさではなく、むしろ独創的で新規的すぎたってことになるのかな。Switch2では独自路線を犠牲に、ソフトの移植しやすさと、慣れ親しんだSwitchの継承、を実現した。
任天堂といえば独創的なハードというイメージがあるけど割とバッサリ捨てていいところは捨ててるイメージ。IRカメラもジャイロも言うてほとんどのゲームで使わないのを任天堂も受け入れちゃって、開発者的に扱いやすくてより「普通」なマウス推しになっちゃった。変わったなと思うけど、いうてWii以前に戻っただけな気もする。
ゲーム自体の処理性能の他に、GameChatでノイキャンしたり背景削除したり文字起こししたりいろんな処理に割いてるっぽい。あとゲーム自体についても、Steamの「ちゃんとしたプログラマーがいないから大したゲームじゃないけどやたらスペック必要です」ゲーも割と楽に移植できるくらいのスペックがありそう。
性能アップもそうだし、ボイチャも別に目新しいものではないからSwitchとは大きな違いはないんですよという意味での「2」に謙虚さを感じる。
ハード屋としての任天堂は別にもはや世界最先端とは言い難いわけで、それを受け入れてより普通なハードを開発し、ソフトメーカーの力で市場を勝ち取ろうという態度に見えた。もちろん任天堂がソフト開発で手を抜くという意味ではなく、そこは継続するんだけどSwitchが限界ギリギリまで使いこなさないとゲーム作れないせいで任天堂ソフト一強みたいになってた反省を感じる。
結局ブレワイ・ティアキンを超えるスペックフル活用のゲームは一個も出なかったしな。地に足のついた判断の結果だと感じる。
...
じゃあPSやXboxと何が違うん?にはなる。多分Switchが発明した携帯でも据え置きでも使えますよの価値一点で差別化する感じかな。あとキッズ向け機能か。この辺りが関係ない人はSwitchである意味もないだろう。Not for youである。
こう言っちゃだが、実はWiiUのタイトルがSwitchを支えたんだよな。
ブレスオブザワイルドはWiiU用に開発されたものだし(WiiUと Switchで同時発売)、マリオカート8デラックスとNew スーパーマリオブラザーズ U デラックスはWiiU版の焼き直し。
マリオメーカーもスプラトゥーンもWiiUが無かったら生まれなかった。
ファミリーコンピュータオンラインのような過去のコンテンツへのアクセスも、WiiUと3DSバーチャルコンソールの発展形だと思う。
未だ我々は岩田聡のてのひらの上なのかと思うと感慨深い。
しかし、残念ながら、Switchでの意欲的な試みは成功したとは言えない。
あれとてヒットしたとは言えない。
横からだけど、
任天堂は個々のソフトやキャラクターに対する強烈なファンが世界中に多くいるから、シリーズ打ち切りは多分そういうファンの失望の方がでかくて悪手になっちゃうんだろうなと思う
switchで出たマリオカート8DXとか、発売当時はwiiuのマリオカート8のマイナーアプデじゃんみたいに揶揄されてたけど、蓋を開けたらハードの好調もあって前作の約8倍売れてるし(wiiu版が849万本、switch版が6,735本)、なんなら歴代のマリオカートシリーズで一番売れたソフトになってる(歴代売上2位がマリオカートwiiで3,738万本なのでもう少しでダブルスコア)ので、マリオカートレベルの超ド定番ソフトでもまだこれだけ売れてるところをみると、
というのはまぁそうなんだろうけど、どっちかというと今はまだ既存IPの価値を拡大していってるフェーズの途中なんだろうなという感じがしないでもない
任天堂のキャラとかソフトに興味ない人から見たら金太郎飴みたいに見えるんだろうけど、シンプルに需要を的確に把握してちゃんとそれに応えて供給できてるってことだと思う