はてなキーワード: 開拓団とは
数が多くて切りが無いし、私も知識が無いのと途中で疲れてきたのでごく一部しか挙げられません。こんなのもあるよって方は教えてくれるとありがたいです。今はこんな感じですが、気が向いたら付け足します
フランス革命期における山岳派による独裁政治。王侯貴族のみならず、農民、革命家すら処刑され合計4万人以上の命が失われた。
革命政府に監禁されたルイ17世は激しい虐待に晒されわずか10才で死去した。
ボリシェビキの秘密警察チェーカーによる弾圧。反革命派・貴族・聖職者など最大130万人が殺害された。
皇帝・皇后とその5人の子どもが虐殺された。末っ子のアレクセイはわずか13才であった。
赤軍パルチザンが尼港を襲撃、6000人以上の住人を虐殺した。
スターリンの命令によりウクライナ人から家畜・土地が奪われ1000万人が餓死した。
スターリンの命令により反体制派と疑われた国民が多数処刑された。犠牲者は1000万人にも上るとされる。
ソ連がポーランドに侵攻したにも関わらず、西側諸国はそれを黙認した。ソ連の占領下で50万人が投獄され、10万人が強姦され、15万人が死亡した。
樺太の郵便電信局職員がソ連軍接近の方を知り、9人が自殺した。加えてソ連軍の虐殺により10人が死亡した。
ソ連兵に強姦され続けた日満パルプの女性職員とその家族23人が自殺。さらにソ連軍に物資が奪われたため、冬になると87人が死亡した。
ソ連軍の攻撃で緊急疎開船3隻が爆破され、1700人以上が死亡した。
ポツダム宣言受諾後、ソ連軍が樺太に侵攻。民間人も犠牲になり3500人以上が死亡した。
日本軍の捕虜57万人がシベリアに連行され、過酷な強制労働に従事させられ、5万人が死亡した。
連合国によるドイツの戦争裁判。事後法によりドイツの政治家や軍人を裁き、連合国の残虐行為を無視したリンチ
ハンガリーが非スターリン化を進めると、ソ連軍は武力でこれを弾圧。1万人以上が死亡し、首相のナジ・イムレは処刑された。
ソ連がアフガンに侵攻したが、戦局は泥沼化し、アフガンの政治情勢を混乱に陥れた。
ソ連がアゼルバイジャンの首都バグーへ侵攻し、1満員以上の死者が出た
大躍進政策により失脚した毛沢東が大衆を動員して、政権を転覆させた。全国で1000万人以上が犠牲となった。
共産党がチベットを武力で制圧。その後現代に至るまで文化的・政治的弾圧を加えている
共産党がウイグル人に対して行っている虐殺、洗脳、不妊などの弾圧。死者は100万人も上る。現在も行われている。
共産党が党大会を強行したため、世界各地にコロナウイルスの感染が拡大。死者は400万人にも上る
共産主義者難波大助による裕仁親王(後の昭和天皇)暗殺未遂事件。侍従長が負傷
朝鮮学校閉鎖に反発した共産党と在日朝鮮人が各地で暴動を起こした
共産党が平警察署を襲撃。職員に暴行を働き、留置所に監禁した。
日本共産党が山や農村を拠点とした武力活動を企むも、支持が得られず、警察の取り締まりにとり挫折。
共産党軍事組織中核自衛隊のメンバーが警部を射殺。その後共産党の幇助により国外逃亡した。
共産党員及び在日朝鮮人が無関係の一般市民の家を襲撃、放火した
吹田駅・吹田操車場で学生・朝鮮人らが暴動を起こし、一般の乗客にも負傷者が出た。
共産党員および在日朝鮮人が警察署を襲撃、警官70人、消防士1人、一般人4人が負傷した
共産党員が地主と妻・家政婦・小学生3人を暴行、重傷を負わせ、金品を強奪した。
共産主義者が日本航空のよど号をハイジャックし、北朝鮮に亡命した。
沖縄でゼノストの警備に当たっていた警官が新左翼による暴行の末火炎瓶を投げつけられ死亡した
連合赤軍が山中のアジトで同志に対してリンチを行い、12人が死亡した内ゲバ事件
大阪城公園内で起きた新左翼の内ゲバによるリンチ殺人。1人が死亡した
東アジア反日武装戦線による爆破事件8人が死亡、376人が負傷した
岡山大学北津寮を拠点にしよと目論む新左翼が寮を襲撃、1人が死亡、多数の負傷者が出た
新左翼が大坂第二合同法務庁舎に大量の火炎瓶を投擲したが、幸運にも1本しか着火せず人的被害はなかった。
不良少年のグループが女子高生を誘拐、1ヶ月以上にわたり監禁と暴行を加えた末に殺害。主犯者の両親は共産党員であり、自宅で事件が行われていたにもかかわらず見逃していた。
新左翼が新しい歴史教科書を作る会の事務所があるビルに放火した。発見が遅れていれば大惨事に繋がっていた。
共産党支持者がマンションに侵入し、共産党のビラを配布、住居侵入罪で逮捕された。
厚生労働省職員が新聞あかはたを配布し、国家公務員法違反に問われた
男組組長が反差別ワークショップを開催した際、初対面の助成に執拗な痴漢・セクハラを行った
カンボジア国内でクメール=ルージュにより200万人近い知識人らが虐殺された
■「既婚女性は差し出せない」数えで18歳以上の未婚の女性を…
https://times.abema.tv/news-article/7021165
◆全員が内地に帰るため
https://www.gifu-np.co.jp/tokusyu/tokusyu/kurokawa/201001-7600.html
敗戦後の旧満州(中国東北部)で、加茂郡から入植した黒川開拓団は、生き延びるためにソ連軍部隊を頼り、
見返りとして女性団員約15人に軍将校の性の相手を強要し、女性たちは性暴力を受けた。
で、「元更別」という地名があるんだが、実は現在は「元更別」は更別村にはない。
開拓の昔、現在の中札内と更別は同じ幸震村(大正時代には大正村)という自治体に属していた。
大正村にあった市街地から次第に開拓が進んでいったわけだが、当時は中札内と更別には村の境界はもちろんなかった。
大正時代、第一次大戦の好景気に湧くころ、島根県からの移民団が更別村の語源になったサッチャルベツ川水系で開拓を始めた。
昭和4年にこの地域に鉄道ができると、現在の更別市街が発展し新市街が誕生した。
そして、もともと開拓団が入植して市街地があった旧市街が「元更別」と呼ばれ、次第に「元更別」市街は寂れていった。
昭和22年に大正村から中札内と更別が分村した時、「元更別」は中札内に所属するようになった。
こうした歴史的経緯をみるとき「元」という言葉は非常に輻輳するニュアンスを持つと感ずる。
増田がいうような「もともと何かだったもの」というニュアンスももちろんあるんだが、元ちとせの「元」を「はじめ」と読むことが示すように、物事の源をさし示すことがあるだろう。
おそらく「元」という言葉はニュアンスをシークバーみたいに切り替えることができる。
源に近いところから、変わってしまったその先を想像させうる。「元」は言語としてそんな守備範囲を持っているような気がする。
今は「元更別」の地名を訪ねる人は少なくなった。
現在では鉄道に近い形で高規格道路が走っており、自動車で十勝南部を通ろうとすると元更別は通過しない。
しかしかつては、中札内村上札内〜元更別〜大樹町尾田へ抜けるルートこそが主要交通路であった。
偶々、ソ連と日本のドキュメンタリー見たけど、これは日本人から忌み嫌われるわ…
令和の今初めて見聞きしたけど、呪いのように頭に粘りつく問題だな。
(もちろん、交渉に応じた日本の開拓団が全く悪くないかと言われるそうではないけど…。)
急にネットや連絡手段が立たれて、独裁政治的な状況になったら正常な判断ができない気がする。
もしかしたら、韓国の慰安婦に対する考え方もこれくらい辛い事なのだろうか。
まあ、慰安婦像を各国に立てて知らしめたり、世界の人に同意を求めるのは如何なものかとは思う。
ただ、日本はネットが成熟する前にかたが着いた(?)から良かっただけで、今も引きずってたら同じ状況になっていたかもしれない。
未来の人のために遺恨を残さないように不必要に感情を煽る必要はないけど、史実として知って欲しいと言う被害者と遺族の気持ちもわかる。
何で自分(もしくは親族)だけって思いたくなる気持ちもわかる。
やはり、墓まで持ってくのは酷な話だわ。
難しい問題だな…。
ネットがまだ一般的でなかったとき、そこは現実社会では発露出来ない思いを持つマイノリティたちが隠れる場所だった。
いわゆる「アングラサイト」と言われるものが多数存在し、彼らはそこでマジョリティたちから隠れて過ごしていた。
現実社会に持ち出したら間違いなくバッシングを浴びることを分かっていた彼らは、世間から隠れる場所としてネットを選んだのだ。
「ここなら彼らはやってこない」
「万が一見つかっても寄ってこないように入り口に注意文を書こう」
「いや、偶然入ってくることを防ぐために入り口を隠そう」
「パスワード制にして入れないようにしよう」
彼らは自身の居場所を守るため、マジョリティたちに見つからないよう様々な予防措置を行った。
ここまですればマジョリティたちも入ってこないだろう。
その後、ネットの普及により多くのマジョリティたちがネットにやってきた。
彼らはさながらアメリカ大陸の開拓団のように新天地であるネットを開拓しだした。
彼らの開拓の手はマイノリティたちが隠れ住んでいたアングラサイトにも及んだ。
「汚物は消毒だ~!」
さながら某世紀末のモヒカンのように、彼らは一般常識という火炎放射器を掲げてマイノリティたちの居場所を暴いていった。
また、マジョリティたちに混じって、ネットという隠れ場所を知らなかったマイノリティたちもやってきた。
彼らはまだ暴かれる前のアングラサイトを見て「ここなら『これ』を出してもいいんだ!」と感動した。
先住民マイノリティたちにとっての不幸は、移民マイノリティたちの一部に「隠す」という行為の意味を理解しない人、勘違いする人がいたことだった。
やがて世紀末モヒカンに見つかり、次々と火炎放射器で焼かれていった。
彼らは焼かれながら呪詛を吐く。
「あそこでもやっているじゃないか、何でこっちだけ責められるんだ」
そうやって隠れていた先住民たちや受け入れられた移民たちも世紀末モヒカンに見つかり、火炎放射器で焼かれた。
「次は俺たちの番じゃないのか」
「いや、まだここは見つかっていない」
「ここも見つかったら、我々はどこに行けばいいんだ...」
住処を追われた先住民たちは居場所を転々とし、世紀末モヒカンに見つかる恐怖と戦いながら自身の居場所を作ろうとした。
しかし、開拓が進み、世紀末モヒカンたちが開拓した場所には後から来た何も知らないマジョリティたちが現実社会さながらの社会を作っており、彼らの安住の地はどんどん消えていく。
隠れ住むのも限界に近かった。
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