前回の記事を読んでいただいた方には、日本軍捕虜が収容された戦犯容疑者収容所での「暴力支配」について大まかに把握していただけたのではないでしょうか。
それはまさに「暴力」で”秩序付け”られた世界でした。
山本七平によると、収容所の多くは、将官クラス/将校クラス/下士官・兵隊クラスの各区画に分けられていたそうですが、特に、暴力支配がはびこっていてひどかったのは将校クラスの区画だったそうです。
当時、国民の大部分が小卒であった日本において、例外的に高等教育を受けることの出来た将校クラスの人たちの区画がなぜ一番ひどかったのか?という疑問はひとまず措き、今回は戦犯容疑者として山本七平と同じ収容所に収容されていた軍属のOさんの言葉を、山本七平が二つの書で引用していますので、その部分を紹介していきたいと思います。
続いては、「日本はなぜ敗れるのか」からの引用です。
一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)
(1987/08)
山本 七平
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(~前略)
この設営工場は捕虜の中から大工・建具職人・家具職人等を選抜して、米軍人家族の家具や家庭用品を造る工場で、” ”なしの本物の通訳はOさん、私はその助手ということになっていた。
Oさんは、英語が堪能な故に徴用された軍属、従って本物である。
だが私はOさんの前歴にも、軍隊内における職務にも全く無関心であった。
ただ彼が、暇さえあれば、むずかしい顔をしながらノートに何か書いているのが、少々気にかかった。
ある日、Oさんが席を立った隙に、私は、何気なくそのノートを開いて読み、あっと驚いた。
それは、戦犯法廷に呼び出される覚悟をしていたらしいOさんの、法廷における宣誓口述書の草稿であった。
目を走らせて行くと、Oさんは戦時中、どこかの「抑留米英人収容所」の管理者だったらしい。
それは、たとえその人が善意の人であっても、今となってみれば、非常に危険な職責であった。
ゴボーの支給が「木を食わせた」と言われ、味噌汁とタクアンの支給が、腐敗した豆スープと黄変し悪臭を放つ廃棄物の支給として、捕虜虐待の訴因となった等々々という噂が収容所にあり、後で調べればその一部は事実だったからである。
夢中で目を走らせていると、いつのまにかOさんが帰ってきていた。
私はおそらくバツの悪そうな顔で、あわててノートを閉じたのだと思う。
Oさんは笑って、「読んでもいいですよ」と言ったが、そう言われるとかえって「では、拝見します」とは言いにくい。
私は何やら、不得要領の返事をした。
今となれば、全部書き写しておけばよかったと思うが――。
Oさんはノートをかたわらに押しやると、われわれ「日本軍捕虜」の状態は、何といっても余りに情けないと嘆じた。
彼が収容した米英人は、絶対にこんな状態ではなかった。
彼らはすぐさま、自分たちの手で立派な自治組織をつくり、それを自分たちで運営した。
一体どうして、われわれにそれができないのであろう、と。
(次回へ続く)
【引用元:一下級将校が見た帝国陸軍/言葉と秩序と暴力/P293~】
日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)
(2004/03/10)
山本 七平
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(~前略)
文化とは何であろうか。
思想とは何を意味するものであろうか。
一言でいえば、「それが表わすものが『秩序』である何ものか」であろう。
人が、ある一定区域に集団としておかれ、それを好むままに秩序づけよといわれれば、そこに自然に発生する秩序は、その集団がもつ伝統的文化に基づく秩序以外にありえない。
そしてその秩序を維特すべく各人がうちにもつ自己規定は、その人たちのもつ思想以外にはない。
従って、これを逆にみれば、そういう状態で打ち立てられた秩序は、否応なしに、その時点におけるその民族の文化と思想をさらけ出してしまうのである――あらゆる虚飾をはぎとって、全く「言いわけ」の余地を残さずに。
そしてそれが、私が、不知不識のうちにその現実から目をそむけていた理由であろう。
確かにそれは、正視したくない実情であった。
そして当時このことに気づき、この点に民族の真の危機を感じていたのは、小松氏だけではなかった。
私といっしょにしばらく米軍の設営工場の通訳をしていたOさんも、何度かこのことを嘆いた。
Oさんは、私以上に、「言いわけ」の余地がなかったのである。
彼は緒戦当時、英語が上手なため徴用され、米英オランダの民間人を収容する収容所に勤務させられた。
そこも似たような状態であり、着のみ着のままの人が、ほぼ同じように柵内で生活し、彼らの好むままに秩序をつくらせた一種の自治であった。
そしてその情況は、いま目の前で展開されているこの収容所の秩序とは、余りにも違いすぎていた。
彼らは、自己の伝統的文化様式通りの秩序をつくり、各人の「思想」すなわち自己規定でそれを支え、秩序整然としていたのだから。
小松氏が記している米軍による暴力団の一掃は、ほぼ全収容所で同時に行われたらしい。
というのは、戦犯容疑者収容所における暴力団も、同じようにMPによって一掃されたからである。
そしてそのあとの状態もまさに同じであった。
Oさんは、このときも嘆いていった。
米英オランダ人の収容所に対して、日本軍が、こういう措置をとらねばならなかった事例はなかった、と。
(次回へ続く)
【引用元:日本はなぜ敗れるのか/第四章 秩序と暴力/P119~】
欧米人の捕虜の実態と、日本の捕虜の実態の双方を見比べた「抑留米英人収容所」管理者Oさんは、日本人の「暴力的性向」を認めざるを得ませんでした。
そしてそれは、捕虜として収容所生活を体験した日本人が、一番触れたくない「きず」だったのではないでしょうか。
日本軍の実態を数多く記した山本七平ですら、小松真一の虜人日記を読んでみて初めて、自らが収容所のこうした実態について触れていないことに気付いた、と告白していることからも、そのことを窺うことができると思います。
それほど、この問題は、日本人捕虜の間では深い「きず」なのです。
そして収容所生活を体験した日本人の多くは、この「きず」には触れないままです。
したがって、この問題に気付き、その深刻さを理解している日本人は、今現在でもあまりいないのではないでしょうか。
小松真一や山本七平は、それをハッキリと指摘したわけですが、今まで紹介させていただいた記述だけでは、なぜこの問題が深刻なのかいまいちわからない方もいらっしゃるのではないかと思います。
そこで、次回は日本軍捕虜とは違った米英人の収容所の実態について触れた山本七平の記述を紹介しつつ、日本軍捕虜のそれと対比してみていただこうと思います。
そのような比較をせずに、日本人の「暴力的性向」を認識することは出来ないでしょうから。
ではまた。
【関連記事】
◆言葉と秩序と暴力【その1】~アンチ・アントニーの存在を認めない「日本軍」~
◆言葉と秩序と暴力【その2】~「戦犯収容所」の”暴力政治”の実態~
◆言葉と秩序と暴力【その4】~自ら”秩序”立てるイギリス人~
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