言論の自由とか、文民統制とか色んな方向に議論が行っちゃってますが、一体どのように収束するのでしょうか。
これが、自衛隊の思想統制などと妙な方向に走ってしまわなければ良いのですが…。
それはさておき、前回「石の雨と花の雨と」を上げたところ、コメントを幾つか頂き、それに応える意味で、今回も新たに山本七平の記述を引用していきたいと思います。
なぜ日本軍が石もて追われたのか。
山本七平や小松真一は、その理由に「一人よがりで同情心が無い事」や「日本文化に普遍性なき為」を挙げています。
今日はそれに関する記述を「日本はなぜ敗れるのか」↓の中から以下紹介していきます。
日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21) (2004/03) 山本 七平 商品詳細を見る |
■自己の絶対化と反日感情
(~前略)
一体問題はどこにあるのであろう。
戦争中、「鬼畜米英」という言葉があった。事実、戦場には”残虐行為”は常に存在するものであり、もちろん米英側にもあり、その個々の例を拡大して相手の全体像にすれば、対象はすべて人間でなくなり、「鬼畜米英」「鬼畜フィリピン」「鬼畜日本軍」になってしまう。
そしてこういう見方をする人たちの共通点は常に「自分は別だ」「自分はそういった鬼畜と同じ人間ではない」という前提、すなわち「相手を自分と同じ人間とは認めない」という立場で発言しており、その立場で相手の非を指摘することで自己を絶対化し、正当化している。
だが、実をいうとその態度こそ、戦争中の軍部の、フィリピン人に対する態度であったのである。
そして、そういう人たちの基本的な態度は今も変らず、その対象が変っているにすぎない――そのことは、前述の短い引用と本多勝一氏の日本軍への描写を対比すれば、だれの目にも明らかなことであろう。
そして小松氏には、この態度が皆無なのである。
氏は、実に危険な、おそらくフィリピンで最も危険な場所におり、しかも全軍がジャングルに引揚げるという直前、別の記録でみれば、到底どうにもならない”残虐状態”の渦中にあるはずなのに、その恐怖すべき相手であるはずのゲリラと悠々と交渉して相互の諒解に達している。
また、コンスタブ〔べ〕ラリーヘの対処の仕方などは、一種、みごとといえる。
というのは、この日本軍の養成した警察隊の、比島潰乱期における日本軍への反乱は、さまざまなゲリラより恐るべき諸事件を発生させているからである。
そしてそれらの事件の背後には、現地における対日協力者への、あらゆる面における日本側の無責任が表われており、この問題の方が、私は、戦後の反日感情の基になっているのではないか、とすら思われるからである。
前述の本多勝一氏の『中国の旅』における「治安維持会」(対日協力者) への定義などを読むと、戦後そのために苦難の道を歩んだ中国人やその一族がこれを読んだら、日本人なるものをどう見るであろうと、少々、慄然とせざるを得ない。
悪名高きベトナムのアメリカ軍さえ、対米協力者の生命の安全とその保障および現地の混血児に対しては、少なくとも最後の最後まで責任をとった。
そしてこれを批判した者に対する、台湾人からの痛烈な再批判があった――事実、台湾出身の評論家林景明氏なども、この点における日本人の倫理観を強く批判する、アメリカのあの態度を批判するなら、戦争中徴兵した台湾人への軍隊内における強制貯金ぐらいは補償したらどうなのだと。
日本人は、一切の対日協力者を、その生命をも保障せず放り出し、あげくの果ては本多氏のように、その人たちに罵詈雑言を加えている、と。
これでは、もう話し合いなどは一切ない世界になってしまう。
だが小松氏にはゲリラとも話し合いができた。そして結局、ゲリラとの話し合いのできる人間だけが、対日協力者とも話し合いができ、相互に納得できる了解に達しうることができたわけである。
小松氏が、以上のような話し合いをしたのは、言うまでもなく、日本軍の敗退がすでに決定的となった段階においてであった。それなら、緒戦当時、あの「四か月間」に、小松氏がやったような「話し合い」が、中部山岳州の残存米比軍やモロ族との間に、できなかったのであろうか。
できなかった。
なぜであろうか。一言でいえば「日本文化に普遍性なき為」「一人よがりで同情心が無い事」のためであった。
ではなぜ小松氏にそれができたのか、氏はそれを知り、そう書けたからにほかならない。
だがそれが言えない者、それが書けないもの、そこにあるのは、自己の絶対化だけであり、「他に文化的基準のあること」を認めようとしない、奇妙な精神状態だけであった。
絶対化してしまえば、他との相対化において自己の文化を把握しなおして、相手にそれを理解さすことができなくなるから、普遍性をもちえない。
言うまでもなく普遍性はまず相対化を前提とする。
それは相手が自分と違う文化的基準で生きていることを、ありのままに当然のこととして「知ること」からはじまる。
もしそれが出来ないなら、自分だけが人間で、他はすべて人間でないことになってしまう――鬼畜米英・鬼畜フィリピン人・鬼畜日本軍と。
そしてそれは「一人よがりで同情心が無い事」であり、その人間が共感や同情らしき感情を示す場合は、何らかの絶対者に拝脆して、それと自己を固定して自己絶対化を行なう場合だけである。だがこれは、本質的には共感でもなければ同情でもない。
昭和十九年、私かマニラについた時以来、朝から晩まで聞かされていたのは、フィリピン人への悪口であった。「アジア人の自覚がない」「国家意識がない」「大義親を滅すなどという考えは彼らに皆無だ」「米英崇拝が骨の髄までしみこんでいる」「利己的」「無責任」「勤労意欲は皆無」「彼らはプライドだけ高い」等々――。
だがだれ一人として、「彼らには彼らの生き方・考え方かある。
そしてそれは、この国の風土と歴史に根ざした、それなりの合理性かあるのだから、まずそれを知って、われわれの生き方との共通項を探ってみようではないか」とは言わなかった。
従って、一切の対話はなく、いわば「文化的無条件降伏」を強いたわけである。
それでいて、自己の文化を再把握し、言葉として客体化して、相手に伝えることはできなかった。
考えてみれば、そうなるのが当然であって、従って、そこに出てくるものは、最初にのべたように彼らを「劣れる亜日本人」とみる蔑視の言葉だけなのである。そしてこの奇妙な態度は、戦後の日本にもそのままうけつがれた。
昭和二十二年、フィリピンから帰って最初に私が感じたことは、そのことであった。
多くの人は、進駐軍に拝跪し、土下座して、わずか二年前の自分の姿を全く忘れたように自己をアメリカと心情的に同定して、戦前の日本人を「劣れる亜日本人」と蔑視していた。
これはまさに「反省力なき事」である。
そして同じことは、日中復交時にも起ったが、どのときも共に、この「反省力なき事」の標本のような人たちが、「反省が足りない」と人びとに、同じように拝跪することを強要していた。
だがその人びとは、かつて、台頭する軍部に最初に拝脆した人びとではなかったのか!
そういう人々がフィリピンに来た。
緒戦当時の本間軍司令官は、陸軍切っての「西欧通」といわれ、確かにそれらしい配慮はあった。フィリピン人の殆どがカトリック教徒であることを考えて、土井司教(後の枢機卿)をつれて行ったり、また現地のパワー・エリートの多くがハーバードやエール出身のことを考慮して、同校卒業の大学教授なども帯同していった。
だが問題は、一司令官のこういった配慮で解決する問題ではなかった。
同時にそれらの人の殆どすべては、軍と意見があわず、きわめて短時日のうちに帰国している。それはむしろ軍の方で「やっかい払い」をした、と言った方が正確なような状態であった。
自己を絶対化し、あるいは絶対化したものに自己を同定して拝跪を要求し、それに従わない者を鬼畜と規定し、ただただ討伐の対象としても話し合うべき相手とは規定しえない。
結局これが、フィリピンにおける日本軍の運命を決定したといえる。
フィリピン人をせめて日米の間で中立化させておくこともできなかった悲劇、その理由は、引用した記録と小松氏の文章を読み比べれば、だれの目にも明らかであろう。
だがすべての人間に、それがなし得なかったのではない。
小松氏だけでなく、同じようなことが出来た人もおり、そういう人びとには、フィリピン人から収容所への絶えざる「差入れ」があった。
そのことを小松氏も記している。
従って問題は常に、個人としてはそれができるという伝統がなぜ、全体の指導原理とはなりえないのかという問題であろう。
【引用元:日本はなぜ敗れるのか/自己の絶対化と反日感情/P145~】
ネットしていて、左右どちらにも見られるのですが、極端な人ほど「相手を人と認めない」ような気がします。最初から論議する相手ではなく、見下し軽蔑する対象としてしか扱わない。
こういう人々をみると、戦前から何も変っていないんだな…と改めて思わざるを得ません。
個人的な感想になりますが、いわゆるネットウヨの言動に対しては、今までの左よりだった反動という面もあって、感情的になり過ぎて馬鹿なこと言ってやがる…としか思わないのです(もちろん、こうした行き過ぎは正さねばならないと思いますが)。
それに対し、左翼と言うのは嫌ですね。
何が嫌かって、それはまさに山本七平が指摘したとおり、
『「自分は別だ」「自分はそういった鬼畜と同じ人間ではない」という前提、すなわち「相手を自分と同じ人間とは認めない」という立場で発言しており、その立場で相手の非を指摘することで自己を絶対化し、正当化している。』
としか思えないからです。
道徳的優位という偽善の衣を被っている分だけ、始末が悪い。
私の見るところ、左翼のブログには、そういう腐臭を思いっきり発散しているところが多いですね(本人はどうせ気付くことはないんだろうけど)。
話が横にずれちゃいましたが、結局のところ、「相手と話すこと」が個人では出来ても、日本人全体として出来ないのはどうしてなのかという山本七平の指摘は、よく考える必要がありそうです。
【関連記事】
・「石の雨と花の雨と」~石もて追われた日本軍/その現実を我々は直視しているか?~
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