今回は、異常な精神状態となった者が、どのようになってしまうのか、山本七平の説明をご覧ください。
こういう状態で生きていれば、結局は一種の根元主義者(ラディカリスト)にならざるを得ない。
彼らが何もかも否定し、社会全部を「めしい」と考えることによって、彼らだけの自己評価に生きるなら、その評価が依拠する根元は「絶対」であらねばならない。
ここに「天皇制ラディカル」ともいうべき「国体明徴」問題も起れば、彼らの自己評価のみに基づく行動も起る。
二・二六の将校、特にその推進者は、一言にしていえば中隊付将校、すなわち「ヤリクリ中尉」であり、その社会的な位置は、はたちを少し越えた最下級の貧乏サラリーマン、それと最末端の管理職、課長というより係長ともいうベき「ヤットコ大尉」である。
しかし「幼年学校」出の彼らの自己評価においては、天皇制ラディカルとして日本の根元を問い、それに依拠して一大革新を行うべき、自己否定に徹した革命家であった。
だがその中の典型とも言うべき中橋基明中尉の言動を見ると、異常に高い自己評価と異常に低い社会的評価との間の恐るべきギャップが、このエリート意識の強い一青年を狂わしたとしか、私には思えない。
そういう状態に陥ってしまえば、もう何も知ることができなくなる。
社会のことも自分のことも、また彼の専門であるはずの軍事すらも――そして自分が何も知らないということすらわからなくなって、ただただ異常な高ぶりの中だけで生きている。
そのためすべてをただ不当だと感じ、怒り、幼児のように幻想を見、それに酔い、大言壮語し、感情を高ぶらせ、悲憤慷慨するだけになってしまうのである。
ひとたびこうなると、その人びとはもう外部のどんなことをも「知ること」が出来ず、目の前に起っていることを「見ること」もできなくなってしまう。
そしてすべてを、その集団内の自己評価と相互評価に適合するように変形して受けとってしまう。日本軍の将校はそうであった。彼らは、目の前に起っていることが見えないのである。
私と親しかったN兵長は、何回も召集された自称「十年兵」で、ノモンハンの生き残り、九州人で自ら「砲を捨てて逃げヨッタ敗残兵デスタイ」と称していたが、彼が何よりも驚いたことは、当時の関東軍の「偉カ人」がソヴィエト軍についても近代戦についても「何一つ知りヨラン」だけでなく「何一つ見ヨラン」ことであった。
もちろんこれは、アメリカ軍についても「何一つ知りヨラン」「何一つ見ヨラン」ことへの驚きと共に思い出したことで、そこでも、目の前で起っていることが何一つ見えないのである。
「大本営チュートコは、気遣イとメクラの寄り集りジャロカ、ありゃみんな偉カ人のハズに」と――確かに彼の目の前にある現実は、その「偉カ人」が現実を「見ヨラン」で「知りヨラン」が故に起ったことであった。
新聞等で、「あさま山荘の銃撃戦」や「ロッド空港の乱射」に対する、赤軍派やそのシンパといわれる人びとの「評価」などを読むと、ただただ自己評価の中に閉じこもっており、それは「何一つ見ヨラン」「何一つ知りヨラン」という彼の言葉を思い出させる。
赤軍派の移動の仕方が「ゲリラ教範」に反すると獄中から批判した同志がいたが、それを読むと、彼らが知っているのは、ただ「ゲ」「リ」「ラ」という三文字のカタカナだけで、それをただ彼らの自己評価への裏づけとして使っているにすぎず「何一つ見ヨラン」「知りヨラン」のである。
北部ルソンにも、現地人クーシンと米人ヒントンに率いられたゲリラがいたが、その実態は、赤軍派などとは似ても似つかぬものである。
ゲリラの戦士は、女づれのモヤシとは関係ない。彼らはただ彼らの間だけで通用する相互評価と自己評価においてゲリラであると夢想しているに過ぎない。
「あさま山荘の銃撃戦」も同じである。
独特の表現を連ねた、全く正気とは思えないような大仰な「評価」があるが、簡単に言ってしまえば、あれは「戦い」でも「銃撃戦」でもない。
戦場なら五分で終り、全員が死体になっているだけである。今ならバズーカ砲、昔なら歩兵砲の三発で終りであろう。
一発は階下の階段付近に撃ち込んで二階のものが下りられないようにし、二発目は燃料のあるらしいところに撃ち込んで火災を起させ、三発目は階上に撃ちこむ、――砲兵が出る幕ではない。
だがこれも、彼らだけで通用する「評価」では、「権力に対して徹底的に戦い」「その戦いを全世界に知らしめた」大戦争になってしまう。
また前述の「週刊文春」の記事でも、岡本公三は「これはテロ事件ではない。革命戦争なのだ……自分は革命戦争の先兵なのだ」というわけだが、「どの方向へ撃ったかわけがわからず」「事件直後、極度の興奮からヒステリー状態で口もきけないほどだった」という。
これでは、応射されたら腰を抜かしたことだろうし、第一、危くってそばにおいておけない。
こんな兵士は私は見たことがない、これで兵士だの先兵だの戦争だのとは、全く恐れいった自己評価である。
だが以上のように言えば言うほど、彼らは自己評価の枠の中にひっこみ、絶対に耳を傾けようとしなくなる。
それはかつての青年将校も同じであった。
そしてこの自己評価と彼らの内部だけで通用する相互評価が、社会の評価から隔絶すればするほど、これもまた一種の呪縛となって彼らを規制していく。
しかし現実の生活では最低サラリーマンであり、その下の下士官は、職業人とすら認められない。
この緊張関係は、内部へか外部へかは別として、いつかは彼らを決起させ、その自己評価を社会に認証させねば耐えられないものになっていく。
彼らがせざるを得ないことは、それだけなのだ。
認証させればよいのだから、それ以後のことなど彼らが考えているはずがない。
従って、二・ニ六の将校に何ら「決起後の改革のプラン」がなかったのはあたりまえのことで、そんなものは、はじめからあるはずがない。
岡本公三も同じで「あとのことは後継者がやってくれると信じている。……後をついでいってくれる者たちが出てくると思う。自分たちの死は無駄にはならない」のである。
二・二六の将校は、決起後のある一時期、時間にすればわずか十数時間だが、陸相や軍事参議官と対等にわたり合うことによって、この自己評価を社会に認証させえた。
そしてそれが崩れ去った後でも、最後まで彼らが求めたものは、「勅使御差遣」という「自己評価への認証」であり、それがすべてだった。
テルアヴィヴの三人も同じであろう。
大学といわゆる学生運動の中だけでしか通用しない相互評価と自己評価の中で彼らは生きてきた。
だがたとえその中では「ゲリラ」であり「パルチザン」であり「革命の戦士」であっても、それは集団内あるいは大学内でしか通用しない。
社会は彼らをかつての下士官以下にしか扱わず、一人の社会人・職業人としてすら認めようとはしない。
しかしそうされればされるほど、自分をそう扱う人びとを「めしいたる民」と軽蔑し、反発し、無視し、一方、自分の自己評価を認証してくれた者(または、くれたと誤認した者)の指示なら、地の果てにまで飛んで行き、何でも指示通りに行うようになる。
アラブ・ゲリラは彼らをゲリラとして扱ってくれた。
これは彼らの自己評価への認証である。
それで十分である。言葉が通じようと通じまいと、そんなことは問題であるはずがない。
がんらい彼らの言葉は、昔の軍隊と同様に、そのグループ以外にはだれにも通じないし、通じなくすることによって自己評価を保ってきたのだから、通じない方がいい。
まして「現地の実情」や「パレスチナ問題への理解」など、そんなことは関係がない。
ニ・二六の将校だって「自己評価」と自分たちだけの言葉の中に閉じこもって、日本の実情など何一つ知らなかったし、認めなかったし、フィリピンにとび込んでいった日本軍は、テルアヴィヴの三人同様、現地のことなど何一つ知らない。現地の言葉が話せる将校すらいない。
同じことである。
「東亜解放」とか「世界同時革命」とかいう言葉で、相手が自分たちの自己評価を認証してくれているはずだと、勝手にきめこみ、一方的に連帯しているつもりだけなのである。
アラブ・ゲリラから武器と命令をわたされたときが、彼らにとって、本当に、自己評価が認証されたと感じた時であったろう。
それだけのために、と言って彼らを笑う資格がだれにあろう。
同じことをやってきたではないか。
それらが、個人として行われようと、集団として行われようと、一国家として行われようと、自らの現状を、自ら冷たい目で見る勇気のない者が常に行なってきたことではないか。
日本の軍人は、日本軍なるものの実状を、本当に見る勇気がなかった。
見れば、だれにでも、その実体が近代戦を遂行する能力のない集団であることは明らかであり、従ってリップサービスしかしない社会の彼らに対する態度は、正しかったのである。
社会は、能力なき集団に報酬を払ってはくれない、昔も今も、いつの時代も。
結局彼らが「何一つ見ヨラン」「何一つ知りヨラン」となったのは、相手ではなく、自分を「見る」勇気がなかったからである。赤軍派を生み出した一つの集団も、おそらくは、同じように、自分を見る勇気がないだけに相違ない。
そしてMさんのような人が、偶然その集団に入って行ったら、きっと言ったに相違ない「あれじゃーね。テルアヴィヴの三人が出るのはあたりまえだよ……」と。
以上が、前述した、もう一つの理由である。
(~終わり)
【引用元:私の中の日本軍(上)/残飯司令と増飼将校/P64~】
一般社会の扱いに問題はあったとは言え、その扱いは彼らの能力にふさわしいものであったわけです。
結局、それを真正面から受け止めず、自分を見る勇気を持たなかった者が取る行動とは、いつの世も似たようなものなのかも知れません。
かつて、日本は”一国家として”自らを見る勇気を失いました。これは否定できない事実ではないでしょうか。
また、今の日本がそうした状況に陥らないと断言できるか?私にはちょっと自信がありません。
それはさておき、山本七平の記述を読んで見た限りでは、今回のシリーズの発端となった自衛隊がクーデターを起こす「可能性」については、ほぼないのではないか、というのが私の考えです。
第一に、山本七平も指摘しているとおり、自衛隊そのものが、社会から称揚されていない点が戦前とは異なりますし、自衛隊員も、戦前の将校が抱いていたようなエリート意識がありません。
第二に、クーデターを起こす際の拠り所になるような(例えば、国体明徴といったような)思想が欠けています。
第三に、自衛隊員の生活状況に、それほど生活困窮の度合いが見られないこともあるでしょう。
こう考えてみると、天木直人氏のブログに見られるような「自衛隊のクーデター」を危惧する論調については、杞憂に過ぎないと言って差し支えないような気がします。
むしろ、そのような論調は、根拠に乏しい狼少年のような行動として扱ってもいいのではないでしょうか。
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