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一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

残飯司令と増飼将校【その4】~自らを見る勇気がなかった者の悲劇~

前回の続き。
今回は、異常な精神状態となった者が、どのようになってしまうのか、山本七平の説明をご覧ください。

こういう状態で生きていれば、結局は一種の根元主義者(ラディカリスト)にならざるを得ない

彼らが何もかも否定し、社会全部を「めしい」と考えることによって、彼らだけの自己評価に生きるなら、その評価が依拠する根元は「絶対」であらねばならない。

ここに「天皇制ラディカル」ともいうべき「国体明徴」問題も起れば、彼らの自己評価のみに基づく行動も起る。

二・二六の将校、特にその推進者は、一言にしていえば中隊付将校、すなわち「ヤリクリ中尉」であり、その社会的な位置は、はたちを少し越えた最下級の貧乏サラリーマン、それと最末端の管理職、課長というより係長ともいうベき「ヤットコ大尉」である。

しかし「幼年学校」出の彼らの自己評価においては、天皇制ラディカルとして日本の根元を問い、それに依拠して一大革新を行うべき、自己否定に徹した革命家であった。

だがその中の典型とも言うべき中橋基明中尉の言動を見ると、異常に高い自己評価と異常に低い社会的評価との間の恐るべきギャップが、このエリート意識の強い一青年を狂わしたとしか、私には思えない。

そういう状態に陥ってしまえば、もう何も知ることができなくなる

社会のことも自分のことも、また彼の専門であるはずの軍事すらも――そして自分が何も知らないということすらわからなくなって、ただただ異常な高ぶりの中だけで生きている。

そのためすべてをただ不当だと感じ、怒り、幼児のように幻想を見、それに酔い、大言壮語し、感情を高ぶらせ、悲憤慷慨するだけになってしまうのである。

ひとたびこうなると、その人びとはもう外部のどんなことをも「知ること」が出来ず、目の前に起っていることを「見ること」もできなくなってしまう

そしてすべてを、その集団内の自己評価と相互評価に適合するように変形して受けとってしまう。日本軍の将校はそうであった。彼らは、目の前に起っていることが見えないのである。

私と親しかったN兵長は、何回も召集された自称「十年兵」で、ノモンハンの生き残り、九州人で自ら「砲を捨てて逃げヨッタ敗残兵デスタイ」と称していたが、彼が何よりも驚いたことは、当時の関東軍の「偉カ人」がソヴィエト軍についても近代戦についても「何一つ知りヨラン」だけでなく「何一つ見ヨラン」ことであった。

もちろんこれは、アメリカ軍についても「何一つ知りヨラン」「何一つ見ヨラン」ことへの驚きと共に思い出したことで、そこでも、目の前で起っていることが何一つ見えないのである。

「大本営チュートコは、気遣イとメクラの寄り集りジャロカ、ありゃみんな偉カ人のハズに」と――確かに彼の目の前にある現実は、その「偉カ人」が現実を「見ヨラン」で「知りヨラン」が故に起ったことであった。

新聞等で、「あさま山荘の銃撃戦」や「ロッド空港の乱射」に対する、赤軍派やそのシンパといわれる人びとの「評価」などを読むと、ただただ自己評価の中に閉じこもっており、それは「何一つ見ヨラン」「何一つ知りヨラン」という彼の言葉を思い出させる。

赤軍派の移動の仕方が「ゲリラ教範」に反すると獄中から批判した同志がいたが、それを読むと、彼らが知っているのは、ただ「ゲ」「リ」「ラ」という三文字のカタカナだけで、それをただ彼らの自己評価への裏づけとして使っているにすぎず「何一つ見ヨラン」「知りヨラン」のである。

北部ルソンにも、現地人クーシンと米人ヒントンに率いられたゲリラがいたが、その実態は、赤軍派などとは似ても似つかぬものである。

ゲリラの戦士は、女づれのモヤシとは関係ない彼らはただ彼らの間だけで通用する相互評価と自己評価においてゲリラであると夢想しているに過ぎない

あさま山荘の銃撃戦」も同じである。

独特の表現を連ねた、全く正気とは思えないような大仰な「評価」があるが、簡単に言ってしまえば、あれは「戦い」でも「銃撃戦」でもない

戦場なら五分で終り、全員が死体になっているだけである。今ならバズーカ砲、昔なら歩兵砲の三発で終りであろう。

一発は階下の階段付近に撃ち込んで二階のものが下りられないようにし、二発目は燃料のあるらしいところに撃ち込んで火災を起させ、三発目は階上に撃ちこむ、――砲兵が出る幕ではない。

だがこれも、彼らだけで通用する「評価」では、「権力に対して徹底的に戦い」「その戦いを全世界に知らしめた」大戦争になってしまう

また前述の「週刊文春」の記事でも、岡本公三は「これはテロ事件ではない。革命戦争なのだ……自分は革命戦争の先兵なのだ」というわけだが、「どの方向へ撃ったかわけがわからず」「事件直後、極度の興奮からヒステリー状態で口もきけないほどだった」という。

これでは、応射されたら腰を抜かしたことだろうし、第一、危くってそばにおいておけない。

こんな兵士は私は見たことがない、これで兵士だの先兵だの戦争だのとは、全く恐れいった自己評価である。

だが以上のように言えば言うほど、彼らは自己評価の枠の中にひっこみ、絶対に耳を傾けようとしなくなる

それはかつての青年将校も同じであった。

そしてこの自己評価と彼らの内部だけで通用する相互評価が、社会の評価から隔絶すればするほど、これもまた一種の呪縛となって彼らを規制していく。

しかし現実の生活では最低サラリーマンであり、その下の下士官は、職業人とすら認められない。

この緊張関係は、内部へか外部へかは別として、いつかは彼らを決起させ、その自己評価を社会に認証させねば耐えられないものになっていく

彼らがせざるを得ないことは、それだけなのだ

認証させればよいのだから、それ以後のことなど彼らが考えているはずがない

従って、二・ニ六の将校に何ら「決起後の改革のプラン」がなかったのはあたりまえのことで、そんなものは、はじめからあるはずがない。

岡本公三も同じで「あとのことは後継者がやってくれると信じている。……後をついでいってくれる者たちが出てくると思う。自分たちの死は無駄にはならない」のである。

二・二六の将校は、決起後のある一時期、時間にすればわずか十数時間だが、陸相や軍事参議官と対等にわたり合うことによって、この自己評価を社会に認証させえた

そしてそれが崩れ去った後でも、最後まで彼らが求めたものは、「勅使御差遣」という「自己評価への認証」であり、それがすべてだった

テルアヴィヴの三人も同じであろう。

大学といわゆる学生運動の中だけでしか通用しない相互評価と自己評価の中で彼らは生きてきた。

だがたとえその中では「ゲリラ」であり「パルチザン」であり「革命の戦士」であっても、それは集団内あるいは大学内でしか通用しない。

社会は彼らをかつての下士官以下にしか扱わず、一人の社会人・職業人としてすら認めようとはしない。

しかしそうされればされるほど、自分をそう扱う人びとを「めしいたる民」と軽蔑し、反発し、無視し、一方、自分の自己評価を認証してくれた者(または、くれたと誤認した者)の指示なら、地の果てにまで飛んで行き、何でも指示通りに行うようになる

アラブ・ゲリラは彼らをゲリラとして扱ってくれた。

これは彼らの自己評価への認証である。
それで十分である。言葉が通じようと通じまいと、そんなことは問題であるはずがない。

がんらい彼らの言葉は、昔の軍隊と同様に、そのグループ以外にはだれにも通じないし、通じなくすることによって自己評価を保ってきたのだから、通じない方がいい。

まして「現地の実情」や「パレスチナ問題への理解」など、そんなことは関係がない。

ニ・二六の将校だって「自己評価」と自分たちだけの言葉の中に閉じこもって、日本の実情など何一つ知らなかったし、認めなかったし、フィリピンにとび込んでいった日本軍は、テルアヴィヴの三人同様、現地のことなど何一つ知らない。現地の言葉が話せる将校すらいない。

同じことである。

東亜解放」とか「世界同時革命」とかいう言葉で、相手が自分たちの自己評価を認証してくれているはずだと、勝手にきめこみ、一方的に連帯しているつもりだけなのである。

アラブ・ゲリラから武器と命令をわたされたときが、彼らにとって、本当に、自己評価が認証されたと感じた時であったろう。

それだけのために、と言って彼らを笑う資格がだれにあろう

同じことをやってきたではないか。

それらが、個人として行われようと、集団として行われようと、一国家として行われようと、自らの現状を、自ら冷たい目で見る勇気のない者が常に行なってきたことではないか。

日本の軍人は、日本軍なるものの実状を、本当に見る勇気がなかった

見れば、だれにでも、その実体が近代戦を遂行する能力のない集団であることは明らかであり、従ってリップサービスしかしない社会の彼らに対する態度は、正しかったのである。

社会は、能力なき集団に報酬を払ってはくれない、昔も今も、いつの時代も。

結局彼らが「何一つ見ヨラン」「何一つ知りヨラン」となったのは、相手ではなく、自分を「見る」勇気がなかったからである。赤軍派を生み出した一つの集団も、おそらくは、同じように、自分を見る勇気がないだけに相違ない。

そしてMさんのような人が、偶然その集団に入って行ったら、きっと言ったに相違ない「あれじゃーね。テルアヴィヴの三人が出るのはあたりまえだよ……」と。

以上が、前述した、もう一つの理由である。

(~終わり)

【引用元:私の中の日本軍(上)/残飯司令と増飼将校/P64~】


一般社会の扱いに問題はあったとは言え、その扱いは彼らの能力にふさわしいものであったわけです。

結局、それを真正面から受け止めず、自分を見る勇気を持たなかった者が取る行動とは、いつの世も似たようなものなのかも知れません。

かつて、日本は”一国家として”自らを見る勇気を失いました。これは否定できない事実ではないでしょうか。

また、今の日本がそうした状況に陥らないと断言できるか?私にはちょっと自信がありません。

それはさておき、山本七平の記述を読んで見た限りでは、今回のシリーズの発端となった自衛隊がクーデターを起こす「可能性」については、ほぼないのではないか、というのが私の考えです。

第一に、山本七平も指摘しているとおり、自衛隊そのものが、社会から称揚されていない点が戦前とは異なりますし、自衛隊員も、戦前の将校が抱いていたようなエリート意識がありません。

第二に、クーデターを起こす際の拠り所になるような(例えば、国体明徴といったような)思想が欠けています。

第三に、自衛隊員の生活状況に、それほど生活困窮の度合いが見られないこともあるでしょう。

こう考えてみると、天木直人氏のブログに見られるような「自衛隊のクーデター」を危惧する論調については、杞憂に過ぎないと言って差し支えないような気がします。

むしろ、そのような論調は、根拠に乏しい狼少年のような行動として扱ってもいいのではないでしょうか。


【関連記事】
・残飯司令と増飼将校【その1】~ニ・ニ六事件が起こった背景には~
・残飯司令と増飼将校【その2】~困窮した下級将校~
・残飯司令と増飼将校【その3】~集団では極端に称揚され、個人では徹底的に軽蔑された軍人たち~


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コメント

tikurinさん、1読者さんへ

>tikurinさん

こんばんは。コメントありがとうございます。

>山本七平の紹介丁寧にされてますね。これくらい丁寧にやると、わかりやすいですね。

お褒めいただき、ありがとうございます。
蟹は甲羅に似せて穴を掘ると申しますが、私は能力的に、山本七平の言葉を自らの言葉に直して紹介することができませんし、解釈も自分のレベルに沿った形でしか出来ません。
ですから、せめて彼の言葉そのものをネットで見やすいよう紹介しようと考えた結果、こうなってしまいました(汗)。

>さて、ほんとに有事となったらみなさんはどう行動すると思いますか。パニックに陥る前に冷静にこうした防衛問題を徹底的に議論し、子供達にも必要な最低限の知識を教えておく必要があると思いませんか。
>しかし、現代の日本人にこのタブーに触れる勇気がありますかね。


この問題は確かに難しいですね。
昔、井沢元彦の本だったと思いますが、日本の大学には、軍事学を教える講座がないと指摘しているのを思い出しました。大学ですらない有様なのに、子供たちに教えられるでしょうか?これも山本七平のいう「判断の規制」の一つなのでしょうか。

>1読者さん

こんばんは。コメントありがとうございます。

>仕官学校(とくに陸士)には地方の貧困層の出身者も少なくなかった点は考慮しておくべきかもしれません。

そうですね。山本七平も「陸軍は都会人とかインテリとかを身内に入れなかった」とか、「都市のインテリも陸軍を嫌った」などと書いているのを思い出しました。

>いわゆる大正デモクラシーは、第一次大戦後のバブル景気をきっかけに生まれた民主的な政党政治への動きですが、基本的には都市部を中心にしたもので、一時的な平和と好景気によって厭戦気分と嫌軍の風潮が蔓延る一方で、国際的な軍縮の動きには充分に対応できず、かつ国内的な貧困や格差の解消にはほとんど結びつきませんでした。
こうした点も「軍」や「軍人」をもちあげる一方で、実際の「職業軍人」を徹底的に差別し軽蔑するという風潮の背景にあったことでしょう。


なるほど、鋭いご指摘です。
陸軍が都市のインテリを嫌い、インテリも陸軍を嫌ったことも、実際の職業軍人が差別された背景では…というご指摘は一理あると思います。

>必ずしも当時の実態を反映したものではなく、日米戦争の結果からの後づけのような気もします。

言われてみると、確かにこれはそのとおりだと思います。どう考えても当時の国民に、冷静に軍事力を判断できる能力があったとは思えませんから。

>後者は高度成長下の日本社会からほぼ完全に遊離したものであったのに対し、前者は現実の政治・社会に一定の背景があった点は、より深刻なところだと思います。

この点も、現在の自衛隊がクーデターを起こすとは思えない根拠になると思います。
ただ、将来社会的混乱(恐慌など)が起きた場合は、ポリティカル・コントロールを失っていく可能性が無きにしも非ずかもしれません。

それと、ご紹介の「Baatarismの溜息通信」拝見させていただきました。
現時点での私の感触では、まだそれほど心配するほどではないのではないかと。
ただ、世論の動向には注意していく必要はあるとは思いますが。

  • 2008/11/21(金) 00:21:22 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

 私が山本七平氏やその他の戦争経験者の著作を読んだり、日本の近現代史を個人的に調べていたのは、まだ山本氏が存命中の頃ですから、ずいぶん前の話です。記憶が曖昧な点もありますが、今回の一連のエントリーの背景として、以下のことを思いつきました。

 山本氏は都市部(東京?)に生まれ育っているので、その経験は主として都市部でのものと見てよいと思います。一方当時の日本は、現在とは比較にならない「生死に関わる」格差が存在し、厳しい地域間格差や階級間格差を抱えていたことは周知のとおりです。そうした中、旧帝大や有名私大出身の官僚や知識人(いわゆるインテリ)は、ほとんどが都市部の富裕層か地方の地主層の出身者であるのに対し、仕官学校(とくに陸士)には地方の貧困層の出身者も少なくなかった点は考慮しておくべきかもしれません。2.26事件の青年将校等に対するある種の好意的な“虚像”はこうした背景から生まれたものだろうと思います。
 当時の「インテリ・知識人特有の無神経さ」というのは、ある種の階級的差別意識の表れであり、さらに、こうしたインテリ層は、しばしば徴兵免除(ないし猶予)という特権を有していたことも社会的亀裂を深める一因になっていたことは、ベトナム戦争当時のアメリカの例からも分かることです。
 また、いわゆる大正デモクラシーは、第一次大戦後のバブル景気をきっかけに生まれた民主的な政党政治への動きですが、基本的には都市部を中心にしたもので、一時的な平和と好景気によって厭戦気分と嫌軍の風潮が蔓延る一方で、国際的な軍縮の動きには充分に対応できず、かつ国内的な貧困や格差の解消にはほとんど結びつきませんでした。
 こうした点も「軍」や「軍人」をもちあげる一方で、実際の「職業軍人」を徹底的に差別し軽蔑するという風潮の背景にあったことでしょう。(ただ、山本氏が当時の日本軍の実体を「近代戦を遂行する能力のない集団」とし、社会的な‘軍蔑視の風潮’を正当化(?)しているところは、必ずしも当時の実態を反映したものではなく、日米戦争の結果からの後づけのような気もします。)

 そしてこれが、世界的な大恐慌により一変します。
 こうした国内的な問題も解決できず、国際情勢に翻弄され、果断に対処できない政治に対する不満が、2.26事件など一連のテロの背景にあったことは確実です。(山本氏の2.26事件の青年将校等と赤軍派等の全共闘運動との比較・分析は、そうした組織が生まれる原因や組織内部の行動原理を解き明かすものとしてはまさに炯眼ですが、後者は高度成長下の日本社会からほぼ完全に遊離したものであったのに対し、前者は現実の政治・社会に一定の背景があった点は、より深刻なところだと思います。)

 軍隊というのは、いつの時代・いずれの国においても最も能力主義的な集団であるため、貧困層や少数民族の出身者も多く、しばしば政治的に極めてラディカルな行動をとる傾向があります。
 また、テロは宗教やイデオロギーではなく「貧困と絶望」から生まれる、と指摘した外相当時の麻生総理のパレスチナに関する発言は、戦前の日本にも妥当するでしょう。(思想やイデオロギーはその触媒にすぎないと考えた方がいいかもしれません。)

 田母神論文で問題となった文民統制の本質は、政治による軍の統制であり、それは政府の国政全般に対する統治力を前提とします。その意味では、英米のように「ポリティカル・コントロール」と言う方が適切でしょう。
 戦前の日本は、日露戦争以降そうした統制を徐々に失い、何度かそれを回復する機会がありながら、ことごとく失敗しています。
 では、戦後はどうか。個人的に調べた結果では、「軍に対する政治的統制」という発想すら希薄なことに少々愕然としています。
 マスコミが戦前から何も学んでいないのと同様に、(戦前を直接体験した世代は別にしても)政治及び国民もまたそうだったのかもしれませんね。

Baatarismの溜息通信
2008-11-19 これが1930年代の再来でなければいいんですが。
http://d.hatena.ne.jp/Baatarism/20081119
 ↑
これが杞憂であればいいのですが。

  • 2008/11/20(木) 20:12:25 |
  • URL |
  • 1読者 #-
  • [編集]

 初めまして”竹林の国から”のtikurinです。山本七平の紹介丁寧にされてますね。これくらい丁寧にやると、わかりやすいですね。田母神さんの件では”クーデター説”もあったんですね。でも、それはないでしょう。おっしゃる通り・・・。ただ、自衛隊員に対して差別的な言動が為されてきた事実は真摯に反省する必要がありますね。かっての満州事変はそれが心理的動機になったのですから。この問題は意外と深刻ですよ。ところで、我が国の教育行財政学の泰斗と評される市川正午氏は、学校教育における「有事教育」の必要性を説いています。有事はないと思いますか?もしあったらどうします?その時私達はどのように行動すると思いますか?かって関・森嶋防衛論争で森嶋氏が、「もし万が一にもソ連が日本に攻めてきたときは、自衛隊は秩序ある威厳に満ちた幸福をして、その代わり政治的自決権を獲得すべき」と論じたとき、山本七平は、過去の経験から言って、占領軍に対する”ごますり競争”が始まるだろう、と予測していました。さて、ほんとに有事となったらみなさんはどう行動すると思いますか。パニックに陥る前に冷静にこうした防衛問題を徹底的に議論し、子供達にも必要な最低限の知識を教えておく必要があると思いませんか。しかし、現代の日本人にこのタブーに触れる勇気がありますかね。私は、田母神さんの論文(論文ではなく感想文でしたが)を契機にこの問題を私ブログで考えたいと思っています。

  • 2008/11/20(木) 14:58:32 |
  • URL |
  • tikurin #EhSiX4p.
  • [編集]

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一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
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