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ヒロシマというとき





8月6日・原爆忌:広島平和記念式典に関連して、栗原貞子さん(1913年~2005年:自らが被爆者でもある広島市生まれの詩人)の素晴らしい詩を紹介します。


(引用開始)

【ヒロシマというとき(沈黙の時に)】

<ヒロシマ>というとき

<ああ ヒロシマ>と

やさしく答えてくれるだろうか

<ヒロシマ>といえば<パールハーバー>

<ヒロシマ>といえば<南京虐殺>

<ヒロシマ>といえば 女や子どもを

壕のなかにとじこめ

ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑

<ヒロシマ>といえば

血と炎のこだまが 返って来るのだ



<ヒロシマ>といえば

<ああ ヒロシマ>とやさしくは

返ってこない

アジアの国々の死者たちや無辜の民が

いっせいに犯されたものの怒りを

噴き出すのだ


<ヒロシマ>といえば

<ああ ヒロシマ>と

やさしくかえってくるためには

捨てた筈の武器を ほんとうに

捨てねばならない

異国の基地を撤去せねばならない

その日までヒロシマは

残酷と不信のにがい都市だ

私たちは潜在する放射能に

灼かれるバリアだ



ヒロシマといえば

ああ ヒロシマと

やさしい答えがかえって来るためには

わたしたちは

わたしたちの汚れた手を

きよめねばならない

(引用終わり)

作:栗原貞子 一九七四・三「ヒロシマ 未来風景」

合掌


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2014.08.05 | | コメント(39) | トラックバック(0) | 政治・社会



コメント

核拡散

核兵器の拡散が止まらない。
インドとパキスタン、そしてイラン、北朝鮮等核兵器の拡散が止まらない。

人類は常に憂慮を抱えているのである。






2014/08/05 (火) 23:23:00 | URL | ファントム #- [ 編集 ]

反省と悲しみ

片割月さま、こんばんはm(_ _)m

戦時下において「自国の軍隊が他国に残虐行為を行ったから」自国の受けた凄惨な被害を悼む権利はない、というご意見でしょうか?

私は、自国の行為への反省は反省として、広島や長崎への原爆投下に関しては深い憤りと悲しみを感じます。
日本がもうほとんど戦力を失っていたあの時期に、どうしてあれほどの攻撃が市街地に行われなければならなかったのか…。

「日本だって中国や韓国、アジア諸国を傷つけたくせに」という『自省』を旗印に、原爆被害者の口を封じるようなことがあってはならないと思います。

あと数十分で8月6日ですね。

合掌

2014/08/05 (火) 23:37:05 | URL | ののんた #- [ 編集 ]

その日

ここの常連さんたちはサイト主にも遠慮無くもの申しますが、安易に付和雷同しないからいいのです。信者達で固まっているどこかのサイトと大違いです(笑)。

この詩、私個人はダメだと思いました…。ある一種のパターンにはまってしまって、世界観が矮小されているように見えるからです。本物の詩人ならば、国籍や人種を超えて「人間という種」の業の深さを貫くようなものを描けるのでしょうが、そこまで至らなかったということなんでしょう。

もうすぐ八時十五分です。

2014/08/06 (水) 07:56:03 | URL | TAO #R6DZAwZw [ 編集 ]

空襲と原爆

>日本がもうほとんど戦力を失っていたあの時期に、どうしてあれほどの攻撃が市街地に行われなければならなかったのか…。

殆ど戦力を失っているにも関わらず何故戦争を続けたのか考えてみるべきかも。その事を考えると戦争の本質が見えてくるのではないでしょうか。昭和17年4月に初めて「ドゥーリトル隊」による本土空襲がありました。6月には「ミッドウェー海戦」で海軍力を一挙に失い、もうこれで勝敗は決していたはずです。負け戦は隠蔽され続けたそうですが。

世界で初めて民間人を空襲によって大量殺戮したのは実は日本なのです。1932年1月の上海です。人口密集地に殺傷爆弾を投下。何百人もの女、子供が殺されました。ドゥーリトルの10年前ですね。また原爆については日本でも理研の仁科研究室で研究はされていたそうですから、上層部ではある程度予想はされていたと思います。そういう研究の情報は入ってくるものですし。広島では原爆投下の翌日に仁科博士は視察に行っていますね。

日本の場合は空襲までは本土に攻め込まれたわけではありませんから、降伏でも何でも戦争を止めて、海外の軍隊を撤退させることは不可能ではなかったはずです。イタリアもドイツも早々と降伏していたのですから。

戦争というものは、どこの国という事は関係なく、巻き込まれたすべての人たちが苦しむものです。

2014/08/06 (水) 22:48:38 | URL | hiyorigeta #/Gbb2fdw [ 編集 ]

足し算引き算

hiyorigetaさま、こんにちはm(_ _)m

>戦争というものは、どこの国という事は関係なく、巻き込まれたすべての人たちが苦しむものです。

別に日本の苦しみを重く見よと主張したつもりはないですよ〜。
巻き込まれた全ての人にそれぞれの苦しみがあったことは当然です。

私はただ罪は罪として裁かれるべきであり、悲劇は悲劇として悼まれるべき、と分けて考えたいというだけです。

hiyorigetaさまのように
「最初に上海を爆撃をしたのだから空襲で市街地を焼かれても仕方ない」
「核兵器を研究していたのだから原爆を落とされても仕方ない」
という風に、何というか「被害」と「加害」を相殺?差し引き?する考え方があることは理解していますが、私自身はそのようには考えておりません。

広島・長崎の凄惨な被害を見聞きするにつけ、「原爆は使われてはいけない兵器だった」と、ただそう思います。

勿論逆も同様です。
日本が加害者の立場である諸事件にも、相手国の他所での暴虐行為や国の舵取りの失敗があったとは思いますが、それは日本が与えた戦争被害への責任をいささかも減ずるものではありません。

捻れた優越感と自己陶酔のようなものが鼻についてこの詩には感動できませんでしたが、自分の苦しみを声高に叫ぶだけではなく、自分が与えた苦しみを自省する心が大切であることは理解しているつもりです。

2014/08/07 (木) 09:06:08 | URL | ののんた #- [ 編集 ]

原爆

通称「マッチ爆弾」
として、日本での開発に関しても、ある程度の軍関係者は存在を知っていたとのことです。
輸送中の安全性に問題があり、それを解決したのがアメリカが先立ったのが実践投入できただけのことです。
当時の軍の思想は国によらず、相手国の重要拠点に壊滅的なダメージを与えることが主眼であり、実験の意味があったとしても、戦略的にはどの国も考えることです。
この思想の延長線上に大陸間弾道ミサイルが生まれています。

つまるところ、軍隊がある限り、非人道的な行為が生まれる可能性は、軍内部の訓練ですらあります。

アメリカ側から言わせれば、「現状を正しく認識して日本が早く降伏さえすれば使うことはなかった。」という言い訳ができるようにしたのは、軍部と天皇の責任です。
軍部が情報を隠匿したために天皇が知り得なかったという側面はあるにしても、元々は独走を許したきっかけは天皇のお飾り化と優柔不断さに端を発します。

ちなみに、日本が安全上の問題を解決できていたとしても、長距離航続の爆撃機はなく、アメリカ本土への攻撃は不可能で、なおかつ制空権のない太平洋を横断することも不可能なので、宝の持ち腐れとなり、アメリカの空爆で日本内で自国製の原爆で被害を受けることになったでしょう。
いずれにしても、局時的な部分だけを見て、戦術批判をすることはできません。

長崎でも広島でも、原爆を落としたアメリカは許せん、という意見があまりない事実を良く考えるべきでしょう。

2014/08/07 (木) 10:18:07 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

戦略爆撃について

誤解を与えかねないコメントがあったので指摘しておきます。

人口密集地に爆弾を投下した最初の国は、第一次大戦中のドイツ帝国です。
当時の爆弾の性能と飛行船という組み合わせから破壊力が低かっただけです。

戦略爆撃で検索すれば日本が一番最初だなどというのは、真っ赤な嘘であることはすぐわかります。

2014/08/07 (木) 10:35:18 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

原爆投下

>長崎でも広島でも、原爆を落としたアメリカは許せん、という意見があまりない事実を良く考えるべきでしょう。

原爆投下自体は許せません。
それでも多くの被爆者は、原爆を憎んで人を憎まずで生きてきただけです。

2014/08/07 (木) 11:41:23 | URL | 花萌木なみ #GUa5ypF. [ 編集 ]

花萌木さんへ

当時の軍部は一億総玉砕を国民に押し付けようとしていた現実から目を背けてはいけません。
原爆の投下がなければ徹底抗戦の姿勢は変わらなかったのです。
質問しますが、原爆よりも日本全土が絨毯爆撃を受けてから降伏を受け入れるべきだったのでしょうか?感傷論もいいですが、たまにはきちんとしたシュミレーションも必要です。

戦術論として早期解決の手法がアメリカにあったのかまで考えることです。

アメリカは人海戦術による日本占領は考えていませんでした。
反して、日本の軍部は日本本土そのものを浮沈戦艦として、徹底抗戦が主流だったのです。

ただ、二ヶ所に落とす必要があの短期間であったのか?という点には疑問はありますけどね。

「許されない」という言葉には、なんの抑止力もありません。

孫子の兵法に「戦わずして勝つことこそ、最高の兵法なり」とあります。
これこそ、抑止力の考えです。

2014/08/07 (木) 12:16:57 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

ドイツ空爆

申し訳ありません。第一次大戦のドイツ空爆は知っていましたが、人数的には少なかったように思っていました。何度かあったのですね。
私としては、一度の作戦による大量殺戮では1932年の上海が最初だという意味で書きました。
最初の空爆による民間人殺害とは書いていません。「空襲によって大量殺戮」と書きました。
しかし、今調べてみると何度かあったようですね。

私はあの戦争はもっと早く終わらせる事が出来たのではないか、原爆は回避することが出来たのではないかと思っていました。だからその点を色々調べてみて、その過程で戦争の本質を感じるようになりました。
米内海軍大臣、木戸幸一の言葉。「原子爆弾はある意味では天佑」呆れるしかありませんでした。

原爆、空襲に対して声を上げるとすれば米国政府に対してですが、国の上層部がこれではどうにもなりません。日本は米国の属国ですし。せめて国民は言うべきことは言わなくてはなりません。

>何というか「被害」と「加害」を相殺?差し引き

おっしゃるとおりだと思いますよ。
そのとおりなのです。巧妙です。


2014/08/07 (木) 12:31:43 | URL | hiyorigeta #/Gbb2fdw [ 編集 ]

米内、木戸の真意

彼らはなんとか被害が大きくならないうちに停戦にしたかった側だっはずです。
これに反して実権を握っていたのが、陸軍だったために、天皇に決断してもらうためには嘘ごまかし用の無い圧倒的な現実が必要とされたためです。
御前会議で権力を振るっていた東條英機にその責任があります。
近年、その評価を見直そうとする一部の動きがありますが、戦争を長引かせた責任から逃げることはできません。
遺族の方には悪いですが、彼の命令で散らした命の多さを考えたときに、その遺族の気持ちはどうするの?
と思わずにはいられません。

2014/08/07 (木) 12:57:29 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

2つの原爆

バルタンさんへ


あの時の日本には戦い続ける力は残っていなかったと思います。
既に秘密裏に和平交渉の道が模索されていました。
もちろんバルタンさんの言うように1億総玉砕を唱える軍部の人間も多かったし、少しでも日本に有利な条件に拘って降伏が遅れた可能性はあるので、バルタンさんの意見にも一理あります。
それでも原爆投下は本当に必要だったのですか?
私は、原爆投下はアメリカが新型爆弾を日本で実験したかっただけだと思います。
実際、アメリカ側にも投下に反対する人達はいましたし、アイゼンハワー将軍は対日戦にもはや原爆投下は不要とトルーマン大統領に進言しています。
それに広島にはウラン原爆、長崎にはプルトニウム原爆を投下しています。
私は長崎の被爆者の事しか知りませんが、戦後アメリカは長崎にいち早く入って、被爆者をモルモットにしました。
治療の為では無くデータ収集の為に原爆に焼かれた体で被爆者は協力させられました。
その事はデータを独り占めする為と日本人の反感を考えて、一切秘密にされたそうです。

原爆投下時、長崎は草木は100年生えないと言われたそうですが、直ぐに若葉が芽を吹きました。
でも子供の頃は雨が降ると、放射能を含んでいるから雨にあたるな、髪が抜けると言われました。
叔父たちは戦後東京に行きましたが、子供達が被爆者の子供だと分かれば就職や結婚に障るからと60歳を超えて初めて被爆手帳を取りました。
被爆者も他の戦争被害者も同じですが、ただ被爆者の場合は生き残っても、ずっと健康不安や風評被害を抱えています。

戦争はそれ自体が理不尽で残酷なものだし、日本が加害者である事も戦争に負けたことも充分分かっています。
被爆者が声を上げるのは、誰かを糾弾する為でも自分達の苦しみを訴える為でも無く、もう2度と原爆の火で生きながら焼かれる人達を見たくない、その為に思い出したくないあの日を伝えようとしています。

戦争早期終結のために必要だったと言われると、無理やり押し込めた感情が溢れる気がします。

2014/08/07 (木) 13:49:09 | URL | 花萌木なみ #GUa5ypF. [ 編集 ]

花萌木さんへ

私の妻の母方の実家は長崎です。
当然、あなたの言われているような点があったことも知っています。
けれども、二ヶ所の悲惨な現実が、その後の核戦争の歯止めとして重要な役割を果たしたことも事実です、
アウシュビッツで行われた悲惨な人体実権ですら、その後の医療技術の発展に一役買っています。
さらに遡れば、各種の拷問ですら、人命維持の限界を知るきっかけとなっています。

天意という考えが許されるなら、その命が後に続く人類全体の繁栄の捨て石として、平凡な死を迎える命よりも崇高な使命を帯びていたといえると思っています。
仏教的に考えるなら、人間の業を浄化するための輪廻転生を必要としない御霊になったと考えることもできます。
現象をどのように捉えるのかこそが、人間の聖心性を高めるのであり、恨みの心で評価をしていては到底解脱の道へはたどり着けません。

南無阿弥陀仏

2014/08/07 (木) 16:14:18 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

足したり引いたり

これはあちらこちらの議論を傍観して感じたことなのですが、「日本には責任があるんだから悲劇もやむなし」と差し引き勘定する「相殺論者(今勝手に名付けました)」の中には、例えば欧米諸国の責任や中国の政治的混乱、中国側の不法行為などに触れられると「それとこれとは話が別だろう!日本は加害者なんだ!」「言い逃れするつもりか!」と激高する方がいます。
「それとこれとは話が別」という点については、私としては概ね同意できるので別に構わないのですが、「日本はアジア諸国に迷惑をかけたのだから原爆を落とされても仕方ない」つまり「それとこれとはトータルで判断すべき」と語った舌の根も乾かぬうちに手の平を返されると、やはりいささか鼻白むものがあります。

どっちかに統一してよ〜(>_<;)
結局こういう人は「日本=悪」という結論ありきで物事を見ているのかな、と感じました。

様々な要因を複合的に考えてトータルパッケージで俯瞰する視点は歴史を理解するうえで必要だと思いますし、太平洋戦争において全体として日本のやり方に非が多かったこと、特に軍部の責任が重大であったことには異論はありません。

ただ、個々の被害を追悼するにあたって「日本軍の悪事の分引いとくから!」みたいな考え方にはやはり違和感が…。
原爆に関しては、国と国という問題を越えて、人間が人間におこなった行為として、二度と起こってはならない悲劇であったと思います。

2014/08/07 (木) 16:35:51 | URL | ののんた #- [ 編集 ]

ジャーナリズムへの批判

私個人の見方として、日本人の判断を狂わせたのは「ペンは剣よりも強し」と嘯きながら正しい情報を流さなかったエセインテリズムにあると思っています。
それは既に日露戦争から始まっています。
辛くも勝利という形こそ納めたものの、全面戦争の勝利とは違うにもかかわらず、あたかも全面戦争に勝利でもしたかのように報道し、過剰な賠償請求を国民に期待させ、政治家を貶めたことに始まります。
ジャーナリズムは、ビジネスに結び付く以上は、本質は風見鶏でしかないのです。

その風潮がもっとも良く現れるのがオリンピック報道です。

冷静に分析すれば勝ち目の低いものですら、応援の名の元に煽動しておきながら、期待した結果が得られないと自分達の偏重報道は棚上げして、責任転嫁の相手を見つけることに必死になります。
かような精神性の低さで、ジャーナリズムの公平さなど有るはずがないのです。

2014/08/07 (木) 16:42:23 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

原爆

恨みと言うより原爆投下自体を許せない気持ちですが、歯止めになっている事は分かります。
ただ、69年前の8月9日11時2分、長崎の上空で落とされた一発の原爆が奪った多くの命、心身に消えない傷を負った人たちの事を考えると投下を正当化する事は出来ません。

アメリカは戦勝国でその行為が裁かれる事はありませんでしたが、原爆投下は一般の人を一方的に虐殺した行為です。
日本が行った残虐な行為とどこが違うのか分かりません。

2014/08/07 (木) 18:59:40 | URL | 花萌木なみ #GUa5ypF. [ 編集 ]

バルタントモゾウさま

>その風潮がもっとも良く現れるのがオリンピック報道です。

思わぬところでフィギュアに話題が戻ってきましたね!
個人的には「目指せ金メダル!」等の”無責任な”報道に関しては、オリンピックというお祭りを盛り上げるためにちょっと「盛る」くらいはよいと思っているのですけれど…。
「ショートはとにかく見かけノーミス、フリーは2ミス以内に抑えて台乗り確保!」ではイマイチ盛り上がらない…(^_^;)

戦時のジャーナリズムに対するご批判には同意です。



>原爆の投下がなければ徹底抗戦の姿勢は変わらなかったのです。

本当に本当に、米軍は原子爆弾以外に日本を早期降伏に追い込む手段を持ってはいなかったのでしょうか?
日本軍がほとんど丸裸のような状態だったのはアメリカに筒抜けだったはずです。
日本も開発に着手していたという核兵器が完成したところで、バルタンさまも仰る通り投下する手段すら既にない状態だったことでしょう。刺し違えるどころか一矢を報いることすら困難な日本を恐れて戦争終結を急ぐ理由がアメリカにはなかったように思います。
「本土決戦、一億総玉砕」と息巻いたところで、悲愴なのは対空砲火も碌にない状態で竹槍片手に空襲を耐えなければならない日本の一般市民であって、アメリカがそれを是非にも避けたいと考えていたとは想像し難いのです。

ソ連の参戦も時間の問題だったと思われますし、日本がいずれ降伏するしかないのは客観的に見て明らかでした。アメリカには日本が白旗を揚げるのを待ちながら自国に有利な条件での降伏を誘うゆとりが充分にあったのではないかと思います。

単純に「新兵器を試したかった」だけとは思いませんが、日本との戦争においてどうしてもという必要に迫られたというわけではなく、終戦後の世界で主導権を握るために圧倒的な破壊力を示しておきたかったとか、国内世論に対して華々しい戦果が必要だった、あともちろん新兵器の威力を試したかったなど、何らかの思惑が働いていたと思わずにいられません。

2014/08/07 (木) 19:12:40 | URL | ののんた #- [ 編集 ]

それが戦争です

正当性などどの国にもありません。

だからこそ、一度始めたら勝つ必要があるのです。

遥かな古代より勝ったものが正義となるのが戦争です。

だからこそ、天皇の責任について触れずに相手国をとがめるのは理不尽なのです。

原爆で死んだものも銃撃戦で死んだものも、命は同じです。

戦時下において戦闘民、非戦闘民の区別等つけられるはずがないのです。

パルチザンのような非戦闘民を装ったゲリラ戦術やスパイ活動を見破る方が難しいのです。

理想論や建前論など吹き飛ぶからこそ、軍事力に頼ってはいけないのです。

2014/08/07 (木) 19:15:16 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

ののんたさんへ

アメリカは、極東の軍事力の再編を行い、スターリンを筆頭とする共産主義の蔓延を急ぐ必要があったからだと思います。
ソ連の日本参戦によって、ドイツのような二分割となることを避けたいために、単独で勝利する必要があったと言えます。
日ソ不可侵条約の破棄から、火事場泥棒のような利権の獲得を目指したソ連にたいして、戦後をにらんだ防波堤の役目を日本に考えていたと思えます。
それ以外にも、ののんたさんの挙げている理由も考えられます。
長期にわたる出兵は、兵の給与や、食費、燃料費と支出ばかりかさみます。
けれども、敗戦国からその費用が取り立てられなければ、結局は自国民の税に頼らざる得なくなります。

このときに一番怖いのが、ポーツマス条約の時のように、市民が暴徒化することです。

勝つことによって生活が向上する事が、市民が戦争への参加から来る不自由さを我慢するモチベーションとなります。
戦争に勝っても、生活が良くならなければ政情不安に繋がります。そういう面も含めて、アメリカ国内でも厭戦気分が高まりつつあったのかもしれません。

2014/08/08 (金) 06:57:01 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

バルタントモゾウさま

アメリカにはアメリカの都合があり、新たな脅威となるであろうソ連への牽制、戦後処理を自国に有利に運ぶ必要性、多額の費用を注ぎ込んだマンハッタン計画に何らかの成果を…と様々な思惑があったことは理解できるのです。大勢が決した以上は早々に戦争を終結させたい(これ以上粘ったところで「取り分」が増えるわけではない)と思っていたであろうことも想像できます。
巨額の予算をかけて開発した新兵器の使用を「人道」のためだけに断念することを期待するほど、アメリカの良心を買いかぶってはいません。実用化が終戦に間に合ってしまった以上、実際に投下される何ヶ月も前から、原爆投下は避けられないことだったでしょう。

それでもやはり、まずはウラン、二日おいてプルトニウム、人体への影響や破壊力を観察しやすいように人口・地形を吟味して、第一候補はここ、天気が悪かったらこっち、成果が分かりやすいように候補都市には数ヶ月前から空襲を控えて…という余裕たっぷりのことの運び方を考えると、「戦争を一刻も早く終結させるために止むに止まれず」というお題目はどうしても空々しく響き、紐に繋いだ獣を安全な場所からいたぶるのを見るような嫌悪感を覚えます。
それまで無人の砂漠での実験しかしていなかったとはいえ、あれを人の住む街に落とせばどのような事態が引き起こされるかは容易に予想できたはずです。予想できたからこそ「仮説の検証」を行いたかったのでしょうけれど。

バルタンさまは以前のコメントで「後の世に続く人類全体のために崇高な犠牲となったのだと考えることもできる」という意のことを仰っていましたよね?
であればこそ、生きている私達が「二度と繰り返されてはならない、許されない暴虐であった」と悼み続けることもまた必要だと思うのです。
恨んではいないつもりですが、「一体なぜ?」という怒りのようなものが心を去りません。

今日は八月九日ですね。
心から祈ります。

2014/08/09 (土) 00:35:55 | URL | ののんた #- [ 編集 ]

真珠湾は軍港であるが広島は軍事都市ではない

片割月さま

この詩を高く評価される片割月さまのお気持ちが理解出来ません(ある意味、良く理解出来るとも言えますが)。

>ヒロシマといえばパールハーバー
>ヒロシマといえば南京虐殺

パールハーバーは「軍港」です。軍港を奇襲したのは戦時国際法に照らして何の問題もありません(日本大使館のミスにより宣戦布告が遅れたという非は責められても仕方がありませんが)。対するヒロシマは「軍事都市」ではありません。それこそ「民間人」を大虐殺したとんでもない大殺戮であり、悪魔の所業です。神の眼から見ても許されることではありません。

南京虐殺と原爆投下を「同列」に語ることが出来る筈もありません。南京大虐殺が本当に行われた「真実」であるならば「ヒロシマといえば南京虐殺」、この表現に違和感はなく、私も納得出来ます。その通りだと思います。しかし南京虐殺はその「真偽」そのものが議論の対象となっている事例であり、そのような不確かな南京とヒロシマとを「同列」に扱うというのは、これはヒロシマで原爆被害に遭われた全ての方に対する「冒涜」以外の何物でもないと思います。

栗原貞子さんの「想い」は理解出来ます。しかしその事と「事実認識」とは本来全く別のものです。


2014/08/09 (土) 02:49:55 | URL | 新緑の里 #I0MP68Ho [ 編集 ]

ののんたさんへ

戦争とは、軍人同士の戦いという観念をお捨てください。

戦時下においては一般人も軍備の維持兵力という見方になります。
後方において食料、衣料、武器の生産供給の役割を担うのは民間人です。

一般人だから、民間人だから攻撃の標的になるのはおかしいという論理は通用しません。

敵兵力の維持につながるものは軍民の区別はないのです。

新たな兵力をうみだすのはその国の人口に比例します。
極論を言えば、前線の兵隊を撃滅するよりも、後方の一般人を撃滅するほうが、戦略効果は高いのは明白なのです。
中国では復讐される事を恐れて民族そのものが抹殺されるということも数多く起こっています。
世界の戦争の考え方はこの方が普通なのです。

その意味において、日本が降伏を表明しなかった以上は、どれほど文句を言ったところで攻撃手段の選択権は相手にあります。


爆撃を受けるにあたって、相手国から「この場所だけはやめてくれ」とか「この武器の使用だけはやめてくれ」
という論理が通用すると考えるのは平和ボケの証拠です。

食うか食われるかが戦争の本質です。


>それでもやはり、まずはウラン、二日おいてプルトニウム、人体への影響や破壊力を観察しやすいように人口・地形を吟味して、第一候補はここ、天気が悪かったらこっち、成果が分かりやすいように候補都市には数ヶ月前から空襲を控えて…という余裕たっぷりのことの運び方を考えると、<

効果を考えるなら東京が第一番目に選択されてもおかしくはありません。
けれども戦後の収拾を考えて選択されていません。

アメリカにはアメリカなりの人道的な筋は通しています。
被害者心理の筋は論理的ではありません。


>「戦争を一刻も早く終結させるために止むに止まれず」というお題目はどうしても空々しく響き、紐に繋いだ獣を安全な場所からいたぶるのを見るような嫌悪感を覚えます。 <

これも被害者心理にしか過ぎません。
軍事的に見るならば、非常に妥当な選択です。

>それまで無人の砂漠での実験しかしていなかったとはいえ、あれを人の住む街に落とせばどのような事態が引き起こされるかは容易に予想できたはずです。予想できたからこそ「仮説の検証」を行いたかったのでしょうけれど。 <

仮説は仮説でしかなく、実験で確かめようとするのは科学者の性です。
どれほどの影響力があるかは、試して見なければわからないという事実が、戦争終結後の有力な武器となりうるかどうかの実験的投入であったとしてもそれを責めることはできません。

枯葉剤などにしても、実践投入後に使用禁止が生まれます。

これは合法薬物の規制がいたちごっこなのと同じことです。

原爆投下前に原爆の使用禁止が国際条約になっていれば批判はできますが、戦時中に関しては批判すべき論理の筋を持ちません。

事後に散見された現象から出しか判断をされることがないのが、兵器の性質です。

本来ならば、ミッドウェーで負けた時点で降伏すべきなのです。

責めるべきは、原爆を使用したアメリカではなく、第一にはそこまで戦局を引っ張った軍上層部、内閣、天皇府にその責任があります。

この責任の追及を先にした後に、アメリカの戦術が妥当であったかどうかが問うことができます。


戦史に関しての検証には心情論は不要です。
自国の内情と相手国の内情とを検証し、手段として適正であったかどうかだけであり、日本が降伏に向けてアメリカと直接打診をしておらず、ソ連を介して模索していたという点ですでに誤りを犯しています。


表に出やすい事象だけをあげつらうのでは正しい歴史認識とはいえません。

「原爆は戦術兵器として使用すべきではない」というのと「広島・長崎に原爆を投下したのはいけない」というのは似て非なるものです。

>「後の世に続く人類全体のために崇高な犠牲となったのだと考えることもできる」という意のことを仰っていましたよね? <


これは長崎・広島への原爆投下を妥当性のないもの合理性のないものとするための言葉ではありません。

失われた命は取り戻せないから、その死に意味があったのだという諦めと納得をさせるための論理に過ぎません。


大東亜共栄圏という幻想を夢見て死んでいった兵士たちの残された家族にしても同じことが言えるのです。


「あの戦争は間違いだった」とするなら、「なら、私の息子の死はどんな意味があるのよ。間違った幻想のために死んだのか!!」となるのが遺族の心情です。

戦争における矛盾とは、どちらも自分に理があると思っていることです。

戦争への道を止められなかったという点では、当時の政治形態から一般人の意向を取り入れることは難しかったということはあるにしても、当時の日本人すべてに責任はあります。

そして、今、安部政権が、集団的自衛権という奇妙奇天烈な論理を持ち出して第二次大戦前の日本と同じような状況を作り出そうとしています。

これを認めるのならば、民間人もすべて攻撃の対象になる可能性があるということをきちんと腹にすえて議論をすべきなのです。

ごまかしの論理にだまされてはいけないのです。

2014/08/09 (土) 06:00:23 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

新緑の里さんへ

長崎、広島ともに当時も今も日本の造船業の中枢です。

ですから、認識としては軍事都市という見方をされてもおかしくはありません。

工業地帯は生産設備拠点であり、その後背地に住む住民は軍事産業関連者が大半を占める、という見方において準軍事都市であり、攻撃目標とされても理屈は通ります。

なお、戦術論は時勢とともに変わるものなので、このときはこの論理が通用したからといって別の時点でも通用するものではありません。

軍事評論はあくまでも敵の戦力を以下に叩き潰すかだけが主眼です。

それは新たな兵士を生み出す力を持つ一般人も同じです。

軍人の子供からしか軍人にはなれないという制限でもあるのであれば話しは別ですけどね。

2014/08/09 (土) 06:08:02 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

>そして、今、安部政権が、集団的自衛権という奇妙奇天烈な論理を持ち出して第二次大戦前の日本と同じような状況を作り出そうとしています。

>これを認めるのならば、民間人もすべて攻撃の対象になる可能性があるということをきちんと腹にすえて議論をすべきなのです。

私たちは歴史に学ばないのか。日本人は大丈夫なのか?どこまで平和ボケしちゃってるんだ。

ヒロシマという時、二度と戦争はしてはいけないと、決心を新たにする。
ナガサキという時、自分たちの手に委ねられている未来に、
きちんと責任を持って向き合わなければと、心に強く言い聞かせる。

戦争に人道的な戦争などない。本当にそう。

安倍政権の暴走を、止められない自分の無力さに、日々、焦りはありますが、
ヒロシマ、ナガサキと声に出して、戦争を遠い過去の出来事にしない。

自分に何が出来るのか、為すべきか、考える、8月はそんな月です。
決して、戦争をしない。させない。

2014/08/09 (土) 10:22:56 | URL | クロママ #zbXJIH6I [ 編集 ]

頭から尻尾まで心情論

>バルタントモゾウさま

原爆投下に至るまでにアメリカなりの思惑や妥当性、新兵器の実験的投入が避け得なかったことについては、前半「…原爆投下は避けられないことだったでしょう」の部分で述べたつもりでしたが、分かりにくいようでしたら申し訳ありません。この部分を書いたことで、余計に客観的感想と心情がこっちゃになってしまっていますね。

>戦史に関しての検証には心情論は不要です。<

この記事に関する私のコメントは、
「日本軍の非は非として、鎮魂の思いはまた別」というところからスタートし、一貫して検証ではなく心情面からコメントしているつもりでした。
心情論がハンバーグで、戦略論はパセリなのです(今回は)。

ですから「原爆は使われるべきではなかった」と私が述べた部分は、「広島・長崎に原爆を投下したのは戦略的に妥当ではなかった」という意味ではなく、「人道的観点から許されない」という安っぽいヒューマニズム、そして枯れ葉剤の例えで仰る通り、実戦投入されたからこそ言える結果論に過ぎません。
戦略的効果という点については、核兵器の圧倒的な破壊力は戦後のアメリカの軍事的優位を盤石のものにしましたし、「太平洋戦争終結のため」というよりもむしろ戦後世界の舵取りにおいて非常に有効であったと思います。

ですがこの追悼の季節、やはり「戦略的に妥当な手段であった」ということよりも、ただ痛ましさのみが胸に迫ります。
これは「心」の部分ですから、自分でもどうしようもない(笑)

「原爆についてどう思う?」と誰かに聞かれたとしたら、「アメリカ的には戦後を見据えた戦略として、また効率よく敵国に甚大な被害を与えるという意味でも妥当な手段だったよね」「戦争の本質を考えても核兵器の実戦投入は避けられなかったよね」という検証ではなく、「起こってはならないことだったよね」という心情を述べると思います。


>効果を考えるなら東京が第一番目に選択されてもおかしくはありません。
けれども戦後の収拾を考えて選択されていません。 <

本当に「戦争を終結させるために止むに止まれず」というのであれば、仰る通り本来東京もしくはその近辺、あるいは名古屋大阪などの大都市がが第一目標とされるはずでした。その方が明らかに戦略効果は高いと思われます。
それを「無傷の都市で」と選り好みしているところに、実験としての色合いが濃いことを感じるのです。

戦後の収拾に関しては統治する側としての打算もあり、単純に「人道的」と評することには疑問を感じます。

2014/08/09 (土) 12:37:36 | URL | ののんた #- [ 編集 ]

もうひとつ

>これは長崎・広島への原爆投下を妥当性のないもの合理性のないものとするための言葉ではありません。 <

イエ、そういう風に解釈したわけではないのです。
意味のある死だと思うことが犠牲者や遺族の慰めになると思うのなら、戦略の妥当性を検証して完結するのみではなく、再び使用されないために非難の声をあげることにも意味はあるとお考えにはならないですか?ということです。
別にバルタンさまに声をあげろと言っているわけではないですよ?
全員が全員「原爆使用は妥当」とスッキリ終了しなくてもいいんじゃないですか〜?ということです。

もちろん「全員が原爆使用は妥当と声を揃えるべし!心情論は一切不要!」というご主張でもよいのですけれど、「崇高な使命」「人間の業を浄化」という、なんというかちょっとロマンティックな表現をされたことがちょっと新鮮だったので。

本来第一に責められるべきは日本軍部であってアメリカの反省を云々するのは二の次、というのはとても正論なのですけれど、実際に第二次世界大戦後の核兵器使用に関してはアメリカが主導権を握っていますし、「再び核兵器を使用すべきではない」という訴えがアメリカをはじめとする国際社会に向かったことにはそれなりの必然性があったのではないでしょうか?
「大戦の反省」ではなく「再発防止」という観点からいえば、よりダイレクトで効率的な手法と思われます(日本政府は核兵器持ってないし)。

いずれにせよ、戦後69年に渡って再び核が戦略兵器として用いられなかった背景には、広島・長崎の惨状を訴え続けた努力も一助をなしているように思うのです。

2014/08/09 (土) 12:53:32 | URL | ののんた #- [ 編集 ]

ののんたさんへ

〉再び使用されないために非難の声をあげることにも意味はあるとお考えにはならないですか?〈
核反応(あえて原爆と限定しません)の兵器使用の是非でいうならば、それは非であることは言うまでもありません。

けれども、それは人道的立場からではなく、宇宙船地球号の全環境を損なう可能性が高いからです。

地球の命を失う可能性が高いからであり、人類という生物種の滅亡などは関係がありません。

感情論、心情論が悪いとまでは言いませんが、過去の歴史を紐解けば、戦争への道を後押しするのは、感情論や心情論の暴走が常にあるからです。

だからこそ、使用されたことの是非を問い、その責任をアメリカに求めるのは誤った道に誘いかねないから、「そこは論理の筋ではないでしょう。」と否定するのです。

人柱となった命を無意味なものとしないために、核兵器の使用の反対を唱えることと、アメリカの原爆使用の是非を同列で語るのは、間違った論理展開でしかないというということです。

それは、心情論や感情論を利用しようとする者の手に陥ることになります。

その危うさに気づけない人が多いからこそ、過ぎた出来事を現在の価値観だけで判断して論じてはならないのです。

この点に関しては、新緑の里さんが触れている、当時の価値観を踏まえて、その是非について考えることは必要です。

2014/08/09 (土) 16:34:41 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

バルタントモゾウさま

>人柱となった命を無意味なものとしないために、核兵器の使用の反対を唱えることと、アメリカの原爆使用の是非を同列で語るのは、間違った論理展開でしかないというということです。<

同一に語ってしまっているでしょうか…。
自分では「それはそれ、これはこれ」と考えているのですが。その双方が意味を持つと思っています。

日本人として太平洋戦争を客観的に評価し、その是非を問うには加害者としての視点が不可欠だと思います。
無謀な開戦に踏み切り、不利な情報は隠匿し、無計画に戦線を拡大して前線に無理を強い、時代遅れの人権意識で捕虜を取り扱い…といった様々な非道には、戦争を遂行する主体であった軍上層部の思惑が大きく関わっています。
どういう動機で、どれだけの勝算があって、どんな思惑でそれぞれの選択が為されたのかは、被害者に寄り添う視点からは見えてきません。

一方被害者としての視点で戦争を見ることは、殺し合いという戦争の本質を見ることだと思います。
勝とうと負けようと悲惨な犠牲(自国他国問わず)を生じることは、感情論を排除しようとしても避けて通れない現実です。

「戦争を考える」にあたってはその両方の視点があってよいと思うのですけれど(同一に語るということではなく)、いかがでしょうか?

2014/08/09 (土) 23:47:35 | URL | ののんた #- [ 編集 ]

ののんたさんへ

力による解決を望むある種の人間がいる以上、人道的立場による見方は実効性という点で意味をなしません。

自爆テロに走ったりする相手には、説得力を持たないのが現実です。

身も蓋もない言い方をすれば、現状にさほどの不満を持たないものは変革を求めないので力による変革を否定します。

現状にやりきれないほどの閉塞感や絶望感を感じるものは最後の手段として力に頼ります。

それはどれ程言葉を尽くしても、自らの立場の理解と社会的地位の保証がないことから生まれます。

目的達成のためには手段を選ばない相手に対しては、圧倒的な力の保持を示さなければならないときもあります。

イスラエル、パレスチナ問題やナチス対ユダヤ問題など、日本人の感覚では到底理解できない部分もあります。
加害者、被害者という視点では、常に意識してはいないつもりでも怨みの感情が入り込み正しい判断を下せません。

原爆投下に関しても、アメリカとしては正当性ではなく、妥当性を主張しているはずです。

2014/08/10 (日) 00:40:29 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

帝国第2総軍

「広島県史(近代Ⅱ)「原爆と敗戦」

「中国地区司令部の強い要請により、中国地方総監および広島県知事は8月3日から連日義勇隊約3万人、学徒隊1万5000人の出動を命令した。」

という事のようです。

原爆で帝国第2総軍は壊滅状態となります。

ミッドウェー海戦での「さあ、どうぞ」と言わんばかりの作戦と何か通じるものがあるような気がするのは考え過ぎでしょうか?

原子力産業は「ロスチャイルドの利権」ですね。フランスのアンリ・ロスチャイルド(ネイサン・ロスチャイルドの曾孫)は早くからキュリー夫人のパトロンとなっています。「マンハッタン計画」を立てたのはイギリスのヴィクター・ロスチャイルド。

金融も産業も政治も、メディアも芸術界も支配している勢力ですから、どうにもなりません。

2014/08/10 (日) 12:07:37 | URL | hiyorigeta #/Gbb2fdw [ 編集 ]

ポツダム宣言までの流れ

詳細はウィキペディアで解りやすくまとめられていると思います。
原爆投下の意思決定の経過や他の手段の検討もされていたことも、割りと片寄りなく記述されていると思います。

あわせて、アメリカの戦術的誤算も読むといいと思います。

ミッドウェイ海戦
1942.6.5
カサブランカ会談
1943.1月
カイロ宣言
1943.11.17ヤルタ会談
1945.2月
ポツダム宣言
1945.7.26

原爆投下にいたるまでに、三年の猶予はあったのです。

中国での陸軍が優勢に戦っていたことが、陸軍の増長を招き、停戦の機会を逸したのです。

2014/08/10 (日) 13:00:12 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

バルタントモゾウさま

バルタンさま、こんばんはm(_ _)m

>加害者、被害者という視点では、常に意識してはいないつもりでも怨みの感情が入り込み正しい判断を下せません。<

ちょっと話が飛んでしまうのですが、いただいたコメントを拝読して、日本の集団的自衛権について韓国が非難決議を出したというニュースを思い出しました。

日本と韓国は確かに未解決の問題を抱えてはいますが、現在の実情をみれば米国を中心とした同盟関係にあります。冷え込んだとはいえ経済的にも密接なつながりがあり、過去は過去、感情は感情として共存共栄を図るべき関係にあります。

休戦中とはいえ一応北朝鮮と軍事的に対立している韓国にとって、日本が集団的自衛権を持つことは北朝鮮に対する抑止力として働くと思うのです(日本にとっての是非はとりあえず置いておいて)。
北朝鮮が韓国に本格的な攻撃を加えた時に、必要があれば日本が援護できるということでしょう?

北朝鮮が攻撃してこない確信があるのか、地勢的に無視することのできない中国に対する追従か、本気で今の日本が戦前の拡大主義を捨てておらず韓国侵略を狙っていると思っているのか、今後日本と敵対することを具体的に想定しているのか、はたまた共産主義に転換して日米と対立する道を模索してたり…?(最後のはいくらなんでもないでしょうが)

中国は日米とは対立する立ち位置にありますから、中国が日米の同盟強化を警戒するのは首尾一貫していて理解できるのです。韓国の反応はちょっと予想の上でした。ネット上での反発は当然あると思っていましたが(だって日本が何しようと悪口言うんだもん)、国会で決議とは…。
これが具体的な国益を考えてのものではなく感情的な理由によるのであれば、仰る通り恨みの意識というものは度し難いものです。

2014/08/11 (月) 22:26:09 | URL | ののんた #- [ 編集 ]

ののんたさんや他の方々へ

第二次大戦を考えるときに、それまでの流れも抑えておく必要があります。
参考となるブログを紹介しておきます。

http://kamurai.itspy.com/nobunaga/genbaku.htm

原爆投下の理由

個人的には最後の一文は感心しません。

>ただ、1つだけ確実に言えることは・・・
「原爆投下により、数十万人の罪のない一般市民が、一方的に攻撃(投稿の為言葉を変えています)された事」<

では、一般市民ではなく軍人同士の戦いなら問題がないといえるのか?

この問題を論議するときに、常に違和感を抱くのは、軍人の命と一般人の命との重さに差をつけて考えているような気がするからです。

軍人は軍人として自国の権利と自国民の安全とを守るために命を懸けて戦うのですから、彼らの命にしても一般人とその重みは変わらないはずです。
なのに常に「一般人の犠牲としては最大」であることを理由に非人道的だという論理の展開には疑問を抱かずに要られません。

「一般人は直接相手を攻撃していないから攻撃目標から除外すべきだ」というのはあくまでも紳士協定であり、実際には一般人も有形無形の形で戦争との関与を避けることはできません。

したがって、「一般人だから」というのは戦争の本質を理解していない人の言葉でしかないと考えます。


>それが史上最大規模の非人道的な行いであったことは、確かですね。<

他人の命を奪うことは、たとえ戦争という国の命令であったとしても、本質は他人の命や財産を奪う事であり、非人道なものでしかないということです。

一人なら許されて100人なら非人道といわれるのでしょうか?

現実には戦争の場合はその逆です。

戦争の英雄となるのは、どれだけ多くの敵を倒し、敵の武器を壊したかによるのです。

第一次大戦の空中戦の時代ならまだ理解ができます。

当時は撃墜されても生存確率が高かったからです。

そして今と違い個人の技量に頼る部分が多かったからです。

その意味で第二次大戦から戦争の本質自体が個人の技量に頼らず大量破壊、大量殺戮へとはっきりと変化をしたといえるのです。

2014/08/12 (火) 04:44:49 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

続き

元NHK放送記者、フリージャーナリストの秋山久さんのHPは非常に参考になるものが多いので、紹介しておきます。

ネットジャーナルQ

第31回 日米比較「原爆投下」「真珠湾攻撃」の是非(2000.7.7転記)

非常に面白いデーターがあるのでぜひ読んでほしい記事です。


ののんたさんへ

韓国の動向に関しては、30年前では考えられない反応を示すことが最近多いと思います。

大きな原因としては韓国の教育自体が、自らの立場を完全に勧善懲悪で善として教え込んだ結果だと思います。

日本に追いつき追い越せとして、日本から技術を導入していた時期では考えられないことです。

とはいえ、日本人も同じような道をたどってきています。

欧米に追いつき追い越せでがんばり、自信がついて戦争へと突き進んだ。

韓国ではあまり労働争議の話題を聞きません。

今回のセウォル号事件にその部分のひずみを感じます。

1990年代にバブルがはじけて、日本人としてのアイデンティティを考え直す時期が来た様に、韓国も早晩同じようになると思います。

北朝鮮と韓国が協力できるようになったときに初めて朝鮮半島での第二次大戦の総括が可能となると思っています。

現時点ではどの国もお互いに、相手憎しの感情が表に出すぎているように思います。

できることならば検証可能な当時の生き証人が生存しているうちにそういう調査に手がつけられればいいのですけどね。

2014/08/12 (火) 04:50:09 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

暫定委員会

http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Interim%20Committee1945_6_1.htm

暫定委員会(完成しつつある新型爆弾についての会議)が、1945年6月1日の会議で、日本に対して原発の軍事使用を決定したという事は読んだことがありますが、インターネットでその議事録の翻訳を読むことが出来て驚いています。

「原爆投下は予告されていた!―第五航空情報連隊情報室勤務者の記録 単行本 – 1992/7/1」黒木雄司著

私は暫定委員会の会議の内容は極秘のものだと思っていました。日本の最上層部は知っていたかもしれないけれど。早速、この本を注文しました。
著者の黒木氏は、中国南部にあった第五航空情報連隊の本部情報室に勤務。連隊では敵機の行動を監視するとともに、中国・重慶放送と、インド・ニューデリー放送を傍受。ニューデリー放送は、ロンドンのBBCを中継した内容で、原爆開発、投下の情報も伝えていた、との事。

2014/08/12 (火) 15:16:55 | URL | hiyorigeta #/Gbb2fdw [ 編集 ]

ニューディリー放送

本が届き少し読みました。驚きの内容。
著者の黒木さんはニューディリー放送はインドのニューディリーではなく、米軍の情報センターの中、あるいは米軍司令部内に独自に存在していた放送局ではないかと後で気が付いたようです。とても上手い日本語の放送だったそうです。
6月2日の日本への原爆投下決定の放送を聞いた後、隊長が「原爆とは何か」とK少尉に尋ねると即座に説明をされたそうです。士官学校の化学の授業で知っていたとの事。日本では昭和17年陸軍第8技術研究所で「に号研究」と言う名で原爆研究を始めたと言っています。(理研の「仁科研究室」と関係があるのか?)黒木さんはこの時22歳くらいでK少尉も少し年上程度だったようです。日本の最上層部だけが知っていたわけではなかったのですね。士官学校出なら当然なのかも。
また、6月25日には「米国下院予算委員会にて、ソビエト連邦に対する武器貸与を従来通り継続すると言明」という放送もあります。黒木さんはドイツは南北から米国の武器にやられたようなものだと、この時思ったようです。
3交代制の勤務の一人はまだ13歳くらいの少年兵。少年兵というのは話には聞いていたけれど、こんな重要な任務についていたなんて。

2014/08/14 (木) 00:34:32 | URL | hiyorigeta #/Gbb2fdw [ 編集 ]

死んだ女の子

ヒロシマを題材とした文学作品は数え切れないほどありますが、山岸凉子の『夏の寓話』によって初めて知った、トルコの詩人ナームズ・ヒクメット(1902~1963)による「死んだ女の子」がもっとも印象的でした。飯塚広氏による訳詞がもっとも膾炙されているようですが、ここは有志がトルコ語原詩から直訳した詩を挙げます。「広島」を別の地名に変えても伝わる本物の剛さがあるように感じられます。


戸を叩いているのは 私です
戸を 一つずつ 一つずつ
貴方の目に 私は見えません
目には見えないのです 死んだ人達は

広島で死んでから
過ぎたのは ちょうど10年程です
私は7歳の娘です
大きくならないのです 死んだ子供達は

髪に火が点きました 初めに
目が燃えました 焼き焦がされました
私は一握りの灰になってしまいました
灰になった私は 宙に吹き散らされました

私は貴方から自分の為に
何一つ欲しい物はありません
お菓子だって食べられないんですから
紙のように燃えた子供は

叩いています 貴方の戸を
おばさん おじさん 署名して
子供達が殺されませんように
銘々お菓子も食べられますように

2014/08/14 (木) 21:39:46 | URL | TAO #R6DZAwZw [ 編集 ]

ニューディリー放送

黒木氏の本での「長崎原爆予告」についての記述が問題のようですね。2度目の原爆投下は最初は11日の予定で小倉。天候の影響で急遽9日に変更。小倉では投下予定の兵器工場が煙で目視出来なかった他の理由により長崎に変更となったと言われていますので。
事前にビラが撒かれたという情報もありますが、一般の人がそれを見たとしても意味を理解することは出来なかったでしょう。
7月28日には米海軍諜報部のザガリアス大佐により中波による警告の放送はされたようです。(日本の沿岸に中継船を接近させて発せられた)しかし、当時NHKしか聞いていない日本国民で聞いた人はいないでしょう。戦時中の情報については白洲次郎に関する本を読んでいた時、帝国水産の有馬社長の日記に「白洲はどこで空襲があるとか、ドイツの状況について良く知っている。」という記述がありましたので、日本の上層部はかなりの事は分かっていたと思います。

2014/08/17 (日) 14:32:48 | URL | hiyorigeta #/Gbb2fdw [ 編集 ]

トルーマンと原爆

http://www.inaco.co.jp/isaac/kanren/04.htm

このサイトが結構参考になりました。
原爆投下の目的についても考察されています。

私は、ずばり「ロスチャイルドの利権」だったと思いますが。その後原子力産業がどうなっていったかを見れば一目瞭然ではないかと。

2014/08/17 (日) 14:39:32 | URL | hiyorigeta #/Gbb2fdw [ 編集 ]

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片割月

Author:片割月
和歌を愛し、音楽を愛し、花を愛し、神仏を尊び、フィギュアスケートが大好きで、歴史・社会・文学が大好きで、ジョン・レノン、八代亜紀、ちあきなおみが大好きで、クリント・イーストウッドと映画も好きで、皮肉とユーモアも好きな変わり者熟女(四十路半ばを過ぎた)ですが、よろしくお願いします。

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