以前に取り上げた「木綿のハンカチーフ」も筒美京平さんの作曲でしたね。こちらはまさしく青春歌謡という感じですが、今回取り上げる
「たそがれマイ・ラブ」は、それとはうってかわって大人の女性の歌謡曲です。
最初はけだるく、しんみりと、物憂い感じで始まり、サビになると感情が徐々に高ぶって行く構成でなかなか味わい深い曲になっていると思います。マイナーコードで半音階も使われ、音痴の私にはとても手が出ない歌です。
大橋純子さんの歌唱力・声質を生かした歌ですよね。歌詞もオシャレです。
ワインやカクテルで少し酔って、グラスを見つめながら聴くのによい。
私は大橋純子さんの歌は好きです。以前に勤めていた会社で、カラオケでこの歌を素晴らしく上手に歌った女子社員がいましてね、それで私も興味を持ったのです。
この曲以外では、「サファリ・ナイト」が好きです。これは筒美さんの作曲ではありませんが。
歌い手の歌唱力・声質、風貌、キャラクター、年齢等に合わせて最良の曲を作る…これこそ一流のプロの職人技なのでしょう。しかも、多くの曲をヒットさせるというのは凄いです。
欧米のポップスを巧みに日本の歌謡界に取り入れた筒美さんの功績は大きいですね。
筒美京平さん。合掌。
アレッ?あんまり明るい話題じゃなかったかな?
大橋純子さんの素敵な歌に免じて、ここは。。。(^_^;)
2020.10.23 |
| コメント(10) | トラックバック(0) | 音楽
映画音楽の巨匠、イタリアのエンニオ・モリコーネさんが亡くなられました。
91才の天寿を全うされました。
モリコーネさんの名曲といえば、ニューシネマパラダイスの「愛のテーマ」の人気が高いようです。
私はこうしたクラシックな味付けの曲よりも、初期のシンプルなマカロニ・ウェスタンものの方が好きです。
「続・夕陽のガンマン」
私はクリント・イーストウッドさんが好きなので、本来なら好みではないマカロニ・ウェスタンでも彼の主演のものは見ました。やはり、カッコいいです。
特に、「続・夕陽のガンマン」はコミカルなタッチなので、残酷な殺しのシーンが売りもののマカロニ・ウェスタンでも見ていて救われます。
当時、イタリアで製作されるマカロニ・ウェスタンではやたらと暴力シーンを流し続けたり、おしゃべりが多かったのを、イーストウッドさんが監督に意見具申をし、
暴力シーンや決闘シーンはそんなに多くやらず、セリフも減らし、ストーリー性を高めるようにしたそうです。
これも功を奏し、彼の主演した映画が次々とヒットしたそうです。
彼も偉いのですが、彼の意見を取り入れたイタリアの監督や制作会社も偉かったと思います。
もちろん、モリコーネさんの音楽もカッコ良かった。
「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」「続・夕陽のガンマン」と3作続いたヒットにより、
イーストウッドさんもモリコーネさんも世界的な存在になったのですね。
2020.07.06 |
| コメント(5) | トラックバック(0) | 音楽
●「竹田の子守唄」
歌詞から分かるように、実は、これは「眠らせ唄」としての「子守唄」ではなく、「守子の唄」である点が実に面白い。守子とは子守りをする子供のこと。有名なドラマ「おしん」の中で、おしんが子供の頃に、「子守り奉公」していたシーンを思い出します。
子守り奉公する子供の辛い心情が、切なくも美しいメロディと歌詞から伝わって来ます。
ウィキ等で調べれば分かりますが、この歌には複雑な背景や履歴があり、かつては「放送禁止歌」のような扱いを受けていたとか。しかし、名曲というのはそうした毀誉褒貶の荒波を乗り越えて歌い継がれて行くものなのでしょう。
「赤い鳥」というグループによって美しくアレンジされ、見事な歌唱力で歌われたことも大きいと思います。
「竹田の子守唄」は多くの歌手に歌われていますが、やはり、「赤い鳥」にとどめを刺す。
何より、ソロを歌う女性の美しい歌声に私は魅了されます。
上手いなあ、この女性歌手。名前を知りませんが。。。
そして、絶妙なアレンジとバックコーラスのクオリティの高さ!
フォークソングを歌うグループって、どこか素人っぽくて、歌も演奏もあまり。。。という偏見を私は抱いていますが、「赤い鳥」はちょっと違いましたね。
聴けば聴くほど、歌えば歌うほど、泣けてくる曲です。
日本の原風景を感じさせるような郷愁と純朴な味わい。
それらが胸にしみじみ迫って来ます。
日本にも「五木の子守唄」など、子守唄の名曲はいくつもありますが、
私は「赤い鳥」によって歌われる「竹田の子守唄」が大好きです。
☆
「赤い鳥」のメンバーは、「竹田の子守唄」の背景を全く知らず(又は調べず)、単に大分県の竹田で歌われていた子守唄、くらいに思っていたそうですが、フォークを歌うグループにしては、何ともナイーブなお話です。
2020.06.13 |
| コメント(6) | トラックバック(0) | 音楽
●ショパン対シューマン
ちょうど歌曲におけるシューベルト対シューマンと同じ現象です。
もう、ショパンの圧勝でしょう。その人気度において。
ショパンのピアノ曲なら、フィギュアスケートでよく使用される「バラード」「ノクターン」「別れの曲」「幻想即興曲」をはじめとして、「革命エチュード」「雨だれ」「英雄ポロネーズ」等、知っている曲はたちまち一ダースくらいになるでしょう。
(メロディーメイカーのショパンに何故か歌曲の名作が無く、メロディメイカーでは無いシューマンに歌曲の名作が多いというのは不思議な現象です)
ところが、シューマンのピアノ曲でよく知られた曲がどれくらいあるでしょう?
せいぜい、「トロイメライ」くらいではないでしょうか。
その名は日本人でも知らない人はいないくらい有名なのに、曲となるとこれほど不遇な作曲家も珍しいのでは?
私もシューマンのピアノ曲を素晴らしいと思うようになったのはごく最近です。それまでは歌曲や交響曲ばかり聴いていました。シューマンのピアノ曲は、聴くのを躊躇いたくなるような何かがありました。
シューベルトもショパンも一度聴いただけで忘れられない美しい旋律をたくさん作りました。しかし、シューマンは一度聴いただけではなかなか曲の「輪郭」がつかみ難いんですね。
これもシューマンが敬遠される原因の一つかもしれません。
ショパンのピアノ曲には華がありますが、シューマンはやや地味です。
ショパンの音楽は色彩鮮やかですが、シューマンの音楽には色彩がありません。くすんだ墨かセピア色。
書道に例えれば、ショパンは楷書で、シューマンは崩し字の草書でしょうか。
ショパンは器用でシューマンは不器用。
●シューマンは不器用だからこそ、ひたむきに誠実で、音楽に深い味わいがあるのかもしれない。
①島崎藤村の詩集「梅花集」とシューマン
「梅花集」の詩の中に、こういうのがあります。
…………
吾胸の底のここには
言ひがたき秘密(ひめごと)住めり
身をあげて活ける牲(にへ)とは
君ならで誰かしらまし
…………
「吾胸の底のここには言ひがたき秘密住めり」…これを言葉で表現するのは不可能に近いですが、音楽には可能です。シューマンはそれを成した音楽家の一人だったのではないでしょうか。
②夏目漱石の小説
「三四郎」「それから」「こころ」「行人」「明暗」…漱石は不器用な小説家だったと思います。
ストーリーに無理や不自然さがある上に、女性を描くのが上手く無かった。とくに、「こころ」はそれが酷くて、一人の老人が知り合ったばかりの若い人に長い遺言書を残して自殺などするでしょうか?「こころ」に登場する母娘のノー天気ぶりは救いがたいものがあります。それにもかかわらず読む人に感銘を与えるのはどうしてでしょう?
そこには夏目漱石の人生に対する絶対的な誠実さ・真面目さがあるからではないでしょうか。
逆に言うと、ショパンはすぐに好きになれますが、「もっと楽想が豊かに広がらないものか?」「もっと楽想が深まらないか?」と、少々物足りなく思うことがあります。音楽が一定の枠の中にとどまり、そこから踏み越えようとはしない「行儀の良さ」みたいなものを感じることがあります。
メロディが無類に美しくても、「吾胸の底」には触れて来ないのです。
●私が強く推す名曲です。シューマン作曲:ピアノ幻想曲ハ長調
→こちらです
せめて、第一楽章だけでも10回聴けば、きっと、「吾胸の底」が聴こえて来ます。
特に、この動画の1分32秒~の情念豊かな音楽、2分15秒~の瞑想的な音楽、3分30秒~の激しい音楽。
さらには、5分5秒~6分30秒のドラマティックな盛り上がり。
これらからは、シューマンの「言ひがたき秘密」の声が聴こえて来るようです。
●参考
奥泉光著「シューマンの指」(講談社文庫)
いわゆるどんでん返しの妙を味わうミステリーですが、全編これ作者のシューマン愛(特にピアノ曲)に満ち溢れています。私がシューマンのピアノ曲を聴くきっかけになった小説です。
シューマン好きでなくとも楽しめる一冊です。
2019.09.06 |
| コメント(1) | トラックバック(0) | 音楽
このワルツを聴いたことが無いと言う人はいないでしょう。
演奏時間は2分足らず。曲想が明るく軽やかなので、それこそ軽く聞き流されてしまうような曲です。
明るく、華やかで、快い音楽。
しかし、耳を傾けて聴くと…特に曲の中間部で…そこに陰影を感じないでしょうか?
シュトラウスのウィンナワルツ(美しく青きドナウ等)もそうですが、ワルツには明るさの中に哀愁があります。
そもそも、ショパンの音楽にはそういうものが珍しくありません。
ただ、私は最近、この曲に感傷的な哀愁とは違う、寂寥感が漂っているのを聴き取るのです。
人生には悦びもあれば寂しさもあります。それは両輪です。
小犬のワルツには、単に明るく快い曲として聞き流すにはもったいない何かがある。
A-B-Aの単純な形式の曲ですが、Bの所を良く聴いて欲しいです。
私はショパンを特に好きな音楽とは思っていませんが、
小犬のワルツには何か、捨てがたい不思議な味わいがあると思います。
もしかすると、ショパンはこのワルツを必ずしも「楽しい気持ち」で作曲していなかったのかもしれません。
楽しそうにみえて、実は悦びが無い、というような。
ブーニンの演奏のように、少し遅めのテンポが私には丁度良いです。
あまりに速いスピードで演奏されるとこの曲の持つ「寂寥感」が聴き取れなくなります。
☆
最近知ったことなのですが、
小犬のワルツはショパンの若い頃の作曲と思いこんでいました。
曲が曲ですから。
ところが、これはショパンの晩年、37歳頃に作曲されたと知り、驚きました。
ショパンは晩年近くになると、ちょっと手の込んだ複雑な曲が目立つようになっていたからです。
晩年に作曲されたことが、私が感じ取る「寂寥感」と関係があるかどうかは何とも言えませんが。
2019.08.02 |
| コメント(0) | トラックバック(0) | 音楽
« | ホーム |
»