「言葉」「表現」のアレコレ:愚見を少々
「見た目は女性だが、心は男性」 女性職員に不適切発言 兵庫県教育長が謝罪(5/21読売テレビ)
兵庫県の教育長が女性職員について、「心は男性」などと不適切な発言をし、謝罪していたことがわかった。
(引用開始)…兵庫県教育委員会によると、西上三鶴教育長は先週、尼崎市で開かれた小学校長会総会で来賓のあいさつに立った際、教育委員会の課長職に就いた女性職員について、「見た目は女性だが、心は男性」という趣旨の発言をした。
その後、出席者から「セクハラではないか」などと批判する声が上がり、西上教育長は後日、女性職員と校長会の幹部に謝罪したという。西上教育長は「能力や魅力を伝える意図だったが、表現が不適切だった。真摯※に反省している」などと話しているという(引用終わり)。
私はセクハラではないと思います。性的いじめ、嫌がらせ、暴言とは違います。西上教育長は、「誉め言葉」のつもりで言ったのだと思うからです。
今回のケースは男女の性差を強調し、固定化する発言として問題なのです。
これがプライベートな場で気軽に言ったくらいなら大目に見られるかもしれませんが、公的な場では問題になります。それにしても、仮にも教育長という立場にある人が、こんな程度の認識で務まるのでしょうか?
悪気は無かった、善意だった、誉めたつもりだった…差別や偏見の恐ろしさは、本人にそのつもりが無くても、いつのまにか口に出してしまう点にあります。意識下にある価値観が露呈してしまうのでしょう。
■男女の性差を強調し、固定化させる言葉の例。
男勝り、女だてらに、紅一点、良妻賢母、未亡人、男のくせに、女のくせに。。。
これらは差別語なのか、不適切語なのか、問題無いのか、言葉狩りなのか、人により意見は様々あるでしょう。しかし、男女の性差を強調し、固定化する表現は公の場では避けられるようになりつつあります。少なくとも、責任の重い立場にある人や、社会的に影響力の大きい立場にある人は避けるべきでしょうね。
私も職場で、ウジウジした男性社員に対し、「女々しい奴」と言い出しかねません(^_^;)
●「めんどくさい世の中になったなあ」と嘆く、男性のボヤキをどう思う?
その気持ち、分からなくも無いです。やれ差別だ不適切だとウルサク言われることもなく、言いたい放題言えた、「古き良き時代?」を懐かしむ気持ちもあるんでしょう。
たまに古いテレビドラマを動画で見ますと、「このキチガイめ!」「オマエはツンボか!」等の、相手を罵倒する言葉で出て来ます。しかし、現在ではドラマだけでなく、私達の日常においても、こうした罵倒は言わないし、言えなくて「めんどくさい世の中だ」とも思わないでしょう。
最初はめんどうと思っても、慣れれば水や空気みたいになるものです。
※
「真摯に」という表現は、安倍首相や問題を追求された政治家や官僚がやたらと、「真摯に受け止め」「真摯に取り組む」などと言うものですから、随分と安っぽい言葉に下落しました。今や、「真摯に」は、「いい加減に」「おざなりに」という意味に転化してしまったかのようです。「粛々と」も同様です。
■同じく、古い邦画やテレビドラマで使われた言葉使い、表現から面白い例を。
「頼まれちまったのよ」…これは裕福な東京の成城地区に住む女性医師のセリフ。下町ではありません。1970年代の東京の女性で、「頼まれちまった」という言い方をする女性がいたんですね。私は聞いたことがありません。くだけた言い方では、「頼まれちゃった」が普通でしょう。「ちまった」は私の耳には「ちゃった」よりも伝法に聞えます。
「お上んなさいまし」…丁寧な言い方としては現在では、「お上り下さい」「お上り下さいませ」かな。
「およしなさい」「お上んなさい」という言い方は素敵だと思いますが、死語になりつつまります。
丁寧の助動詞「ます」の命令形の「ませ」と「まし」…子供の頃、「まし」という言い方をする女性がいたのを覚えていますが、今では死語になりつつありますね。
確か、映画「男はつらいよ」のおばちゃんが、店先で「寄ってらっしゃいまし」と言っていたと記憶しています。「ませ」ほどにはヨソヨソしさがなく、親しみを感じる言葉に感じます。接客用語としては、「いらっしゃいませ」が全国制覇をなし、「いらっしゃいまし」は絶滅しました。
■誤った語法を垂れ流すメディア。
例えば、…「文大統領が責任持ち対応すべき」 徴用工問題で河野外相…とあります。この「〇〇すべき」という見出しがよく目につきます。
「べき」は「義務」を意味する助動詞「べし」の連体形ですので、正しくは「対応すべし」とするか、「対応すべきだ」としなければなりません。「べし」は如何にも古臭いので「べきだ」の方が妥当でしょう。メディアはたった一文字の字数を省いていますが、その結果、誤った言い方を垂れ流すことになるのは問題です。
もう一つの例…「改憲ありき」…のように、「〇〇ありき」の表記もよく目につきます。
これも明らかに誤りです。「き」は過去を表す助動詞ですので、「改憲ありき」は「改憲があった」という意味になります。ここでは、「初めに改憲ありき」とするのが正しいですね。
これは旧約聖書の、「初めに言葉ありき」の応用から、「初めに結論ありき」の言い方が定着し、それが、「改憲ありき」のように安易で誤った例が流行り出したものと思います。これも「初めに」の三文字を省略したのでしょう。
大した問題ではないかもしれませんが、毎回毎回見せられると目障りになって来ます。
三つ目の例…「佐藤さんの料理への思いが伝わって来ます」…のように、「〇〇さんの思いが伝わる」「思いがこもっている」とか、やたらと「思いが」「思いが」が頻出します。以前は、「〇〇さんの料理へのこだわり」のように、「こだわり」がやたらと使われましたが、こちらがやや衰退するの反比例して「思い」が大流行しています。
「料理への思い」という表現には、何にも内容がありません。意味不明なのです。ただ曖昧で情緒的な雰囲気だけの言葉です。「より美味しい料理をできるだけ安く、という思い」と言えばわかります。
日本語の「思う」「思い」は、「すみません」と同じくらい便利で使いやすい言葉です。日常で頻繁に使われる言葉です。しかし、情報を正確に具体的に伝える役割を持つメディアがこんな安易でいい加減な言い方を何の反省も無く垂れ流すことに、私は少々腹が立って来ます。
ビジネスの場でも、「思い」などと言えば、「何?具体的に言え!」と叱られます。
国会の答弁で、麻生副総理がかつて首相の時、「踏襲」をフシュウと読み、安倍首相が、「云々」をデンデンと読んだことをメディアには笑う資格があるのでしょうか?
2019.05.24 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 戯けたライフ