どっちらけ
河村・名古屋市長:南京事件否定発言 「誤解招いた」--釈明会見・一問一答 /愛知
毎日新聞 2月28日(火)
名古屋市の河村たかし市長は27日の記者会見で、自身の南京事件を否定する発言について持論は撤回せず、「30万人とされる組織的な大虐殺はなかったのではないかとの趣旨だったが、一部で誤解を招いた」と釈明した。主な質疑は次の通り。
--市長の意見では、虐殺はあったのか、なかったのか。
30万人の非武装の中国の皆さんを日本軍が大虐殺したということはないと思っている。
--犠牲者数に関する認識は。
非常に多くの意見がある。そういうことをぜひ率直に話し合おうではないかということを申し上げている。その時にお話ししたい。
--南京側に誠意ある対応をするのか。
南京市に役所は今でもアプローチしている。おやじが大変世話になっただけの理由で「ない」と言っているのではない。大変世話になって感謝しているという気持ちを中国大使館の人にもお伝えしたいということで今日(担当課に)指示した。
--表敬訪問での発言は適切だったか。
流れの中で決して突然、違和感のある発言ではなかった。
--日本政府見解は市長の意見に沿うか。
(政府見解は)非常に不明確だ。そもそも虐殺という言葉の定義がない。
--「虐殺がまったくない」という立場ではないということか。
虐殺という言葉が、一人二人でも態様によってそうなるのか、それとも一定の数をイメージしなくてはいけないのかはっきりしない。質問に答えるのはなかなか苦しい。
--非戦闘員が亡くなったことはあるが、軍が主体的、組織的に関与したとまでは言えないということか。
南京事件と言ったら30万人の非武装の中国の人を日本軍が大虐殺したということ。それは「ない」と言える。戦闘行為はあったから、非常に残念なことはあったのかもしれない。あったのだろう。それは否定しない。
--混乱した事態について市長としての責任をどう考えるか。
あまり適切な質問ではない。残念だ。一日も早く、こんなこと言ったら、すぐこんなふうになっちゃう時代を打ち破って、本当の日中友好、名古屋と南京の交流が実のあるものにならんかと思う。
どっちらけ。やっぱり、こんなところだろうと思いましたよ。
日本国内、及び中国側の反響、困惑、批判、反発の多さ、強さに市長さんは明らかに動揺し、主張もトーンダウンしている。私に言わせれば当然予測された反応ばかりと思うが、市長さんには「想定外」だったようだ。認識と覚悟が甘いよ。ズルチンとサッカリンを混ぜたくらいに甘い。
>「30万人とされる組織的な大虐殺はなかったのではないかとの趣旨だったが、一部で誤解を招いた」
これは詭弁だ。20日の記事では市長さんはこう言っていたのである(記事が正しいとの前提だが)
「名古屋市の河村たかし市長は20日、中国・南京市の共産党市委員会常務委員ら8人に対し、南京大虐殺について、『戦闘行為があって多くの方は亡くなったが、いわゆる虐殺はなかった』と持論を展開した」
>そもそも虐殺という言葉の定義がない
へえ~。じゃあ、市長さんも使用した「虐殺」にも定義がないことになる。定義がないまま「いわゆる虐殺はなかった」と、大見得を切ったのだろうか。人前で話すことも重要な商売の一つである政治家がこんないい加減なことで務まるのかなあ。
そもそも日本政府の公式見解、日中共同歴史研究による見解と真反対の見解を中国側に対して述べるのであれば、それなりに周到な用意と覚悟があってのことだろうと思いきや、早くも腰砕けの気配だ。
いったい今まで何人の政治家が同じ轍を踏んで来たことだろう。初めに爆弾的なコメント、花火をぶち上げ、批判されるとコロリと豹変し「発言の訂正、撤回、謝罪」に終わるお粗末なオチを。
私のような平凡な人間でもお客様の前でプレゼンをする場合には、資料の準備とチェック、トークの練習を何度もしてから出かけるけどね。お粗末なプレゼンをすればそれだけでビジネスは失敗する。
それと、最近、とても気になるのは県知事や市長さんがやたらと「天下国家」を語りたがる傾向である。こういうのが地元住民にウケるのだろうか。最近のモードだよね。
東京都知事は首都だからまだそれなりに分からないこともないが、地方自治体の首長の役割、任務は違うでしょう。もしかして首長さん達が己の失政から責任を逃れる為に、国や政府の問題に県民、市民の目を向けようとしているのかと、邪推もしたくなる。国や政府もヒドイのは確かだけど(笑)
2012.02.28 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 政治・社会