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日本に今も根強く残る「言霊信仰」




・「言霊」とは。
言葉には現実を動かす力がある、口に出した言葉は現実化する、という日本古来の信仰。又は思想。日本人がよく言うセリフ、「縁起でもないことを言わないでくれ」や、祝典での「忌み言葉」の存在は言霊信仰の例。

日本政府や関係者が絶対に口にしない言葉。最近の例。

①新型コロナ感染の第3波、第4波。
野党やメディアが「今は第4波に入った」と述べても、菅首相をはじめとして政府関係者は決して認めようとしない。何故か「第〇波」という言い方を厭うのです。どうしてか?

②医療崩壊。
これも同様。田村厚労相にいたっては、「医療崩壊の定義ってどうなんでしょう?」などと、寝惚けたことを言っています。政府だけなく当事者の大阪の吉村知事も言いませんね。「医療がひっ迫している」という弱い言葉を用い、「医療崩壊が起きている」という言葉は避けています。今、大阪では明らかに医療崩壊が起きているにもかかわらず、日本政府も大阪府知事も、「口が裂けても医療崩壊とは言うまい」と決めているかのようです。

③東京五輪の中止・延期
これはもう、関係者に催眠術をかけるか、拷問にかけるかしない限り、絶対に「口を割らない」でしょう。「最悪の場合、中止も視野に入れて」(極めて当たり前のこと)と、言った瞬間、その人間は五輪の世界から村八分にされ、絶縁・永久追放されるでしょう。

言霊信仰で日本史を語る井沢元彦氏が何かの著書で、「戦争を事変、敗戦を終戦、と言い換える日本。これこそ言霊信仰の典型」と述べていましたが、同感です。

映画「男はつらいよ」で、こんなシーンがありましたね。すなわち、吉永小百合が演じる歌子は病気で夫を亡くした。その歌子が来るというので寅さんが家族に、「夫とか旦那とかダーリンなんて言葉は使わないこと。そうだ!(妹さくらの夫)博!お前は死んだことにしよう!即刻死ね!」と言う。

これを見て笑えるのは日本人だけじゃないでしょうか?

・不吉なことは口に出さない。ネガティブなことは口に出さない。
万が一、不吉なことが起きたら、それは「さだめ」として、「運命」として受け入れよう。あきらめよう。人を責めるな。誰が悪いとか犯人さがしをするな。済んでしまったことを掘り返すな。。。


日本が危機管理能力に著しく劣る原因の一つは、言霊信仰にあるのかもしれません。



ただし、日本以外にも言霊信仰かそれに近い風土を持つ国や民族がいるかもしれません。他の国を調べないで、ただちに「これは日本の特徴だ」と断じるのは問題がありますね。



2021.04.29 | | コメント(1) | トラックバック(0) | 歴史・文化



菅総理と日本学術会議の件:愚見を少々




菅総理が106人の推薦メンバーの中、6人の任命を拒否したとして、ちょっとした騒ぎになっています。

これは過去に前例が無いことも騒ぎの原因になっているようです。

①なぜ?と、疑問に思うのは当然です。
②菅総理が例によって、「法的に適切に行った」と、木で鼻をくくったような回答しかせず、拒否した理由を説明しないことで反感を招いているのも当然でしょう。
③任命拒否されたメンバーがいずれも過去に安倍政権の政策に反対か批判をしたことがあるとて、陰険な復讐人事ではないかとの疑惑を招くのも当然でしょう。
④よって、菅総理は任命拒否の理由をきちんと説明すべきだ、とするのも当然の意見でしょう。

ここまでは国民の多数が同じように思うことでしょう。


●「学問の自由の侵害だ」「恐怖政治だ」「粛清だ」とヒステリックに騒ぐ一部の左翼&リベラル派。
こういう「定番のフレーズ」を用いての批判を見ると、私はゲンナリしてしまいます。恐らく、少なからぬ国民も付いて行けなくなるものがあるのではないでしょうか?

しかも、戦略が無さ過ぎ、芸が無さ過ぎる。

理由。
①言っていることが、大袈裟、誇張、飛躍に満ちている事。
②戦前の京都大の「滝川事件」や「天皇機関説事件」を引用する人がいるが、次元が異なる。
③そもそも、多くの国民は、日本学術会議の何たるかを知らないし、遠い存在でしかない。
④おそらく、東大・京大の教授を中心とした学者達の更なる名誉な制度か、くらいの認識。

●仮に、今回の件が「学問の自由の侵害」「粛清」に該当するのであれば、
①任命を拒否された6人の学者が、所属する大学や研究機関を追放された。
②全ての出版社から著作の出版を拒否された。
③全てのテレビ・ラジオの出演を拒否された。
④メディアが一斉に6人を非難した。
⑤6人が右翼に襲われ、死傷者が出たのに、国民も政府も右翼に同情した。
⑥6人が「強制収容所」に入れられた。
⑦6人が処刑された。

番外として、菅総理が自ら、拒否した6人の変わりに6人の右翼or保守系学者を「推挙」した場合。※


この場合、「推薦」ではなく、「推挙」が妥当な言葉。

以上のいずれかに該当すれば、それはもう、「学問の自由の侵害」であり、「粛清」であり、世の中がひっくり返るような大問題・大事件と言えます。

そうでないのであれば、「学問の自由の侵害だ」などと騒ぐのは当たらないと思います。

「学問の自由」「言論の自由」というフレーズを、安易に、やたら使うと、これらの文言そのものの価値が低下してしまうし、やがてはマヒし、国民の心には響かなくなってしまいます。


●8年間、自民党の圧勝続きで野党は全敗。立憲民主党と国民民主党が合流したものの、今日のJNNの世論調査では、立憲民主党の支持率は5%。惨憺たる有り様。

それゆえ、左翼&リベラル派の「焦燥感」は、尋常ならざるものがあるでしょう。

安倍政権にあっては、
安倍晋三(モリカケ、桜、660億円マスク、等々)河井夫妻・菅原一秀・ドリル優子・ 赤いストール松島、甘利明・下村博文・稲田朋美、等々。。。この政権は沢山の疑惑を生み出し、詭弁の繰り返しで放置してきました。

ところが、安倍政権や自民党の支持率が多少、下がることはあってもすくに回復しましたし、野党の支持率は一向に伸びず、選挙の度に惨敗を繰り返して来ました。

バブル崩壊後、日本では長く大規模な社会運動が行われなくなり、活力を次第に失い、国民はどんどん内向きになる中、野党が国民の不満の受け皿にもならず、何かを大きく変え得る大物の存在もパワーも無くなっています。

それゆえ、一部の左翼&リベラルがいきりたち、大袈裟・誇張・飛躍の三点セットの文言をヒステリックに叫ぶようになったのでしょう。さりとて、昔の極左のように暴れる「元気?」すらありません。

このように考えますと、何やら、悲観的な気持ちにならざるを得ません。。。

私が少しだけ期待するとすれば、日本学術会議のメンバー全員が一斉に、菅政権に対する抗議の意味で辞意を表明することです。これをやれば国民の支持は高まると思います。

日本学術会議の本気度が明快になります。

グダグダと言葉を並べるより、ビシッと態度で表明する方が説得力があります。

学者としての反骨精神を発揮して、大いに造反して戦って欲しいですね。

こう言っては何ですが、学術会議の皆様に置かれましては、既に学者として「功なり名遂げた」方々。日本学術会議を辞めたくらいで、まさか、研究や生活に支障をきたすわけでもありますまい。




2020.10.06 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 歴史・文化



「風と共に去りぬ」の動画配信中止をどう思うか:愚見を少々




“人種差別を美化する”映画「風と共に去りぬ」、配信から消える
記事はこちらです

この記事の内容について、一応の理解は出来る。

結論から言うと、私はこうした「焚書」のようなやり方には反対である。

これは一種のバックラッシュ(反動)の典型と思う。

アメリカのような民主主義国がこのような「焚書」めいたことを行うことは特に残念だ。

配信会社の措置は、今の世論に「阿ている」ようで共感出来ない。

言論の自由・表現の自由はどうなった?


映画「風と共に去りぬ」を観た人は、「この映画は黒人奴隷制を美化している」と思うだろうか?

白人と比べ黒人は劣るから差別されても仕方ない、と思うだろうか?

私は思わなかったけどなあ。

この映画では、むしろ悪い白人が随所に登場していたと思うが。また、北軍を馬鹿にする南部の人達の姿がどこか滑稽に描かれていたと思うが。

マーガレット・ミッチェルの原作では、当時の奴隷制度に対する批判や考察は見られない。
奴隷制度を前提にしたストーリーになっていることは事実だ。また、これが原作の欠点と言えば言えるかもしれない。だからと言って、「美化している」とまで言えるだろうか?

この映画のテーマは奴隷制度とは別の所にある。一人の大地主の娘が、南北戦争の時代を、敗戦の側に立った南部の悲惨な有り様の中で、無一文同様の境遇に陥った中で、いかに強く生き抜いたかにある。戦後、この映画を観た日本人は同じく敗戦から立ち直りつつある日本の姿と重ね合わせ、深い感銘を受けたのではあるまいか?

●「風と共に去りぬ」が配信中止なら、昔の西部劇の多くも配信中止だよ。

例えば、ジョン・ウェイン主演の名作「駅馬車」や「黄色いリボン」がその典型であるように、アメリカ原住民(インディアン)が悪者にされているのだ。「正義の味方の騎兵隊と、野蛮な悪者のインディアン」という図式は西部劇の定番だった。これらの映画こそ、騎兵隊を美化し、インディアン差別を助長していると言えまいか。しかし、これらの映画を配信中止にしろ!との声が聞こえて来ないのは何故だろうか?※

これに対し、「片割月は黒人ではないから、黒人差別について鈍感なのだ」と言われれば、「ごもっとも」と言うしかない。が、だからと言って、配信を中止することは飛躍ではあるまいか?と思う。

最近では、差別の象徴だからケシカランと、南軍を指揮した将軍の銅像が倒されたり、あげくの果てには過去のアメリカ大統領の銅像までが倒されつつあるようだ。

ここまで来ると、「言い掛かり」ではあるまいか?それはちょうど、旭日旗とデザインが少しでも似ているか連想させるものはダメだと難癖をつける韓国を思わせる。

「難癖・言い掛かり」と言えば、本の題名を忘れたが、男女差別に反対するアメリカ人女性が著作の中で日本語の女性差別を指弾していたのを思い出す。

つまり、「出戻り」「未亡人」「姦しい」等の言葉に女性差別の意味が込められていると批判しているのだ。ここまでは分かる。が、このアメリカ人女性はさらに、「男女」「夫婦」などの熟語で「男」が先に来るのは性差別だと言うのだ。さすがに、ここまで来ると、「言い掛かり」だ。

英語にも、「人類」を意味する言葉に、「mankind」がある。男で人類を代表しているがこれはいいのか?「人間」を意味する「human」は「hu」と「man」の合成語だろう。こんなことを言いだしたら切りが無い。


●反差別運動がヒステリー化すると、バックラッシュ(反動)が起きる。

かつて、黒人による公民権運動が盛んなころ、黒人回教徒(ブラック・パンサー)の教えに、「黒は美しい」という標語があったそうだ。これは、「白は美しく、黒は醜い」という白人主義に対するカウンターであり、バックラッシュだったと言える。歴史的・社会的背景を鑑みれば無理も無いのかもしれないが、こういう標語は、幼稚である。

ドイツは長い間、ユダヤ差別の象徴であるヒトラーの著書、「我が闘争」を禁書にして来た。確かに、歴史的背景を鑑みれば、禁書にしたくなるのも無理は無い。が、こうした「臭いものにはフタ」的な発想はバックラッシュだ。

逆に、イスラエルの方ではワーグナーのオペラを劇場で演じることを禁じて来た。ワーグナー自身がユダヤ人差別者であったこと、ワーグナーのオペラがナチス・ドイツで愛用・悪用されたからだ。

これも西洋におけるユダヤ人差別という歴史的背景を鑑みれば無理も無い。イスラエルの人々にとって、「ワーグナー」と聞くだけで不愉快だったかもしれない。

しかし、ワーグナーのオペラそのものにユダヤ人差別を助長するものは無いのだ。

そのイスラエルでもワーグナーの音楽がコンサートで演奏されるようになって来た。


●バックラッシュとしての「焚書」は国の形が大きく変わる時にも起きる。

明治維新では、廃仏毀釈の運動が起き、多くの寺の建造物や彫刻が破壊された。

中国の「文化大革命」ではベートーヴェンの音楽ですら「ブルジョアの産物」として演奏を禁止された。


●人間や国の「ヒステリー」と、「心の傷」は時間が解決するしかないのであろう。

前にも書いたことがあるが、チャイコフスキー作曲の「1812年」はナポレオン戦争に勝利したロシアを祝う音楽である。フランス人が聴いたら不愉快とまで行かなくとも、面白くは無いだろう。が、現在、フランスでもこの曲は「普通に」演奏されているそうだ。

また、ヨハン・シュトラウスⅠ世作曲の有名な行進曲、「ラデツキー行進曲」は1848年にイタリアを征服したオーストリアの将軍ラデツキーの名誉を讃える為の音楽である。が、イタリアでこの曲を演奏してはならぬ、という話は聞かない。

中国ではベートーヴェン他の西洋音楽は今では普通にコンサートで演奏されている。


●今、日本では「焚書」はあるのか?

私は、「ある」と思っている。

中国や韓国では、先の戦争で日本を悪者にした映画が多く作られて来た。おそらく、ヘボ映画が多いだろうが、中には名作もあるはずだ。が、私の知る限り、それらのDVDは日本には無い。

そりゃそうだ。そんな映画、日本人が見たら不愉快だからな。私は観たいのだが。

日本では、「日中戦争」を題材にした戦争映画を観る機会は稀で、「戦争映画」といえば、「太平洋戦争」での海軍の「活躍」を描いたものばかりだ。

日本政府が、「そんな中国映画のDVDを輸入してはいけない」と禁じているとは思えない。が、そこは日本得意の「忖度」と「事なかれ主義」で、「狡猾な焚書」が行われているのだろう。右翼の脅迫も怖いし。


アメリカ合衆国における黒人人口は4千万弱。アメリカ原住民は300万強。
黒人よりもさらに弱い立場にあるようだ。



2020.06.22 | | コメント(18) | トラックバック(0) | 歴史・文化



推古天皇は存在しなかった。蘇我王朝説は捨てがたい




推古天皇の時代、いわゆる「蘇我王朝説」があることは古代史ファンなら誰でも知っています。

以下は私の独創でも何でも無く、古代史の著作をいろいろ読み漁った中から、わたしなりの解釈で蘇我王朝説を「要約」したものと受け取って下さい。ご参考までに。

隋書倭国伝と日本書紀、どちらの信憑性が高いか?
推古天皇の時代について、隋書倭国伝には当時、倭王は男性だったと記されていることは有名です。
特に、600年に、姓は阿毎、字は多利思比孤、号は阿輩欷鶏弥という倭王が使いを隋の朝廷に遣わしたこと、妻や太子もいたことが明記されています。608年と609年にも男子の倭王のことが明記されています。

しかし、日本書紀では当時は女性の推古天皇の時代であり、太子は厩戸王(聖徳太子)と明記されています。

あくまで日本書紀の「女性天皇」を信用する日本の学者は、
①倭王が女性ではバカにされるので…隋の使者に対し、偽って男性天皇を紹介したのだろう。
②そこで、厩戸王が摂政だったので、天皇として隋の使者と会ったのだろう。

私は隋書倭国伝の「男性天皇」の方が正しいと見ます。
①後進国の倭国が、子供騙しの手口で、先進国にして大国の隋を騙せるだろうか。

②大国の隋の情報網をバカにして良いのか?
倭国に行き来しているのは公式の使者だけではなく、非公式の使者もいたであろうし、民間レベルでの交流は盛んにあった。彼等からも隋は情報を得ていたであろう。また、朝鮮半島の3国(高句麗・新羅・百済)からも情報を得ていたであろう。

③推古天皇の在位期間は593年~628年の35年にも及ぶ。
この間はずっと男性天皇ということにして、隋や百済等の国々を騙し通せるほど甘くは無い。しかも、天皇だけではなく、皇后も太子についても、嘘を通すなど非現実的です。

④隋書が発行されたのは638年。日本書紀は720年。
当然、隋書の方がリアルタイムに近い情報を持っていた。もちろん、後の資料の方が正しい、ということもあり得ます。また、隋書にも「脚色」「改竄」があるかもしれません。しかし、隋があえて、倭国の女性天皇を男性天皇に改竄してしまう理由や動機は考えられません。

⑤女性天皇ではバカにされるというが。
645年の乙巳の変で、飛鳥の宮殿で朝鮮半島の三国(高句麗・新羅・百済からの使者)の調の儀式が行われ、当時の倭王である女性の皇極天皇が大極殿に出御したとあります。女性ではバカにされるというのであれば、ここでも皇極天皇ではなく、弟の軽皇子か中大兄皇子が男性の倭王として出御していなければ、辻褄が合いません。

また、既に魏志倭人伝の存在は倭国でも知られていた可能性が高いと思います。昔、倭国に女王が存在したことは隋も倭国も知っていたと思います。つまり、女性の倭王には前例が既にあったのですから、何を今さら女性天皇ではバカにされるなどと、小細工をして相手を騙す必要があるのか。

以上の事から、隋書を信用するのが自然です。


推古天皇ではなく男性天皇だったとすれば、それは誰か?
①厩戸王(聖徳太子)が実は天皇だった。
②蘇我馬子が天皇だった。

推古天皇は実際は皇太后として、天皇の「後ろ盾」「権威づけ」という位置にあったのではないか。

当時、この二人以外には有力な皇族や豪族は見当たりません。

聖徳太子ファンの私としては、①説の方を採りたいのですが。。。

もしも、厩戸王(聖徳太子)が天皇だったとしたら、日本書紀が何故、あえて彼を天皇から太子に降格?させて記したのか。その理由が分かりません。しかも、日本書紀は厩戸王(聖徳太子)を立派な人物として描いているのです。

さらに、厩戸王(聖徳太子)が飛鳥から斑鳩の地に宮廷を築き、そこに自ら移ったというのも、彼が本当に天皇だとしたら不可解な動きです。朝廷はあくまで飛鳥の地にあったのですから。

また、593年といえば、厩戸王(聖徳太子)は18か19才です。当時はこんなに若い皇族が天皇になることは無かった。600年でも26才です。これこそ、大国の隋の使者に「バカにされる」可能性があります。

一方の蘇我馬子ですが、皇族でもない彼が天皇になれるワケないだろう、というのは本当にそうなのか?
①当時、倭王としての天皇(大王)は万世一系、という考えが定着していたかは不明。
②武烈天皇の後に血縁の断絶があります。継体天皇は出目がはっきりしない。応神天皇の5世の孫とされていますが、こんな系図などあてになりません。越前の有力な豪族だった可能性があるし、朝鮮半島からの渡来系ではないかとの説すらある天皇です。

③皇后は仁賢天皇の娘とされていますが、無理っぽい。仮に事実としてもここで女系になります。
④清寧天皇の後にも血縁の断絶があります。播磨に引き籠っていた仁賢・顕宗の兄弟を引っ張り出して後釜に据えたが、この二人の父は天皇ではなく、履中天皇の孫ということになっています。これも非常に怪しい。

⑤つまり、当時の倭王は有力な豪族の中から選ばれたのであり、万世一系は日本書紀の後付けの創作。

以上のことから、当時、最有力豪族であった蘇我氏の馬子が倭王、天皇に選ばれても不思議ではないと思います。馬子は日本で最初の寺院、飛鳥寺を創建した人物です。この大事業を成すには相当の経済力と権力が無ければ不可能だったでしょう。これもまた、蘇我馬子が天皇になっても不思議ではない理由です。

そして、馬子の姪にあたる推古天皇…実は皇太后が後ろ盾となれば権威もつくし、他の皇族・豪族も受け入れたのではないでしょうか。

さらに、皇族の中でも蘇我氏と濃厚な血縁関係にある厩戸王(聖徳太子)を馬子の参謀役として登用したのではないでしょうか。厩戸王は若くても非常に有能だったことは事実なのでしょう。

厩戸王は当時の大秀才であり、超エリート知識人でもあったのでしょう。仏教にも熱心だったし、中国の古典にも造詣が深かったので、「専門家」として馬子を大いに助けたのではないでしょうか。

乙巳の変のクーデターは、「蘇我王朝」と「息長系王朝」との勢力争い、王権争いだったのかもしれません。日本書紀の編纂を命じた天武天皇は「息長系」なので、「蘇我王朝」の存在を抹消した。しかし、蘇我氏と馬子の存在は余りに大きかったので、全てを消すことは出来なかったのではないかと思います。

その分、厩戸王(聖徳太子)の存在をクローズアップしたのではないか。

推古天皇を創作したのは、天武天皇の「息長系」に女性天皇が何人も生まれたので、その権威付けとして、あえて推古天皇を初の女性天皇とし、厩戸王(聖徳太子)の「摂政」とセットで、という形にしたのではないか。

他には、蘇我馬子が626年に亡くなったとして、その後2年間は倭王としての次の天皇がなかなか決まらなかった。そこで、臨時の措置として、皇太后が推古天皇となった可能性もあります。

いわゆる、清寧天皇亡き後の「飯豊天皇」や、もっと昔の、神功皇后みたいな感じですね。

そして、蘇我馬子天皇を抹消し、穴埋め的に、推古天皇を593年まで遡って在位していたことに。


と。私の想像、空想もまじえて(^_^;)




2020.06.01 | | コメント(16) | トラックバック(0) | 歴史・文化



じっくりと楽しみたい大河ドラマ「麒麟がくる」




現在、私が唯一、継続して見ているテレビドラマです。過去2年間は私の見たい内容ではなかったので、やっとこさ、大河ドラマらしい戦国ものが戻って来たよ。

「麒麟がくる」も、突っ込みどころはアレコレあるでしょう。画面の色が鮮やか過ぎる、光秀役に存在感が乏しい、光秀は忍者か使い走り役か?京の医者役のセリフがわざとらしくて鼻につく、駒役の女優の演技がイマイチ等々。。

でも、まあ、私はじっくりと楽しみたいです。


【明智光秀・織田信長・帰蝶(濃姫)関連の本を読む】
お陰で、戦国ものの本をアレコレと読み、苦手だった戦国時代の輪郭も何とか私なりに掴めて来ました(^_^;)

●垣根涼介の小説「光秀の定理」「信長の定理」
はぴらき様の推奨で読みました。読み応え十分!!勉強にもなった。
垣根さんはアイデアだけでなく、人物の描写に優れています。

後で、垣根さんの現代ものアクション系、「午前三時のルースター」と、前半の重厚さと後半の軽快さで読み手を飽きさせない、「ワイルド・ソウル(上下巻)」を読みましたが、これらも傑作。未読の方にはお勧めですよ。

●諸田玲子「帰蝶」、宮本昌孝「ドナ・ビボラの爪」(帰蝶純愛篇・光秀死闘篇)
諸田さんの小説では、織田信長の正室としての帰蝶の生き方と帰蝶の前だけで見せる信長の一面という組み合わせが良い。宮本さんの方は奇想天外な発想で、読者によって好き嫌いが分れそうです。私は堪能出来ました。

●司馬遼太郎「国盗り物語」
なるほど、高度成長期のサラリーマンや経営者・管理者はこういうのを読んでは、「夢があるよなあ」「男のロマンだよなあ」と感激したのでしょうね。

出張先の宿泊ホテルや、帰りの長距離列車の中でもサクサクと読める内容です。別に悪くはありませんが、私には物足りない内容でした。50年以上も前の小説なので、話の組み立てにも資料的にも、古さを感じさせます。特に後半では信長と光秀、どちらが主人公なのか分からなくなり、スッキリしませんでした。

●海道龍一朗「乱世疾走(禁中御庭者綺譚)」
正親町天皇と織田信長の緊張関係それ自体、興味深いものがあります。天皇や公家たちが戦国時代をいかに、強かに生き抜いて来たかが分かります。剣豪や忍者が登場するのでエンタメ色の強い内容にもかかわらず、海道さんは重厚な筆致でじっくり読ませてくれます。海道さんの小説にハズレはありませんね。


【「麒麟がくる」で、女性の立て膝の座り方が「韓国式だ!」と、ネトウヨが発狂す】
だからネトウヨというのはどいつもこいつも、アホばっかりだと言うのだ。
こちらのサイトを見れば良く分かりますね。
サイトはここです

私は、なるべく史実通りに、というのには賛成です。
ただし、紹介したサイトでも触れているように、では女性のお歯黒はどうなんだ?となります。これは現代の私達の美的感覚から耐え難いものがあります。不気味過ぎる。女優さんだって嫌がるのでは?

武士の言葉使いは…これは現代風にするのは仕方ないでしょうね。

馬だって、もっと小柄な馬を使いますか?すると、俳優さん達ももっと小柄な人を選ばなくては馬とのバランスが悪くなるかもしれません。ことほど左様に、史実通りというのにはどうしても限界があるでしょうね。でも、昔ながらの、馬上で刀を振り回す、というのは余りに史実と乖離してヒドイので、いい加減に止めて欲しいわ。

☆例によって、戦国時代も元号は煩わしい。天文、弘治、永禄、元亀…。例えば天文19年、と言われて西暦に換算出来る人がどれだけいるのか?

私は、天文元年=1532年、弘治元年=1555年、永禄3年(桶狭間の戦い)=1560年、元亀元年(姉川の戦い)=1570年、天正10年(本能寺の変)=1582年、くらいは覚えることで、時間感覚というか西暦との換算で、なんとか辛うじてイメージを掴めるようになりました。疲れるわ(・・;)


【なぜ明智光秀は織田信長を討ったのか?】
怨恨説、黒幕説、自己防衛説、野望説等々…色々あっても資料が乏しく、決定打はありませんね。なんせ、光秀本人が理由を語っていないのですから。

常識的な所では、上記の複数の理由に、たまたま信長と嫡子の信忠が京にいたのを絶好のチャンスと見た、とするくらいでしょうか?私は光秀は立場的にも精神的にも、「追い詰められていた」と思うのですが、どうでしょう。

そもそも、戦国時代は下剋上が当たり前の時代。光秀の信長殺しは特殊な出来事ではなかったでしょ。武士の世界では、主殺し、親兄弟殺しは珍しく無かった。松永弾正は将軍足利義輝を殺しましたし。




2020.04.07 | | コメント(23) | トラックバック(0) | 歴史・文化



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プロフィール

片割月

Author:片割月
和歌を愛し、音楽を愛し、花を愛し、神仏を尊び、フィギュアスケートが大好きで、歴史・社会・文学が大好きで、ジョン・レノン、八代亜紀、ちあきなおみが大好きで、クリント・イーストウッドと映画も好きで、皮肉とユーモアも好きな変わり者熟女(四十路半ばを過ぎた)ですが、よろしくお願いします。

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