小説、「悼む人」&「風と共に去りぬ」
●天童荒太「悼む人・上下2巻」(文春文庫)
恥ずかしいお話ですが、小説の題名、「悼む人」を、私は「たたずむひと」と読んだ。「悼」という漢字を私は正しく読めなかったんです。しかし、「哀悼」の「悼」で、「あ、なーんだ。そうか。」となりました。
これは私の深層心理に関わるのですが、以前、筒井康隆の短編で、「佇む人」という不思議な小説を読んだことがあります。どうやらこれが頭のどこかにあり、「悼む人」を「たたずむひと」と思いこんだのでしょう。一見すると、「佇む」も「悼む」もどこか似た絵柄に見えませんか?「オムツ」と「オツム」がそうであるように。あ、そう思うのは私だけ(^_^;)
天童荒太の小説では、「永遠の仔」や「家族狩り」の方が評価が高いようですね。この二つも良いのですが、私は、「悼む人」の方に強い感銘を受けました。こちらの方が小説としての出来、完成度が上だと思うけどな。
前者の2作品はいずれも「家庭内暴力・虐待」等の重いテーマを扱ってはいますが、一応、ミステリー仕立てになっていて、エンタメ的要素がかなりあります。
「悼む人」はエンタメ性はほとんどありません。
ここで扱われているテーマは、人間の「生」と「死」。「死者といかに向き合うか」等で、ある意味非常に明快です。これをひたすら追求した小説です。
気楽にサラサラと読むような小説ではありません。
一人の青年がいて、アカの他人の死亡記事や情報を得ては、亡くなった場所を訪れ、死を悼む、という巡礼のような旅を続けるのです。このような不思議な青年の生き方が、他の登場人物の視線で様々な角度から描かれています。
純文学的な小説です。大事なのは、どんな内容であれ、どんな書き方であれ、そこに文学的な感銘があるかどうかでしょう。「悼む人」にはそれがあると思います。
少々、スピリチュアルな内容でもあるので、読者によっては敬遠したくなるかもしれませんね。
●それにしても…ドストエフスキーの影響力は日本でも強大です。
ドストエフスキーに大きく影響を受けた小説家は、三島由紀夫をはじめ、村上春樹も天童荒太等、数多い。次はフランスの恋愛小説の系統でしょうか。大岡昇平のように。
天童荒太の扱う「家庭崩壊」「家族問題」は、古典的名作、「カラマゾフの兄弟」のテーマでもありました。ドストエフスキーは「作家の日記」の中で、「偶然の家族」と題してロシアの家庭崩壊を問題にしています。
ロシアの良き家庭は、ロシア正教会を信仰し、父親の権威がしっかりしていたので幸せな家庭が成立していた。しかるに、西欧から科学的合理主義なるものがロシアにも蔓延し、合理主義で人間が分かったような顔をした連中が増えた。それによりロシア正教会の信仰が薄くなり、父親の権威も失われてしまった…というような内容だったと思います。何やら、エライ保守的な内容ですが、現代の家庭問題を考えた時、ドストエフスキーの問題意識には普遍的なものがありました。それゆえ、今でも彼の小説は読まれているのだと思います。
ただし、日本と、欧米・ロシアとの…どうにもならない大きな違いは…信仰という問題の有る無しです。ドストエフスキーの影響を受けた日本の小説には、「心棒」が欠けていると思います。「心棒」とは、一神教であるキリスト教がバックボーンにあること。日本のように、多神教や神道や仏教等が混然としている社会では、どのような文学にも「心棒」が欠けています。
日本の小説家がいかに深刻な問題意識を持っていても、彼等の小説が世界的な普遍性を勝ち得ないのはその辺にも理由がありそうです。「言葉の壁」だけではありますまい。
川端康成や三島由紀夫が欧米で人気なのは、たぶんに「物珍しさ」が影響していると思います。欧米人は、「フジヤマ・ゲイシャ・ハラキリのジパング」の秘密がここに潜んでいると期待するのでしょう。
●マーガレット・ミッチェル「風と共に去りぬ・全5巻」(岩波文庫)
名作です。
トルストイの「戦争と平和」に比べると、「深みや重厚さに欠ける」と言う人もいます。そうかもしれない。が、深みや重厚さばかりが小説の醍醐味ではありません。
スカーレットという強い女性の生き方、という点で、「ジェーン・エア」に勝るとも劣らぬ魅力があります。
両方読み比べたわけではありませんが、新潮文庫版よりも岩波文庫版の方が良いと思います。何故かと言いますと、各巻末に詳しい解説があり、「注」も多いからです。
小説を読む楽しみには、単にストーリーやドラマを味わうでけはなく、そこに描かれている人間と社会の歴史的背景や社会システム、そして文化を知ることにもあります。
トルストイの「戦争と平和」を読めば、ロシア史を知りたくなります。ゾラの「ナナ」を読めば、フランス近代史を知りたくなります。「風と共に去りぬ」も同様です。
南北戦争の時代、ジョージア州アトランタはどんな社会だったのか?、何故、スカーレットと父があれほどタラの土地に執着するのか?当時のアメリカにおいて、アイルランド移民とはどんな存在だったのか?大地主と黒人奴隷の具体的な姿は?…これらが分かると、「風と共に去りぬ」を読むのがより楽しくなります。
その点、岩波文庫版は私にはとてもありがたかったです。
小説を読んで驚嘆したのは、あの映画版が原作をかなり忠実に生かしていたということ。大長編の小説をよくぞ上手く230分の映画の中に組み入れたと、脚本家にも拍手を送りたくなります。
もちろん、違いもある。映画ではスカーレットの子供は娘一人だけでしたが、原作では3人だか4人も子供がいたことになっています。しかし、これは映画・小説のテーマから見れば、大した問題にはなりません。
同じ黒人奴隷といっても、畑仕事をする黒人よりも、家の中で仕事をする黒人の方が「格上」なんですね。映画でも印象的に描かれたいましたように、オハラ家に仕えている黒人女性マミーが、わりと威張っていたのは、単なる演出ではなく、マミーの個性だけにあるのではなく、彼女の地位がそうさせているのだと分かります。
こういうことも、岩波文庫版で分かったことです。
これでまた映画版を見ると、より楽しく観賞することが出来ますね。
こちらは…とても観賞に堪えません。画像、お借りしましたm(__)m
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2020.06.01 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 文学