Category: 博物芸術
女神に逢いに
蔵王温泉に行ったら、遭ってみたかった人、いや、神。

昨年国宝に指定された、縄文の女神です。
山形県立博物館。
様々な地方都市にある、典型的な博物館で、大陸や日本列島の始まりから、山形県の地形の成り立ち、生物の分布や、人々の生活と歴史、江戸時代、明治時代を通じて現代までの山形を学習できる、2階建ての建物です。
館内は撮影禁止と思って、デジカメを持たずに、スマホで入り口の画像を押さえておいたのですが、予想に反して、ストロボは禁止なものの、館内の撮影は可。
そういえば仙台市博物館もそうだったな。

有史以前の展示も非常に興味深かったのですが、とりあえず縄文時代まで駆け足。

ありました、ありました。

1992年、東北中央自動車道の工事中に、舟形町で発掘された、国内最大の土偶。45cmもあります。

土偶のような、といえば当然のようにずんぐりむっくりな容姿が想像されますが、全く別格ですよね。八頭身。
まるで現代の彫刻家が創造したようなスタイル。私が高校大学時代に穿いてたベルボトムそっくり。

縄文のビーナスと呼ばれる土偶
も信州で発掘されているのですが、申し訳ないけど、レベルが異なります。
いずれも妊婦に見えますね。
博物館に面白い番付がありました。

江戸時代?に印刷された、諸国産物の番付。拡大すると、みちのくの産物は非常に限られているのですが、

松前昆布が大関、最上紅花が関脇、秋田の蕗が前頭です。
博物館を出て次に向かったのは隣の此処。

済生館です。

ウイキから引用。
済生館(さいせいかん)は、山形県山形市の旧済生館病院本館。

1873年(明治6年)に私立病院として設立され、1878年9月に当時の県庁そばに本館が竣工した。国の重要文化財。建物自体は現在山形市霞城公園内に移築され山形市郷土館として利用されている。

1877年7月 初代山形県令三島通庸の命により県立病院長長谷川元良と筒井明俊一等属が上京。大学医学部病院・横浜英国海軍病院を視察、病院の基本構想を作成する。

1878年2月 十等出仕原口祐之を棟梁とし病院本館の建築を開始。
同年9月 竣工。
同年12月 太政大臣三条実美により「済生館」と命名される。医学校併設。

旧済生館病院本館は、3層楼なのに実は4層、ドーナツ型の1階部、2階は直径10メートルほどの柱のないホール、中3、4階へは螺旋階段、そしてステンドグラス。

内部構造は大変ユニークで、2階は16角形のホールで中央に柱は1本も立っていないのにもかかわらず、ホール上部に中3階・4階がのっている。これは当時日本に入ってきたばかりのトラス構造を利用して支えられている。さらに、16角形から8角形へ楼の形を変えるのに際して使われているのは多宝塔上層部をくみ上げる工法で、日本古来の建築にも熟達した人物の指揮があったことがうかがえる。

明治初期の下見板張擬洋風建築の最高傑作と評価され昭和41年重要文化財に指定された。
館内に、非常に興味深い、国内の洋館の系譜がありました。

拡大してみますね。

これは、今後役に立ちそうですね。

行ったことがある建物も沢山。

無料で入れる、趣きのある場所です。

昨年国宝に指定された、縄文の女神です。
山形県立博物館。
様々な地方都市にある、典型的な博物館で、大陸や日本列島の始まりから、山形県の地形の成り立ち、生物の分布や、人々の生活と歴史、江戸時代、明治時代を通じて現代までの山形を学習できる、2階建ての建物です。
館内は撮影禁止と思って、デジカメを持たずに、スマホで入り口の画像を押さえておいたのですが、予想に反して、ストロボは禁止なものの、館内の撮影は可。
そういえば仙台市博物館もそうだったな。

有史以前の展示も非常に興味深かったのですが、とりあえず縄文時代まで駆け足。

ありました、ありました。

1992年、東北中央自動車道の工事中に、舟形町で発掘された、国内最大の土偶。45cmもあります。

土偶のような、といえば当然のようにずんぐりむっくりな容姿が想像されますが、全く別格ですよね。八頭身。
まるで現代の彫刻家が創造したようなスタイル。私が高校大学時代に穿いてたベルボトムそっくり。

縄文のビーナスと呼ばれる土偶

も信州で発掘されているのですが、申し訳ないけど、レベルが異なります。
いずれも妊婦に見えますね。
博物館に面白い番付がありました。

江戸時代?に印刷された、諸国産物の番付。拡大すると、みちのくの産物は非常に限られているのですが、

松前昆布が大関、最上紅花が関脇、秋田の蕗が前頭です。
博物館を出て次に向かったのは隣の此処。

済生館です。

ウイキから引用。
済生館(さいせいかん)は、山形県山形市の旧済生館病院本館。

1873年(明治6年)に私立病院として設立され、1878年9月に当時の県庁そばに本館が竣工した。国の重要文化財。建物自体は現在山形市霞城公園内に移築され山形市郷土館として利用されている。

1877年7月 初代山形県令三島通庸の命により県立病院長長谷川元良と筒井明俊一等属が上京。大学医学部病院・横浜英国海軍病院を視察、病院の基本構想を作成する。

1878年2月 十等出仕原口祐之を棟梁とし病院本館の建築を開始。
同年9月 竣工。
同年12月 太政大臣三条実美により「済生館」と命名される。医学校併設。

旧済生館病院本館は、3層楼なのに実は4層、ドーナツ型の1階部、2階は直径10メートルほどの柱のないホール、中3、4階へは螺旋階段、そしてステンドグラス。

内部構造は大変ユニークで、2階は16角形のホールで中央に柱は1本も立っていないのにもかかわらず、ホール上部に中3階・4階がのっている。これは当時日本に入ってきたばかりのトラス構造を利用して支えられている。さらに、16角形から8角形へ楼の形を変えるのに際して使われているのは多宝塔上層部をくみ上げる工法で、日本古来の建築にも熟達した人物の指揮があったことがうかがえる。

明治初期の下見板張擬洋風建築の最高傑作と評価され昭和41年重要文化財に指定された。
館内に、非常に興味深い、国内の洋館の系譜がありました。

拡大してみますね。

これは、今後役に立ちそうですね。

行ったことがある建物も沢山。

無料で入れる、趣きのある場所です。

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