はてなキーワード: デパートとは
※女性みんな。どうかおっさんの妄言は無視して、どうかみんな健やかに、自由に生きてね (おばさんより)
我らが長澤まさみ大先生が御結婚されたことで、また世間では「30代の美女よりも20代の普通の女の方が価値が高いんだーーー!!!(雑まとめ)」という論が踊り狂っている。おっさんたちは本当に今日も元気だ。
これ、いつも思うのだけど、「言ってる人って、本当に30代の美女みたいな存在が周りに1人もいないんだよな。哀れ」である。1人でも知り合いに30代美女独身がいたらこんな発想にならないから。
私は他人から見た、見た目年齢が大体25歳で止まっている30代である。ちなみに仕事はコンサルなので、若く見えるのはなんなら不利で、どっちかと言うとコンプレックスなのだが、マジで新卒くらいに見えるらしい。どれくらい新卒に見えるかというと、新卒3年目くらいの子が、自分より年齢は下だと誤認するレベルである。デパートで化粧品を買う時も、新卒に対する対応とかをされることがあるので、年齢を言うと驚かれる。
まぁ、私が若く見えるのはどうでもよくて。
「マジで若く見える30代、かつ、美人(自分で言うななんだが)がいた場合のおっさん」はどう動くかなのだけど、「30?!まだまだ若いよ…!ぴちぴちだよ…!俺たち歳近いし気が合うね。若い子は仕事の話とかしても分かってくれないし…。おばさんなんて言わないで!」これである。
超絶当たり前のことなのだが、「歳が近い方が話が合う」。当たり前である。「社会人歴が長い方が仕事への理解がある」。当たり前である。「年齢を重ねている方が情緒がより安定している」。当たり前である。
その上で、「ガチで見た目だけは20代」がいた場合、おっさんたちが群がるのは30代女である。まぁこれはうちの会社限定かもしれないけど。
ただ、冗談抜きで「新卒の小娘なんて…!」みたいな扱いをし始めるから。だって、おっさんは本質的には若い子と話なんて合わないし。ミセスグリーンアップルを本気で語れるおっさん、います?ちなみに私は今の新卒の子達が何が好きなのか正直よくわかりません。おばさんなんで。
ちなみに誤解してほしくないのだけれど、30代女をチヤホヤしろという話ではない。「20代の普通女性と、30代美女が本当に同じ空間にいた場合、チヤホヤされるのは30代美女が現実である」という話なので。問題はなんというか、ただその当たり前の事象にぶち当たったことすらない人間が、元気に他人の容姿やら年齢をとやかく言ってることである。鏡を見ろよ。
純粋な事実として、いくつの女性も男性もその瞬間の輝きと美しさがあるし、醜さがあるし、老いがある。20代だって、生まれたてのベイビーからしたら十分ご老人なのだ。平安時代は30歳くらいで死ぬ人も多かったわけで。そもそも平安時代ならおっさんは老人というか、死んでるやつが多い年齢である。でも、老人ではなくおっさんでいられるのは、今が21世紀だからだ。人の老いをとやかくいう前に自分を顧みろよ。
ちなみに自己申告でおじさんに群がられている、自称30代美女の私(爆笑)は結婚をどう考えているかというと、「1人で生きてる方が楽だから、キャリアも美貌もお金も全てを失っても構わないと思える人が私を選んでくれるまで、1人でいい。その人が選んでくれないなら一生独身でのんびり生きていく」である。
身もふたもないことをいうけど、どんなダイヤだって原石を磨かないと輝かないように、「何もせずに美しく」なんて無理だから。外見も内面も、キャリアも、家事スキルも全て。
結婚するということは、「自分にかけてきたその時間を次世代やパートナーのために全て使う」ということである。消費をするために近寄ってくる人に使うなんてまっぴらだ。本当に自分を大事にしてくれて、この人のためならこの人生で積み上げた全てが消えてなくなっても構わない、と、そう思えないと無理である。
現実の世界の中で、本当に沢山の男性から消費だけを受ける瞬間が沢山ある。おばさんと自称できる年齢になったからこそ思うけど、外見を愛した上で、「仕事も含めた内面まで愛してくれる人」は稀有である。ゴミのような世界の中で、自分を守る術は、消費する人から離れること。これにつきる。
そういう意味では「30代」のラベリングは、ネットの世界では身を守ってくれるようになった。会社でもずっと「おばさんだから〜」ということで線を引きまくっている。ちなみに境界線を踏み越えるおっさんは、「20代女の方が!!」って叫んでるタイプなのが本当に解せない。
そんなことを考えながら世界を眺めていると、40代とかのおっさんたちが、マジで出会ったこともない、爆美女30代を馬鹿にしながら、20代女性との大恋愛を夢見る姿があまりにも滑稽で。
おわり。
お付き合いしていた元カレは明らかに非定型発達タイプだった。嫌なことはいつまでも覚えているのに、自分のミスはすぐに忘れる。
頭の中の記憶が時系列ではなく、どれだけ嫌だったかで整理されているので、時々知らねぇよと言いたくなるような昔の嫌な思い出話を急にして来ることがあった。
聡明な私にはすぐにわかった。それはトラウマというものである。
元カレの生育歴はあまり良くなく、その特性から人間関係も非常に狭く、親以外に定期的に話す相手もいなかった。そして、そのことに非常に劣等感を抱いていた。
人間関係とは大まかに分類すると恋愛、職場、友人になる。恋愛はダメだ。年齢=恋人無しで、職場の以外で女性と話す機会もない。
そして友人関係だが学生時代もその時には一緒に過ごす人は一人か二人の同類がいたけれど、就職後は音信不通であった。
そしてお次は、職場での人間関係である。ここは男子高校生がクラスで営んでいたヒエラルキー文化の延長線上でしかなかった。
その場しのぎの人間関係で生きてきた元カレはヒエラルキー上位に対してトラウマを勝手に抱いて拒絶し、精神的な距離を保ち続けていた。
さて、仕事関係で知り合った私達の関係性はある程度順調に進んだ。
しかし、彼の職場内におけるかカーストへのトラウマとストレス、それだけでなく生育歴の中で傷つけられ古傷が現実的な結婚等のステップに近付くと
「君は僕に逆らわないよね?」「今度は僕がヒエラルキー上位に立つからね」といった趣旨の発言に至った。
これは私との間でトラウマの再演は避けたいという希望なのではあるが、私は別に元カレに養ってもらって専業主婦になる予定もなかったし、何より彼のトラウマの整理に根気強く付き合ってきたつもりでさえいたのだ。
私にしてみれば、その発言はマジギレレベルである。どうかご理解頂きたい。そして交渉は決裂し、もちろん私は烈火のごとく怒り狂い、関係は終わった。
元カレは過去の人間関係で刷り込まれた負け犬意識を内在化して心の重荷にしており、成功体験が無いことのコンプレックスも含め、それらを私との結婚の主導権を握ることで払拭しようとしたのである。さすがに無理があるだろ。
ここからが40歳で狂う系男子の話なのだが、元カレを含めた多くの人は、深刻かつ、他人のケアを必要とするトラウマを抱えていないだろうか。
それも本人には責任がなく、集団の何となくの雰囲気に押し付けられた理不尽から発生したタイプのものである。
人にとって40歳前後は圧倒的に身体的衰えを実感し始める時期である。この時、自分の人生を振り返って発達についての特性に振り回され、恋愛や友人とのチャンスを避け続けてきた人生を後悔しているかもしれない。
私は元カレにも、元カレと属性を同じくする多くの人々にもそうして欲しくない。
孤独だから発狂するのではなく、理不尽の結果陥ることになった孤独への不満に耐えられるのは40歳前後が体力的にギリギリなだけである。
次の人生のステップとして、もっと街に出て楽しんで、楽しいという感情を見知らぬ人とも一瞬だけでもいいから共有し、生きることの孤独とそれに拮抗でき得る連帯も経験して欲しい。
人間の相互理解はそこからだから。その関係は必ずしも恋愛にはなり得ない。ただ、人間という生き物が共有する何かに参加する。そこは本当の意味での社会参加の始まりという重大な意味がある。
そんな抽象的な話、どうやってやるんだよと思う、40歳で狂う系男子の皆さん、まずは金の発生する関係性でもいいから自分の気持ちを言葉にする練習をして欲しい。
いい感じのお店に行けばお酒を対価に話を聞き励ましてくれる人は必ずいるが、初心者に夜の店はレベルが高すぎる。
まずは美容院で美容師にモテの為に変わりたいとからアドバイスが欲しいと言えばいい。ここでこの気持ちを理解してもらえなかったり、邪険に扱われたりしたら口コミに悪評を書いてリベンジして次の美容院を探そう。
髪が落ち着いたら、次はデパートの服売り場で同じことをすれば、ある程度のクオリティには達成できる。そして、自信が付いたらカウンセリング等に行って、正直に会話の練習に来たというしかない。
私はあくまで素人なので、これくらいしか安全に実施できそうなプランが思いつかない。
私は元カレには私を過去の痛みの辻褄を合わせるためだけの役割の女にされたくなかった。
未来を作り上げていく時に、タフで頼れるパートナーになれるとまで、私は自分を買い被ってさえいたのだ。
彼と連帯し、感情の共有を一番近くで、深く、たくさんしたかった。ただそれだけなのだ。
過去のトラウマを拭えないからといって、未来への希望を否定され、元カレから存在を不要とされた、それが私。
でも、本当は彼がとても恋しい。
韓国映画の日本映画の大きな違いに公道を使ったカーアクションがある。
『サスペクト』だと https://youtu.be/zlNr0aoPVeU?t=80 こういうやつ オフィス街、デパートもあるような都会、高速道路など…のカークラッシュ。
規制がきついためか、こういうカーアクションは日本映画ではまずでてこない。派手なカーアクションは造成地とか、工場の敷地内などの私有地がほとんど。(テレビだと、トヨタ車で人が死んだり半身不随になったりするドラマは放映できないがそれはまた別)
日韓合作映画だと西島秀俊主演の『ゲノムハザード ある天才科学者の5日間』のカーアクションがあるけど、韓国で撮影されたシーン。
ワイは外国国章損壊罪は撤廃しろ派だけど、それはそれとして元増田の理解も間違っている。
外国国旗損壊罪って観光できた外国人が自国の旗を燃やしたりしても、適用されるんでしょ?
外国国章損壊罪は「外国の威信」を損ねることを罪に問うもの。ここでの「外国の威信」とは、抽象的なソフトパワーではなく具体的な外国の公権力、つまり外国政府である。
これまで処罰された数少ない事例は、1961年に中華民国総領事館へ乱入し国章を隠蔽した台湾人(台湾独立活動家)に科されたものだ。ダイレクトに外国(中華民国政府)の威信を毀損している。
確かにアメリカ人観光客がアメリカ大使館に侵入して国旗を引きずり下ろしたり国章にウンコを投げつけたりしたら外国国章損壊罪が適用されるが、それが超レアケースであることはわかるだろう。
逆に、「中国人が街宣車から中華民国の国旗を奪い取った」「中国人が万国旗から中華民国の国旗をむしり取った」「日本人がデパートに吊るされていた中華人民共和国の国旗を引きずり下ろした」「日本人が手製の中華人民共和国の国旗を踏みつけた」「日本人がデモでロシアの国旗を引きずりまわした」などの事案は、外国による訴えがあったものの、いずれも外国国章損壊罪には問われていない。民間の団体が掲げる旗を傷つけるのは単に器物損壊だし、手製の旗なら何をしようが自由ということだ。
さらにいえば、この罪は外国からの請求があって初めて公訴が提起される。要するに、外国政府が「うちの国の国旗を侮辱したけしからんやつらを取り締まってくれ」と言い出して初めて罪に問われる。
アメリカ市民がデモで米国国旗を燃やす程度なら、アメリカは言論の自由を尊重して日本側に「外国国章損壊罪で取り締まれ」と請求することはないだろうし、仮に請求してきたとしても(トランプ政権はやりそうで怖い)、上で書いたようにそもそも罪にならない可能性が高い。
まあ、それはそれとして、じゃあ「外国国章損壊罪でしか取り締まれない行為」って何だ? って考えると、めちゃくちゃ狭いと思う。大使館に侵入して国旗を引きずり下ろして踏みつけるとか、国章にペンキをぶちまけるとか、それはそもそも器物損壊罪とか住居侵入罪とかそういう別の罪でじゅうぶん取り締まれるわけで……
ありうるとしたら、「町中の普通のビルに入居している小国の大使館の国章の前にものを置いて隠蔽する」とかそういう行為か。たとえば公道に面したところに掲示されている国章なら、前にものを置いて隠した場合には器物損壊罪でも住居侵入罪でも取り締まれなさそう。でもそれ、超レアケースだよね……
個人的には、外国国章損壊罪と礼拝所不敬罪は、別の罪でじゅうぶんに処罰できるうえに国民の思想・良心の自由を制約しているからなくすべきだと思うし、同時に高市・はやく辞めろ・早苗が進めている国旗損壊罪の提案にも反対だけど、それはそれとして外国国章損壊罪の処罰範囲がめちゃくちゃ狭いことは知っておいたほうがいいんじゃないかなぁと思った。
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秦正樹
【視点】白倉伸一郎さんは,特撮好き界隈で知らない人はいないのではないかというくらい超有名なプロデューサーさんですね.オンデマンド配信が普及したことで,毎回リニューアルせざるを得ない新たな戦隊が「旧作」とも戦わないといけなくなったという点は確かにそうだなぁと改めて思いました.個人的に私は,2009年の侍戦隊シンケンジャーがストーリー構成・役者等の点で最も優れた作品だと思っているのですが,確かに2010年以降の戦隊作品はすべてシンケンジャーとの比較で甲乙をつけていたような気がします(もちろん,どの戦隊作品も面白いのですが).
「ジュウレンジャー」も,私が幼少期に認知している戦隊モノの一つです.当時,6人目の戦士(ブライ)が現れた,しかも最初は敵側の存在であること,レッド(ゲキ)と兄弟であること,最終回を迎える前にいなくなることといった特殊要素が子供時代の私にはとても新鮮で未だに衝撃的だったのを強く記憶しています.また,少なくとも今30代以上の多くの日本人男性は何かしらの戦隊モノを通っているはずですが,戦隊モノに付随する記憶(たとえば,家族とヒーローショーに行ったとか,変身グッズや巨大ロボをデパートで買ってもらったとか)があるのではないかと思います.戦隊モノは単なる勧善懲悪的な意味での教育効果だけでなく,家族のコミュニケーションのハブになっている(た)ようにも思います(私も,日常生活でプリキュアを通じた娘とのコミュニケーションが非常に多いなぁと感じます).最近の仮面ライダー(私の時はビーファイターでしたが)は(おそらく「大きなお友達」も意識してか)シリアスな展開が多く,その意味でも戦隊モノは家族間のコミュニケーションで非常に大きな役割を果たしていたのだと思います.「大きなお友達」としては新たなギャバンインフィニティのシリアスな展開にも期待大なのですが,一方で,「戦隊枠」までそうなってしまうのと,子供との共通接点が少なくなりそうで少し残念にも思います.もっといえば,未就学児が対象となる戦隊モノだからこそ少子化の影響をモロに受けるのだと思いますが,ますます進む少子化によって,子供の文化の形にまで大きな変化を引き起こすのかと思うと,本当に深刻だと感じました.
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愚痴。
「シュトーレン食べたいな」と私が言ったら「シュトレン、美味しいよね!買いに行く?」と言うから、ちょっとモヤっとしながらデパートに行く。
着くと、シュトーレンだけ集めた特設会場があった。看板に「私のシュトレン」とは書いてあった。シュトレンが正しいのか?
「どれも美味しいそう!シュトーレンってこんなに売られてるんだね」と言ったら「シュトレンはクリスマスの定番になってきたよね!」と返事。
なんかスタバで「Mサイズください」と言ったら「ミディアムですね!」と訂正されてる気分
結局1本4000円のものを2本購入
「シュトーレン、美味しいね、これにしてよかった」と言ったら「うん、シュトレン最高!」と夫。
「ねぇ、さっきからシュトレンシュトレン言ってるけど、ワザと?当てつけ?なんなの??」
「えっ……シュトーレンじゃなくてシュトレンだから、間違えないようにってそれとなく訂正してた…」
「シュトーレンだろうがシュトレンだろうが呼び方はなんでもいいの!そうやって姑息に訂正してくるのが嫌なの!シュトーレンはドイツ語だからなんでもいいやろうが!クソが!!もう食うなや!!」
って言ったら黙った。クソが
殴らなかった自分を褒めたい
20年以上前、海外に行った時に某有名RPGシリーズの見たことないパッケージのが売っててさ、「海外にしかないバージョン?」と思って買ってもらったゲームあるんだよ。当時は子供で、面白くないとかで投げ出していた。
で、実家を建て替えるとかで再び見つけたから大人になって改めてプレイしてみたら、
・あきらかな改造ゲーム(本家をベースにしてダンジョンやモンスターが違う)
・セーブ機能なし(壊れている?)レトロゲーム互換機の外部セーブも機能しない(セーブされない)
・とあるダンジョンで「バーカwwww」(オブラートに包んだ表現)って地面に書いてある
とかいろいろムカつくわけ。
だから一回クリアして捨ててやろうと思ったんだけど、全然情報が無くてムズい。
唯一探し出せた情報は「某有名RPGシリーズの改造の中で一番幼稚で、粗悪で、面白くない改造」と「中東のガキンチョが作った改造」ということだけ。
買った場所はアジアで、でけー都市のでっけーデパートで買った。
言語が英語だからかろうじて進めることは出来るんだけど、どうしてもダンジョンの詰みポイントが多すぎる。
改造だから配信しちゃだめだもんな?ここにタイトルを載せるのも怖いっす。
たまにわがまま言う子供に対してもうしらなーい置いていくよ〜みたいに距離取るやつ
あれいつでもどこでもやるのやめてくんねえかな
ちょっとくらいならまだしも(ほんとはやめて欲しいけど)延々と泣き叫ぶ子供の声聞き続けるのはきつい
ていうかアウトドアでそういうことするのやめて欲しいんだわ
具体的に言うと渓流とか登山道とか滝とかでだよ
スーパーとかデパートとかならこっちがどっか行けば少なくとも泣き声は回避できるけどこの狭い遊歩道でそんなすぐ移動できねえんだわ
聞いたことない泣き声あげ始めたから思わず大丈夫?って声かけたらまさかすぐそこに親がいるとは思わんしうちの躾なんで大丈夫ですとかよ〜〜