はてなキーワード: B型とは
「オタク迫害」の存在についての意見として、大きなものは2つだと思います。
一つは、いわゆる『陰キャに対する迫害』。もう一つは、『オタク向け作品を理由とした迫害』。
前者は世界的に迫害対象です。例えばアメリカであれば「ナード」のようにマイナスな捉え方をされて、カースト底辺として扱われます。
とはいえ、「陰キャ」と「オタク」はイコールの話じゃないので、除外したほうが良いでしょう。
後者の『オタク向け作品を理由とした迫害』は、作品に影響されてオタクが犯罪を起こす可能性が危惧され、世論で犯罪者予備軍として扱われていることを発端としたものです。
昔であれば宮崎勤事件、最近であれば「バトル・ロワイアル」「ひぐらしのなく頃に」を殺傷事件の原因の可能性として扱った報道が有名どころかと思います。
実際には作品が犯罪の原因として人格形成や心理的要因につながるという確たる論拠はなく、あくまで『正しい気がする』という程度で世論が形成されただけですが、その影響は大きいです。
ナチス・ドイツや日本、そして世界で流行した、「優生思想」はご存知でしょうか。
民族・人種・障害などに科学的な観点から優劣をつけ、法的に強制不妊や殺害を行う理由になった考え方です。
ただし、これは当時の科学としても怪しく、現在の科学では否定されており、ナショナリズムや福祉コスト削減を動機として盛り上がってしまったものとされています。
『正しい気がする』というだけで、人間は正義のために残酷な行為をします。「優生思想」を根拠にした私刑の記録が大量に残っているのです。
『犯罪者予備軍』が相手で、場所が日本だから、そのようなことは起きてないと言うのでしょうか。
A型は几帳面、O型はおおらか、というように血液型と性格に相関性があるとされるものです。これも科学的根拠はないですが、今でも「あなたはB型だからおおざっぱなんだね」というようなハラスメントが散見されます。
一般論として『根拠無し』となっても、世論から「血液型性格分類」が消えるかどうかはまた別ということです。
漫画やアニメなどの表現は厳しく年齢制限や自主規制を行い、何かのきっかけで世論に火がつくことのないよう、出版や制作元で注意を払っています。
もっと分かりやすいところだと、ゲームにはCEROという日本独自の審査機関があります。ここで審査が通らなければ日本の小売の流通に乗せることがほぼできません。
流血表現などが海外のスタンダードよりはるかに厳しく制限されており、海外のゲームが日本で販売する際の障壁にもなっています。
とはいえ、流血を見ることが犯罪者となる直接的な原因にはなり得ないので、あくまで世論を意識した制限でしかありません。
日本で「優生思想」から誕生した『優生保護法』は1996年にやっとなくなりました。
主スペック
男
27歳
ADHDの疑い
借金あり
幼稚園の頃、俺は宇宙飛行士になりたかったはずだ。何故なら卒業文集にそう書いていたからだ。
実際は高所恐怖症があるため無理だった。
小中学生の時と高校入学時、ゲームクリエイターになりたいと言ったのを覚えている。東方にハマって、そういうゲームを作りたいと思っていた。
実際はプログラミングをまともにできずに諦めた。そもそもその頃俺は自ら引きこもりになって、学ぶことそのものを一度諦めた。
大人になってからもう7、8年は経過している。そろそろ夢というものに向かって頑張り始めるには遅い気がする。
ゲームに関しては、そんな腕前はないし、何よりそれで食っていけるヴィジョンが見えない。
食べ物を食べることも、作ることも好きだが、人様を満足させるほど良い料理は俺には作れない。フードファイターのように多くの量を食べることもできない。そもそも好き嫌いが多すぎる。
パチンコなんて以ての外。趣味打ち以上に金を使えば破滅が目に見えている。
今の就労支援B型を真面目に毎日、きちんと最後までやっていれば、そのうち夢や目標もできるのだろうか?
そうでなくとも、A型や一般就労に繋がって、趣味に使える金が増えたりしないだろうか?
と思って軽くだが調べた。
無理だろ。
というか、今でさえ2、3時間も作業(働いているとまでは言えない労働量なのでそう書く)したら疲れたり体調を悪くしたりするのに、どうしてできると思った?俺よ。
世間の声なんてどうせ俺に対してなんか「甘えるな働け」の言葉しかないだろう。
だからと言って、そんな人間に対してそう言ったところで「わかりました甘えません今すぐ働きます」なんて例は見たことがないし、言われたとしても俺にはできん。
数年前(もう何年に俺が就労Bに行ったかも忘れた)、バイトをしていた頃がある。20歳付近の事だったはずだ。
それすらもまともにやり抜く事が出来なかったのだ。
某ディスカウントストアにて働いていた最終盤に、女の先輩から言われた事を今でも覚えている。
そういう事だ。今の俺が働いても、他の人間以下の仕事しかできない。
実際、俺のいるところは恵まれているのだろう。
家から近いし(車で10分とかからない)、作業時間は短いし、それでいてそれなりに工賃は貰えてると思うし。
でも、就労Bにも嫌なことはある。
人間関係だ。俺はもともと子供が苦手だ。親でも制御できないことがあるからだ(実体験もある)。で、利用者の中に「子供っぽい」奴がいる。
そいつは、「僕ネット荒らしちゃったんですよ~ww」とヘラヘラしている。俺と同じゲームをやって、「僕下手だな~ww」と笑っている。喫煙者でもないのに喫煙所に来て喫煙者と談笑している。
正直言って一緒の環境で作業したくないくらい苦手だが、それはそれとして楽しそうだ。それに比べて俺はどうだ?
始業15分前には駐車場でタバコ吸って、時間ギリギリでタイムカードを押して、トイレ行って、作業黙々とやって、昼過ぎか午前中に「すみません、体調が保たないので帰ります。お疲れ様でした。また明日(金曜の時は来週)よろしくお願いします。」の定型文で帰って、やることと言えば飯食うかネット見てるか寝るか。たまに所持金がある時は自分の飯やおやつ買うか、もっと所持金がある時はゲーセンや低貸しのパチ屋へ行く。勝てば夕飯は外食、負ければ家で食う。
この人生楽しいか?って思えてきた。いや楽しい時もあるけどそうじゃない。これをずっと繰り返して生きるのは(肉体的にも精神的にも環境的にも)辛いんじゃないか?と思う時がある。
兎も角、生きている意味なんてものを、俺は自分に見いだせない。
だが死ぬ苦しみも(一瞬だと分かっていても)辛いだろうから、どうせ死ぬのは先延ばしにする。
眼の前の、出来ることだけやる。平日は毎日出来る限り就労Bに行く。借金は少しずつでも返す(近々任意整理が一部の借金に対して始まるかもしれないし)。パチンコは辞めるまで行かなくとも、ゲームの方に矢印を向ける。ダイエットは考えていないが、野菜は食べる(野菜を多く取れば、痩せるまで行かなくとも健康にはいいかもしれないし)。
せめて、1人になっても生きている状態を続けられるようにしなくてはならない。
長々と書いてきたが、俺は誰かにこの文章を見てどう思って欲しいんだろうか?
「よく頑張ってきたね、えらいね」か?これは違う気がする。そこまで頑張ってないし。そもそも、なんというか、俺は自分の人生を褒めてもらいたいと思った事はない。
「なんだかんだ言って結局逃げたいだけじゃねえか。甘えんな働け」?これも違う。俺は対立煽りたい訳じゃないし、何よりそういう思想を持つ人と俺は合わないだろう。そう言われたところで、はいそうですか、となるだけだ。
どうしたいのか俺もわからん。ただ、この文章を誰かに見てもらいたい、読んで何かを思って欲しいと思ったのは事実だと思う。だから残す。
俺には夢がない。だが目標はある。
中国の京劇とか韓国・朝鮮の何かに寄せてるのが不自然だと思う。
在日朝鮮人の李相日が「国宝」を手掛けるのも、藤原氏が朝鮮人で
https://ameblo.jp/ghostripon/entry-12090900472.html
https://ameblo.jp/ghostripon/entry-12771830824.html
みたいな話もある。
能楽には、朝鮮人の藤原氏が日本を破壊する以前の話が出てくる。
けれど、本来の天つ神や国つ神は温暖湿潤気候や亜熱帯で育ってるので
韓流細目ではない人がかつて存在した事で人気が出たというのはある。
けれど、現在ではテレビにしろYouTubeのCMにしろ朝鮮人ばかりで
パッチリ二重まぶただと排除される。何の罪にも問えない国分太一は排除され
https://w.atwiki.jp/kolia/pages/313.html
検索したら上位に出るからリンクしてみたけど、この手のサイトは
YouTuberは、ほぼ例外なく朝鮮顔であり、右翼チャンネルもそういうもの。
自民党が孫正義を敵視などはしておらず、むしろLINEヤフーなどに
ありのままに見ていたら、保守政党を当選させるなどありえない。
なぜなら、人が怖いからだ。もう少し踏み込んで説明すると、「他人に自分の存在を見定められ、価値がないことに気づかれ、人がみんな自分を避けていく」のが死ぬほど耐えられないからだ。とにかく自分の存在を評価されたくない。できることなら、最も人の記憶に残らない、普通で平凡な存在になりたい。排斥されたくないし、自分の価値もつけられたくない。就活や婚活のような、人間を商品のように品評し、見定められ、価値を測定されることはなるべく、いや、絶対されたくない。もしも人間に初期アバターがあれば、その姿で一生生きていたい。自分の存在が他人から全く見えないようになって欲しい。でも、誰かに愛されたい。傲慢だが、そういう根底の欲求だけがあるのが苦しい。産まれた時から、集団に入るたびに虐められ、排斥されてきたから、「人に自分の価値を計られる」ことに非常に強い拒絶反応が起きる。
圧倒的に人間社会で生きるのに向いていない。だが、自殺もできない。自分は子どものころから極度に怖がりで、ジャングルジムも怖くて登れなかった。だが、子どもの頃はまだ人が怖い存在だということに気づいていなかったから、見境なく話しかけては嫌われるを繰り返していた。それを繰り返していくうちに、周りから人が誰もいなくなり、「自分は異常で、人から避けられる存在だ」という学習をした。それからは、集団に適応しようと、自らを嘲笑の対象にしてもらうことで集団に入れてもらっていた。確かにひとりで孤独でいるよりは、どんなにバカにされても集団の中にいることで安心感を得られた。だが、中学に入ってからは、それも通用しなくなり、「完全なる孤独」に突入した。それでも部活は毎日かかさず行っていたが、「一緒に剣道部を見学しにいこう」と言われて、何となく見たことがあるが関わりはほとんどない人たちがいて、「知ってる人がいるから安心だ」と思い、そのうえ、母親から「運動部に入りなさい」と言われていたので、ちょうどいいと思い、剣道部に入ってしまった。剣道部は過酷で、個人競技で順位付けされ、その結果でカーストも決まる、非常に厳しい場所だった。俺は臆病だから大きい声を出すこともできなかったし、人を竹刀で叩くことにもためらいがあった。結局最後まで俺は弱いままで、試合では出して貰えず、後輩が代わりに試合に出ていた。後輩から毎日バカにされ、同級生や上級生は腫れ物扱いで、存在を無視された。一度、同級生に「お前、ウザイんだよ。やる気がないなら部活来るな」と校門の前で言われ、殴られた。それを見ていた誰かが先生に言ったらしく、先生と話し合いをした。それも影響あって腫れ物扱いされていた。週末に色んな学校に練習試合に行かされ、どこの学校の人も野蛮なやつが多く、その上、教師もまるで競馬を見てるおっさんのように試合中の生徒に暴言をぶつけていた。1回宿泊もできる施設で、有名な先生の元で練習ができる機会があったのだけど、「目が悪く、剣道用のメガネも持っていなかったので、どこに行けばわからなく、ウロウロしていたら、その有名な先生に目をつけられ、全員が集まった集団の中で自分とその先生の学校の人、合計2人が立たされ、「面を受ける」という合法的な体罰を受けた。剣道では、面というのは素早く竹刀を動かすため、気持ちのいい音を出すために、できるだけ最小限の力で面を打つのだけど、その時は違った。力いっぱい竹刀で頭を何度も殴られた。非常に痛かったし、集団の前で晒し者にされたことが非常にショックだった。今でも強烈に覚えている。「人間って怖いものなんだな」とその頃に徹底的に記憶に植え付けられた。部活では、定期的に先輩後輩関係なく、練習試合をさせられ、順位もつけられた。いつも自分は負けてばかりで、後輩以下で、いつもバカにされていた。自分の無能さを毎回そこで味わった。後輩に毎日バカにされ、メガネを取られて壊されることもあった。部活外では、いつもひとりだった。中学に入った時に、小学生のころ地域の子どもたちで集まって登校したり、遊びに行ったりしていたんだけど、そのメンバーの女性がいて、「こんにちは」と話しかけられるから、ヘラヘラ笑いながら返事をしていたら、ある時、上級生の友達が「なんであんなやつに挨拶してるの?」と聞き、「挨拶を返す時の顔がえろいこと考えてる顔みたいでキモイから」と言っているのが聞こえてしまい、挨拶されても返さなくなった。そうしていたら、上級生の女性が「いつも挨拶してるのに返されない!あの子は酷い!」と広めたらしく、上級生とすれ違うと「キモイ」とか「宇宙人」とか言われるようになった。親が仲良いので、ディズニーランドのお土産を貰ったんだけど、リトルグリーンメンのストラップを貰った。「宇宙人」というメッセージだと思っている。風呂上がりに、外の風景を窓から見るのが好きだったから、風景を見ていたら、上級生に見られ、「きもちわるっ!なんで裸なの!w」と大声で言われた。小学生の頃に転校生に執拗に「友達になろう」と言ったら「君とだけは友達になれない」とか、仲がいいと勝手に思っていた同級生に嫌われ、エンガチョをされたこともある。
このあとも、学生時代は常にいじめ、もしくは腫れ物扱いの対象となっていたが、人と関わる気力が失われた決定的な時は中学生時代だった。
その後、高校で黒いスーツをきた集団に嫌がらせされてると思ったり、バッグや体操服に体液のようなものが付いていたこともあり、障害が悪化した。手洗いが酷く、「ヤバいやつ」と何度も言われた。高校時代はいつもマスクをしていて、水泳の授業の時に「誰!?」とコソコソ言われたこともある。明らかに異常者として扱われ、全く人が寄ってこなかった。めちゃくちゃ頭が悪かったが、虐められたくなかったので、進学コースを選んだら、なんでこいつが?と何度も言われた。ある先生のことを北朝鮮のスパイだとおもっていた時もあった。Fラン大学に入ってからは、暇が増えたので精神病はある程度良くなった。今日は昔のことを思い出して、疲れた。
28歳男性、生活保護、Fラン大学中退、最終学歴高卒、障害者手帳2級、障害基礎年金2級、医者から言われた診断名はASD、ADHD、社交不安障害、強迫性障害、躁鬱傾向あり。クエチアピンやリスペリドンを出されているので、統合失調症もあるのかもしれない。今はクエチアピンがよく効いて、今まで常に不安だったけど、不安が結構ましになった。職歴はFラン大学時代の5年間(留年した)新聞配達、それとB型作業所、A型作業所。A型作業所に適応できなく、鬱や被害妄想が悪化した。具体的に書くと、「呼吸が浅くなる。震える、大勢に指を刺されているような感覚になる、文字が怖くなる、悪意をぶつけられているような感覚になる、音に敏感になり、音が怖くなる、攻撃的なSNSの投稿が怖くなる、布団に入り猫の動画を見ると良くなることがある、デパスを飲むと良くなることがある、リスペリドンは効かない、音がすると怒られそうな気がする、隣の人が怒ってないかがすごく気になる、音が大きく感じる、鳥の鳴き声などが闇の組織の通信音に感じる、周りの人が人間とは思えず、なにか自分に危害を加えたり、悪意をぶつけることしか考えてないように感じる、死んだらこれが収まるなら死にたいと考えてしまう、寝て起きると良くなる、睡眠不足の時が多い、ゲームからも悪意を感じてしまうのでプレイが続行できない、文字の点々が特に怖い、思考してる時に頭に浮かぶ文字も怖い、人が恐ろしくて仕方ない、鬱の時のようななんとなく死にたいではなく、突発的な死にたさしか出なくなる。」という症状が出てきた。仕事を休む日が増え、クビにされたので現在は無職。ここまで書き出せたのはきっとクエチアピンのおかげだと思う。もっと早く出してくれていれば、もう少しはましな人生になっていた気がする。今日は昔のことを思い出しすぎて非常に疲れたので、デパスを飲んで寝るつもりだ。おやすみ
反日右翼体制が朝鮮顔や朝鮮気質を美化し宣伝してるせいもあるし
石原軍団、格闘家、体育会系、LDH系、不良、チンピラ、暴力団、
こういうのを美化してはいけない。
現代「日本人」の40%をしめるA型の本来の気質は繊細・知的であり
そういう人を鬼畜右翼は敵視している。朝鮮から来たB型系なので。
ガサツな人間より繊細な人、理由などを追及しない奴より探究心がある人、
本当の日本人ファースト。反日右翼放送は、その真逆を目指している。
マスゴミのストーカー像は本質を伝えていないから廣川大起みたいな
体育会系に騙される娘も出てくるのでしょう。選択肢が少ない中、
ある程度、妥協しないと金などもまわらず、ボディーガードも足りない。
ソフトバンクが個人情報を流出させたり、その情報がヤクザの犯罪に使われたり、
そこでつかまったのが創価学会の幹部だったりしても一切反省しないのが
Twitter(現X)には「クソデカ主語警察」なる存在がいる。クソデカ主語警察というのは何かというと、ある文章の主語が指す集合が大きい場合にどこからともなく湧き出てきて「主語がクソデカですよw」などのリプを残していく存在である。そして、このリプには「主語がクソデカですよ(なので、あなたの発言は間違っていますよ)」という含意がある。例えば、「女性は〜なとき暴力的である」といったツイートが炎上していると、決まってリプ欄(あるいは引用欄)には、こういったクソデカ主語警察が湧いて出てきて、毎度のごとく論破芸を披露してくれるのだ。
そして、私はこのクソデカ主語警察が本当に嫌いだし、この世から消えて欲しいとさえ思っている。正直、台所の隙間から這い出てくる黒い虫よりも嫌いだ。見た瞬間に全身の毛が逆立つレベル。ただ、誤解のないように予め述べておくと、私自身はこうした主語の大きい発言をすることはほとんどない(ではどういうときにするか、ということは後述する)。むしろ、「女性は〜である」のような、ジェンダーバイアスを明確に再生産する言説が蔓延っている現状には、正直かなり辟易しているし、こうした不健全な状況は是正していくべきだとさえ思っている。にもかかわらず、では何故そんな私がクソデカ主語警察が嫌いなのか。
クソデカ主語警察が嫌いな理由を先に述べておくと、まったく問題の本質を捉えられていないくせに、紋切り型の指摘を繰り返して、問題の所在を不明確にするから、である。このことについて以下で詳細に述べる。
クソデカ主語警察が害悪であることを話す前に、そもそもクソデカ構文とは何かについて確認しておこう。
クソデカ構文には当然ながらアカデミックな定義は存在しないので、ここではさしあたり「主語がある属性を指す文」としておく。この定義にも異論はあるだろうが、暫定的定義なので一旦受け入れてほしい。例えば「リンゴは赤い」とか「インターネットはクソ」とか「日本はオワコン」とか、そういう文のことだ。
さて、我々は実はこうしたクソデカ構文というものを日常的に用いている。例えば「リンゴは赤い」という文章は、日常的な文脈で使用される場面が想像できるだろう。友達と会話をしているときに相手が「リンゴは赤い」と言ったとして、我々は別に何の問題もなくそれを受け入れるはずだ。逆にそこで「いやいや、主語がでかいですよw青いリンゴもありますからw」などと言おうものなら、LINEはブロックされ、あなたの表示名は「クソデカ主語警察」に変更され、そしてあなただけのいないLINEグループで一生そのことをいじられ続けるだろう。
これは何故だろうか? つまり、何故クソデカ構文に対して「それは違う。◯◯なものもある」という反論が妥当ではない場合があるのだろうか。これに回答するためには、そもそもクソデカ構文という文章がどういう性質のものかを明らかにしておく必要がある。小々専門的な話題になり恐縮だが、「◯◯は〜〜である」という形式の文章は、「すべての◯◯は〜〜である」という全称命題の解釈と、「◯◯は典型的には〜〜である」という総称文の2通りの解釈があり得る。前者の典型的な例は数学的命題だろう。例えば「2以上の素数は奇数である」という文章は通常「2以上のすべての素数」として読まれる。後者の典型的な例は統計的な文章だが、性質を表す日常的な文にも見られる。例えば「犬は吠える」という文章は通常「犬は典型的には吠えるという性質をもっている」として読まれる。そして、全称命題と総称文の両者には、ある重大な違いがある。それは、全称命題の解釈の場合には反例が一つでも見つかれば元の文が誤っていると言うことができるが、後者の場合にはそうではない、ということだ。「2以上の素数」かつ「奇数ではないもの」はもしもあったとしたら、先ほどの数学的命題は一気に誤りになる。他方、「犬」かつ「吠えない」ような存在がいたとしても(そして実際にいるのだが)、そのことは「犬は吠える」という総称文をただちに誤りにはしない。これは「犬は吠える」という文章が意味するところが、「典型的な犬」についてに文だからであり、根本的に例外を認めているからだからだ。先ほどの「リンゴは赤い」の例で言えば、この文は「典型的にはリンゴは赤い」という意味であって、青いリンゴのような存在は初めから想定しているのである。クソデカ主語警察は、このような総称文を勝手に全称命題に都合良く読み替えることで、いわば藁人形を叩いているのである。
おそらく、クソデカ主語警察からは「全称命題であるかのように話すのが悪い」といった反論が飛んでくるだろう。これにも反論しておく。我々がコミュニケーションを行う際には、我々は通常「必要な量の情報だけを話す」という量の格率に従っている。これは円滑なコミュニケーションのために我々が従っているルールのうちの一つとされている。クソデカ主語警察の検閲に引っかからないように発話をしようとすると「私がこれまでに観測した範囲内、かつ統計的に有意と思われるデータ、および社会通念上の傾向を鑑みると、リンゴのうちかなりの割合のリンゴが、赤い傾向があると言えるかもしれない(※ただし青いリンゴも存在する)」となるが、これでは円滑なコミュニケーションは成立しない。むしろ我々は、「リンゴは赤い」という文章を全称命題で解釈するとすぐに不整合が生じるという事実と、発話者が量の格率に従っているという前提に基づき、発話者が総称文を意図しているというチャリティを発揮して、コミュニケーションを行っているはずだ。
つまるところ、クソデカ主語警察というのは、総称文を勝手に全称命題に取り違えるカテゴリーミステイクを犯している上、そのミステイクに気づかずに「自分はコミュニケーションができません」と大声で宣伝する、非常に恥ずかしい行為なのである。
さて、ということでクソデカ主語警察が実はコミュニケーションの原則をまったく理解できておらず、それ故、紋切り型をコピー・アンド・ペーストすればお手軽に相手を論破できると思っているだけの単なる凡愚であることは明らかになったわけだが、クソデカ構文がまったく問題がないというわけではない。むしろ、ここからが本当に自分の言いたいことになる。
クソデカ構文というのは本質的に問題含みのものであって、それ故、慎重に使わなくてはならないことは事実だと思う。たしかに、主語がデカいことによって必然的に問題が生じるわけではない。例えば「2以上の素数はすべて奇数である」という文章の主語の指す集合は無限であり、考え得る限りほぼ最大のクソデカ主語(とは言え高々加算ではあるの)だが、普通に真である。だから、主語がデカいことそれ自体は一般に問題にはならない。しかし、世の中には問題になるクソデカ構文というものはたしかに存在している。それは大きく分けて2種類あり、①そもそも事実とは異なるクソデカ構文②仮に事実だとしても望ましくないクソデカ構文、である。
まず1つ目について。クソデカ構文には、単純に事実誤認になっているケースがある。そうしたクソデカ構文の典型例を挙げると「B型は自己中心的である」のようなものがそうだろう。もはや常識となっていると思うが、血液型とその人間の性格にはまったく関係はない。こういった血液型診断は事実とはまったく異なるデタラメであるので、完全に間違えている。ただし、注意が必要なのは、血液型診断が誤っているのは、主語がクソデカだから「ではない」ということである。こうした疑似科学が誤っている根本的な理由は主語のデカさではなく、科学的な根拠の無さに由来している。他にも「若者は本を読まない」といった例も考えられる。統計的には不読率は全世代を通して年々減少傾向にあるし、むしろ学校の読書教育を考えれば若者の方が読んでいる可能性すらある。
しかし、仮に事実だとしても問題のあるクソデカ構文というものは存在するし、これこそが一番の問題だと思う。それが問題となるクソデカ構文の2種類目「仮に事実だとしても問題のあるクソデカ構文」である。統計的な事実(マジョリティ傾向)が仮に含まれていたとしても、それをクソデカ主語で語ることが社会的な害悪を引き起こすことはある。例えば、「低学歴は犯罪を犯しやすい」という事実が仮にあったとしよう。強調しておくが、これは仮の話であり、そういった事実が実際にあるかは知らない。あくまで「もし事実だとしたら」という体で話を進める。つまり「低学歴は典型的には犯罪者予備軍の性質がある」という総称文を確証する統計的相関が仮にあったとしよう。そうだとしても、このクソデカ構文には問題が存在する。それは、「統計的相関」と「属性への本質化」のすり替えである。「低学歴ほど犯罪を犯す傾向がある」という事実は、「低学歴だから犯罪を犯す」という因果関係の説明にはならない。例えば「貧困」や「劣悪な成育環境」といった第3の変数が教育機会を奪い、それが同時に犯罪への原因にもなっている可能性は十分にある。このとき、もしこの言説の問題点が「主語がデカいこと」にあると主張してしまうと、「学歴の低さそのものに犯罪を誘発する性質がある」という本質主義的な前提を暗に認めることになってしまう。そうではなく、本当の問題は「低学歴」と「犯罪率」には相関はあるが因果はない、ということのはずだ。「アイスの売り上げが増えると溺死者が増える」という相関データから「アイスは溺死を招く悪魔の食い物だ」と騒ぐ馬鹿がいたとして、そいつに対して「主語がでかいから間違ったことを言っている」などと、もっと馬鹿なことを言う必要なんかないのだ。
そして、第2種のクソデカ構文が余計に問題なのは、それが差別を助長するからに他ならない。例えば先ほどの統計的相関に従って、「低学歴=危ない」という言説が流布すれば、おそらく企業の採用担当はは低学歴の雇用を控え、周囲は低学歴に偏見の目を向けるだろう。その結果、彼らは正当な労働から不当に排除され、生活のために余計に犯罪に手を染めるしかなくなる。これは少し誇張して書いてはいるが、好ましくない事実自体が、その事実をさらに悪化させる機能を果たしてしまうこと自体は往々にしてある。
この記事を読んでいるあなたが高等教育(特に自然科学)を受けた経験があるとしたら、おそらくこの論点は受け入れにくいかもしれない。つまり、科学的な事実は事実であって、社会的な価値とは無関係だ、という科学の価値自由性を引き合いに出されるかもしれない。しかし「事実だから言っても構わない」という態度は、自分が石を投げて相手を転ばせておいて「ほら、あいつは転びやすいという事実は正しいだろ」と言い張るようなものであって、それは事実の公表に伴う社会的影響をあまりにも軽視しすぎていると思う。
話を戻そう。では結局、何故クソデカ主語警察はインターネットに漂うゴミなのか、一言で言えば、それはクソデカ主語警察自身が、彼らが批判している奴らの「共犯者」になってしまっているからだ。以上で確認したように、問題のあるクソデカ構文には大きく分けて2つの類型がある。そして、それぞれが問題である理由は異なっており、発言ごとに核となる部分を潰していかなくてはならない。にもかかわらず、クソデカ主語警察の指摘は、批判相手の問題含みの前提は基本的にすべて無視している。 本来ならば「その相関は教育格差や貧困という社会問題の結果であり、属性のせいにするのは筋違いだ」と論理的欠陥を指摘するか、あるいは「その発言は差別を助長するヘイトだ」と倫理的な視点から叩くべき場面であるにもかかわらず、だ。結局、クソデカ主語デカ警察は、差別発言の内容には目もくれず、発言の形式だけをたしなめることで、本来の問題点そのものを温存する共犯者に成り下がってしまっている。彼らの「主語がクソデカですよw」などという空っぽの指摘は、問題を本当に解決したい側からすれば、救いでも何でもない、ただのノイズでしかない。
ここまでクソデカ主語警察が何故害悪かを、かなり憎悪混じりで書いたが、もしもあなたが今現在クソデカ主語警察であって、あなたがリプを送りつけようとしているツイートの内容が本当に問題だと思っているのだとしたら、これからは「主語がクソデカですよw」などというクソリプを送りつけて悦に入るのをやめることを強くオススメする。差別を助長するようなツイートに強く反発し、憤りを覚えるという点では私はあなたを強く支持する。しかし、それを表明するために「主語がクソデカですよw」などという薄っぺらな借り物の言葉を脳死で使えば、むしろ相手の主張を助長することになる。もし本当に、クソデカ主語警察のあなたに良心があるなら、ちゃんと何が問題なのかを一つ一つ見極めてほしい。我々の社会に本当に必要なのは盲目な警察ではなく、不条理に立ち向かう勇気と理性なのだから。