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はてなキーワード: ムックとは

2026-01-04

陰謀論排外主義、の本が燃えてる件ってさ

比較的まとも(でも無いちだい擁護しばき隊擁護過激左派)と思われていた黒猫ドラネコ

ちだいや菅野といったトンデモ陰謀論差別主義者を一緒くたに混ぜた上で

賛否両論」「色々言われてるが中身は見るべき」という守りの姿勢炎上商法を同時にやろうとして

雑な仕事で共著者にも誰が共著か分からないレベル拙速でっち上げた糞みたいなムック本なんじゃねぇかな


話題になった時点でちだいだか菅野信者であろうチンカス編集の思うツボ

2025-12-27

ガチャピンムックは未だに現役なのに

ポンキッキの終わりの歌

音源化されないのは寂しい

2025-12-17

飯田一史の批判三宅香帆の反論は、それぞれどこが間違っているのか

表題のとおりです。

事の発端は、12月12日飯田一史さんは記事「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか(抄)」 https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5 (以下、飯田批判)において、三宅香帆さんの著作『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1212-b/ (以下、三宅本)の誤りを指摘したことでした。

これに対し、翌日の13日に三宅香帆さんは記事「「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか」はどこが間違っているのか」https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5 (以下、三宅反論)を投稿し、飯田批判に対する反論を試みました。

このエントリでは、両者の主張に対する見通しを良くすることを目的に、飯田批判三宅反論論点を整理したのち、それぞれの問題点を指摘していきます

まとめたのは人文系の話には疎い人間のですので、誤りも多いかと思いますので、まあ話半分で読んでもらえればと思います

なお、飯田批判は、飯田一史さんの新著『この時代に本を売るにはどうすればいいのか』(星海社新書https://ji-sedai.jp/book/publication/konojidaini.html から抜粋であることを念の為補足しておきます

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📰 0. 三行要約(問題点

飯田批判は、特に三宅本は(出版流通における)「書籍」と「雑誌」を分けていないかダメだ」という主張に相当問題があると思う。

三宅反論は、そもそも反論」できてない。言い換えると、飯田論理展開をあまり追えておらず、誤読を基に論理を展開するため実のある話があまりない。

三宅反論は、三宅本の議論の前提に基づく問題を、あたか飯田データ処理の問題すり替えていて、個人的にあまり心象が良くない。

以下、飯田批判三宅反論についてより詳細に検討していきます

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📚 1. 飯田批判論点

飯田批判の主張とその根拠、主張を正当化する論証について整理を行います

理屈が明晰な箇所もある一方、煙に巻くような箇所もあって、議論を追うのはすこし大変だったような印象です。

まあ私の読解力の問題のような気もします。

読みやすくするため、飯田批判の主張のうち、

三宅本への指摘に該当するものには「◎」

・直接的には指摘ではないものには「◯」

という記号を付けておきます

また、論拠を準備していない主張には大括弧[]で囲っておきます

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(「・働き始める前から読書量は減り、働き始めた後も日本人読書量は減らない」の節)

◎主張1-1. 三宅本は、労働により読書量が減少することを前提にする。

しかし、これは誤りであり, 読書量は労働が始まってから変化してはいない。

<主張1-1の論証>

根拠1-1-1. データ書籍の月間平均読書冊数

根拠1-1-2. データ:1ヶ月に読む本の冊数の割合

根拠1-1-1および1-1-2は, 読書量の低下は, 労働が始まる前の現象で、それ以降では起きていないということを示す。

これは、三宅本の前提を棄却するデータであり、ゆえに主張1-1が示される。

<論証おわり>

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◯主張1-2. 書籍における「買う」(=出版売上)と「読む」(=読書量)の間の関係は明白ではない。

<主張1-2の論証>

根拠1-2-1. 「積ん読」という言葉存在

根拠1-2-2. データ: 紙の書籍推定販売金額と月の平均読書冊数

根拠1-2-3. アメリカイギリスでの調査.

根拠1-2-1, 1-2-2, 1-2-3のいずれも、書籍に関しては、「買う」の増減から「読む」の増減を帰結することやその逆を主張することは難しいことを表している。

<論証おわり>

--------------------

(「・「雑誌」と「書籍」も別の話」の節)

◯主張2-1. 雑誌における「買う」(=出版売上)と「読む」(=読書量)の間の関係は明白である

<主張2-1の論証>

根拠2-1-1. データ: 紙の雑誌推定販売金額と月の平均読書冊数

根拠2-1-1は、雑誌に関しては、「買う」と「読む」の間に相関があることを示している。

<論証おわり>

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◎主張2-2. 三宅本では、書籍雑誌区別ができていない。

<主張2-2の論証>

根拠2-2-1. 三宅本のp.38の記述

根拠2-2-1は、三宅本において雑誌書籍区別できていないことを示している。

<論証おわり>

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[◎仮設2-3. 三宅本は、「読書離れ」を論ずる際には雑誌書籍区別するべきである。]

(これは明示的に飯田批判にあらわれていないが、以下の主張2-4の論証において機能する暗黙の前提である、と私は思う。)

---------------------

◎主張2-4 三宅本は、『読書世論調査』における「読書時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張する。しかし、これは不適切である

<主張2-4の論証>

根拠2-4-1. 「読書時間」は「書籍+雑誌との接触時間である。主張2-1から雑誌接触時間は減少傾向であると推察されるので、

読書時間」の減少は(書籍ではなく)雑誌との接触時間の減少と解釈するのが自然である

根拠2-4-2. そもそも読書時間」もそれほど減っていない。

根拠2-4-3. 『読書世論調査』の総括では, 読書率はあまり変化がない.

根拠2-4-1, 2-4-3から、 「読書時間」の減少は書籍との接触時間の減少を導くのは難しい。

[仮設2-3]から, 「読書離れ」は特に書籍読書時間減少を意味すると解釈するべきであり、

三宅本のやり方では書籍読書時間減少を導くことはできない。

また, 根拠2-4-2の存在は、特に読書時間の減少が生じていないことを示唆する。

<論証おわり>

--------------------

(「・労働時間は減り、自己啓発時間も減っている」の節)

◎主張3-1. 三宅本は、日本人現在長時間労働であることを前提にしている。

しかし、労働時間を「全産業平均」の観点で見たとき、この前提は不適当である

<主張3-1の論証>

根拠3-1-1. 厚生労働省「わが国の過去50年間(1973年2023年)の労働時間の推移についての考察

<論証おわり>

--------------------

◎主張3-2. 三宅本は、次の(i), (ii), (iii), (iv)を主張する:

(i) 1990年代から自己啓発市場が拡大した.

(ii) 自己啓発労働による自己実現)のための読書(=「情報摂取型、「ノイズを除去する」「〈社会〉を遠ざける」)時間が増加した.

(iii)代わりに、人文書小説などのための読書(=「アンコントローラブル」な「ノイズ」や「他者文脈」を含む)時間が減少した

(iv) 読書離れと自己啓発書の伸びはまるで反比例グラフを描く

しかし、(ii), (iii), (iv)は誤りである

<主張3-2の論証>

根拠3-2-1. 黒田山本論文

根拠3-2-2. グラフを書くだけの定量的根拠はない(提示されていない)

根拠3-2-1から労働者の 「自己研鑽」 = 「学習自己啓発・訓練(学業以外)」の時間は減少している。

これは(ii)を否定する。

主張1-1および(ii)より(iii)は成り立たない。((iii)が成り立つためには(ii)が成り立つ必要があるため。)

根拠3-2-2は、(iv)を否定する。(少なくとも、(iv)の主張を肯定するだけの理由はない。)

<論証おわり>

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◎主張3-3. 三宅本では、自己啓発市場の拡大から自己啓発書のほうが文芸よりも市場が大きいかのように解釈する。

言い換えれば、次の(1),(2)を主張する:

(1)自己啓発市場は拡大している

(2)(1)が正しいのであれば、「自己啓発書のほうが文芸よりも市場が大きい」は正しい。

しかし、これは誤りである

<主張3-3の論証>

根拠3-3-1 牧野論文.

根拠3-3-2. データ: 日本出版市場推定発行金額

根拠3-3-1は、「年間ベストセラーにおける自己啓発書の冊数割合は増大している」ことを主張する。

これは(1)の根拠としている。これ自体問題はない。

しかし, 根拠3-3-2は 自己啓発本の市場小説市場よりはるかに小さいということを意味する。

これは、(1)が正しいのに「自己啓発書のほうが~」が間違っているので、(2)は正しくない。

以上から、これは誤りである

<論証おわり>

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[◎主張3-4, 三宅本は, 上の(1), (2)が成立するとしていたことが原因で、(i)から(ii)および(iii)を導いた]

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🧠 2. 飯田批判の怪しい箇所

以下で、飯田批判を読んでいたときに、個人的に気になった点を列挙します。

飯田主張2-4について:「書籍」と「雑誌」の区別本質的か?

主張2-4の背後には「書籍雑誌分別するべきである」という暗黙の前提(仮設2-3)があるように思う。

三宅本の「読書から雑誌」を除外することは本当に妥当かを考えたい。

・「書籍」と「雑誌」の違いを整理しておく。

といっても自分出版業界人間ではないので正しい理解かは怪しいのだが、調べた範囲のことをまとめておく。

(間違ったこと言ってたらごめんなさい)

書籍」「雑誌」の辞書的な定義はたとえば布川ほか編『出版事典』(出版ニュース社)のp.217およびp.167にある。

ざっくりまとめると「書籍」と「雑誌」の違いは一定編集方針の下で定期的に刊行されているかどうかという部分のようである

これは、1985年ユネスコ出版統計上の「図書」と「新聞及び定期刊行物」の違いともおおむね合致しているように見える。

("図書新聞及び定期刊行物出版及び配布についての統計国際的標準化に関する改正勧告". 文部科学省. https://www.mext.go.jp/unesco/009/1387396.htm

より実際的な取り扱いは, "既存雑誌が「創刊」とは、これ如何に". 出版科学研究所オンライン. https://shuppankagaku.com/column/20070111/

によれば、

そもそも本というのは「書籍」と「雑誌」に大別されますが、出版業界では「雑誌コード」が付されたものを厳密に「雑誌」と区分しているのです。

一見雑誌のように見える本も、このコードがなければ「雑誌」ではなく「書籍」ということになります

ということらしい。(しかし、これはあくまコラムの中の記述でありカチッとした話ではないことに注意)

書籍」と「雑誌」の実際上の取り扱いの違いは、「雑誌コード」の有無、つまり流通上の取り扱いの違いから生まれてくるという。

日本では、「書籍」はISBNコードを持ち、「雑誌」はISSNコード雑誌コードを持っている。

その中間にあたるムック本では、ISBNコードだけでなく雑誌コードも付随しているようなものは「雑誌」の対象とするようである

("「雑誌」の定義出版統計". 出版科学研究所オンライン. https://shuppankagaku.com/column/20060911/

ともかく、「書籍」と「雑誌」を分けるのは明らかに内容やジャンルではない。定期的に刊行するかどうかであったり、それを根拠雑誌コードが付いているかどうかだったりである

コミック誌を除外したとしても、『anan』のようなファッション誌もあれば『文學界』や『オール読物』のような文芸誌も、また『Nature』や『ナショナルジオグラフィック』のような理工系雑誌もまとめて「雑誌」にカテゴライズされる。

さらに言えばサイエンス社の『SGCライブラリシリーズ書物は, それぞれ内容的に全く独立しており実質的単行本ではあるのだが、『SGCライブラリ151』までは『数理科学』の臨時別冊という扱いだったのでそのカテゴリは「雑誌」になっている。(なお『SGCライブラリ152』以降は「書籍である

一方、書肆侃侃房の『文学ムック たべるのがおそい』は確かにムック本ではあるが、雑誌コードを取得しておらず取り扱いは「書籍」であった。

このように「書籍」と「雑誌」の区分そもそも出版流通上の区分であり内容面での区分ではないばかりか、その区分出版物の実情と必ずしも合致しているわけでもない。

この区分はかなり表面的、形式的ものであると見るべきだろう。

・以上を踏まえて、飯田批判、つまり書籍」や「雑誌」という出版流通における区分の不徹底でもって三宅本を批判したこと妥当性ついて吟味してみよう。

飯田批判とはなんだったのか。

それは、「「書籍+雑誌との接触時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張するのは不適切である」(主張2-4)という批判である

そして、なぜ飯田が「不適切である」と主張するかといえば、「書籍」と「雑誌」は分けて考えるべき(仮設2-3)だからと考えているからであり、

特に三宅本の「読書離れ」の定義としては「書籍読書量(≒読書時間)の低下」を採用するほうがより妥当である、という飯田が信念を持っているかである

ここで注意したいのは、主張1-2, 2-1は「「書籍+雑誌との接触時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張するのは不適切である」(主張2-4)の根拠ではない。

飯田はその直前に「「書籍読書量と出版売上」の相関は弱い(主張1-2)一方で、「雑誌読書冊数と出版売上」が正の相関関係にある(主張2-1)という事実を指摘してはいものの、飯田はこれらを「読書量を測定するにあたって「書籍」と「雑誌」を区別するべきである」(仮設2-3)の根拠にはしていない。主張2-4は仮設2-3からは出てくるものの、主張1-2, 2-1には立脚していない。三宅反論で大いに誤読したのは、主張1-2, 2-1があたかも主張2-4の根拠になっているかのような書きぶり、配置の魔術ゆえであろう。

ともかく、飯田批判妥当性を吟味する際はこの信念「三宅本の「読書離れ」の定義としては「書籍読書量(≒読書時間)の低下」を採用すべきである」という部分に注目すればよい。

三宅本で対象としている「読書」は、大方「人文書小説などのような(「ノイズ」や「他者文脈」を含む)書物を読む行為」と解釈するのが妥当だろう。

したがって「読書離れ」は「人文書小説などの書物を読む頻度が減ったり、そのために費やす時間が減少している」ということだろう。たとえば理工書や技術書ファッション誌、ゴシップ誌などを読むことは端から三宅本の「読書」に含まれていないと見るべきである

転じて言えば、たとえば「雑誌」であっても文芸誌を読む場合は「読書」に含まれるべきだろうし、「書籍」であっても理工書を読むことは「読書」に含まれない(と三宅本では考えている)かもしれない。

要するに、「読書」といったときに、読まれるべき書物を分類できていないと批判するならば、むしろそのジャンル文芸歴史書哲学書・理工書・サブカルゴシップファッションなど)の違いに着目するべきなのであり、出版流通における「書籍」「雑誌」という区分は、少なくとも直接的には重要でないだろう。もしこれが重要なのであれば、それは驚くべきことなので、別でこれを論証すべきである

もちろん、おそらく「雑誌」の出版売上の中でファッションゴシップ支配的で文芸誌や理工系雑誌は影が薄いだろうから、その意味で「書籍」「雑誌」の区分で売上を観測することがジャンルの傾向をよく記述するとは言えるかもしれない。言い換えれば、「ジャンルによる読書量の違い」を捉えるにあたって「出版流通におけるPermalink | 記事への反応(0) | 20:21

anond:20251214101839

ガンダムコンテンツ母体が巨大で十分なバッファを持ってるから少々の失敗はダメージになっていない

作品単体で考えても「数十年単位で見ればどこかのタイミングでペイする」で良い

 

というよりガンダムコンテンツの厚みを増し続ける事に意味があるから

少しくらい勝ち目が薄かろうと、時代とかみ合わなかろうと、いろんな方向性ガンダムを補充し続けているのだろう

それでガンプラの種にもなれば、ソシャゲの新キャラにも次期スパロボの種にもムック本のネタにもなる

2025-12-11

そういえば、大学時代ぐらいからの溢れ出るコンプレックスを生成AI愚痴りまくってた時期が最近あって、

大学時代からプログラミングとか、電子回路とか、金属加工とか、凄い人が周囲にいっぱいいたけど、

自分は何者にもなれなかったけど、最近中国とか見てると、二足歩行ロボット楽しそうすぎるし、

そもそもプラレス三四郎とか、メダロットがやりたかったはずなのに、今の俺は何やってんだろう、みたいに愚痴ったら、

複雑な制御系とか、レベル高いのは難しいけど、意外と市販の基板の組み合わせとかでなんとなかるもんです、

箇条書きズラズラ、やってみたら意外とできるかもしれませんよ、みたいに言われて、

まあ、でも、なんとかならんかったんよね…😟

3Dプリンタで出力して、サーボ組み込んでロボットっぽいものまで作ったら、それでもう疲れちゃって…😟

大分日数が経って、忘れたぐらいに改めて自分が作ってたものの残骸を見て、あー、意外と良くできてたな、みたいに思ったりもしたんだけど…😟

そういえば、大学時代に、今みたいな便利環境のない時代でのマイクロマウスの本、

トラ技ムック本?みたいなの読んで、こういうのできたらなあ、みたいに思ったんだけど、

比較最近で例えるなら、まずCPUトランジスタで作って、そのCPUを使ったコンピュータを作って、

そのCPU動作するOSを作って、そのOS動作するプログラミング言語とかも作って、

みたいなのは、まずレイヤーごとに作れば、なんとかなるのかもしれない、

いや、自分レイヤーごとでも厳しいわけだけど…😟

でも、その当時のトラ技の本とか、最近でもそういうことができる人いるけど、

レイヤーから坦々と組み上げていくわけですよ、まるで一人でピラミッド建造するみたいな、

それだけの能力と、そもそも体力がある、精神力がある、

から今の自分まで、一貫して自分に足りないのは、その体力というか、胆力だと最近も思ってる

そこが圧倒的に足りない…😟

自分浮気性なので、集中して何かやっても、なんかこれは線形とか比例して成長していけそうだな、

と思ったところで、ダレてしまったりして、要は、これってもう努力と結果が比例するだけなんだ、と思っちゃうと駄目…😟

それより、あー、これは努力では突破できない、これを最初に思い付いた奴はスゲーな!みたいなのが好き、

所詮、私はワナビーの驚き屋のままなのでした…😟

そういえば、ワナビーじゃなくてウォナビーズの出来の酷さは、キャラデザ園田健一先生もずっと根に持っていたんですね、

今更、なんかで見たけど、たしかにあれは酷かった…😟

なんの話だったっけ…😟

2025-11-18

ソシャゲVtuberコラボで「世界観が!」とかほざくのはさすがに笑う

特にグラブル

あんだけ節操なくありとあらゆるコンテンツコラボしてて今更世界観も何もないもんだわ

せめて季節ガチャくじ引き画面にガチャピンとムック常連になった時に文句言っとけよ

ポンキッキドラえもんボーボボを受け入れて笑ってたくせに

Vtuberコラボした途端に「グラブル世界観!!」と青筋立てるのホント頭悪い

変に理論武装しようとせずに「私はVtuberが嫌いです!」と言えばいいのにね

世界観がどうとか言い出すから突っ込まれて恥ずかしい思いするんだよ

なおコラボとは無縁のアニメゲームの本編に出しゃばってきたらブチ切れていい

劇場版アニメ映画に素人芸能人声優としてブチ混むような愚行

https://anond.hatelabo.jp/20251117223522

2025-08-28

平成女児というマーケティング

ツイッター(自称X)でどの世代ドンピシャだのなんだの話題になっている。

まず、平成女児という流行においてはどう見ても平成元年~10年頃生まれが主に幼少~小学生時代流行ったものリバイバルグッズとして販売れいる。

ただ平成女児という言葉のものにおいては平成女児だった人すべてが含まれる。

これらが対立すべきではないと思う。リバイバルのメインターゲットが違うだけなんだよね。

呼称が同じなのが悪い。というか売る側やメディアネット言葉そのまま使ったのが悪い。

平成女児といいつつ2010以降流行ったものリバイバルしていない。

アイカツプリパラシリーズ物からちょくちょく復活してるから別にリバイバルとは感じないし、

プリキュアもやたら初代(MH含)と5(gogo含)が推されているが、間のSSスルーされがちだし。

まりは売る人たちは売れればなんでもよくて、もともと売る予定だったもの勝手平成女児と名付けてるだけだと思っている。

それはそれとして、この問題で「自分たちはなんだったのか、虚無の世代」という発言がちらほら見られた。

虚無なんてことはない。森ガールファッションしまむらにめちゃくちゃ並んでたり、KERAファッションアベイルにめちゃくちゃ並んでたじゃないか蛍光色のプラスチック製鎖とかあっただろ。なあ!

きゃりーを筆頭に原宿系が市民権を得たり、ボカロ深夜アニメ市民権を得始めたり、進撃が流行ったり、いろいろあったはず。まぎれもなく平成だよ。

サン宝石だって平成女児っていわれてるけど、ほっぺちゃんに限っては君らの世代のものだろ。

まあ…それらがリバイバルされるのはいつになるかわからないけどさ。

ただやっぱりこういう人たちを見ていると、自分が時々考えている最近コンテンツリバイバル推しすぎ問題がチラつく。

なかよしは顕著だった。セーラームーンを始めCCさくら、ぴっち、しゅごキャラ

平成女児だった人たちを狙ったコンテンツを、今を生きる女児がメインターゲットのはずの本誌で続編だの周年付録だの。

別冊やムック本、なんならウェブコミックのみでやればいいのにと思ったよ。(その点りぼんはがんばってるね、すごいね。)

の子供たちが25歳くらいになったとき、何をリバイバルする気なんだろう。今の子供たちが大人になったとき、「私たち世代といえばこれだよね」って言えるものはあるのか。

そういう心配を割としょっちゅう考えてしまう。

余計なお世話大きなお世話だと思う。でも、自分がいろんな新作コンテンツ、新作おもちゃバカスカでてた時代女児できたのは、そういう新しい時代を作ろうとする大人がいてくれたからだと思うから

なかよし70周年の付録を見て、50周年のとき過去人気だった作品ポストカード!とかじゃなくて本当に良かったと思ってしまたから。

だって実際、武内直子先生ときめかが新連載で始まったとき、当時は「絵柄が古臭い」とか思っちゃったもん。

自分の周りのなかよし読者もときめかは読んでないって言ってる子がほとんどだった。(自分は読みはしていたけどやっぱり絵柄が気になっていた。)

大人になった今見るとかわいいと思うし、面白いとも思ったけど、短期で終わったのはそういうことでしょ。

そういう立場大人たちは今の子供と真剣に向き合ってほしい。

簡単に儲かるからってウチらの財布ガン見すんな。新しいもの作って今の女児新しい時代を作れ。もう令和7年だぞ。いつまで平成にすがっとんねん。

本当に女児時代昭和に縋るコンテンツばっかじゃなくてよかった。

てか本当に令和の女児コンテンツが見たい。

あとは今の子供たちが親の機嫌をうかがって好きでもないくすみカラーとか選ばなくてよくなる時代が早く来るといいね

2025-07-28

合丼来来(あいどんらいき)伝・6

※今回の「合丼来来(あいどんらいき)伝・6」で話すことは、「合丼来来(あいどんらいき)伝・5」の裏側で起きていた出来事です。

ゆざいちょの新天地「BabyLook Portal - おむつ情報サイトベビールックポータル

アフィリエイトブロガーのゆざいちょ」が「条令改正反対運動に参加するゆざいちょ」となり、更に「Twitterスパマーゆざいちょ」へと進化していたのと同時期の話。
2008年から、「BabyLook Portal - おむつ情報サイトベビールックポータル」というニッチ性癖(オムツ・おもらし性癖)の人達の集まるサイトチャットに、
元々そのチャットにいたメンバーから紹介される形で「合丼来来(あいどんらいき)」という名前人物が出没するようになっていた。

最初チャットに現れた頃こそ丁寧な口調と低姿勢言葉遣いだった彼は、チャットに現れる様になってから1年と少しが過ぎた2010年頃には、
チャットで周囲の人が引いている事にも気付かず「条令に賛成する奴は表現の自由の敵だ」のような政治的発言もするようになっていた。

この「合丼来来(あいどんらいき)」という人物の正体が「ゆざいちょであることに気付いている者は、2010年まで一人も居なかった。
活動を開始した時期がmixi騒動の直後であることから過去の素性を隠して活動するために、過去活動範囲と重ならない範囲で別名義を名乗り始めたのだろうと推察される。

なお、備考として述べておくが、mixi時代にゆざいちょとリアル付き合いのあったグループmixi騒動後、ゆざいちょと絶縁した(ゆざいちょを自分達のグループから追放した)と聞いている。

ベビールックポータルメンバーから聞いた話

ここからは、ある人物ベビールックポータルメンバーから受け取った時系列メモをそのまま書き写す。

2009年
2010年

これが、ベビールックポータルメンバー視点から見た、合丼来来の動き関連の流れだそうだ。

<注1>
ブログで書かれた作品紹介記事には、ブログの開設から年を経るほどに「紹介している作品を購入して読んでいれば間違えるはずのない間違い」が増えていき、
記事で紹介された商業作家の中に「訂正を求めたものの聞き入れてもらえなかった」と後に証言した作家もいる。
また、「紹介している作品を購入して読んでいれば間違えるはずのない間違い」が増えていくことから
次第にベビールックポータルメンバー内でも、本人がいないところで
「合丼来来は作品紹介記事を書くのに、サンプル部分や無料部分とサムネイルだけに目を通して記事を書いている」
という評価が出るようになる。

<注2>
編集長は、合丼来来には「書くペースは速いよね」と、「自分で書いた作品自分で読み直して推敲する癖を付けて欲しい」をオブラートに何重にも包んで言っていた。
しかし、合丼来来は、それが何重ものオブラートに包まれ言葉だと気付かず「編集長から、書くのが早いと誉められた」と、
その裏にある意味を全く考えず称賛の言葉として受け取っていた。
掲載された小説を読み返していれば、本人が出した原稿掲載されている内容が違う事に直ぐに気付けるぐらいに修正がされていたので、
読んだ上で「自分小説クオリティ商業レベルに達してないと気付いて落ち込む」か「勝手修正されていることにキレる」かのどちらかの反応が
生じることを周囲(ベビールックポータルメンバー)は期待し、どちらかの反応が生じた場合編集長が半分近く修正している」という事実を明かして、
本人に自覚向上心を植え付けたいという意図での「自分で書いたものを後から読み返した方が良いよ」
だった。

「ゆざいちょ=合丼来来」が判明

こうした流れがある中で、「合丼来来(あいどんらいき)伝・5」で書いた通り「ゆざいちょ=合丼来来」という事実が判明し、
合丼来来は「ベビールックポータル」のメンバーから干される(距離を置かれる)ようになる。

「合丼来来伝」まとめ

【完結済】 「合丼来来伝」

2025-07-14

幼児の頃に見たビデオ

ガチャピンムックキャンピングカーバーベキューして

キャンプ用の銀色の皿に肉を取り分けて

タレをつけてたとこまでは記憶にあるんだが

その後肉をどうやって食ったのか覚えてないんだよな

まさか首元から中の人が食うわけもないし

食うシーンはカットってのが現実的かもだが、それならそもそも食事シーン撮るか?ってのもあり

VHSはまだ実家にあるかもだが、デッキが多分死んでるんだよな

2025-06-15

30年前は1stガンダムって「昔のアニメ」だったよね


Xで話題になってたこ話題(これ自体シロクマ先生データベース消費論がツッコミを食らってることから派生した話題だったんだけど、そこは関係いから省く)、これマジでそうなんだよ。

いまでこそSNSを開くと毎日毎日毎日毎日毎日毎日ガンダムの話をしている人たちがいるが、ある時期までは1stガンダムって「昔のアニメ」だったんだ。これは現在では忘れられがちな視点だ。要は仮面ライダーにおける初代と同じような扱い。前島賢1982年まれらしいけれど、増田1983年まれなので、だいたい同年代だ。幼少期はSDガンダムが最盛期であり、増田もまたSDから入ってリアルガンダムを見るようになり、さらに遅れて90年代終盤にようやく1stガンダムちゃんと見た。

その流れがどこで変わったか(1stガンダムが“蘇った”か)というのはいくつかあって、やはり「ガンプラ」と「ゲーム」が大きかったと思う。あと他にも「エヴァブーム」(正確にはエヴァブームのあとのメディアにおける1stガンダムの扱い)、「ガンダム20周年」、「ガンダムエース」、「ネット世論」とかもあるんだけど。

ガンプラ現在でこそ1/144でも1/100でもRX-78がいくつもリリースされて、「もういいよ!他の機体出してよ!」と言いたくなるくらいだが、90年代はそうではなかった。90年前後リアルガンダムの売上はSDガンダムの半分以下だった( https://torja.ca/entame-zanmai1711/ )。ガンプラの新作ラインナップは現行の新作シリーズSDガンダムで占められており、昔のアニメである1stガンダムの機体が商品化されるのは異例だった。HG(いわゆる旧HGカトキハジメイラスト描いてるやつ)でRX-78などがリリースされたことはあったが、再評価起爆剤となったのは1995年発売のMGだ。今の技術真剣ガンプラを作ったらどうなるかというコンセプトで制作されたMGは、高価格帯(今から考えると安い)ではあったものの、ガンプラブーム世代を再びガンプラに引き寄せて商業成功をおさめた。1999年には1/144のHGUCシリーズも始まった。ちょうど2000年前後の数年間は現行作品キットのリリースが数的にも落ち着いていた時期であり、代わりに頻繁にリリースされるMGHGUCの新作キットがガンプラの主力となっていた。昔の作品と近年の作品と現行の作品のキットが同じカタログに並ぶようになった。ガンプラGジェネ化というかMS全集化というか、そのように呼べるような傾向が進んだ。

そして、ゲーム。これが大きい。米津玄師ガンダムに触れたのはGジェネFからだと語っていたが、90年代においてコンシューマーゲーム存在感無視できるものではない。

やはりゲームにおいても90年代前半にリリースされていたガンダムゲームの多くはSDガンダムと現行シリーズだった。しかし32ビットゲーム機の登場から流れが変わる。ボイスやアニメ再生できるプレイステーションセガサターンでは、過去作を扱ったタイトルが頻繁にリリースされるようになっていく。昔のアニメは見たことがないけれどゲームを通して過去作を履修する世代生まれる。三国志ゲーム武将を覚えたり、ウイイレ欧州サッカー選手を覚えるのと同じだ。アニメは見たことがないのに何度も何度もドズルの名台詞を聞き、リアルタイム世代でもロクに名前を覚えていないようなフライマンタやTINコッドを覚える。

増田プレイステーション発売直前のプロモーションビデオで、開発中の「機動戦士ガンダム」の映像を見て、「えっ、初代ガンダムゲーム出るの!しかポリゴン!まるで本物!」といたく感動した記憶があるのだが、今見ると ( https://youtu.be/Ajsls4wsaOI?si=t74InA4f8-UfdSYb&t=907 )なんとも言えない映像だな、、、

あとガンダム20周年ね。それに合わせて関連商品、関連ムックが数多く企画された。絶版状態だった「ガンダムセンチュリー」も復刻された。この時期になると1stはすっかり“蘇った”と言えるんじゃないかな。そのあとは新作グッズに最新作(SEEDなど)と1stが同格で選ばれることも珍しくなくなる。

ところで件のポストには「再放送があった」という意見がいくつか寄せられているけど、少なくとも90年代関西では1994年ごろにMBS深夜にやっていたのし記憶にないよ。1stTV版が再放送されまくっていてそれを浴びれたのって団塊ジュニアじゃないかな。

2025-06-11

ジークアクスには俺が考察を辞めた理由が詰まってる

昨今、ジークアクスが話題だ。

考察動画もわんさかあって、盛り上がっていることが伺える。

俺も元々は考察好きで、大学時代には考察に熱が入り友人と語り明かしたことも度々あった。

エヴァ考察が好きだった。

ムック系の類いを何冊も購入したり、同じ話を何度も繰り返し視聴しては細かい点に目を凝らして「今の演出意図は○○じゃないか?」とか、あの発言真意は○○だ!みたいな、考察に熱中していた。

風向きが大きく変わったのは新劇からだったと思う。

これまでの流れを二転三転する展開、文脈無視して進むストーリー。おや?と気づき始めたのは、実は破の頃からだったのかもしれない。

それはQになると確信に変わり、これまでの考察は全てが無に帰した。

本当はTV版の頃から気づいていたのかもしれない。

細やかな演出台詞の間、意味深発言から自分いくら考察しようとも、それらは制作者による鶴の一声で全てが覆されてしまうといった事実に。

これまでの流れを鑑みるに、ジークアクスにも同じ空気が流れている感は否めない。

俺たちがいくら考察しようとも、そこに突如として、何の前触れもなく新しい設定をどーんと登場させて、これまでの考察一切を無駄にする。

結局は作者の掌の上で踊らされているどころか、そもそも考察した対象自体にはなから意味はなかったのだ。

意味があるように見せつつ中身は空。

それが実際、本当に意味がある場合もあるが、しかジークアクスにそこまでの意味があると信じていいのだろうか?

ファーストガンダムが好きで、だからこそ期待して観ているし、久しぶりに考察もしたくなった。

しか考察したところで次週に突然奇抜な設定が登場してそれが全ての説明になり、謎の答えはそれによって説明される。そんな可能性があるんじゃないかと疑ってしまう。

俺は未だに、鶴の一声を怖れている。

2025-05-27

ワンボーイと島のピースは何も問題ない

たとえばこれが「ワンピース、島のボーイ」なら多少は議論余地がある。

たまたま見かけた子供がこれを尾田栄一郎公認だと思ってしま可能性もゼロではないからだ。

世の中にはサンジゾロが裸で仲良くしてる本をワンピース公式ムックですぞ勘違いする子供や、「何が好き歌で自分を語れよ!」をルフィセリフだと思い込んでいるゲーム開発者だっているのだから

だが、「ワンボーイと島のピース」を「ワンピースゲームだ!」と勘違いする奴は流石におらんやろ。

たとえばポケモン公式が「ポケットの中のボールに入っているモン」とかい名前ゲームを出すか?「ピカピカの真っ最チュウ」という歌詞はあっても、作品タイトルにそれはせんやろ?

わかるか?

勘違いしようがないラインの向こう側でダンスってる奴に「おいおい。世の中の半分はIQ二桁。勘違いちゃうかもだぜ?」は人の可能性を疑いすぎぁ

2025-05-19

anond:20250519151007

まぁそこまでを要求されるレイアウトストッククラスに用意されていないっていうのはあるけどね。

元々ガタつかせて制振はEVO系のアンダーパネルで考案されてVS-EVOで何回か試したけど、ぶっちゃけ

今だったらボールリンクマスダンパー使った方が簡単に制振できるからわざわざやる人もおらんだろうなぁ。

パワソはもうしゃーない。というか電池モーター、ギア周りの慣らしについてはガキの頃からムックで言われてるし、

今更ギャーギャー言ってもね。だからこそジャパンカップ決勝ではアルカリ支給イコールコンディションにしたりしてる訳だけども。

2025-05-09

ガチャピンムックって

CM活動してるけどどこが権利持ってるの?

フジテレビ

だとしたらしゃくだな

2025-04-24

暇空茜を応援Amazonアフィリエイトリンクで間接的にサポートする方法

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2025-04-22

なぜかサカナクションの「怪獣」を歌うガチャピン公式チャンネルおすすめに出てきた

いや、上手いな

チャンネル存在自体初めて知ったけどマイクラムックサバゲーしてるゲーム実況もやってんの?

マジで何でもやってるな

2025-04-03

悪役令嬢概念無限拡大しまくってて本当に楽しい

SNSだと定義歴史から大上段に振りかぶって「悪役令嬢とは」談義したがるけど

現場はそんなもん気にせずのやりたい放題で見てて楽しい

 

シリウスKCレーベルから出てる

『悪役令嬢みたいに断罪されそうだったけど、全力で愛されてます! 不幸な運命に「ざまぁしまわ!アンソロジーコミック

というシリーズが、もう既に7巻ぐらいまで出てるんだけど、

最初からタイトル詐欺で悪役令嬢も断罪も「ざまぁ」もない話ばかり収録され続けていて、

ほとんど単なる恋愛ストーリーで、いちおう令嬢やナーロッパ近世ぽい舞台なのが多めだけども

場合により現代劇だったり貴族出てこなかったり、恋愛じゃなくほのぼのハートフルストーリーだったりと、もう本当に悪役令嬢要素皆無でも平気で載っている

そもそも、なんでこんな意味不明タイトルなのかというと、悪役令嬢をタイトルにしたアンソロジーはどのレーベルも出しまくってて、

差別化でひねって考えたすえに出たタイトルがコレという

 

往年の雑誌文化を知ってる人はわかると思うけど、これ「ホラーコミック」と称してホラー看板だけど載ってる人気マンガは言うほどホラーじゃなかったりする雑誌スタイルムック的な手法で、「悪役令嬢コミック」という人気ジャンル専門雑誌体裁で中身は自由にやってる感じなんだよね

こういうのでもタイトル詐欺にならないというか、シリーズ7巻まで続けられてるのが「悪役令嬢」という看板の強さと、それを選択して買ってる層の厚みを感じられてホント好きなんだけども、

 

これさ、現代WEBコミックが主戦場から既存雑誌じゃなくて人気ジャンルとそのアンソロジーという形を経て、

結果的に、「悪役令嬢コミック」という枠を得ることで、少女マンガ作家少女マンガジャンルが再集結してるカタチになってるのね

 

少女マンガはもうだめだーとか、今は24年組みたいな作家少女マンガでは出てこないんだーとか言うわけだけど、

いや、それ言ったら、今のジャンプに「ハレンチ学園」も「はだしのゲン」も載らないし

男性向けだろうと殆ど雑誌死に体ですからね。青年マンガあたりはとっくに滅んでると言って差し支えない

 

ほっといて、元から少女マンガの半分以上、都合のいいハーレムマンガ看板から

花ゆめは違う? LaLa看板なんて、長く清水玲子の「輝夜姫」だったりしたじゃん?

あれなんか世界中セレブ集めたハーレムマンガの極地みたいな話すよ。そういうのが大事なんすよ少女マンガ

なので、悪役令嬢で少女マンガは復活した宣言すべきなのです

実際そうなので

2025-03-15

anond:20250315013743

なぜララアはシャアを守るために死んだのか?

なぜララアはニュータイプ共感によってアムロの元へと走らなかったのか?

ということを原作者はきちんと理論化していて

なおかつ

それを物語の中で表現している。

そのことに驚いた。

まず結論として

ララアがシャアを捨てなかったのは

ふたりが男女の関係であったから、

というのがその理由だ。

もしも、二人が男女の関係ではなかったら、

アムロとのニュータイプ同士の共感を果たしたララアは、

即座にアムロのもとへと走り、

シャアことなど完全に忘れていただろう

というのが原作者見解だ。

これは自分勝手に書いていることではなく

劇場版機動戦士ガンダムめぐりあい宇宙編のあとに

発売されたムック本のなかで語っている内容だ。

そしてその理論はきちんと脚本化されていて物語の中で表現されている点も称賛に値する。

映画の中で

コンスコン隊とホワイトベースの戦いが

テレビ中継されるという場面がある。

例の

「たった3分!?12機いたリック・ドムが全滅だと!?

というシーンだ。

あそこで

シャアララアがテレビを見ながら

「賢いなララアは」

とか乳繰り合っているのだが

あの場面が事後であることを意味している。

普段仮面を外すことがないシャア仮面を外して

ソファふたり座りながらリラックスして酒を飲みながらテレビを見ている。

これ、二人やったあとですよ

というのを意味している。

それでいながら小学生が見ても

別に違和感なく見れるシーンとなっているのは流石だ。

蛇足だが、

のちに逆襲のシャアなどでは

シャアとナナイがバスローブを着て

会話をしているシーンなどがあるが

それは視聴者層が変わったことによる

表現自己規制の変化と言える。

と、これは元増田の疑問とは離れた話ではあるが若干解答の要素もあると思う。

結局、ララアはシャアを守るために死んでいったのだからララアが自分を見捨てたわけではないと誰よりもシャアは知っているだろう。

2025-03-01

ガチャピンムックUQCMに出れてて、お前らには飛び火しなくてよかったな…という温かい気持ちになった。

2025-02-27

anond:20250227180006

X68は音と本体フォルムがうけた機種

MSXは各社が自由に機種を出して、適当に使えることを重視された機種

ユーザが求めてるもの全然違うのに

同じように昔の復刻をしたって集まる金額が違うに決まってるだろ?

MSXを今更ハードウェアで出す意味は全くない

そもそもMSX過去公式エミュレータとしてムックを出して十分売れた

三匹目のどじょうねらいのMSXが不利なのは当たり前だろ

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