はてなキーワード: 手塚治虫とは
というのも考えたら変なタイトルだ。
「楽園」については、南洋の島=楽園というステレオタイプに依拠している。
「ゲルニカ」はピカソの絵画でも有名な、世界初の戦略爆撃により推定で1600人程の死者を出したスペイン北部の街である。
と、そこまでは誰でもわかるのだが、ゲルニカはいまでも存在するふつうの田舎町である。注釈なしに地獄の代名詞として使われる謂れはないのだ。
「ペリリュー 楽園の重慶」「ペリリュー 楽園のドレスデン」「ペリリュー 楽園の東京」だったらなんだかよくわからないだろう。え、結局どこの話なの? と。
じゃあなんでゲルニカの場合だけがなんとなく据わりがいいのか?ただただ、音の響きのせいだろう。
10代、20代の天才がいるとして、その天才と同じ能力を凡人が60歳で獲得したとしても、
なわけで、体力が一番あるときに、能力のピークがある人の方が有利だよね、当たり前だけど
シャワー浴びながら、色々な漫画とかアニメ作品について考えてて、
他の作品についてはともかく、ハガレンって設定の時点でかなり勝ってるよなあ、と思うものの、
あの作者も結構多作な気がするし、ハガレンばかりが注目されがちだけど、
やはり、数うちゃ当たる、当たって砕けろ、遅筆は駄目、多作でないとヒットしない
でも、漫画なら士郎正宗みたいな人だっているじゃん、とも思うわけだけど、
あの人は1ページ描くのに、何回も自分で駄目出してして、ネームどころか下描きが2、3枚あってもおかしくないんで、
どんな仕事でも同じだと思うけど、ちょっと失敗したな、と思っても、どんどん流していいかないといけない…😟
このページ、なんかコマ割りだか、ペン入れ段階でだか、失敗したな、って思っても、
それこそ商業作家なら、寧ろ低クオリティになっても流していかないと、仕事にならないわけで、
究極、今じゃ許されないと思うけど、手塚治虫って多作であるが故に、色々と酷い所があって、
ろくにネームどころか、下描きさえしないで描いてるんじゃないかと思うんだけど、
ページの一番最後のコマに、落書きみたいなのが描かれてて、ここコマ余っちゃったごめんね~!
みたいなノリで描かれてて、なんじゃこら?と思っちゃったんだけど…😟
話を戻すと、ゴミであれ大量生産できる体力があるのは若いうちだけなので、体力があるうちに人生の色々なことを楽しんでおくべき…😟
定期的に、"清潔"にしているのに"清潔感"が無いって言われるのは差別の言い換えだ、容姿の良さってことだろ、って誤った理解で憤る人がいるんだけど、違うよ。
これは「ナチュラルメイクは、まったくナチュラルじゃない」とかと同じで、別に"清潔感"に限った誤解でも無いんだけどね。
不細工だから清潔でも清潔感が無くて、容姿端麗なら不潔でも清潔感があるって言われるのがズルいみたいな捉え方をする人がまだいるんだけど、そもそもの前提が間違ってるんだよ。
分かりやすく説明すると、2つの軸があって、その綱引きで決まっています。たぶんそこから説明が必要だと思う。
ものすごくざっくり言うと、キアヌ・リーヴスが無精ひげでボロボロの格好していてもイケてるのは清潔感があるからなじゃくてキアヌだから。
プレデターバッドランドで(作中の設定として)超不潔なはずのエル・ファニングに清潔感が見えるのは、ある条件を達成しているから。
どんなに(化学的/衛生的)清潔でも条件を達成してないと清潔感があるとはみなされないんだけど、ある条件の達成には(通常は)清潔である方が楽なの。
まず大前提として、清潔感って非常に不自然な状態で、天然ではそうはならんのよ。ここの誤解が男女ともに非常に多い最初のつまづきだと思う。
分かりやすいところで行くと、髪ね。
キューティクルとか言われるけど、入院なんかで病気にならないように管理されている状態で清潔にしているだけだと、ああはならんのよ。
衛生的には適切にごみやほこりが洗い流せて頭皮に皮脂が過剰に溜まって無ければ清潔なの。でも、パサついた髪の毛とか、ごわごわしてるとか、清潔なだけだとそうなるのよ。
キューティクルがとか、天使の輪がとか、ああいうのは、人工的に不自然に手を入れて初めて手に入る、作られたものなのです。
そして髪の手入れと言うのは基本的には清潔ありきでさらに作りこんで初めて手に入るんだけど、一度手に入っちゃえば不潔でも維持することは不可能ではないのよ。
そして、上級者になると、不潔なんだけど外見だけそっくりまねて清潔感だけ出すことも出来たりするわけよ。
ものごっつ肌荒れしてても化粧とテクニックでごまかすことはできるんだけど、やっぱ素地になる肌が清潔で丁寧にお手入れされている方が楽できる。
でも、清潔なだけだと、絶対に化粧が完成した顔にはならんわけでしょ?だって化粧してないんだし。
もちろん、一部例外的にほとんどすっぴんでも化粧が完成した顔になる人はいるけど、そういう例外だけ取り上げるのは良くないと思うな。
脂ぎってて太ってて不潔な人は、清潔感が無い。
髪を洗ってなくてフケが飛び散るような人は、清潔感が無い。
何日も洗ってないようなヨレヨレの服を着て、襟とか袖に汚れが見える人は、清潔感が無い。
スニーカーが汚れてたり、合皮のカバンがボロボロだったり、ゴチャゴチャゴミが入ってるような鞄を持ってる人は、清潔感が無い。
その反対側にいるように見える、そういった不潔さと真逆にいるように見える人のことを、清潔感がある、というのよ。
当然なんだけど不潔で無いなら清潔感がある、ではないわけよ。清潔感がある人は、不潔であるようには見えない、なのよ。
例えば、歯を磨いてなかったら汚いから不潔じゃん。でも笑った時に白い歯が光ってれば清潔感があるように見えるのよ。不潔であるようには見えない、というところがポイントね。
ブコメに清楚と近いのかなって言ってる人が居たけど、俺もそう思う。清楚とか可憐とか透明感とかって言うのの言い換えの一種として清潔感があると思っている。
純真無垢とか可憐って、男性に使うにはちょっとニュアンスが違うじゃない。芸能人なんかに使う透明感をより現実に近づけたものが、清潔感、だと思うわけよ。
Yシャツがパリッとしてるとか、パンツのラインがきれいとか、そういうのを清潔感って表現してるわけで、つまり不潔とは程遠く見える。
暴飲暴食しても普段から歩く速度が速くて趣味がボルダリングみたいなやつは基礎代謝が高いから筋肉質な体つきになってシュッとしてたりするじゃん。
まったく同じ飯食ってても、ドカ食い気絶部とか言って飯食った後歯も磨かなければ風呂も入んないで寝るやつはやっぱ不潔だからそっから生活立て直すしかないじゃん。
ぶっちゃけ、小汚い連中を差別する為に作られた言葉だ、みたいな精神性が良くないと思うわけよ。
シュッとしててカッコええわぁ、パリッとしてクリーニングから帰ってきたYシャツみたいやわ!を短く言い換えると清潔感がある、みたいになるのよ。
清潔感がある人が良いって表現、小汚い人が嫌の言い換えじゃね?って思うの、俺は違うと思うのよ。
生き生きしてる人が良いって言うの、目が死んでる人が嫌の言い換えじゃないじゃん。
品川駅を歩く目が死んだサラリーマンと、ハワイでフルマラソンを走り切って生き生きしているスポーツマンの間にはさ、もっと無数の果てしない状態遷移があると思うわけよ。
廃墟の和式便所と、タワマンのネオレストNXの間には、無数の便器があるわけですよ。
清潔で隅々まで磨かれてその場の雰囲気に合った装飾でスムーズに用が足せれば、必要な時に必要なことが出来る信頼性があれば、ちゃんと評価はしてもらえるのよ。
それはね、所属してるコミュニティが良くない。そういう共同体じゃないところに所属しよう。
このおばあちゃん清潔感あるなって人、テレビのインタビューでも見かけたりしない?政治家でも芸能人でも良いけどさ。体型は分からんしイケメンではないし、でもなんか清潔感あるな、みたいな。
俺は武井壮は苦手なんだけど、あの人が良く言う思った通りに体を動かせる選手が少ないって言うのに近いと思う。手塚治虫がフリーハンドで新円が描けたでも良いけど。
結局のところ、適切な方向性を見出して、そこに向かって近づける労力をかけないかぎり、そこには近づかないのよ。
目標を決めてソコとの差を埋めるべく、仮説を立て、実験し、結果を得て、検証し、仮説を修正して、近づけて行くしかないの。
もし清潔感が無い、もっとこうしたら?って言われたら、「そこは清潔感があるように見えなかったんだな」と思ってトライしてみるしかないわけよ。
でもね、これが一番大切なことなんだけど、もしフィードバックを得ても自分を変えたくないなら、そこからは離れるのが良いの。向いていないことしても苦しいだけだから。
ぶっちゃけ、男なら全身医療脱毛した上で、毎週末にQBハウス通ってツーブロック維持して、週に10キロ分チャリ漕ぐだけで、髪型で清潔感が無いって言われることは無いと思うよ。
もちろんそんなことしなくても、手持ちのちょっとしたものだけで清潔感を維持できる人はいるけど、それはさ、積み重ねがあるからできるわけなのよ。
というか、繰り返しになるけど、もし「清潔感が無いと叩かれている」と感じるなら、そういう場所からは離れるべきなの。もっと世の中楽しいこといっぱいあるんだからさ、嫌なことにリソース割くの勿体ないよ。
まあそもそも、人はみな詩人や作家では無いので、正確に物事を定義して表現しきれるかっていうと、世界はもっと雑で曖昧なものだと思うよ。
映画メッセージのもとになった、テッド・チャンの短編集「あなたの人生の物語」に収められている「顔の美醜について」を読んで、ルッキズムとはなんなのか、美醜が無くなった世界で何が起こりうるのかを考えるのも悪くないよ。
子供の頃、というのは、おおよそ55年くらい前のことで、掲載誌は少年サンデーや少年マガジンなどではなく、おそらく「小学◯年生」といったような雑誌と思う。
内容は、広い洞窟のようなところを探検する話で、覚えているシーンは、岩の大きな水溜り(あるいは池)の手前側に主人公がいて、水溜りの対面に、明るい穴あるいは少し狭い洞窟から、異星人と思われる何かが数体出てきて、片手を上げて口々に「やあ」と言っている。
その風体は、ひょろ長く表面はツルツルしているよう。頭部は縦に長く、目も縦に長い、しかし黒目はない。
さらに、洞窟だと思っていたのは、実は宇宙を漂う巨大な生物の内部。
その生物を俯瞰した場面では、平べったいナマズのようで、背中がボコボコしていて、尻尾の部分が細くなっている。
戦争か終末の感じで辺りの家が無くなっていて、多分子どもが自分の家のあった場所に着いたとき冷蔵庫が残っていてその中に親だったからのメッセージ(と食料)が入っていたという内容。
読んだのは多分40年ぐらい前でなぜか今も断片的に覚えているんだけど詳細がわからない。
多分短編で絵柄ははっきり覚えていないが横からの視点で描かれていたような気がする。
みたいな内容でChatGPTに投げて聞いてみた結果
有力な候補
「タイムマシンの作り方」「ミッドナイト」「火の鳥 未来編」などの中に、戦争後の子どもと親の残した痕跡という場面が散見されます。手塚は冷蔵庫や残骸を象徴的に使うことがあり、絵柄も緻密ではなく分かりやすい線。
『SF短編 <異色作>』シリーズの中には、戦争後や廃墟を舞台にしたものがあり、子どもが親の残したメッセージを読むエピソードが存在します。藤子Fはよく横から見た構図を使うので、記憶に合うかもしれません。
この二人も70〜80年代に終末短編を描いていますが、冷蔵庫に親のメッセージというのは少し異色。
回答を見て検索してみるとここで少し絵柄を思い出してきて、多分手塚治虫か藤子・F・不二雄っぽい気がするんだけど結局絞れず。
SNSを見ると、彼の本を過去に読み、賞賛したのを恥じる当事者の意見もチラホラ出ている
だけれども、これって「作品に罪はない」と同じように考えられないだろうか
高い解像度で且つ巧みな比喩表現を交えてわかりやすく説明しており
発達のライフハック本としては出色白眉だなと感心したことをよく覚えている
既にXで過激なレスバに興じており、まあ両極端な人なんだなとはその当時から感じていた
大業を成し遂げた人は割と人格面では偏っていて
それでも大半の人はそうした部分は割り切って、プロダクトしたもの自体を受け入れている
生み出した作品が素晴らしいものであっても、本人の人格はメタクソ(だと感じる)って全然あることでしょ
その辺は分けて考えて良いと思うのだけど
歴代発行部数ランキング | 漫画全巻ドットコムから上位50人
プロフィール非公表の和久井健を除く49人中、出生地または出身地が東京都の漫画家は9人
出生地/出身地の片方が東京都の漫画家を0.5人分としてカウントするなら7.0人
| 尾田栄一郎 (ONE PIECE) | 熊本県 |
| さいとう・たかを (ゴルゴ13) | 和歌山県、大阪府 |
| 青山剛昌 (名探偵コナン) | 鳥取県 |
| 鳥山明 (ドラゴンボール) | 愛知県 |
| 岸本斉史 (NARUTO -ナルト-) | 岡山県 |
| 吾峠呼世晴 (鬼滅の刃) | 福岡県 |
| 井上雄彦 (SLAM DUNK、バガボンド) | 鹿児島県 |
| 秋本治 (こちら葛飾区亀有公園前派出所) | 東京都 |
| 諫山創 (進撃の巨人) | 大分県 |
| 雁屋哲 (美味しんぼ) | 中華民国北京特別市、東京都 |
| 花咲アキラ (〃) | 富山県 |
| 久保帯人 (BLEACH) | 広島県 |
| 荒木飛呂彦 (ジョジョの奇妙な冒険) | 宮城県 |
| 原泰久 (キングダム) | 佐賀県 |
| 藤子・F・不二雄 (ドラえもん) | 富山県 |
| 堀越耕平 (僕のヒーローアカデミア) | 愛知県 |
| 手塚治虫 (鉄腕アトム) | 大阪府、兵庫県 |
| あだち充 (タッチ、H2) | 群馬県 |
| 天樹征丸 (金田一少年の事件簿) | 東京都 |
| 金成陽三郎 (〃) | 神奈川県 |
| さとうふみや (〃) | 埼玉県 |
| 武論尊 (北斗の拳) | 長野県 |
| 原哲夫 (〃) | 東京都、埼玉県 |
| 森川ジョージ (はじめの一歩) | 東京都 |
| 板垣恵介 (グラップラー刃牙) | 北海道 |
| 芥見下々 (呪術廻戦) | 岩手県 |
| 高橋陽一 (キャプテン翼) | 東京都 |
| 長谷川町子 (サザエさん) | 佐賀県 |
| 冨樫義博 (HUNTER×HUNTER) | 山形県 |
| 横山光輝 (三国志) | 兵庫県 |
| 荒川弘 (鋼の錬金術師) | 北海道 |
| 和久井健 (東京卍リベンジャーズ) | 非公表 |
| 嶋田隆司 (キン肉マン) | 大阪府 |
| 中井義則 (〃) | 大阪府 |
| 空知英秋 (銀魂) | 北海道 |
| 和月伸宏 (るろうに剣心) | 東京都、新潟県 |
| 真島ヒロ (FAIRY TAIL) | 長野県 |
| 古舘春一 (ハイキュー!!) | 岩手県 |
| 神尾葉子 (花より男子) | 東京都 |
| 許斐剛 (テニスの王子様) | 大阪府、東京都 |
| 森田まさのり (ろくでなしBLUES) | 滋賀県 |
| 三浦建太郎 (ベルセルク) | 千葉県 |
| しげの秀一 (頭文字D) | 新潟県 |
| 高橋留美子 (らんま1/2) | 新潟県 |
| 田中宏 (BADBOYS) | 広島県 |
| 満田拓也 (MAJOR) | 広島県 |
| 鈴木央 (七つの大罪) | 福島県 |
| 臼井儀人 (クレヨンしんちゃん) | 静岡県、埼玉県 |
| 天王寺大 (ミナミの帝王) | 大阪府 |
| 郷力也 (〃) | 大阪府 |
日本で臥薪嘗胆の語を使うときは単に「目標のために凄く努力して勉強したり練習したりする」ようなニュアンスになってる
これ、GHQ時代の検閲と忖度で娯楽作品から仇討ちものが自粛排除され、
戦前の定番娯楽タイトルが使えなくなった影響は地味にあるよねと
検閲期間は10年に満たない期間だけど、その間に未来志向の児童向け娯楽が潤沢に供給されて価値観に影響与えたし
「巨人の星」は明らかに戦前からある仇討ちものの系譜だけど「スポ根」というジャンル名に変化したし
逆に言えば、ここしばらくの「復讐は肯定されるべき」 言説が繰り返されてるのは、戦後の否定と同時に、手塚治虫に代表される未来志向の終焉なのだろうなと
ベストテン内でランキングはつけられないけど、ベストテン(20代女性)
・ムーたち(榎本俊二)漫画表現の実験極まってる 続き描いてほしい
・どろろ(手塚治虫)好きだけどアニメ版百鬼丸のような身体障害表現あるほうが好き
・湘南爆走族(吉田聡)不良漫画ではなく不良の青春漫画だと思う。今連載しているファーストフラッグはなんか合わない
・男樹(本宮ひろ志)ドラマティック・ヤクザ・大河。湘爆の江口と同じで、村田京介が女に一途なところが男として好き(今読むには女性表現や価値観が古すぎるが)新・男樹まではおもしろい。
・ザ・ワールド・イズ・マイン(新井英樹)最高傑作。映画化しないのもったいないな~ トランプが世界を我が物顔で闊歩している今映画化してほしい。
・BAMBi(カネコアツシ)最高!ワールドイズマインと同じで世界をめっちゃくちゃにする話が好き。今連載しているEvolも大好き。
・ぼくんち(西原理恵子)西原理恵子自体には思うところあるし絵も下手だけど、このときの西原理恵子は叙情表現の名作家だったと思う。
・わたしを連れて逃げて、お願い(松田洋子)正直松田洋子の作品では「赤い文化住宅の初子」「ママごと」「父のなくしもの」では感動して泣いて、この作品では泣いてないんだけど、抑圧からの解放という私の好きなテーマが一番ロマンティックと現実を織り交ぜて描いてあったので。
・Dear,My GOD.(朝田ねむい)BL枠。絵とストーリーがうますぎる。信仰と愛のテーマ性表現がいいし、ノンケみが強いのが好き。
なら鈴木一郎もプロ野球入団したときには改名せなあかんのかな。
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20250629154201# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaGDgTwAKCRBwMdsubs4+ SL4AAPoDiqkNpLCrhAIou1wnjJCja/iH6z+x7WVFwKfUZUNwDgEA5DixYSBEZpLl 9iblz28QrXdINGPSQEJm2yw5+28iSQ8= =AIzN -----END PGP SIGNATURE-----
(社員を食わせるため、意に沿わないアニメを量産せざるを得ない状況を嘆く手塚治虫)
手塚「ぼくは、ひとりでくやしがり、地団太をふんだ。終わりのころのアトムは、ぼくのアトムではなかった。なにもかもぼく自身の責任だ」
富野「まことに、作者と社長の自家撞着の縮図である。それのいいだしっぺが手塚治虫自身であるのなら、最後にいう”なにもかもぼく自身の責任だ”で帰結するしかないのも、作者の習性としてやむをえないことだろう」
富野「社長ともなれば経営者なのだ。作家ではないのだから、作家としての意思は捨てるべきだ。結局、このジレンマは永遠に交錯しつづけるメビウスの環のようなものだ」
富野「こんな僕が以後もアトムの演出を手がけてゆき、一番長くアトムの演出者として在籍する。僕の演出したフィルムが一番多くなり、手塚治虫リリシズムもなくなり、アトムらしくないアトムが二年近くとびまわり、”アトム・シリーズ”を汚すこととなったわけである。手塚先生が狂うわけなのだ」