学校の式典での国旗国歌「強制」問題に限らず、「ルール」を守れという声は常にあります。そういう「一般論」は「一般論にとどまる限り」、「一般的には」たしかに間違っていません。しかし、たとえば、こんなふうに考えてはどうでしょうか。古代ローマ帝国にあった奴隷制。当時の「ルール」では奴隷は支配階級には絶対服従という「ルール」がありました。反逆した奴隷は死罪、という「ルール」もあったでしょうね。当時の奴隷たち...
「ルール」が破られるときに社会の発展がある。
まぁ、いわんとする事は何となくわからないでもないが…。しかし、一見、まともなことを言っているようで、何だか胡散臭いんだよな。
という感想はさておき、これを読んで素朴な疑問。
誰が「合理的」でない「ルール」を決めるのか?ということ。
自分の考えでは、やはりその社会の「多数派」が「決めること」なのではないかと思う。その判断が正しいか誤っているかは、ここでは脇に置いておく。
もし、村野瀬さんが「合法的でない」と判断した「ルール」があったとしよう。しかしながら、その「ルール」を世間が「合理的」だと判断した場合、彼女は従う気はあるのだろうか?
それとも、自分が合理的でないと判断したら、世間が反対の判断を下そうとも、その「ルール」に従わないのだろうか?
そういう時は多分、「多数派の横暴」とか「少数意見の尊重」とかそのときに都合のいい意見を述べて従わないのではないだろうか、という気がしてならない。
まぁ、そうだとしたら、これは何も彼女らに限らず、左右問わずよく見受けられることだけれども…。(書いている自分だってそうかもしれない。)
もちろん、そういうマイノリティである彼らの判断自体はできれば尊重したい。
ただ、その「ルール」が合理的だと判断した世間に対し、曲がりなりにも敬意を払うとか、邪魔をしないという態度を示してくれたなら…、という条件付ではあるが。
そうした態度を示しつつ、自らの主張を展開するならば、彼らの主張に重みを持たせることができ、多数派の判断を変えていくことができるかもしれないと思うのだけどねぇ。
ところが、実際の彼らはというと、そういう世間に属しながら、その世間に対して敬意を払わず攻撃する。しかも、弱者の立場に立った振りをして。
いくら正義の仮面をかぶっていようと、そうした態度をしていれば、いずれ世間は気付くものです。彼らの主張が偽善に満ちていることにね。
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