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一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

靖国参拝問題についての「つぶやき」

今日は拙いながら、以下、筆の赴くまま私の心の思いを愚痴ります。
乱筆失礼。



毎年、この時期の靖国参拝を巡るニュース報道を見ていると、ため息が出てならない。
特に民主党政権となった今年はそうだ。

確か昨年までは、閣僚のメンバーの誰かが少なくとも参拝していた筈だが、今年は誰一人として参拝しない。

新聞によれば、自民党との違いを出したとの事。
そんなつまらん(違いを出すという)目的の為に、参拝問題を利用するのか?
慰霊とは、その程度の事なのか?

自国兵士の慰霊すら、特亜3国のご機嫌を取るためには出来ないのか?
情けない限りだ。

これこそが属国根性というべきものだろう。
日頃、親米保守派を「アメリカのポチ」呼ばわりしている奴が、この問題になると「被害者に配慮すべきだ」などと、善人づらしてのたまいながら、中韓のご機嫌を取る。

お前らこそ、本当の犬ではないか(怒)。

それはさておき、靖国神社への参拝に反対する人の中には、靖国神社が戦争を賛美しているから反対だという人がいる。

なぜ彼らはそんな風にひねくれて受け取るのだろう?
やむなく共同体の為に犠牲になったその高貴な精神を安んずるために、祀っているだけではないか!

そもそも犠牲になった英霊のほとんどは、「国を守るため」に犠牲になったのであって、「他国を侵略しようとして」犠牲になったのではない。
勿論、これは、英霊から見た「主観」に過ぎない。
他国から見れば結果的に侵略と言われても仕方がなかったと思う。

しかし、他国からの見解を以って、英霊の気持ちを無視し、祀っている靖国神社をあたかも侵略者の顕彰施設の如く断ずることは、子孫である我々が取るべき態度なのだろうか。

断じて否である!
そうではないはずだ。

たとえ彼ら英霊の行為が間違っていたとしても、その高貴な精神まで否定することは私には絶対出来ない。

英霊の精神は尊びつつ、二度と誤った行為を起こさねばよいだけの話ではないか。
それなのに、なぜ、他国の基準を以って軽々しく侵略者の顕彰施設だと決め付け、参拝するものを軍国主義者扱いするのだ(怒)。

まさにこういう日本人こそ、精神的に卑屈極まりない事大主義者であると私は思う。
(これをみても、決して事大主義とは朝鮮人の専売特許ではないことは明らかだろう。)

英霊の精神を尊び、彼らの御霊を祀り安んずることが否定されてよいはずがない。
英霊を否定することは、純然たる国防すら否定するものに他ならない。

それは自らの共同体そのものの否定でしかないではないか。

自らの共同体を否定しておいて、良い社会が構築できるわけがない。
だから、靖国神社を否定する人びとによって、日本が良くなることは絶対に無いと私は考えている。

そもそも、他国であろうと、戦没者の慰霊施設は存在する。
それもそのはず。
共同体であるならそのような機能は必ず必要とされるからだ。
そして、それに敬意を払うことは当然とされ、当たり前のことながら他国人が容喙すべきことではない。
容喙するどころか、他の共同体の者であっても、敬意を払うのが常識である。

例えば、靖国参拝しないと明言した菅首相ですら、アーリントン墓地に献花しているではないか。
なぜ、他の共同体の慰霊施設に敬意を払う者が、自国の慰霊施設を参拝できないのだ。

菅首相らの行動は狂っているとしか思えない。
これをおかしいと思わない奴は、相当東京裁判史観に洗脳されているといってよいだろう。

また、靖国神社は戦争へ駆り立てる装置であるから反対だという人もいる。

靖国神社へ参拝することが、日本を戦争に追いやるとでも言うのか!
靖国神社に参拝した若者が、軍国主義に染まり、兵士になって人殺しを始めるとでも言うのか!

そんなわけがないだろう。
参拝ひとつで、人間が戦争マシンになるわけがない。
あまりにも人間が如何なるものか知らなさ過ぎる。
プログラムを入れれば、そのとおりに動き出すロボットだとでも思っているのか。
難癖つけるのもいい加減にしてほしいものだ。

また、A級戦犯が合祀されているから反対するのだと主張する者も多い。
実際、これを理由に参拝しない政治家が結構いる。

しかし、これは独立国の人間であるならば、到底採用し得ない愚かな主張である。

こんなことは、過去記事『日本は穢土/自国を貶める人間は、自分が「きれい」であることを証明したいだけ。』で紹介した岸田秀の発言を読めば誰でもわかる。
以下、当該部分のみ抜粋して引用しておく。

日本人と「日本病」について (文春文庫)日本人と「日本病」について (文春文庫)
(1996/05)
岸田 秀山本 七平

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(引用開始/~前略)

東京裁判を盲目的に認めた心理と同じですね。

東条英機らが靖国神社に祀られていたことが問題になりましたけど、戦犯というのはつまりアメリカの裁判で有罪になったんですよ。

彼ら指導者の誤りによって、多くの日本人が悲惨な目にあったという罪で日本人が彼らを裁いたのならば、たしかに靖国神社に祀るのは問題があります。

しかし、日本の基準ではまだ犯罪者であるかどうか決まっていないんです。

自分では裁判をせず、アメリカの裁判で犯罪者とされたその基準を盲目的に受け容れているわけですね。
彼らを犯罪者と見なすというのなら、日本の裁判でやるべきです。

実際、彼らは裁判にかけられてしかるべきほどの過ちを犯しています。
しかし、日本の裁判にかけていない以上、日本人が彼らを犯罪者扱いするのはおかしい

(後略~/引用終了)

【引用元:日本人と「日本病」について/純粋信仰/日本は穢土/P137~】

A級戦犯を分祀すべきと主張する者は、そもそもA級戦犯と言う分類が戦勝国によるものだということすら忘れている。
戦勝国の下した判定を何の疑問も抱かずに、判断基準として用いている。

そしてその判断基準に基づき、靖国参拝派を軍国主義者呼ばわりすらしている。
これこそ、彼らが親米保守派をあざける際に用いる「米国のポチ」という罵言そのままの卑屈な行為ではないか!!

そうした連中がのたまう「反省」に中身が無いのは、卑屈な敗戦国根性に基づいているからに違いない。

あぁ、一体いつまでこうした状況が続くのだろうか…。


【関連記事】
◆日本は穢土/自国を貶める人間は、自分が「きれい」であることを証明したいだけ。
◆自己欺瞞と偽りの謝罪論【その1】
◆自己欺瞞と偽りの謝罪論【その2】
◆平和主義の欺瞞【その1】~日本人の平和主義は「強姦された女の論理」~


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テーマ:靖国参拝 - ジャンル:政治・経済

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コメント

左翼が小難しく考えてるのではなく、あんたらの考えが浅はかなだけです

  • 2015/09/17(木) 00:58:22 |
  • URL |
  • 名無しの権助 #-
  • [編集]

自国には自国の立場、都合があったと主張し、無理解な他国・他民族を口汚く罵り倒してみせようとも、ありとあらゆる理不尽がセットのごとくに伴うのは、所詮、勝つか負けるかが全ての戦争の宿命として最初から覚悟すべきことでしょう。
片寄らないお勉強のために、こういう資料にも、目を通しておくべきかと思います。
http://www.wako.ac.jp/souken/touzai96/tz9604.htm
 

  • 2013/04/24(水) 02:58:22 |
  • URL |
  • 調べ物の途中の通りすがりですが #-
  • [編集]

tikurinさん、Saizwongさんへ

>tikurinさん

こんばんは。コメントありがとうございます。
早速拝見させていただきます。
ご案内ありがとうございました。

> Saizwongさん

コメントありがとうございます。

切り分けなければならないというご意見、頷けます。

靖国の慰霊の問題は、結局のところ、政治的なしがらみとかを一切排除して、素直な気持ちで考えれば、それほどおかしな結論はでないはずだと思うのですよ。

ただ、そこに色々な問題(戦争責任・憲法問題などなど)が絡むと途端に原点を見失ってしまう。

そこんとこ、左翼はなんか小難しく考えて過ぎているように見えますね。

  • 2010/09/11(土) 23:04:44 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

 至極素朴な疑問なのですが、仮に自分の先祖なり友人なりが奉られている隣に犯罪者の名前があったとして、なんとかしろ!って叫びますかね?
 普通に考えて失礼としか・・・。死んでしまった人の生前を持ってきて死後のことまで色々ととやかく言うって感覚は私には無い故に非常に違和感を覚えるのですが、そうでない人たちも多いようでなんとも。

 まぁ、そもそも書かれているように「犯罪」の定義から疑問符をつけなければならない戦犯ですから、さらにもう一つ足りないと。

 外交・歴史・宗教・モラル、この問題はとにかくきっちり切りわけないとドツボにはまりますなぁ・・・。
 関係ありそうでないことを繋ぎ合わせて議論らしきものを作るのはあちらの常套手段ですから…。

一読者様の「靖国参拝問題について」のご意見について、私見をまとめてみました。長いので私ブログ掲載としました。ご案内とさせていただきます。http://sitiheigakususume.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-88a7.html

  • 2010/09/10(金) 23:05:02 |
  • URL |
  • tikurin #UTQNJKHk
  • [編集]

1読者さんへ

1読者さん、こんばんは。
麻生元首相の主張紹介ありがとうございます。

コメントいただいて、私も靖国問題を改めて記事にしてみましたので、ご覧いただけますと幸いです。

>しかし、本当に大変ですね。駄文を書き散らかした方がはるかに楽だと痛感しました...orz

1読者さんの場合でしたら、自らの文章で十分表現できる能力がおありですから、逆に慣れない引用は大変なのかも知れませんね。

私は、残念なことに無才なので、(あまり褒められた行為ではないとは思いつつも)自分の言葉で述べるよりも引用するほうが楽かも…(今は、OCRで読み取れますし)。
ただ、色や下線で修飾する手間は大変ですね。

何はともあれ、麻生元首相の主張の紹介、及び1読者さんのご意見、共に非常に参考になりました。
ありがとうございました。

  • 2010/08/29(日) 00:13:48 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

(つづき)
 いよいよここから具体論に入るのですが、まず冒頭の部分のみを引用します。

『ただし、いざ靖国神社をもとの姿に戻そうとしても、たちまち問題点にぶつかる。それは煎じ詰めると、靖国神社が現在、独立した一宗教法人であるという点にかかわってくる。問題点を整理すると、次のようになる。

 まず、政教分離の原則との関係がある。靖国神社が宗教法人であり続ける限り、政教分離の原則との関係が常に問題となる。それは「政治家が参拝することは政教分離に反する」といった、どこかの新聞の好きな論法とは関係がない。そうではなく、私たちが一宗教団体に干渉することは、基本的には許されていない、ということである。

 だから、政治家である私が、このように靖国について議論することさえ、厳密に言うと問題がないとは言えないのかもしれない。ここではあくまでも議論だから問題がないとさせていただきたい。仮に一定の強制力を持つとなれば、それは政治が宗教に介入することになってしまう。

 このへんを安易に考えている人がけっこう多い。「分祀論」を説く政治家は、その問題を軽く見ている。本来、政治家が靖国神社に祀られた人について「分祀すべし」というということは、一宗教法人に対する介入として、厳に慎むべきことなのである。

 もちろん、靖国神社が宗教法人である限り、総理や閣僚が参拝する度に、「公人・政治家としての訪問か、私的な個人としての参拝か」という、例の問いを投げかけられる点も別の意味で大きな問題である。政教分離原則との関係を問われ、その結果、本来鎮魂の行為であるものが、新聞の見出しになってしまう。つまり、靖国がその志に反し、やかましい、それ自体政治的な場所となってしまった理由の過半は、靖国神社が宗教法人だというところにある。

 これでは、靖国はいつまでたっても静かな慰霊と安息の場所になることができない。このような状態を最も悲しんでいるのは、靖国に祀られた戦死者とご遺族である。靖国をそんな状態に長らく放置してきた政治家の責任こそ、厳しく問われねばならない。

 つまり、もともとは国家がなすべき戦死者の慰霊という仕事を、戦後日本は靖国神社という一宗教法人に、いわば丸投げしてしまった。宗教法人とはすなわち民間団体だから、今でいうところの「民営化」をした。それが現在の混乱した状況を招いている。

 その結果、靖国神社は会社や学校と同じ運命を辿らざるを得ないことになっている。顧客や学生が減ると、企業や大学は経営が難しくなる。同じことが、靖国神社にも起きつつある。(以下省略)』

 ご存知のように、以上は麻生太郎元総理の『とてつもない日本』からの引用です。

 これ以降、「招魂社」以来の歴史と、戦後の日本赤十字社の歩みとの比較などから、靖国神社と全国五十二の護国神社を一体とした非宗教法人化と国家護持が述べられるのですが、基本的にはそういう形にならざるを得ないのだろうと思わされます(もちろん検討の余地はあるでしょうが)。

 ただ、細かな点については、疑問に思える部分もあります。
 例えば、『宗教法人から特殊法人へという変化に実質をもたせるためには、祭式を非宗教的・伝統的なものにする必要がある』という点ですが、祭式からの神道色の完全な排除は現実的ではないだけでなく、妥当でもないような気がします。

 確かに、「国家管理の神社=国家神道」などと考える短絡的な向きには効果があるでしょうが、そもそも最高裁が採用する政教分離原則に関する審査基準である「目的効果基準」は、1970年代のアメリカで確立された判例理論であり、それをそのまま日本に導入するのは不都合ではないかと、私は以前から考えていました。
 例えば、地鎮祭自体はOKだが玉串料はOUTなどという判断は、判決文を読んでも意味がよく分かりません。
 個人的には、多神教の国である日本の現実に鑑みて、政教分離原則の実質化または日本化を研究してみる必要があるのではないかと思っています。

 いずれにせよ、麻生氏の基本的なスタンスは、『「靖国を可能な限り政治から遠ざけ」て天皇陛下がご親拝できる環境を整える』というもので、伝統的な保守系政治家の正統的な立場と言っていいでしょう。天皇陛下がご親拝しなくなったのはA級戦犯を合祀したからだという俗説がありますが、本質的な理由は『靖国の政治化』にあることは間違いないことですから。

 附言すると、八月十五日の靖国参拝は、本質的には「靖国の政治利用」であり、最近では特ア諸国に対する外交的なあてつけ参拝という意味も出てきてしまいました。本来は、春秋の例大祭時に粛々と参拝すべきものでしょう。
 全く参拝しない首相や閣僚は論外ですが、八月十五日の首相や閣僚の参拝(国会議員はこの限りではない)は、外交的な効果や国民への政治的な影響を認めつつも、直ちには無理でも、いずれは止める必要があるのではないかと考えています。

 そもそも靖国神社は、幕末以来の「国家のために戦いに命を投げ出した」御霊が祀られている以上、先の大戦との関係のみに拘泥した論争は、「原点から問題を見ようとしない、倒錯した発想」との批判を免れないでしょう。

 かつてエリザベス女王が、そして前ブッシュ大統領が、訪日時の靖国参拝を検討していたことがありましたが、悉く日本側(外務省)がこれを断ってきたという経緯があります。確かに、その時々の外交的な影響を多面的に考慮する必要があることは否定しませんが、そこで問われているのは、日本側の自覚と覚悟だということは肝に銘じるべきでしょう。

  • 2010/08/27(金) 17:38:28 |
  • URL |
  • 1読者 #-
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 ちょっと一知半解さんの真似をしてみました。
 しかし、本当に大変ですね。駄文を書き散らかした方がはるかに楽だと痛感しました...orz

 以下は、ある政治家の著作から、長文ですが基本的な考え方を述べた部分を引用します。

『靖国は、外交問題ではない

 本来、この章で触れるべきことではないかもしれないが、昨今、外交問題であるかのように言われることも多いので、最後に、靖国神社についての私見を述べておきたい。まず大前提として、そもそも靖国神社のことは外国に云々されることではない。それははっきり申し上げておきたい。

 ではこのままでいいのかというと、決してそうは思わないのだ。

 議論の中で特定の人物を挙げ、「分祀」の必要を言う人がいる。具体的には「A級戦犯の分祀」である。学者、識者に限らず、国会議員でそれを主張する人も少なくない。

 私に言わせれば、これは原点から問題を見ようとしない、倒錯した発想に思える。

 私は靖国神社についてものを言う場合、常に物事の本質、原点を忘れぬよう心がけてきたつもりだ。靖国神社が、やかましい議論の対象になったり、いわんや政治的取引材料になったりすることは、絶対にあってはならない。靖国は、国家のために戦いに命を投げ出した尊い御霊とご遺族にとって、とこしえの安息の場所である。厳かで静かな、安らぎの杜である。靖国はそのような場所であるべきだ。

 他国にいろいろといわれることはもちろん、国内においても軽々しい議論や批判の対象となる事態は避けねばならない。おそらく多くのご遺族が、このところの騒動に心を痛め、やり場のない憤りと悲しみを感じていらっしゃるのではないかと思う。

 いかにすれば靖国を慰霊と安息の場とし、静謐な祈りの場所として保っていくことができるか。言い換えれば、時の政治から、無限に遠ざけておくことができるか――。

 靖国にまつわるすべての議論は、いつもこの原点から出発するものでなければならない。議論が紛糾し、立場の違いが鋭く露呈したような場合には、常にこの原点に立ち戻って考え直さなくてはならない。


 もう一つ言えるのは、靖国神社にとって、「代替施設」はあり得ないということだ。

 このことは、靖国神社に「ないもの」と「あるもの」を考えることで、理解することができる。

 ご承知のとおり、靖国には、遺灰(ママ)とか遺骨とかいった、物質的な何かはない。あるのは御霊という、スピリチュアルな、抽象的なものだ。いやもっというと、そういうものが靖国にあるのだと思ってずっと生きてきた、日本人の「集合的記憶」である。

 記憶には、誇るべきものがある反面、胸を張れないものもあることだろう。死者にまつわる記憶は、総じて辛い、悲しいものである。これらすべて、一切合切を含む記憶の集積を、明治以来日本人は、靖国神社に見出してきた。その是非を後世の私たちが論ずることは断じてできない。

 ましてや、そのときの都合で、引っこ抜いてよそへ持って行ったり、新しい場所に「存在するつもり」にしたりはできない。これが「遺骨」や「遺灰」といったものであれば、引っ越しはできるだろう。しかし、あくまでもここにあるのは明治以来の集合的記憶である。それを後世の私たちが「なかったことにしましょう」とはできない。だから靖国には、代替施設はつくれないのである。
 (中略)
 これを安易になくしたり、無下にしたりしたらどうなるのか。日本という国が自分を見失うだろう。碇をなくした船さながら、漂流してしまう。集合的記憶をなくした共同体というのはそういう運命を辿るはずだ。

 国家のために尊い命を投げ出した人々に対し、国家は最高の栄誉をもって祀らねばならない、ということは、普遍的な原則として世界中で認められていることである。これを否定する国家は存在しない。そうでなければ、なぜ命を賭してまで戦わねばならないのか、国家は兵士に説明ができない。

 国家とは、時に国民を戦場に連れ出し、命を投げ出させる権力をもつ存在である。だとすれば、国家の命令に応じてかけがえのない命を捧げた人を、国家が最高の栄誉をもって祀らなければならないのは、最低限の約束事であることは自明の理である。いかに国家内の体制が変わろうとも、歴史の流れの中にいる以上、この約束事は守る。これは世界中で通用する話だ。

 戦後、この当たり前の理屈が理解できない人が増えているのは事実である。しかし、祖先たちに少しでも思いを馳せていただきたい。

 「天皇陛下、万歳」と叫んで死んだ幾万の将兵は、その言葉に万感の思いを託したことだろう。天皇陛下の名にこと寄せつつ、実際には故郷の山河を思い起こし、妻や子を、親や兄弟を思っていたかもしれない。
確かなこととして、明治以来の日本人には、国家との約束事を、天皇陛下との約束事として理解し、死地に赴いてきた経緯がある。だから私は、靖国神社に天皇陛下のご親拝あれかしと、強く念じている。

 ここまで述べてきたことを踏まえたうえで、今何をなすべきか。答えは明らかである。

 靖国を可能な限り政治から遠ざけ(「非政治化」し)、静謐な、祈りの場所として、未来永劫保っていく。靖国はその本来の姿へ復し、いつまでも栄えていただきたい。

 世間の議論には、靖国を当座の政治目的にとって障害であるかに見て、何とか差し障りのないものにしようとする傾向が感じられる。ここにおいては、話が逆転してしまっている。まず考えるべきことは、祖先や遺族の気持ちであり、またそれは、私たちが共有すべきものでもある。時折、あたかも靖国神社は自分とは関係のない世界であるかのように言う人がいる。若い世代にとっては「自分のおじいさんは戦争に行っていないから」という気持ちがあるのかもしれない。しかし、明治以来、そこに祀られた人たちと、何の関係もない、そんな日本人がいるのであろうか。そこについてもぜひ考えてみていただきたい。』
(つづく)

  • 2010/08/27(金) 17:36:29 |
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  • 1読者 #-
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yuichさんへ

yuichさん、コメントありがとうございます。

日本統治の実態はyuichさんのご指摘の通りだったと思います。
そして、それにもかかわらず、韓国・北朝鮮が反日であることについては、私も腹立たしい気持ちが無いと言えば嘘になるでしょう。

しかしながら、この件については相手を責めても仕方なないと考えております。

恩恵を施してやったにもかかわらず、恨まれるような結果となってしまったのは、日本側にも原因があるのです。

それを考える際、参考になるのが英仏の植民地経営だと思います。
英仏などの帝国主義国家が、それほど元植民地の国々から恨まれていないのとはえらい違いです。

その違いはなぜかと考えれば、英仏は植民地の人間を自分と同じ人間として扱わなかったことや、自らに矛先が向かないよう現地人同士争わせる分割統治を行なったことが原因として挙げられると思います。

日本人には英仏のように朝鮮人を扱うことが出来ませんでした。
そして朝鮮人にそれがどう受け止められるか考えもせず、傲慢にも朝鮮人を日本人に改造しようと試みた罰が当たったような気がします。

朝鮮人が如何なる相手かを把握せずにやった結果、恩恵を与えたにも関わらず恨まれることになってしまいました。

英仏に比べてなんと愚かなのでしょう。
ただ、愚かではあっても、日本の統治は素晴らしいものであったという評価は残りました。
それだけが救いでしょうか。

いまさら朝鮮人を相手に罵倒しても仕方ありません。
如何なる相手かを把握した上で、突き放して付き合うしかないと私は考えています。

また、靖国問題に対するご意見、ごもっともだと思います。
しかしながら、写真を踏みつける行為についてだけは、朝鮮人の行為そっくりで私は賛成できかねます。

  • 2010/08/22(日) 22:39:49 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
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特アに配慮などというのは論外だが、「A級戦犯が合祀されているから参拝しない」という理由も許せない。なんと言う逃げなのか?

 A級戦犯と呼ばれた方たちは何も悪くはない。連合国により罪をでっち上げられてかわいそうに殺されたものたちだ。私は靖国の英霊と直接話を出来るわけではないがきっと英霊の方々も「A級戦犯の方々は悪くない。なぜ合祀を問題視するのだ」というであろう。

 誰が初めて言い出したのかは知らないが、そのような理由で参拝しない人間はバカだと思う。売国奴だと思う。人間のクズといってもいい。公人たるものそのような理由で参拝しないのは精神病院に入れるべきではないだろうか?

 だが希望はある。それは靖国神社の境内に、菅首相と仙谷由人官房長官、岡田克也外相の写真も地面に張り付けられて、心ある愛国者たちが踏みつけていったという。

  • 2010/08/22(日) 17:36:24 |
  • URL |
  •  yuich #KonSJcdo
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8月22日は日本が韓国(大韓帝国)を併合して100周年の記念すべき日だ。一流民族の日本人が劣等民族の朝鮮人を下僕にしたからだ。日本に併合される前の朝鮮はまさに地獄だった。飢餓が続発し、政府の弾圧がすさまじかった。また識字率もかなり低かった。

 それを救ったのが日本だ。日本は朝鮮を植民地化することで朝鮮を繁栄させた。朝鮮はずっと虐げられていたのが、世界で一番幸せな時代になったのだ。それは日本のおかげといっても過言ではない。

 日本のおかげで食料はたくさん生産され、ハングルを教えることで識字率が格段に向上した。まさに日本が朝鮮人を幸せにしたのである。

 だが、その後日本から離れた韓国北朝鮮両国は逆ギレしありとあらゆる大嘘を世界中にばらまいて行った。全くふざけた連中だ。

  • 2010/08/22(日) 17:31:22 |
  • URL |
  •  yuich #INlIELao
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coffeeさん、kyusedaiさんへ

>coffeeさん

こんばんは。
コメントありがとうございます。

人間失格かどうかはともかく、政治家としてはまったく評価できないのには同意です。

>kyusedaiさん

こんばんは。レスありがとうございます。

「敵味方隔てなく祀るのが本来の神道のあり方」という意見は、誰が言ったのか、そのソースはちょっと思い出せないのですが、本とかネット上で見かけてなるほどそうかも…と思ったものですから、ご紹介した次第です。

でも、kyusedaiさんが仰るように、神道ではなく仏教的というご指摘を伺ってみると、そのような気もします。

ここら辺は私も一知半解のまま、意見を述べてますので、あまりご参考にされないほうが良いかも知れません。

その程度で意見を述べているのか、と批難されても仕方ないですね、これでは…。
失礼いたしました。

  • 2010/08/21(土) 01:27:34 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

西洋的?伝統から離れる?

コメントありがとうございます。
>敵味方隔てなく祀るのが、本来の日本の神道のあり方だとの意見もありますし、

 各家庭における先祖の御霊(命)を御霊舎(みたまや、仏教における仏壇)に祀り、日々、感謝・慰霊をささげる状態(いわゆる神葬祭の家庭)と靖国神社の戦没者慰霊も同じではないかと思うのです。
 家庭と宗教法人(元は国家)との違いはありますが、それぞれ祀る対象(命=神)を特定することは当たり前にごく自然なことではないかと思います。

 敵味方隔てなく祀るのは何か仏教的に感じます。それはそれですばらしいことですが、何か次元の違いを感じます。
 

  • 2010/08/19(木) 23:42:33 |
  • URL |
  • kyusedai #MkgAoDiE
  • [編集]

人間失格

菅直人や閣僚の連中は政治家失格。
そして人間失格です。
日本人より支那や韓国が重要なのです。

  • 2010/08/19(木) 08:35:29 |
  • URL |
  • coffee #-
  • [編集]

sylさん、kyusedaiさん、ap_09さんへ

>sylさん

初めまして。
ご賛同のコメントありがとうございます。

現実的には、勝者の裁きなのでしょうし、それに日本が従わねばならなかったのもやむを得ないかもしれません。

しかしながら、私は、少なくとも英霊に対してはそのような論理を適用しないで欲しいと思うのです。

>kyusedaiさん

こんばんは。
コメントありがとうございます。

そもそも宗教色のない慰霊などありえないのではないでしょうか。
国立の慰霊施設建設問題の件ですが、あまりに憲法の政教分離の原則に捉われすぎて、ことの本質を忘れた議論だと思います。

>そんなことを考えると靖国神社はまさに世界に誇る戦没者慰霊施設と思います。

私もそう思います。
ただ、敵味方隔てなく祀るのが、本来の日本の神道のあり方だとの意見もありますし、そうした意見からすれば、靖国神社というのは神道という形式を取っているものの中身は西洋的な慰霊施設なのかもしれません。
かといって、靖国の存在価値は貶められることはありませんが、伝統から離れていることが靖国神社の今後にとってよいことなのかどうか少々疑問でもあるのです。

>ap_09さん

こんばんは。
賛同のコメントありがとうございます。
仰るとおりイデオロギー以前の問題なのですが、それをわきまえない人間が多いのが残念です。

  • 2010/08/17(火) 23:21:21 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

本当に正論で、コメントの皆さんにも賛同します。
右とか左とかイデオロギー以前の問題ですね。

  • 2010/08/17(火) 11:52:33 |
  • URL |
  • ap_09 #-
  • [編集]

 靖国神社の近隣に千鳥ケ淵戦没者墓苑 がありますが、私の感覚では墓苑というには遠い、墓にいまだに収められていない単なる納骨施設と感じられまして、よって、訪れてさびしい限りの思いをいだいた次第です。靖国が神式なら、せめて千鳥ケ淵戦没者墓苑は仏式にて常時慰霊・管理してはと思わずにはいられません。
 各人各団体がどんな宗教にて慰霊しても良いとされている施設が千鳥ケ淵戦没者墓苑なんでしょうが、それがなんとも座りが悪いと言うか奇妙・不快に感じるのは何故なのかと考えさせられます。
 靖国神社に変わる宗教色の無い国立の慰霊施設が検討されましたが、おそらくそんなの単なるモニュメントであり、広島の原爆ドームでも移設するか、戦艦大和でも引き上げて慰霊碑にでもしない限りは国民はさほど関心を寄せないでしょう。
 そんなことを考えると靖国神社はまさに世界に誇る戦没者慰霊施設と思います。三権の長は参るべきですよ。それは宗教問題を超えたところのマナーであると私は思います。

  • 2010/08/17(火) 01:57:16 |
  • URL |
  • kyusedai #MkgAoDiE
  • [編集]

きわめて正論。すばらしい。
AとBとの間の紛争を裁判するのであれば、裁判官は、公平中立なCでなければ、裁判とは呼べないでしょう。
東京他の空襲や、広島、長崎への原爆投下は、
ハーグ陸戦条約に違反した戦争犯罪であり、ルーズヴェルト、トルーマンこそ戦争犯罪人であるはず。
昨日、靖国神社の到着殿で、議員の参拝を待っていましたが、石原都知事は、参拝を終えて、車に乗り込む前に、群衆の方に歩み寄って、「みんな頑張ろう」と声をかけてくれました。感激しました。
国会議員には全員に来てもらい、毅然と参拝してもらいたいが中国に媚びて来ないなんて、何と情けないことか。

  • 2010/08/17(火) 00:27:54 |
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一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
日々のツイートを集めた別館「一知半解なれども一筆言上」~半可通のひとり言~↓もよろしゅう。

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