そしてそういう人ほど、自国を貶めたり軽蔑したりしがちです。
どうしてそうなってしまうのかなぁ…と昔から不思議に思っていたのですが、山本七平と岸田秀の対談を読むと、その理由の一端がわかるような気になりました。
今日は、その対談の一部(前回の記事『内なる「悪」に無自覚な日本人/性善説がもたらす影響とは?』で引用した対談の続きになります。)を、以下ご紹介していきます。
日本人と「日本病」について (文春文庫)
(1996/05)
岸田 秀山本 七平
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(前回の続き)
岸田 そこで、この悪い社会をぶっつぶせばよい、と。
革命もまた性善説を前提にしているんですな。
◆日本は穢土
山本 と同時に、どこかの国でそれが成就しているという錯覚を絶えず抱きます。
だから、成就していないことが証明されてくると、深く幻滅する。
中越戦争などは好例ですね。
岸田 幻滅しても懲りずに恋愛する惚れっぽい女にかぎって、惚れられたほうが迷惑している事実に気づかない。
だから、この幻滅の構図は、片思いの女がふられたときと似ていますね。
あんなに自殺をするほど愛していたのに、なぜ受け容れてやらなかったのか、と、振ったほうが非難される。
振れば自殺するほど惚れられるなんて、惚れられるほうにすれば、えらい迷惑なんですが、相手にしてやらないとなぜか薄情だときめつけられる。
山本 そうだ、この間ニューヨークで、日本人留学生が、アメリカの女性を殺した事件。
相手の女性はきっと、日本人研究かなんかしていたに過ぎないんでしょう。(笑)
岸田 日本の男性は一途に、純粋に思い詰めた。
日本では同情が集まるかもしれないがアメリカでは無理ですね。
しかし、日本人はどうして惚れっぽいのかなあ。ドイツに惚れたり、アメリカに惚れたり、北京に惚れたり、ベトナムに惚れたり、忙しいことです。
どこかほかの国に次々と惚れるというのは、つねに日本の現実を汚いと感じているからでしょうか。
山本 そうですね。やはり浄土希求。日本は穢土で、向こうが浄土。
そういえば東の方にはあまり浄土がないですねえ。
西方浄土でなくてはいけないんでしょう。
そして汚れた日本に居ても、自分は浄土を希求し、穢土である日本を批判するがゆえに純粋であると考える。
岸田 自分の純粋さを裏付けるために、どこかの浄土に惚れこむんですな。
山本 だから、あの国は浄土でないなどと、かりそめにも指摘してはいけないんだ。
岸田 惚れている女の悪口は禁句です。アバタをアバタと指摘してはいけない。(笑)
山本 しかし、幻滅さえしなければ「振られてもなお」という心情はあります。
ベトナムを懲罰したように、かつて毛沢東は日本にも懲罰を下すべぎだと発言したという話がもし伝わったとしたら、心酔者はベトナム人と違ってひたすら反省したんじゃないですか。
総理大臣以下、全員が悪いくらいのことを言いかねない。
岸田 東京裁判を盲目的に認めた心理と同じですね。
東条英機らが靖国神社に祀られていたことが問題になりましたけど、戦犯というのはつまりアメリカの裁判で有罪になったんですよ。
彼ら指導者の誤りによって、多くの日本人が悲惨な目にあったという罪で日本人が彼らを裁いたのならば、たしかに靖国神社に祀るのは問題があります。
しかし、日本の基準ではまだ犯罪者であるかどうか決まっていないんです。
自分では裁判をせず、アメリカの裁判で犯罪者とされたその基準を盲目的に受け容れているわけですね。
彼らを犯罪者と見なすというのなら、日本の裁判でやるべきです。
実際、彼らは裁判にかけられてしかるべきほどの過ちを犯しています。
しかし、日本の裁判にかけていない以上、日本人が彼らを犯罪者扱いするのはおかしい。
別に、彼らを弁護する気はありませんがね。
しかし、どんな国家でも、その国民一般の平均水準以上の指導者を持つことはできないんですよ。
たまたまその水準を抜きん出た賢明な指導者がいて、国が間違った道にはまり込もうとしているのに気づいて押しとどめようとしたら、暗殺されるか、暗殺されないまでも失脚させられます。
そして国民は、国民の気に喰わぬことをしようとした者が暗殺されたことを拍手喝采して喜ぶでしょう。
みんなの拍手喝采が得られることなら、どんなことでもやるという連中には、いつだって事欠きませんから、暗殺者はいくらでもいます。
もし、当時、東条が勇断をふるい、アメリカと妥協して、大陸撤兵を決意したりしていたら、確実にテロで殺されていたでしょうね。
東条なんて、気の小さい平凡な男で、救国の英雄といった柄でも、極悪人といった柄でもなかったと思いますが、評価をガラリと変えたのは国民の方でね。
山本 そのことに誰も疑問を感じないところがおもしろいな。
岸田 簡単に百八十度転換できるわけです。
戦争中は非国民という諸悪の根源をつくり、戦後は、かつて最高の善人、純粋人間であった軍人を、一握りの軍国主義者という名の悪人にする。
しかも、その転換の奇妙さ不思議さに誰も気づいていない。
山本 「だまされた」という前提をつくるからでしょう。
一億全員が詐欺にかかった。
善人はだまされやすいんです。(笑)
善意を百パーセント通すには神にならざるを得ないのに、現実は、善意の通らない社会は悪いという考え方が支配的ですからね。
岸田 一度、問題をひっくり返して考えるといいんですよ。
なぜ、社会に通らない考えを善意と考えるのか、と。
通らないのは、「善意」の側にそれだけの理由があるのではないか、と。
山本 そう、そう。それこそが真に問うことの第一歩になるはずです。
(次回に続く)
【引用元:日本人と「日本病」について/純粋信仰/日本は穢土/P137~】
この対談の中には、いくつも参考になる事柄がありますね。
まず、なぜ惚れっぽいのか?ということですが、これは、「責任転嫁しても自覚がない」という”症状”とどこかつながっているような気がします。
「自分は善い、しかし、社会が悪い」との単純な視点で他者を責めれば万事解決というような「安易な思考」であるからこそ、惚れっぽくなるのではないでしょうか。
また、「惚れるというのは、つねに日本の現実を汚いと感じているから」とか、「自分の純粋さを裏付けるために、どこかの浄土に惚れこむ」という岸田秀の指摘も頷けるものがありますね。
日本の現実を汚いと感じることは大事なのでしょうけど、自国を貶める人たちというのは、その汚さを現実的に受け止めて、日本の条件や前提を把握した上で、どうしたらよいか考えるという「プロセス」を省いてしまっているのではないでしょうか。
日本の立ち位置や状況を把握していないまま、ただ”感情的に”汚さを拒否する。
どうも、自国を貶める人たちには、そういう悪い意味での「純粋さ」というのを感じてしまいます。
次に、靖国神社のA級戦犯合祀問題について、実に明快な岸田秀の論理が示されていますね。
岸田秀の論理で考えて見ると、アメリカの裁判で裁かれた事を以って、靖国神社合祀を反対することの「馬鹿らしさ」がよくわかりますよね。
この問題は現在でも問題になっておりますが、いまだに東京裁判史観に捉われ、判断を規制されている日本人が多いことを痛感します。
普段、アメリカのことを嫌いな人たちのはずなのに、そうしたアメリカ様の判断を盲目的に信じて、同胞を糾弾するのは、ある意味滑稽ですね。
自国を貶める人たちというのは、精神的にアメリカの奴隷も同然と言えるのではないでしょうか。
(共産党なんかよい例です。この件に関しては、アメリカ様の判断にべったりで、「靖国派」なるレッテル張りを行なうなど支離滅裂。結局は、自分がええカッコしたいだけなんでしょう。)
次に、「どんな国家でも、その国民一般の平均水準以上の指導者を持つことはできないんですよ」という岸田秀の”諦観”気味の指摘も、私には印象的でした。
自国の指導者の質を嘆く前に、われわれ国民一般のレベルをUPする必要がありそうですね。
とりあえずは、情報リテラシーを高めたり、メディア脳にならないようにすることでしょうか。
思いつくまま書いてみましたが、今日はこの辺で止めておきます。
次回は、この対談でも触れられていた『「だまされた」という前提をつくる』ことについて考えてみたいと思っています。反省を考える上で非常に重要だと思うので。
ではまた。
【関連記事】
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