その産経新聞が運営するイザのなかで、私がいつも愛読しているのが阿比留記者のブログなんですが、今回の記事について考えさせられる処がありましたので一部引用してみます。
「きけわだつみのこえ」改竄問題について思うこと
……何度も書いてきたことですが、南京事件でも慰安婦問題でも、樺太(サハリン)の残留韓国人の件でも、問題を焚きつけて大きくし、国際問題化しようとしている日本人がいます。外国勢力が何かについて日本批判を始めるとき、必ずと言っていいほどその背後に日本人の協力者、煽動者の姿がちらつきます。もともとはGHQが日本社会にはりめぐらした「閉された言語空間」にしても、それを戦後60年以上たつ今も墨守し、何か自分たちの利益のために利用しようとしている人たちがいるようです。残念ですが、日本の敵は日本人、という思いを否定できずにいます。
これは、左翼ブログをウオッチングするのを趣味にしている(笑)私も、百パーセント同意。
愛国的な外国の左翼と比べて、日本の左翼はどうしてかくも反日的なのか?
政界、教育界、マスコミ、宗教界いたるところに、反日勢力がはびこっているのはどうしてなのか?
もちろん、その原因として戦後GHQが施した、「ウォー・ギルト・プログラム」(戦争への罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)の影響というのが挙げられるとは思うのだが、それにしてもなぜ多くの日本人が、そこまで見事にその罠にはまり続け、未だに自分の祖国を貶め続けようとするのか?
これは、いろいろ理由がありそうですが、仮にウォー・ギルト・プログラムなるものが本当にあったとしても、私は全てを単純にそのせいにできないような気がします。
やっぱり、真っ先に考え付くのが、教育の影響。
あまりにも、日本人のアイデンティティを無視した歴史教育が行われているせいじゃないでしょうか。
そういう思いが深くなったのも、井沢元彦先生の「逆説の日本史」シリーズを読むようになってから。
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自分が何者なのか?日本はどのように成り立ってきたのか?そういう自らの「根っこ」というべきものを我々は余りにも知らなさ過ぎるのではないでしょうか。(これの原因も、全てウォー・ギルト・プログラムのせいにできるのでしょうか?私には判断つきませんが)
こうしたアイデンティティの確立がされていないからこそ、欧米の価値観にすっかり染まり、平気で自分の先祖を罵倒する人びとが量産されていく。どうもそんな気がしてなりません。
それに加え、今の欧米をスタンダードとする世界がどのようなものなのか、余りにも知らなさ過ぎるのも一因ではないかと。
憲法の前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とありますが、この一言に、日本人のお人よしのよさ、というものが如実に現れているとしか思えません。本当に世界の歴史を知っているならば、到底このような言葉を吐くことは考えられない。
そんな世界の腹黒さを知るには、この本↓がお勧めです。
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己の歴史を知り、かつ日本を取り巻く世界の歴史を知る。
この二つが、余りにもおろそかにされているような気がどうしてもするんですよね。
こうした歴史教育も問題ですが、それに加え、最近私がどうもコイツも原因ではないかと感じているのが、日本人が抱いている”話せばわかる”という実に根強い「社会通念」。
前出の井沢元彦も日本社会は、「和をもって尊しとする」社会であると折に触れ指摘しているのですが、これが”話せばわかる”という社会通念を生んでおり、逆にこれが日本人以外との間でトラブルを生んでいるのではないかと。
イザヤ・ベンダサンは、こうした日本人のことを、”人間教”に基づく「日本教徒」と言い表していると私は解釈しているのですが、例えば、日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)にも次のような一文があります。
これは、少なくともその実生活においては、ということは本心では、日本人はみな同一の日本教徒であることを、実際に示している。「何やかやと言ったってさ、所詮同じ日本人(日本教徒)じゃないか」
日本人同士だったら、それでいいんです。お互い「誠意の通じる」社会に住んでいるのですから。
誠意を持って謝罪すれば、それが受け入れられ「水に流す」ことができる社会であることは、日本の美点であると思います。
た・だ・し!それを日本以外にも通用すると考えている人が、こうした反日行動を起こしているのではないでしょうか。
なまじ真面目で、正義感にあふれ、誠意を尽くせばわかってくれると思い込んでいる人たち。私は、反日日本人に、こうした点を濃厚に感じてしまうのですが…。
世界は話してわかる社会ではない場合もある。という現実を本当は把握しないといけないの思うのですがね。今起こっているチベット暴動の現実とか見ても感じ取ることができないのかな…?
この社会通念が根強く巣食っている人たちには、現実が見れないのだろうか…。
この問題は、まだまだ他にも理由がありそうですが、今日はこの辺でお終いにします。では。
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