今回は、戦前の思考様式を叩き込まれた人間が、戦後の民主社会でどのような行動を取ったのか、山本七平の分析をご紹介します。
この分析を読むと、その表現方法は変われども、思考様式が同じである限り、戦後も戦前もそっくり似た行動を取るのだな…ということがわかるのではないでしょうか。
今でも、この善悪二元論にどっぷり浸かっている人って多くないですか?
「あたりまえ」の研究 (文春文庫)
(1986/12)
山本 七平
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(前回のつづき)
情況が変わっても思考図式はそのまま残ってきたという現象は、戦争中に幼児時代を送った人にも見られる。
この人たちは物心のついたときすでに戦後だから、その表現や行動には戦前的要素が全く見られず、それだけ見ているとまさに戦後的なのだが、幼時に叩き込まれた図式はまさに戦時中そのものなのである。
戦争は人間を善悪二元論的な確信論者にし、かつ集団主義者にするといわれるが、確かに「孤独なる懐疑主義者」や、選択の基準をあくまで自己の内なる規範におく「個人主義的自由主義者」は、最も戦争に向かない人間である。
したがってそれらが完全に排除・否定されていた戦時中の状態で善悪二元論的図式のみを頭に叩き込まれれば、それが戦後的表現や民主的行動の中にそのまま表われてきてもあたりまえのことであり、そうならなければ奇蹟であろう。
おもしろいのは、戦後にまず出てきた図式が、中ソ平和勢力は善で、米帝戦争勢力は悪として、まるで善神〔アフラ=マズダ〕と悪神〔アングラ=アイニュ〕とが地球的規模で終末論的争いをやっているような善悪二元論である。
この場合、善は最終的には必ず悪に勝つのであり、それは戦争であれ、経済競争であれ、宇宙開発であれ同じであると言う発想であった。
同時に出てきたのが欧米対アジアという二元論であり、この場合は「東風は西風を圧す」で、欧米は衰亡の一途をたどり、アジアは興隆へと向かうという図式である。
さらに国内的には封建的と民主的、反動と革新という発想であり、時代の進展は前者を衰えさせて後者を起こす――いわば、戦後世代が増えれば増えるだけ、革新は勢力を増して保守はやがて消えるといった見通しで、この見通しはつい数年前まで当然自明のこととされていた。
戦争の場合の二元論は、善神と悪神との戦いを第三者として眺めているという立場は許容しない。
戦時中には映画評などで「時局傍観映画」などときめつけられればそれでおしまいであったように、この場合の二元論は各人にあくまでも「善」の側に立ち、悪と戦うことが要請される。
しかし戦うといっても、太平洋戦争の最盛期ですら、戦場に行くのは実際には全国民の五パーセント以下であり、まして幼少年はこれに無関係である。
しかし無関係でも、精神的にはこれに参加しているという連帯を表明しなければならず、それをしなければ「悪の側」とされる。
というのは、”国民精神総動員”的に連帯を表明することが、勝利を招来すると信じなければならない。
その意味では全員が集団主義的な確信論者にならねばならず、孤独なる懐疑家の存在は許されない。
日本は元来集団主義的な国だから、これが徹底すると文字通りに”国民精神総動員”になり、それを完成するのがマスコミの役目とされるわけである。
したがってすべての記事は、正確な報道と厳密な分析ではなく、戦意高揚記事になってしまう。
だがこの風景を戦場から眺めると、少々しらけることも否定できない。
オバチャンたちが国防婦人会というタスキ型の一種の”ゼッケン”をつけて整然とデモ行進してくれても、それは、切実な戦場の要請とは全く無関係だし、新聞がいくら戦意高揚記事を書いたところで、それは戦場のわれわれの所には送られてくるわけではないが、読めば余計にしらけるであろう。
さらに、そんなことで内地が冷静さを失えば、結果的には戦場のわれわれも不利になるわけだが、しかし、そういった考え方をする者は「悪の側」に立つと見なされても致し方がないのが、集団主義的確信論者の考え方である。
そして戦後これとほぼ同じ形で始まったのがベトナム反戦運動である。
私が、胸に「アメリカはベトナムから出て行け」と書いたゼッケンをつけている背広の青年を神田で見掛けたのは、いつごろのことかもう忘れてしまったが、それは「べ平連」という言葉がまだない時期だったと思う。
というのは、そういった言葉や運動を知っていればあまり驚かなかったであろうが、そのときは全く意外だったので、ある種の驚きとともに、反射的に戦争中のタスキ型ゼッケンを思い出し、同時に、正直に白状すると、その青年を正気かどうか疑った。
というのは東京はアメリカではない。
われわれはアメリカ人ではない。
だれが考えても「アメリカはベトナムから出て行け」という意思表示は、アメリカで、アメリカ人に、アメリカ語でやらなければ意味はない。
どうしてそれを、東京で、日本人に、日本語でやるのかが私にはわからなかったからである。
だが少したって、こういう考え方自体が戦時中にも許されなかったことに気がついた。
それはいわば当時の言葉でいう「時局傍観者」の態度であり、この青年はつまり、善悪二元論的世界において、自分は「善の側」に身を置いているという意思表示をし、同時に”銃後的な前線への連帯”を表明していたわけである。
いわば国防婦人会の白タスキであろう。
(次回へつづく)
【引用元:「あたりまえ」の研究/Ⅰ指導者の条件/話合いの恐怖/P82~】
(そもそも私自身も、気をつけないとそうした視点に陥りがちですし。)
正義感の強い人間ほど、この罠にはまってしまうような気がします。
戦前の例を見ても、そうした人間が社会を支配すると、ロクなことが無さそうですね。
次回は、戦後生まれた世代が、戦中世代と違う点について分析している処を紹介したいと思います。
ではまた。
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