日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)
(2004/03/10)
山本 七平
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(前回のつづき)
◆人間習性
人間の社会では、平時は金と名誉と女の三つを中心に総てが動いている。
それらを得る為に人を押しのけて我先にとかぶり付いて行く。
ただ、教養や色々の条件で体裁良くやるだけだ。
それでも一家が破産したり主人公が死んだりすると、財産の分配等に忽ち本性を現し争いが起こる。
戦争は、ことに負け戦となり食物がなくなると食物を中心にこの闘争が露骨にあらわれて、他人は餓死しても自分だけは生き延びようとし、人を殺してまでも、そして終いには、死人の肉を、敵の肉、友軍の肉、次いで戦友を殺してまで食うようになる。
◆ミンダナオ
ここは全比島の内で一番食物に困った所で友軍同志の撃ち合い、食い合いは常識的となっていた。
行本君は友軍の手榴弾で足をやられ危く食べられるところだったという。
敵も友軍も皆自分の命を取りにくると思っていたという。
友軍の方が身近にいるだけに危険も多く始末に困ったという。
◆ルソン島の話
ここへ来てルソンの話を聞くと、初めは大分やったようだが、あとは逃げただけだった事が分った。
しかも山では食糧がないので友軍同志が殺し合い、敵より味方の方が危い位で部下に殺された連隊長、隊長などざらにあり、友軍の肉が盛んに食われたという。
ここに致るまでに土民からの略奪、その他あらゆる犯罪が行われた事は土民の感情を見ても明らかだ。
◆人を殺して平気でいられる場合
ストッケードで親しい交際をしていた人の内に最高学府を出た本当に文化人的な人がいた。
この人はミンダナオ島で戦い、山では糧株が全くなかったので友軍同志の殺し合いをやったという。
ある日友人達を殺しに来た友軍の兵の機先を制して至近距離で射殺した事があると話してくれた。
そしてその行為に対しては少しも後悔も良心の呵責もないといい切っていた。
それはその友軍兵を自分が先にやらねば必ず自分か殺されているから、自己防衛上当然やむを得ない事だといった。
もちろん小松氏は、すべての人間がこうであったとは言っていない。
こうならなかった人間も「千人に一人いるかいないか」ぐらいの割合でいた、と記されており、これらの文はその人のことを記すための前文だといえる。
確かにそういう人もいたのだ。
私の知る範囲でも、自らを殺して部下を教った非常に立派な人はいた。
だがそれは例外者であり、例外者は基準にはならない。
またこのことは教育水準にも無関係である。
小松氏が「人を殺して平気でいられる場合」の冒頭に「ストッケード(収容所のこと)で親しい交際をしていた人の内に最高学府を出た本当に文化人的な人がいた……」と記している。
おそらくその人は、本当の「自然に帰った」状態を強いられることがなければ、生涯、自分にそんな一面があろうとは、夢にも思わなかった人であろう。
それはいまの多くの人が、自らがそうなろうとは夢にも思わずに、平気で「自然に帰れ」などと言っていられるのと、同じ状態であったろう。
(次回へ続く)
【引用元:日本はなぜ敗れるのか/第九章 生物としての人間/P236~】
今回の小松真一の引用部分などは、いわゆるネトウヨなら真っ先に否定しそうな内容ではないでしょうか。
一方、左翼なら日本軍の”残虐非道さ”を示す例として嬉々と取り上げるかもしれませんね。
しかし、左右いずれの受け止め方も小松真一や山本七平が言いたかった「真意」から程遠いといえるでしょう。
彼らが指摘したかったことは、人間の醜い本性は、飢餓により露わになってしまうこと。
そしてそれは、教育水準とか人種・民族によるものではないことだったはず。
しかしながら、自らが飢餓に陥った場合を想像できない「生物的常識を欠如した」人間には、それがどうしてもわからない。
わからないでいるからこそ、平然とそうした飢餓に陥った人間のなした行為を、暖衣飽食の環境に居ながら”糾弾”できる。
そしてそうした状況に陥った先人の行為を糾弾しながら、自分自身は野蛮な彼らとは違う人間であると規定し、道徳的立場から見下す。
私が左翼が嫌いな理由は、まさにこの一点にあります。
ところが、フィリピンのジャングルで飢餓状態を経験した小松真一も山本七平もそうした振る舞いとは無縁でした。
であるからこそ、左右のイデオロギーに捉われることなく、自らの視点に立って、危機状態に陥った人間が取る「醜い本性むき出しの行動」をありのままに克明に記すことができたのでしょう。
そして、そうした地獄を体験した山本七平が、「生物学的常識を欠如した」人間の心無い”糾弾”に対して疑問を呈している記述を以下引用紹介して、今回の記事を終わります。
(~前略)
またNHKのように、「侵略戦争が人間を荒廃させたのデス」などといって、あれは、今の自分とは関係がない別の人間がやったことだという顔をしてはならない。
現にそれは堂々と口にされ、平然と活字になっているではないか。
そして別にだれも、それを不思議としていないではないか。
否それどころか、それに、喝采を送っている人すらいるではないか。
それに喝采を送っていてどうして戦場の兵士を「獣兵」などといえるのか。
彼らは立派なデスクを前にした快適な落着いた雰囲気にいたのではない。
こういう恵まれた環境にいて平気で生体実験が口にできる者(註)に、またそれに喝采を送るものに、彼らを批判する資格があるであろうか。
(註)…百人斬り論争において、本多勝一が「いくら名刀でも、いくら剣道の大達人でも、百人もの人間が切れるかどうか。実験してみますか、ナチスや日本軍のように人間をつかって?」と”生体実験”的発想を駆使して反論したことを指す。
【引用元:私の中の日本軍/悪魔の論理/P131】
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