土曜日は、まず歌舞伎座八月納涼歌舞伎第一部に。お盆休み初日に第二部だけ行ったのだが、その後大分間が空いてしまった。
お年寄りの大看板はお休みで花形中心の公演。勘三郎も三津五郎も居なくなってしまった。歌舞伎座三階の廊下には亡くなった名優の写真が掲示されているのだが、最後の空白を見る度に、天国にあと一席空いてますよと言われてるようで、どうも気になる。
「おちくぼ物語」は平安時代の物語文学を題材に作られた新歌舞伎。継子いじめの歌舞伎版シンデレラ譚だが、平安の優美を背景に、ノンビリとかつ独特の軽妙味があって観やすく面白い。最後もあっけらかんと胸のすくようなカタルシスあり。ただ、七之助は声が枯れてガラガラ。冷房など喉の調子を崩しやすい季節ではあるが大丈夫か。夜の三部の頃にはちょっと戻っていたが。
左近少将を演じる隼人は、二部にちょっとだけ出た時よりはずっと様になっている。体格もよく立派な貴公子。ただ白塗りの高貴な公達というのは、ニンに合えば演技力無くても成立するからなあ。高麗蔵、彌十郎が脇をしっかり固める。
35分の幕間に食堂で「葉月御膳」なるものを食する。
次の演目は「十世坂東三津五郎に捧ぐ」と副題がある「棒しばり」。能狂言を題材にした松羽目仕立ての舞踊劇。三津五郎が度々演じた所縁の演目を息子の巳之助が勘九郎と組んで軽妙に踊る。八月納涼は題目も軽めで時間も短いので気楽に楽しめる。
いったん歌舞伎座を離れてあれこれ用事を済ませ、夕方から再び歌舞伎座に戻って第三部を鑑賞。
最初の演目は、これも「十世坂東三津五郎に捧ぐ」とあるが、舞踊劇「芋掘長者(いもほりちょうじゃ)」。大正期に上演された舞踊劇だが、長く上演が途絶え、三津五郎が復元したもの。
踊りの上手な者を婿取りするという設定。橋之助演じる芋掘藤五郎は姫に恋焦がれるが踊りはやったこともない。巳之助演じる友人の治六郎が面をつけて変わりに舞ってやるという、これも滑稽味のある舞踊劇。連れ舞いのドタバタで正体がバレる所は観客が沸く。最後はハッピーエンドの群舞。踊りの下手な演技から一転、芋掘り踊りは滑稽に楽しく舞うというのはなかなか難しいと思うが、橋之助は手慣れた風に演じている。
「祇園恋づくし(ぎおんこいづくし)」は、古典落語を歌舞伎に仕立てた演目。オリジナルは昭和初期に初演されたが、平成になって藤十郎と勘三郎を主役に当て書きで書き直された脚本を、扇雀と勘九郎が演じる。
元が落語だけあって、京都と江戸の違いを題材にした言い争いや、扇雀の二役を材料にした楽屋落ちや、舞妓好きは「父親の遺伝か」などと言うところなど随所に笑いどころがあって新喜劇のような展開。観客も大いに沸く。
扇雀が二役で肝心なところをしっかりと〆る。竹を割ったようなカラっとした江戸っ子を威勢よく演じる勘九郎は、勘三郎を彷彿とさせて好演。
「もっとゆっくりしていっておくれやす。ぶぶづけでも食べはりますか」と笑顔で勧めながら、裏では箒を逆さに壁に立てかけてある(客が早く帰るおまじない)事を感じさせるのが何とも言えない京都のいけずな所だが、七之助の芸妓染香は、なかなか滑稽に京女の雰囲気を出していた。勘九郎と掛け合う巳之助の軽妙な笑わせどころも印象的。
第一部と第三部を同日に観た訳だが、どちらにも「十世坂東三津五郎に捧ぐ」として「棒しばり」と「芋掘長者」があり、勘九郎と橋之助を相手に迎え、息子の巳之助が健闘。ほとんど出ずっぱりだが、どの演目でも軽妙な役で座を沸かせた。扇雀と彌十郎はベテランの重みで勘所を絞める。普段の座組とは違う納涼歌舞伎独特の気楽な雰囲気を楽しんだ。
お年寄りの大看板はお休みで花形中心の公演。勘三郎も三津五郎も居なくなってしまった。歌舞伎座三階の廊下には亡くなった名優の写真が掲示されているのだが、最後の空白を見る度に、天国にあと一席空いてますよと言われてるようで、どうも気になる。
「おちくぼ物語」は平安時代の物語文学を題材に作られた新歌舞伎。継子いじめの歌舞伎版シンデレラ譚だが、平安の優美を背景に、ノンビリとかつ独特の軽妙味があって観やすく面白い。最後もあっけらかんと胸のすくようなカタルシスあり。ただ、七之助は声が枯れてガラガラ。冷房など喉の調子を崩しやすい季節ではあるが大丈夫か。夜の三部の頃にはちょっと戻っていたが。
左近少将を演じる隼人は、二部にちょっとだけ出た時よりはずっと様になっている。体格もよく立派な貴公子。ただ白塗りの高貴な公達というのは、ニンに合えば演技力無くても成立するからなあ。高麗蔵、彌十郎が脇をしっかり固める。
35分の幕間に食堂で「葉月御膳」なるものを食する。
次の演目は「十世坂東三津五郎に捧ぐ」と副題がある「棒しばり」。能狂言を題材にした松羽目仕立ての舞踊劇。三津五郎が度々演じた所縁の演目を息子の巳之助が勘九郎と組んで軽妙に踊る。八月納涼は題目も軽めで時間も短いので気楽に楽しめる。
いったん歌舞伎座を離れてあれこれ用事を済ませ、夕方から再び歌舞伎座に戻って第三部を鑑賞。
最初の演目は、これも「十世坂東三津五郎に捧ぐ」とあるが、舞踊劇「芋掘長者(いもほりちょうじゃ)」。大正期に上演された舞踊劇だが、長く上演が途絶え、三津五郎が復元したもの。
踊りの上手な者を婿取りするという設定。橋之助演じる芋掘藤五郎は姫に恋焦がれるが踊りはやったこともない。巳之助演じる友人の治六郎が面をつけて変わりに舞ってやるという、これも滑稽味のある舞踊劇。連れ舞いのドタバタで正体がバレる所は観客が沸く。最後はハッピーエンドの群舞。踊りの下手な演技から一転、芋掘り踊りは滑稽に楽しく舞うというのはなかなか難しいと思うが、橋之助は手慣れた風に演じている。
「祇園恋づくし(ぎおんこいづくし)」は、古典落語を歌舞伎に仕立てた演目。オリジナルは昭和初期に初演されたが、平成になって藤十郎と勘三郎を主役に当て書きで書き直された脚本を、扇雀と勘九郎が演じる。
元が落語だけあって、京都と江戸の違いを題材にした言い争いや、扇雀の二役を材料にした楽屋落ちや、舞妓好きは「父親の遺伝か」などと言うところなど随所に笑いどころがあって新喜劇のような展開。観客も大いに沸く。
扇雀が二役で肝心なところをしっかりと〆る。竹を割ったようなカラっとした江戸っ子を威勢よく演じる勘九郎は、勘三郎を彷彿とさせて好演。
「もっとゆっくりしていっておくれやす。ぶぶづけでも食べはりますか」と笑顔で勧めながら、裏では箒を逆さに壁に立てかけてある(客が早く帰るおまじない)事を感じさせるのが何とも言えない京都のいけずな所だが、七之助の芸妓染香は、なかなか滑稽に京女の雰囲気を出していた。勘九郎と掛け合う巳之助の軽妙な笑わせどころも印象的。
第一部と第三部を同日に観た訳だが、どちらにも「十世坂東三津五郎に捧ぐ」として「棒しばり」と「芋掘長者」があり、勘九郎と橋之助を相手に迎え、息子の巳之助が健闘。ほとんど出ずっぱりだが、どの演目でも軽妙な役で座を沸かせた。扇雀と彌十郎はベテランの重みで勘所を絞める。普段の座組とは違う納涼歌舞伎独特の気楽な雰囲気を楽しんだ。