投稿日:2025-01-05 Sun
昨日(1月4日)、以前から課題となっていた吉原界隈の散歩に出かけた。こんなに長い間東京近辺に暮らしていながら、そして何度もすぐ近くの浅草寺界隈に行っていながら、この有名な地に一度も足を踏み入れたことがなかった。小説や映画・ドラマであんなにも有名だったのに・・・。街歩きの出発は都電の終点三ノ輪橋駅、終点は浅草寺、万歩計がないのでどれほど歩いたかわからないが、文字通り足が棒になった。ルートは以下の通り。
都電三ノ輪橋 → 浄閑寺 → 回向院 → 延命寺 → 寿永寺 → (一葉記念館) → 正宝院(飛地蔵) → 西徳寺・大照寺 → 長国寺 →鷲 神社 → カストリ書房 → 吉原弁財天 → 吉原神社 → 大門・見返り柳 → 浅草寺
吉原界隈散歩が初めてと先ほど言ったが、実は王子駅から下町の方に伸びる都電に乗ったのも初めてだった。興味津々ではあったが、窓外の景色は下町らしいとは思えたが格別の関心を引かない。それでもあれっと思ったのは、到着した三ノ輪駅に降りた瞬間だった。駅を仕切る板塀とそこに張り付けられたポスターが、昭和30年代を演出していた。写真の通り、大村昆や松山容子、はては「亀の子束子」ときては、何らかの感慨を持たざるを得ない。悲しいかな! レトロブームの仕掛けだとわかっていてもつい目を奪わてしまう。



終点の三ノ輪駅 三ノ輪駅の板塀 三ノ輪駅トイレ
その三ノ輪橋駅近くに最初の目的地「浄閑寺」はあるはずなのだが、駅から歩いても大通り(日光街道)と常磐線の立体交差が見えるだけ、たまらず、このあたりの住人らしきおじさんに道を訊く。「ああ、そこを左だよ」とあっさりと答える。こちらはついでとばかりに「回向院はどっちでしょうか」と訊いてみる。「寺の前の道をまっすぐ行けばいいがちょっと遠いよ」
というわけで、無事に「浄閑寺」に到着する。この寺は「投込寺」の異名を持つ。安政大地震にみまわれて亡くなった哀れな吉原の遊女たちがここで葬ってもらえるように投げ込まれたことから投込み寺と付けられたという。恐らくは無縁仏として扱われたのだろう。ここには、地理的に縁のある作家永井荷風の碑があるというので、見学した。



浄閑寺 永井荷風の碑「震災」 ひまわり地蔵尊(山谷の労働者たちの死を供養)
次はちょっと遠い位置にある(南千住駅近く)回向院に向かう。正月休みのせいかほとんど車の通らない道を歩くこと10分、大通りにぶつかって左を見るとこれまた歩道橋と駅の立体が見える。目的地はその近くのはずだ。かつて「小塚っ原刑場」と呼ばれて恐れられた場所は、コンクリートの階段と橋と駅になって、人の行き交いの地に変わっていた。回向院はその歩道橋の陰に隠れて、寺院作りとは程遠い近代的な建築を見せていた。その入口左側に立派なお地蔵様が立っている。横に「吉展地蔵尊」とある。不思議に思って調べてみると、やはりあの「吉展ちゃん事件」の吉展ちゃんだった。遺体は三ノ輪橋駅近くの「円通寺」で見つかった。回向院は吉展ちゃんの家の菩提寺だったのでここでこうして供養しているらしい。



吉展地蔵尊 吉田松陰の墓 橋本左内の墓



鼠小僧の墓 高橋お伝の墓 解体新書の絵扉の碑
この寺には、安政の大獄によって死んだ吉田松陰、橋本佐内の墓がある。彼らはここで処刑されたわけではない。切腹ではなく伝馬町牢屋敷で打ち首になったので、ここに埋葬されたのだろう(前者29歳、後者25歳だった。もちろんそれぞれの故郷にも墓がある)。おもしろい(と言ってはまずいかな)ことに、この墓地には鼠小僧治郎吉や高橋お伝の墓もある(残念ながら、鼠小僧は義賊どころではなく、捕らえられここで処刑された)。また、刑場であったこの地が医学に寄与したことを示す碑が立っていることも皮肉と言えば皮肉なことだ(解剖がいくらでもできる!)。この回向院に隣接して延命寺という寺がある。この寺の地は刑場のあったところから、首切り地蔵と呼ばれる大型の像が安置されている。寺の名はなんとも皮肉な気がしないでもない。もとは、回向院内だったらしい。

首切り地蔵
さて、回向院から次に向かう散歩の行き先は「一葉記念館」だったが、改修工事のために閉鎖されていた。残念だったが、予定している散歩コースからするとまったく問題ない。ここまで歩いていると、我々はいつの間にか七福神巡りと道を同じくしていた。まずは寿永寺で布袋様を見て、正宝院(飛不動)では恵比寿様、鷲(おおとり)神社では寿老人、吉原弁財天ではもちろん弁財天だった。

「カストリ書房」入口は白いドアー


吉原弁財天の社殿 関東大震災の犠牲者を慰霊する観音像
その吉原弁財天の真ん前に不思議な本屋があった。店名は「カストリ書房」と言う。名前からして何か怪しげで、店構えは書店のイメージからほど遠い。それでも勇を鼓して取っ手を回し、ドアーを開ける(自動ドアーとは無縁)。すると感じのよい女性店員(実は店主夫人)がにこりと迎えてくれた。壁にはもちろん書物が並べられているが、真ん中の売り場にはなにやらあやしげな人形=裸体の男性女性がこれまたあやしげなポーズをとっている。そう、ここは吉原関係の本を中心に集め販売している本屋さんなのだ。こちらにとっては無知な分野の書物ばかりがずらずらと並んでいる。荷風あたりなら想像はつくが、吉原の性の世界はたぶん限りなく広がっているのだろう。小さな店の奥にはバーがあり、そこでちょっとした紅茶・コーヒーを楽しめる。驚いたのは「カストリ」もメニューにあったことだ。結局冷やかしただけで何も買わずに店を出たが、実はこの店に入るよう勧めたのは僕の息子だった。彼は例の感じのよい店長夫人と友達同士らしく(彼女が吉原のことをある雑誌に書いた縁かな?)、妻は名乗りをあげて仲良さそうに話をしていた。どうやら、店主夫人は吉原と山谷に精通しているらしい。それにしても、吉原の一等地で吉原関係の本を商っているとは、すごい。僕は「外国の翻訳物は扱ってないんですね」とつまらないことを言ってみたが、やはりここは完全に日本物を貫くのが良いのだと納得した。
さて、吉原散歩もいよいよ吉原の「大門」と見返り柳を見るだけとなった。残念ながら、かつての位置を示しているだけで名残りはない。これから先はとぼとぼと土手通りから馬道通りを歩いて、浅草寺に出るだけだ。
浅草寺に来ると、別世界のように人人人の群れに巻き込まれた。外国の人たちも多い。何よりも驚くのは、若者や子供たちが手に手になにか食べ物を持ち、齧りながら楽しそうに歩いていることだ。老人たちはそんな楽しみを味わうことはできない。
そして、この混雑は浅草から上野駅までの地下鉄内も続いた(さすがに手に持っているのは食べ物ではなくスマホだが)。そんなとき、ふと生まれて初めて地下鉄に乗った時のことを思い出した。あの時は逆方向の上野から浅草までだった。ぎゅう詰めになった周り中の人たちの腰当たりが僕の顔の高さなので何も見えない。すると、父か兄が僕を引っ張ってドアの方に引き寄せてくれた。その時初めて、走っている地下鉄の外を見た。あれほど楽しみにしていたのに、見えたのは走り去る黒い壁だけだった。当たり前なのに、なぜかひどくがっかりしたことを覚えている。田舎の少年は何を見たかったのだろう。地下鉄に何を期待していたのだろう。今となってはわからない。
上野駅からは別世界のように車内は空いていた。
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