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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

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2011.11
30
CM:2
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13:00
Category : 有職故実
 昭和9年、司法研究(司法省)で『拳銃の密輸について』を発見。

 昭和7年末、拳銃を所持していた民間人は4万4261人、4万7028丁である。携行許可も6568人※存在した。現在、装薬式拳銃は全国で50人にしか所持※※が許されない。今から見れば所持者は1000倍である。

 しかし、この数はあまりにも少なすぎる。戦前は大量の拳銃が輸入されていた。大正13年から昭和7年まで、9年間に輸入された拳銃は32万丁である。

 先に挙げた所持4万4261人、携行許可6568名は警察が許可した数である。これに陸海軍軍人は含まない。軍人の場合は、拳銃は部隊長許可で所持でき、軍装であれば携行許可は不要であった。
 ただし、私物拳銃を購入する軍人もそれほどいない。概ね、士官と准士官待遇だけが私物を購入・所持したと考えても、人数はあまり増えない。大正元年に陸士卒業したものは700名、昭和元年は300名。海軍兵学校は100人~200人、機関学校や経理学校を足しても年に500人。陸海軍とも、士官学校を経由しないもの、准士官になるものを数に入れても、私物拳銃購入は年に2000人・丁※※※もないはずである。

 9年間に32万丁の拳銃はどうやって消化されたのだろうか。過半は中国に密輸出された様子である。日本から中国への密輸出は盛んである。昭和7年までの10年間に、摘発されただけでも、大連2万2000丁を筆頭に、合計4万丁の輸出が摘発されている。もちろん、摘発されない数は含まれていない。

 おそらく、20万丁程度が密輸されたのではないかね。司法研究では、密輸出を匂わしているが、その数について推測はない。だが、粗々で計算しても20万丁は輸出されている。

 日本に輸入された32万丁のうち、日本国内での消化数は10万丁もない。民間購入5万丁、軍人私物が2万丁程度、官庁銃が1万丁を超えないだろう。多めに見積もっても全部足しても10万丁程度である。
 民間人が所持した拳銃は5万丁程度である。陸海軍軍人が所持した拳銃も、年2000丁として1万8000丁である。
 官庁銃も多くはない。戦前警官は拳銃を持たない。陸軍は国産制式拳銃を購入する。海軍は融通無碍であり、制式拳銃以外にも輸入品を購入している。だが、戦前海軍も10万人はいない。陸戦ほかでも拳銃装備は1万人はいない。そのうち、輸入拳銃を半分としても5000丁である。

 華北や満州に出回っていた拳銃、馬賊や軍閥が持っていた拳銃のうち、少なくない数は密かに日本から再輸出された拳銃なのだろうね。ちなみに、大陸もので出てくるモーゼル拳銃は、日本国内への輸入実績でもトップクラスにある。



※ 所持していて携行していない人々は、趣味的にもっていただけである様子。当時内地人口が7000万、そのうち、4万人程度が所持だけを許可されている。割合では、今日、モデルガンや無可働銃を持っている人数と同じようなものだろう。今日、人口を1億2000万である。高級なモデルガンや無可動銃を持つ人々を、同比率であれば7万人である。それほど外れた数字ではない。

※※ 使用しないときには警察署預かり

※※※ 士官・相当官への任官数は、おそらく『官報』等を悉皆に調べれば確認できる。だが、煩雑な作業になる。陸海軍省にある人事関連書類があれば確実であるが、遺存しているか分からない。概略数で良ければ、例えば双眼鏡を調べればよい。生産・輸入・販売統計が業界団体、あるいは商工省にある。私物拳銃を購入するような士官であれば、私物双眼鏡も購入するだろう。(商船学校や水産講習所修了者も購入するだろうが)
2011.11
26
CM:2
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13:00
Category : ミリタリー
 やえやま級掃海艦があるけど、アレは漁船を使えば充分だったのだろうね。

 やえやま級が整備された理由は、大深度に仕掛けられた機雷に対抗するためとされていた。ソ連には大深度に敷設できる機雷がある。それから潜水艦を守るために必要、と理由づけられていた。
 東京湾口部を安全にするためには、大深度機雷への対応が必要と考えられた。それまで、横須賀の先は、三浦半島をかわってから先、東京湾外湾は急に深くなる。このため、機雷による脅威は考えなくて良いとされていた。しかし、ソ連が作った新型対潜機雷は、有名な所ではクラスター・ベイは、大深度でも使える。
 実際にクラスター・ベイを除去できるような、大深度での対機雷戦装備が80年代に流行していたのである。

 しかし、大深度掃海のために、わざわざ大型掃海艦は必要だったのだろうか。

 大深度用掃討艇であれば、安く小さく作れただろう。やえやまほど大きくするも必要ない。対機雷戦ソーナーを吊り下げ式ととする。処分具を大深度に対応させる。それだけで良い。これは、同時期に整備されたイタリア掃海艇Lerci(600t)では実現している。当時は日本が開発した対機雷戦システムに問題は認識されていない時期である。システムを日本製にしても問題は感じなかっただろう。

 しかし、やえやまは「大深度掃海を行う」とする理由付けがされたため、大型艦になってしまった。木造で、大型繋維掃海具を搭載するために大きくなってしまったのである。1000トンもあるので腐朽修理や除蠣は手間も金も要するだろう。そういう不経済な掃海艦が許されたのは、バブル期でお金に余裕があったためだ。

 どうしても繋維掃海をしたいのなら、漁船で我慢すればよかった。繋維掃海には複雑な艦艇はいらない。極端な話、カッターで、手こぎのボートでも可能である。なるほど、大深度掃海となると抵抗も大きいだろうから、力がいるかも知れない。しかし、それなら大型漁船を使えば済む。船体も鋼製で充分だろう。高級かつ大型で、運ぶことも難しい大深度対潜用機雷は潜水艦だけを正確に狙う。漁船クラスを相手するほど安くはない。

 そもそも、時代は機雷掃討になっている。潜水艦や空母の安全について、深い所が気になるなら、その航路を吊り下げ式ソーナーでルーチン・サーベイすれば充分だ。大深度で機雷を見つけたら、掃討なり迂回なりすればいい。高級かつ大型で、運ぶことも難しい大深度対潜用機雷なんてそれほどの数はバラ撒かれない。そもそも、大深度での繋維掃海をやる所要もそれほどない。

 大深度機雷を一気に処分する。そういうシチュエーションは考えがたい。だが、第二次世界大戦で作ったような、触発式繋維機雷による水中機雷堰を一気に処理する。それなら繋維掃海が成り立つかもしれない。だが、その場合であれば、漁船転用でも充分である。排水トンで1000トン行かないくらいの鋼製漁船でよい。プロペラだけは2軸でCPPの方がいいが、そういった漁船を建造なり、購入なり、チャーターなりする。掃海具も、別に単艦で引くような面倒をせずに、漁網を引く要領で2艘曳きすればよい。たしかに漁船は2隻必要だが、単純なので却って人手も減らせるだろう。磁気を気にすることもあまりないから、40mm機関砲あたりも積める。浮かんできた機雷も確実に殉爆させられるだろう。
2011.11
25
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01:55
Category : アニメ評
 アニメ『アイドルマスター』第21話「まるで花が散るように」について感想ですが、ネタバレを含みますので注意してください。



 アイマス、響エピソードも神回でした。原作では洲崎パラダイスにあり、3月10日に空襲で焼かれた七六五楼が、吉原遊郭に移り、被災を5月25日に先延ばした理由が明らかになったといえるでしょう。予告編で示された響の情人の戦死から、いわゆる鬱展開であると覚悟したのですが、そうにはなりませんでした。

 戦争が終わったら借金を肩代わりして響を身請けする。そう響と誓った厚生官僚が沖縄県庁に転勤する。そこから物語は始まります。響の良人は沖縄を救うため、地方長官の引き抜きに喜んで応じて沖縄に向かうのです。すでに比島は陥落しています。次が沖縄であることは明らかでした。「ヤマトの人間がウチナーのために死ぬことはない」「一緒に逃げよう」と駆落を願う響に、持って行っても役に立たないだろうと、貯金通帳と印鑑を響に預ける男。
 そして、沖縄戦が始まります。士官級の客から寝物語に聞いた沖縄の戦況は、報道とは異なり絶望的でした。そして、頼まれたという内務省の同期から、男が知事と共に戦死したと知らされます。沖縄の戦況を心配されても、気丈に口癖の「なんくるないさ」を連発していた我那覇響は、作中で初めて慟哭します。

 物語がここで終われば鬱展開だったのでしょう。
 しかし、Bパートから展開も変わります。沖縄失陥後、故郷を喪った沖縄徴兵者達が、沖縄第一の芸者であった響のもとに集まり出します。男を喪った響は、客も取らずに見世前で三線を弾きます。東洋一とまで言われた芸妓、竜宮小町を擁する七六五楼の名妓である響が、路上で三線を引く。そこに行く先も持たない、金もない沖縄徴兵者が集まりだします。
 響は芸者です。路上での演奏や、手踊は鑑札違いの御法度です。でも、響の情婦の戦死や、沖縄の事情を知る皆は何も言えません。
 我那覇響は故郷喪失者のアイドルになったのです。外出日や上陸日には、東京はおろか横須賀からも兵隊や職工が集まります。海没と救助により東京に仮置きされた若い陸兵や、40を超えて徴兵され、第二艦隊で生き残った海軍老年兵、国民徴用令で造船所で働く職工たち。僅かな合成酒と干物を分け合う野外劇ですが、響が生育った那覇の辻町遊郭での遊びを見で、そしてその歌を聞いて皆が涙するのです。

 そしてある日、若い陸兵が、熨斗の効いた空中勤務者の姿で七六五楼に来る。「東京も楽しかったです。でも、明後日には沖縄に帰ります」と皆に挨拶します。すでに沖縄戦も終盤です。誰もが無言の中で兵隊は「響さまは自分の阿媽観音さまでありました」と別れを告げます。それを聞いた響は他の兵隊に今日は終わりだと告げて、久々に年下の兵隊を客に取ります。

 事情を知った竜宮小町のあずさから、馴染みの重臣※が来た時だけ使う特別室を譲られる二人。いつもは格式や支払いに口うるさい遣手の小鳥と律子も何も言わない。半ば闇社会に生きる女衒のプロデューサーPも蛇の道は蛇と闇の酒と御馳走を準備する。

 明かりが消えたあとで、本当は死にたくないと泣きじゃくる兵隊。どんなことをしても生きて帰って来いと、捕虜になっても死ぬなとたしなめる響。そして生きていればこんなにいいことがあるよと体で慰めます。

 翌日は生憎の小糠雨。響は七六五楼と大書した番傘を兵隊に差し渡します。巡邏していた憲兵曹長が傘を差す兵隊を大喝し、殴りとばそうとしますが、それを響が唐手で突き飛ばす。「兵隊さんは明日、飛行機で沖縄に帰るんです、ヤマトには、東京にはもう二度と来られないから最後に遊んでいったのです」というと、曹長も「そうか、頑張れ」と標準語で励ましたあとで、そのまま沖縄の島言葉で、おそらく曹長の本音であろう言葉を一言二言…あとは、EDのとおりです。

 永井荷風原作『アイドルマスター 日陰に咲く花』にはないエピソードで、左右両方から叩かれた回ですが、脚本を書いた野坂昭如の面目躍如と言えるでしょうね。
 今期『アイマス』はオリジナル回も素晴らしい物ばかりです。
 やよい回「大好きなもの、大切なもの」では、山本薩夫が高槻家に東京の貧民生活を描き、独占資本家に生まれた伊織との対比で戦前日本資本主義の格差を印象づけました。
 五木寛之脚本の雪歩回も、学徒出陣で戦死した異母兄への追憶、陽の目を見なかった兄との小さな命といったエピソードを挿入し、客を取っても体を許さない雪歩の「男嫌いか穴なしか」を上手に処理しています。いや、雪歩回は、キレイ事を並べた『ドリームクラブ 嬢王物語』での「ピュアな純愛」よりもよほど「純愛」ですねえ。

 なんにしてもアイマスは最終話まであと五話ですが、なかなか眼が離せません。オススメです



※ 「戦時下に自家用車を使った花柳界通い」ですので、風流で知られ、エノコ・ヌレマラと綽名された重臣(本名を秘す)がモデルなんでしょうね。
2011.11
23
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13:00
Category : 有職故実
 大正から昭和戦前期の海軍省史料を読んでいたのだけれども

・ 駆逐艦「蕨」汚職事件の疑い
・ 航発後期、軍法会議送り方
・ 亀ヶ首事故多発
・ 飛行機不時着関係資料、でも低速機なのであまり殉職も怪我もでない
・ 水兵がドイツ人と接触した…取り調べ
・ 横須賀で運送業者と軍が癒着

 とか、どーでもいいものが一杯ある。でも面白いから控えるけどね。

 たまに

・ 軍艦「愛鷹」(装甲巡洋艦予定名)
・ 駆逐艦「百合」「躑躅」(若竹型の予定名)

 が出てくるのだが、まあ、これも控える程度

 それよりも面白いのが、昭和10年くらいに出た、民間人からの献策。
「艦載機の主翼を折りたためるようにしろ」「空母に100機積んでいるのが、300機搭載できる」

 空母の戦闘能力向上のための、着眼点としては妥当なんですよね。これを無視したか、それともアイデアは評価したが不可能と見たか、あるいはすでに海軍部内で同じ検討があったか。
 たしかに、否定的に見れば、主翼根元から折りたたみを実現する航空設計技術と、産業基盤がなかった。。昭和10年代の日本では、無理な機動をする艦戦、艦爆で実用するのは容易ではない。できても重くなって性能低下や航続距離や離着艦で困る。生産が滞る…

 でもね。この手のアイデアも試すだけの価値もあったんじゃないですかね。艦載機が多く積めるようになるのは、母艦の数が増えたのと同じ結果になる。でも、日本はそれを試さなかった。
 「できない」で放置するのは良くないんじゃないですかね。また「できればいいなあ」がなければ、なにも進歩しないでしょ。 片端からアイデアを潰すのはよろしくありません。今はできなくても、将来できるようになるかもしれない。艦載機主翼折りたたみは、後に米海軍機が大規模に採用して、搭載機数で優位にたったわけです。

 まあ、開戦以降に日本はF-2AやF-4Fを入手している。それを見ても主翼折りたたみは実地に作らなかった。(あんま無茶な機動はしない水偵や晴嵐は採用しましたけどね)概略検討はやって、やっぱり作れない/実用上でデメリットが多いと判断したのかもしれませんけど。昭和10年あたりから試せばそれなりにできたのではないですかね。

 今はできないけど、とか、現状では問題が解決しない、みたいな話になっても、それで諦めるものでもないですね。
 似たような話であれば、磁気機雷の話がありますね。日本海軍も戦前に磁気機雷について構想を得ていました。しかし、実艦船を用いて直接測定した結果、磁気量が小さすぎるとはんだんされた。このため。反応する感応機構は作れないで御仕舞にしてしまった。その後、英国情報やドイツ情報で色々試行錯誤したのですが、とっかかりが遅すぎたので満足できる程度の磁気機雷は作れず仕舞になってしまったわけです。
 母艦用カタパルトにしても、昭和10年くらいに萱場が、同世代の米空母用カタパルトと同等品を作っているんですよねえ。上海事変で陸海軍が陸上使用したみたいですけど、それもそれきりで御仕舞という。

 まあ、何が使い物になるのかわからないわけです。珍妙なアイデアであっても、期待できる効果が大きければ研究開発はやったほうがいいのでしょう。その伝で言えば、1950年代に大まじめに研究したESP技術も、あんまり笑えないでしょうね。駄目かもしれないけど、成功すればとんでもないアドバンテージになるわけですからねえ。


 オマケ

 あと、艦載機折りたたみの近くにも面白い記事がありましたね。「やまと新聞」の話です。一昨年あたりネトウヨが「真実を伝える新聞」って持ち上げていたことが懐かしい新聞ですね。この「やまと新聞」、昭和10年頃に給料未払いでアッツイ争議が起きているのです。
 まあ、その程度の新聞なんでしょう。ネトウヨ周辺は「進駐軍に潰された」と言っているが、事実は潰れるべくして潰れたのでしょうねえ。
2011.11
19
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13:00
Category : 有職故実
 東京国立博物館での常設展に、上野戦争で使用された砲弾が展示されている。 この砲弾は「彰義隊戦争遺物」として知られる不発弾である。小説『大砲松』(東郷隆)で、東博収蔵として紹介され、有名になった。

砲弾WEB全体

砲弾WEB


「砲弾」(東京国立博物館収蔵,台東区上野公園採集)整理番号F-16530


 木に貼り付けられた由来(ただし、コンデジ撮影のため、よく読めない)には、明治41年に上野公園で発見されて収蔵されたとある。砲弾は、杉の大木、高さ7m程度に西南方向からめり込んだまま、明治の聖代を過ごしたことになる。
 口径は、目測で70mmから90mm。(収蔵品カードを閲覧すれば書いてあるかもしれない) 砲弾肩部に鋲がある。これは、ライフリングに噛みあわせるために取り付けられた、前込式施線砲(MLR:マズル・ローデッド・ライフルと呼ぶ)に特有の特徴である。東郷隆さんが小説中で説明しているとおり、弾頭部には信管らしきものはない。作動しなかった信管が砲弾内にめり込んだか、最初から信管をつけ忘れたか、いずれかだろう。
 大山柏さんの『戊辰役戦史』によれば※※上野戦争で参加した砲兵で、西南方向から射撃できた砲隊は肥前、筑後、尾張、備前、津、佐土原。このうち、いずれかの御家中が発射したものだろう。ちなみに、臼砲を除き、参加した砲は肥前砲兵が装備したアームストロング砲、尾張のナポレオン施条山砲、備前砲兵の「メリケン」砲、佐土原の四斤半山砲である。

 この砲弾は、図録や写真でしか見かけたことはない。ここ30年、年に1~3回は東博に脚を向けてきたが、現物を拝見は、まさに眼福であった。気になる向きは上野に行くべきである。
 刀槍武具から外れた展示も面白いもの。他にも、東博には変った火器がある。例えば、幕末期までに作られた風銃(エアーライフル)は、東博に少なくとも3点※※※ある。だが、東博で展示された例は知らない。この手の展示が増えれば面白いのだが。


※ 鋲を使用せず、発射ガスで広がりライフリングに噛み合う弾筍を用いたMLRもある。
※※ 大山柏『補訂 戊辰役戦史』上巻(時事通信,1988)pp.354-358.
※※※ 収蔵品カードでは、少なくとも3丁ある。
2011.11
16
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13:00
Category : 雑誌読み
 香港誌で「以台制華」という珍しい語句を見つけたので、まあちょっと。

 『鏡報』11月号に朗然さんの台湾総統選挙関連記事がある。「台湾大選的美日因素」※で、総統選挙と日米の関係についての観測記事になっている。
 その中で興味ふかいのが、日本が採るだろう台湾政策への見通しである。

 朗然さんは、日本は「以台制華」するだろうと見ている。台湾を自陣営による中国牽制である。これは面白い指摘である。潜在的であるが、実際に日本人はそのように考えているからである。

 実際に、日本人が説く台湾重視は、中国への牽制である。

 日本人による台湾防衛力への期待は、一種「以台制華」を期待したものだ。日本人が台湾独立に期待する点は、中国を台湾海峡に拘束できるだろう点である。台湾に中国と対峙し続けることを期待する点である。実際に、台湾防衛について語られる言論には、台湾での自由と民主主義の維持や、市場としての台湾といった観点はない。

 日本が台湾に抱く好意的感情も、概ね中国への、大陸への否定的感情を裏返したものである。※※ 台湾との友好や、ある種の台湾への賛美は、中国との関係や中国体制への裏返しになっている。台湾における民主主義体制の賛美は、常に中国における共産党一党独裁への批判とセットとして語られているのである。もちろん旧植民地への追憶や、一種勢力圏としての日本文化圏への帰属もあるが、政治的言論としては主流ではない。

 台湾独立運動への心情的肩入れも「以台制華」とする発想が影響している。台湾独立を積極的に応援する言論は、しばしばチベットやウイグル独立運動と平行して語られている。つまり中国への打撃を狙っての、独立運動支援である。台湾独立運動を応援する人々は、その理念として民族自立を訴えている。しかし、フィリピンでのイスラム教徒独立運動は支援しない。また、ビルマの民主化も支援しない。チベットやウイグル独立運動を応援する立場とは好対象である。

 日本には「以台制華」とする発想はある。もちろん、それ自体は発想として当然である。すでにここ10年来、日本は中国と対立するゲームを行なっている。日中対立ゲームでは、台湾が中国を対立してもらえてば、日本はゲームで立場を有利にできる。また、日本には台湾との関係強化を図ることにより、中国を制約するカードもある。

 ただし今の段階では、中国を牽制するカードとして、台湾は露骨に実用できない。台湾カードを振り回すと、中国との対立がエスカレーションする可能性が高い。新中国、中華人民共和国は、抗日戦の結果、誕生した国である。日本の侵略と中国人民の抵抗は、建国神話として国民が共有している。ゲームではなく、冷戦になることは望ましくない。

 日本が露骨に「以台制華」を実施すれば、中国人は傀儡国家「偽満州国」を通じた中国侵略を想起させる。そうなると、日中関係は収拾がつかなくなる。極端な話、台湾独立運動が高まったとする。日本にとってはゲームで非常に都合が良い。しかし、日本がそれを露骨に支援したとすれば全てはおジャンとなる。中国人は当然「偽台湾国」と呼ぶ。中国は面子にかけて台湾を回収しなければならない。§

 日中対立はゲームの範囲に留めなければならない。冷戦のような全面的な政治・軍事的対立や、その先にある熱戦一歩手前の状況は、日本にとって耐えることができない負担である。ゲームのカードとして「以台制華」は適当ではない。効果に較べて副作用が強すぎる。

 台湾カードを利用するしても、実際に可能な範囲は相当限定される。非政治、非軍事交流や、米国による台湾維持への協力程度が限界だろう。日本にとって「台湾独立」志向は好ましい。だが、非公式であっても、その志向に近い民進党・蔡英文を支援することも難しい。それにより国民党・馬英九を中国側に置いやってしまう。台湾世論も、尖閣諸島での小競り合いもあり、日本には厳しい。親日派のレッテルが致命的になる可能性もある。

 まあ、台湾カードで実現できるのって、台湾政府関係者への入国許可くらいかね。蔡さん、馬さん、どっちが勝っても日本に来てもらえれば、ゲームで中国に大打撃を与えることができる。別にどの段階の政府関係者であっても、台湾から来てもらえるなら、来てもらえばそれなりの嫌がらせにはなる。§§ それにより引き起こされる摩擦も、ゲームの範囲にとどまる。同じ程度の打撃だけど、日中関係冷却化や経済交流縮小程度で済むでしょう。でもねえ、ゲームで相手の威信を落す程度で、実益もあまりないね。

 台湾カードは触れずに、防衛力と外交で中国膨張主義をコンテインメントするほうが無難だね。日本は海軍力で対中アドバンテージを持つ。地道に防衛力を東シナ海方面にシフトさせたり、日中建艦競争をやる。中国が強引に海洋進出を図る状況では、周辺国もまとまりやすい。なんとなくの対中包囲網風、まあ、中国にとっての日米印越包囲網もどき(まあ、各国とも同床異夢だけど)をイメージ付けたりするほうがいいだろうね。実効では台湾カードによりも効く。また、中国が持ち始めた大国としての面子も(台湾カードに比較すれば)潰れにくい。

 ちなみに、記事中には「所以日本近年已開始加大過密日台間的政治、軍事交流。」とあるが、軍事交流やっていたのかねえ。日台軍事交流でググってみると、2007年の富士火力演習で民国陸軍(台湾陸軍)司令官、胡鎮埔さん(当時)が来たことくらいしか引っかからない。花火大会に呼んだ程度だと軍事交流でもないし、過密とも言えないのだろうがね。まあ相当警戒しているのかねえ。


※ 朗然「台湾大選的美日因素」『鏡報』412(2011.11,鏡報文化出版)

※※ 1980年代、対ソ同盟として日米と中国が協調関係にあった時期には、中国での「非民主的体制」への批判はほとんどなかった点に注意すべきである。台湾への支持(青嵐会)にしても、中華民国を見捨てたことへの道義的な負い目に基づいていた。もちろん、国民党独裁政権であり「台湾は中国ではない」言説はありえなかった。

§ 中国にとって、「中国の一部である台湾」が「中国人である台湾人」に支配されている限りは、何の問題もない。中国の一地方が言うことを聞かないだけの話である。しかし、外国人により台湾が切り取られた、となると話は別である。神聖な国土を外国に奪われた事を意味する。どれほど血を流しても取り戻さなければならない。

§§ ダライ・ラマさんが日本に入国して、それなりの政治発言をする程度の嫌がらせにはなるだろう。
2011.11
12
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13:00
Category : ミリタリー
 中国空母は、着艦作業しながらの発艦作業が難しいようだ。香港誌『鏡報』に陳戦星さんが「『瓦良格』二度海試料練翅」※ とする記事を書いている。ワリヤーグ改め瓦良格について、設計上にある問題を指摘する内容である。この記事でもっとも注目すべきは、ブラスト・リフレクタ設置位置について問題点を指摘する部分である。

 陳戦星さんは、ブラスト・リフレクタ設置位置と着艦帯が競合する位置にある点を指摘している。ブラスト・リフレクタは艦載機発艦線に置かれる。発艦線は左右2本を設定している。そのうち、左舷側に設定された発艦線は着艦帯と交差している。発艦位置と目されるブラスト・リフレクタは、発艦線末端と中間に2ヶ所設置されている。末端部ブラスト・リフレクタは着艦帯では丁度真ん中である。発艦線中間部にあるブラスト・リフレクタも、着艦帯右端にかかる位置にある。つまり、着艦作業を実施中には、左側発艦線は利用できない。

中国空母飛行甲板レイアウト
  カタパルトおよび運用関係関連のレイアウトについて「『瓦良格』二度海試料練翅」掲載写真を参考に作図した


 右舷側発艦線は、着艦作業と同時に運用できるものの、能力は制限される。右舷側発艦線は100m程度しかない。発艦線としては、200mある左舷側がメインであり、右舷側はサブである。艦載機能力を一杯に引き出すためには左舷側が必要である。しかし、着艦作業を行なっているときには左舷側は使えない。着艦作業と同時に運用できる右舷側では、機体を選ぶが、軽荷状態でなければ運用できない。

 瓦良格は、着艦作業と発艦作業は同時実施できない。この点、陳戦星さんは、左舷発艦線設計を「『瓦良格』現設計重要欠陥」と評している。だが、それは酷である。どのようにデザインしても、発艦長確保と着陸帯確保は並立しない。仮に、両発艦線中央部に、着艦部と干渉しないように発艦線を設定してもあまり意味はない。今度は航空作業準備エリアに干渉してしまう。着艦した航空機を着陸帯から引き出し、あるいは、エレベータで格納庫から持ち上げた機体を発進位置に持っていく動線に引っかかるのである。

 結局は、旧ソ連が空母用カタパルトを実用できなかった点が原因である。スキー・ジャンプで補おうとしても、能力は限定される。固定翼機を運用するためには、発艦長は100m以上を確保する必要がある。それでも離着艦同時運用も満足にできないのである。

 陳戦星さんは、飛行甲板面積が有効利用されていない点も指摘している。瓦良格はニミッツ級に対し甲板面積で9割を確保しているものの、航空機駐機数が6割しか確保していないと指摘している。しかしこれも、発艦部を長く取らなければならない結果であり、設計に責任を負わせることは妥当ではない。

 旧ソ連系空母は、相当に機能が制限されるのである。旧ソ連はカタパルト、固定翼AEW、専用艦載機を実用できなかった。いまもカタパルトを持たない中露空母は、陳戦星さんが指摘したように、離着艦同時運用にしても、甲板利用効率にしても相当に劣っている。AEWを持たない点も、対空警戒や、防空戦闘での航空機運用に相当差し支えとなるだろう。陸上機を転用した艦載機も能力が制限される。迅速な離着艦はできず、AEWによる支援はあまり期待できず、艦載機にも問題がある。そもそも搭載機数も少ない。中露空母は実用品ではなく、威信財である。能力は実用試験用程度と見積もるべきである。


※ 陳戦星「『瓦良格』二度海試料練翅」『鏡報』412(2011.11,鏡報文化出版)pp.72-73.
2011.11
05
CM:16
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Category : ミリタリー
 自衛隊は陸自向けに新しい大砲を開発したいらしい。現有榴弾砲であるFH70がそろそろ耐用年数を迎えるといい。それを更新するために、装輪式自走砲開発をリクエストしているのだが。その必要はどうみてもおかしい。

 まず、既存FH70が使えなくなる前提がおかしい。陸海空自衛隊とも、火砲からライフリングが消えるほど射撃はしていない。榴弾砲は戦車砲やかつての高角砲とは異なる。極端に高初速でもなく、精度もそれなりでよい。砲身命数にしても少なくとも1万発程度はある。仮に年間に1門あたり200発を実射しても、調達から30年では6000発程度にすぎない。砲身は当分寿命に達するとは考えられない。

 また、わざわざ新型砲を国内開発する理由も弱い。FH70後継砲の所要数はそれほど多いものではない。FH70後継砲の所要は200門もない。陸自が保有する重装備は、規模縮小により余剰を生じている。戦車ほどではないが、砲も余剰は生じる。火砲は定数600門から新定数400門となった。400門の枠内に残る火砲は、当然、ヨリ高級な自走砲から充当される。すでに新式である99式15センチ自走砲は100門が調達されており、継続整備中である。長射程大威力である20センチ自走砲100門も※残っている。FH70は500門製造された。しかし、その後継砲への所要は200門あるかないかである。この規模では国内生産するメリットもあまりない。国内開発する必要となると、さらに希薄である。ライセンス生産なり輸入で済ませる規模にすぎない。

 そもそも、防衛省が必要性として挙げた戦略機動性もいかがわしい。日本本土内での移動であれば、戦略機動性はほとんど問題にならない。交通網が正常であれば、北海道から九州まで、装軌式自走砲でも、急げば2夜3日は掛からない。これが牽引砲でも装輪式自走砲にしたところで、1夜2日になる程度である。また、最近、防衛力整備で重視している離島域や、いずれ焦点になるだろう海外への戦略機動性では、優位とはならない。この場合に限定すれば、車体分重くなる自走砲は不利である。ヘリでスリング輸送できるような軽量砲(それほどの数もいらないだろうが)が有利となる。

 省力化も繋がらないだろう。まず、いいことしか書かない予算要求で、人員省力化が示されていない。FH70自体がすでに少人数で運用できた。次に自走化しても、あまり減るものでもないのだろう。また、自走砲化すれば砲側での要員数は減る。しかし、部隊全体として運用に必要な人員数が減るかはわからない。砲が砲塔構造に押し込まれ、車体もそれなりに手入れが必要となる。

 新型砲を開発する必要性はない。既存砲は充分な寿命を持っており、その更新にしてもわざわざ開発する規模ではない。装輪式自走砲導入によって、戦略機動性は実用上向上しない。離島や海外派遣ではむしろ不便となる。

 防衛省はとにかく新兵器を開発したがる。しかし真に必要が、所要があるかといえば、怪しい物が多い。P-3Cアップデートで問題もないのに、わざわざP-1を作る。90式戦車と戦力的に大差ない10式戦車を作る。上陸戦の脅威も減ったのに88式SSMの性能向上型を作る。防衛省とその開発セクションは前例により予算がつくという理由だけで、必要のない仕事を作り出して浪費をしているわけだね。



※ 長射程・大威力なので、どうにかして残すだろう。
2011.11
02
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Category : コミケ
12月31日 土曜日 東地区 "O" ブロック 52a です

連続になってしまいますが、機雷あたりを少々やろうかと。
第二次世界大戦で使用された英独米日感応機雷あたり。別に小冊子で大戦末期の水際機雷も、できれば少し
2011.11
02
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Category : 未分類
『青空に遠く酒浸り』で「銃撃からはジグザグに逃げるぜっ」※ってセリフがある。ジグザグに逃げると弾が当たらないっていうのは、狙いが定まらないからって理屈なんだろう。ただジグザグに逃げる分、余分に時間がかかる。どっちが有利かはわからんね。

 ジグザグに逃げると当たらない、その真否はともかく。何時ごろから言われているのかね。そう考えて、チョイと調べると18世紀あたりに使われている。1760年頃には、銃から逃げる方法として「ジグザグ」が使われている。

 18世紀には相当有効な手段だったろう。前装銃であるので、1発撃ったら再装填にはそれなりに時間がかかる。※※外したら逃げられるので、狙う方もしっかり狙わないといけないが、ジグザグに方向を変えられると狙うに狙えない。その間に逃げ切れる可能性は高い。マスケットなら100mも離れると当たらない。数少ない猟用ライフルならば当たる可能性もあるだろうが、布に包んだ弾を使っている。射程はそれほど長くもない。200mも逃げれば大丈夫なのだろう。

 しかし、19世紀後半以降は無理だろう。銃は後装銃になり、連発銃になり、半自動銃になり、自動銃になる。装填スピードは急速にあがる。二の矢、三の矢がすぐに打てるようになる。そうなると、ジグザグに逃げても無駄な気がする。後装銃により、ライフリングが確実になると、射程も精度も上がる。逃げなきゃいけない距離も相当伸びる。相手が機関銃なら、まあ無理だろうね。

 ジグザグに逃げると弾が当たらないというのは、前装銃時代の名残だろう。賭けるにしても、ボルト・アクションとか拳銃あたりまでだろうね。映画や文芸で見るときも、大概は拳銃だから、賭けてもいいのかもしれないけど。

※ 安永航一郎『青空に遠く酒浸り』(1)(2010,徳間書店)p.77

※※ 戦争でパカスカ撃つ時には、発射スピードは速かったらしいが、それは狙わないで射撃する前提である。もちろん当たらない。18世紀、マスケット歩兵による射撃は弾幕を作るのが目的である。射撃時にも、射撃方向しか指示されず、目標は指示されない。極端な場合、軍用銃から照星・照門を省略する例もあった。