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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

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2014.01
17
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12:00
Category : 昭和の新聞
 昭和24年の新聞で見つけたのだが「降伏四周年・マ元帥声明」が、まあ占領終わった後の事を考えていない。朝鮮戦争前であるものの、そろそろ対日講和という話も出始めた時期なのに、頭のなかはフィリピンや日本の総督のままなのだろう。

 件の記事は1949年9月2日の朝日新聞(朝刊)1面である。今から見ると、いろいろ示唆深い内容になっている。特に「中共との貿易は空論に近い」や「アジアにキリスト教の理想」は、先を見込んでいない雰囲気がある。

 破竹の勢いであった中国共産党を「共産主義であるから」出先代表であるマ元帥が機械的に敵扱いしていたことは、今から見ると悪手であっただろう。「中共との貿易は空論に近い」理由としては、基本は「共産主義は敵であり、嫌いだから」といった個人的な好き嫌い程度のものだ。しかし、時期的に新中国成立(9月末)の寸前である。既に国府には力はない。大陸の代表者になる政権を相手に、敵扱いは妥当ではない。そもそも、翌年の朝鮮戦争までは新中国は宿命的な敵ではなかったし、国府も絶対守るべき味方ではなかった。

 また、一方的な拒絶で大陸との交易を将来的に難しくするのも、先を見ていない発言だろう。政治体制はなんであれ、大陸の資源にアクセスできないのは経済的に大損である。だから、日本人も共産党支配領域、のちの新中国と交易をしようと考えたのである。日本人の不利益は知ったことではないだろうが。アメリカとしても新中国との交易が出来ないのは、のちから見ると問題だろう。

 キリスト教云々も、のちの失敗を示唆する価値観の表明である。これはマ元帥だけの問題ではない。結局、アメリカのアジア政策はキリスト教価値観で大失敗している。具体的には、朝鮮(当時)の首班に李承晩を送り、任命はフランスであるが、南ベトナムのゴ・ディン・ジェムを支援した理由が、このキリスト教価値観である。結局は、アジアでの政策も、バナナ共和国としての中南米や、フィリピン統治の延長しかなく、キリスト教的価値観の要求、従順な指導者、国民、従属経済が欲しい程度の頭だったのだろう。

 ただ、それを露骨に述べるのは、GHQの親玉としても妥当ではない。マ元帥は
キリスト教の理想がアジアに進出する機会を誂えた占領軍の文化の新運に対するこの上なく大きな功績
「降伏四周年・マ元帥声明」『朝日新聞』(朝日新聞,1949.9.2)朝刊,p.1
と述べている。まずは被占領国やそこの有力者、国民の心情を汲んだものではない。

 このあたりの発言を見ると、後に解任されるのも妥当に見える。結局、頭はフィリピン総督マ元帥のつもりで日本総督になったのだろうが、朝鮮戦争以降、日本の重要性が高まると、将来的に関係を損ね、極東諸国に余計な摩擦を起こしかねない尊大な総督は要らないということか。
2013.12
11
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12:00
Category : 昭和の新聞
 鰺ヶ沢の二人町長の記事なのだが。

 1971年5月1日の朝日新聞に「役場が唯一の大企業」という記事がある。役場以外に仕事のない町で、しかも「町には職員採用の規定がないので採用は町長の裁量まかせ」なので、選挙がとにかく白熱する仕組みになっている。その結果が、町長が二人でるという事態なのだが、選挙開票での不正もなかなかすごい。

 「『選管を握っておけば票で負けても選挙で勝てる』」とは、なかなか言えることではない。「『開票の時、敵の票はスリッパに突っ込んでしまう』」「『開票の最中に停電させて票をすり替えたこともある』」「『不正はなくても、あったことにするなんて簡単だ』」と赤裸々である。

 まあ、70年代までは発展途上国の雰囲気はあったということだ。当時は他地方でも選挙での買収も結構ある。賭博もなかなか盛んであって、東京湾フェリーの中で開帳していることを察知した海保と警察が大立ち回りといった事件もある。

 まあ、40年前までは日本もそんなものだから、あんま他国の後進性を言うもんじゃないなとは思うね。日本も己たちの世代までは公害戦争や交通戦争の記憶がある。平成のゆとりどもが他国のそれを指して馬鹿にするのは、昭和の聖代を知らない故だなと思うよ。
2013.08
10
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11:59
Category : 昭和の新聞
 ついどり漁って知ってる?

 中欧の四手網漁なんだがね。身長を超える高さをもつ袋状の網を河川におろして、魚が落ち着いたら引き揚げる。農村で貴重なタンパク質、鯉やフナを狙う大物漁である。男子が払底した戦時ドイツでは、たくましく働く女が代わって漁をしていた…

 そういう記事だと思ったんだけどね。昭和16年7月の朝日新聞「女のツイドりさま男」…何のことはない、「男まさり ドイツの女」って記事。写真で大きな漁網を整備している女の写真を見ていて、頭で勝手に「ついどり漁」を捏造してしまったよ。「女のついどり漁のサマが堂に入っている」みたいな記事だとカン違いした。

 高校の時の、リーダーの教科書で”Sandpiper”という題名があり、渚の挿絵があった。「アレだ、波打ち際の金物やらガラスやらが砂に研磨される、それを見てサンドペーパーを発明する話だろ」とカン違いしたことを思い出したよ。なんだか、愛別離苦の話みたいな、まあ文学的な作品で、どーも高尚に過ぎてお歯が合わなかった。「サンドペーパー作って大儲けウハウハ、でもWW1後の不況で倒産、呑んだくれの挙句に酒の密造を始めたら、禁酒法でふたたびウハウハ」みたいな話の方が好きなんだけどねえ。

 つーか、あの高校、生徒や教師のやる気に較べて教科書が難しすぎた。生徒からすれば、自称四年制高校、普通科3年卒業後、代々木か駿河台の高等科1年を経て大学に入るつもりだから、高校の授業はやる気はない。二年生あたりから、予備校の授業優先だったしねえ。教える方も「教科書書くのに忙しい、メンドイから半年自習、分からなければ聞きに来い」だった。

 己のリーダーでの勘違いと言えば、「種まく人」と「鋸びく人」を間違えたことがあった。話の文意が通ってしまい矛盾しないので全く気づかなかった。先生も最初はSOWとSAWを混同して、「ここだけどっちともわからんよなあ」といっていたが、帰国子女(県立のくせに男子校だから男)が、SAWだから違うと言って一件落着だった。





コミケ作業中(11日 日曜日 Q-06b)なので、昔のMIXI日記から転載、まあ、平凡社選書クラシックスみたいな感じか。
2013.03
17
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13:00
Category : 昭和の新聞
 中国が全面抗日に踏み切った上海事変前後の新聞読んだのが。当時の日本側観測は尽く的外れになっている。「蒋介石は負けると権威を失う、だから戦争に踏み切れない」とか「南京が陥落したので蒋の権威は低下している。実際に、国民政府の中で汪精衛がフラフラしている」日本側はそう見ている。

 しかし実際のところ、蒋介石は日本と戦う度に名声と権力はパワーアップしている。家近亮子さんが『蒋介石の外交戦略と日中戦争』で主張していることだが、蒋介石は日本と戦うことで強力になる。対日戦が負け戦であることは関係がない。対日戦を決意したことと、日本との戦闘を続けていることで、国民政府での権力集中を実現している。同時に国際社会での名声も挙げている。最後には連合国の巨頭にもなれた。戦後は国際連合の常任理事国になっている。

 問題は、国民党への中国国民支持がアレだった点だね。地方での土豪支配や地主支配、末端の腐敗で共産党に負けたわけだ。

 しかし、中国人民による、蒋介石自体への支持はなかなかのものだった。負け戦でも抗日を続ける限り、国民支持は続いたというわけだ。

 とはいえ、蒋介石も最初から「負け戦でも」とは考えていない。上海事変は勝てると踏んでいた様子である。

 東北や華北では日本軍に勝てないが、長江デルタなら日本軍に勝てる可能性は高い。東北や華北には、中国側に輸送も生産力もない。しかも日本側が有利になる運動戦の余地も大きい。しかし、長江デルタであれば、輸送力も生産力も高く、運動戦の余地も小さくできる。

 中国側にとって上海事変は、勝てると踏んで行った決戦なわけだ。長江デルタなら大兵力の運用可能で、力押しすれば勝てると踏んだのだろう。南京から上海にかけての長江デルタは開発が進んでいる。人口稠密な経済先進地帯であり、交通網や生産能力も高い。中国も全国から大兵力を集中できるし、兵站問題も深刻ではない。

 日本も決戦に乗らざるを得ない。なんせ、上海租界は日本にとっても核心的利益である。どうでもいい華北、ほぼ同じ時期にホットだった天津あたりとは比べ物にならないほど重要だったわけだからねえ。

 このあたり、蒋さんがどう決心したかは、今のところ筆写しかできない蒋介石日記が刊行されれば分かるんだろうけど。

 新聞でのオマケ発見としては、北支の陣中で還暦寸前の中佐がいるという記事があった。陸士13期で、現役の同期は前陸相の大将1人だけという話。ナショナリズムに目覚めた中国人の抵抗を「日露戦争よりキツイね」と評していたよ。まあ、日華事変は気楽な戦争ではないということだ。
2013.02
27
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13:00
Category : 昭和の新聞
 電話している時に、相手の表情を動画で見る必要はあるか?

 昭和45年の新聞を読んでいたら「テレビ電話いよいよ登場」の記事※ を発見。大都市では、昭和48年を目標にサービスの準備、との内容なのだがね。それから40年近くたっても、 普及の目処も立たないのは『テレビ電話』の需要がないことを示しているわけだ。

 テレビ電話のサービスについては、当時から時折出てくる。昭和50年代、60年代、平成に入ってからもたまに出てくる。新しい通信サービスでの眼玉みたいな扱いで紹介されている。

 しかし、テレビ電話は普及しなかった。

 テレビ電話が必要ないことは、昭和50年代には理解されていたのだろう。当時、FAXへの需要は大きく、それに対してテレビ電話への要求が少ないことは分かっていた筈である。

 昭和40年代には、すでにFAXが実用化されている。正規サービスではないが、各企業は専用回線時代でも、べらぼうに高い通信維持費を払って運用していた。ややこしい話や緊急対応で、資料とか写真とか、現時点の議事録が欲しいとき、FAXは直ぐに対応できる。

 しかし、専用回線を維持したテレビ電話の話は全く聞かない。ややこしい話をする、会議みたいな話をするにしても、相手の顔の動画は必要ない。顔に用事はない。

 テレビ電話は、技術的にはただのテレビにすぎない。帯域を無視すれば、昭和300年代でも可能だった。それが、全然普及しなかったのは、たとえ重要な通信でも相手の顔を見る必要がないためである。

 かつて世界で一等重要だった米ソのホットラインも、テレビ電話ではない。実際にはただの赤い電話器にすぎず、その先には電信員がいて、首脳の言葉を電信で送受していただけだった。相手の顔を見る必要はないということだ。

 とはいえ、テレビ電話の話が毎回出てくるのは、新機能を説明しやすい点と、新発明・進歩的に見える点が有利であったためである。出す方としては需要がないのは承知だったのではないか。

 テレビ電話は、わかりやすい新機能である。音しか聞こえない電話に動画が出るのは、電話の進歩や新機能であると納得できる。新サービス発表の際にも、華となる上、説明しやすい。新聞雑誌放送が取材しても、「ついにテレビ電話」と、簡単に書ける上、説明しやすい。利用者や読者視聴者にしても、とりあえずは「スゲー」とは思ってくれる。もちろん、実際には誰も使わないのだが。

 テレビ電話は、新発明であり、歴史の進歩であるように見える。「ラジオからテレビ」という放送方式の進歩を見て「電話はいずれテレビ電話に進化する。これは○○主義への進化と同じように歴史的必然である」とでも言うような共通認識もある。おそらく、電話は、将来的にテレビ電話となるという見通し。「電話はテレビ電話に進化する」という発想は、いつまでたっても廃れないのではないか。

 もちろん、電話するときに相手のお面を見る必要はない。テレビ電話に需要もないことも歴史的事実なのだけれども。



 そういや、地上デジタルテレビの「双方向云々」とやらは、まだ実装されているのかね。あれもテレビ電話と同じで、紹介しやすく理解しやすいが、需要のないものだね。

※「テレビ電話いよいよ登場」『朝日新聞』(朝日新聞、1970.1.17)p.15
2012.07
06
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13:00
Category : 昭和の新聞
 釣り堀に、今は高くなったウナギを放つ。チャチイ竿と弱い針糸、ショボイ餌を500円で貸す。釣り上げられたらその人のもの。それを料理用として時価で、2000円で買い取る仕組み。郡上八幡の鮎釣り-購入方式を釣り堀でやる方法。釣り堀として買い取るのがマズイのならば、道を挟んで向こうにある、全く無関係の第三者が経営する買取窓口で…

 …これ、昭和40年に、警察が警告しているんです(※)よねえ。ウナギじゃないんだけど、釣り堀での賭博類似行為にNGがでている。件の「射幸心を煽る」とか、第三者でも賭博類似とか、釣った人に賞金もダメとか。

 当時の室内釣堀は、昭和50年台のゲーセンに近かったようです。その殆どは、夜23時から午前4時まで営業しています。また、上で述べたとおり、賞金や買取により、支払った料金以上のリターンもあった様子。話に聞いた、10円玉そのものが出てくる、どう考えてもご法度のコインゲームのようなものでしょう。急増の勢いも似ている。昭和40年には釣り堀が急増しています。昭和38年には都内19軒しかなかった屋内釣り堀が、昭和40年に入ってから、半年で368軒まで増えている。当時、都内にある釣り堀は合計539軒ですから、半年で屋外釣り堀の倍の数ができた計算になります。

 まあ、警察に水を差さなければ、モット反映したんだろうね。風営法の範囲に似ているとか、イチャモンつけやすかったのが敗因か。なんにしても、パチンコみたいに団体作って、天下りを受け入れないと駄目なんだろうねえ。


※ 「ふえた釣り堀に警告」『朝日新聞』東京版,1965年8月2日夕刊,6面
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2012.05
28
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13:00
Category : 昭和の新聞
 90年代に、ロシアから電力を買う話があった。

 ロシアは電力が余っている。水力発電が豊富なこともあるが、火力発電も相当の余裕がある。火力発電所は、セントラルヒーティングでの熱源供給も担っていた。コンビナートでの工業用の蒸気や工場・家庭への暖房用スチームを担っていた。

 特に夏季に電力が余った。火力発電所の実態は、熱供給ステーションであり、発電はやもすると2次的な目的である。暖房需要がない夏には、発電余力が相当にある。

 この余った電力を日本に輸出する話があった。日本の電力需要期にある夏に大電力を提供できる点は、メリットである。送電ロスも実用レベルに留まる。もともと、ロシアは直流超高圧送電の先進国である。

 しかし、ロシアからの電力購入は拒否された。北海道電力の社長が、蛇口論を唱え、安全保証上も問題であると論陣を張っていた。蛇口論とは、ロシアが蛇口を閉めれば、日本は困るとする理屈である。

 実態は、安い電力持って来られると困るってとこだったのだろうね。電力料金は高ければ高いほど利益が増える。そういう構造で、だから原発に力を入れていたわけだ。安い電力は大迷惑ということだ。

 蛇口論とやらも、対策はあった。発電機と燃料備蓄があれば、蛇口を閉められてもすぐに対抗できる。発電機がガスタービンであれば、発停も自在である。もちろん、買電時には無駄な設備かもしれないが、維持するだけなら燃料代はかからない。大した投資でもない。

 電力輸入を再検討してもいいのではないか。原発は再稼働するかどうかもわからない。仮に再稼働を決めたとしても、世論は原発を嫌っている。動かせても最低限となる。とはいえ、いつまでも火力だと燃料代とCO2がバカにならない。太陽光、風力、地熱発電も飛躍的に伸びるだろうけど、それだけで電力を賄うには10年20年かかりそうだ。それまでのつなぎで、電力輸入をやってもいいんじゃないの。

 ロシアから電力は買える。ロシアには電力に余裕がある。向こうも火力発電をやっているが、電力だけ作る目的ではない。天然ガス買うよりも安いだろう。すでにロシアから電力買ってる中国とのとりあいになるかもしれないが。
2010.10
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02:48
Category : 昭和の新聞
 昭和58年に報道されたクーデター未遂事件について。
 もちろん空中楼閣である。クーデター未遂事件は、空自の幹部を称する人間が東京新聞にタレこんだ形になっている。その内容は悉く荒唐無稽なのだが、中でも一番不自然なのが「海自の人間が憤っている」という、その憤りの内容である。

「(海自の同志がいうには)シーレーンを守れということは、公海上で敵艦を撃沈しろということですよ。アメリカは必ずそれをやります。冗談じゃない、日本の山河を守るためには死んでもよいが…」(自称「空自幹部」)

 ここについて、海自が「公海で戦うことを忌避している」とする所が不自然。海自がどこで戦うかだが、戦時に領海だけを守る、領海に限定して戦うなんて考えはない。自称「空自幹部」は、実際の海上作戦の様態を全然知らずに、専守防衛という言葉にひきづられている。 昭和40年代の国会答弁「海からの侵攻に対処するのが海上自衛隊」と同じくらいピントが外れている。

 この陳述を見る限り、少なくとも海の関係者はいない……まあ、そもそも空中楼閣なんだけどね。
2010.08
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19:21
Category : 昭和の新聞
 昨夜、池袋の沖縄料理「おもろ」で、会社で同期だったのと飲む。10余年ぶりなので長っ尻で、いい気になって古酒4杯飲んで潰れる。死にそうな程つらかったが、まあ一晩経つと復活するのはいつもの話。
 まあ、そこでの話の一つで『特高月報』のゲラゲラについてチョット話したが、メモを見て再構成

昭和19年の『特高月報』

 不敬罪の部
・ 函館の漁師さん
 「(酔っ払って)明治帝にはお妾さんが12人いたけど、一人しかできなかった」
・ 長野県の杣人さん
 「大正天皇は詔勅で遠眼鏡したみたいだしね」
・ 福島県の国民学校の助教さん
 「御真影ってタダの紙じゃね?」
で、逮捕・起訴、だいたい懲役1年、執行猶予3年…いや、この程度なら他にも思っている人は一杯いたし、身内には話している、この程度なら突き出す方が問題じゃないのかなと。

 一番強烈、ある意味でホントの不敬罪は
・ 島根県の国民学校5年生
 「新聞の 謹影をつかって遺骨送還の真似事」
だけれども、これは厳重注意で終わっている。(子供だからなんだろうけど)

 あとは、右派勢力の動静報告の中に
・ 大東塾の動員拒否(総動員法の方)
 「我々は国民精神の動員に従事している、工場動員なんて(下等な仕事に)動員するな」
がある。図らずも自分たちが「指導的立場」にあると勘違いしていること歴然ですな。ちなみに、戦前は政治レベルで国家と右翼は結合していたが、内務省は右翼を常に監視下に置いている。多分、226も警保局は事前に把握していたのではないか。

 宗教関係。

  悪質な宗教関係報告として
・ 御嶽教の修験者(の資格を持つもの)
 「出征家族の家を廻り『お布施を出して祈祷すれば倅さんは生きて帰れる』」
これは、国家の眼から見ても悪質だが、家族の不安に乗じてお布施を手に入れようと言う点でも悪質。 でもね、
・ キリスト教者
 「伊勢神宮の大麻の受取を拒否しようとした」
と同列に語られているところが、なんだかなぁと。

 どうでもいいことを取り締まっていたもんだという話だったのだが、「批判の許されない社会は脆いね」という結論に達した。同期はあの会社の体質に思いが至った様子だった。

2010年05月25日 MIXI日記より転載
2010.06
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00:22
Category : 昭和の新聞
 昭末平初「コンニャク密輸事件」の記事があった。聞蔵(朝日新聞の検索機能)で調べると
・ コンニャクイモ密輸で食品会社などを起訴(1991年5月2日 朝日夕刊 17頁)
 が出てきた。

 しかし、最近の記事もゴロゴロ
・ こんにゃく粉、密輸入企てる 税関、容疑の業者告発(2010年1月23日 朝日朝刊 横浜地方31頁)
 他にも、1996年、2000年、2003年にも記事になっている。

 まだ自由化されていないわけだ。チョット調べると無茶苦茶な内外格差も見えてくる。

国会会議録検索システムより http://kokkai.ndl.go.jp/
平成十九年三月二十九日(木曜日)参議院 財政金融委員会
○政府参考人(青山幸恭君) コンニャクイモでございますけれども、関税割当て制度の対象になっております。これはウルグアイ・ラウンドでいわゆる関税化された品目でございます。
 関税率でございますが、関税割当てを受けて輸入されるものが四〇%、それ以外のものが二千七百九十六円、キログラム当たりということでございますが、二千七百九十六円ということでございます。
○富岡由紀夫君 パーセントでいうとどのぐらいになりますか。
○政府参考人(青山幸恭君) 従価換算でいきますと一七〇六%という数字になってございます。


 コンニャクイモは、中国では野地で勝手に生えているとかいう。割当を超えた関税率から逆算するとおそらく国産の1/17程度で買えるのだろう。ならば、密輸も続くというもの。
 まあサトウキビとか、テンサイもそうだけど、採算が極度に悪化した作物をいつまで保護するつもりなのかね。

『財団法人 日本こんにゃく協会』のWEBを発見 http://www.konnyaku.or.jp/
・ こんにゃくいも需給調整推進事業の実施及び調整保管等事業の指導
・ 国内産こんにゃく原料の買い入れ
・ こんにゃく原料の輸入
・ こんにゃく原料の加工・保管
・ こんにゃく原料の売り渡し

読み物としては面白いいのだけれども、お金の出所を考えれば…こりゃ、ダメだわ