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- » 2025 . 02
Category : 有職故実
昭和9年、司法研究(司法省)で『拳銃の密輸について』を発見。
昭和7年末、拳銃を所持していた民間人は4万4261人、4万7028丁である。携行許可も6568人※存在した。現在、装薬式拳銃は全国で50人にしか所持※※が許されない。今から見れば所持者は1000倍である。
しかし、この数はあまりにも少なすぎる。戦前は大量の拳銃が輸入されていた。大正13年から昭和7年まで、9年間に輸入された拳銃は32万丁である。
先に挙げた所持4万4261人、携行許可6568名は警察が許可した数である。これに陸海軍軍人は含まない。軍人の場合は、拳銃は部隊長許可で所持でき、軍装であれば携行許可は不要であった。
ただし、私物拳銃を購入する軍人もそれほどいない。概ね、士官と准士官待遇だけが私物を購入・所持したと考えても、人数はあまり増えない。大正元年に陸士卒業したものは700名、昭和元年は300名。海軍兵学校は100人~200人、機関学校や経理学校を足しても年に500人。陸海軍とも、士官学校を経由しないもの、准士官になるものを数に入れても、私物拳銃購入は年に2000人・丁※※※もないはずである。
9年間に32万丁の拳銃はどうやって消化されたのだろうか。過半は中国に密輸出された様子である。日本から中国への密輸出は盛んである。昭和7年までの10年間に、摘発されただけでも、大連2万2000丁を筆頭に、合計4万丁の輸出が摘発されている。もちろん、摘発されない数は含まれていない。
おそらく、20万丁程度が密輸されたのではないかね。司法研究では、密輸出を匂わしているが、その数について推測はない。だが、粗々で計算しても20万丁は輸出されている。
日本に輸入された32万丁のうち、日本国内での消化数は10万丁もない。民間購入5万丁、軍人私物が2万丁程度、官庁銃が1万丁を超えないだろう。多めに見積もっても全部足しても10万丁程度である。
民間人が所持した拳銃は5万丁程度である。陸海軍軍人が所持した拳銃も、年2000丁として1万8000丁である。
官庁銃も多くはない。戦前警官は拳銃を持たない。陸軍は国産制式拳銃を購入する。海軍は融通無碍であり、制式拳銃以外にも輸入品を購入している。だが、戦前海軍も10万人はいない。陸戦ほかでも拳銃装備は1万人はいない。そのうち、輸入拳銃を半分としても5000丁である。
華北や満州に出回っていた拳銃、馬賊や軍閥が持っていた拳銃のうち、少なくない数は密かに日本から再輸出された拳銃なのだろうね。ちなみに、大陸もので出てくるモーゼル拳銃は、日本国内への輸入実績でもトップクラスにある。
※ 所持していて携行していない人々は、趣味的にもっていただけである様子。当時内地人口が7000万、そのうち、4万人程度が所持だけを許可されている。割合では、今日、モデルガンや無可働銃を持っている人数と同じようなものだろう。今日、人口を1億2000万である。高級なモデルガンや無可動銃を持つ人々を、同比率であれば7万人である。それほど外れた数字ではない。
※※ 使用しないときには警察署預かり
※※※ 士官・相当官への任官数は、おそらく『官報』等を悉皆に調べれば確認できる。だが、煩雑な作業になる。陸海軍省にある人事関連書類があれば確実であるが、遺存しているか分からない。概略数で良ければ、例えば双眼鏡を調べればよい。生産・輸入・販売統計が業界団体、あるいは商工省にある。私物拳銃を購入するような士官であれば、私物双眼鏡も購入するだろう。(商船学校や水産講習所修了者も購入するだろうが)
昭和7年末、拳銃を所持していた民間人は4万4261人、4万7028丁である。携行許可も6568人※存在した。現在、装薬式拳銃は全国で50人にしか所持※※が許されない。今から見れば所持者は1000倍である。
しかし、この数はあまりにも少なすぎる。戦前は大量の拳銃が輸入されていた。大正13年から昭和7年まで、9年間に輸入された拳銃は32万丁である。
先に挙げた所持4万4261人、携行許可6568名は警察が許可した数である。これに陸海軍軍人は含まない。軍人の場合は、拳銃は部隊長許可で所持でき、軍装であれば携行許可は不要であった。
ただし、私物拳銃を購入する軍人もそれほどいない。概ね、士官と准士官待遇だけが私物を購入・所持したと考えても、人数はあまり増えない。大正元年に陸士卒業したものは700名、昭和元年は300名。海軍兵学校は100人~200人、機関学校や経理学校を足しても年に500人。陸海軍とも、士官学校を経由しないもの、准士官になるものを数に入れても、私物拳銃購入は年に2000人・丁※※※もないはずである。
9年間に32万丁の拳銃はどうやって消化されたのだろうか。過半は中国に密輸出された様子である。日本から中国への密輸出は盛んである。昭和7年までの10年間に、摘発されただけでも、大連2万2000丁を筆頭に、合計4万丁の輸出が摘発されている。もちろん、摘発されない数は含まれていない。
おそらく、20万丁程度が密輸されたのではないかね。司法研究では、密輸出を匂わしているが、その数について推測はない。だが、粗々で計算しても20万丁は輸出されている。
日本に輸入された32万丁のうち、日本国内での消化数は10万丁もない。民間購入5万丁、軍人私物が2万丁程度、官庁銃が1万丁を超えないだろう。多めに見積もっても全部足しても10万丁程度である。
民間人が所持した拳銃は5万丁程度である。陸海軍軍人が所持した拳銃も、年2000丁として1万8000丁である。
官庁銃も多くはない。戦前警官は拳銃を持たない。陸軍は国産制式拳銃を購入する。海軍は融通無碍であり、制式拳銃以外にも輸入品を購入している。だが、戦前海軍も10万人はいない。陸戦ほかでも拳銃装備は1万人はいない。そのうち、輸入拳銃を半分としても5000丁である。
華北や満州に出回っていた拳銃、馬賊や軍閥が持っていた拳銃のうち、少なくない数は密かに日本から再輸出された拳銃なのだろうね。ちなみに、大陸もので出てくるモーゼル拳銃は、日本国内への輸入実績でもトップクラスにある。
※ 所持していて携行していない人々は、趣味的にもっていただけである様子。当時内地人口が7000万、そのうち、4万人程度が所持だけを許可されている。割合では、今日、モデルガンや無可働銃を持っている人数と同じようなものだろう。今日、人口を1億2000万である。高級なモデルガンや無可動銃を持つ人々を、同比率であれば7万人である。それほど外れた数字ではない。
※※ 使用しないときには警察署預かり
※※※ 士官・相当官への任官数は、おそらく『官報』等を悉皆に調べれば確認できる。だが、煩雑な作業になる。陸海軍省にある人事関連書類があれば確実であるが、遺存しているか分からない。概略数で良ければ、例えば双眼鏡を調べればよい。生産・輸入・販売統計が業界団体、あるいは商工省にある。私物拳銃を購入するような士官であれば、私物双眼鏡も購入するだろう。(商船学校や水産講習所修了者も購入するだろうが)
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Comment
拳銃
01:36
ひのまるせんす
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編集
また、地方名士が拳銃を十数丁購入して、右翼志士や大陸浪人に餞別に贈ったとのお話を聞いた事があります。
Re: 拳銃
19:32
文谷数重
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編集
> また、地方名士が拳銃を十数丁購入して、右翼志士や大陸浪人に餞別に贈ったとのお話を聞いた事があります。
『明治百話』には、郵便馬車の叙者が、早朝ドロボーをみっけた。一喝したら刃物持って襲ってきたから一発発砲ってありますね。たしか、実包1発亡くすと一分で弁済とか