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Category : 未分類
岩波の『科学』4月号を読んだのだがねえ。過剰検査論の否定がトテも面白い。フクシマの被害を過小に見せかけるための「福島県の甲状腺がん多発は過剰検査の結果、原発事故のせいではない」が明確に否定されている。
過剰検査論の骨子は「過剰診断で健康上は問題にならない小さい病変まで掘り起こされた」である。小さい腫瘍は小さいままで生命に危険を及ぼすには至らないので健康問題には至らないと、彼らの多くが馬鹿にしていた「がんもどき」理論そっくりの主張をしていた。
それが「2巡目の検査でも甲状腺がんは多数発見されている」で否定されている。「一巡目で悉皆発見されたなら二巡目には少なくなっているはずである。だが、それがない。つまり甲状腺がんは多発している」といった内容である。白石草さんの「症例把握なき過剰診断論 -現実から乖離した甲状腺検査の評価」中343ページの該当部を抄訳するとこのような内容である。
もう一つは別記事の章立である。「4.菊池誠氏の資料に対する批判」がある。これは黒川眞一「福島県における甲状腺がん多発に関するいくつかの指摘 -「三県調査」は福島県の甲状腺がんについていかなる主張もできない」 にある。こちらは統計学で緻密に反論する内容で数式がいっぱい出てくるので算数できない私大文系には厳しいので飛ばした。ただ章立として批判されるあたりで菊地誠さんの過剰診断論は問題視されていたのだろう。
■ 菊地誠さんはいまでも
ちなみに菊地誠さんは今でも過剰診断論の立場に立っている。
本人は効いていないアピールなのかもしれない。ただ傍から見ているとそうは見えない。むしろ自説の否定を受容できないようにしまみえない。そして原発擁護の文脈で振り回された水俣病アミン説のような、社会を後退させるような不利益しかもたらさない理屈を今でも正しいとして振り回しているのである。
■ 反緊縮だの社会経済思想だのもどんなものかね
菊地誠さんはいずれは社会科学分野でも同じ立場に陥るのではないか。とくに経済については『そろそろ左派は経済を語ろう』の一冊だけをもとに反緊縮を標榜してきた。だが、その主張は80年代のサプライサイダーの俗流理解に近い。通貨供給量で景気はコントロールできる程度のものである。まずは無理筋な内容である。
この点は米山隆一さんの批評が示すとおりである。
「米ちゃん」(菊池)とはなかなか痛いものだ。ほかの問答を見ていても菊池さんは米山さんの主張に対してはほとんど反論できていない。もともと種本が「そろそろ左派は経済を語ろう」一冊なので反論し得ない状態にある。だがら米山さんを「米ちゃん」(菊池)と呼び過小評価する姿を示して「自分は米山さんの批判に対してノー・ダメージである」と装っている形である。
そして今でも反緊縮を標榜している。
まずは同じことを繰り返すのではないか。財政赤字の負担は今後苛酷となる。そのときにも菊池さんは自分の主張の過ちを認められない。そして「そろそろ左派は経済を語ろう」一冊に依拠して「いくら財政赤字は溜まってもダイジョーブ」の水俣病ででてきたような財政アミン説を繰り返しているのではないか。いまでも過剰診断論の主張を繰り返すように。
過剰検査論の骨子は「過剰診断で健康上は問題にならない小さい病変まで掘り起こされた」である。小さい腫瘍は小さいままで生命に危険を及ぼすには至らないので健康問題には至らないと、彼らの多くが馬鹿にしていた「がんもどき」理論そっくりの主張をしていた。
それが「2巡目の検査でも甲状腺がんは多数発見されている」で否定されている。「一巡目で悉皆発見されたなら二巡目には少なくなっているはずである。だが、それがない。つまり甲状腺がんは多発している」といった内容である。白石草さんの「症例把握なき過剰診断論 -現実から乖離した甲状腺検査の評価」中343ページの該当部を抄訳するとこのような内容である。
もう一つは別記事の章立である。「4.菊池誠氏の資料に対する批判」がある。これは黒川眞一「福島県における甲状腺がん多発に関するいくつかの指摘 -「三県調査」は福島県の甲状腺がんについていかなる主張もできない」 にある。こちらは統計学で緻密に反論する内容で数式がいっぱい出てくるので算数できない私大文系には厳しいので飛ばした。ただ章立として批判されるあたりで菊地誠さんの過剰診断論は問題視されていたのだろう。
■ 菊地誠さんはいまでも
ちなみに菊地誠さんは今でも過剰診断論の立場に立っている。
あ〜る菊池誠(反緊縮)@kikumaco
「甲状腺検査の問題」と言えばもちろん過剰診断のことに決まってるんだけど、残念ながらおしどりマコも島さんもそれを全く理解していない。
過剰診断問題を理解せずに甲状腺検査の問題点など語れませんよ。おしどりマコ@脱被ばく。知りたがりの怒りんぼで半径5mを変えていく。@makomelo
·島あけみさんが伊達市議選に出馬!
原発事故後、ずっと動き続けてきたあけみさん。
宮崎早野論文の情報開示請求だけでなく
「A2-B-C」という映画で甲状腺検査の問題を訴えてらしたり
報ステの岩路Dが自死されたときも一緒に連携して動いたな…
あけみさんにトップ当選して頂きたいです!! twitter.com/dgmh_wed/statu…
2022年4月19日https://twitter.com/kikumaco/status/1516299465027588098
あ〜る菊池誠(反緊縮)@kikumaco
福島の甲状腺検査の縮小を提言しています。無症状者への甲状腺エコーは有害無益です。特に過剰診断は無用な手術につながるものです。
このような検査を続けることは倫理に反し、福島の人々の人権を侵害します。
ぜひこの問題に関心を持ってください。
ました。 http://www.jicl.jp/ronbun/backnumber/20210830.html 「子供や若者の甲状腺がんの早期発見は有害無益である 過剰診断問題について公正で開かれ...
2022年4月16日https://twitter.com/kikumaco/status/1515149079092768770
本人は効いていないアピールなのかもしれない。ただ傍から見ているとそうは見えない。むしろ自説の否定を受容できないようにしまみえない。そして原発擁護の文脈で振り回された水俣病アミン説のような、社会を後退させるような不利益しかもたらさない理屈を今でも正しいとして振り回しているのである。
■ 反緊縮だの社会経済思想だのもどんなものかね
菊地誠さんはいずれは社会科学分野でも同じ立場に陥るのではないか。とくに経済については『そろそろ左派は経済を語ろう』の一冊だけをもとに反緊縮を標榜してきた。だが、その主張は80年代のサプライサイダーの俗流理解に近い。通貨供給量で景気はコントロールできる程度のものである。まずは無理筋な内容である。
この点は米山隆一さんの批評が示すとおりである。
米山 隆一@RyuichiYoneyama
「そろそろ左派は経済を語ろう」一冊を読んで、自分は経済学を極めたつもりになって「自国通貨建て国債は破綻しない」というトンデモを公言する大阪大学の物理の教授。まあこういう人が、大学を破壊していくわけですよ。お好きなようにされたらいいですよ。さすがに。
あ〜る菊池誠(反緊縮)@kikumaco
米ちゃんは経済が分かってないからね。
非常に話を簡単化すれば自国通貨建て国債は破綻しないので、国債を財源として年率2-3%のインフレ率が安定的に達成感されるまで財政出動すればいい。それが左派・リベラルの経済政策の世界標準ですよ。
「そろそろ左派は経済を語ろう」を読むべき twitter.com/RyuichiYoneyam…
2021年12月10日https://twitter.com/RyuichiYoneyama/status/1469314248451198976
「米ちゃん」(菊池)とはなかなか痛いものだ。ほかの問答を見ていても菊池さんは米山さんの主張に対してはほとんど反論できていない。もともと種本が「そろそろ左派は経済を語ろう」一冊なので反論し得ない状態にある。だがら米山さんを「米ちゃん」(菊池)と呼び過小評価する姿を示して「自分は米山さんの批判に対してノー・ダメージである」と装っている形である。
そして今でも反緊縮を標榜している。
まずは同じことを繰り返すのではないか。財政赤字の負担は今後苛酷となる。そのときにも菊池さんは自分の主張の過ちを認められない。そして「そろそろ左派は経済を語ろう」一冊に依拠して「いくら財政赤字は溜まってもダイジョーブ」の水俣病ででてきたような財政アミン説を繰り返しているのではないか。いまでも過剰診断論の主張を繰り返すように。
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20日にシージャパンに行ってきた。海事展覧会でたしか2年に一度の開催のやつ。
今年は全体の変化のほうが面白い。2015年あたりから見ているのだけれども日本造船業や海運の縮小が見えてくる。、今年は中小の展示が縮小している。大企業も含めて新規の事業や技術の説明もなかった。MANの出展はないし。中国からの出典も大幅に減った。ついでに海自もあまりやる気はなさそうな形だった。
そこでの装備庁の展示なんだがねえ。いつもの通りの後追いに加えて「なんで」といった技術を前に出していたよ。
なによりも実用性も発展も見込めないUSVとUUVの連携を前に出している。USVから水中音響でUUVと常時リンクして画像データとか送るアレが展示の半分だった。
まあ国産兵器大好きのメカミリ連ならウットリするのだろうよ。
でも、そんな事しなくてももっと簡単な方法があるわけだ。「水中音響(光でもいいけど)はコマンド送受だけにして浮上してWIFI(REMUSにはそのモジュールがある)で連絡すりゃいーじゃん」とか「UUVとUSVを光ファイバで結んで、カテナリー多めにとって水中のUUVをUSVが追っかけりゃいいんじゃね」(UUVのほうが動揺は少なく画像の乱れはない)といった内容だった。
まあ実用性はないね。水中音響でデータ送受だと出力・帯域・距離減衰から全然データ量やりとりできないもの。
残り半分のOZZ-5もねえ。基本は海外の先行UUVのマネっこなのはよい。そっちのほうがいい。
だが、「新機軸として合成開口追加で水中埋没機雷を」と説明しているのがアレ。まず探知幅はあんまし見込めるとも思えない。海底操作のパス、条里制の千鳥式みたいな行ったり来たりの数がやたらに増えるだけだ。また基本は慣性誘導で水中ターゲットで補正するにしてもパターンが歪んでくるのではないかともね。
埋没機雷対策であるのならばUSVからVDSを曳航して行ったりきたりの方が良いのではないかねえ。GPSで正確な位置もわかるし大電力が使えるので合成開口も大出力で実施できるだろうよ。VDSを半分自走としてケーブル長を長くとっておけばUSVの動揺ほかはキャンセルできるだろうにねえ。
■ 「装備庁は使用者の都合を考えない」「海外も『ウチらが欲しい物を提示してくれ』といってるね」
そして翌日の21日には、東京市内で再就職した将官OBに話を聞きに行ってきた。そしていろいろ教えてもらったのだけれどもねえ。
話が前日の装備庁展示に及んだ段階で
・ 「まー、彼らは使用者の都合を考えないから」
・ 「オペレーション系の幹部が居ないよね」
・ 「(メカミリオタクみたいな)技術幹部や技術者が作りたいものを作って遊んでいる」
・ 「海外に売ろうとしてるけど、プレゼン対象の外国軍人いわく『オレらが欲しい物を出してこない』『ニーズを汲もうとしない』」
・・・だってさ。
ちなみに、「装備庁はダメ」は色んな人が言っている。
以前には別の将官OBから「陸と空がなんで技本/装備庁/防衛産業の言うがままにクソ高くて使えねー国産航空機を買ってるのか理解に苦しむ」もあったよ。
ちなみに陸のある職域の学校長で、別々に話を伺ったお二人(同じ学校長)も「なんで海外にあるものをわざわざ国内製造したり開発したりするの」ともねえ。
つけ加えれば回顧録で「空自は技本や防衛産業に忖度するよね、自分たちに最適化されていない装備を買いまくって」と公言した元事務次官もいた。
そのような装備庁の展示を「正解」やら「世界一」と思い込んでウットリするメカミリ連は、おめでたいもんだと思いましたよ。
今年は全体の変化のほうが面白い。2015年あたりから見ているのだけれども日本造船業や海運の縮小が見えてくる。、今年は中小の展示が縮小している。大企業も含めて新規の事業や技術の説明もなかった。MANの出展はないし。中国からの出典も大幅に減った。ついでに海自もあまりやる気はなさそうな形だった。
そこでの装備庁の展示なんだがねえ。いつもの通りの後追いに加えて「なんで」といった技術を前に出していたよ。
なによりも実用性も発展も見込めないUSVとUUVの連携を前に出している。USVから水中音響でUUVと常時リンクして画像データとか送るアレが展示の半分だった。
まあ国産兵器大好きのメカミリ連ならウットリするのだろうよ。
でも、そんな事しなくてももっと簡単な方法があるわけだ。「水中音響(光でもいいけど)はコマンド送受だけにして浮上してWIFI(REMUSにはそのモジュールがある)で連絡すりゃいーじゃん」とか「UUVとUSVを光ファイバで結んで、カテナリー多めにとって水中のUUVをUSVが追っかけりゃいいんじゃね」(UUVのほうが動揺は少なく画像の乱れはない)といった内容だった。
まあ実用性はないね。水中音響でデータ送受だと出力・帯域・距離減衰から全然データ量やりとりできないもの。
残り半分のOZZ-5もねえ。基本は海外の先行UUVのマネっこなのはよい。そっちのほうがいい。
だが、「新機軸として合成開口追加で水中埋没機雷を」と説明しているのがアレ。まず探知幅はあんまし見込めるとも思えない。海底操作のパス、条里制の千鳥式みたいな行ったり来たりの数がやたらに増えるだけだ。また基本は慣性誘導で水中ターゲットで補正するにしてもパターンが歪んでくるのではないかともね。
埋没機雷対策であるのならばUSVからVDSを曳航して行ったりきたりの方が良いのではないかねえ。GPSで正確な位置もわかるし大電力が使えるので合成開口も大出力で実施できるだろうよ。VDSを半分自走としてケーブル長を長くとっておけばUSVの動揺ほかはキャンセルできるだろうにねえ。
■ 「装備庁は使用者の都合を考えない」「海外も『ウチらが欲しい物を提示してくれ』といってるね」
そして翌日の21日には、東京市内で再就職した将官OBに話を聞きに行ってきた。そしていろいろ教えてもらったのだけれどもねえ。
話が前日の装備庁展示に及んだ段階で
・ 「まー、彼らは使用者の都合を考えないから」
・ 「オペレーション系の幹部が居ないよね」
・ 「(メカミリオタクみたいな)技術幹部や技術者が作りたいものを作って遊んでいる」
・ 「海外に売ろうとしてるけど、プレゼン対象の外国軍人いわく『オレらが欲しい物を出してこない』『ニーズを汲もうとしない』」
・・・だってさ。
ちなみに、「装備庁はダメ」は色んな人が言っている。
以前には別の将官OBから「陸と空がなんで技本/装備庁/防衛産業の言うがままにクソ高くて使えねー国産航空機を買ってるのか理解に苦しむ」もあったよ。
ちなみに陸のある職域の学校長で、別々に話を伺ったお二人(同じ学校長)も「なんで海外にあるものをわざわざ国内製造したり開発したりするの」ともねえ。
つけ加えれば回顧録で「空自は技本や防衛産業に忖度するよね、自分たちに最適化されていない装備を買いまくって」と公言した元事務次官もいた。
そのような装備庁の展示を「正解」やら「世界一」と思い込んでウットリするメカミリ連は、おめでたいもんだと思いましたよ。
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「狂犬病ガー」はアレ気な連中の岸田政権批判なのではないかね。「ウクライナ難民の狂犬病取り扱い緩和を許すな」との主張なのだが、いつものアレ気な連中が相当に含まれている。安倍政権ときのコロナ対策に文句を言わな勝った連中、「PCRで国は滅びる」とか、「ワクチンでコロナは防遏できる」といいながら去年5月ころの政府のワクチン不足の不手際は文句言わなかった連中だ。
以前と比べるなら口蹄疫は騒いで豚コレラには口をつぐんだ連中である。口蹄疫のときは「民主党政権の失策で日本農業は滅びる」といっていたが豚コレラ/豚熱のときには自民党政権に一切文句を言わなかった連中と相当にかぶっている。
■ 緩和も大丈夫なのではないかね
それからすれば緩和も大丈夫ではないかね。 農水は「とりあえず注射二回売って抗体上昇が確認できれば、以降も継続的監視をする代わりに検疫通過を認める」と言っている。
実際にそれで大丈夫だと見ているのだろう。ペットを連れてきたもので野犬を輸入するわけではない。報道で出てきたのは屋内飼らしい小型犬である。まずは感染していない。「政府発行の予防注射証明書がないので検疫通過できない」といった話からすれば「難民は射ったと言っている」のかもしれない。
また挙動監視も容易の範囲に収まる。所詮は5頭であり抗体検査と挙動を監視していればどうにかなる。100頭くらいまでならいけるわけだ。それこそPCR検査で1週間1回でも検査すればいいわけだ。
そもそも原則180日規制が厳しすぎるとかもあるのかもしれない。昔の日数をそのままにしただけとかね。
そのあたりからすれば 「機械的に180日留置を適用しろ」は相当にズレているのではないか。以前の安倍政権擁護の反動として、非安倍的、連中の頭の中では非自民政権あつかいの岸田政権攻撃のために原則論を振り回しているだけではないかとも看取れるものだ。
■ 犬じゃなくて猫なら怒る人もいるね
あとは面白いのは猫だと怒る人がいそうなところ。猫すきには「他人の命よりも自分が飼ってもいない猫の命が大事」みたいな価値観がいる。そして安倍政権ヨイショの「狂犬病ガー」連にもいる。その御仁は難民が連れてきた猫の検疫で180日となると激怒するんじゃないかね。
もちろん猫で狂犬病伝染は聞かない。哺乳類全部が罹患するなら猫も罹患するわけだが、噛まないから唾液由来の感染はないので狂犬病のおそれはないのだろう。
それなら大丈夫そうな犬もいいんじゃない。明らかに屋内飼育であって噛み癖もなく日本国内でも屋内飼育をする。しかも予防注射を射って継続的に以降も観察するもOKだろう。
でも、猫好きの過激分子って猫と犬を同一視できない。故にその脳内は「猫なら可愛そうだけど犬なら過酷に扱ってもいいよ」なのではないかね。
本来ならどちらも畜生で可愛がるにもそれなりの可愛がり方がある。人間と畜生のどっちが大切かも自明である。でも行き過ぎた猫好きはねえ。始末に負えないものだ。
■ おまけ
過激な猫好きは過激な犬好きよりも二桁以上は多いのが不思議なものだよ。
昔は使役動物だった。穀物を食べる、蚕を食べるネズミを駆除する動物だった、それが過剰に可愛がるようになっている。そして「人間よりも猫が大事」のように言い出すようになると膏肓モノだよね。
以前と比べるなら口蹄疫は騒いで豚コレラには口をつぐんだ連中である。口蹄疫のときは「民主党政権の失策で日本農業は滅びる」といっていたが豚コレラ/豚熱のときには自民党政権に一切文句を言わなかった連中と相当にかぶっている。
■ 緩和も大丈夫なのではないかね
それからすれば緩和も大丈夫ではないかね。 農水は「とりあえず注射二回売って抗体上昇が確認できれば、以降も継続的監視をする代わりに検疫通過を認める」と言っている。
実際にそれで大丈夫だと見ているのだろう。ペットを連れてきたもので野犬を輸入するわけではない。報道で出てきたのは屋内飼らしい小型犬である。まずは感染していない。「政府発行の予防注射証明書がないので検疫通過できない」といった話からすれば「難民は射ったと言っている」のかもしれない。
また挙動監視も容易の範囲に収まる。所詮は5頭であり抗体検査と挙動を監視していればどうにかなる。100頭くらいまでならいけるわけだ。それこそPCR検査で1週間1回でも検査すればいいわけだ。
そもそも原則180日規制が厳しすぎるとかもあるのかもしれない。昔の日数をそのままにしただけとかね。
そのあたりからすれば 「機械的に180日留置を適用しろ」は相当にズレているのではないか。以前の安倍政権擁護の反動として、非安倍的、連中の頭の中では非自民政権あつかいの岸田政権攻撃のために原則論を振り回しているだけではないかとも看取れるものだ。
■ 犬じゃなくて猫なら怒る人もいるね
あとは面白いのは猫だと怒る人がいそうなところ。猫すきには「他人の命よりも自分が飼ってもいない猫の命が大事」みたいな価値観がいる。そして安倍政権ヨイショの「狂犬病ガー」連にもいる。その御仁は難民が連れてきた猫の検疫で180日となると激怒するんじゃないかね。
もちろん猫で狂犬病伝染は聞かない。哺乳類全部が罹患するなら猫も罹患するわけだが、噛まないから唾液由来の感染はないので狂犬病のおそれはないのだろう。
それなら大丈夫そうな犬もいいんじゃない。明らかに屋内飼育であって噛み癖もなく日本国内でも屋内飼育をする。しかも予防注射を射って継続的に以降も観察するもOKだろう。
でも、猫好きの過激分子って猫と犬を同一視できない。故にその脳内は「猫なら可愛そうだけど犬なら過酷に扱ってもいいよ」なのではないかね。
本来ならどちらも畜生で可愛がるにもそれなりの可愛がり方がある。人間と畜生のどっちが大切かも自明である。でも行き過ぎた猫好きはねえ。始末に負えないものだ。
■ おまけ
過激な猫好きは過激な犬好きよりも二桁以上は多いのが不思議なものだよ。
昔は使役動物だった。穀物を食べる、蚕を食べるネズミを駆除する動物だった、それが過剰に可愛がるようになっている。そして「人間よりも猫が大事」のように言い出すようになると膏肓モノだよね。
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『劇画毛沢東伝』を読み直した。多分、高校生の時分に最初に読んだのだが今回は藤子不二雄A名義の復刻版の方となった。
マンガは党内権力闘争の勝利で実質終わりとなっている。最初と最後が新中国成立なのだが、それ以外は誕生から党内でヘゲモニーを握るまでの話となっている。
その本質も農民重視の部分であり都市・労働者を重視するソ連派やコミンテルンとの対立や連中との派閥闘争に置かれている。長征の話もその文脈に置かれている。
コレ、種本が文革なかでも四人組サイドの毛沢東崇拝モノだったせいではないかね。実務派との闘争を最優先した形であるからだ。日本との戦いはなく国民党との戦いもあんまし描写されていない。国民党や蒋介石よりも、農村での遊撃戦をやらない当時の党中央を批判する中身になっている。
そのあたりが今の中国の毛沢東モノあるいは革命モノと違っている。文革期かつ四人組側の毛沢東伝になっているわけだ。
■ 指導者毛沢東の来歴がない
また、高校生当時の、三〇年前に読んだときの違和感の原因でもある。
指導者毛沢東の来歴がない。国民党との戦い、日本帝国主義との戦い、再び国民党や米国との戦い、人民志願軍、中ソ対立、米中正常化、日中国交正常化といった戦争指導や国家指導そのものがないことに違和感を抱いていたというわけだ。
今から見ても、もの足りない。毛沢東の戦争指導や戦略的選択は面白いことこの上ない。それにふれていないからだ。
まず勢力涵養を最優先した。農地解放をすれば農民は共産党を支持する。捕虜を取って厚遇すれば社会に矛盾を感じている兵隊は解放軍に参加する。そうすれば少なくとも国民党やあるいは日本には負けない。そうやって国共内戦や抗日戦でも力を伸ばしてきた。
戦闘の指導も現地指揮官に全面委任した。
毛沢東は戦後の国共内戦、新中国では解放戦争では大胆に権限を移譲した。「緊急時は指揮官は臨機の措置をとれ、延安の中央軍委の判断を仰ぐ必要はない」と明示している。共産党や中央統制式の軍隊とは思えない内容だ。だから現場の判断で最善の行動がとれた。
対して蒋介石はなんでも自分でやった。航空機で上空から視察したあとで現地指揮官に「防御線はここからこのように引け」とやった。将星もそれに唯唯諾諾と従った。こっちのほうが共産党式である。実際に国民党の政治体制や軍隊統治はソ連共産党式、しかもレーニズムそのものであった。そして指揮官は総統指示に馬鹿正直に従って水もないし塹壕も掘れない岩場に部隊が展開して大敗北といった事態が生じた。
この勢力涵養と戦闘指導でついに解放戦争での大勝利と新中国成立をに至ったのである。
それがないのがねえ。やはり物足りない部分であるものだよ。
マンガは党内権力闘争の勝利で実質終わりとなっている。最初と最後が新中国成立なのだが、それ以外は誕生から党内でヘゲモニーを握るまでの話となっている。
その本質も農民重視の部分であり都市・労働者を重視するソ連派やコミンテルンとの対立や連中との派閥闘争に置かれている。長征の話もその文脈に置かれている。
コレ、種本が文革なかでも四人組サイドの毛沢東崇拝モノだったせいではないかね。実務派との闘争を最優先した形であるからだ。日本との戦いはなく国民党との戦いもあんまし描写されていない。国民党や蒋介石よりも、農村での遊撃戦をやらない当時の党中央を批判する中身になっている。
そのあたりが今の中国の毛沢東モノあるいは革命モノと違っている。文革期かつ四人組側の毛沢東伝になっているわけだ。
■ 指導者毛沢東の来歴がない
また、高校生当時の、三〇年前に読んだときの違和感の原因でもある。
指導者毛沢東の来歴がない。国民党との戦い、日本帝国主義との戦い、再び国民党や米国との戦い、人民志願軍、中ソ対立、米中正常化、日中国交正常化といった戦争指導や国家指導そのものがないことに違和感を抱いていたというわけだ。
今から見ても、もの足りない。毛沢東の戦争指導や戦略的選択は面白いことこの上ない。それにふれていないからだ。
まず勢力涵養を最優先した。農地解放をすれば農民は共産党を支持する。捕虜を取って厚遇すれば社会に矛盾を感じている兵隊は解放軍に参加する。そうすれば少なくとも国民党やあるいは日本には負けない。そうやって国共内戦や抗日戦でも力を伸ばしてきた。
戦闘の指導も現地指揮官に全面委任した。
毛沢東は戦後の国共内戦、新中国では解放戦争では大胆に権限を移譲した。「緊急時は指揮官は臨機の措置をとれ、延安の中央軍委の判断を仰ぐ必要はない」と明示している。共産党や中央統制式の軍隊とは思えない内容だ。だから現場の判断で最善の行動がとれた。
対して蒋介石はなんでも自分でやった。航空機で上空から視察したあとで現地指揮官に「防御線はここからこのように引け」とやった。将星もそれに唯唯諾諾と従った。こっちのほうが共産党式である。実際に国民党の政治体制や軍隊統治はソ連共産党式、しかもレーニズムそのものであった。そして指揮官は総統指示に馬鹿正直に従って水もないし塹壕も掘れない岩場に部隊が展開して大敗北といった事態が生じた。
この勢力涵養と戦闘指導でついに解放戦争での大勝利と新中国成立をに至ったのである。
それがないのがねえ。やはり物足りない部分であるものだよ。
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「『緊縮財政』という経済政策がすべて間違っていた」とは何事なのかね。
考えたやつが言いたいことは「累進課税や企業への課税なしで金だけばら撒け」でしかない。まあ金持ちや投資家気取りには都合の良い言説である。さらにはどうみても金を持っていない安倍を支持する貧乏人にも「自分は強者だ」とウットリできるためか魅力的な言説となっている。だからそれっぽい連中がオウム返しにしている。
■ 米山さんに飛びかかる「緊縮財政ガー」
例えば次のような会話だ。これは米山さんのカルト批判、反緊縮批判に対する内容である。
■ 90年代には呪術経済と言われたよね
「緊縮財政ガー」は80年代のサプライサイダーの言ってることと全然変わらない。当時には「マネーサプライで景気はコントロールできるのじゃ」との言説があった。すごく大雑把に言うと「通貨供給量をジャブジャブにすれば景気は良くなる」といった中身だ。フリードマン以下の新自由主義との結合もあって丁度いまの 「緊縮財政ガー」あたりと同じような連中が「マネーサプライで」と口々に主張していた施策である。
ただ、90年代なかばには「それは、おまじない経済だよね」とバカにされた施策である。余った資本は投機に回るだけで経済成長はなかった。投機で設けたやつからのトリクルダウンなんかなかった。そのような結果に終わった。
■ 引っかかるのは知らない御仁ばかり
井上純一さん以下の「緊縮財政ガー」はそれを覚えていないのだろう。
世代的には知っていておかしくはない。ただ、今それを口にする連中は90年代に政治や経済の新聞記事を読んていたかも怪しい。井上さんはマンガ家だし、米山さんが常々批判するキクマコさんもピコピコの研究をしていた時期だからだ。
「緊縮財政ガー」は、そのような先例を知らない人が引っかかっているのだろう。正確にいえば、増税しないでも政府支出が増やせる点で増税を嫌う金持ちの琴線に来る主張である。
■ 米山さんのほうが2-3枚上だよね、あたりまえだけど
まー、米山さんも累進課税強化や法人税増税はあんま口にしてないのだけどね。政治上スタンス、保守政治家としての立場、まあアイデンティティからそうは主張し難い立場にある。またそれを主張しても自分にとっての得はない。だから口にしていない。口にできない。
でも、それは政治家として優れている要素でもある。自分が実現したいことを最優先に取り組む。優先順位が低いことについてはよけいな衝突を回避する。その点で方向性や路線がしっかりしている証拠でもあるわけだからねえ。
■ 一番ムゴいのが貧窮組
なによりも一番酷いのは、この「緊縮財政ガー」を安倍支持の貧乏人層も指示することだ。
いやねえ、いかにもな安倍支持のネトウヨでコンビニバイトで露命を繋いでいるような貧窮層が井上純一さんの発言を指示してるのね。自民党支持なんだけど「岸田はサヨク」とかいってるカルト連がこの問答をありがたがっている。
唯一の救いなんだろうねえ。公的扶助を受けずに自分の生活を改善できる。野党政策に乗っかる必要もない選択肢なのだから。
でもまあ、そんな呪術に頼るよりも自分達を貧しくした安倍や安倍的なるものを批判すべきではないのかね。もちろん連中の安倍崇拝は神信心でそれであるゆえに確信だから信仰をやめるともおもえないのだけれども。
考えたやつが言いたいことは「累進課税や企業への課税なしで金だけばら撒け」でしかない。まあ金持ちや投資家気取りには都合の良い言説である。さらにはどうみても金を持っていない安倍を支持する貧乏人にも「自分は強者だ」とウットリできるためか魅力的な言説となっている。だからそれっぽい連中がオウム返しにしている。
■ 米山さんに飛びかかる「緊縮財政ガー」
例えば次のような会話だ。これは米山さんのカルト批判、反緊縮批判に対する内容である。
井上純一(希有馬)新連載『逆資本論』の同志募集中@KEUMAYA
プライマリーバランス黒字化、財政再建、財政健全化を言い出した93年からおかしくなってるのに、それを全く逆に捉えて、政府がお金を使うのが悪い。お金を使うなって言い出してるのすごい。賛同者がいっぱいいるのもすごい。
https://twitter.com/KEUMAYA/status/1512968529620127744TOMOYA@tomoya_1973
だから“逆”なんですって。
そのバブル崩壊後の90年代に入ってから日本が採用してきた『緊縮財政』という経済政策がすべて間違っていたんです。
負債や赤字というものを極端に嫌うあまり(皮肉なことに)負債や赤字をいっそう増やしてきたんです。
経済成長していれば債務も少なかったんですってば。
https://twitter.com/tomoya_1973/status/1512967669774893056
米山 隆一@RyuichiYoneyama
日本はバブル崩壊の1992年以降30年間莫大な政府債務を作り、お金をばら撒いて来たにも関わらずGDPは増えていません。この人達が30年間も続いている現実を現実として認識するのに、一体何年を要するのでしょう。永遠に、減税すれば成長する、政府がお金をばら撒けば成長すると言い続けるのでしょうか。7
https://twitter.com/RyuichiYoneyama/status/1512957911319818243
■ 90年代には呪術経済と言われたよね
「緊縮財政ガー」は80年代のサプライサイダーの言ってることと全然変わらない。当時には「マネーサプライで景気はコントロールできるのじゃ」との言説があった。すごく大雑把に言うと「通貨供給量をジャブジャブにすれば景気は良くなる」といった中身だ。フリードマン以下の新自由主義との結合もあって丁度いまの 「緊縮財政ガー」あたりと同じような連中が「マネーサプライで」と口々に主張していた施策である。
ただ、90年代なかばには「それは、おまじない経済だよね」とバカにされた施策である。余った資本は投機に回るだけで経済成長はなかった。投機で設けたやつからのトリクルダウンなんかなかった。そのような結果に終わった。
■ 引っかかるのは知らない御仁ばかり
井上純一さん以下の「緊縮財政ガー」はそれを覚えていないのだろう。
世代的には知っていておかしくはない。ただ、今それを口にする連中は90年代に政治や経済の新聞記事を読んていたかも怪しい。井上さんはマンガ家だし、米山さんが常々批判するキクマコさんもピコピコの研究をしていた時期だからだ。
「緊縮財政ガー」は、そのような先例を知らない人が引っかかっているのだろう。正確にいえば、増税しないでも政府支出が増やせる点で増税を嫌う金持ちの琴線に来る主張である。
■ 米山さんのほうが2-3枚上だよね、あたりまえだけど
まー、米山さんも累進課税強化や法人税増税はあんま口にしてないのだけどね。政治上スタンス、保守政治家としての立場、まあアイデンティティからそうは主張し難い立場にある。またそれを主張しても自分にとっての得はない。だから口にしていない。口にできない。
でも、それは政治家として優れている要素でもある。自分が実現したいことを最優先に取り組む。優先順位が低いことについてはよけいな衝突を回避する。その点で方向性や路線がしっかりしている証拠でもあるわけだからねえ。
■ 一番ムゴいのが貧窮組
なによりも一番酷いのは、この「緊縮財政ガー」を安倍支持の貧乏人層も指示することだ。
いやねえ、いかにもな安倍支持のネトウヨでコンビニバイトで露命を繋いでいるような貧窮層が井上純一さんの発言を指示してるのね。自民党支持なんだけど「岸田はサヨク」とかいってるカルト連がこの問答をありがたがっている。
唯一の救いなんだろうねえ。公的扶助を受けずに自分の生活を改善できる。野党政策に乗っかる必要もない選択肢なのだから。
でもまあ、そんな呪術に頼るよりも自分達を貧しくした安倍や安倍的なるものを批判すべきではないのかね。もちろん連中の安倍崇拝は神信心でそれであるゆえに確信だから信仰をやめるともおもえないのだけれども。
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「もんじゅ」のナトリウムは相当量が回収できない様子である。NHKの「『もんじゅ』使用済み核燃料 “2037年度までに搬出” 文科省 」では液体ナトリウムについて完全には回収できない。それも相当量が回収できない旨が示唆されている。
「できるかぎり回収」とは「相当量が取り残される」の意味である。まずは1割以上、2~3割は取り残されるニュアンスである。*1
その点からすれば、原発への造詣をにじませる大貫剛さんの見積もりは桁違いの誤りがあったことになる。
なぜなら以前には原子力機構の説明をもとに「完全除去できる、取り残すのは1立米程度」との見立てを提示したためだ。
■ ナトリウムが取り切れないは「毎日新聞の大誤報」(大貫)
これは以前に「ナトリウム抜取りは『技術的には可能』というけど高速増殖炉も核燃料サイクルも『技術的には可能』だったよね」の中で示したとおりである。
くりかえすと大貫さんは2017年には「[「もんじゅ」の液体ナトリウム]数百トンは抜き取れない」(毎日新聞)は「毎日新聞の大誤報」(大貫)と述べていた。
発端は毎日新聞の報道である。
それに原子力機構が反論した。
その反論に依拠して大貫剛さんは毎日新聞への批判を展開した。
■ 実際は100倍かそれ以上が残る
しかし、液体ナトリウムの完全抜き取りは無理であった。
21年末には少なくとも77トンが残る旨を当の原子力機構が認めた。ちなみに毎日新聞の取材の結果である。
大貫さんの見立てである1立米程度、丁度1トンではない。少なくとも77倍の量が取り切れないことが明らかになったのである。
しかも、いまではその量は77トンを大きく超えることが示唆されている。「もんじゅの原子炉や配管には1600トン余りの液体ナトリウムが残っていて、国や原子力機構はできるかぎり回収する方針」(NHK)とはそういうことだ。まずは1600トン中の77トンには収まるわけではないことを示している。未回収量の見積もりが77トン程度、まずは100トンに収まる程度の数字なら以前の取材に答えた経緯から「77トンを除き」と答えるためだ。
大貫さんはざっと100倍かそれ以上に見誤ったということだ。見立てで桁違い、中でも二桁違いの誤りをしたということだ。
■ 説明責任に似た責任感を示してもらってもいいかもね
大貫さんは毎日新聞の見立てに対して原子力機構の主張をもとに「大誤報」の語を使い「説明責任」の遂行を求めた。
「ナトリウムは抜き取れない。1立米どころか数百トンが残る」といった報道に対して誤りである前提で責任を追求した。
しかし、実際のことろは真逆であった。毎日新聞が正しく原子力機構の反論は誤りだったのだ。
毎日新聞の報道が正しく原子力機構の説明は大間違いであったということになる。それからすれば大貫さんも責任を感じてもよいのではないか。説明責任に似たものを感じてもよいものではないかとは思うものだ。
まあ専門家というものは桁違いの間違いはしないものだと思うけどね。わからないことについて瑣末な間違いは大した問題ではない。2倍3倍の間違いも仕方がない部分はある。でも桁違いではねえ。
*1 「『もんじゅ』使用済み核燃料 “2037年度までに搬出” 文科省」『NHK NEWS WEB』2022年3月30日 17時31分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220330/k10013559431000.html
*2 「もんじゅ 設計、廃炉想定せず ナトリウム搬出困難」『毎日新聞』 2017/11/29
https://mainichi.jp/articles/20171129/ddm/001/040/162000c
*3 「平成 29 年 11 月 29 日付毎日新聞における『もんじゅ』に関する報道について」(日本原子力研究開発機構)2017年11月29日
https://www.jaea.go.jp/about_JAEA/article/2017/112902.pdf
*4 「もんじゅ、ナトリウム77トン抜き取れず 技術開発、今後の課題に」『毎日新聞』2021年12月23日
https://mainichi.jp/articles/20211223/k00/00m/040/309000c
原子力機構によりますと、もんじゅの原子炉や配管には1600トン余りの液体ナトリウムが残っていて、国や原子力機構はできるかぎり回収する方針です。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220330/k10013559431000.html
「できるかぎり回収」とは「相当量が取り残される」の意味である。まずは1割以上、2~3割は取り残されるニュアンスである。*1
その点からすれば、原発への造詣をにじませる大貫剛さんの見積もりは桁違いの誤りがあったことになる。
なぜなら以前には原子力機構の説明をもとに「完全除去できる、取り残すのは1立米程度」との見立てを提示したためだ。
■ ナトリウムが取り切れないは「毎日新聞の大誤報」(大貫)
これは以前に「ナトリウム抜取りは『技術的には可能』というけど高速増殖炉も核燃料サイクルも『技術的には可能』だったよね」の中で示したとおりである。
くりかえすと大貫さんは2017年には「[「もんじゅ」の液体ナトリウム]数百トンは抜き取れない」(毎日新聞)は「毎日新聞の大誤報」(大貫)と述べていた。
発端は毎日新聞の報道である。
高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)について、原子炉容器内を満たしている液体ナトリウムの抜き取りを想定していない設計になっていると、日本原子力研究開発機構が明らかにした。*2
[中略]
原子力機構によると、直接核燃料に触れる1次冷却系の設備は合金製の隔壁に覆われ、原子炉容器に近づけない。また、原子炉容器内は燃料の露出を防ぐため、ナトリウムが一定量以下にならないような構造になっている。このため1次冷却系のナトリウム約760トンのうち、原子炉容器内にある数百トンは抜き取れない構造だという。
https://mainichi.jp/articles/20171129/ddm/001/040/162000c
それに原子力機構が反論した。
これらについては、技術的に可能であるにも関わらず、あたかも原子炉容器からナトリウムを抜き出すことが極めて困難であり、かつ、あらかじめ設計上の配慮を怠ったかのような印象を読者に与えようとするものであり、更には事実関係を十分に取材せずに掲載されたものであることから、当機構としては甚だ遺憾であります。*3
https://www.jaea.go.jp/about_JAEA/article/2017/112902.pdf
その反論に依拠して大貫剛さんは毎日新聞への批判を展開した。
大貫剛 @ohnuki_tsuyoshi
何のことはない、もんじゅは廃炉を考慮していないので一次系ナトリウムの抜き取りが不可能という毎日新聞の報道は、全くの誤報だとJAEAは断言した。どういう経緯であのような記事になったのか、毎日新聞は説明するべきだ。
https://twitter.com/ohnuki_tsuyoshi/status/935919122965135360
大貫剛 @ohnuki_tsuyoshi
ナトリウムの抜き取りが可能な管は存在していて、その管を使っても炉内に残るナトリウムは1m3程度。一次系ナトリウムの線量は低く、人が近寄れないレベルではない。JAEAの説明が正しければ毎日新聞の大誤報ということになるが、新聞社にも説明責任はあるのではないか。
https://twitter.com/ohnuki_tsuyoshi/status/935920023415152640
■ 実際は100倍かそれ以上が残る
しかし、液体ナトリウムの完全抜き取りは無理であった。
21年末には少なくとも77トンが残る旨を当の原子力機構が認めた。ちなみに毎日新聞の取材の結果である。
1660トン超の冷却材ナトリウムのうち、計約77トンは既存設備で抜き取れないことが23日、機構への取材で分かった*4
https://mainichi.jp/articles/20211223/k00/00m/040/309000c
大貫さんの見立てである1立米程度、丁度1トンではない。少なくとも77倍の量が取り切れないことが明らかになったのである。
しかも、いまではその量は77トンを大きく超えることが示唆されている。「もんじゅの原子炉や配管には1600トン余りの液体ナトリウムが残っていて、国や原子力機構はできるかぎり回収する方針」(NHK)とはそういうことだ。まずは1600トン中の77トンには収まるわけではないことを示している。未回収量の見積もりが77トン程度、まずは100トンに収まる程度の数字なら以前の取材に答えた経緯から「77トンを除き」と答えるためだ。
大貫さんはざっと100倍かそれ以上に見誤ったということだ。見立てで桁違い、中でも二桁違いの誤りをしたということだ。
■ 説明責任に似た責任感を示してもらってもいいかもね
大貫さんは毎日新聞の見立てに対して原子力機構の主張をもとに「大誤報」の語を使い「説明責任」の遂行を求めた。
JAEAの説明が正しければ毎日新聞の大誤報ということになるが、新聞社にも説明責任はあるのではないか。
https://twitter.com/ohnuki_tsuyoshi/status/935920023415152640
「ナトリウムは抜き取れない。1立米どころか数百トンが残る」といった報道に対して誤りである前提で責任を追求した。
しかし、実際のことろは真逆であった。毎日新聞が正しく原子力機構の反論は誤りだったのだ。
毎日新聞の報道が正しく原子力機構の説明は大間違いであったということになる。それからすれば大貫さんも責任を感じてもよいのではないか。説明責任に似たものを感じてもよいものではないかとは思うものだ。
まあ専門家というものは桁違いの間違いはしないものだと思うけどね。わからないことについて瑣末な間違いは大した問題ではない。2倍3倍の間違いも仕方がない部分はある。でも桁違いではねえ。
*1 「『もんじゅ』使用済み核燃料 “2037年度までに搬出” 文科省」『NHK NEWS WEB』2022年3月30日 17時31分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220330/k10013559431000.html
*2 「もんじゅ 設計、廃炉想定せず ナトリウム搬出困難」『毎日新聞』 2017/11/29
https://mainichi.jp/articles/20171129/ddm/001/040/162000c
*3 「平成 29 年 11 月 29 日付毎日新聞における『もんじゅ』に関する報道について」(日本原子力研究開発機構)2017年11月29日
https://www.jaea.go.jp/about_JAEA/article/2017/112902.pdf
*4 「もんじゅ、ナトリウム77トン抜き取れず 技術開発、今後の課題に」『毎日新聞』2021年12月23日
https://mainichi.jp/articles/20211223/k00/00m/040/309000c