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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

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2011.02
27
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15:16
Category : ミリタリー
 F-Xは、新品であればなんでもよい。

 日本にとって、戦闘機とはまず防空システムの一部である。性能的にはJADGEに連接できればそれでよい。飛んでくる相手を撃ち落とす、あるいは追い返すだけであれば、戦闘機固有の能力をそれほど気にする必要もない。今の新品の戦闘機ならば充分である。艤装でJADGEへの連接をすればよい。平時の実務である領域警備についても、機関砲を装備していれば充分である。

 そもそも、空自が最新鋭機、高級機を持たなければならない理由はない。空自は、F-4やF-15といった当時の最新鋭機を採用した。だが、最新鋭機を採用しなければならない具体的な理由はなかった。しいていえば全天候性だろう。だが、当時であっても、新品であれば、どのような機体であっても防空機の役は果たせるのである。当時の脅威である極東ソ連軍はF-4やF-15でなければ対抗できないものではない。当時のソ連機は足が短く、全天候性に欠けていた。基本的には防空のための迎撃機や、陸軍を支援する直協機である。大型機を除けば、北日本や日本海沿岸が行動の限界であった。日本上空で、BADGEに支援された日本迎撃機に対しては、劣勢である。日本がF-4やF-15といった当時の最新鋭機を採用できた理由は、脅威への対抗があったためではない。かつての戦略爆撃への恐怖があった為にすぎない。戦略爆撃の記憶があるため、航空戦力強化を肯定する世論があった。そして最新鋭機を整備する経済的な余裕があっただけの話である。今日の世論がBMDを肯定しているようなものである。

 今日も、最新鋭機、高級機を装備しなければならない必要性もない。脅威とされる中国にしても、かつての極東ソ連空軍と同じである。Su-27の類は足が長いが、それ以外の中国戦闘機は九州まで届かない。J-10が九州西岸に届くか、届かないかといったあたりである。中国は実用AWACSを持たず、空中給油の数も少ない。仮に中国機が日本本土攻撃を行ったとしても、空中管制を欠き、燃料の余裕もない状態である。JADGEの支援を受ける日本迎撃機に対しては劣勢である。空自が警戒する航空撃滅戦にしても、警戒しているだけあって、重要拠点はSAM以下で防護されている。この状況で、F-Xが最新鋭機、高級機でなければばならない理由はない。

 防空以外の任務を考慮しても、最新鋭機、高級機を装備しなければならない必要性もない。仮に、海外で××しなければならなくなったとしても、あまり日本単独で××することは考えられない。米国や国際社会の一員としての行動である。血路を啓くような制空戦闘を担当するまでもない。それほど重くない荷物を運んで落とせてばよい。既存のF-15でもF-2でも充分である。歴史的に重視する対艦攻撃も、どんな戦闘機でも可能である。専用の装備は必要ない。西ドイツ海軍はF-104に対艦ミサイルを搭載し運用した。イスラエルも空対艦ミサイルをA-4に搭載できるとしている。

 東アジアの軍事力、日中台韓の戦力は安定している。どこの国も本土防衛に充分/過剰な戦力を持っている。そして国境を超えて相手を押し潰せる軍事力は持っていない。航空戦力も同じである。相手の国で航空優勢を維持できるほどの戦力もない。政治的にも安定している。日中台韓、それに米露の間でも、軍事衝突は起きていない。米中にしても、中台にしても、その軍事的な対立は、冷戦期に比較すれば極低水準の「ゲーム」に過ぎない。日中も「ゲーム」を行っているが、あくまでも「ゲーム」である。日中どちらにも熱戦の意志もないし、また冷戦化するつもりもない。この情勢で、空自が他国を圧することのできるような最新鋭機、高級機を持たなければならない理由はない。JADGEに連接できる新品の飛行機であれば、防空の用には充分である。防空以外の任務も果たせるのである。
2011.02
19
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22:15
Category : 映画
 『戦火の中へ』(イ・ジェハン監督)の第一回上映を観てきました。

 内戦風味が不足と書きましたが、むしろ内戦風味が足された作品でした。

 『戦火の中へ』は朝鮮戦争での学徒兵の戦いを描いた作品です。この学徒兵の戦い、奮闘と悲劇は韓国にとっての建国神話なのでしょう。建国神話を公定ナショナリズムの観点だけであれば、英雄を顕彰するだけの無味乾燥なものになってしまいます。ですが、監督はそれを『血と砂』や『橋』のように描いています。学生が戦場に出て、兵士として悩みながら成長するが、血も流すという映画です。また、最初はうまくいかない学徒たちが、フード理論でいう「同じ釜の飯を食う」ことによって、本当の「カンパニー」=「中隊」=「同じ飯を食う仲間」になる姿も素晴らしいものでした。

 観客が没入しやすくするためでしょう、『戦火の中へ』では意識して公定ナショナリズム臭を消しています。そして、当時の実態に寄せる工夫をしています。映画の中では、基本的に「韓国」という言葉は出していません。おそらく、意識して「祖国」としています。また、公定ナショナリズムでは同情されないはずの北朝鮮軍の兵士にも、死ぬときに「お母さん」と言わせたり、北朝鮮軍の大隊長に、戦場では格別の暖かさを示させたりしています。これらは、内戦でもあった朝鮮戦争といった実態に近づける努力であるといえます。

 とはいえ、話の根本が建国神話である以上、学徒兵を英雄として顕彰する構図からも離れられません。映画のエンディングに、元学徒兵の体験談が挿入されている以上、戦いの意味は否定できないのです。映画での状況からすれば、あまり意味のない戦いに見えますが、それを『血と砂』や『橋』のように、目的が失われた戦争と表現することはできなかったのでしょう。学徒兵の死は無意味にはできないからです。ただし、この点は映画の中では上手にゴマかしているように見えます。

 もちろん、映画そのものは素晴らしい出来です。まず、迫力のあるアクション映画です。そして作劇もしっかりしています。2時間と長めですが、全く飽きることはありません。宣伝語句の『その勇気が未来を変えた』や『感動の実話』とはベクトルが違うかもしれませんが、『地と砂』や『橋』が好きな人ならたまらない映画だと思います。「オススメです」。
2011.02
17
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21:59
Category : 映画
 週末に封切りとなる韓国映画『戦火の中へ』 なのだが。 この予告編だと、ブローニングA4あたりで『独立機関銃隊いまだ射撃中』、『独立重機関銃隊』、あるいは『独立ギガン砲中隊』という形になるのかね。


http://www.youtube.com/watch?v=8CEQ9yqBrt8&feature=player_detailpage

 それはともかく。『戦火の中へ』 だが、予告編で見る限り、どうも国vs国の、国家同士の戦争をしているようにしか見えない。字幕の問題があるかもしれないが『戦火の中へ』 では、韓国側の兵隊も、学徒兵も、また北朝鮮軍も、半島以外の異民族を敵として戦っているように見える。学徒も「韓国のために戦う」イメージである。

 しかし、当時の半島の人々にとって、朝鮮戦争は国家同士の戦争ではない。少なくとも『戦火の中へ』で取り上げた1950年夏の段階では「韓国vs北朝鮮」の国家同士の戦争という認識は少なかったはずである。朝鮮半島研究の泰斗、ブルース・カミングスは、朝鮮戦争は内戦の延長と主張している。『戦火の中へ』予告編では、「祖国」という言葉が出てくる。だか、当時、祖国=韓国ではない。学徒にとっては、祖国は韓国ではなく「朝鮮」であるはずだ。祖国が「韓国」であるとする認識は、停戦以降の話である。この点で、朝鮮戦争から内戦風味を抜いた『戦火の中へ』は、今の時代の眼で当時を見た映画であるように見える。

 特に、気になる点は、学徒兵が「北の奴らを殺すためだろ!」(予告編0分40秒頃)と叫ぶところである。果たして、1950年代夏にそこまで北を、同じ民族の同胞を憎むことができたのだろうか。もちろん、予告編だけしか観ていないので、見当はずれかもしれない。例えば、戦争前に、迫害によって北から逃げてきたキリスト教徒や小資本家であるのかもしれない。ただ、そこまで直截に叫ぶことに(実際に、当時を体験した韓国人に聞くしかないが)違和感がある。



 まあ、朝鮮戦争には、同一民族での争いという側面が強い。映画としては、やはり最初のうちは「同じ朝鮮民族じゃないか」とかあるべきではないのかなあ。戦後の日本の映画でも、新兵さんは人間性が残っている。それが、殺したり、殺されたりで人間性を失うような描写になっている。果たして、いきなり憎めるものなのかねえ。
 映画としては、戦闘が終わって、傷者回収の折に、北の将校さんにもなにか、良いことを言わせてもいいんじゃないかねとも思うよ。作劇術上、北の将校さんを完全な悪役にしなければならないのであれば、無理なのかもしれないが。

 なんにせよ、映画本編を見ないと始まらないわけなので、週末にでも観に行こうかという話です。
2011.02
09
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17:08
Category : 海上運輸
 マラッカ海峡-バシー海峡が使えなくなったとしても、日本の石油需要が満たせなくなることはない。マカッサル方面に迂回することにより、日本は石油を確保できる。同様に迂回によってヨーロッパ航路も確保できる。日本にとってマラッカ海峡、バシー海峡は重要ではあるが、死活的ではない。

 『陸戦研究』最新号(23年2月号)には筆頭記事として、「東南アジアにおける南西航路帯の防衛」(平沢達也)※が掲載されている。平沢さんの記事は、現在の南シナ海情勢を興味深くまとめあげたものであり、日本にとって死活問題である海上輸送を確保しなければならない点を指摘している。マラッカ海峡・バシー海峡を重視する主張は説得性に富んでおり、また、日本がベトナムや他のASEAN諸国、環太平洋諸国との軍事も含めた交流をすすめるべきという結論にも賛成できるものである。

 しかし、問題意識としては、あまりにも悲観的に過ぎる。平沢さんは、南シナ海航路が使えなくなった際に、日本は石油需要を満たせなくなると主張している。

[南シナ海で日本船舶の航行が中国によって圧迫された場合には]日本向けのタンカーは、危険を回避するために東・南シナ海を迂回してマカッサル海峡を通過することになる。しかしながら、長期にわたってこの状態が続けば、日本向けタンカーの通航は徐々に減少し、国内需要が十分に満たせなくなる。すると日本は、最終的に備蓄原油の使用を余儀なくされ、国内における石油価格が上昇する上、中国との交渉が難航すれば、政府に対する国民の信頼が大きく低下して国内が混乱する。(平沢 2011 pp.12)


 確かにマラッカ海峡-南シナ海-バシー海峡は日本にとって重要な航路である。だが、不可欠な航路ではない。仮に通航不可となったとしても、迂回によって問題は解決する。平沢さんが指摘しているマカッサル方面への迂回である。中東からの石油も、ヨーロッパとのコンテナ輸送にしても、迂回によって問題は解決する。

 中東からの石油輸送は、マカッサル迂回があっても、タンカーの輸送コスト・稼航率にはそれほど影響はしない。ホルムズ海峡から東京までの距離を比較しても、マカッサル経由では距離は1割程度増えるに留まる。グーグルマップで距離を測定すると、ホルムズ海峡から東京湾口までの距離は
・ 南シナ海経由 約12000km マラッカ-南シナ海-バシー経由
・ マカッサル経由 約13000km ロンボク-マカッサル経由 (+8.5%)
と1000km程度、8.5%の増しか生じない。原油輸入価格に占める輸送コストは5%以下であり、しかも半分は船舶減価償却や荷物の積み下ろしコストである。マカッサル迂回により、船舶運航の燃料費や人件費が8.5%程度上昇したとしても、輸送コストは5%程度しか上昇しない。現在の原油価格からすれば、原油輸入価格の0.25%の上昇に留まる。コストとして無視してもよい。また、航海日数も片道20日が22日になる程度である。これも稼航率上、無視してよい。 そして、実際に、マカッサルを経由しているタンカーも存在する。タンカーの中には、水深の関係からマラッカ海峡を通峡できない船もある。そのような船はすでにマカッサルを迂回している。このマカッサル迂回により、タンカー運用に死活的な影響は出ていない。

 ヨーロッパ航路でも、マカッサル迂回は死活的な影響とはならない。原油の場合と同じように、東京湾口からロッテルダム(ヨーロッパでのコンテナ輸送の中心)までの輸送距離を比較しても
・ 南シナ海経由 約21500km  
・ マカッサル経由 約23000km (+7%)
距離にして1500km、7%の増としからならない。主力のコンテナ輸送についても、原油輸送と同様に、製品価格に占める輸送コストは(品目によって異なるが)ほぼ無視して良い。公海日数も稼航率も同様である。問題点としては、コンテナ船の寄港地であるシンガポールへのアクセス可否の方が大きい。

 南シナ海通航不可・マカッサル迂回は、日本の海上輸送にとっては、死活的な問題とはならない。コストアップは無視できる程度であり、実際には、原油価格やコンテナの海上輸送運賃といった市況変動に隠れる程度の影響でしかない。稼航率についても、タンカーで約2日、コンテナ船で約1日、航海日数が増加するだけであり、大きく影響しない。問題は、マカッサル海峡・ロンボク海峡における航路支援、場合によれば航路管制、また船舶保険への影響である。だが、両者とも解決できない問題ではない。※※

 南西航路帯は、重要な航路ではあるが、死活的な航路ではない。「南西航路」の船舶輸送に関しては、この南シナ海有事シナリオや、台湾有事シナリオでは「日本にとって死活的な影響を及ぼす」と言われることが多い。しかし、実際の影響を考慮しても、マカッサル迂回で問題は解決してしまうのである。 平沢さんの主張するように、南シナ海航路が使えなくなった際に、日本は石油需要を満たせなくなることはないのである。


※ 平沢達也「東南アジアにおける南西航路帯の防衛」『陸戦研究』23.2(陸戦学会,2011)pp.1-27

※※ 日本による、航路支援(Navigation Aid)や航路管制の支援であるが、マラッカ海峡では実施した実績がある。また、船舶輻輳の問題に関しては、たとえばマラッカ海峡・ロンボク海峡を南行、モルッカ方面を北行と分けることも可能である。船舶保険に関しても、最悪でも政府による再保証で解決する。
2011.02
05
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18:09
Category : 未分類
 英伊両国は、次の戦争でも人間魚雷を使うだろう。人間魚雷は有効・確実な手段であり、両国はその威力を承知している。イタリアは今でも人員・機材・ノウハウを保有し、イギリスも人員とノウハウを保持している。英伊両国は、必要に応じて人間魚雷戦術を行うだろう。

 人間魚雷による艦船攻撃は、有効・確実な攻撃手段である。水上艦や潜水艦、航空機が侵入できないように厳重に防護された港湾泊地でも、潜水員であればくぐり抜けることができる。潜水員には携行できる爆薬には限界がある。だが、100kgを超える爆薬を持ち込むことができれば、在泊艦船に大損害を与えることも可能である。大重量の爆薬運搬は、潜水員に魚雷サイズの潜水艇を組み合わせることにより可能となる。これは人間魚雷"manned torpedo"と呼ばれる。

 第二次世界大戦では、イタリアが人間魚雷を活用した。潜水員を改造魚雷(SDV:Swimmer Delivary Vehicle, Chariotとも呼ばれる)にのせ、停泊している艦船に近づき、船底に爆薬を仕掛けて戻るというものである。最近、よく話がでるリムペット・マインの運用に近い。だが、小規模破壊を目指すリムペット・マインとは異なり、イタリアの人間魚雷は沈めることを目指している。

 現在も、イタリアは人間魚雷を活用する気なのだろう。イタリアは改造魚雷を進化させたSDVを保有し、専用爆薬(中性浮力にしてあるのだろう)としてMk41(炸薬量105kg)、Mk31(炸薬量230kg)を準備している。この爆薬は港湾や施設破壊用とはされているが、もちろん艦船攻撃にも使える。SDVは同時にリムペット・マインも運べるとされており、艦船攻撃を考慮した兵器である。リムペット・マインだけでも相当の被害を与えることはできるが、Mk41、Mk31を使えばそれ以上の成果を期待することができる。停泊中、上陸員がでている状況では、警戒閉鎖程度であれば沈めることも可能である。また船体構造にある程度の座屈や歪みを生じさせることもできる。修理不能となるか、長期間のドック入りが必要となる。

 英海軍も、人間魚雷を活用する可能性は高い。イギリスは第二次世界大戦でも、X艇やChariotにより、イタリアと同じように泊地での艦船攻撃を行った。戦後でも、リムペット・マインを配備しており、潜水員による水中攻撃は可能である。訓練された人員とノウハウは充分にある。英海軍はプリミティブな作戦を好む傾向がある。手の届く港湾に、敵艦船が在泊していれば、人間魚雷を復活させるだろう。必要な装備は水中爆薬とそれを運ぶ能力のあるChariotである。だが、爆薬は機雷の増結炸薬でも用いればよい。Chariotも入手難ではない。必要な性能は分かっているので、新製しても、民生用を転用してもよい。保管品(展示品)をあるいは旧式魚雷を転用も不可能ではない。