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「この飛行機は高性能だから、飛行場の基準を満たさなくても安全だよ」とはなかなか言える意見ではない。
それはバケツでウランと同じ理屈ではないか? 臨界量を越えなければバケツでウランを扱っても大丈夫だという理屈だ。
しかも「横風30ktで全然大丈夫よ?」(Masa Utsumi)とも過剰な自信をもっている。やはりステンレスバケツさえあればウランも扱える見通しにも似た自信家なのだろう。
■ 転移表面と進入表面を勘違いしている
ちなみに転移表面と進入表面を勘違いしている。「あと転移表面が7:1なのはそれがギリギリの上昇角の機体を考慮しての事」(Masa Utsumi)がそれだ。
転移表面は縦軸ではない。横軸だ。進入経路と直行している。離着陸に際しても急上昇当のの必要はない。その趣旨は降りていくときに邪魔にならないように立木そのほかを切っておく範囲の指定である。
さらに場外離着陸場の勾配は7対1ではない。今回は規制ギリギリの1対1、45度であり、しかもホテルはそれをクリアできなかった。
■ 周辺住民に対して「馬鹿じゃないの?」とおっしゃるMasa Utsumiさん
その上でいえばUTSUMIさんは飛行場周辺の住民の権利や意向を全く理解できていない。これは今年1月に書いたとおり。「競技と称して曲芸飛行するヤツのほうが迷惑だがね」 で指摘したが「馬鹿じゃないの?」と言い放っている。
無許可曲芸飛行に伴う危険性について「『密集地域』」でも「実施概要、型、旋回等の要領、合図などを機長が事前に打ち合わせていれば」「許可は必要ありません。」周辺住民は「馬鹿じゃないの?」(Masa Utsumi)とおっしゃっている。
他人に与えている迷惑や、自分の商売の不健全な構造に気づいていない。他人の住宅や生活に迷惑をかけた上で自分が利潤を得る商売であるとは全く理解できていないのである。
■ いつか科学忍法火の鳥じゃないかな
そこにあるのは無邪気さだ。他人に危険を与えている認識がない上、オレは絶対大丈夫といった根拠のない過度の自信に浸っている。
なによりもレッドブル以下の空中サーカス商売が無関係の第三者に危険を与える構造を認識できていない点は問題だ。当の曲芸飛行家がどーなろうと知ったことではない。命をかけて飛びだとうがもどーでもよい。だがレッドブル・エアレース興行の類、金儲けのために「競技でござい」と称するサーカス屋の「科学忍法火の鳥」に巻き込まれた住民はたまったものではない。
そして、Masa Utsumiさんは安全性も軽んじている。離着陸で「横風30kt超えてても全然大丈夫よ?」「曲技機はその場で垂直に500ftまで上がれるから特例には安全性の根拠あるよ。」(Masa Utsumi)とおっしゃっている。横風が吹こうが、障害物があろうが大丈夫、大丈夫と自信家である。
他人事ながら「科学忍法火の鳥になるのではないか?」と心配になるものだ。
バケツでウランも臨界が起きるまでは高枕だった。「溶解塔なんか使わなくても大丈夫よ?」「臨界量まで入れないから大丈夫よ?」と言っていた。臨界が起きるまでは「全然大丈夫よ?」と多寡をくくっていた。
サーカスの軽業も墜死するまでは自信満々であるという。それからすれば空中サーカスも同じだろう。
ブルーインパルスの曲技飛行告発も当然だよね。防衛といった有用な目的のためなら騒音も危険も我慢しようという人はおおい、でも、ブルーインパルスは人寄せパンダの曲芸飛行であり防衛に必須ではない。しかもそれに死に金を突っ込んでいる。己も連帯しますよ。党派性がどうであっても応援する文章くらいは書きます。
でもまあ、それでも100%金儲けのレッドブルよりはマシだけどね。ブルーインパルスには一応は隊員募集といった行政の目的がある。そして、それは国民にとってもそれは利益にならないわけでもない。その曲芸演技にしても締め切ったりせず無料で公衆の観覧に供しているからね。
Masa Utsumi @JA14WP
軽量だから横風に弱い?どんな軍用機より横風に強いけど?横風30kt超えてても全然大丈夫よ?あと転移表面が7:1なのはそれがギリギリの上昇角の機体を考慮しての事で、曲技機はその場で垂直に500ftまで上がれるから特例には安全性の根拠あるよ。 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180522-00010000-jindepth-soci … @YahooNewsTopics
https://twitter.com/JA14WP/status/1000663416275484677
それはバケツでウランと同じ理屈ではないか? 臨界量を越えなければバケツでウランを扱っても大丈夫だという理屈だ。
しかも「横風30ktで全然大丈夫よ?」(Masa Utsumi)とも過剰な自信をもっている。やはりステンレスバケツさえあればウランも扱える見通しにも似た自信家なのだろう。
■ 転移表面と進入表面を勘違いしている
ちなみに転移表面と進入表面を勘違いしている。「あと転移表面が7:1なのはそれがギリギリの上昇角の機体を考慮しての事」(Masa Utsumi)がそれだ。
転移表面は縦軸ではない。横軸だ。進入経路と直行している。離着陸に際しても急上昇当のの必要はない。その趣旨は降りていくときに邪魔にならないように立木そのほかを切っておく範囲の指定である。
さらに場外離着陸場の勾配は7対1ではない。今回は規制ギリギリの1対1、45度であり、しかもホテルはそれをクリアできなかった。
■ 周辺住民に対して「馬鹿じゃないの?」とおっしゃるMasa Utsumiさん
その上でいえばUTSUMIさんは飛行場周辺の住民の権利や意向を全く理解できていない。これは今年1月に書いたとおり。「競技と称して曲芸飛行するヤツのほうが迷惑だがね」 で指摘したが「馬鹿じゃないの?」と言い放っている。
Masa Utsumi @JA14WP
編隊飛行は実施概要、型、旋回等の要領、合図などを機長が事前に打ち合わせていれば、許可は必要ありません。そして、ブルーインパルスがあそこでやった飛行に曲技飛行は含まれていません。馬鹿じゃないの?ブルーインパルスファンネット @BlueImpulseFan
「ブルーインパルス」訴えられる…密集地域で無許可曲技飛行疑い 全国初告発 https://fb.me/OapoopHM
https://twitter.com/BlueImpulseFan/status/957027387899695105
https://twitter.com/JA14WP/status/957057145656115200
無許可曲芸飛行に伴う危険性について「『密集地域』」でも「実施概要、型、旋回等の要領、合図などを機長が事前に打ち合わせていれば」「許可は必要ありません。」周辺住民は「馬鹿じゃないの?」(Masa Utsumi)とおっしゃっている。
他人に与えている迷惑や、自分の商売の不健全な構造に気づいていない。他人の住宅や生活に迷惑をかけた上で自分が利潤を得る商売であるとは全く理解できていないのである。
■ いつか科学忍法火の鳥じゃないかな
そこにあるのは無邪気さだ。他人に危険を与えている認識がない上、オレは絶対大丈夫といった根拠のない過度の自信に浸っている。
なによりもレッドブル以下の空中サーカス商売が無関係の第三者に危険を与える構造を認識できていない点は問題だ。当の曲芸飛行家がどーなろうと知ったことではない。命をかけて飛びだとうがもどーでもよい。だがレッドブル・エアレース興行の類、金儲けのために「競技でござい」と称するサーカス屋の「科学忍法火の鳥」に巻き込まれた住民はたまったものではない。
そして、Masa Utsumiさんは安全性も軽んじている。離着陸で「横風30kt超えてても全然大丈夫よ?」「曲技機はその場で垂直に500ftまで上がれるから特例には安全性の根拠あるよ。」(Masa Utsumi)とおっしゃっている。横風が吹こうが、障害物があろうが大丈夫、大丈夫と自信家である。
他人事ながら「科学忍法火の鳥になるのではないか?」と心配になるものだ。
バケツでウランも臨界が起きるまでは高枕だった。「溶解塔なんか使わなくても大丈夫よ?」「臨界量まで入れないから大丈夫よ?」と言っていた。臨界が起きるまでは「全然大丈夫よ?」と多寡をくくっていた。
サーカスの軽業も墜死するまでは自信満々であるという。それからすれば空中サーカスも同じだろう。
ブルーインパルスの曲技飛行告発も当然だよね。防衛といった有用な目的のためなら騒音も危険も我慢しようという人はおおい、でも、ブルーインパルスは人寄せパンダの曲芸飛行であり防衛に必須ではない。しかもそれに死に金を突っ込んでいる。己も連帯しますよ。党派性がどうであっても応援する文章くらいは書きます。
でもまあ、それでも100%金儲けのレッドブルよりはマシだけどね。ブルーインパルスには一応は隊員募集といった行政の目的がある。そして、それは国民にとってもそれは利益にならないわけでもない。その曲芸演技にしても締め切ったりせず無料で公衆の観覧に供しているからね。
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エアレースのヨイショ連は鉄道マニアに似ている。自分が汽車ポッポが好きだからみんなが汽車ポッポが好きだと思っている。だから汽車ポッポが迷惑をかけている認識がない。都市内で汽車ポッポを運行すると煤煙や石炭の硫黄臭で反対されることが理解できない。
レッドブルの興行エアレースのヨイショもそれだ。ヒコーキの曲芸を撮影するのが好きだからみんなも好きだと思っている。迷惑がかけていることなんか全然気づいていない。
実際の迷惑は前に書いたとおり。しかもダーティーな構造にある。負担と受益が分離している。金は興行主が総取りし騒音と危険は付近住民が負担する。レッドブル・エアレースの金儲けは公害垂れ流し企業の金儲けと同じである。懐かしい言葉だと外部不経済そのものだ。
だが、ヨイショ連はそれが気づけない。曲芸飛行機に夢中でそんな想像もできない。そして危険や騒音に関して「法的に合法」であると言い立てる。
だが、言っていることはメチャクチャである。危険であることは全然否定できていないし、そのような危険な興行には本来は法的緩和を与えられないことを理解できていないからだ。
■ どこが間違っているか指摘できない大貫剛さん
大貫剛さんの反論に関しては「法解釈も間違ってる」といいながら、どこが間違っているか指摘できていない。これは前に「大貫剛さんが拙記事に赤ペン入れたところで日本ロケットがオワコンなのは変わらない」で指摘したとおりだ。
唯一の指摘であるようにみえる「その図は飛行場の基準だ」にしても二重の意味で的外れもいいところだ。
まずは提示だからだ。娑婆の人間にいきなり進入表面、転移表面、水平表面の語を使ってもわからないから提示するものだ。さらにいえば
その上でいえば拙記事は最初に飛行場の進入表面、転移表面の述べている。つまりげんきゅうしてないわけでもない。そして場外離着陸場の条件を述べている。
ちなみに、大貫さんは航空法は殆どやったことはないのだろう。筆者と同じ役所の建築土木職だったらしいが実務経験はなさそうだ。
これは大貫さんが「制限表面」の語をつかうあたりから窺える。対して実務ではそんな言葉はあまり使わない。個別の転移表面と水平表面の語を使うし、東京ディズニランドに関しては進入表面の語を使う。航空灯台の移設や立ち木で航空局関係とも商売をしたが、部隊でも施設局(当時)でも、航空局も進入表面と転移表面の語を使っていた。
■ 国交大臣が許可出したから全て正しいのだ(ぼろ太さん)
つぎがぼろ太さんの主張だ。
その不思議な部分は「大臣が許可出したから全て正しいのだ」のいった部分だ
そもそも、この案件は大臣許可が降りることがオカシイ。
本来は許可すべきではなかったものだからだ。法的制約を特例で緩和するには社会的利益の必要があるが、今回のエアレースにはそれはない。
なぜなら
・私企業の利潤追求行為であること
・危険と騒音を伴うこと
・利潤追求と迷惑負担が一致しないこと
- 危険等は周辺住民が負担し
- 興業主は利益だけを得る構図であること
ためだ。
しかも、正規の飛行場で十分対応できる案件である。桶川あるいは海自の下総・木更津を使えば充分であった。
つまり、許可そのものがオカシイのである。
それを「許可が出たから何の引け目もない」と天真爛漫に語る点も不思議である。法律上で形式だけを満たせばOKと言った「モリカケの何が悪い」といった世界観の持ち主なのだろう。周辺の危険や騒音を全く気にしないあたりもとてもピュアなことだ。
ちなみに、ぼろ太さんが大好きなノリエアレースでも死者10人怪我人60人の大事故を起こしている。曲芸飛行に失敗したマヌケは自分1人が死ぬだけではなく観客も巻き込んでいる。そしてレッドブル・エアレースはクソ田舎ではなく住宅地の近くでやっている。危険の可能性を承知している観客ではなく無関係な住民も巻き込む可能性があるということだ。
レッドブルの興行エアレースのヨイショもそれだ。ヒコーキの曲芸を撮影するのが好きだからみんなも好きだと思っている。迷惑がかけていることなんか全然気づいていない。
実際の迷惑は前に書いたとおり。しかもダーティーな構造にある。負担と受益が分離している。金は興行主が総取りし騒音と危険は付近住民が負担する。レッドブル・エアレースの金儲けは公害垂れ流し企業の金儲けと同じである。懐かしい言葉だと外部不経済そのものだ。
だが、ヨイショ連はそれが気づけない。曲芸飛行機に夢中でそんな想像もできない。そして危険や騒音に関して「法的に合法」であると言い立てる。
だが、言っていることはメチャクチャである。危険であることは全然否定できていないし、そのような危険な興行には本来は法的緩和を与えられないことを理解できていないからだ。
■ どこが間違っているか指摘できない大貫剛さん
大貫剛さんの反論に関しては「法解釈も間違ってる」といいながら、どこが間違っているか指摘できていない。これは前に「大貫剛さんが拙記事に赤ペン入れたところで日本ロケットがオワコンなのは変わらない」で指摘したとおりだ。
大貫剛 @ohnuki_tsuyoshi
興行エアレースの為に航空法曲げてよいのか?(Japan In-depth) - Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180522-00010000-jindepth-soci … @YahooNewsTopics なーんだ、この記事、法解釈も間違ってるじゃん。その図は飛行場の基準だ。レッドブルエアレースのレースエアポートは場外離着陸場だから図が違う。
https://twitter.com/ohnuki_tsuyoshi/status/1000747992452771841
唯一の指摘であるようにみえる「その図は飛行場の基準だ」にしても二重の意味で的外れもいいところだ。
まずは提示だからだ。娑婆の人間にいきなり進入表面、転移表面、水平表面の語を使ってもわからないから提示するものだ。さらにいえば
その上でいえば拙記事は最初に飛行場の進入表面、転移表面の述べている。つまりげんきゅうしてないわけでもない。そして場外離着陸場の条件を述べている。
ちなみに、大貫さんは航空法は殆どやったことはないのだろう。筆者と同じ役所の建築土木職だったらしいが実務経験はなさそうだ。
これは大貫さんが「制限表面」の語をつかうあたりから窺える。対して実務ではそんな言葉はあまり使わない。個別の転移表面と水平表面の語を使うし、東京ディズニランドに関しては進入表面の語を使う。航空灯台の移設や立ち木で航空局関係とも商売をしたが、部隊でも施設局(当時)でも、航空局も進入表面と転移表面の語を使っていた。
■ 国交大臣が許可出したから全て正しいのだ(ぼろ太さん)
つぎがぼろ太さんの主張だ。
その不思議な部分は「大臣が許可出したから全て正しいのだ」のいった部分だ
ぼろ太 @futaba_AFB
航空法だと規制があってもただし大臣の許可がある場合は適用されないって書かれている条項が多くそれに乗っ取って申請しなければそもそもエアレースできないのに、航空法を曲げてっていう記者の書き方が恣意的だよね、そう言う層狙いの記事なんだろうけど
https://twitter.com/futaba_AFB/status/1000746910464991232
そもそも、この案件は大臣許可が降りることがオカシイ。
本来は許可すべきではなかったものだからだ。法的制約を特例で緩和するには社会的利益の必要があるが、今回のエアレースにはそれはない。
なぜなら
・私企業の利潤追求行為であること
・危険と騒音を伴うこと
・利潤追求と迷惑負担が一致しないこと
- 危険等は周辺住民が負担し
- 興業主は利益だけを得る構図であること
ためだ。
しかも、正規の飛行場で十分対応できる案件である。桶川あるいは海自の下総・木更津を使えば充分であった。
つまり、許可そのものがオカシイのである。
それを「許可が出たから何の引け目もない」と天真爛漫に語る点も不思議である。法律上で形式だけを満たせばOKと言った「モリカケの何が悪い」といった世界観の持ち主なのだろう。周辺の危険や騒音を全く気にしないあたりもとてもピュアなことだ。
ちなみに、ぼろ太さんが大好きなノリエアレースでも死者10人怪我人60人の大事故を起こしている。曲芸飛行に失敗したマヌケは自分1人が死ぬだけではなく観客も巻き込んでいる。そしてレッドブル・エアレースはクソ田舎ではなく住宅地の近くでやっている。危険の可能性を承知している観客ではなく無関係な住民も巻き込む可能性があるということだ。
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エアレース擁護で道路使用許可を持ち出すのは適当だろうか?
レッドブルの興行エアレースで航空法が枉げられた。金儲けのために本来は妥当ではない大都市場外離着陸場での固定翼機運用や、あろうことか脱法的な高度制限の緩和が行われた。
その非を指摘したところ次のような反論があった。例えば関賢太郎さんの発言である
■ エアレースには社会的な価値はない
だが、反論は妥当ではない。
エアレースには法で配慮しなければならないほどの社会的価値がないためだ。その点で関さんがあげた公道マラソンや祭礼とは全く異なる。その点で法を枉げるべきではない。
■ エアレースに公益性はない
まず、公益性がない。
レッドブル・エアレースは私企業による興行である。金を取っての見世物であり、しかも囲い込まれた会場以外では楽しめない仕組みになっている。
その点でマラソンや祭礼とは異なる。スポーツ競技は市町村と共催であり、祭礼は地元の寺社と地域住民団体との共催である。そして、その見物や拝観は第三者に開かれており無料である。
その点でレッドブルの興行エアレースには公益性はない。そのような自称競技の金儲けのために法を緩めるは妥当ではない。
■ エアレースは危険を伴う
次の理由は危険性である。この点でエアレースはむしろ社会にマイナスの価値を与える。
レッドブル・エアレースは曲芸飛行である。当然ながら危険性を伴う。興行場所は空間的にも区画されていない。そのため事故時には周辺民家等に被害を与える可能性を伴う。
これもマラソンや祭礼とは異なる。マラソンでは第三者に危険を与えない。選手がぶっ倒れても本人が死ぬだけの話である。また祭礼も同じだ。神輿が住宅地に突っ込んで人を殺すだろうか?
この点でもエアレースで法を枉げるべきではない。社会的にはむしろ不利益なためだ。
■ エアレースは騒音を伴う
最後が騒音である。大騒音を伴う点でエアレースは社会にとってマイナスの価値しかない。
レッドブルエアレースは大きな騒音を伴う。首都圏のような人口稠密地に会場を設定して曲芸飛行を実施する形である。場外離着陸場、会場までの経路、会場といったエリアで騒音を撒き散らす。いずれも元々飛行場近隣ではない。騒音対策等はしていない。
対して、マラソンや祭礼の騒音は小さくしかも一過性である。1m地点での騒音は20~30dBは低く、選手や神輿が通りすぎれば消えてしまう。しかも、これら騒音は人間の声である。その点で不快な機械騒音とは異なる。
騒音問題を伴うエアレースのために法律を緩和することは妥当ではないということだ。
■ サンフランシスコもヒコーキが落ちれば目が覚めるよね
本筋からすれば大都市でのエアレースそのものが妥当ではない。危険や騒音の観点からすればどうかしている。そもそも場外離着陸場での特例措置そのものが大都市での実施に向かないことを示している。
本来はどこかの片田舎でやればよい興行である。落ちようが騒音を出そうが迷惑がかからない場所で実施すべき催事である。
だが、関さんはその道理を認めたくない。
それ故に出羽守を持ち出している。アメリカではといった中身だ。
だが、サンフランシスコでも一回落ちれば目が覚める。軍がやっていることであり私企業による金儲け興行ではない。そして今まで市街地に落ちていないから認められているだけだ。
一度落ちればオジャンになる。その意味で七〇年代に「アクロで下方向空中開花は常識」とブルーインパルスの写真を持ち出してドヤ顔するようなものだ。いずれ落ちるとも知らずに。
■ オマケ 無駄な危険を披露する芸をやって金を稼く商売 : 曲芸飛行
法令じゃ曲芸じゃなくて曲技だとか言い出す意見もある。例えばこれ。https://twitter.com/futaba_AFB/status/1000750484997599232
鉄道マニアがクハだのクモハなのにこだわるのによく似ているものだ。
でもね、曲芸のほうが本質だよね。「無駄な危険を披露する芸をやって金を稼く商売」だもの。投げ銭頂戴の「曲芸飛行」が妥当でしょ。
しかも、私企業が曲芸パイロット10人集めて自称「世界大会」の見世物ですよ。プロレスの小規模団体となにも変わらない。また室屋ナントカさんが(レッドブルの世界では)「世界一」ってのも、「ちんこプロレス世界王者」とどう違うのかね。実際にはC02を無駄にばらまいて危険と騒音で迷惑もある。それならプロレスのほうが環境に優しいし周辺も安心だよね。
まあ、室屋ナントカさんも自分は「鵜飼の鵜」だと知ってるだろうから。ファンには過剰にヨイショされてキモチワルイと思うよ。それでいて商売だからそれっぽい演技しなければいけないのは大変だと思うな。
レッドブルの興行エアレースで航空法が枉げられた。金儲けのために本来は妥当ではない大都市場外離着陸場での固定翼機運用や、あろうことか脱法的な高度制限の緩和が行われた。
その非を指摘したところ次のような反論があった。例えば関賢太郎さんの発言である
ぐり@関賢太郎@gripen_ng
この記事の理屈だと道交法の特例として警察署長の認可を必要とする陸上競技場や祭事は全部不可になるな。
https://twitter.com/gripen_ng/status/1000698865853517824
■ エアレースには社会的な価値はない
だが、反論は妥当ではない。
エアレースには法で配慮しなければならないほどの社会的価値がないためだ。その点で関さんがあげた公道マラソンや祭礼とは全く異なる。その点で法を枉げるべきではない。
■ エアレースに公益性はない
まず、公益性がない。
レッドブル・エアレースは私企業による興行である。金を取っての見世物であり、しかも囲い込まれた会場以外では楽しめない仕組みになっている。
その点でマラソンや祭礼とは異なる。スポーツ競技は市町村と共催であり、祭礼は地元の寺社と地域住民団体との共催である。そして、その見物や拝観は第三者に開かれており無料である。
その点でレッドブルの興行エアレースには公益性はない。そのような自称競技の金儲けのために法を緩めるは妥当ではない。
■ エアレースは危険を伴う
次の理由は危険性である。この点でエアレースはむしろ社会にマイナスの価値を与える。
レッドブル・エアレースは曲芸飛行である。当然ながら危険性を伴う。興行場所は空間的にも区画されていない。そのため事故時には周辺民家等に被害を与える可能性を伴う。
これもマラソンや祭礼とは異なる。マラソンでは第三者に危険を与えない。選手がぶっ倒れても本人が死ぬだけの話である。また祭礼も同じだ。神輿が住宅地に突っ込んで人を殺すだろうか?
この点でもエアレースで法を枉げるべきではない。社会的にはむしろ不利益なためだ。
■ エアレースは騒音を伴う
最後が騒音である。大騒音を伴う点でエアレースは社会にとってマイナスの価値しかない。
レッドブルエアレースは大きな騒音を伴う。首都圏のような人口稠密地に会場を設定して曲芸飛行を実施する形である。場外離着陸場、会場までの経路、会場といったエリアで騒音を撒き散らす。いずれも元々飛行場近隣ではない。騒音対策等はしていない。
対して、マラソンや祭礼の騒音は小さくしかも一過性である。1m地点での騒音は20~30dBは低く、選手や神輿が通りすぎれば消えてしまう。しかも、これら騒音は人間の声である。その点で不快な機械騒音とは異なる。
騒音問題を伴うエアレースのために法律を緩和することは妥当ではないということだ。
■ サンフランシスコもヒコーキが落ちれば目が覚めるよね
本筋からすれば大都市でのエアレースそのものが妥当ではない。危険や騒音の観点からすればどうかしている。そもそも場外離着陸場での特例措置そのものが大都市での実施に向かないことを示している。
本来はどこかの片田舎でやればよい興行である。落ちようが騒音を出そうが迷惑がかからない場所で実施すべき催事である。
だが、関さんはその道理を認めたくない。
それ故に出羽守を持ち出している。アメリカではといった中身だ。
ぐり@関賢太郎@gripen_ng
興行エアレースの為に航空法曲げてよいのか? 曲芸飛行は落ちてもよい荒野で行うものだ
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180522-00010000-jindepth-soci …
それではサンフランシスコとかいう荒野のウェスタンで行われている海上ショーの様子をご覧下さい。
https://twitter.com/gripen_ng/status/1000708205826068480
だが、サンフランシスコでも一回落ちれば目が覚める。軍がやっていることであり私企業による金儲け興行ではない。そして今まで市街地に落ちていないから認められているだけだ。
一度落ちればオジャンになる。その意味で七〇年代に「アクロで下方向空中開花は常識」とブルーインパルスの写真を持ち出してドヤ顔するようなものだ。いずれ落ちるとも知らずに。
■ オマケ 無駄な危険を披露する芸をやって金を稼く商売 : 曲芸飛行
法令じゃ曲芸じゃなくて曲技だとか言い出す意見もある。例えばこれ。https://twitter.com/futaba_AFB/status/1000750484997599232
鉄道マニアがクハだのクモハなのにこだわるのによく似ているものだ。
でもね、曲芸のほうが本質だよね。「無駄な危険を披露する芸をやって金を稼く商売」だもの。投げ銭頂戴の「曲芸飛行」が妥当でしょ。
しかも、私企業が曲芸パイロット10人集めて自称「世界大会」の見世物ですよ。プロレスの小規模団体となにも変わらない。また室屋ナントカさんが(レッドブルの世界では)「世界一」ってのも、「ちんこプロレス世界王者」とどう違うのかね。実際にはC02を無駄にばらまいて危険と騒音で迷惑もある。それならプロレスのほうが環境に優しいし周辺も安心だよね。
まあ、室屋ナントカさんも自分は「鵜飼の鵜」だと知ってるだろうから。ファンには過剰にヨイショされてキモチワルイと思うよ。それでいて商売だからそれっぽい演技しなければいけないのは大変だと思うな。
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軍艦大和の沖縄作戦の生き残りに対して「機関科や主計科は戦闘に参加してないですね、兵科じゃないし攻撃武器の配置にないから」と評するのは妥当だろうか?
「ふざけるな」となるだろう。これはまだ生き残っている当人だけではない。傍で聞いていても怒る。しかも戦争への評価も問わない。左右ともにそういう。その爺ィが生命を危険に晒す戦場にいたことは間違いないのだから。
だが、神立さんはそういう。
神立さんは戦争にも兵隊にもいったこともないのになかなかの発言である。艦隊でハワイまでいった、ミッドウェーで軍艦飛竜が沈んだ時に海水を飲んだその生き残りを捕まえて「あの死に損ないは整備員だから真珠湾攻撃には参加していない、話を盛るな」とはね。
■ ゼロ戦パイロット以外は無価値なんだろうね
前にも似たような事を言っている。共産党の議員さんが「戦争でゼロ戦のパイロットやっていたジジイが『戦争やめとけ』といってたよ」(大意)といった発言した。それに対し「旧日本軍機を全て零戦と呼んでしまうのは粗雑」と反駁した件だ。
そこから見えてくるのは、後方職域への蔑視である。
もっとはっきり言えば、ゼロ戦とそのパイロット以外には何の価値も敬意も見せない点だ。
ゼロ戦のパイロットだけヨイショしているが、それ以外、特に下士官兵に対する発言はひどいものだ。今回でも、軍艦飛竜で生き残った整備員の瀧本さん、96歳の爺様の主張「『戦争は年寄りが始め、死ぬのは若者。国は若者を守らない。それをよく知ってほしい』」といった政治批判に次のように発言している。
実際にエライ目にあった爺様の「戦争はよくない」に対して、神立さんは「下士官兵に戦略を語らせたりする聴く方も馬鹿なのですが。」とのことだ。神立さんの言い方を真似させていただけば「写真屋風情が何を言いだしているのだろうか」になるだろう。
■ 頭の中では「オレは兵科士官待遇」なんだろうね
まずは地獄のニューギニアで片手をなくした水木しげるに「戦争を知らない」といい出したネトウヨに似ているものだ。戦争でエライ目にあった100前の爺様に、戦争も知らず兵隊稼業もしたことはない。それでいて「下士官兵に戦略を語らせたりする聴く方も馬鹿なのですが。」だから全く同じか。
まあ、他の発言をみてもそれは窺えるけどね。「法華狼の日記」さんでの指摘から紹介すればつぎのとおりだ。
歴史に向き合うことを「売国」といいすてる態度、少なくとも日本軍隊に協力していた人々を指して「朝鮮人売春婦」、歴史を否認する「『南京大虐殺30万人』に匹敵する大インチキ」とは、やはり水木しげるに「戦争を知らない」といい出したネトウヨと同然である。
■ オマケ : これが「零戦の会」の会長さんのスタンス
まー、最初に戻るけど戦争に行ってエライ目にあった爺様に対してのスタンスがやっぱり独特だよね。右派なら爺様には敬意をむけるはずだ、左派でも共感をする。しかし神立さんはどっちもなくて、政治批判に反応して「下士官兵に戦略を語らせたりする聴く方も馬鹿なのですが。」である。そのスタンスには嫌悪感しか感じないものだ。
ちなみに内閣府のNPO法人ポータルサイトによると神立さんはNPO法人「零戦の会」の会長である。その会の目的しては
とある。
だがね、ゼロ戦搭乗員以外の兵役経験者について、さらに士官以外について「下士官兵に戦略を語らせたりする聴く方も馬鹿なのですが。」と会長がいいだすような会である。そのスタンスで「後世に海軍戦闘機隊の歴史ならびに海軍戦闘機搭乗員の事績を伝承」されても迷惑なものだ。さっさと解散してしまえとしか言いようもない。
「ふざけるな」となるだろう。これはまだ生き残っている当人だけではない。傍で聞いていても怒る。しかも戦争への評価も問わない。左右ともにそういう。その爺ィが生命を危険に晒す戦場にいたことは間違いないのだから。
だが、神立さんはそういう。
神立尚紀 @koudachinaoki
細かいこと言うようですが、この方は整備員で、「真珠湾作戦」には参加しても「真珠湾攻撃」に参加したとは、話を盛ってる感がありますね。それはともかく、この見出しには大切なことが抜けている。「国や役人や政治家や新聞はうそをつく」でしょう。肝心の「新聞」が抜けたら画竜点睛を欠きますやん。毎日新聞認証済みアカウント @mainichihttps://twitter.com/koudachinaoki/status/1000057279352258561
元海軍兵で真珠湾攻撃やミッドウェー海戦に参加した96歳。同志社大での講演で「国や役人や政治家はうそをつく。だまされないよう、よく考えてほしい」と訴えました。 #反戦https://mainichi.jp/articles/20180524/k00/00e/040/229000c …
神立さんは戦争にも兵隊にもいったこともないのになかなかの発言である。艦隊でハワイまでいった、ミッドウェーで軍艦飛竜が沈んだ時に海水を飲んだその生き残りを捕まえて「あの死に損ないは整備員だから真珠湾攻撃には参加していない、話を盛るな」とはね。
■ ゼロ戦パイロット以外は無価値なんだろうね
前にも似たような事を言っている。共産党の議員さんが「戦争でゼロ戦のパイロットやっていたジジイが『戦争やめとけ』といってたよ」(大意)といった発言した。それに対し「旧日本軍機を全て零戦と呼んでしまうのは粗雑」と反駁した件だ。
そこから見えてくるのは、後方職域への蔑視である。
もっとはっきり言えば、ゼロ戦とそのパイロット以外には何の価値も敬意も見せない点だ。
ゼロ戦のパイロットだけヨイショしているが、それ以外、特に下士官兵に対する発言はひどいものだ。今回でも、軍艦飛竜で生き残った整備員の瀧本さん、96歳の爺様の主張「『戦争は年寄りが始め、死ぬのは若者。国は若者を守らない。それをよく知ってほしい』」といった政治批判に次のように発言している。
神立尚紀 @koudachinaoki
どの世代にも嘘つきはいますし思い違いや言い間違えもあります。講演慣れした人程話が大きくなる傾向もありますね。個人の体験した範囲内での話は貴重ですが「その掌になかった者が迂闊なことをさも真実であるかのように語るのは間違いの元」、下士官兵に戦略を語らせたりする聴く方も馬鹿なのですが。
https://twitter.com/koudachinaoki/status/1000201193451237376
実際にエライ目にあった爺様の「戦争はよくない」に対して、神立さんは「下士官兵に戦略を語らせたりする聴く方も馬鹿なのですが。」とのことだ。神立さんの言い方を真似させていただけば「写真屋風情が何を言いだしているのだろうか」になるだろう。
■ 頭の中では「オレは兵科士官待遇」なんだろうね
まずは地獄のニューギニアで片手をなくした水木しげるに「戦争を知らない」といい出したネトウヨに似ているものだ。戦争でエライ目にあった100前の爺様に、戦争も知らず兵隊稼業もしたことはない。それでいて「下士官兵に戦略を語らせたりする聴く方も馬鹿なのですが。」だから全く同じか。
まあ、他の発言をみてもそれは窺えるけどね。「法華狼の日記」さんでの指摘から紹介すればつぎのとおりだ。
神立尚紀 @koudachinaoki
明日から新宿ニコンサロンで行われる慰安婦写真展は、表現の皮を被ったたちの悪い反日政治活動である。審査員は土田ヒロミ、大島 洋、伊藤俊治、北島敬三、竹内万里子。戦後ジャーナリズムは左翼運動と共に歩んできたような歴史があり、写真界には売国趣味のはびこる土壌があってつくづく嫌になる。
https://twitter.com/koudachinaoki/status/217258960326111232
神立尚紀 @koudachinaoki
新宿ニコンサロンの朝鮮人売春婦写真展は厳戒態勢。整列入場、金属探知機検査?。ギャラリー内は大混雑。写真を見る者は多くない。『写真表現はすべからく政治的』という意見もあるが私は与しない。肝心の写真家が政治や歴史についてあまりにも無知、かつ多くは左巻きのバイアスがかかっているからだ。
https://twitter.com/koudachinaoki/status/217545509605359616
神立尚紀 @koudachinaoki
特攻兵器「桜花」で「多くの特攻隊員が訓練中に亡くなった」というのは「南京大虐殺30万人」に匹敵する大インチキ(実際には訓練で一名、試作機テストで一名、重傷一名)だけど、誇り高き桜花隊搭乗員を侮蔑するかのようなこんなデマを、そもそも誰が言い出したのだろう。調べればわかることなのに。
https://twitter.com/koudachinaoki/status/407361901081808896
歴史に向き合うことを「売国」といいすてる態度、少なくとも日本軍隊に協力していた人々を指して「朝鮮人売春婦」、歴史を否認する「『南京大虐殺30万人』に匹敵する大インチキ」とは、やはり水木しげるに「戦争を知らない」といい出したネトウヨと同然である。
■ オマケ : これが「零戦の会」の会長さんのスタンス
まー、最初に戻るけど戦争に行ってエライ目にあった爺様に対してのスタンスがやっぱり独特だよね。右派なら爺様には敬意をむけるはずだ、左派でも共感をする。しかし神立さんはどっちもなくて、政治批判に反応して「下士官兵に戦略を語らせたりする聴く方も馬鹿なのですが。」である。そのスタンスには嫌悪感しか感じないものだ。
ちなみに内閣府のNPO法人ポータルサイトによると神立さんはNPO法人「零戦の会」の会長である。その会の目的しては
この法人は、零戦搭乗員戦没者・物故者等に対する慰霊顕彰を通じ、後世に海軍戦闘機隊の歴史ならびに海軍戦闘機搭乗員の事績を伝承することをもって社会教育に寄与し、努めて平和の推進を図ることを目的とする。
https://www.npo-homepage.go.jp/npoportal/detail/013007997
とある。
だがね、ゼロ戦搭乗員以外の兵役経験者について、さらに士官以外について「下士官兵に戦略を語らせたりする聴く方も馬鹿なのですが。」と会長がいいだすような会である。そのスタンスで「後世に海軍戦闘機隊の歴史ならびに海軍戦闘機搭乗員の事績を伝承」されても迷惑なものだ。さっさと解散してしまえとしか言いようもない。
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例の、はすみとしこの本の講演会を企んだ書泉が同人誌即売会をやろうとしている。
その出品目録を見ると、ホントにこの本を売っていいのかといった本が挙げられている。以前に著作権処理が怪しいと指摘した帝國陸海軍史研究会の『本土決戦兵団 断部隊懐古録』だ。
さらに帝國陸海軍史研究会への関連リンクから「出版書籍」の該当ページを見ると、ほぼ未処理であることが窺える。
具体的には次のような記載部分がそれである。
■ 著作権処理の未了が窺える
経緯を見るだけでも売ってはいけない本であり、買ってはいけない本といった疑念が湧く。
まず「会員向けの会報に載せる」といって集めた体験談記事を、そのまま「広く一般に売る」形となっている。
しかも、それぞれの記事には著作者名が入っている。例えば写真(http://jshian.jp/dan_image2_700.jpg)だと「横浜事件(第二話)伊藤勇」と明らかに個人に著作権のあることまで明記している。
そして各個人はこの形での商業出版を認めてない。経緯からしてもそれを明示して収集したとは思えない。会員向け会報に掲載する以外の許可を与えていない。
さらに、いずれの著者も昭和47年には確実にご存命である。2018年は死後50年を経過した翌年ではない。
つまりは著作権処理未了が強く疑われるのである。
■ 処理完了ならその旨を書かなければ疑われる
権利関係ついて、書いてあるのは自称、監修者が「勝手に版権をやるよ」といった部分だけだ。
まず、それだけでは駄目だ。各記事の著作権は監修者がもっているわけではないからだ。
もし、権利処理をしたならそれを明記するべきだ。各著作者あるいは著作権相続者に許諾を取った旨を書くべきである。「許諾があった分について再録再販した」といった文言だ。あるいは文化庁の著作権裁定を経た旨の記載である。
それがない以上、著作権処理未了は疑われても仕方はない。もちろん小規模出版のため著作権者がそれを見る可能性もなく、その上で文句をつけられる可能性はない。だからほとんど問題にはならない。だが、それは「免れて罪なし」でしかない。
■ 本屋がそれを知らないは許されない
そんな本に販売の機会を与えるあたり、書泉はやはりどうかしている。少なくともプロとして目利きとは思えない。はすみとしこの講演会を開催するだけのことはある。
はすみとしこ以降、書泉には一切入らず当然ながら本も買っていないが、それは正しい選択肢だったとの確信を深くしたものである。
まー、それを見た同人の先達は知らないやつには教えてやらなければいけないのだけどね。
でもメカミリの島は権利意識がメチャクチャでしかたがない。
旧軍装備の写真はいい例だ。 写真の権利者は撮影者で、昭和44年以前に公表されていた写真以外は死後50年なんだが、それを知らないで「ヤフオクでアルバムを落としたオレが権利者だ」といいだす類が多い。しかも、それを海外雜誌が日本著作権法の許す範囲で正規に引用した場合でも「海賊版」とか言い出すのは、呆れるしかないものだ。
その出品目録を見ると、ホントにこの本を売っていいのかといった本が挙げられている。以前に著作権処理が怪しいと指摘した帝國陸海軍史研究会の『本土決戦兵団 断部隊懐古録』だ。
さらに帝國陸海軍史研究会への関連リンクから「出版書籍」の該当ページを見ると、ほぼ未処理であることが窺える。
具体的には次のような記載部分がそれである。
本書は、元第五十三軍司令官専属副官だった山本明氏(元陸軍大尉)が、同軍の戦友会(軍司令部職員が主体)である「赤柴会」の会員に募って手記を集め、昭和46年9月に第一集、同47年3月に第二集、同47年5月に第三集、同47年10月に第四集、同52年4月に第五集をそれぞれ発行したものに、いくつかの記事を追加して平成10年に合冊・刊行したものです。
しかし、この貴重な資料の配布先はその性格上ほぼ「赤柴会」会員に限定されていたため、今現存が確認されているのは監修者(森下)が山本氏のご生前に委ねていただいた一冊だけであり、今後散逸・埋没する危惧があった。そこで、平成29年春再刊の『近衛師団司令部乃人々 正・続』に続き、誤字・脱字等を修正した上で再び世に送り出すことにしたものです。
http://jshian.jp/dan.html
特に、軍司令官だった赤柴元中将の回想記や、小野打元参謀長や主要参謀による対上陸作戦準備に関する記事や、厚木の第302海軍航空隊の反乱事件、隷下戦車部隊の決起未遂、また、鈴木首相邸襲撃事件で有名な佐々木大尉の横浜からの出発の経緯など、当事者による貴重な記事が多数収録されています。また、意外に目にすることが少ない元女子軍属の方々の微笑ましい手記も多数収録されています。
http://jshian.jp/dan.html
■ 著作権処理の未了が窺える
経緯を見るだけでも売ってはいけない本であり、買ってはいけない本といった疑念が湧く。
まず「会員向けの会報に載せる」といって集めた体験談記事を、そのまま「広く一般に売る」形となっている。
しかも、それぞれの記事には著作者名が入っている。例えば写真(http://jshian.jp/dan_image2_700.jpg)だと「横浜事件(第二話)伊藤勇」と明らかに個人に著作権のあることまで明記している。
そして各個人はこの形での商業出版を認めてない。経緯からしてもそれを明示して収集したとは思えない。会員向け会報に掲載する以外の許可を与えていない。
さらに、いずれの著者も昭和47年には確実にご存命である。2018年は死後50年を経過した翌年ではない。
つまりは著作権処理未了が強く疑われるのである。
■ 処理完了ならその旨を書かなければ疑われる
権利関係ついて、書いてあるのは自称、監修者が「勝手に版権をやるよ」といった部分だけだ。
まず、それだけでは駄目だ。各記事の著作権は監修者がもっているわけではないからだ。
もし、権利処理をしたならそれを明記するべきだ。各著作者あるいは著作権相続者に許諾を取った旨を書くべきである。「許諾があった分について再録再販した」といった文言だ。あるいは文化庁の著作権裁定を経た旨の記載である。
それがない以上、著作権処理未了は疑われても仕方はない。もちろん小規模出版のため著作権者がそれを見る可能性もなく、その上で文句をつけられる可能性はない。だからほとんど問題にはならない。だが、それは「免れて罪なし」でしかない。
■ 本屋がそれを知らないは許されない
そんな本に販売の機会を与えるあたり、書泉はやはりどうかしている。少なくともプロとして目利きとは思えない。はすみとしこの講演会を開催するだけのことはある。
はすみとしこ以降、書泉には一切入らず当然ながら本も買っていないが、それは正しい選択肢だったとの確信を深くしたものである。
まー、それを見た同人の先達は知らないやつには教えてやらなければいけないのだけどね。
でもメカミリの島は権利意識がメチャクチャでしかたがない。
旧軍装備の写真はいい例だ。 写真の権利者は撮影者で、昭和44年以前に公表されていた写真以外は死後50年なんだが、それを知らないで「ヤフオクでアルバムを落としたオレが権利者だ」といいだす類が多い。しかも、それを海外雜誌が日本著作権法の許す範囲で正規に引用した場合でも「海賊版」とか言い出すのは、呆れるしかないものだ。
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室屋ナントカさんが世界一だから航空法を緩和しろといいだすのはなかなかの意見だ。
拙記事の反論に興味深いものがあった。
内容はこのようなものだ。
■ 何の理由にもならない
筆者は「レッドブル・エアレースは興行にすぎない、そのために特例を認めるのは法を枉げるものであり不正義と述べた。
内容は
・ レッドブル・エアレースは私企業の金儲けである
・ 利益はレッドブル・エアレースが独占し危険を負担する地域に還元はない
・ 実施には公共性はない
・ この前提において法的にありえない特例を与えるのは誤り
である。
対して 佐藤 @nekomaru2222 さんの反論は次のとおりだ
・ 室屋ナントカさんが年間総合優勝した、だから特例を認めろ
・ 室屋ナントカさんは福島がホームグランドである、だから特例を認める
・ 「危険だ止めろ」は妥当性がない
さて、何かの反論になっているだろうか?
まず、私企業の金儲けであり、地域還元がなく、公共性がないことへの反論はまったくない。
あるのは日本人が「年間総合優勝し」たから法律を枉げろ、福島がホームグランドだから千葉で航空法の特例を出せ、危険なことやめさせるのは「無知」をといった中身だ。
何をいいたいかわからない。
■ 「ちんこプロレス世界王者」とかわらないよね。
その上でいうなら宣伝文句の「世界一」に騙されているのもなかなか興味深い。
「レッドブル・エアレース世界一」に何か価値があるだろうか?
2003年に始まった自称「競技」で、参加してるパイロットも10人チョイだ。
その世界一が何かエライのか?
何の意味もない。運転手10人が航空ガソリンを無駄づかいしてCO2を撒き散らしながら必要のない危険行為をしているだけだ。
まずは「ちんこプロレス世界王者」とかわらない。あるいは「おにごろし・ロードローラー・レース 世界選手権 マカダムローラ級 S-1王者」みたいなものだ。
■ 「ちんこプロレス」でわいせつ物陳列罪の特例を認めろ
それで特例とはマヌケな話だ。
「藤孝さんが『ちんこプロレス』世界王者になった。だから放送での股間露出と公衆の前での肛門性交の実演を認めろ」というようなものだ。
レッドブル・エアレース世界王者ははその程度である。むしろ危険を周囲に与える点、地球環境にも悪い点で「ちんこプロレス」よりもタチが悪い。
それを
といい出す。まあ、不思議な世界観でいらしゃる。
「パヨ」といった位相語を使って得意げになっているあたりも含めて、クローズされた幸せの世界で幸せの言論をして幸せに暮らしているのだろう。
以下、24日2030に追記
この主の興行ってなんつーか地方政治の人気とり、成果でございと集金マシーンとも近い気がするんだよbね
埼玉にグライダーの町の妻沼(現在:熊谷市)があって、そこの市長の、今回の地名から取れば千葉(仮名)さんが
なんか実績上げたように装おうとしていてエアレース招致とか、しかもそれが「疲労がポンと取れるドリンク」みたいな怪しげなところと結託してる感じがねえ
お金も流せるよね
スゲー高い金額を出した下請けの警備会社があって、その会社の持ちビルにその事業を推している議員の事務所があって賃料も光熱水費もタダみたいな
拙記事の反論に興味深いものがあった。
佐藤 @nekomaru2222
この記事書いた文谷数重文谷数重退官済みだがよく自衛官務まったな、書いている事バカじゃないですか。このエアレース世界で大人気で昨年日本人の室屋義秀氏が年間総合優秀してもいる、その上福島がホームグランド。それなのに危険だ止めろの一言でかたづけるこの無知さ、元自衛官でもパヨなんだな。
https://twitter.com/nekomaru2222/status/998811454030528512
内容はこのようなものだ。
■ 何の理由にもならない
筆者は「レッドブル・エアレースは興行にすぎない、そのために特例を認めるのは法を枉げるものであり不正義と述べた。
内容は
・ レッドブル・エアレースは私企業の金儲けである
・ 利益はレッドブル・エアレースが独占し危険を負担する地域に還元はない
・ 実施には公共性はない
・ この前提において法的にありえない特例を与えるのは誤り
である。
対して 佐藤 @nekomaru2222 さんの反論は次のとおりだ
・ 室屋ナントカさんが年間総合優勝した、だから特例を認めろ
・ 室屋ナントカさんは福島がホームグランドである、だから特例を認める
・ 「危険だ止めろ」は妥当性がない
さて、何かの反論になっているだろうか?
まず、私企業の金儲けであり、地域還元がなく、公共性がないことへの反論はまったくない。
あるのは日本人が「年間総合優勝し」たから法律を枉げろ、福島がホームグランドだから千葉で航空法の特例を出せ、危険なことやめさせるのは「無知」をといった中身だ。
何をいいたいかわからない。
■ 「ちんこプロレス世界王者」とかわらないよね。
その上でいうなら宣伝文句の「世界一」に騙されているのもなかなか興味深い。
「レッドブル・エアレース世界一」に何か価値があるだろうか?
2003年に始まった自称「競技」で、参加してるパイロットも10人チョイだ。
その世界一が何かエライのか?
何の意味もない。運転手10人が航空ガソリンを無駄づかいしてCO2を撒き散らしながら必要のない危険行為をしているだけだ。
まずは「ちんこプロレス世界王者」とかわらない。あるいは「おにごろし・ロードローラー・レース 世界選手権 マカダムローラ級 S-1王者」みたいなものだ。
■ 「ちんこプロレス」でわいせつ物陳列罪の特例を認めろ
それで特例とはマヌケな話だ。
「藤孝さんが『ちんこプロレス』世界王者になった。だから放送での股間露出と公衆の前での肛門性交の実演を認めろ」というようなものだ。
レッドブル・エアレース世界王者ははその程度である。むしろ危険を周囲に与える点、地球環境にも悪い点で「ちんこプロレス」よりもタチが悪い。
それを
このエアレース世界で大人気で昨年日本人の室屋義秀氏が年間総合優秀してもいる、その上福島がホームグランド。それなのに危険だ止めろの一言でかたづけるこの無知さ(佐藤 @nekomaru2222)
といい出す。まあ、不思議な世界観でいらしゃる。
「パヨ」といった位相語を使って得意げになっているあたりも含めて、クローズされた幸せの世界で幸せの言論をして幸せに暮らしているのだろう。
以下、24日2030に追記
この主の興行ってなんつーか地方政治の人気とり、成果でございと集金マシーンとも近い気がするんだよbね
埼玉にグライダーの町の妻沼(現在:熊谷市)があって、そこの市長の、今回の地名から取れば千葉(仮名)さんが
なんか実績上げたように装おうとしていてエアレース招致とか、しかもそれが「疲労がポンと取れるドリンク」みたいな怪しげなところと結託してる感じがねえ
お金も流せるよね
スゲー高い金額を出した下請けの警備会社があって、その会社の持ちビルにその事業を推している議員の事務所があって賃料も光熱水費もタダみたいな
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緒方恵美さんは自己規定に囚われている。だからファッションとしての「強い女の私」を装わなければいられない。
傍から見ていれば戯画的である。無頼を気取って酒場でウイスキーを頼んでコロナを咥える。ゲラゲラでしかない。
この写真見てご満悦なんだろう。ナルシスみたいに。
■ 野党批判もその伝
ご承知の野党批判もその伝だ。「世間ずれしている私はリアリストである」「だから野党のイデアリズムには批判的である」といったファッションだ。
まあ、リアリズムを気どるのはいいだろう。反面「『政は正なり』も知らないのだろうね」とは思われても仕方はないものだがね。
■ 言い訳に終始
だが、その後はブザマなものだ。言い訳に終始している。これもご承知のとおり
まずは誤解だと言い訳している。
さらには一芸人であるともいい出した。
それなら最初からそんな口を効くなということだ。
■ ファッションだから覚悟がない
結局の所は覚悟がないということだ。「強い女の私」「世なれた私」を装うファッションでリアリストぶった発言をした。それに反論されただけで狼狽した。そして「誤解だ政治的発言ではない」「私は批評家ではない声優だから見逃せ」との遁辞を繰り返した。
四〇にも五〇にもなればそれなりの芯はあるはずだ。それは信念でもよいし分別でもよい。その信念に従うなら反論された程度で言い訳はしない。分別があればネトウヨ発言をそのままオウム返しにはしない。同じ声優業でも信念ある人はそういったスタンスを貫いている。ファッションにも逃げないし言い訳もしない。
だが、緒方恵美さんにはどちらもない。
あるのは虚飾の心だけだ。崇拝者である10代20代のコドモに見栄を切ってチヤホヤされたい心しかない。小学生の中でイニシアティブをとって喜ぶダメ中学生みたいなものだ。酒場でウイスキーを頼んでコロナを咥えているのはまったくそれである。
そもそもウイスキー飲んでコロナ咥えてる写真をしかも白黒ってねえ。大蔵省出身の平岡公威さんみたいな自己像否定にしか見えない。よほど自分に自信がないのだろう。まあ、平岡さんは思想も肉体も改造した。引き起こした迷惑はともかく、表面的なファッションには逃げなかったことは大違いといったものだ。
傍から見ていれば戯画的である。無頼を気取って酒場でウイスキーを頼んでコロナを咥える。ゲラゲラでしかない。
緒方恵美@EARLY OGATA BEST5/30発売!認証済みアカウント @Megumi_Ogata
バーの雰囲気が良かったので、勧められるままに、久々に葉巻などいただきました(煙草とは違うのよ)。
オールドなウィスキーと合わせて、すごく良かったんだけど…なんか…自分、ちょっとくたびれたサラリーマンのおじさんみたいだね…。(年齢的には充分オッサンなんだが←)
https://twitter.com/Megumi_Ogata/status/994965208702447617
この写真見てご満悦なんだろう。ナルシスみたいに。
■ 野党批判もその伝
ご承知の野党批判もその伝だ。「世間ずれしている私はリアリストである」「だから野党のイデアリズムには批判的である」といったファッションだ。
緒方恵美@EARLY OGATA BEST5/30発売!認証済みアカウント @Megumi_Ogata国会の1日分の運営費・交付金て、いったいどのくらいの額面に? それを何十日もかけて審議するのと、某問題の赤字額と比べたら…?
悪いことは悪い。追求も必要かもですが、その時間をかけて、もっともっと議論して欲しい、本当に必要な議題は山のようにあるはず。
本当に国民を思う議論を。どうか。
https://twitter.com/Megumi_Ogata/status/990289987412283392
まあ、リアリズムを気どるのはいいだろう。反面「『政は正なり』も知らないのだろうね」とは思われても仕方はないものだがね。
■ 言い訳に終始
だが、その後はブザマなものだ。言い訳に終始している。これもご承知のとおり
まずは誤解だと言い訳している。
緒方恵美@EARLY OGATA BEST5/30発売! 認証済みアカウント @Megumi_Ogata
私の件の発言は、多くの方が理解してくださっているように、政治的なツイートではありません。
私自身は特に肩入れしている政党はない。その時々でみつめて、今はこのためにここの党に…という感じで投票しています。
ではなぜ?
…よく、前後合わせて読んで頂ければ、ご理解頂けるかと思います。⇒
https://twitter.com/Megumi_Ogata/status/992051262551085057
さらには一芸人であるともいい出した。
緒方恵美@EARLY OGATA BEST5/30発売!認証済みアカウント @Megumi_Ogata
私は優秀な人間じゃない。
政治家じゃないし、批評家でもありません。
ただの、イチ、アーティストです。
そしてただの、平凡な、イチ、日本国民です。
そんなちっぽけな私から、「こどもの日」に届けられるのは、私自身の姿だけ。
観て、学んで。
いいことも悪いことも。
そして生きて。強く!
https://twitter.com/Megumi_Ogata/status/992672463589801984
それなら最初からそんな口を効くなということだ。
■ ファッションだから覚悟がない
結局の所は覚悟がないということだ。「強い女の私」「世なれた私」を装うファッションでリアリストぶった発言をした。それに反論されただけで狼狽した。そして「誤解だ政治的発言ではない」「私は批評家ではない声優だから見逃せ」との遁辞を繰り返した。
四〇にも五〇にもなればそれなりの芯はあるはずだ。それは信念でもよいし分別でもよい。その信念に従うなら反論された程度で言い訳はしない。分別があればネトウヨ発言をそのままオウム返しにはしない。同じ声優業でも信念ある人はそういったスタンスを貫いている。ファッションにも逃げないし言い訳もしない。
だが、緒方恵美さんにはどちらもない。
あるのは虚飾の心だけだ。崇拝者である10代20代のコドモに見栄を切ってチヤホヤされたい心しかない。小学生の中でイニシアティブをとって喜ぶダメ中学生みたいなものだ。酒場でウイスキーを頼んでコロナを咥えているのはまったくそれである。
そもそもウイスキー飲んでコロナ咥えてる写真をしかも白黒ってねえ。大蔵省出身の平岡公威さんみたいな自己像否定にしか見えない。よほど自分に自信がないのだろう。まあ、平岡さんは思想も肉体も改造した。引き起こした迷惑はともかく、表面的なファッションには逃げなかったことは大違いといったものだ。
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産経ウエスト「旧日本軍の九五式軽戦車、里帰り計画進行中 カギは『燃料ポンプ』 世界のマニアが大捜索」だが、また募金で武器の里帰りといった話になっている。
ただ疑問なのは、前回の浜名湖戦車の捜索の始末だ。結局どうしたのか。また寄付の決算をどこに出したかである。中間発表や決算でもよいがウェブを見ても見つからない。
もちろん、日本のNPOが実施しているのだからシッカリしているのだろう。ウェブで見つからないだけでどこかで閲覧できるようにはしているだろう。
だが、ネットを通じて寄付を募るのならネットから見られるようにすべきだ。
それをしないで新しい寄付よびかけを繰り返すのは感心しないものだ。
■ 戦車の評価額って誰が出すのかね
もう一つ必要なものは戦車評価額だ。九五式の価格が一億円という。本当にその額が妥当であるといった証明は必要となるだろう。
それがなければ愛国詐欺と変わらない。日本のNPOはシッカリしているからそれはないだろう。
だが、前回記事で書いたように中国あたりだと「実際は五〇〇〇万円、残り五〇〇〇万円は山分け」なのではないかと疑ってしまう。気持ち悪く愛国を強調するような募金なんてそんなものだ。(中国だと「清軍の大砲を買う戻そう」みたいな愛国募金詐欺とかあるんじゃないかな)
■ 転売と利潤の可能性
さらにいえば、その後の転売可能性もある。
今回も寄付だ。「日本に長く保存する。だからそのため寄付をしてくれ」といった呼びかけだ。
だが、博物館を作る会とやらの資金力はどれくらいあるのだろうか? 国や自治体ではないしトヨタや松下のような大企業でもない。さらに戦車にゆかりある三菱が旦那についているわけでもなさそうだ。
体力的には嵐山美術館と同等の金持ちでも厳しいだろう。嵐山美術館は結局は潰れて四散した。
その際には買った戦車は転売となる。
そして、それで利潤が生まれると厄介だ。「日本に里帰りさせるために寄付を乞う」と呼びかけ「体力的に手放さざるを得なくなった」と売り払う。それで利潤が生まれるとどうなるか? 「他人の寄付金で入手レストアした転売屋」となる。
1億円で買った戦車がなぜか1億5000万円となるとそう言われる。
もちろん日本のNPOのやることだ。利潤が発生しないことを証明するだろう。その呼びかけ、例えばマスコミが「九五式戦車売ります」みたいな記事を描くときには赤字決算書の在り処を明記してくれるように頼むだろう。そしてマスコミもそれを載せる。それをしなければテンバイヤーの片棒担ぎだからだ。
まあ、あとは在り処だよね。「里帰りしたはずの戦車がいつの間にか売却先が募集されていた。その上コンテナ詰めされて『補修のためにポーランドに』と行って戻ってこない。そこのイベントで展示されて日本国内にない」とかなると、やっぱり寄付の面目は立たないだろうね。
ただ疑問なのは、前回の浜名湖戦車の捜索の始末だ。結局どうしたのか。また寄付の決算をどこに出したかである。中間発表や決算でもよいがウェブを見ても見つからない。
もちろん、日本のNPOが実施しているのだからシッカリしているのだろう。ウェブで見つからないだけでどこかで閲覧できるようにはしているだろう。
だが、ネットを通じて寄付を募るのならネットから見られるようにすべきだ。
それをしないで新しい寄付よびかけを繰り返すのは感心しないものだ。
■ 戦車の評価額って誰が出すのかね
もう一つ必要なものは戦車評価額だ。九五式の価格が一億円という。本当にその額が妥当であるといった証明は必要となるだろう。
それがなければ愛国詐欺と変わらない。日本のNPOはシッカリしているからそれはないだろう。
だが、前回記事で書いたように中国あたりだと「実際は五〇〇〇万円、残り五〇〇〇万円は山分け」なのではないかと疑ってしまう。気持ち悪く愛国を強調するような募金なんてそんなものだ。(中国だと「清軍の大砲を買う戻そう」みたいな愛国募金詐欺とかあるんじゃないかな)
■ 転売と利潤の可能性
さらにいえば、その後の転売可能性もある。
今回も寄付だ。「日本に長く保存する。だからそのため寄付をしてくれ」といった呼びかけだ。
だが、博物館を作る会とやらの資金力はどれくらいあるのだろうか? 国や自治体ではないしトヨタや松下のような大企業でもない。さらに戦車にゆかりある三菱が旦那についているわけでもなさそうだ。
体力的には嵐山美術館と同等の金持ちでも厳しいだろう。嵐山美術館は結局は潰れて四散した。
その際には買った戦車は転売となる。
そして、それで利潤が生まれると厄介だ。「日本に里帰りさせるために寄付を乞う」と呼びかけ「体力的に手放さざるを得なくなった」と売り払う。それで利潤が生まれるとどうなるか? 「他人の寄付金で入手レストアした転売屋」となる。
1億円で買った戦車がなぜか1億5000万円となるとそう言われる。
もちろん日本のNPOのやることだ。利潤が発生しないことを証明するだろう。その呼びかけ、例えばマスコミが「九五式戦車売ります」みたいな記事を描くときには赤字決算書の在り処を明記してくれるように頼むだろう。そしてマスコミもそれを載せる。それをしなければテンバイヤーの片棒担ぎだからだ。
まあ、あとは在り処だよね。「里帰りしたはずの戦車がいつの間にか売却先が募集されていた。その上コンテナ詰めされて『補修のためにポーランドに』と行って戻ってこない。そこのイベントで展示されて日本国内にない」とかなると、やっぱり寄付の面目は立たないだろうね。
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■ 富豪が流出文物を買戻して博物館に寄付
アレ気なお金でも綺麗な使いかたはあるものだ。
「疑圆明园流失文物青铜虎鎣被拍卖 专家:只能回购」を読んでいたら、何鴻燊さんが混乱期の中国から奪われた文物を書い直すために600万香港ドルをポンと出したというエピソードがある。カジノ王にはそういった金の使いかたがあるということだ。
似た話はいくらもある。
中国は美術品を買い戻している。混乱期に欧米や日本に流出した美術品を大金持ちが買う。そして、それを私せず中国の博物館に寄付する。大金持ちの名声はいやがおうにも上がる。愛国者として称揚されるて気分はいいし、その事実は後年まで伝えられる。人民も観覧できる。ついでにいえば政府との関係も良くなる。いいことづくしだ。
■ 愛国募金「1口1万元、1000万元で清軍の大砲を買い戻そう」
そこで思うのだが、これを利用して詐欺をしようとする連中はいるのではないか。
愛国心と経済力が高まった中国ならば愛国募金詐欺もありえるからだ。
美術品はよくわからないが、ミリタリー関係ではこんな話をすると愛国人士は食いつくと思う
■ でもホントの価格は500万元、あとはキャッシュバックとかね
そういう詐欺だ。中国ならありそうな感じがしてならない。
もちろん露骨に怪訝な話だ。もともと値段が決まってない美術品をクラウド・ファンディングみたいな仕組みで買うのはオカシイからだ。
だが、愛国心の高まりに加え、経済力があがり小金持ちがめちゃくちゃに増えている。愛国者となれるとヨイショするとホントに寄付する金持ちもそうとういるだろう。
まあ、今のやり方が一番だということだ。価格不明瞭な品物は大金持ちが買って博物館に寄付する。それが一番自然でもある。
アレ気なお金でも綺麗な使いかたはあるものだ。
「疑圆明园流失文物青铜虎鎣被拍卖 专家:只能回购」を読んでいたら、何鴻燊さんが混乱期の中国から奪われた文物を書い直すために600万香港ドルをポンと出したというエピソードがある。カジノ王にはそういった金の使いかたがあるということだ。
似た話はいくらもある。
中国は美術品を買い戻している。混乱期に欧米や日本に流出した美術品を大金持ちが買う。そして、それを私せず中国の博物館に寄付する。大金持ちの名声はいやがおうにも上がる。愛国者として称揚されるて気分はいいし、その事実は後年まで伝えられる。人民も観覧できる。ついでにいえば政府との関係も良くなる。いいことづくしだ。
■ 愛国募金「1口1万元、1000万元で清軍の大砲を買い戻そう」
そこで思うのだが、これを利用して詐欺をしようとする連中はいるのではないか。
愛国心と経済力が高まった中国ならば愛国募金詐欺もありえるからだ。
美術品はよくわからないが、ミリタリー関係ではこんな話をすると愛国人士は食いつくと思う
1.アヘン戦争で鹵獲された清軍の大砲がある。寧波で英軍を一時撃退に成功した由緒ある大砲だ。だが南京条約で英租界にされたため、英国に持ち帰られ見世物にされている。
2.この大砲は中華民族の誇りである。西欧による蚕食のなか浙江人民が民族自立と尊厳のために戦った象徴だからだ。
3.これは本来は中国にあるべき貴重な民族遺産である。子どもたちに帝国主義と戦った先祖の成果を教えるため寧波の地に戻すべきである。
4.ついては愛国人士の募金を求める。英人はわがNPOに1000万元で譲り渡して良いという。クラウドファウンディングで一口1万元の寄付を乞う。心ある人民は参加されたい。
■ でもホントの価格は500万元、あとはキャッシュバックとかね
5.でも本当の交渉価格は500万元。残り500万元はキャッシュバック。英人側は手数料として3割150万元をとる。中国側は350万元を迂回して入手する。それを勧進元と協力者で分ける。
そういう詐欺だ。中国ならありそうな感じがしてならない。
もちろん露骨に怪訝な話だ。もともと値段が決まってない美術品をクラウド・ファンディングみたいな仕組みで買うのはオカシイからだ。
だが、愛国心の高まりに加え、経済力があがり小金持ちがめちゃくちゃに増えている。愛国者となれるとヨイショするとホントに寄付する金持ちもそうとういるだろう。
まあ、今のやり方が一番だということだ。価格不明瞭な品物は大金持ちが買って博物館に寄付する。それが一番自然でもある。
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マルクス生誕200年記念『マルクス・エンゲルス』はキチンと面白い映画でした。アレな芸術映画とかルポ映画とは異なるドラマづくりができています。
映画はかの森林窃盗のシーンから始まります。森林から折れた枝を集める貧民のシーン。彼らは活きた樹木の枝を折ろうとはしない。それはしてはならないと考えている。つつましやかな柴刈りです。だが、それは法的には意味はない。いずれもおなじ森林窃盗である。そこから始まります。
時代背景は資本家による搾取が最高潮に達した時代です。その中でマルクスとエンゲルスの主張、それまでにいたらなくとも農民や職人の保護を訴えたプルードンの主張に違和感はありません。
その点で八〇年九〇年代的な「マルクスは間違っていた」は誤りでしょう。これらは後の自由主義-市場経済万能感の中で経済成長に劣る社会主義陣営を揶揄する言い方です。でも当時の状況、人間が人間として扱われない。経営者はなんでもあり。労働法は存在しない。そんな「あゝ野麦峠」的な「人間の顔がない資本主義」においてはマルクス他の主張は自然です。その労働者保護、労の対等化の部分は、今ではどの政治的スタンスでも否定できません。
さらにいえばマルクス・レーニン主義批判との差異もある。マルクス主義はマルクス・レーニン主義は同じ思想であるかといったものです。経済観としての労働者重視、資本家批判であるマルクス主義と、一党独裁のレーニズムは本来別個でしょう。
いずれにせよ、当時の労働側運動でのヘゲモニーのとりあいの映画でした。博愛主義や後にマルクス主義者に「空想的社会主義」として扱われる人々と、マルクスの争いを描くものです。まあ、マルクス派による空想的社会主義って表現自体が小乗仏教なみのdisだなあと思いますけどね。
そして不穏なシーンです。マルクスがエンゲレスから送金もらった途端にロブスター買ってくるところとか、女中さんにやけに優しげなところとか、エンゲルスの奥さんが妹が彼の子供を生みたいといっているとか。何かを暗示しています。まーそいったところです。
あと、エンディングがこの種の映画としては型破り、マルクス以降の世界の変化を資本主義/社会主義陣営での事件、被抑圧民族解放の映像のフラッシュバックをライク・ア・ローリング・ストーンで流す。マルクス・エンゲルスの思想のそのとおりになったわけではないですが、彼らは世界を変えたわけです。
おまけは俳優オリヴィエ・グルメですね。既述のピエール・ジョゼフ・プルードン役をしたのですが同期のW、今海幕施設課に勤務している機関幹部と顔芸がそっくりでそれが気にかかりました。
参考までにいえば、岩波ホールにしては混んでいます。月曜日16時00分からの回ですが、15時30分にチケットを買ったときの入場番号が31でした。上映開始のときには100人程度も集まっています。平日昼間なのに「アリンコのような労働なんてクソだ」という古代ギリシアでのセミのタイプ自由市民が集ったようです。
--------------------------------------
上を書いて投稿したあとシャワー浴びながらふと思いついたのだけれども。
日本でのマルクス否定は経済的不効率と統制型の社会システム批判を理由とされる。
でも、マルクス主義はどっちかというと社会思想であって経済理論ではない、さらにそれを実現するための具体的システム設計を欠いている。現状批判としての「搾取するだけの資本家いらない」に過ぎない。
そして、後の経済理論化や中央統制システムはロシア革命以降のレーニズムによる。
つまり、マルクス自体は悪くないんじゃね?といえるのではないか。人間的にはあれっぽくてクズいと思うけど。
さらにいえば、マルクス主義と対比される資本主義や自由主義にしても別に矛盾しないではないか。ケインズも景気回復による労働者を含む国民生活救済と言った点でマルクスの問題意識や主張に重なる部分はある。ハイエクの自由主義とも国家による強制や抑圧への非難といった面では同じだ。
ある意味、社会思想史としては「マルクスからケインズへ」、「マルクスからハイエクへ」に発展した図式もできるのではないかと。
そして一番クソなのが、経済が一番拡大するからといったヘンテコ理解での新自由主義礼賛ではないかと。あれは個人の行動に政府は手を突っ込むなといったハイエク的な「社会かくあるべし」として評価すべきであって、「最も経済規模が拡大する方法だから新自由主義は正しい」(レーガン)といった80年的理解はいびつであるしそもそも正しいとは限らない。しかもイデアリズムとしての社会かくあるべしが全く抜けている点で唾棄すべきだとね。
もっとクソなのは、経済が一番拡大するからレッセフェールと言いながら、自分たちの仲間の利益のために年金の金を株相場に突っ込むとか、政府の力で宰相のオトモダチの学校に土地をあげるみたいな自己矛盾のアレね、「お爺ちゃんは少なくとも馬鹿と言われたことはないミクス」だと思うけどね
映画はかの森林窃盗のシーンから始まります。森林から折れた枝を集める貧民のシーン。彼らは活きた樹木の枝を折ろうとはしない。それはしてはならないと考えている。つつましやかな柴刈りです。だが、それは法的には意味はない。いずれもおなじ森林窃盗である。そこから始まります。
時代背景は資本家による搾取が最高潮に達した時代です。その中でマルクスとエンゲルスの主張、それまでにいたらなくとも農民や職人の保護を訴えたプルードンの主張に違和感はありません。
その点で八〇年九〇年代的な「マルクスは間違っていた」は誤りでしょう。これらは後の自由主義-市場経済万能感の中で経済成長に劣る社会主義陣営を揶揄する言い方です。でも当時の状況、人間が人間として扱われない。経営者はなんでもあり。労働法は存在しない。そんな「あゝ野麦峠」的な「人間の顔がない資本主義」においてはマルクス他の主張は自然です。その労働者保護、労の対等化の部分は、今ではどの政治的スタンスでも否定できません。
さらにいえばマルクス・レーニン主義批判との差異もある。マルクス主義はマルクス・レーニン主義は同じ思想であるかといったものです。経済観としての労働者重視、資本家批判であるマルクス主義と、一党独裁のレーニズムは本来別個でしょう。
いずれにせよ、当時の労働側運動でのヘゲモニーのとりあいの映画でした。博愛主義や後にマルクス主義者に「空想的社会主義」として扱われる人々と、マルクスの争いを描くものです。まあ、マルクス派による空想的社会主義って表現自体が小乗仏教なみのdisだなあと思いますけどね。
そして不穏なシーンです。マルクスがエンゲレスから送金もらった途端にロブスター買ってくるところとか、女中さんにやけに優しげなところとか、エンゲルスの奥さんが妹が彼の子供を生みたいといっているとか。何かを暗示しています。まーそいったところです。
あと、エンディングがこの種の映画としては型破り、マルクス以降の世界の変化を資本主義/社会主義陣営での事件、被抑圧民族解放の映像のフラッシュバックをライク・ア・ローリング・ストーンで流す。マルクス・エンゲルスの思想のそのとおりになったわけではないですが、彼らは世界を変えたわけです。
おまけは俳優オリヴィエ・グルメですね。既述のピエール・ジョゼフ・プルードン役をしたのですが同期のW、今海幕施設課に勤務している機関幹部と顔芸がそっくりでそれが気にかかりました。
参考までにいえば、岩波ホールにしては混んでいます。月曜日16時00分からの回ですが、15時30分にチケットを買ったときの入場番号が31でした。上映開始のときには100人程度も集まっています。平日昼間なのに「アリンコのような労働なんてクソだ」という古代ギリシアでのセミのタイプ自由市民が集ったようです。
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上を書いて投稿したあとシャワー浴びながらふと思いついたのだけれども。
日本でのマルクス否定は経済的不効率と統制型の社会システム批判を理由とされる。
でも、マルクス主義はどっちかというと社会思想であって経済理論ではない、さらにそれを実現するための具体的システム設計を欠いている。現状批判としての「搾取するだけの資本家いらない」に過ぎない。
そして、後の経済理論化や中央統制システムはロシア革命以降のレーニズムによる。
つまり、マルクス自体は悪くないんじゃね?といえるのではないか。人間的にはあれっぽくてクズいと思うけど。
さらにいえば、マルクス主義と対比される資本主義や自由主義にしても別に矛盾しないではないか。ケインズも景気回復による労働者を含む国民生活救済と言った点でマルクスの問題意識や主張に重なる部分はある。ハイエクの自由主義とも国家による強制や抑圧への非難といった面では同じだ。
ある意味、社会思想史としては「マルクスからケインズへ」、「マルクスからハイエクへ」に発展した図式もできるのではないかと。
そして一番クソなのが、経済が一番拡大するからといったヘンテコ理解での新自由主義礼賛ではないかと。あれは個人の行動に政府は手を突っ込むなといったハイエク的な「社会かくあるべし」として評価すべきであって、「最も経済規模が拡大する方法だから新自由主義は正しい」(レーガン)といった80年的理解はいびつであるしそもそも正しいとは限らない。しかもイデアリズムとしての社会かくあるべしが全く抜けている点で唾棄すべきだとね。
もっとクソなのは、経済が一番拡大するからレッセフェールと言いながら、自分たちの仲間の利益のために年金の金を株相場に突っ込むとか、政府の力で宰相のオトモダチの学校に土地をあげるみたいな自己矛盾のアレね、「お爺ちゃんは少なくとも馬鹿と言われたことはないミクス」だと思うけどね
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WEB記事の「新イージス艦名『よしの』なら中国への配慮必要」の件について反論があった。
「『よしの』は川だろ」という反論は来ると思っていた。ただDEの「よしの」は山の名前を使った軍艦吉野があってその名前を継承が先だ。「川から名付けた」は辻褄あわせにすぎない。
そもそもあの海自にとっては命名基準はどうとでもなるものだ。なによりも殊勲艦の艦名継承が先である。必要があればそれにあわせて命名基準を変える。
それについては前科4犯だ。
・初犯 「しらせ」は地名だと言い張った
・再犯 「こんごう」で突然「かぜ」をやめて「これからDDGは山岳名にしたから」と後出しじゃんけんをした
・三犯 「ひゅうが」で突然旧国名をつかって「これからDDHは旧国名ね」と後出しじゃん
・四犯 「そうりゅう」では、ついに言うに事欠いて「吉祥動物」とか言い出した
「よしの」にしたければ「前の『よしの』は川の名前、今度の『よしの』は山の名前」と真顔でいい抜ける。命名基準はその程度の制約でしかない。
■ 「『三笠』は三笠保存所の工作物」はねえ
だが「『三笠』は三笠保存所の工作物」(大砲屋)は驚いた。それを知らないのは「知識のアップデートができてないのではなかろうか?」(大砲屋)だという。以下は大砲屋さんによる「三笠は艦船ではない」といった反論である。
しかし、残念なことに「三笠保存所」と「三笠」本体は別口座である。
「三笠保存所」に三笠は含まれていない。ちなみに三笠公園とも違う。三笠の投影面積から幅5mくらいとった凸レンズ断面図みたいな土地。そして三笠が据え付けている部分は空白になっている。付随工作物はたしか電柱だった。
そして「『三笠』がデータベースに出てこない」とする大砲屋さんの論拠はご自身の主張の補強にならない。「上記[の国有財産]サイト 」(大砲屋)に三笠が載っていないことを証拠にしている。だが、そのサイトは他の自衛隊艦船を検索してもでてこない。つまり船舶は入っていない。目的がまずは普通財産を売り払うためのサイトだからそうなのだろう。
■ 工作物に落とすと観客が入れない
そもそも、大砲屋さんの主張どおりだと人が入れなくなる。不特定多数の観衆は絶対に入れられない。
これは工作物や建物に落としたらどうなるか? と考えればよい。
記念艦三笠は建築基準法と消防法を満たすだろうか?
その場合「三笠」は階段と採光と空調と内装と防火設備の規定をクリアできない。階段の傾斜、床面積あたりの窓・開口部確保で引っかかる。無窓とするには空調と内装制限と消防設備が必要だがそうすると記念艦ではなくなってしまう。
既存不適格を主張しても駄目だ。多人数が出入りする施設では危険性から基準法による使用禁止命令がでる。消防法は既存でも消防設備をつけろと命令される。
逆に言えば「三笠」は艦船だから助かっている。艦船扱いすることでそれらの規定を全部すっとばせるからだ。例えば三笠保存会の事務所は基準法の居室採光規定を絶対クリアできない部屋を事務室にできている。
Wikipediaの既述を参考にするのはよいが、それが鵜呑みすると間違えるということだ。
まー「さぁて何処から突っ込もうかしら…。」「知識のアップデート」とか言い出す軍事マニアの人って、だいたい○○○○で○○○の○○かつ○○○○○だよねー
「『よしの』は川だろ」という反論は来ると思っていた。ただDEの「よしの」は山の名前を使った軍艦吉野があってその名前を継承が先だ。「川から名付けた」は辻褄あわせにすぎない。
そもそもあの海自にとっては命名基準はどうとでもなるものだ。なによりも殊勲艦の艦名継承が先である。必要があればそれにあわせて命名基準を変える。
それについては前科4犯だ。
・初犯 「しらせ」は地名だと言い張った
・再犯 「こんごう」で突然「かぜ」をやめて「これからDDGは山岳名にしたから」と後出しじゃんけんをした
・三犯 「ひゅうが」で突然旧国名をつかって「これからDDHは旧国名ね」と後出しじゃん
・四犯 「そうりゅう」では、ついに言うに事欠いて「吉祥動物」とか言い出した
「よしの」にしたければ「前の『よしの』は川の名前、今度の『よしの』は山の名前」と真顔でいい抜ける。命名基準はその程度の制約でしかない。
■ 「『三笠』は三笠保存所の工作物」はねえ
だが「『三笠』は三笠保存所の工作物」(大砲屋)は驚いた。それを知らないのは「知識のアップデートができてないのではなかろうか?」(大砲屋)だという。以下は大砲屋さんによる「三笠は艦船ではない」といった反論である。
大砲屋@Tai_hou_ya
>なお[新イージス艦名に]「みかさ」はない。(中略)理由は現役だからだ。横須賀にある「三笠」は今でも防衛省の現役艦船である。国有財産台帳でも防衛省雑船「三笠」となっている。(以下注釈部)
>台帳は横須賀地方総監部施設課にある。2003年ころ筆者が勤務した際の財産名は「防衛庁雑船『三笠』」であり台帳価格は60万円
5:26 - 2018年5月3日
https://twitter.com/Tai_hou_ya/status/992017449422733312
大砲屋@Tai_hou_ya
Wikipediaの三笠の項によると
>防衛省が所有する行政財産であり、海上自衛隊横須賀地方総監部の施設「旧三笠艦保存所」として登録(中略)船舶の機能を喪失した非実用的施設であることから、自衛艦や防衛施設ではなく「敷地内の工作物」として扱われ、会計評価額は2円で土地は約2億5千万円である。
5:28 - 2018年5月3日
https://twitter.com/Tai_hou_ya/status/992018154959220736
大砲屋@Tai_hou_ya
http://www.kokuyuzaisan-info.mof.go.jp/kokuyu/
上記サイトにて国有財産を調べてみると「海上自衛隊横須賀地方総監部旧三笠艦保存所」なるものが。
土地247,688,694円 工作物2円となってるので、Wikipediaの項と符合する。
いつから工作物になったのかはわからないが、知識のアップデートができてないのではなかろうか?
5:37 - 2018年5月3日
https://twitter.com/Tai_hou_ya/status/992020401566826498
しかし、残念なことに「三笠保存所」と「三笠」本体は別口座である。
「三笠保存所」に三笠は含まれていない。ちなみに三笠公園とも違う。三笠の投影面積から幅5mくらいとった凸レンズ断面図みたいな土地。そして三笠が据え付けている部分は空白になっている。付随工作物はたしか電柱だった。
そして「『三笠』がデータベースに出てこない」とする大砲屋さんの論拠はご自身の主張の補強にならない。「上記[の国有財産]サイト 」(大砲屋)に三笠が載っていないことを証拠にしている。だが、そのサイトは他の自衛隊艦船を検索してもでてこない。つまり船舶は入っていない。目的がまずは普通財産を売り払うためのサイトだからそうなのだろう。
■ 工作物に落とすと観客が入れない
そもそも、大砲屋さんの主張どおりだと人が入れなくなる。不特定多数の観衆は絶対に入れられない。
これは工作物や建物に落としたらどうなるか? と考えればよい。
記念艦三笠は建築基準法と消防法を満たすだろうか?
その場合「三笠」は階段と採光と空調と内装と防火設備の規定をクリアできない。階段の傾斜、床面積あたりの窓・開口部確保で引っかかる。無窓とするには空調と内装制限と消防設備が必要だがそうすると記念艦ではなくなってしまう。
既存不適格を主張しても駄目だ。多人数が出入りする施設では危険性から基準法による使用禁止命令がでる。消防法は既存でも消防設備をつけろと命令される。
逆に言えば「三笠」は艦船だから助かっている。艦船扱いすることでそれらの規定を全部すっとばせるからだ。例えば三笠保存会の事務所は基準法の居室採光規定を絶対クリアできない部屋を事務室にできている。
Wikipediaの既述を参考にするのはよいが、それが鵜呑みすると間違えるということだ。
まー「さぁて何処から突っ込もうかしら…。」「知識のアップデート」とか言い出す軍事マニアの人って、だいたい○○○○で○○○の○○かつ○○○○○だよねー
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対北強硬論の半分くらいは拉致問題でできている。
もし、北が拉致被害者を返したら対北強硬論はどうなるのだろうね?
その場合は北を評価しなければならない。返せといっていた拉致被害者を返したのだ。何らかの譲歩も必要となるだろう。
だが、それはアレ宰相他の対北強硬論者には飲めない話だ。彼らにとって重要なのは対北強硬論をブツこと。それで政治的利益を得ることにある。拉致問題は対北強硬論をブツための、自分は愛国者であると装うための道具に過ぎない。
その際には拉致被害者の会も割れるだろう。本当に帰ってきて欲しいと考える肉親と、あの胡散臭いブルーリボンとやらを利用して政治的特典を稼ぎたいアレ右派の差は明瞭になる。
実際には「ブルーリボンでござい」の自称愛国者がほとんどだろうから難癖つけるのだろうけれども。例えば「まだ被害者の○○さんは残っているから対北強硬路線は変えない」となるのだろう。
■ 本当に拉致被害者は残っているのかね?
ただ、本当に拉致被害者が今の北朝鮮に居るかも半々だと思うけどね。道理からすれば小泉訪朝の際には返している。一番高く売れる時期だからだ。それがないとすれば居ないとも判断できる。
あるいはそれを承知しつつ「今こそ拉致被害解決を」といっているのかもしれない。居ないことを知っていれば安心してそれを言える。「返されたらどうするか」を考えないでブルーリボンで愛国者ヅラをし続けられるからだ。
ほんとに拉致問題を考えるなら関与しかない。今まで強硬論をブッても帰って来なかった。そして日本が与えられる圧力は既に限界である。つまり圧力で今以上の成果を挙げる見込みもない。そしてなにより関与には実績がある。帰ってきた小泉訪朝は関与政策の成果でもある。
まあ、将来の北朝鮮市場へのアクセスも考えるなら、対北強硬論は引っ込めた方がいいし、拉致問題解決も別手段を考えるべきなんだがね。本当に居ないのか、あるいは本当に亡くなったかを中国やロシア、モンゴルやベトナム、イランに確認・検証してもらう。そういったやり方が必要だろう。でもそれをやって拉致問題が終わるとブルーリボンの利用価値が下がる。それで困る連中は反対すると思うけどね。
もし、北が拉致被害者を返したら対北強硬論はどうなるのだろうね?
その場合は北を評価しなければならない。返せといっていた拉致被害者を返したのだ。何らかの譲歩も必要となるだろう。
だが、それはアレ宰相他の対北強硬論者には飲めない話だ。彼らにとって重要なのは対北強硬論をブツこと。それで政治的利益を得ることにある。拉致問題は対北強硬論をブツための、自分は愛国者であると装うための道具に過ぎない。
その際には拉致被害者の会も割れるだろう。本当に帰ってきて欲しいと考える肉親と、あの胡散臭いブルーリボンとやらを利用して政治的特典を稼ぎたいアレ右派の差は明瞭になる。
実際には「ブルーリボンでござい」の自称愛国者がほとんどだろうから難癖つけるのだろうけれども。例えば「まだ被害者の○○さんは残っているから対北強硬路線は変えない」となるのだろう。
■ 本当に拉致被害者は残っているのかね?
ただ、本当に拉致被害者が今の北朝鮮に居るかも半々だと思うけどね。道理からすれば小泉訪朝の際には返している。一番高く売れる時期だからだ。それがないとすれば居ないとも判断できる。
あるいはそれを承知しつつ「今こそ拉致被害解決を」といっているのかもしれない。居ないことを知っていれば安心してそれを言える。「返されたらどうするか」を考えないでブルーリボンで愛国者ヅラをし続けられるからだ。
ほんとに拉致問題を考えるなら関与しかない。今まで強硬論をブッても帰って来なかった。そして日本が与えられる圧力は既に限界である。つまり圧力で今以上の成果を挙げる見込みもない。そしてなにより関与には実績がある。帰ってきた小泉訪朝は関与政策の成果でもある。
まあ、将来の北朝鮮市場へのアクセスも考えるなら、対北強硬論は引っ込めた方がいいし、拉致問題解決も別手段を考えるべきなんだがね。本当に居ないのか、あるいは本当に亡くなったかを中国やロシア、モンゴルやベトナム、イランに確認・検証してもらう。そういったやり方が必要だろう。でもそれをやって拉致問題が終わるとブルーリボンの利用価値が下がる。それで困る連中は反対すると思うけどね。