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- » 2025 . 01
Category : 有職故実
東京国立博物館での常設展に、上野戦争で使用された砲弾が展示されている。 この砲弾は「彰義隊戦争遺物」として知られる不発弾である。小説『大砲松』(東郷隆)で、東博収蔵として紹介され、有名になった。
「砲弾」(東京国立博物館収蔵,台東区上野公園採集)整理番号F-16530
木に貼り付けられた由来(ただし、コンデジ撮影のため、よく読めない)には、明治41年に上野公園で発見されて収蔵されたとある。砲弾は、杉の大木、高さ7m程度に西南方向からめり込んだまま、明治の聖代を過ごしたことになる。
口径は、目測で70mmから90mm。(収蔵品カードを閲覧すれば書いてあるかもしれない) 砲弾肩部に鋲がある。これは、ライフリングに噛みあわせるために取り付けられた、前込式施線砲(MLR:マズル・ローデッド・ライフルと呼ぶ)に特有の特徴※である。東郷隆さんが小説中で説明しているとおり、弾頭部には信管らしきものはない。作動しなかった信管が砲弾内にめり込んだか、最初から信管をつけ忘れたか、いずれかだろう。
大山柏さんの『戊辰役戦史』によれば※※上野戦争で参加した砲兵で、西南方向から射撃できた砲隊は肥前、筑後、尾張、備前、津、佐土原。このうち、いずれかの御家中が発射したものだろう。ちなみに、臼砲を除き、参加した砲は肥前砲兵が装備したアームストロング砲、尾張のナポレオン施条山砲、備前砲兵の「メリケン」砲、佐土原の四斤半山砲である。
この砲弾は、図録や写真でしか見かけたことはない。ここ30年、年に1~3回は東博に脚を向けてきたが、現物を拝見は、まさに眼福であった。気になる向きは上野に行くべきである。
刀槍武具から外れた展示も面白いもの。他にも、東博には変った火器がある。例えば、幕末期までに作られた風銃(エアーライフル)は、東博に少なくとも3点※※※ある。だが、東博で展示された例は知らない。この手の展示が増えれば面白いのだが。
※ 鋲を使用せず、発射ガスで広がりライフリングに噛み合う弾筍を用いたMLRもある。
※※ 大山柏『補訂 戊辰役戦史』上巻(時事通信,1988)pp.354-358.
※※※ 収蔵品カードでは、少なくとも3丁ある。
「砲弾」(東京国立博物館収蔵,台東区上野公園採集)整理番号F-16530
木に貼り付けられた由来(ただし、コンデジ撮影のため、よく読めない)には、明治41年に上野公園で発見されて収蔵されたとある。砲弾は、杉の大木、高さ7m程度に西南方向からめり込んだまま、明治の聖代を過ごしたことになる。
口径は、目測で70mmから90mm。(収蔵品カードを閲覧すれば書いてあるかもしれない) 砲弾肩部に鋲がある。これは、ライフリングに噛みあわせるために取り付けられた、前込式施線砲(MLR:マズル・ローデッド・ライフルと呼ぶ)に特有の特徴※である。東郷隆さんが小説中で説明しているとおり、弾頭部には信管らしきものはない。作動しなかった信管が砲弾内にめり込んだか、最初から信管をつけ忘れたか、いずれかだろう。
大山柏さんの『戊辰役戦史』によれば※※上野戦争で参加した砲兵で、西南方向から射撃できた砲隊は肥前、筑後、尾張、備前、津、佐土原。このうち、いずれかの御家中が発射したものだろう。ちなみに、臼砲を除き、参加した砲は肥前砲兵が装備したアームストロング砲、尾張のナポレオン施条山砲、備前砲兵の「メリケン」砲、佐土原の四斤半山砲である。
この砲弾は、図録や写真でしか見かけたことはない。ここ30年、年に1~3回は東博に脚を向けてきたが、現物を拝見は、まさに眼福であった。気になる向きは上野に行くべきである。
刀槍武具から外れた展示も面白いもの。他にも、東博には変った火器がある。例えば、幕末期までに作られた風銃(エアーライフル)は、東博に少なくとも3点※※※ある。だが、東博で展示された例は知らない。この手の展示が増えれば面白いのだが。
※ 鋲を使用せず、発射ガスで広がりライフリングに噛み合う弾筍を用いたMLRもある。
※※ 大山柏『補訂 戊辰役戦史』上巻(時事通信,1988)pp.354-358.
※※※ 収蔵品カードでは、少なくとも3丁ある。
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