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Category : 未分類
午前3時半にゴミ捨てに行ってきたのだがすでに薄明となっている。その中でも東の方に明るい星が2つあり、よく見ると高い方の下に別の暗い星がある。両者の差は乱視で二重に見える程度の距離でしかない。
「明るい方は金星と火星、高度が高いほうが太陽から遠い火星だろう」と思ったのだがねえ。暗い星が木星か土星かは判断できない。
家でググると天文台の「今日のほしぞら」に行き当たった。みると木星とのこと。https://eco.mtk.nao.ac.jp/cgi-bin/koyomi/skymap.cgi
画像は今日の星空、さいたま、2022年5月30日0300
別の『アストロアーツ』では「2022年5月下旬 火星と木星が大接近」の記事があり視野角で1度以内とのことだ。 https://www.astroarts.co.jp/article/hl/a/12318_ph220530
で、落ち着いて考えると推測した「明るい方は金星と火星、高度が高いほうが太陽から遠い火星だろう」は正しくないことにも気づいたよ。金星が見かけ上、最も太陽から離れた位置にあるとき、その奥のほうで火星が太陽に見かけ上接近する場合もあるだろう。その際は火星は太陽と金星の間に入り込む形となるからだ。
あと、この記事を書いたあとの3字55分くらいに外を見ると明るくてモウ見えない。夏至が近いのと関東は標準時刻の135度から5度、時間では20分間ほど東にあるからねえ。
「明るい方は金星と火星、高度が高いほうが太陽から遠い火星だろう」と思ったのだがねえ。暗い星が木星か土星かは判断できない。
家でググると天文台の「今日のほしぞら」に行き当たった。みると木星とのこと。https://eco.mtk.nao.ac.jp/cgi-bin/koyomi/skymap.cgi
画像は今日の星空、さいたま、2022年5月30日0300
別の『アストロアーツ』では「2022年5月下旬 火星と木星が大接近」の記事があり視野角で1度以内とのことだ。 https://www.astroarts.co.jp/article/hl/a/12318_ph220530
で、落ち着いて考えると推測した「明るい方は金星と火星、高度が高いほうが太陽から遠い火星だろう」は正しくないことにも気づいたよ。金星が見かけ上、最も太陽から離れた位置にあるとき、その奥のほうで火星が太陽に見かけ上接近する場合もあるだろう。その際は火星は太陽と金星の間に入り込む形となるからだ。
あと、この記事を書いたあとの3字55分くらいに外を見ると明るくてモウ見えない。夏至が近いのと関東は標準時刻の135度から5度、時間では20分間ほど東にあるからねえ。
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写真を出した上での「C-2の共食い整備」云々の話が出ている。Attention_on_deck @attention_on さんが紹介していたのだが、美保基地の基地開放で部品を外したC-2があったといったものだ。
大本はコレのことね。
ただ、写真そのものは共食いとも見えない。外した部材は時間で交換するような部材でも部品でもない。今の段階で生じる部品不足ではないようにもみえるからだ。
単に整備中の機体を撮影しただけではないか。C段階整備か特例検査で機体の一部をバラしていた。でも整備や点検のスケジュールと基地開放がかち合った。一番でかいC-2用の整備格納庫で行事や展示をやりたい。だから一時的に外においた。そのような形ではないかとね。
まあ、さすがに今の段階で機体側の共食いはないとはおもうのよ。電子や電気、エンジン周りならわかる。P-1もそこらへんで面倒になっているとは聞く。でも航空機体整備の範疇の部材なんて今の段階で壊れることはないし、壊れてもC-2は生産中なので入手に困ることもない。
書いたあとでオリジナルを見直したのだけど、コメントとして大体同じ判断をしているねえ。今の段階の共食い整備にしてはとりはずし部材として妥当ではない。単に整備中の機体を整備格から外に出しただけという判断をみなさんが開陳していたよ。
大本はコレのことね。
ただ、写真そのものは共食いとも見えない。外した部材は時間で交換するような部材でも部品でもない。今の段階で生じる部品不足ではないようにもみえるからだ。
単に整備中の機体を撮影しただけではないか。C段階整備か特例検査で機体の一部をバラしていた。でも整備や点検のスケジュールと基地開放がかち合った。一番でかいC-2用の整備格納庫で行事や展示をやりたい。だから一時的に外においた。そのような形ではないかとね。
まあ、さすがに今の段階で機体側の共食いはないとはおもうのよ。電子や電気、エンジン周りならわかる。P-1もそこらへんで面倒になっているとは聞く。でも航空機体整備の範疇の部材なんて今の段階で壊れることはないし、壊れてもC-2は生産中なので入手に困ることもない。
書いたあとでオリジナルを見直したのだけど、コメントとして大体同じ判断をしているねえ。今の段階の共食い整備にしてはとりはずし部材として妥当ではない。単に整備中の機体を整備格から外に出しただけという判断をみなさんが開陳していたよ。
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中国雑誌で「扶桑の太空雄心」のタイトルを発見。正確にいえば「扶桑の太空雄心-日本航天事業発展回顧与展望」である。まずは「日本的太空雄心」をかっこよくしたつもりなんだろう。でも日本語話者からすればどうもね。
まず日本の置き換えで扶桑を選ぶところでチョットズレている。太空を宇宙にしなかったのは中国語話者が古典的意味と混同しないようにするためだろう。雄心は野望や野心だとネガティブなイメージが入るのでさけたようにみえる。でも扶桑はやっぱりねえ。敷島とか瑞穂もあわないから日之本あたりかね。
■ まあドイツ軍ものの戯作に較べればね
なお、中身はヘンテコではない。まともな記事である。
そのあたりからすると日本のドイツ軍ものの戯作とは異なる。全然調べないので格変化がデタラメ、明らかな音写の誤りがよく出てくるアレとは比べ物にならない。
ドイツ人が日本軍ものと作ったとするなら全部語尾がアリマスなんじゃないの。指揮官が「実施せよデアリマス」やら海軍や警官までそんなアリマス語を使う。ほかにも敬語やら丁寧語とか雅言と俗言がデタラメでまじっているようなものだろう。
あとは珍名頻出ね。戯作では貴族階級に引っ張られた支配者系の名前が多用される。一般の名字とはズレている。そのなかにはプロイセンが少なくないのでさらにズレる。古プロイセンを征服したドイツ人支配者は現地の地名を名字にするからだ。
同じようにドイツ人が日本軍モノの戯作を作ったとして、出てくる名字のことごとくが比嘉、具志堅、金城、赤嶺で、NAKASONEが出てくるけど「多分、これは仲宗根のほう」みたいなイメージになると思う。沖縄戦ならともかく大本営やら連合艦隊がみんなそれは不自然さが目立つものだよ。
まあ、較べるのは失礼なものだ。「扶桑の太空雄心」を見たときには「ドイツ軍戯作のアレ」とは思ったのだが、志の水準はぜんぜん違う。きちんと調べて書いた記事と格変化すら確認しないアレは全く別物だからだ。
* 蒿旭「扶桑の太空雄心-日本航天事業発展回顧与展望(上)」『航空世界』(2016年3期)pp.26-35.
* 蒿旭「扶桑の太空雄心-日本航天事業発展回顧与展望(下)」『航空世界』(2016年4期)pp.26-33.
まず日本の置き換えで扶桑を選ぶところでチョットズレている。太空を宇宙にしなかったのは中国語話者が古典的意味と混同しないようにするためだろう。雄心は野望や野心だとネガティブなイメージが入るのでさけたようにみえる。でも扶桑はやっぱりねえ。敷島とか瑞穂もあわないから日之本あたりかね。
■ まあドイツ軍ものの戯作に較べればね
なお、中身はヘンテコではない。まともな記事である。
そのあたりからすると日本のドイツ軍ものの戯作とは異なる。全然調べないので格変化がデタラメ、明らかな音写の誤りがよく出てくるアレとは比べ物にならない。
ドイツ人が日本軍ものと作ったとするなら全部語尾がアリマスなんじゃないの。指揮官が「実施せよデアリマス」やら海軍や警官までそんなアリマス語を使う。ほかにも敬語やら丁寧語とか雅言と俗言がデタラメでまじっているようなものだろう。
あとは珍名頻出ね。戯作では貴族階級に引っ張られた支配者系の名前が多用される。一般の名字とはズレている。そのなかにはプロイセンが少なくないのでさらにズレる。古プロイセンを征服したドイツ人支配者は現地の地名を名字にするからだ。
同じようにドイツ人が日本軍モノの戯作を作ったとして、出てくる名字のことごとくが比嘉、具志堅、金城、赤嶺で、NAKASONEが出てくるけど「多分、これは仲宗根のほう」みたいなイメージになると思う。沖縄戦ならともかく大本営やら連合艦隊がみんなそれは不自然さが目立つものだよ。
まあ、較べるのは失礼なものだ。「扶桑の太空雄心」を見たときには「ドイツ軍戯作のアレ」とは思ったのだが、志の水準はぜんぜん違う。きちんと調べて書いた記事と格変化すら確認しないアレは全く別物だからだ。
* 蒿旭「扶桑の太空雄心-日本航天事業発展回顧与展望(上)」『航空世界』(2016年3期)pp.26-35.
* 蒿旭「扶桑の太空雄心-日本航天事業発展回顧与展望(下)」『航空世界』(2016年4期)pp.26-33.
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昨年の日米共同演習についてのコメントが東奥日報に載りました。2022年5月8日朝刊「『不屈の龍』なぜ八戸へ」(1・3・10・11面)です。新聞は先々週に届いて読んでいたのですが仕事が詰まっていて写真取ったりする力が出なくて遅れました。
「不屈の龍」(この名前もダサいね)は何箇所かでやっている実演習を日米が別々の場所から指揮統制しているのがスゲーという中国報道がありました。あとはEABOについてもチョイと米海兵隊のMarine Corps Gazetteのやや古いのからひっくり返して調べたものです。
どーでもいいけど、「『マリンコー・ガゼット』と読め」と言い出すのも変なもんです。慣用的な読み方となるだろうマリン・コープスでいいのではないかなあと。Pは発音しないとかいってもクーデターみたいに常用日本語化していないしフライコールみたいに歴史用語としても使わないし。だいたい英語表記で連音させるのもヘンなんだがミリオタ連はそういうことばっかこだわるなあと
「不屈の龍」(この名前もダサいね)は何箇所かでやっている実演習を日米が別々の場所から指揮統制しているのがスゲーという中国報道がありました。あとはEABOについてもチョイと米海兵隊のMarine Corps Gazetteのやや古いのからひっくり返して調べたものです。
どーでもいいけど、「『マリンコー・ガゼット』と読め」と言い出すのも変なもんです。慣用的な読み方となるだろうマリン・コープスでいいのではないかなあと。Pは発音しないとかいってもクーデターみたいに常用日本語化していないしフライコールみたいに歴史用語としても使わないし。だいたい英語表記で連音させるのもヘンなんだがミリオタ連はそういうことばっかこだわるなあと
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公安調査庁が作家連に媚を売っているのだけれども。
公調は存在意義は疑われている役所である。昔からそう考えられていた上、オウム指定でまずは無駄飯ぐらいであることが明らかになった。最近も中国での素人ぺえ情報活動ほかで赤ケットさらしている。
そしていつお取り潰しになるかわからない。その危機感も募っているのだろう。いるのかどうか知らないが「岡っ引きになりたい」希望で採用されて「やった治安組織だ情報組織に入れたワーイ」みたいな子は半年たたずに「シマッタ」と後悔するのではないかね。
まずは常に存在危機事態だから「宣伝にコレ務めよう」としているわけだ。
■ 公調に取材価値があるのかね
そして、それをさも機会である、重要組織の内幕がわかるかのように扱っている連中もどんなものかね。
所詮は公安調査庁である。市民団体や左派も能力は評価する公安警察ではない。右派左派問わずボンクラ扱いされている。
そのあたりをご存知ない旨を公表しているようにしか見えないものだよ。
しかも「公調」ではなく「公安」と言い出すあたりがゴロゴロしているわけだ。さらになんにもこ存じないのだろうなと。
■ モノホンは広報なんかするわけないよね
まあ、モノホンなら広報なんかしないものだよ。もともと表に出て良い商売ではない。本当に国家や組織に役立っているのなら別段その存在価値をアピールする必要はない。
あとは身内にも仕事を隠す。どこぞの警備課に行ったときは「こんなところで事務仕事しているのね」と思ったよ。
そして役人にすらブッキラ棒である。本当に仕事しているなら必要最低限のことしか教えない。自衛隊の潜水艦職域と同じだと思ったよ。
■ オマケ
あとは公調の話に「ガンバレ」と応援しているネトウヨ連もナンだなと。
公安と区別がつく頭ではないことは承知している。知性は低いのでしょうがない。
ただねえ、公調にせよモノホンの公安にせよネトウヨ層は「左翼だけを取り締まる」と信じ込んでいる頭があるのが能天気であるなと。
実際は自分たちの周辺も監視対象なのにね。太平洋戦争の開戦初日に外事警察がとっ捕まえたのは日独友好協会の会長だし特高の記録見ると国難主張系の宗教団体と右派団体を相当警戒している。無知ゆえにご存知ないのだろう。
公安調査庁@MOJ_PSIA
最近は創作の世界でも公安調査庁を題材としていただく機会が増え、驚きつつも興味深く拝見しています。
御取材等の御相談がございましたら、まずは広報室まで御連絡ください。
https://twitter.com/MOJ_PSIA/status/1524982977834258432
公調は存在意義は疑われている役所である。昔からそう考えられていた上、オウム指定でまずは無駄飯ぐらいであることが明らかになった。最近も中国での素人ぺえ情報活動ほかで赤ケットさらしている。
そしていつお取り潰しになるかわからない。その危機感も募っているのだろう。いるのかどうか知らないが「岡っ引きになりたい」希望で採用されて「やった治安組織だ情報組織に入れたワーイ」みたいな子は半年たたずに「シマッタ」と後悔するのではないかね。
まずは常に存在危機事態だから「宣伝にコレ務めよう」としているわけだ。
■ 公調に取材価値があるのかね
そして、それをさも機会である、重要組織の内幕がわかるかのように扱っている連中もどんなものかね。
所詮は公安調査庁である。市民団体や左派も能力は評価する公安警察ではない。右派左派問わずボンクラ扱いされている。
そのあたりをご存知ない旨を公表しているようにしか見えないものだよ。
しかも「公調」ではなく「公安」と言い出すあたりがゴロゴロしているわけだ。さらになんにもこ存じないのだろうなと。
■ モノホンは広報なんかするわけないよね
まあ、モノホンなら広報なんかしないものだよ。もともと表に出て良い商売ではない。本当に国家や組織に役立っているのなら別段その存在価値をアピールする必要はない。
あとは身内にも仕事を隠す。どこぞの警備課に行ったときは「こんなところで事務仕事しているのね」と思ったよ。
そして役人にすらブッキラ棒である。本当に仕事しているなら必要最低限のことしか教えない。自衛隊の潜水艦職域と同じだと思ったよ。
■ オマケ
あとは公調の話に「ガンバレ」と応援しているネトウヨ連もナンだなと。
公安と区別がつく頭ではないことは承知している。知性は低いのでしょうがない。
ただねえ、公調にせよモノホンの公安にせよネトウヨ層は「左翼だけを取り締まる」と信じ込んでいる頭があるのが能天気であるなと。
実際は自分たちの周辺も監視対象なのにね。太平洋戦争の開戦初日に外事警察がとっ捕まえたのは日独友好協会の会長だし特高の記録見ると国難主張系の宗教団体と右派団体を相当警戒している。無知ゆえにご存知ないのだろう。
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「一般人が牧場の近くの道路に入ってくるな」の主張がしばしばなされる。まずは牛馬に危険な病原体云々を言い立てる内容だ。
その一変形としてマナー云々を理由としたものを見つけた。
■ 道路の自由利用を咎め立てするのか
ただ、そこには違和感がある。一言でいうなら「何様のつもりだ」だ。
まず道路は誰も自由に通行できる。徒歩でも車でも差し支えはない。止まることもできる。停止禁止は交通に支障が出る場合にだけ掛けられる措置だ。
そこから馬を見るのも自由だ。観光地で景勝を見るのと変わるものではない。咎め立てできる悪事でもない。
それに対して業界限りの、しかも地方のマナー(本当にあるのか)で文句を言っている。「馬産地でのマナーを守ってください。」はそれだ。自由な道路利用は自然法に基づく自由である。マナーをもって自由利用に文句をつけているのである。
■ 嫌なら囲障で二重に囲うか塀でも立てろ
また私有地内を眺めることを咎め立てする主張も続けている。
「近隣の牧場のような生産牧場には、明け1歳や親子馬などが放牧されています。ウチの近くまで来た帰りに近隣の牧場さんに車を停めて馬を見ていかれても困ります。」に関連して次のように続けている。
まずは「塀越し」ではない。牧場のたぐいは柵で囲障されているが塀で隠してはいない。隠す気もない柵での囲障から見たことを塀の隙間から窃視したかのように言い立てるのはおかしい。
付け加えるなら見られて公然視野に入る野外には置かないことだ。「明け1歳や親子馬」を飼うのは勝手である。だが、見られると生育に支障があるなら塀を立ててその内側で育てろとしか言いようがない。
■ 牛馬ごときと人間の自由な権利とどちらが大事か
筆者は「明け1歳や親子馬」が何者であるか、どの程度の価値を持つかは知らない。
ただ、所詮は牛馬である。畜生である。
その畜生ごときと人間の自由な権利のどちらが大事であるか。
人間は生まれながらにして自由である。自由に移動する権利をもつ。道路はそのための地目であり施設であり公道私道を問わずに当然ながら誰であっても自由に利用できる。その点で私有地に設定された通行権とは異なる。
「馬産地のマナー」とやらにはその観点がない。そして、牧場業や馬産地の都合により人間のもつ自由に移動する権利や道路の自由利用を咎め立てしている。その点で何様のつもりかと業腹となるのである。
■ 付和雷同連もね
さらにはそれに付和雷同する連中も同然の感情を抱くものだ。
「明1歳や親子馬」や牧場と馬主の飯の種が何者だろうか。たかが商用の家畜である。その保護、実際には必要な保護をを遥かに超える過剰な配慮のために人間の持つ自由に移動する権利、道路を自由に利用する権利は損なわれるべきではない。「ちょっと考え」る必要はない。
そもそも、農家の畑を荒らす行為とは遠い。道路から眺めている点で私有地に入り込んでいるわけではない。つけくわえれば囲障の外なら私有地に入り込んでも咎め立てはない。出て行けと言われて道路まで後退すればいい話だ。さらに馬を眺めたところで牧場は荒らされない。仮に見られて弱るような馬であるなら道路から見える範囲に置くことが過ちである。
人間の権利と馬とどちらが大事であるか。それが転倒している。馬のためなら、競走馬のためなら人間の権利に文句をいってもよい。その立場もまた慄然の感情を催すものである。
その一変形としてマナー云々を理由としたものを見つけた。
Northern Lake@NLstaff
どうか皆様、馬産地でのマナーを守ってください。先程も近隣の生産牧場さんの前の道に車が停まり、放牧地の馬が走り回っていました。双眼鏡をのぞくと、どうやら車を降りて馬を見ているようでした。注意しに行こうとしたら、気がついた近隣の牧場さんが出てきて、その人は去っていきました。つづく
https://twitter.com/NLstaff/status/1522076726561361920
Northern Lake@NLstaff
その直前にもウチの門のあたりに別の車が少しの間、停まって走り去りました。(ここ数日、見慣れない車をちらほら見かけるのですが、山菜採りに近くを通る方も結構いるので、なかなか区別が難しいです)(つづく)
https://twitter.com/NLstaff/status/1522076726561361920
Northern Lake@NLstaff
見学できないならせめてノーザンレイクの近くまで行ってみようと思われる方もいらっしゃるかと思いますが、ノーザンレイク近辺は道幅が狭く、車が行き交えない場所もあり、停車されると他の方にも迷惑がかかります。どうか近くまで来るのも、お控えいただけると幸いです。(つづく)
https://twitter.com/NLstaff/status/1522081300605128705
Northern Lake@NLstaff
近隣の牧場のような生産牧場には、明け1歳や親子馬などが放牧されています。ウチの近くまで来た帰りに近隣の牧場さんに車を停めて馬を見ていかれても困ります。一般見学の開始時期を検討中ですが、近隣の牧場さんに迷惑をかけられないので慎重になっています。どうかよろしくお願いいたします。
https://twitter.com/NLstaff/status/1522081300605128705
■ 道路の自由利用を咎め立てするのか
ただ、そこには違和感がある。一言でいうなら「何様のつもりだ」だ。
まず道路は誰も自由に通行できる。徒歩でも車でも差し支えはない。止まることもできる。停止禁止は交通に支障が出る場合にだけ掛けられる措置だ。
そこから馬を見るのも自由だ。観光地で景勝を見るのと変わるものではない。咎め立てできる悪事でもない。
それに対して業界限りの、しかも地方のマナー(本当にあるのか)で文句を言っている。「馬産地でのマナーを守ってください。」はそれだ。自由な道路利用は自然法に基づく自由である。マナーをもって自由利用に文句をつけているのである。
■ 嫌なら囲障で二重に囲うか塀でも立てろ
また私有地内を眺めることを咎め立てする主張も続けている。
「近隣の牧場のような生産牧場には、明け1歳や親子馬などが放牧されています。ウチの近くまで来た帰りに近隣の牧場さんに車を停めて馬を見ていかれても困ります。」に関連して次のように続けている。
Northern Lake@NLstaff
スミマセン。時間がなくて詳しく書けません。いずれ時間のある時にでも。ただ言えることは、牧場は私有地です。もし知らない人が塀越しにでも自宅を覗いていたら、ちょっと怖いしイヤですよね。それと同じかと思います。
https://twitter.com/NLstaff/status/1522397580319068162
まずは「塀越し」ではない。牧場のたぐいは柵で囲障されているが塀で隠してはいない。隠す気もない柵での囲障から見たことを塀の隙間から窃視したかのように言い立てるのはおかしい。
付け加えるなら見られて公然視野に入る野外には置かないことだ。「明け1歳や親子馬」を飼うのは勝手である。だが、見られると生育に支障があるなら塀を立ててその内側で育てろとしか言いようがない。
■ 牛馬ごときと人間の自由な権利とどちらが大事か
筆者は「明け1歳や親子馬」が何者であるか、どの程度の価値を持つかは知らない。
ただ、所詮は牛馬である。畜生である。
その畜生ごときと人間の自由な権利のどちらが大事であるか。
人間は生まれながらにして自由である。自由に移動する権利をもつ。道路はそのための地目であり施設であり公道私道を問わずに当然ながら誰であっても自由に利用できる。その点で私有地に設定された通行権とは異なる。
「馬産地のマナー」とやらにはその観点がない。そして、牧場業や馬産地の都合により人間のもつ自由に移動する権利や道路の自由利用を咎め立てしている。その点で何様のつもりかと業腹となるのである。
■ 付和雷同連もね
さらにはそれに付和雷同する連中も同然の感情を抱くものだ。
まことのと@こんなアイコンだけどエヴァも好き。@MakotonoT
返信先:@NLstaffさん
明1歳や親子馬。わかるかな?これは牧場と馬主さんの財産なんだよ。これで牧場の人達はご飯食べてるんだよ。
農家の畑を荒らすのと一緒。損失額は桁違いの可能性もあるけど。ちょっと考えて。
https://twitter.com/MakotonoT/status/1522151999680094208
「明1歳や親子馬」や牧場と馬主の飯の種が何者だろうか。たかが商用の家畜である。その保護、実際には必要な保護をを遥かに超える過剰な配慮のために人間の持つ自由に移動する権利、道路を自由に利用する権利は損なわれるべきではない。「ちょっと考え」る必要はない。
そもそも、農家の畑を荒らす行為とは遠い。道路から眺めている点で私有地に入り込んでいるわけではない。つけくわえれば囲障の外なら私有地に入り込んでも咎め立てはない。出て行けと言われて道路まで後退すればいい話だ。さらに馬を眺めたところで牧場は荒らされない。仮に見られて弱るような馬であるなら道路から見える範囲に置くことが過ちである。
人間の権利と馬とどちらが大事であるか。それが転倒している。馬のためなら、競走馬のためなら人間の権利に文句をいってもよい。その立場もまた慄然の感情を催すものである。
Category : 未分類
中文雑誌を読んでいて見つけた。(*1)
解放軍は贅沢にも真空断熱水筒を支給している。寒冷地の国境警備部隊用だが19式水壺としてチタン真空断熱の水筒、空挺部隊系由来の飯盒、皿、フォークほか付の多用途水筒を個人支給している。
そのほか部隊も比較的高級な水筒を支給している。現用汎用品の10式水壺もアルミ梨地加工かつ繊維系塗膜をつけた高級品である。
日本は個人装備でも負けてるんじゃないかな。自衛隊は30年前から当時の米軍が採用していたALICE系っぺえ樹脂ブロー加工の1クォート水筒を使っている。(*2) 別段に悪いものではないし高くもないので使い捨て式にできるからそれはそれで便利なのだろう。ただ、セレベスト的な贅沢で負けている。ラグジュアリーじゃないなあと。まあ、実際は私物のキャメルバックみたいなやつがメインだろうし極寒地は私物か物品の真空水筒つかっているのだろうけど。
ちなみに中国水筒の起源は日本の九七式である。それを50式以降、55式、65式、65式傘兵、78式三用、87式リデザインして八〇年代までアルミ素材もデザインも背嚢装着といった使い方もはほぼそのままに使っていたとのこと。
水筒の日式好みは解放軍成立以前から始まる。共産党系の東北人民自治軍、のちの東北民主連軍は国府軍系よりも日軍捕獲品を選んでいた。ソ連援助があっても水筒は頑なに背嚢装着の日軍式とした。ベルトを通して腰に下げるソ連軍方式は採用しなかった。
なお、新中国は1955年には早くもプラスチック化を試みている。試作55式を作ったが当時のプラスチックなので「味がついて困る」「熱湯入れると変形する」といった苦情が頻発した。だから従来のアルミ素材に戻した55式を制式にしたとのこと。
*1 劉欣「人民军队的水壶沿革(上)」『轻兵器』2022年1月号(中国兵器工業第二〇八研究所)pp.26-32.
劉欣「人民军队的水壶沿革(下)」『轻兵器』2022年2月号(中国兵器工業第二〇八研究所)pp.36-43.
*2 海自の水筒は部隊単位で勝手に購入したモノだったと思う。候補生学校のときの陸戦用は制式品という感じではなかった。また海自の戦闘服装にも水筒はなかったので建前は「必要なら借りろ、幹部は自分で買え」だったのではないか。*3
*3 まあ筆者は土方部隊だったもので野外作業では9リットルの魔法瓶複数に冷え冷えの麦茶か熱々のお茶を詰めて持っていく。別に夏には氷詰めたクーラーボックスにペットボトルやさらにアイスまで入れて持っていく。そして現地では准尉さんや先任と一緒に出された麦茶を飲むのが仕事みたいなものだった。前世紀にはクーラーボックスからアルミ缶に入った発泡麦茶を出されて断るのが大変だったし、逆にショーユ薄めて作ったニセアイスコーヒーとかを飲まされて困ったことがあった。
解放軍は贅沢にも真空断熱水筒を支給している。寒冷地の国境警備部隊用だが19式水壺としてチタン真空断熱の水筒、空挺部隊系由来の飯盒、皿、フォークほか付の多用途水筒を個人支給している。
そのほか部隊も比較的高級な水筒を支給している。現用汎用品の10式水壺もアルミ梨地加工かつ繊維系塗膜をつけた高級品である。
日本は個人装備でも負けてるんじゃないかな。自衛隊は30年前から当時の米軍が採用していたALICE系っぺえ樹脂ブロー加工の1クォート水筒を使っている。(*2) 別段に悪いものではないし高くもないので使い捨て式にできるからそれはそれで便利なのだろう。ただ、セレベスト的な贅沢で負けている。ラグジュアリーじゃないなあと。まあ、実際は私物のキャメルバックみたいなやつがメインだろうし極寒地は私物か物品の真空水筒つかっているのだろうけど。
ちなみに中国水筒の起源は日本の九七式である。それを50式以降、55式、65式、65式傘兵、78式三用、87式リデザインして八〇年代までアルミ素材もデザインも背嚢装着といった使い方もはほぼそのままに使っていたとのこと。
水筒の日式好みは解放軍成立以前から始まる。共産党系の東北人民自治軍、のちの東北民主連軍は国府軍系よりも日軍捕獲品を選んでいた。ソ連援助があっても水筒は頑なに背嚢装着の日軍式とした。ベルトを通して腰に下げるソ連軍方式は採用しなかった。
なお、新中国は1955年には早くもプラスチック化を試みている。試作55式を作ったが当時のプラスチックなので「味がついて困る」「熱湯入れると変形する」といった苦情が頻発した。だから従来のアルミ素材に戻した55式を制式にしたとのこと。
*1 劉欣「人民军队的水壶沿革(上)」『轻兵器』2022年1月号(中国兵器工業第二〇八研究所)pp.26-32.
劉欣「人民军队的水壶沿革(下)」『轻兵器』2022年2月号(中国兵器工業第二〇八研究所)pp.36-43.
*2 海自の水筒は部隊単位で勝手に購入したモノだったと思う。候補生学校のときの陸戦用は制式品という感じではなかった。また海自の戦闘服装にも水筒はなかったので建前は「必要なら借りろ、幹部は自分で買え」だったのではないか。*3
*3 まあ筆者は土方部隊だったもので野外作業では9リットルの魔法瓶複数に冷え冷えの麦茶か熱々のお茶を詰めて持っていく。別に夏には氷詰めたクーラーボックスにペットボトルやさらにアイスまで入れて持っていく。そして現地では准尉さんや先任と一緒に出された麦茶を飲むのが仕事みたいなものだった。前世紀にはクーラーボックスからアルミ缶に入った発泡麦茶を出されて断るのが大変だったし、逆にショーユ薄めて作ったニセアイスコーヒーとかを飲まされて困ったことがあった。