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Category : 未分類
国会図書館で雑誌が大量に盗まれているといった話が出ている。
「 『「ロードス島戦記」研究のため国会図書館に行っても、コンプティークがまとめて盗まれており不可能』~サブカル雑誌こそ被害が多い?/「だから電子の方がいい」ほかでもだけど」https://togetter.com/li/1765990がそれ。
■ 納本抜けじゃないの
でもコレ、単に一定時期に納本していないだけじゃないのかね。
そちらのほうがありうる事態だからだ。冊子体ごと抜けがあるとすればまずは納本抜けだろう。
そもそも閉架式だから盗みやすくはない。1冊を盗まれついで2、3冊と盗まれると出納で気づく。そうなると雑誌は監視下の別室閲覧になる。だから国会図書館の資料を盗んだ話は殆ど聞かない。切り取りがいいところである。
さらに言えばまだ本屋やら古本屋で買える段階で盗むかといった疑問も湧く。図書館は暫く経った雑誌は合冊する。合冊した本を盗むのは難儀この上ない。それからすれば合本前の段階、発売から2~3年の間しか盗めないからだ。
■ 丸々3年分を盗めると考えるあたりがね
それからすれば納本抜けと考えるのが自然だ。
それを盗難と結論づけるのはね。
それは合理化や被害者妄想に似たものではないのかね。普通は納本をスッポ明かしたと考える。でも自分がファンの雑誌側にある。大角川に問題があるとは考えない。だから心無い人間に盗まれたと考えたのではないかな。
しかし、その不自然な話を信じる御仁もいらっしゃる。
「国会図書館で86年から88年まで丸々盗めた」と考えるあたりがまあね。世間は広いものだ。
「 『「ロードス島戦記」研究のため国会図書館に行っても、コンプティークがまとめて盗まれており不可能』~サブカル雑誌こそ被害が多い?/「だから電子の方がいい」ほかでもだけど」https://togetter.com/li/1765990がそれ。
■ 納本抜けじゃないの
でもコレ、単に一定時期に納本していないだけじゃないのかね。
そちらのほうがありうる事態だからだ。冊子体ごと抜けがあるとすればまずは納本抜けだろう。
そもそも閉架式だから盗みやすくはない。1冊を盗まれついで2、3冊と盗まれると出納で気づく。そうなると雑誌は監視下の別室閲覧になる。だから国会図書館の資料を盗んだ話は殆ど聞かない。切り取りがいいところである。
さらに言えばまだ本屋やら古本屋で買える段階で盗むかといった疑問も湧く。図書館は暫く経った雑誌は合冊する。合冊した本を盗むのは難儀この上ない。それからすれば合本前の段階、発売から2~3年の間しか盗めないからだ。
■ 丸々3年分を盗めると考えるあたりがね
それからすれば納本抜けと考えるのが自然だ。
それを盗難と結論づけるのはね。
それは合理化や被害者妄想に似たものではないのかね。普通は納本をスッポ明かしたと考える。でも自分がファンの雑誌側にある。大角川に問題があるとは考えない。だから心無い人間に盗まれたと考えたのではないかな。
しかし、その不自然な話を信じる御仁もいらっしゃる。
ooi@n_m@JDSDE214
1986年辺りをごっそりやられてますねこれ、1986年から88年までが無いんだもんな…
午後6:08 · 2021年8月27日
https://twitter.com/JDSDE214/status/1431181741197197317
「国会図書館で86年から88年まで丸々盗めた」と考えるあたりがまあね。世間は広いものだ。
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軍事記事のフォーマットは今なおスーパーカーブームの延長ではないかね。
武器のスペックを列挙し「スゲー」といっったエピソードをくっつけるだけ。新発見とか比較とか評価は全然ない。
特にヒコーキは大概そうなっている。対象についてミクロにしか見ない。スーパーな性能を過剰に記述する。製造元やら設計元やらの言うことをそのままに受け取る。個別の機体の差異を強調する。あとは写真メインでもある。
写真メインもそう。どーでもいい写真多数が主で記事は従ともなっている。それみた読者が同じような写真を取りたがるあたりも同じ。
書いているライターも同じではないかね。70年代末にスーパーカー記事の類を書いていた御仁が80年代に同じフォーマットで軍事雑誌記事をかいたのではないかと。
だいたい80年代あたりから軍事雑誌の記事の中身が変わる。スペック羅列が増える。もともとあまり批判的でもなかったがその見地が完全になくなる。
その原因はなんであるか。それについてはスーパーカーブームで世に出た連中が書き始めたのではないかと疑うものだよ。そこから持ち込まれた自動車やら機械ものやらのつまらないフォーマットが軍事雑誌に持ち込まれたのではないかね。
武器のスペックを列挙し「スゲー」といっったエピソードをくっつけるだけ。新発見とか比較とか評価は全然ない。
特にヒコーキは大概そうなっている。対象についてミクロにしか見ない。スーパーな性能を過剰に記述する。製造元やら設計元やらの言うことをそのままに受け取る。個別の機体の差異を強調する。あとは写真メインでもある。
写真メインもそう。どーでもいい写真多数が主で記事は従ともなっている。それみた読者が同じような写真を取りたがるあたりも同じ。
書いているライターも同じではないかね。70年代末にスーパーカー記事の類を書いていた御仁が80年代に同じフォーマットで軍事雑誌記事をかいたのではないかと。
だいたい80年代あたりから軍事雑誌の記事の中身が変わる。スペック羅列が増える。もともとあまり批判的でもなかったがその見地が完全になくなる。
その原因はなんであるか。それについてはスーパーカーブームで世に出た連中が書き始めたのではないかと疑うものだよ。そこから持ち込まれた自動車やら機械ものやらのつまらないフォーマットが軍事雑誌に持ち込まれたのではないかね。
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突然に思い至ったのだけれども。『彼女お借りします』って『高尾太夫』ではないのかね。今の世の中で遊郭ものをやっていると見るとしっくり行く。別に『品川心中』でもなんでもいいのだけれども。
舞台は全く同じ。「売り物買い物との間柄で生じるのは恋に似たものであるのだけれども、それが身を焦がして」といった内容である。それが身請けしてハッピーエンドでも心中しても心中しようとしてコメディでもバッドエンドの女殺油地獄てもいいのだけれどもね。
その点で有利である。いままで存在するパターンを写せばドラマは成立する。ドラマツルギーも既知の手法で高められる。
さらにいえば性格付けや動かし方も先行例を参考にできる。
彼の女のパターンも同じ。つれない女郎/(のちに)客の心意気に感じいいる:千鶴、客に惚れる:るか、仔細がある女郎:墨といった性格付けは遊郭ものそのもの。
なによりも毒婦:麻美だよね。嫌われる女郎は本当に必要だということがよく分かる。妖婦やら女狐と言い換えてもいいが麻美はそのもの。さらに言えば、人の見ていないところで犬を蹴っ飛ばすとかそういった演出も欲しいもんだ。
毒婦が悪けりゃ千鶴も輝くと言ったものです。一国の国主も傾けるといった太夫にもなりながら金には汚い。でもその金で影で善行を積む。孤児に白米のおにぎりを食わせるとかねえ。
ほかにもいろんな話をつくれるのではないですかね。苦界に苦しむとかそこからの脱出を望むキャラとか。
例えば心正しいレンタル彼女の話とか。説教では一番うしろにしか座れないが毎週教会にいって十分の一税を収める心正しい娼婦みたいな話とか。
逆方向の毒婦でで『乱』の長男坊の嫁タイプとかね。この世界を滅ぼしてしまえみたいな、周の幽王の治世に国を傾け我が国に渡っては玉藻御前となり世を狂わせるタイプ。
それがゾッコン入れ込んだ若旦那をそそのかして香盤でどうしても抜けない目の上のたんこぶの心正しいレンタル彼女の首を求めて殺させようとする。でもそれを命じられたボディガード(これは先々代さまの恩顧の用心棒)はお稲荷さんの石像の首をちょん切って二人の前に持ってきて首桶を開ける。「やや、妖怪変化であったか、周の幽王の治世に九尾の狐が現れ我が国では玉藻御前となったと聞くがその後の消息はしれぬ、だがもしかすれば、若旦那ご用心あれ」のあれをやるとかね。
舞台は全く同じ。「売り物買い物との間柄で生じるのは恋に似たものであるのだけれども、それが身を焦がして」といった内容である。それが身請けしてハッピーエンドでも心中しても心中しようとしてコメディでもバッドエンドの女殺油地獄てもいいのだけれどもね。
その点で有利である。いままで存在するパターンを写せばドラマは成立する。ドラマツルギーも既知の手法で高められる。
さらにいえば性格付けや動かし方も先行例を参考にできる。
彼の女のパターンも同じ。つれない女郎/(のちに)客の心意気に感じいいる:千鶴、客に惚れる:るか、仔細がある女郎:墨といった性格付けは遊郭ものそのもの。
なによりも毒婦:麻美だよね。嫌われる女郎は本当に必要だということがよく分かる。妖婦やら女狐と言い換えてもいいが麻美はそのもの。さらに言えば、人の見ていないところで犬を蹴っ飛ばすとかそういった演出も欲しいもんだ。
毒婦が悪けりゃ千鶴も輝くと言ったものです。一国の国主も傾けるといった太夫にもなりながら金には汚い。でもその金で影で善行を積む。孤児に白米のおにぎりを食わせるとかねえ。
ほかにもいろんな話をつくれるのではないですかね。苦界に苦しむとかそこからの脱出を望むキャラとか。
例えば心正しいレンタル彼女の話とか。説教では一番うしろにしか座れないが毎週教会にいって十分の一税を収める心正しい娼婦みたいな話とか。
逆方向の毒婦でで『乱』の長男坊の嫁タイプとかね。この世界を滅ぼしてしまえみたいな、周の幽王の治世に国を傾け我が国に渡っては玉藻御前となり世を狂わせるタイプ。
それがゾッコン入れ込んだ若旦那をそそのかして香盤でどうしても抜けない目の上のたんこぶの心正しいレンタル彼女の首を求めて殺させようとする。でもそれを命じられたボディガード(これは先々代さまの恩顧の用心棒)はお稲荷さんの石像の首をちょん切って二人の前に持ってきて首桶を開ける。「やや、妖怪変化であったか、周の幽王の治世に九尾の狐が現れ我が国では玉藻御前となったと聞くがその後の消息はしれぬ、だがもしかすれば、若旦那ご用心あれ」のあれをやるとかね。
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今年も8月15日。終戦の日が来ました。土曜日にはTBSラジオで亡くなられた秋山ちえ子の『かわいそうなしゃち』の朗読が始まりました。
昭和の御聖代に小学校教育を受けた人はみんな知っています。毎年、あの暑い夏の一日の記念日に、秋山ちえ子は戦争を語り継ぐため、相模湾、江ノ島での悲劇を朗読をします。
戦争中に起きたぞうやライオンやヒョウのお話はご存知でしょう。ジョージもそのような動物の一匹です。
軍隊は戦争にシャチをつかおうとしました。アメリカの潜水艦に体当りして沈めよう。そう考えたのです。動物園のジョーイは秘匿名称オルカ金物とされました。生物爆雷として潜水艦に体当たりするように条件付けをされたのです。
ただ、ジョーイは戦争にいきませんでした。負け続けた日本にはシャチを南方まで連れて行く船がなくなったのです。役立たずになったジョーイは江ノ島にある生育った水族館に留め置かれました。そして毎日近くの海で遊んでは帰ってくるといったように、ノンビリ過ごしていました。
でも戦争は内地まで近づいてしまいました。すでに特攻隊は何遍も何遍も飛び立っていました。そして内地でも空襲が始まっていました。
食べ物も足りなくなっていました。みんなは毎日おなかをすかしていました。そして食べ物を食べられずに餓え死にしてしまう人もでてきました。
このままではジョーイを飼い続けることは出来ません。シャチは1日に10貫目20貫目の魚を食べてしまうのです。これは人間一人がが1日に食べる魚の100倍や200倍です。その魚があれば100人も200人もの人が助かるのです。
ついに県知事から「ジョーイを殺しなさい」という命令が出てしまったのです。
水族館ではジョーイに毒薬を注射しようとします。
でも針は海獣の厚い皮を通さずポキリと折れてしまいます。
大好きな魚に毒の入れて与えようとしました。でも知能の高いジョーイはそれを見抜いてしまいます。
シャチ使いの長谷川さんは命令に逆らうことを承知でジョーイを逃しました。外房の沖まで送りました。でも水族館で育ったジョーイは餌を自分でとれません。自然の海では生きていけません。そしてとても賢い動物なので江ノ島まで帰ってきてしまうのです。
生まれ育ったプールに戻して欲しい。その一心でジョーイは水族館の前で芸をします。飛び上がって回転したり、上半身を水上に突き出してみたり、逆立ちをして尻尾を立ててみたり。飼育員さんを鼻先に乗せようとしたりして、ほめてもらおうとするのです。
それを見ていたみんなは銃殺や干上げて殺すことはとてもできない。プールで餓死させるしかないだろうと決めました。
しかし、そんなことを知るジョーイではありません。よい芸を見せれば今まで育ててくれた人間が餌をくれるものと信じています。芸をすれば体力が奪われてしまうというのに。
そして、ジョーイはどんどん弱っていってしまいました。見事な流線型の体は脂肪が減ってあばら骨が出てしまいました。ほとんど衰弱して、ただ浮かぶだけになってしまいますが、長谷川さんを見つけるとあの綺麗で澄んだ眼で見つめて、餌を貰おうと芸をみせようとするのです。
長谷川さんはもう我慢はできません。ついに食料のサバやイワシをジョーイに分けてしまいました。汚穢船を転用した支援船で、しかも貴重な燃料を使った漁労で手に入れた貴重な食料です。「ジョーイ、腹が減ったろう、おいしいか、おいしいか」と食べさせてしまいました。
他の飼育員のおじさんたちは何もいえませんでした。所長も、大学の人も、ポンドを間借りしている海軍の人たちもみんな黙って見ないふりをしていました。
中には涙を流している人もいました。みんなが長谷川さんの実の子供と同じと知っていたからです。長谷川さんの幼い息子が亡くなったその日に、ジョーイのお母さんシャチがお産で死にました。それを自分の子供のように育てたのを知っているからです。
みんなその晩に話し合いをしました。「ジョーイを殺すことなんかできない」「心を鬼にしてプールからジョーイを追い出そう。銛でついてもいい、音でいじめてもいい、普通のシャチとは違う体になってしまったけれども、外に出れば、お腹が空けばいつかは魚を食べるだろう。」
でも、海軍の人は申し訳なさそうに口を開きました。「ジョーイが三浦半島に住み着いてしまったら、特攻隊の若い人を殺してしまうかもしれません」
戦争は過酷でした。特攻隊は東京のすぐそばにまで準備されていました。相模湾の近くにある三浦半島でアメリカの軍艦に体当りする訓練をしていたのです。
特攻隊の人たちはとてもとても小さな潜水艇に乗っていました。条件づけされたジョーイがぶつかるだけでひっくり返ってしまううような代物です。そして一度倒れると二度と浮かび上がらなくなってしまうかもしれないのです。
飼育員のみんなも黙ってしまいました。実は戦争がどうなっているか、軍隊の方針がどうであるのかということは誰の頭にもありませんでした。でも、みんなは特攻隊の自分の子供のような年齢の兵隊さんの身の上を思うとなんともいえませんでした。兵隊さんたちは水族館の近くの横須賀や辻堂に住んでいます。そして上陸日には鎌倉や江ノ島に遊びにきていました。ジョーイの芸を楽しみに見に来ていたくらいですからなおさらです。
予備学生のなかには学生時代の研究で水族館に通っていた人もいました。分隊士になって帰ってきた学生さんは予科練繰り上げの、まだニキビが残る下士官を連れて遊びに来ました。そして彼らジョーイの鼻先に乗せてやれるように懇願しました。下士官も軍服を着ながらジョーイの鼻や背に乗って無邪気に喜んで、貴重品になった特別配給のお菓子をジョーイに食べさせようとしたりしているのも見ていました。
その兵隊さんが乗る潜水艇はあぶない乗り物でした。ちょっと事故を起こせば沈んだままになってしまうのです。そのまま殉職してしまうことも知っていました。みんなは、もう若い人が、訓練で死ぬのはやりきれないです。
長谷川さんが口を開きました。「もう、ジョーイには何の餌もやらない」みんなは、下をうつむいて何も離しませんでした。ただただ、長谷川さんを囲んで味のしない理研酒をまわし飲むだけでした。
それから10幾日たった暑い日の午前中にジョーイは死にました。ブールの隅に体をよりかけてバンザイの芸をしながら死にました。せめて綺麗な体で埋めてあげようと、一端引き上げて爆雷取付具や安全尖外しを取り除き、ガスが堪って膨れたお腹を開いたとき、本当は風呂桶のように大きなジョーイの胃袋は湯たんぽの大きさまでしぼんでいました。なかには水一滴残っていなかったそうです。
その日は8月15日でした。
いまでもジョーイの命日では鎌倉建長寺で慰霊祭が行われるそうです。
『かわいそうなしゃち』でした。
それではみなさん、ごきげんよう。
2009年夏『瀛報』(ようほう)29号のまえがきから、一部修正。
参 考
谷甲州「ジョーイ・オルカ」『星の墓標』(東京,早川書房,1987)
秋山ちえ子 朗読 土家由岐雄「かわいそうなぞう」『大沢悠里のゆうゆうワイド土曜日版』2021年8月14日(TBSラジオ)16時35分ころから
昭和の御聖代に小学校教育を受けた人はみんな知っています。毎年、あの暑い夏の一日の記念日に、秋山ちえ子は戦争を語り継ぐため、相模湾、江ノ島での悲劇を朗読をします。
戦争中に起きたぞうやライオンやヒョウのお話はご存知でしょう。ジョージもそのような動物の一匹です。
軍隊は戦争にシャチをつかおうとしました。アメリカの潜水艦に体当りして沈めよう。そう考えたのです。動物園のジョーイは秘匿名称オルカ金物とされました。生物爆雷として潜水艦に体当たりするように条件付けをされたのです。
ただ、ジョーイは戦争にいきませんでした。負け続けた日本にはシャチを南方まで連れて行く船がなくなったのです。役立たずになったジョーイは江ノ島にある生育った水族館に留め置かれました。そして毎日近くの海で遊んでは帰ってくるといったように、ノンビリ過ごしていました。
でも戦争は内地まで近づいてしまいました。すでに特攻隊は何遍も何遍も飛び立っていました。そして内地でも空襲が始まっていました。
食べ物も足りなくなっていました。みんなは毎日おなかをすかしていました。そして食べ物を食べられずに餓え死にしてしまう人もでてきました。
このままではジョーイを飼い続けることは出来ません。シャチは1日に10貫目20貫目の魚を食べてしまうのです。これは人間一人がが1日に食べる魚の100倍や200倍です。その魚があれば100人も200人もの人が助かるのです。
ついに県知事から「ジョーイを殺しなさい」という命令が出てしまったのです。
水族館ではジョーイに毒薬を注射しようとします。
でも針は海獣の厚い皮を通さずポキリと折れてしまいます。
大好きな魚に毒の入れて与えようとしました。でも知能の高いジョーイはそれを見抜いてしまいます。
シャチ使いの長谷川さんは命令に逆らうことを承知でジョーイを逃しました。外房の沖まで送りました。でも水族館で育ったジョーイは餌を自分でとれません。自然の海では生きていけません。そしてとても賢い動物なので江ノ島まで帰ってきてしまうのです。
生まれ育ったプールに戻して欲しい。その一心でジョーイは水族館の前で芸をします。飛び上がって回転したり、上半身を水上に突き出してみたり、逆立ちをして尻尾を立ててみたり。飼育員さんを鼻先に乗せようとしたりして、ほめてもらおうとするのです。
それを見ていたみんなは銃殺や干上げて殺すことはとてもできない。プールで餓死させるしかないだろうと決めました。
しかし、そんなことを知るジョーイではありません。よい芸を見せれば今まで育ててくれた人間が餌をくれるものと信じています。芸をすれば体力が奪われてしまうというのに。
そして、ジョーイはどんどん弱っていってしまいました。見事な流線型の体は脂肪が減ってあばら骨が出てしまいました。ほとんど衰弱して、ただ浮かぶだけになってしまいますが、長谷川さんを見つけるとあの綺麗で澄んだ眼で見つめて、餌を貰おうと芸をみせようとするのです。
長谷川さんはもう我慢はできません。ついに食料のサバやイワシをジョーイに分けてしまいました。汚穢船を転用した支援船で、しかも貴重な燃料を使った漁労で手に入れた貴重な食料です。「ジョーイ、腹が減ったろう、おいしいか、おいしいか」と食べさせてしまいました。
他の飼育員のおじさんたちは何もいえませんでした。所長も、大学の人も、ポンドを間借りしている海軍の人たちもみんな黙って見ないふりをしていました。
中には涙を流している人もいました。みんなが長谷川さんの実の子供と同じと知っていたからです。長谷川さんの幼い息子が亡くなったその日に、ジョーイのお母さんシャチがお産で死にました。それを自分の子供のように育てたのを知っているからです。
みんなその晩に話し合いをしました。「ジョーイを殺すことなんかできない」「心を鬼にしてプールからジョーイを追い出そう。銛でついてもいい、音でいじめてもいい、普通のシャチとは違う体になってしまったけれども、外に出れば、お腹が空けばいつかは魚を食べるだろう。」
でも、海軍の人は申し訳なさそうに口を開きました。「ジョーイが三浦半島に住み着いてしまったら、特攻隊の若い人を殺してしまうかもしれません」
戦争は過酷でした。特攻隊は東京のすぐそばにまで準備されていました。相模湾の近くにある三浦半島でアメリカの軍艦に体当りする訓練をしていたのです。
特攻隊の人たちはとてもとても小さな潜水艇に乗っていました。条件づけされたジョーイがぶつかるだけでひっくり返ってしまううような代物です。そして一度倒れると二度と浮かび上がらなくなってしまうかもしれないのです。
飼育員のみんなも黙ってしまいました。実は戦争がどうなっているか、軍隊の方針がどうであるのかということは誰の頭にもありませんでした。でも、みんなは特攻隊の自分の子供のような年齢の兵隊さんの身の上を思うとなんともいえませんでした。兵隊さんたちは水族館の近くの横須賀や辻堂に住んでいます。そして上陸日には鎌倉や江ノ島に遊びにきていました。ジョーイの芸を楽しみに見に来ていたくらいですからなおさらです。
予備学生のなかには学生時代の研究で水族館に通っていた人もいました。分隊士になって帰ってきた学生さんは予科練繰り上げの、まだニキビが残る下士官を連れて遊びに来ました。そして彼らジョーイの鼻先に乗せてやれるように懇願しました。下士官も軍服を着ながらジョーイの鼻や背に乗って無邪気に喜んで、貴重品になった特別配給のお菓子をジョーイに食べさせようとしたりしているのも見ていました。
その兵隊さんが乗る潜水艇はあぶない乗り物でした。ちょっと事故を起こせば沈んだままになってしまうのです。そのまま殉職してしまうことも知っていました。みんなは、もう若い人が、訓練で死ぬのはやりきれないです。
長谷川さんが口を開きました。「もう、ジョーイには何の餌もやらない」みんなは、下をうつむいて何も離しませんでした。ただただ、長谷川さんを囲んで味のしない理研酒をまわし飲むだけでした。
それから10幾日たった暑い日の午前中にジョーイは死にました。ブールの隅に体をよりかけてバンザイの芸をしながら死にました。せめて綺麗な体で埋めてあげようと、一端引き上げて爆雷取付具や安全尖外しを取り除き、ガスが堪って膨れたお腹を開いたとき、本当は風呂桶のように大きなジョーイの胃袋は湯たんぽの大きさまでしぼんでいました。なかには水一滴残っていなかったそうです。
その日は8月15日でした。
いまでもジョーイの命日では鎌倉建長寺で慰霊祭が行われるそうです。
『かわいそうなしゃち』でした。
それではみなさん、ごきげんよう。
2009年夏『瀛報』(ようほう)29号のまえがきから、一部修正。
参 考
谷甲州「ジョーイ・オルカ」『星の墓標』(東京,早川書房,1987)
秋山ちえ子 朗読 土家由岐雄「かわいそうなぞう」『大沢悠里のゆうゆうワイド土曜日版』2021年8月14日(TBSラジオ)16時35分ころから
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川越西郵便局を常用している。西とはつくものの埼玉西部を統括する集配局である。営業時間は長いし早くつく。距離はやや遠いが経路に踏切はなく信号が少なく駐車場も広いので結果として手早くなる。
その隣に生鮮市場トップというスーパーがある。要はマミーマートと角上魚類がくっついたスーパなのだが休みの日は矢鱈と混んでいる。川越所沢熊谷ではなくなぜか練馬やら板橋やら多摩のナンバーが多い。あまり川越に要はなさそうな地域である。
奥さんの実家からの帰りかなにかなのだろう。
だが、なんでそこに行くのかがわからない。別段安いわけでもないしモノもあんましよくもない。川越のあたりならたいていはヤオコーかやや安いベルクにいくものだがねえ。
角上魚類が本格的に見えるのかもしれない。でも海のない埼玉で魚買ってもねえ。
13日に郵便出したついでに寄った。袋いりの生そば、一度潰れた初雁製麺の35円のそばを12袋買うのに寄ったのだけれども。駐車場は一杯でそこでお盆だと気づいた。隣のホームセンターに停めて養生テープを買った上で行ったのだけれども。一坪あたり1.5人はいそうな人出でしかも普段とは違う高い惣菜ばかりになっていて閉口したよ。
その隣に生鮮市場トップというスーパーがある。要はマミーマートと角上魚類がくっついたスーパなのだが休みの日は矢鱈と混んでいる。川越所沢熊谷ではなくなぜか練馬やら板橋やら多摩のナンバーが多い。あまり川越に要はなさそうな地域である。
奥さんの実家からの帰りかなにかなのだろう。
だが、なんでそこに行くのかがわからない。別段安いわけでもないしモノもあんましよくもない。川越のあたりならたいていはヤオコーかやや安いベルクにいくものだがねえ。
角上魚類が本格的に見えるのかもしれない。でも海のない埼玉で魚買ってもねえ。
13日に郵便出したついでに寄った。袋いりの生そば、一度潰れた初雁製麺の35円のそばを12袋買うのに寄ったのだけれども。駐車場は一杯でそこでお盆だと気づいた。隣のホームセンターに停めて養生テープを買った上で行ったのだけれども。一坪あたり1.5人はいそうな人出でしかも普段とは違う高い惣菜ばかりになっていて閉口したよ。
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岩波書店の『世界』9月号に掲載されました。* 「尖閣はどうなっているか」です。
昨日に掲載誌2部が届いたのですが、なんとなく発売日前日まで黙ってようかなと思ってました。でも今月は発売日が変則で明日5日なので写真を撮って出したところです。
書店でお買い上げの上、ご覧になっていただけるとありがたいです。
ほかにも面白い記事も多いものです。発売日前なんで仔細は書きませんが、深草亜悠美さんの「脱石炭から脱化石燃料へ」や歌川学さんの「今ある技術で脱炭素は可能だ」、外交安保に関する河野洋平さんのインタビュー記事はなかなかで、それぞれの一部を手元のメモ帳に書き写したくらいです。
* 文谷数重「尖閣はどうなっているか」『世界』948(2021)pp158-165.
昨日に掲載誌2部が届いたのですが、なんとなく発売日前日まで黙ってようかなと思ってました。でも今月は発売日が変則で明日5日なので写真を撮って出したところです。
書店でお買い上げの上、ご覧になっていただけるとありがたいです。
ほかにも面白い記事も多いものです。発売日前なんで仔細は書きませんが、深草亜悠美さんの「脱石炭から脱化石燃料へ」や歌川学さんの「今ある技術で脱炭素は可能だ」、外交安保に関する河野洋平さんのインタビュー記事はなかなかで、それぞれの一部を手元のメモ帳に書き写したくらいです。
* 文谷数重「尖閣はどうなっているか」『世界』948(2021)pp158-165.
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以前にも書いた書皮巻直しの話だけれども。
完全に油紙にして巻いてみた。54キロのクラフト紙半晒にポッピーシードオイルを塗りたくったもの。A3の紙を上下にあてて半日圧密を1回、1日圧密を2回実施。そして7月9日から8月3日までほぼ3週間放置した。なお途中の2週間目にA3の紙で挟んでジェーンの大判年鑑を積上げて圧密試験をして油移りなしを確認しさらに一週間放置したもの。それを一番使う本に巻いてみた。
グラシンに比べると透明性は低いが柔軟性やフィット感が高い。たぶん耐久性も高いとは思う。
なお、2週間目あたりにオイリー感が低下すると同時に油の匂いが立ち始めたが3週間目が終わる頃には急に弱くなった。昔の和傘と同じような臭気。たぶん、酸化重合した荏胡麻油の匂い。ただ鼻を近づけないとわからないくらい。
内容的にどうでもいい話なんで、世界掲載の話のあとに書いたけど順番的に前に配置した。今は4日13字5分過ぎなんだけど設定で1時間前の4日12時投稿にしている。
完全に油紙にして巻いてみた。54キロのクラフト紙半晒にポッピーシードオイルを塗りたくったもの。A3の紙を上下にあてて半日圧密を1回、1日圧密を2回実施。そして7月9日から8月3日までほぼ3週間放置した。なお途中の2週間目にA3の紙で挟んでジェーンの大判年鑑を積上げて圧密試験をして油移りなしを確認しさらに一週間放置したもの。それを一番使う本に巻いてみた。
グラシンに比べると透明性は低いが柔軟性やフィット感が高い。たぶん耐久性も高いとは思う。
なお、2週間目あたりにオイリー感が低下すると同時に油の匂いが立ち始めたが3週間目が終わる頃には急に弱くなった。昔の和傘と同じような臭気。たぶん、酸化重合した荏胡麻油の匂い。ただ鼻を近づけないとわからないくらい。
内容的にどうでもいい話なんで、世界掲載の話のあとに書いたけど順番的に前に配置した。今は4日13字5分過ぎなんだけど設定で1時間前の4日12時投稿にしている。