ノーベル賞という権威
田母神俊雄@toshio tamogami
「ノーベル賞受賞の赤崎、天野、中村の3教授の皆さん、本当におめでとうございます。
日本のノーベル賞受賞者はこれで22人になるそうです。韓国や中国には一人の受賞者もいないのです。日本国民の皆さん、日本がいかに優れた国か分かります。日本人としての自信を持ちましょう。」
何故このような話になるのでしょう?
田母神氏は「つぶやき」を最初の一行目だけにとどめ、素直に祝福すればいいだけの話だ。
韓国や中国には一人の受賞者もいない…これは事実でしょうか?デタラメでも嘘でも言ったもの勝ちですか?
ノーベル賞受賞者の人数が国や民族の優劣の尺度になるのでしょうか?
世界には受賞者が一人か二人、又は一人も居ない国は沢山あります。
それらの国の人達は劣った国民として自信喪失しているのですか?
受賞者の有る無しや多少で自信を持ったり失ったりする?何という精神の貧困さでしょう。
お上や権威に弱い日本の国民性を示しているのでしょうか?※
田母神氏の「つぶやき」は極右、ネオナチ、ゴロツキヘイト集団…すなわち、右翼の中の低レベル層に共通して見られるメンタリティーの標本と言えましょう。
その反知主義性、排他性、差別性、お花畑的自画自賛性、カルト性、そして幼稚性において。
※
いわゆる平和憲法を護持すべしと主張する一部の集団が「日本の平和憲法をノーベル平和賞に!」との運動をしたようですね。どちらかと言えば左翼or左巻き系の人達なようですが、こちらもノーベル賞を権威として見ている意味においては田母神氏と五十歩百歩のメンタリティーを感じてしまいます。
※
日本人はノーベル賞以外では世界文化遺産という権威にも弱いよね。
ある地域や神社仏閣が世界遺産に登録されると途端に観光客が増えるのを私は不思議に思う。
登録されたからって、それまでと何ら形状も価値も変わるわけでは無いし、ありがた味が増すわけでもないのに。
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2014.10.12 | | コメント(6) | トラックバック(0) | 政治・社会