吉村昭~乾くるみのお薦め本を読む
関東大震災 (文春文庫) (2004/08) 吉村 昭 商品詳細を見る |
まず、私にトンでもない記憶違いがありました。いちファン様へのレスで「私は吉村昭の本は読んだことがありません」と書きましたが、実は「白い航跡」という軍医としての森鴎外をテーマにした作品を読んでいましたし、しかも、「森鴎外のもう一つの顔を辿る」の記事でこの本に触れてもいたのです!私もいよいよ中年ボケが深刻化しているようです(ーー;)。
「白い航跡」は医学を扱っているので、医者でもあった渡辺淳一の本であると、私の脳内で変換が行われた模様。
で、「関東大震災」ですが、首都圏に住んでいる方には心臓に悪い本です(⌒-⌒; )。吉村氏の迫真の筆による凄惨な描写が恐ろしい。これは小説ではなくノンフィクションです。名著と思います。
関東大震災では東京、神奈川、埼玉を中心におよそ二十万人の犠牲者が出たようですが、もしも今の首都圏で巨大地震が起きたらそんなものでは済まないでしょうね。
この本から得た教訓ですが、もしも被災した場合はリュックを背負って逃げてはいけない、手ブラが良い、ということです。大震災で一番怖いのは津波と火事ですが、背中のリュックに火がついて焼死した例が多かったそうです。逆に手ブラの方が身動きも容易で火から逃れられる場合があったとか。。。ナルホドな。。。震災グッズとかを買う人が多いみたいだけど、それがかえって足でまといになり、命を失う誘引になりかねないのか。。。
それと、吉村氏の著作では「風評被害による朝鮮人虐殺」の記述が多かったのが印象的です。つまり、朝鮮人が徒党を組んで井戸に毒を入れたり、爆弾を仕掛けたり、道具を持って日本人を襲っているとの流言蜚語により、日本人自警団が組織され、数百~数千人の朝鮮人が虐殺されたのです。
それはナチスが「ユダヤ人が井戸に毒を入れた」とのデマを飛ばしてドイツ住民に恐怖とユダヤ人憎悪を煽った例を思い出します。少数民族を虐待、排除する側というのは東西を問わず似た発想をするのでしょうか?
朝鮮人虐殺について吉村氏は「日本が朝鮮を植民化して来たことの『負い目』が逆に虐殺へと走らせた」としています。これについては「昭和史発掘」でも松本清張が同じような見解を示しています。
関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実 (2009/12/02) 工藤美代子 商品詳細を見る |
この本はいわゆる「南京事件(大虐殺)は無かった。まぼろしだ」の類です。すなわち、朝鮮人による暴動は流言蜚語ではなく事実であったこと、日本人自警団により朝鮮人が殺されたり怪我させられたりした例はあってもそれは「正当防衛」であったこと、そもそも数千人もの朝鮮人が虐殺された証拠は無く、数字自体が誇張されている疑いがあること、こうした背景には日本人の「自虐的態度」があるというのだ。ネットウヨが狂喜しそうな本ですね。
出版社は産経新聞です。あ、なるほどね。産経新聞なら…さもありなん。
で、私は工藤氏の本はトンデモ本の類と見ています。ネット上にもこの本を徹底的に批判したサイトがありますので、興味のある方はセルフサービスでお調べ下さい。この本は歴史の専門家からは無視されているようです。
関東大震災以後に地震の研究に没頭した寺田寅彦に「流言蜚語」というエッセーがあります。震災時に果たして都合良く毒薬や爆弾を用意出来るだろうか?少しの科学的な省察があれば、こうした話が全く有り得ないとまでは言わずとも、オカシな話だと分かると。工藤美代子氏には寺田寅彦の主張はお呼びではなかったようだ。
(寺田寅彦の「流言蜚語」は角川文庫「天災と日本人」・山折哲雄編にあります)
イニシエーション・ラブ (文春文庫) (2007/04/10) 乾 くるみ 商品詳細を見る |
こちらは、はぴらき様のお薦めにより読んでみました。
いわゆる「叙述トリック」ものです。もっとも、叙述トリックです、と言った時点で盛大なネタバレをやっているようなものですが、出版社の宣伝文句にも謳っているのだから仕方無いですね。
で、見事にダマサレました。くやしいなヽ(`Д´)ノ。これは一読の価値があります。
まあ、読んでいる途中で不自然な箇所はあったのですが、おぼろげな疑惑でしかなく、トリックを見抜けなかった事に違いがありません。この本の陳腐な恋愛ストーリーに私の集中力は低下。文章や表現への注意力も低下。これも、もしかすると、作者の周到な計算の一つだったかもしれません。
それどころか、私なんか本筋とは外れた箇所が気になったりしました。例えば若い女性が自分が便秘であることを恋人に話す箇所があります。私は「有り得ない。女性が、ましてや若い女性が恋人に便秘の話をするワケねえだろ!やっぱり、男性の作家らしい作り物だな」と突っ込みを入れている始末ですから、トリックなど見抜けるハズもありません。
この本を読み終わった時、同じく叙述トリックものである筒井康隆著「ロートレック荘事件」(これも一読の価値あり)を思い出しました。こちらの話は…お金持ちの別荘だか邸宅に人が集まり、そこで事件が起きる…というイギリスのミステリー以来ゴマンと書かれた陳腐なシチュエーションです。
で、読者は見事に騙されるわけです。やはり、陳腐なストーリー、陳腐なシチュエーションというのもミソかな。
そもそも、日本語の文章は主語をボカすには都合の良い性質があります。古典では「源氏物語」はその典型ですね。読み手はここで悩まされます。主語を当てる鍵は尊敬語の有る無しや、二重敬語でした。受験勉強でも悩まされたでしょう。
それゆえ、現代文では男性→実は女性だった、子供→実は親だった、などいう「騙し」は容易に出来るわけですね。あるいは3人による会話を2人の会話であるかのように「騙す」ことも出来ます。言葉使いを「私は、です、ます」調で統一していれば主語が誰であるかは簡単には見抜けません。
まあ、その代わり、こうした叙述トリックはテレビドラマや映画には難しいでしょうね。
上記以外で、私が読んだミステリーで「叙述トリック」として記憶しているミステリーはアガサ・クリスティの「アクロイド殺し」「そして誰もいなくなった」や横溝正史の「本陣殺人事件」くらいです。この中では「本陣殺人事件」が一番面白かったですね。横溝正史はストーリーテラーとしても一流ですので、トリックとは別に物語そのものが楽しめます。
ただ、叙述トリックは後味が少し悪い。さわやかな読後感が無い。フェアじゃない!という印象を残すなあ。後で作者から「私は『殺した』とは書いていない。『切り刻んだ』と書いたのだ」と言われてもねェ。「ケッ!」と思う。
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2014.05.14 | | コメント(20) | トラックバック(0) | 文学