コメント
同じ国民意識仲間意識もとめるなら、帰国した人・外国から移住した人・同性愛・その他も排除しないで受け入れて仲良くしたらいいのに。
>あゆさん
とりあえずは、日本に生まれ日本語を母語として育ち日本が好きで日本で生きることを望んでいる外国人の子どもたちが親の本国に強制送還されることなく日本にとどまれるようにするのが愛国者のつとめかと思います。
リンクありがとうございます
愛国心ってものを語り出すと、「そんなの真の愛国じゃない」とか何とかすぐにケンカになって日本国同胞が分断されてしまうから、国のためにももう愛国を語るのはやめましょうよーというのが内田樹さんの意見です。
確かに愛国心という言葉くらい国を分裂弱体化させるものは滅多にないですわ。
指摘
卒業式などはマナーを学ぶ場です。
それにしたがえないのなら、少なくとも教師をやめるべきです。
日の丸君が代に敬意がはらえないのなら、外国の国旗や国歌に敬意がはらえるはずがありません。
ただ、職務怠慢で罰をうけただけです。ただそれだけです。
それなのに裁判を起こすや校長などに文句を言う。なにさまのつもり。逆ギレもたいがいにしてください。
>ゲンソウさん
していません。
たとえば、いろいろな国籍の人の集う会食の場に牛を食べないヒンズー教徒の人がいるとして、その人に牛肉料理を食べるように強制する、それと同じことです。ヒンズー教徒の存在は、牛肉料理を食べたい人の人権を侵害していますか?していませんね。ヒンズー教徒を冒涜しているのは「強制している側」です。ヒンズー教徒が牛を食べる人を冒涜しているのではありません。
国旗国歌については幅広い知識や考え方や立場を教えればよいのです。そのうえで各自の意思を尊重し、「強制しないことがマナー」です。だからこそ世界の主要民主国では式典で国旗国歌への恭順を強制していません。強制しているのは北朝鮮や中国のような国です。
そのうえで、こんな記事
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-721.html
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-732.html
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-826.html
で、いくつかの国歌の成り立ちについて知っておくことはあなたにとっても悪くないことだと思います。
それから、あなたは「人権」という言葉について誤解をしているようです。世界人権宣言をお読みください。サイドカラムに「世界人権宣言を読もう...」というコーナーを用意しています。そこからたどってください。
>日の丸君が代に敬意がはらえないのなら、外国の国旗や国歌に敬意がはらえるはずがありません。
過去記事を読んでくださいと申しました。あなたのそういう主張に対しては、こちらがその回答です。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-738.html
地動説が定着した時代に「空を見れば太陽や星や月が動いているじゃないか」と言い出すような周回遅れのコメントはやめて、記事を読み、それぞれの記事が何を言っているのかを理解したうえで、それを踏まえたコメントしてほしいとお願いします。m(__)m
とりあえずはこのあたりから読んでみませんか?
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-653.html
それらを共にすることは、人と人との仲を取り持つ重要な手段です。
同じ音楽同じ食べ物を好む人同士は、絆を持ちやすいのも確か。
となると、君が代を歌う人と歌わない人の間に、あまり友情が芽生えないのは仕方なしとも言えます。
ならば――なぜ、君が代に関する異なる感覚を持つ二種の人が、「式」において統合されなければならないのか。
極言すれば、「君が代ありの卒業式」と「君が代ぬきの卒業式」を並列開催して、お互いの祝福を言えばいい。
問題は、「君が代ありの卒業式」だけに偏っている開催状況ですね。
人生アウトさんの案が…
ついでに他の事も、コミットメント(同意)を基本にして住み分けを行って頂けると、
個人的にもとても助かります。
統合文化(主に言語など公共性や生活に関わり易いもの)にすればいいと思う人と、
血統的ルーツや自国の文化が大切な人とかも分けて頂けると助かります。はい。
ルーツの文化や言語を学ぶ権利って、結局自分の血に拘ってるだけだと思う私としては、
その権利が権利としてある時点で「混ぜればいいって物じゃないだろう」と、
「別言語」の間での交流や文化間での特定の事柄に対する感性の差などを考えると思ってますから。
(「一緒に暮らす」となればお互い関わり合う事になり影響は与え合います。
その影響が「受け入れ難い」時に「関わらない」自由を確保出来ないのは、
「趣味の研究」「趣味の勉強」の領域を超えますからね。
別言語で不自由が出る事も許されませんが、社会と言うのは、
個人の集まりでしかありませんから、翻訳こんにゃくでもなければ無理な要求ですしね。)
ついでに・・・
いろいろな国籍の人の集う会食の場に牛を食べないヒンズー教徒の人がいるとして、その人に牛肉料理を食べるように強制する、それと同じことです。ヒンズー教徒の存在は、牛肉料理を食べたい人の人権を侵害していますか?していませんね。ヒンズー教徒を冒涜しているのは「強制している側」です。ヒンズー教徒が牛を食べる人を冒涜しているのではありません。
このパターンを頭に思い浮かべる人と、
「運動会に出席はして、競技には参加しない生徒」
「合唱会で歌を歌わない生徒」
「朝礼に出てずっと隣の友達と小声でしゃべている生徒」
「遠足に行って先生の指示に従って動かない生徒」
「週番や日直業務を行わない人」を思い浮かべる人が一緒に話してる気がします。
週番は最初から「自分にその役目を回さないでね」と言っても、
そうは行かない物だと思います。
「電車は運行予定通りに動かすように」と言う会社と社会の強制も、
また抵抗をすればそれだけで「その生活環境」を望む人からすれば、
既に「自分勝手」の領域な訳です。
私は文化祭を「面倒臭い」運動会を「だるい」と思っていた人間ですが、
それを学校の指導や生活の一部としてさせられるのを「理不尽だ」と思ったことは無く、
ある程度「当然」「仕方ない」と思っていました。
そもそもそのレベルで「自由であるべき」と言うのであれば、
学校の行事などに無闇な抵抗をしなかった人々の意見は割れると思いますしね。
(合唱会で歌うの面倒で練習サボって帰って翌日女子にどやされましたが、
別に理不尽な事で怒られたなんて思っていませんしね。)
「学校の卒業式」と言う場所がちゃんと考慮されているのであれば、
上記の意見は「理屈」としては理解いただけると思いますが…。
(それらも自由として保障されるべきだと言うのであれば、それは根本的な感覚と意見の違いでしょう)
朝礼で校歌もだらだら歌って先生に怒られた事ありますけど、そんなおかしい事だと思ってませんしね。
「国歌である事」が問題なのであれば、それこそ住み分けをするのが良いと思いますからね。
「学校の卒業式」と言う「場」を破壊する事への意見と、「国歌の強制」としての意見はちゃんと区別しないとですからね。
愛着があります。町の悪口並べ立てられると気分よくないです。
でもうちは市歌を知らないです。旗をあがめることもないです。
誰も式でうたおうなんていわないんです。
国歌・国旗ばかりなんで?
わかんないです。
市歌ってあったんですね…
県民性みたいな本が出てる事からもある程度偏りはあるのでしょうし。
(正しい統計でない部分も多々あるのでしょうけど、実際に正しい部分もあるでしょう。
…海外の方から見ても「関西」は少々特殊なようですし。
ノリが関東より良いとかいろいろ言われる事もあるみたいですからね。
基本的にはあくまで「一般的に」「平均値として」「傾向として」でしょうけど。
ただでさえ、関西と関東の人の行き来は国際交流は以上に多いでしょうしね。
とりあえず関西人に阪神好きが多いのは間違いないと思ってますけど…
身近な関西出身者のファンの比率から…。
特に40以上は野球ファンの多さもあって高い比率です…。)
と言うか市歌とかあったんですね…市の花くらいしか知りませんでした。^^;
検索したら普通に出てきましたが…。
まぁ、別に私だって君が代の意味なんて未だに良く知りませんしどうでも良いので、
そう言う意味では君が代は卒業式の二次会にしてしまうのが良いかもしれませんね。
私は 面倒だから 行かない ですが。(もう行く事もないけど)<学校行事は基本的にALL面倒派
わざわざ時間を割いて歌いたい人だけどうぞ。
と言うのも良いかもしれませんね。
卒業式は…まぁ、大地の歌やLoad of Loadやエーデルワイスでも歌うとして…。
ただし、こちらは参加者強制で。
(卒業式のリハーサルなんてやるのは日本くらいなんでしょうかね…?
学校の役割認識や社会の位置付けも各国で結構違いそうですね。
寺子屋みたいな学校もあるみたいですし。)
『大日本帝国愛国国防婦人会の亡霊』 山谷えり子
↓
山谷「・・続きましては、教育再生の話です。教育基本法改正が60年ぶりに行われ、伝統文化の継承、道徳心情操心を高めること、職業教育、家庭教育の充実、地域社会との連携、素晴らしいことが色々入りまして、私も教育再生担当の総理補佐官として働かしていただいておりましたが、「ああ、教育の現場変わったよ~」というような嬉しい声を聞いております。しかしながら、民主党を支えている日教組は(改悪)教育基本法、これに反対をしている。道徳教育にも長い間反対している。正直、親切、勤勉、チャレンジ精神、親孝行、日本人の美しい美徳です。しかしこれすら『ザ・価値観』の押し付けになるから良くないなんてトンデモナイことを言っているわけです。そのほか反日教育、国旗国歌に反対する運動、過激な性教育を低学年からする、ジェンダーフリー教育って言って男女ごちゃ混ぜ、林間学校でも同じテントに男女寝かせるというようなこともやっております。まあ、このようなことを始めとしまして、北教祖などは、イジメで自殺した女の子に対して調査をしようと言うと、北教組は調査の邪魔をした。あるいは大分県の教員の人事採用の問題もございました。
今、自民党は、『日教組問題究明議員連盟』というのを作っております。 沢山、本当に悲鳴が先生自身からも上がってきております。例えば、西宮市の教職員組合、「教頭は私たちの仲間から」ということで、「教頭推薦に積極的に取り組みましょう」って、こんな文章まである! 大分県は、もう氷山の一角で、全国でいろんな所で、恐怖政治をしいているわけでございますが・・。こうした逸脱行為に塩谷文部科学大臣! しっかりと対応していただきたいものでございますが!」。
シオノヤ文科相(おそるおそる)「ただいまの教職員組合についてございますが違法なストライキや不適切な行動は公教育に対する国民の信頼を著しく欠くものであるということで大変遺憾に思うわけでございまして、我々文部科学省としても、今、ご指摘があった北海道、大分、西宮、それぞれ教職員組合の違法不適切な活動の是正について、当該地域の教育委員会と充分に連携を取って厳正に指導してきたところでございます。今後とも各学校において校長の権限と責任の下で法令に則った適切な学校運営が行われるように各教育委員会と協力し教職員組合における不適切な活動の根絶に向け毅然と対処してまいりたいと思っております」。
山谷「日教組の元先生、参議院の民主党の議員会長は、この新春の日教組の会合で「教育の政治的中立はありえない、私も永遠に日教祖の組合員であるという自負を持っている」というふうにお述べになりました。これはどういうことでございましょう?塩谷文部大臣!
塩谷(オドオド)「え~、あの~、今の発言については、その真意がはかれないところがありますのでコメントは直接は控えさせていただきますが、教育はそもそも中立且つ公平に行われるべきものであって教育の政治的中立を確保することは大変重要なことだと思っております。 教育基本法の14条2項において、学校における特定の政党を支持または反対をする党派的政治教育などを禁止するとともに、教育公務員特例法においては教員の政治的行為について一般の公務員より厳しく制限さ。れているところでありまして、関係法令において教育政治的中立を確保するために規定が設けられているところであり、仮にそういった規定に反するという意図があれば、それは、大変、問題であると思っております」。
山谷「日教組に加入していても、イデオロギー教育の強くない地域もあります。しかし一方で強い地域はですね、本当に子供達が可哀想で、色んな問題があるわけでございます。政治的中立はありえないというような民主党が政権をとるということは本当に怖ろしいことだと国民は心配しているというふうに思います」・・(気持ち悪くなったので後は略・・。この珍獣の動きを見たい方は国会中継録画を)。
コギト「山谷えり子の父、山谷親平は昔のラジオパーソナリティで、その放送は「絶望とは愚か者の結論である」という有名な言葉で始まり人気があった。(勿論 、ディズレリーからのパクリだけど)。
この訓えを守り『絶望を知らない愚か者』に育った娘えり子は国会議員になって、3月6日昼休みの前後一時間以上、NHKのテレビ国会中継で「竹島だ、道徳の補助教材だ、神話だ、偉人伝だ、武道の必修だ、小学生の農業体験だ!」等々、異常興奮して質問していました。
周囲の出席議員達は、勝手に家に上がりこんでしゃべくりまくっている近所のオバサンにカチ合った高校生みたいに、『ヤンなっちゃった状態』で無反応に山谷を眺めていました。
前の教育基本法の時でさえ、威猛々だった山谷は、改悪教基法を背負った今、西太后さながらでした。
やっぱり、こういう愚か者に悪法を与えちゃダメです。ナントカに刃物。増長するだけです。
一日も早く、『改悪教育基本法』に違憲判決を!」
これが判で押したように全国一律に「君が代」を歌うパターンでいいのかって話もありますな。
別に校歌でもいいだろうし、その方が卒業式として相応しいでしょう。
日本全国どこの国でも「君が代」歌うなんて、そんなつまらんことをしてるから愛国心なんて沸いてこないんですよ。
踏み絵
左翼の方々には大いに頑張ってもらって反対運動を盛り上げてほしいものです。
国旗国歌に逆らうという行為そのものが無意味になってしまえば、国家は新しい『踏み絵』を考えつくでしょうから。
だからこその住み分け
だからこそ「住み分け」でもしましょうといってます。
でもそれでも嫌がる人はいるんだろうな…。
私は(組織であった)友人は好きだが組織は嫌いと言うのは多々ある人間なので…。
そもそも出なくていいなら出ないで友達と遊んでそうです
設置者の歌を歌う
前にエントリーで書いたけど、ダルフールの住民はスーダン政府軍が国旗を翩翻と翻してきたら、逃げるでしょう。
国旗を尊敬できる国民ばかりではないんですね。
彷彿される「不敬事件」
にもかかわらず、反対の声をあげる人は年々少なくなってきています。
日本人は、既成事実に弱いということを痛感させられます。
26日に東京地裁であった「君が代」裁判の判決で、「秩序維持のためには人権は蹂躙されて然るべし」といった都教委が判決文を書いたようなただただ閉口させられるばかりの判決がありました。
公正な判決だった、七生養護学校裁判の判決が画気的といわれるところに、今日の日本の司法界の悲劇があります。
戦前、一高教員だった内村鑑三先生が、教育勅語に対して最敬礼しなかったといったことで、教職を追われた「不敬事件」を彷彿させる出来事が、日常茶飯事となりつつある日本のこの頃です。
ジレンマ?
愛国心?国て??民族て?国歌て?憲法て?ある意味では民主主義国家の産物?
御互い憎みあい信用できない自分達とあなた達と区別するとかなんか・・・。
じゃあ戦国??みたいに小さい単位で統治勢力があり「国」がいいのかどうか・・・?
じゃ地球政府がいいのかどうか・・・?
『おかしな方向にいくともう迫害されたら宇宙に逃げるしかない』
頭痛くなってきました・・・。
国旗は自由と民主主義の象徴?の国もあれば戦前回帰(個人より全体秩序?「滅私奉公」)ともとられかねない国もありそうですし・・。
解決しようとするからいけない
このネタは永久に結論が出ないんですよ。国家斉唱は当たり前のことだと力んだところで空しいです。当たり前だと思わない人がいっぱいいるようなことを「当たり前」とは言えないでしょ。
だから、白黒はっきりしない、居心地の悪い状況に甘んじていればいいんですよ。ただしそれにはちょっとした強さというか覚悟が必要ですけどね。
県の歌
kuronekoさんのご意見が私は良いな。
長野県人の友人が幾人かいるのですが、「信濃の国」の歌ならみんな知っているというのがちょっとうらやましいと思ってましたから。
でも調べたら、県歌ってどこにもあるんですね。うちの県にもありました。
「秩父の雲の むらさきに~」
なんだ知ってましたよ。
30ウン年前の私の小学校時代には、たしかに式なんかで歌わされた記憶があります。講堂にも墨書の歌詞が貼ってありましたし。
(私的には同じく隣に貼ってあった「直実節」の方が好きでしたが。「秩父の峰の雪白く 名も荒川の風寒し」 )
愛国心の前にまず愛郷心でどうでしょうか?
現在のうちの県知事さんはそれでは納得してくれそうもないような人ですがね。(笑
教師の義務デス!
最悪ですよね(。→∀←。)
生徒が意見の表明に勇気を要した時に、だれが後ろ盾になってくれるでしょうか。
首を擡げる-かつての?or 昔の?
ですから処罰を受けた教師たちは、敬意を払いつつもそうした行為に参加することを辞退しただけのことです。ウィリアム・ペンが国王の前で帽子を取ろうとしなかったことが不敬の念の表われでないのと同じです。ペンにとっても、当該教師にとっても、それは全く“良心”の問題でした。
そもそも学校に於いて宗教的な教育は必要でしょうか。もちろん他の人々がそうするのを妨害しようとはしないでしょう!どうぞご自由に!。
>2009/07/13 08:13:45 にコメントした方
1. 私が国旗国歌の「強制」に反対している理由を、私自身が書いた記事の中から最低5つあげてください。(多ければ多いほど良いです。)
2. 国旗国歌の「強制」に反対する理由を、ほかの方々が書いた記事の中から最低5つあげてください。(多ければ多いほど良いです。)
3. 日本の学校のように罰則や圧力をともなって国旗国歌への恭順の強制を行っている国はどこか、あげてください。
4. 「君が代」がどのようにして作られたか、歴史的ないきさつを述べてください。
>8105番に相当する、09/08/13、13:53:43にコメントを書いた方に
「最初に手を出した」とあなたがおっしゃるのがいつでどこの誰だと認識しているのか、そして、それはどのような歴史の流れの中に位置づけられるとあなたは考えているのか、それをあなたがはっきりさせない限りは議論の焦点がぼけますので、まず、それをはっきりしてくださいますよう。
「私の私感ですので、事実に反しているかもしれません」とおっしゃるので、コメントを保留にしたうえでこういうお返事にせよと、世界愛人主義同盟の役員会(笑)の決定です。
もう一つ、ここにあげられているたくさんの記事に書かれていることについて、あなたがどう考えるのか、それもぜひお書きください。特定の記事についてでもいいですし、これらの記事の代表的な論点を要約、ピックアップしてそれにあなたの意見を言う形でもけっこうです。
学校で国歌を取り扱ったり校歌を取り扱うのを止めましょうって言う方が先かと思いますが…。
大抵の人は国歌であるかどうかは問題ではなく、学校行事の一環だから行っているだけです。
その基準で見た時に、立たない人は「行事」の破壊者な訳です。
そう言う観点で見れば、「デリケートな問題を持ちかねない事」を、
無差別に選ばれる対象への一斉行事に利用する事を制限を掛ける方がいいでしょう。
高校野球なども同様です。
国歌が国歌が、と言いますが、国歌だから特別に好きだと言う人間がいるでしょうか?
また、歌詞の中にある、現状そぐわない部分は身分制度の問題くらいで、
日本人や国家を強調する言葉もありません。
はっきり言えば、故意に教育を受けない限り、あの歌に特別な意味を見出す人間などいません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%9B%E3%81%8C%E4%BB%A3#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E5.9B.BD.E6.AD.8C.E3.81.AE.E8.AA.8D.E8.AD.98
そもそも、天皇だ軍国主義だなどと言うのはむしろ妄想に近い訳で(ry
国歌だから歌っているのではなく、行事の一環だから歌っているだけなのですから、
教師の方にも自分の狭く偏見的な視点で自分だけ不起立をするよりは、
本質的な問題である、「国歌を行事の中に取り入れる事」について意見して欲しい所です。
まぁ、そうでなければ、生徒の自由を尊重して行事の形を決めさせ、
それを手伝う、手伝わないならせめて行事に出席せず、
美しさや規則性を損なわないようにする、と言う方が良いかと思います。
考え様によっては、卒業式などの行事を教師が主導で行うのも、
自主性などの観点から問題があるのかもしれません。
行事の統一性を問題視する私のような立場からすれば、有効だと思われる意見は、
「無差別に所属させられる組織の行事において思想的要素が絡む物は極力排除するべき(当然、貴方がたが望むような思想の啓蒙の物も含みます)」とか、
「そもそも学校の校則や教師の権力(?)と言う物自体が問題」とするか、どちらかですね。
校則と言えば、日本の高校は大抵の学校がバイト禁止だったと思いますけど、
自主性や自由と言う観点で見れば問題かもしれませんね。
国旗について言えば、中国や麻生みたいに熱狂するのも馬鹿らしいかと。
(特に中国や麻生のは過剰だと思いますね、国旗を燃やしたりするのが敵意を表れである事は否定しませんが、
国旗を使うからこそ(良い意味で)意味のある物もある訳なので。)<グラビアアイドルのブログ炎上・民主党の傍は国旗を切り刻んだ
中国のグラビアアイドルが中国の国旗を利用するから意味があるし、
民主党の旗も、国旗を利用するから意味のある旗ですしね。
そんな物に対してまでめくじら立てるって、踏み絵よりも意識過剰としか思えません。
まぁ、私だって、本当に切り刻む事を目的に切り刻む人間がいれば、
「敵意持ってる奴と仲良くする気なんてないから」ですけど。(報道である旗を燃やすとか、せめて暖まる為に燃やせと)
国歌斉唱については、個人の起立不起立だけで語るから面倒臭くなるんだと思いますよ。
もし、校歌や何かでの一斉起立や一斉退場で拒否する事を問題視するのであれば、
拒否について問題視する側の考えも理解は出来ると思います…。
(国歌だけじゃなくて校歌や、半校歌みたいな歌も大抵一斉起立させられますしね。
校歌だって学校って言う体制とか、母校と言う意識が悪しき風習だと思っている人がいれば良心の問題ですしね)
世に出したいもの
昔の昔のその昔、オイラたちの指導者にして、今は在野で大学教授をしている松尾眞氏が「小泉旋風」への危機感から綴ったメルマガのなかに、国民国家に言及したものがあります。以前こちらでも紹介させていただいたかもしれませんが、もし、そうでなかったらリンクにくわえていただけたらとおもっています。
「靖国問題再考」http://www.kyoto-seika.ac.jp/matsuo/magazine/backnumber/04.html
大先生は信州の山奥にこもってないで、がんがん情報を発信していただきたいものであります。それが、青春をかけたオイラたちへの責任というものでありまするぞ。おいコラァきいてるか!
それはさておき、ボツになっても恨みはございませんyo(笑)
秘書課 セイノッ⊂(^・^)⊃フレー\(~0~)/フレー 応援してます。
アホくさいですなぁ
国旗、国歌、愛国心。
ったく、アホくさいことです。
追加で、4つほど、TBさせていただきます。。。
『風の歌が聞こえる街』 風
強制の次は
やれやれ。
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100401/lcl1004011205005-n1.htm
>Runnerさん
それにしても、「国家国民を意識しないといけない。これからはことあるごとに国歌斉唱をしていきます」という橋下の言い分、いかにもパワハラオヤヂの後付けの理屈ですね。
公務員として国家国民のために仕事をするのであれば、国歌を歌わせるよりも、高校生を論破して喜ぶのをやめるとか、町の飾り付けを労働者の生活よりも重視するのをやめるとか、まずは橋下氏ご自身の政治姿勢を見直すべきなのですけどね。
空耳 君が代
http://pub.ne.jp/shimura/?entry_id=2870208
空耳英語による「反戦・君が代」 志村建世のブログ
き み が あ よ お わ
Kiss me, girl, and your old one
ち よ に い い や ち よ に
a tip you need, it is years till you're near this
さ ざ れ い し の
sound of the dead. "Will she know
い わ お と な り て
she wants all to not really take
こ け の む う す う ま あ で
cold caves know moon is with whom mad and dead!"
(訳文)
僕にキスしたら君のその古臭いジョークにも
(サヨナラの)キスをしておやりよ
君に必要な忠告をあげよう 死者たちのこの声が
君に届くまで何年もかかったんだよ
「国家ってのは本当に奪ってはならないものを欲しがるけど
そのことに気がつく日が来るんだろうか?
冷たい洞窟だって知ってるんだ
(戦争で傷つき)気が狂ったり死んでしまった人たちを
お月さまはいつも見てるってことを」
良い政治をやらずして
本当に「愛国心」を持たせたいのなら、権力者が良い政治を行って良い国を作ることですよ。
そうすれば、人々は自ずから「愛国心」を持つでしょう。
それがまともな国のまともなやり方です。
逆にまともでない国の権力者は、良い政治を行っていない、あるいは、行う気もないから、別の方法でただひたすら強要脅迫するしかないのです。
しかも、その中身は決して「愛国心」などというものではなく、「権力への忠誠心」に過ぎません。それを「愛国心」という言葉にすりかえているだけです。
詩二編
これらを考える時に、どうしても私の心から離れない二編の詩があります。
にほんのひのまる なだてあかい
かえらぬ おらがむすこの ちであかい
どうってこたあねえよ
朝鮮野郎の血を吸って咲く菊の花さ
かっぱらっていった鉄の器を溶かして
鍛え上げた日本刀さ
前者は木村迪男の「祖母のうた」から一部抜粋、後者は金芝河(キム・ジハ)の「アジュッカリ」からで、三島由紀夫を批判したものです。それぞれ日韓の詩人です。(金芝河はパンソリで有名ですよね。昔「五賊」見に行ったっけ、って歳バレ?)
記憶に間違いがないかどうか、ついでにこれらの詩を紹介しているページをタレコモウ、とネットで検索したのですが、Googleで前者=47件、後者=1件(!)という驚愕の結果でした。その中から厳選して1件ずつ。
前者:http://d.hatena.ne.jp/suzuka_h/20090422
後者:http://monodialogos.fuji-teivo.com/archives/777
それにしても、少ないなあ。
(第二部)でポーランド的愛国心にも少し触れることになるかも知れません
点描ポーランドの風景/ワルシャワ編、2010.7(ポーランドから衆愚政治に踊る日本への手紙)(第一部)(1/2)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20101103
TBが上手く送れないのでコメントさせて頂きます
点描ポーランドの風景/ワルシャワ編、2010.7(ポーランドから衆愚政治に踊る日本への手紙)(第一部)(1/2)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20101103
守るべきもの11-02-20
都なのに国 11-02-06
yasukuni
などがあります。
これ、笑うところですか?
腕折ってる生徒に何をしろと言うんですかね?
宗教上の戒律によりしてはならない事がある者に戒律破ってでも為せと強制する、それはファシズムと言いまして。
投げ出したから無責任なんて言わないので、今すぐやめてくださいね。
個々の人が「生きれる」のを否定するのだけは遠慮してほしいので。
shiraさんによると知事がすすめる移転先は液状化だそうですね。(東京新聞)
12295はうちです。
あれ?なんで無記名になっちゃったんかしら?
あゆより。
新聞見たら面白い記事がありました。
マジ笑え??ます。
今日、あえて名前とか特定できるもの伏せて書いてます。
http://sionsuzukaze.wordpress.com/2012/03/26/表面的愛国心に拘る狭量
私個人は過去に国旗や国歌を強制されたという認識あまりないため、国旗、国家の強制が行われてしまう状況は想像し難いのですが、
愛国心と言い換えた排外主義を行うための道具として、また思想信条の統制や政治的な権力への従属を強いる目的として、
国旗や国歌を使用されていることを思えば、それは国民の自由と民主主義が損なわれることになるだろうと推測できます。
国旗や国歌や尊重されるべきものだと思います。貶していいものではないと考えます。
例えば「空耳 反戦君が代」は、君が代を馬鹿にしている気がして理解できる所もありますが少し不愉快です。
私は国旗や国歌を通して(おそらく美化された)日本を見ています。
それは西洋から見た東洋への憧れ(異国趣味、もしくは心酔?)のようなもので、
国旗や国歌が日本の文化や風景を思い起こすための曲や図案であるという思いによるものです。
ただ、私が持つ日の丸や君が代への好意的なイメージは個人の劣等感を国家という枠組みで捉えることで、
矮小な自尊心を保ちたいという願望が生み出したものかもしれません。
たとえそうであるとしても、私は日の丸を眺め君が代を口ずさむでしょう。親しみを込めて。
一方で日の丸や君が代に批判的なイメージを持つ人がいるのも事実。
そこに歴史を学ぶ必要性が生まれ、多様な考えを知ることが教育の問題として出てきます。
私も過去に軍国主義や専制的な天皇制を象徴して日の丸や君が代が利用された歴史を勉強し、
日の丸や君が代にたいして快く思わない方々に対していることを知るにいたり思うところがありました。
ただ、不斉唱や不起立が問題として取り上げられている現状では、強制が排除され個人の思想信条の自由を守られる形になっても、
違う思想に対して尊重する気持ちが無ければ事が解決が難しそうですね。
先のコメントで語られているように住み分けが一番なのかなと言う気がします。
極端な話、既存の国旗や国歌を過去に軍国主義や専制的な天皇制を象徴するものであった事実を踏まえ、
国民が自由と民主主義の尊重を求める意思を示すために新しく策定することとして、
ついでに国章(国章に準じた扱いの菊紋や桐紋)に変わるものを新しく策定、
国家を象徴する曲や図案は国家の独自性を示す固有の目印的なもので、
思想信条の統制や政治的な権力への従属を強いる目的では使用しないと定め、
締めに既存の国旗や国家の排斥もしないとすれば割方肯定的に受け入れられるかもしれません。
「緑の山河」や「われら愛す」などもあったようですが……、難しいですね。長々失礼いたしました。
こうして読み返すと実に意義あるツイートだったんですね。
そう、独裁者の旗には自由や民主主義はない。
ところが、衆院議員に成り上がったどこかの元知事ドノは、大陸の五星紅旗を論うくせに日章旗は特別扱い、しかも由来さえ知らずに。
(「下手すれば日本は五星紅旗の5番目の小星になる」と発言したことがある 4つの小星は社会階層 アメリカの星条旗とは違う)
4・28当日に
もうご存知ですか?
みなさん、ご存じかもしれませんが
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ご紹介くださった後にも、いくつかエントリーを書いていて、そのまとめ。
「政治的な教員のわがまま」と言いそう
http://ameblo.jp/kandanoumare/entry-11215190907.html
日の君 最近のエントリー
http://ameblo.jp/kandanoumare/entry-11206194618.html
君が代=軍国主義は疑問
>貨幣好きさん
1100年以上前の人が戦争を予見していたと論じている人がリンク集に集めてある記事の中にありますか?
そうではなくて、君が代を国家主義の道具、軍国主義の道具として、国民の意識を縛り付けるために20世紀の日本政府が使っていることを批判しているのです。
えらくいいタイミングで
http://minkara.carview.co.jp/userid/863031/blog/39131737/
2017年01月05日
政権発足前こそ愛国は経済を浮揚する
それにしても「愛国」ではなく「国民愛」が正しいと思うんだが!
国なんか幾ら愛したってなんも良いこと戻っちゃあこない。人(たみ)同士が愛し合う事こそが平和で居られる唯一の方法だ。
山谷や安倍が日教組について吠えているが、子供のイジメって、日教組の力が下がってきて増えてるように思えるんですけど。認知数がそれまで3000~5000件だったのが、1999年に1万人を超え、2015年には15万人を超えたんです。その間に私の地域の中学校などでもドンドン減って、いまじゃ1,2人しか居ません。殆どの教師がヒラメになってしまったんです。その結果教師自身が子供を虐める側に回ってると思われます。福島の子供のイジメ問題でも先生が「ばい菌」などと呼んでましたよね。あの教師自身が日教組潰しでヒラメになった先生に教わった時代の教師なんでしょう。だって20代ならそんな時期に子供だった訳ですからね。ですから今の子供も、そんな大人(教師)に倣って、虐めをしてるだけんだと思います。
「日の丸・君が代・愛国心に関する雑感三題
2. 国民に愛国心を強要しても、そこで不当な差別を受けた人やいわれのない弾圧をされた人が多ければ、愛国心が根付くことはありません。愛国者を増やしたければ、だれにとっても住みよい国を築くしかありません。
3. あと、愛国心との関連で話に出てきやすいのが、いわゆる「自虐史観」の問題。この問題を声高に言う人は「自分の国は何一つ間違ったことをしていない」という考えの持ち主です。しかし、「誇り」というものは、自分の弱さや間違いなどもすべてありのままにみて、それでも残ってくる「何か」から出てくるものなのではない手しょうか?
真っ先に逃げ帰った神々
兵士や居留民よりも先に,まず御神体が日本へ逃げ帰ったわけです。
この話を聞いたとき,75年前のことなのにまるで数百年前の朝鮮のことのように感じました。
「八紘一宇」の世界実現に失敗したので,早々に御神体を日本に持ち帰ったわけです。
1919年に天照大神と明治天皇を祭神とした朝鮮神社が創立され,後に朝鮮神宮に改称されました。朝鮮人民に対して強制的な崇拝が行なわれました。
シンガポールにおいては,1922年ゴム園を経営していた日本の民間人が照南神社を建立しましたが,1942年に日本軍がこれを拡張し昭南神社に建立しました。
イスラム教徒に崇拝を強制しました。
1945年8月18日に板垣征四郎から日本の降伏を告げられると,翌日から神社の爆破・破壊が行なわれました。
このように外地での神社の取り扱いは差がありました。
大日本帝国の基礎となるものは,人民ではなく,天皇及びその血筋,御神体であり,外地に神社を建立し原住民を含めた居留民に崇拝を強制しました。
まさにこのような国のあり方が,ナチスドイツがうらやましかったのものの,実現できずに終わったものです。
今でも天皇家の祭祀の行事には三種の神器などの存在が語られます。
過去にあったもので,現在とはまったく関係がないとは言えないと思います。
杉本五郎「大義」
杉本中佐は中日戦争において胸に被弾し,背後で手榴弾が爆発しても銃を杖に立って突撃命令を下し,皇居へ挙手敬礼したまま絶命しました。まるで武蔵坊弁慶のように。
以下,「杉本五郎中佐遺書 大義」(杉本五郎・平凡社)から引用して彼の思想を紹介します。
天皇は天照大御神と同一身にましまし,宇宙最高の唯一神,宇宙統治の最高神。国憲・国法・宗教・道徳・学問・芸術乃至凡百の諸道悉皆天皇に帰一せしむるための方便門なり。即ち天皇は絶対にましまし,自己は無なりの自覚に到らしむるもの,諸道諸学の最大使命なり。無なるが故に,宇宙悉く天皇の顕現にして,大にしては上三十三天,下奈落の極底を貫き,横に尽十万に亘る姿となり,
小にしては,森羅万象天皇の御姿ならざるはなく,垣根にすだく虫の音も,そよと吹く春の小風も皆天皇の顕現ならざるなし。
釈迦を信じ,キリストを仰ぎ,孔子を尊ぶの迂愚を止めよ。宇宙一神,最高の真理具現者天皇を仰信せよ。万古天皇を仰げ。
天皇は国家のためにあらず,国家は天皇のためにあり。
天皇の御為に死すること,これ即ち道徳的完成である。
釈尊もキリストも孔子もソクラテスも天皇の赤子なり。八紘一宇顕現の機関的存在なり。世界を救うて天皇国となすこと実に皇民の大使命なり。この聖戦途上鉄火に焼かるる何の恐るる所ぞ。元来皇国に領土なし。現在の国土は皇威の及べる地域のみ(或は曰く「四囲皆敵なり,内騒ぐ時に非ず」と。天皇精神発動に依る戦争は領土拡張に非ず,人類救済なり。皇威を冒涜するもの内外共に敵賊なり,共に滅すべし。)」
民主主義の反面教師として覚えておいてよいのではないかと思います。
今でも杉本五郎の純粋さに感動して落涙する人がいるのは,やはり不気味です。
「愛国無罪」はあってはならない。
朝鮮王朝は日清戦争の結果下関条約で清の宗主権が否定去れ、独立しました。その後ロシアを中心とした三国干渉で日本が遼東半島を清に返還すると,朝鮮内部にロシアと結んで日本の勢力を排除しようとする親露派が形成されました。その中心がミョンソン皇后でした。その動きに危機感を持った日本の公使三浦梧楼は1985年10月8日に日本軍守備隊,警察,ごろつき60人ほどを王宮の景福宮を襲撃させました。
容姿,服装とも美しい2人の女性が斬殺され,さらに一人の髪をつかんで隣室の玉壺楼で斬殺しました。
日本人たちはミョンソン皇后の顔を知らなかったので,女官などを連行して首実検をしたところ,最後に殺害されたのが皇后であることが分かりました。
皇后の遺体は陵辱され,焼却の後宮中に埋められたか池に投げ捨てられたと言われています。
事件の一部始終をアメリカ人の侍衛隊教官とロシア人技師に目撃されました。
日本政府は隠しとおすことができず三浦を帰国させますが,直接の関与はないとして裁判で無罪となりました。その後三浦は長州閥の旧軍人として優遇され,晩年には枢密院顧問にまで出世しました。
事件を起こした者たちは殺人が刑法上の犯罪であり,隣国の王妃を暗殺することは国際犯罪であることを知らなかったわけではありません。国のためであれば,何をやっても許される,それをやるのが真の勇気だと思ったのです。
1909年10月,伊藤博文が安重根に暗殺されますが,暗殺の理由の一つがミョンソン皇后暗殺の報復でした、
1910年に「韓国皇帝陛下は韓国全部に関する一切の統治権を完全かつ永久に日本国皇帝陛下に譲与す」という日韓併合条約が締結されました。
1923年9月関東大震災が発生し,この機会に乗じた甘粕正彦が大杉栄,伊藤野枝及び橘宗一を絞殺し,遺体を井戸に投げ込みました。ソ連の影響を受けて日本が赤化するのを恐れての殺害でした。「愛国無罪」の考えで軍人が無防備な民間人を虐殺したわけです。
1931年3月,陸軍大臣の宇垣一成を首相とすべく橋本欣五郎や大川周明が中心となって軍事クーデタを企てましたが未遂に終わりました。陸軍当局が闇から闇に葬ってしまい,一人の処罰者も出ませんでした、国家のためにという大義名分さえ立てば軍事は何をやっても罰せられないという危険な思い込みが生まれ,これが2・26事件につながっていきます、
1931年9月18日の柳条湖事件は陸軍の板垣征四郎と石原莞爾が仕組んだ謀略事件でした。出先で勝手に軍を動かすなど死刑に値する事態でしたが,軍の中央も政府も既成事実を承認し,中日戦争は泥沼化していきました。
なお当時満州にいた小沢開作は東条英機のほか官僚の岸信介をたいへんに嫌っていました。三男には板垣の「征」と石原の「爾」を組み合わせて「征爾」と名前を付けました。世界的に有名な指揮者小沢征爾さんです。
国のためなら何をやっても許される,「愛国無罪」という考えはたいへんに危険です。罪を犯したならな罰せられなくてはいけません。
安倍政権は,「愛国無罪」ではなく「私利私欲無罪」という教訓を置いて退陣することになります。
わあがあよおはー
「永遠の不服従のために」(辺見庸・鉄筆社)から一部引用します。
とても自由な心の持ち主だったという八木英三先生と賢治にまつわる話はそれほど多く残っているわけではない。賢治たちを受けもったとき,先生はまだ19歳であったこと。教室でエクトル・マロの「家なき子」の翻案である「まだ見ぬ親」などの童話を読んで聞かせ,賢治が熱心に耳かたむけていたこと。後に賢治が先生に邂逅した際,自分の童話には先生の話が影響しているとして感謝したといわれること。あらまし,その程度の伝聞にすぎないのだ。
にしても,「わが代は千代に八千代に」とは大した傑作ではないか。
問題は「わが代」斉唱の歴史的事実いかんではない。「君が代は」じゃない,「わが代は千代に八千代に」だと言い放つような教師が,大逆事件より前の1905年ごろ,その先生を小学生だった賢治が好いていたということがより重要ではないか。しかも,皇室に対し「不敬ノ行為」をなした者は,3ヶ月以上,5年以下の懲役に処するとされていた神聖天皇制下の時代に,である。
もうひとつ注目すべきは,「わが代は千代に八千代に」に漂う,どこか不敵なユーモアでだる。替え歌といっても,たったの一箇所,「君が」を「わが」に替えただけで,趣旨を完全に一変させてしまう智恵と茶目っ気が素敵である。
象徴天皇制下にして不敬罪もないはずのいま,八木英三先生のような教員がほぼ絶滅しかかっているのはなぜだろう。
さて,どうだろう,先生たちも,ここはいちばん,八木先生にならい,「君が代は」じゃないぞ,「わが代は千代に八千代に」だぞと,教室でもいいい,職員会議でもいい,敢然と言い放ってみたら。そこで盛り上がれば,「わあがあよおはー」とみんなでうたうも結構,うたわぬも結構。それだけのことで,もしも,いちいち処分が出るとするならば,この国は九十数年前と同じということではないか。
以上で引用終わり。
言論の自由がおびやかされていた時代に,自由な心をもった教師がいたというのはとてもさわやかなエピソードだと思います。
かえって今の時代に,そのような自由な心を持った人間がいなくなっているのが現状ではないでしょうか、
にしても,「わが代は千代に八千代に」とは大した傑作ではないか。
オペラと「君が代」
それに,オペラと「君が代」の組み合わせはいかにも無粋です(翻訳家Eの辺見庸氏へのEメールから)。
辺見庸さんの友人である翻訳家のEさんが女友だちとワシントン・オペラの「オテロ」を鑑賞しにNHKホールに行ったのだそうです。台風の夕方に。オテロ役のプラシード・ドミンゴのテノールを聴くのを楽しみにしていたこと,またS席65000円のチケットを台風だろうが何だろうがむだにしたくなかったのだそうです。
ところがまったく予想しないことが起きました。首相コイズミが堂々と入場してきたのです。ああ,興がそがれるじゃないか,と内心舌打ちしたとき,指揮者のワレリー・ゲルギエフとオーケストラがコイズミ入場にあわせて「君が代」の演奏を始めたのです。アナウンスがあるわけででもなく満員の客は一斉に起立し,声をだしてうたう者も少なくなかったそうです。オーケストラは「君が代」終了後,米国国歌を演奏し,「オテロ」開演はそのあとになったそうです。
Mさんとその女友だちについては,Mさんからのメールによると「ずっと座っていました。いや,その長かったこと。隣を見ると,彼女も涼しげな顔で着席していました。そうするようにべつに二人で打ち合わせたわけではありませんが・・・」。眼をこらすと右前方にぽつんと一人だけ座ったままの男がいただけだったそうです。
このエピソードを紹介した「永遠の不服従のために」(辺見庸・鉄筆社)の中で,辺見庸さんはこのように書いています。
Mは起立しなかったわけについて,「無粋」だから立たなかったのだというごくあっさりしたものいいに私は感心した。
私はやはり,Mたちの選択にくみする。すなわち,暗い樹林の底に身も心も沈めて,ああいやだ、ああいやだとあの憂鬱な歌の終わるのを首をすくめて待つほかないのである。かたくなにその姿勢をとるのは,だれのためでもない,自分のためだ。自分の内心の贅沢のためである。思想や芸術は,国家や君主を言祝ぐのを本来拒むものだ。Mのいうとおり,直立不動や敬礼を求めてくるとしたら,それは芸術でも思想でもありえない。あれは特別な歌だ。この国の歴史への反省というものをまったく欠いた歌である。あの歌の詞を私は好まない。あの歌が引きずっている途方もない暴力の歴史と,濡れた荒縄でじわじわ心を締めつけるような音律を私は好かない。まつろわぬ者への暴力をほのめかすような,あのドスのきいた音階が不気味だ。
指揮者が「君が代」の演奏を促したことは問題ではないと思います。彼は外国人であり,「君が代」の歴史的な意味を知らないのでしょうから。首相が現れて「君が代」が演奏されると,条件反射したイヌのように,直立不動で斉唱するという姿を私は好みません。
日の丸おぢいさん
なお,同書には野田毅少尉と向井敏明少尉の百人斬り競争が「血わき,肉おどるやうな,ほがらかな話であります」との記事が紹介されています。
日の丸おぢいさん
『やあ,日の丸おぢいさんが来た』といふので,見ると,向ふから國旗をかついだおぢいさんがやってくるのです。このおぢいさんは,桑名市の水谷庄六といふ七十五になるおぢいさんで,五六年前からおうちの屋根に國旗を立てて,朝晩ていねいにおじぎをしています。
また,野良に仕事に行く時は,國旗をかついで行って,それをそばに立てて仕事をしますので,人々は『日の丸おぢいさん』と呼んでゐるのです。
おぢいさんは會ふ人毎に『私たちが,こんなに安心して暮らせるのは,皆この日の丸のおかげですよ』と,國旗のありがたいことを話してゐます。
なんと感心なおぢいさんではありませんか。
「愛国の技法」(早川タダノリ・青弓社)から引用しました。
ここまでくると日の丸教です。百人斬り競争のどこがほがらかな話なのか理解できません。
「日の丸」の正しい使い方
職が見つからない場合に生活保護の受給を受けるべく申請しても,福祉課の職員からは「生活保護費は国民の税金だ。ブラブラしないで早く働け」と厳しい言葉を浴びせられました。生活保護費を受けていると,中国にいる養父母の見舞いや葬儀で中国に行くことを咎められ,中国滞在中の保護費が支給停止になり,乏しい生活費の中から分割返還させられました。
中国残留孤児は2000年から2001年8月にかけて,老後生活の保障を求める国会請願署名を集め国会請願を2回行いましたが,請願は不採択になりました。
2002年12月20日,中国残留孤児629名が東京地方裁判所に国家賠償請求を提起しました。提訴の日,原告団約600名が霞が関周辺をデモしました。そのとき原告全員が日の丸のハチマキを絞めていました。
「私たちは日本人なのに,中国語を話していると誰も日本人だと分かってくれない。日本人だと分かってもらうためにこのハチマキが必要なのだ」と言いました。
2007年1月30日に東京地方裁判所民事第二十八部(裁判長加藤謙一)が判決を言い渡しました。日本の中国侵略を正当化する歴史認識に立ち,孤児発生の原因をソ連軍との戦闘行為・犯罪行為に矮小化しました。「多くの帰国者とその家族が,・・・円滑に日本での社会生活に適応し,生活保護を受けながらも精神的に自立した生活を営んでいる」と事実とは全く異なる事実認定を行いました。
判決本文には,現地中国人を「満人」,朝鮮民族を「鮮人」,抗日武装集団を「匪賊」と蔑称が使われ,東京地裁は国際問題にもなりかねない過ちも犯しました。
瀬戸内寂聴は「判決文を読み,こういう判決文の書ける人の想像力のなさに恐怖と絶望を覚え,身も心も震え上がった,と京都新聞に書きました。
判決言い渡しの日の夜に,安倍晋三総理は柳澤厚労大臣に「法律問題や裁判の結果は別として,中国残留邦人の方々への新たな支援のあり方について,誠意を持って検討するように」と指示しました。
翌31日,安倍総理は全国の原告代表者7名と官邸で面談し,夏までに新たな支援策の策定を約束し,2月1日の国会答弁では,「本当に日本に帰ってきてよかった,生活は安心だ」と思える支援策を,「日本人として尊厳を持てる生活という観点から検討する」と言明しました。
中国残留孤児の人々は,日本では「中国人だ」と言われ,中国では「日本人だ」といわれ,つらい日々を過ごしてきました。
私は「日の丸」についてはあまり愛着がありませんし,オリンピックやスポーツ国際大会で振られることにも何も感じませんが,残留孤児の人々が自分たちは「日本人だ」と主張して,日の丸のハチマキを絞めたのはとても共感できますし,これこそ正しい「日の丸」の使い方ではないかと思いました。
霧社事件と国旗・国歌
20111年には事件を描いた映画「セデック・バレ」が公開されました。
事件が発生したのは警察官の駐在所のほかに多数の日本人が集まった運動会会場でした。国旗が掲揚され,国家が斉唱されるときに惨劇が発生しました。「日の丸」,「君が代」は日本による侵略・圧政の象徴でした。この二つの象徴が人々の目に公開された際に惨劇が開始されたわけです。子どもや女性を含む134人の日本人がセデック族により虐殺されました。結婚式の披露宴に際して日本人とセデック族の間に小さなトラブルが起き,報復を恐れたセデック族が先手を打って襲撃したものでした。差別や強制労働などにより不満を募らせていた原住民は,追いつめられたネズミがネコを噛むように武力を行使したのです。
異文化理解,相手に立ち場に立って考えるという姿勢は90年以上を経た現在の日本で改善されたと言えるでしょうか。
「日の丸」,「君が代」がアジアの人々から平和の象徴であると認識される日が来るのでしょうか。
なお初代台湾総督を務めた樺山資紀(白洲正子の祖父)は,次のような演説をしたそうです。
「台湾島は我が大日本帝国の新しい版図であり,いまだ天皇陛下の皇恩に浴さぬ地である。今日,我らはこの土地に上陸し,人々の歓喜を天皇陛下のご恩にお返しする。と同時に,皇恩とそのご威光とは共存せねばならぬものであり,人々になれなれしい侮蔑の気持ちを起こさせてはならない」「特に蒙昧愚鈍なる蕃族に割譲された,台湾の心臓地帯の林業と鉱山は,我が大日本帝国の宝となるであろう」
鄙(ひな)ぶりの唄
彼女は50歳で韓国語の勉強を始めました。「植民地支配で言葉を奪ったことは日本の罪と考え,私は汗を流しながら韓国語を勉強しています」と言っていました。母の故郷である山形の庄内弁と韓国語に類似点があることを指摘していました。
日本の罪という意識から韓国語を学び始めたというのはすごいことだと思います。私は興味本位にスペイン語とポーランド語を勉強しているだけです。
「鄙(ひな)ぶりの唄」という詩を紹介します。
それぞれの土から陽炎のように
ふっと匂い立った旋律がある
愛されてひとびとに永くうたいつがれてきた民謡がある
なぜ国歌など ものものしく歌う必要がありましょう
おおかたは侵略の血でよごされ
腹黒の過去を隠しもちながら
口を拭って起立して
直立不動でうたわなければならないのか
聞かなければならないか
私は立たない 坐っています
演奏なくしてさみしい時は 民謡こそがふさわしい
さくらさくら
草競馬
アビニョンの橋で
ヴォルガの舟唄
アリラン峠
ブンワンソロ
それぞれの山や河が薫ります
野に風は渡っていくでしょう
それなら私はハモります
ちょいと出ました三角野郎が
八木節もいいな
やけのやんぱち 鄙(ひな)ぶりの唄
われらのリズムにぴったしで
徐京植さんは,すべての国旗を必要ないとして退けます。私も同じ意見です。
日本は敗戦後,国旗・国歌を見直す機会があったのにしませんでした。
国旗がないとオリンピックのときに,日本が優勝したときに他の国々から賞賛をあびることができないなどと言った軽薄な根拠。
日教組と文部省の板挟みになって国旗掲揚に悩んで自殺した広島県の高校校長の悲劇を利用し,今後このような悲しいことが起きないよう国旗・国歌を法律で定める必要があると,国民感情をあおって法律を作った。自殺事件の当事者の一方である国があたかも第三者であるかのように国民をリードしました。
国歌は強制しないと言いながら,教員が本当に口を開けて歌っているのか
学校側がチェックしました。
国旗・国歌の強制は思想・表現の自由を侵すものであるという認識のままでは事態が改善しそうにありません。血塗られた侵略戦争を象徴し,植民地の人々に暴力を持って強制した事実に向き合い、子供たちに教えていかなければならないと思います。
次女が卒業した大学の卒業式をZoomで見たことがありますが,私立大学らしく国旗の掲揚も国家の演奏・斉唱もなく,留学生はチマチョゴリやその他自国の民族衣装を着て出席するなどとても自由でのびやかなものでした。国立大学の卒業式とは全然違います。
旭日旗も大きな問題
(2018年)10月10日から4日間,海上の軍事パレードともいえる「国際観艦式」が韓国の済洲島で実施されることになった。・・9月28日の各紙は,韓国側が日本の海上自衛隊に対し「自衛隊旗」である旭日旗の掲揚を控えるように要請してきたことを報じ,小野寺防衛相(当時)が「自衛隊法や国連の海洋法条約に基づき掲揚の義務がある旭日旗を下ろすことはない」とただちにこれを拒絶したと伝えた。これに関して日本の言論は旭日旗=国家主権の象徴であり,これを下ろせというのは国家の主権を侵害することだと声高に叫んだ。
旭日旗は明治時代の初め1870年に帝国陸軍の象徴として,1889年には海軍でも正式な軍旗として制定された。1874年には天皇の親衛隊である近衛歩兵連隊に初めて天皇から直接軍旗が授与され,以降,全国各地の歩兵連隊,騎兵連隊,砲兵連隊に授与されていった。それは単なる軍の象徴というより天皇の分身と思われていて最大の敬意が払われていたという。1938年に発行された「軍艦旗制定50周年」に際して旭日旗の表す意味が次のように記されている。
「我が軍隊旗は,周知の通り紅の日章から四周に十六條の光線が放射している象であって,これは言うまでもなく『御稜威を四海に輝かせ』との意義にほかならぬ」
つまり大日本帝国=天皇の威光が全世界に届く様子を象ったもので,単純に輝く朝日ではなかった。だからこそ軍の記念日などでは必ず連隊長が軍旗に向かって抜刀の礼を行い,兵士たちは捧銃の姿勢を保った。毎年部隊のある地域の住民と親睦を深める行事として「軍旗祭」が行われ,東南アジアや中国などの占領地に日本軍部隊が入城するときにもその先頭には常に軍旗が翻っていた。
軍艦旗制定50周年にその年から始まった朝鮮人特別志願兵制度はやがて1944年には徴兵制度に変わって,植民地朝鮮の若者が日本の侵略戦争に直接駆り出されるようになるが,彼らの行進する姿の先にはやはり旭日旗が掲げれれていた。
こうした歴史を踏まえたとき,旭日旗は外務省や菅官房長官の「旭日旗のデザインは大漁旗や出産,節句などの祝い旗として日本国内で広く使用されていて軍国主義の象徴だという指摘は全く当たらない」という説明は,単なるデザインとしての旭日模様と,海上自衛隊が軍機として使用する旭日旗のちがいを意図的に覆い隠そうとするごまかしだといわざるをえない。
以上で引用を終わります。
乃木希典は明治天皇が死去したときに自害を果たし,天皇に仕える軍人としてたいへん立派にその死を遂げたとしてもてはやされ,神社ができるほど尊敬されました。
しかし,乃木の自害は殉死ではなかったのです。西郷軍に連帯旗を奪われたことに死ぬほど苦しみ,また日露戦争で多くの戦死者を出したことに大きな責任を感じていました。乃木は無能な将軍だったという説も高く叫ばれています。乃木は一刻も早く自害したかったのですが,明治天皇が「そんなに腹を切りたかったら,朕がこの世を去ってからにしなさい」と説得され,自害する時期を待っていたのが真相です。
旭日旗は天皇の分身であり,生命をかけてでも守らなければならないものでした。
旭日旗を自衛隊が神聖・重要視するのは,それが従来天皇から授与されたものであるからです。自衛隊は今もなお天皇の軍隊であることを表明するものです。人間の生命よりも重要視されてきたのです。植民地の臣民として苦しみ,しいたげられた朝鮮の人々が正視にたえないのはもっともなのです。
天皇制に期待する者の考えは千差万別
前人未踏・空前絶後の69連勝をした横綱双葉山は昭和22年金沢での璽光尊(じこうそん)事件で警察に逮捕されてしまいました。教祖の璽光尊(長岡良子=ながおかながこ)の食料管理法違反容疑に連座したものです。なにしろ大男だったので警察は相当苦労したようです。8ヶ月後には時津風親方として理事に,その後は理事長になって相撲界の改革を行いました。もともと信心深かったようで,日蓮宗に傾倒し,戦前・戦中は杉本五郎の「大義」を肌身離さず,何度も読んだ天皇主義者でした。双葉山の心の中には相撲と天皇しかなかったようです。日本が敗戦し,裕仁天皇が人間宣言をし,「天皇を持って現御神とし」たことを「架空の観念」と言われ大きなショックを受け,心のよりどころを無くしたようです。璽宇(じう)では戦前は現御神である天皇を補佐する第一の位置にあるとしていたところ,天皇が人間宣言してしまったため,自らを天皇を超える立場にあるとしました。教団の中だけで通じる紙幣を発行し,オウム真理教のように内閣を構想し,元号は昭和をやめて霊寿としました。ともに自決した軍人の阿南惟幾,杉山元は熱心な信者であり,徳川無声,川端康成,金子光晴,亀井勝一郎のほか同業者(天
照皇大神宮教の教祖)である北村サヨも出入りしていたそうです。
碁聖である呉清源から「女神様に会ってみないか」と誘われたのが璽宇への出入りの一歩でした。
後日双葉山は「自分には学問がなかったから」と語ったそうですが,おそらく純粋な人だったのでしょう。純粋な人ほどカルトにはまる傾向があるそうです。なお,双葉山の断髪式でハサミを入れた一人の野依秀市(のよりひでいち)は,ジャーナリストであり尊王主義を唱え,国粋主義活動家であり,帝国日日新聞と東京毎日新聞を合併し,児玉誉志夫から師と仰がれた裏社会の実力者でした。
三島由紀夫は『英霊の聲』の中で次のように書いています。
『実は朕は人間であった』と仰せ出されたのである。われらが神なる天皇のために,身を弾丸となして敵艦に命中させた,そのわずか一年あとに・・
だが,昭和の歴史においてただ二度だけ,陛下は神であらせられるべきだった。何と云おうか,人間としての義務(つとめ)において,神であらせられるべきであった。
また二・二六事件の皇道派将校の中心人物で処刑された磯部浅一は,三島の心情を大きくゆすぶったとされています。
今の私は怒髪天をつくの怒りにもえています。天皇陛下,何といふ御失政でありますか,何と云ふザマです,皇祖皇宗に御あやまりまさいませ。
天皇制というのもは中身がからっぽで,考えること,期待することが人によって千差万別です。実際の人間としての天皇と「こうあってほしい」天皇とはギャップがあります。それを知っているからこそ国家の支配階級が利用するわけです。
安倍晋三の国葬は統一教会の宣伝に貢献し,国家を愛さず究極の国家指導者を悼まない人々を踏み絵にかけました。岸田の暴挙を忘れてはいけません。
日本語で定着している外国語
・雨合羽などというときのカッパは,ケープ,マントを意味するスペイ
ン語のcapaが語源です。
・キリシタンは,ポルトガル語のchristȃoが語源です。
・アルバイトは.ドイツ語のArbeitからの借用語です。
・インポテンツは,ドイツ語のImpotenzからの借用語です。
・ドンタクは,オランダ語のzondagから来た語で日曜日または休日の意
味です。
・カステラは,スペイン・カステリア王国のパンという意味のポルトガ
ル語から来ています。
・チョンガ―,タンベはそれぞれ独身男性,タバコを意味する韓国語で
す。
・小学校のダンスで使われる「マイムマイム」は,水を,水をという意
味のヘブライダンスです。原典は聖書になります。ヘブライ語は右から
左に書きます,ペルシャ語と同じく。
・呉服は,呉から伝来した機織で呉織とも書かれ,「くれはとり」が語
源です。
反対に日本語源のポーランド語には,harakiri,anime,katana,sushi,
tsunami,tofuがあります。
世界は文化でつながっています。外国の文化を忌避・排斥するのは愚かなことです。
平和の申し子たちへ
平和の申し子たちへ!
泣きながら抵抗を始めよう
なかにし礼
二〇一四年七月一日火曜日
集団的自衛権が閣議決定された
この日 日本の誇るべき
たった一つの宝物
平和憲法は粉砕された
つまり君たち若者もまた
圧殺されたのである
こんな憲法違反にたいして
最高裁はなんの文句も言わない
かくして君たちの日本は
その長い歴史の中の
どんな時代よりも禍々しい
暗黒時代へともどっていく
そしてまたあの
醜悪と愚劣 残酷と恐怖の
戦争が始まるだろう
ああ 若き君たちよ!
巨大な歯車がひとたびぐらっと
回りはじめたら最後
君もその中に巻き込まれる
いやがおうでも巻き込まれる
しかし君に戦う理由などあるのか
国のため? 大義のため?
そんなもののために
君は銃で人を狙えるのか
君は銃剣で人を刺せるのか
君は人々の上に爆弾を落とせるのか
若き友たちよ!
君は戦場に行ってはならない
なぜなら君は戦争にむいていないからだ
世界史上類例のない
六十九年間も平和がつづいた
理想の国に生まれたんだもの
平和しか知らないんだ
平和の申し子なんだ
平和こそが君の故郷であり
生活であり存在理由なんだ
平和ぼけ? なんとでも言わしておけ
戦争なんか真っ平ごめんだ
人殺しどころか喧嘩もしたくない
たとえ国家といえども
俺の人生にかまわないでくれ
俺は臆病なんだ
俺は弱虫なんだ
卑怯者? そうかもしれない
しかし俺は平和が好きなんだ
それのどこが悪い?
弱くあることも
勇気のいることなんだぜ
そう言って胸をはれば
なにか清々しい風がふくじゃないか
怖れるものはなにもない
愛する平和の申し子たちよ
この世に生まれ出た時
君は命の歓喜の産声をあげた
君の命よりも大切なものはない
生き抜かなけれならない
死んでならない
が 殺してもいけない
だから今こそ!
もっともか弱きものとして
産声をあげる赤児のように
泣きながら抵抗を始めよう
泣きながら抵抗をしつづけるのだ
泣くことを一生やめてはならない
平和のために!
「良心的兵役拒否」に類する行動をとった青年たち
被差別部落出身の佐藤政雄(のちの俳優・三國連太郎)さんは,1943年(昭和18年)12月、20歳のとき大阪で働いていましたが、徴兵検査の通知が来て故郷の伊豆に戻り,甲種合格後に実家へ戻りました。すると「おまえもいろいろ親不孝を重ねたが、これで天子様にご奉公ができる。とても名誉なことだ」という母の手紙が来ました。三國は、「戦争に行きたくない。戦争に行けば殺されるかもしれない。死にたくない。何とか逃げよう」と考え、同居していた女性とすぐに郷里の静岡県とは反対の西へ向かう貨物列車に潜り込んで逃亡を図りました。逃亡4日目に列車を乗り継いで山口県まで来たとき、母に「ぼくは逃げる。どうしても生きなきゃならんから」と手紙を書きました。親や弟、妹に迷惑がかかることを詫び、九州から朝鮮を経て中国へ行くことも書きそえました。数日後、佐賀県呼子で船の段取りをつけていたところで憲兵に捕まり連れ戻されました。処罰は受けず、静岡の歩兵第34連隊に入れられました。
中国へ出征する前、最後の面会にやってきた母が「きついかもしれんが一家が生きていくためだ。涙をのんで、戦争に行ってもらわなきゃいかん」と言ったとき、母親が家のために黙って戦争に行くことを息子に強要し、逃亡先からの手紙を憲兵隊に差し出したことを知りました。家族が村八分になるのを恐れ涙を呑んでの決断だったとのことでした。中国の前線へ送られた三國の部隊は総勢千数百人でしたが、生きて再び祖国の土を踏めたのは20人から30人にすぎませんでした。戦地へ向かう途中、身体を壊し熱病にかかり10日間意識不明になり、死んだものだと思われ、工場の隅でむしろをかぶせられて放置されていましたが、焼き場に運ばれ、いざ焼く番になってむしろをはがしたら目を覚ました。彼自身は銃を一発も撃つことはなかったとのことです。
東京帝国大学生の北御門二郎さんは良心的兵役拒否を行いました。
農民作家の山田多賀市さんは,自分の死亡診断書を偽造して徴兵忌避に成功しました。憲法9条出現の戦後も戸籍を復活しませんでした。
日本の思想に欠けているのは,良心に従った抵抗の精神
1946年5月に無実の罪でBC級裁判でシンガポールで銃殺刑に処せられた木村久夫さん(京都帝国大学生として学徒出陣)の言動に五十嵐さんは関心を寄せました。木村さんは,日本の戦争責任について,「満州事変以来の軍部の行動」と「指導者の存在」を「許してきた全日本国民に其の遠い責任がある」と書き残していました。日本の戦争に疑問を持った木村さんは,幹部候補生試験の受験を拒否し通しました。
五十嵐さんは,荒井昭夫さん(大東文化大学教員)あてに書簡を送りました。
「教育学は人間を考えるので,日本人(総体)を問題にしないのでしょうが,(性奴隷とされた)朝鮮人女性に対するはずかしめの罪を日本と日本人が認められるほどの能力・力量・倫理観がないことが明白である今日,一体日本の(戦後民主主義)教育,日本人の人間形成をどう考えたらいいのでしょうか」
五十嵐さんは佐貫浩さん(法政大学名誉教授)あてに「日本の思想にもっとの欠けているのは,良心にしたがって立ち上がる抵抗の精神です」と書簡を送りました。このことは漫画「美味しんぼ」の原作者である雁屋哲さんもブログで紹介しました。
対照的に福沢諭吉はこう言いました。「今日本島を守るに当たりて,最近の防禦線を定むべきの地は必ず朝鮮地方」と。これは山形有朋の「外交政略論」より3年前の発言であり,松岡洋右の「満蒙は我国の生命線」発言の先駆的発言でした。福沢諭吉は日清戦争勝利に熱狂し,次のように書きました。「主権云々は純然たる独立国に対する議論にして,朝鮮の如き場合には適用す可らず。今,日本の国力を以てすれば,朝鮮を併呑するが如きは甚だ容易にして,一挙手一投足の労に過ぎざれども,・・・我に利する所少なきが故に之を見合わせ・・」
以上の内容ようsは.「日本人はなぜ『お上』に弱いのか」(安川寿之輔/高文研)から一部引用しました。
下級軍人は違法不当な上官の命令に服する義務はあるのか。
中国戦線で初年兵教育の一貫として,中国人捕虜の刺殺が行われました。上官の命令により,日本軍兵士の99%が受け入れ刺殺を実行したと推測されています。ところで,1944年春,河北省において48名の新兵が八路軍捕虜5名を刺殺したときに,命令を実行しなかった兵士がいました。渡部良三さんはキリスト教信仰に則り「徹底抗命」して拒否しました。渡部さんは,一切の資格が剥奪され,(危険思想の持ち主という)赤付箋付きの兵隊・要注意人物とされ,徹底した差別を受け,人知で考え得るほとんどのリンチを経験しましたが,命を落とすことなく復員しました。
違法不当な上官の命令でもこれに服することは無罪というのは,日本軍内部でしか通用しない論理でした。撫順戦犯管理所管理者の証言とベルリンの壁の東独国境警備兵への判決文があります。前者には「戦争には組織者と命令者と実行者が必要であり,私は実行者の一人として、マルタを七三一部隊に届けた」という証言があります。後者は「上からの指示で人の命を奪う状況に直面した場合,良心を放棄することは,二十世紀も終わりを迎えた今,もはや許されない」という人道に反する罪の判決文があります。
以上のことは,「日本人はなぜ『お上』に弱いのか」(安川寿之輔/高文研)から引用しました。
「日の丸,君が代問題」に関する自由権規約委員会の2022年勧告
2023年2月9日),東京「君が代」裁判・5次訴訟の第8回口頭弁論期日。満席の法廷で原告側から準備書面(11)を要約して弁護団最若手の山本紘太郎弁護士が陳述しました。勧告の内容は次のとおりでした。澤藤統明朗弁護士の「憲法日記」からの引用になります。
38.委員会は、締約国(日本)において思想及び良心の自由が制限されているとの報告に懸念を抱いている。学校の式典で国旗に向かって起立し、国歌を歌うということに従わないという教師の消極的で破壊的でない行為の結果、一部の者が最長6ヶ月の職務停止の処分を受けたことを懸念している。さらに、委員会は、式典中に生徒に起立を強制するために物理的な力が行使されたとされることに懸念している(第18条)。
39.締約国(日本)は、思想及び良心の自由の効果的な行使を保障し、規約第18条の下で許容される狭義の範囲を超えて制限するようないかなる行動も慎むべきである。自国の法律と慣行を規約第18条に適合させるべきである。
10・23通達など都教委の実務は、法律より上位にある条約である自由権規約への不適合を勧告されました。条約不適合の勧告は2014年に引き続き2回目です。都教委の実務は、ILO/ユネスコ合同委員会のセアートからも勧告を受けています。国際協調の精神は教育の目標の一つです。
日本は人権については5段階の成績評価で言えば1でしょう。頑張って勉強すれば成績を上げて2にも3にも上げられるのに,国際基準に背を向けたままです。こういう悪ガキは教師もあきれてしまうほどです。
強制連行訴訟等
強制連行・強制労働事件の裁判結果
〇花岡事件(秋田県花岡鉱山の河川改修工事,連行被害者数986人)
被告:鹿島組 原告:11人
1995,6、28 提訴(東京地裁)
1997,12,10 東京地裁敗訴
2000、11 東京高裁で和解成立
鹿島建設は中国紅十字社に5億円拠出,信託。被害者への支払い,遺族の慰霊,
追悼等にあてる。
〇劉連仁訴訟(東京第一次訴訟,北海道明治鉱業・昭和鉱業所に連行され,脱走して13年間北海道で逃亡を続けた。連行被害者数200人)
被告:国 原告1人
1996,3,25提訴
2001,7,12東京地裁勝訴
賠償額2000万円を認める。ただし戦時中の強制連行については国家無答責を理由に認めず。
2005,6,23 東京高裁敗訴
2007,4,27 最高裁敗訴
〇東京第二次訴訟
被告:国,間組,古河鉱業,鉄道建設興業,西松組,宇部興産,藤田組,日鉄鉱業,飛鳥組,日本鉱業,三菱鉱業
原告:42人
1997,9、18 提訴
2003,3,11 東京地裁敗訴(国家無答責は否定)
2006,6、16 東京高裁敗訴
2007,6、12 最高裁敗訴
2010,4,26 和解成立
西松建設との間に信濃川作業場に関する連行被害者全員183人について和解成立。
和解金1億2800万円。
〇長野訴訟(長野県木曽谷などの水力発電所工事)
被告:国,鹿島建設,熊谷組,大倉組,飛鳥組
原告:7人
1997,12、12 提訴
2006,3、10 長野地裁敗訴
2009,9,17 東京高裁敗訴
2010,2、24 最高裁敗訴
〇広島安野訴訟(広島県安野水力発電所工事,連行被害者数360人)
被告:西松組
原告:5人
1998,1,16 提訴
2002,7、9 広島地裁敗訴
2004,9,29 広島高裁勝訴(1人550万円)
2007,4,27 最高裁敗訴(付言がつく)
2009,10,23 和解成立
最高裁付言に基づき,被害者全員360人を対象とする和解成立。和解金2億5000万円
〇京都大江山訴訟(大江山ニッケル鉱山での強制労働,連行被害者数200人)
被告:国,日本冶金
原告:6人
1998,8、14 提訴
2003,1,15 京都地裁敗訴
2004,9、29 大阪高裁で原告6人について企業との和解のみ成立。1人350万円)
2006,9,27 大阪高裁 国に敗訴
2007,6,12 最高裁 国に敗訴
〇北海道訴訟(各地炭鉱労働)
被告:国,三井鉱山,住友石炭鉱業,熊谷組,新日本製鉄,地崎組,三菱鉱業
原告:43人
1999,9,1 提訴
2004,3,23 札幌地裁敗訴
2007,6、28 札幌高裁敗訴
2008,7、8 最高裁敗訴
〇新潟訴訟(新潟港での港湾荷役,連行被害者901人)
被告:国,新潟臨港開発
原告:12人
1999,8,31 提訴
2004,3,26 新潟地裁勝訴(1人800万円)
2007,3,14 東京高裁敗訴
2008,7、4 最高裁敗訴
〇福岡第一陣訴訟(炭鉱労働,事業場は三井三池炭鉱,田川炭鉱など多くに分かれる)
被告:国,三井鉱山
原告:15人
2000、5,10 提訴
2002,4,26 福岡地裁勝訴,三井鉱山に勝訴(1人1100万円)
2004、5,24 福岡高裁敗訴
2007,4,27 最高裁敗訴
〇群馬訴訟(利根川の水力発電所工事など)
被告:国,間組,鹿島組
原告:48人
2002,5,27 提訴
2007,8,29 前橋地裁敗訴
2010,2、9 東京高裁敗訴
2011,3,1 最高裁敗訴
〇福岡第二陣訴訟(炭鉱労働)
被告:国,三井鉱山,三菱鉱業
原告:45人
2003,2,28 提訴
2006,3,29 福岡地裁敗訴
2009,3,9 福岡高裁敗訴
2009,12、24 最高裁敗訴
〇長崎訴訟(3つの炭鉱での強制労働)
被告:国,長崎県,三菱鉱業,三菱重工
原告:10人
2003,11,28 提訴
2007、3,27 長崎地裁敗訴
2008、10、20 福岡高裁敗訴
2010、1,6 最高裁敗訴
〇宮崎訴訟(三菱槙峰銅鉱山での強制労働,連行被害者数250人)
被告:国.三菱鉱業
原告:13人
2004、8.10 提訴
2007,3,26 宮崎地裁敗訴
2009、3,27 福岡高裁宮崎支部敗訴
2010,5,27 最高裁敗訴
〇山形酒田訴訟(山形県酒田港での港湾荷役,連行被害者数338人)
被告:国,酒田港湾運送
原告:12人
2004、12,17 提訴
2008,2,12 山形地裁敗訴
2009,11,20 仙台高裁敗訴
2011,2.18 最高裁敗訴
〇石川県七尾訴訟(七尾港での港湾荷役)
被告:七尾海陸運送
原告:4人
2005、9及び2006、12提訴
2008、10,31 金沢地裁敗訴
2010、3,11 名古屋高裁金沢支部敗訴
2010、7,21 最高裁敗訴
虐殺・慰安婦等訴訟
〇平頂山事件
1996、8,14 提訴
2002、6.28 東京地裁敗訴
2005、5,13 東京高裁敗訴
2006、5,16 最高裁敗訴
〇南京虐殺・無差別爆撃・七三一部隊事件
1995、8,7 提訴
1999、9,22 東京地裁敗訴
2005,4,19 東京高裁敗訴
2007,5.9 最高裁敗訴
〇遺棄ガス・砲弾被害事件
第1次訴訟
1996、12,9 提訴
2003、9,29 東京地裁勝訴
2007、7.18 東京高裁敗訴
2009,5.26 最高裁敗訴
第2次訴訟
1997、10,16 提訴
2003、5,15 東京地裁敗訴
2007、3,13 東京高裁敗訴
2009、5,26 最高裁敗訴
チチハル訴訟
2007、1,25 提訴
2010,5,24 東京地裁敗訴
2012、9,21 東京高裁敗訴
2014、10,28 最高裁敗訴
敦化訴訟
2008,1,17提訴
2012、4,16 東京地裁敗訴
2013、11,26 東京高裁敗訴
2014、10,28 最高裁敗訴
〇中国人「慰安婦」訴訟
第1次訴訟
1995、8,7 提訴
2001、5,30 東京地裁敗訴
2004、12,15 東京高裁敗訴
2007、4,27 最高裁敗訴
第2次訴訟
1996、2,23 提訴
2002、3,29 東京地裁敗訴
2005、3,18 東京高裁敗訴
2007、4,27 最高裁敗訴
海南島戦時性暴力被害事件訴訟
2001、7,16 提訴
2006、8,30 東京地裁敗訴
2009,3.26 東京高裁敗訴
2010,3.2 最高裁敗訴
北京化工管理幹部学院で経済法を教えていた童増は,戦勝国が敗戦国に対して請求する「戦争賠償」と,民衆が被った損害を侵略国に請求する「民間賠償」の違いを指摘し,1972年9月の中日共同声明で中国政府が放棄したのは前者であり,後者は放棄していないことを論証しました。彼の論文は多くの中国の新聞に掲載され,瞬く間に全国的に報道されました。
1995年3月に銭其琛外相は全人代の非公開グループの会議で「中日共同声明で中国は国家賠償を放棄したが,これに個人の賠償は含まれない」と指摘し,「中国政府は,個人の賠償請求を阻止しない」と述べました。
これは正しい解釈だと思います。国家は個人が被った痛み・苦しさを代弁することはできませんし,その請求を個人に代わって放棄することなどありえないからです。日本の裁判官は根本的に間違っています。このような政府と裁判官を持つ日本を「愛せよ」と言われるのはとても嫌です。
中国への無差別爆撃事件の損害賠償を求める訴え(原告証言)
の助教授をしています。私は4歳のとき,日本軍の爆撃により右腕
を失いました。
爆撃があった1943年午後1時ごろ,私と母,二人の妹は,福建
省永安市の自宅で,昼ご飯を食べていました。爆撃が始まり,母は
子どもを食卓の下に隠し,その上を布団で覆いました。母も全身を
食卓の中に隠して,右手で布団の端を抑えていました。爆弾は中庭
の隅近くの道路上に落ちました。爆撃を受けて,私の右手が飛んで
行ってなくなりました。母の右手もなくなり,血が流れて,天井の
壁,床に血が付きました。私は翌日の朝,病院のベッドの上で,麻
酔が切れて激痛で目を覚ましました。のどが渇いてたまりませんせ
した。目まいもしました。右手の支えがなくなりましたから,起き
上がることができませんでした。母は同じベッドに寝ていて,私は
母の足元のところで寝ていました。母も昏睡状態で,私が呼んでも
反応がなくて,泣きました。
後から聞いた話では,その日,16機の日本軍機が永安市を爆撃し
ました。人口の密集したところにまず焼夷弾を投下し,人々が火を
消したり家財を持ち出したりしているところに,さらに爆弾を落と
したり,機関銃で掃射したりするというやり方でした。爆弾の数は
200発余りになります。978棟,部屋の数にすると1万部屋くらい
が被害を受けました。木の上や電線に内臓や手足が引っかかってい
て,あらゆるところに生臭いにおいや焼けただれたにおいが立ち込
めていたそうです。永安市は3万人の人口があったところですが,
罹災者は1万人で,死傷者の数は1000人を超え,大火事は3日3
晩続きました。爆撃から半月たっても,500体余りの無縁仏がまだ
異臭を放っているという状態でした。
これも後から聞いた話では,近所の人たちが私たちを救急所に運
びました。医者は私たちの具合を重いとみて,それぞれに強心剤を
打ち,それから私たちは,日本軍の空襲を避けるため町の中心部を
離れ山間に作られた福建省の病院に運ばれました。病院の前には
重症の患者が長い列をなし,私たちを戸板で担いできた人は,私た
ちが動かないのを見て,もうすぐ死ぬと思い病院の前の畑に放置し
ました。そこへ院長が町から帰ってきて,私たちを見つけ,傷が重
いのではないかと思い,先に診てくれました。まず私の,次に母の
手術を行いました。二人の手術は合わせて3時間かかったそうです。
母は当時30歳で,病院の看護師長をやっていましたが,その後
大変な苦労を強いられました。父が仕事に出かけているときは,一
本の腕で自分の身の回りのことをしなければいけませんし,家事を
したり,三人の子どもを養うこともしなければいけませんでした。
二人の妹はまだ小さくて,1歳と3歳だったんです。家の中の仕事
は,母の一本の手で,私も一本の手で,二人の一本ずつの手を合わ
せてやっと一人分のことができる状態でした。一人がタオルの一方
を持って,もう一人が反対側を持って,二人で絞って顔を洗うとか。
野菜を切るときも,一人が野菜を持ってきて一人が包丁を持って切
ります。マッチを擦るときも,服を洗うときも,妹たちの世話をす
るときも,二人で一人前という形でした。
母は爆撃後体が弱くて,翌年の春に2回意識不明に陥りました。
心理的にも大きなショックを受け,元の仕事に戻れず,中国では当
たり前の共稼ぎができなかったっため,経済的にも苦しい思いをし
ました。実家に戻ったときには,ご飯を食べているだけで働かない,
みっともない服を着ている乞食だと.祖父から言われました。ショ
ックを受けた母は,何度か自殺を図りました。1948年春に村の川
で橋の上から飛び降りましたが,私の三番目のおじさんによって救
い出されました。救い出されても,母は,生きることも許されない
し,死ぬことも許されないと言っていました。そして村の中に行っ
て,日本人が私をこんな苦しい目に遭わせて.私はもう行き場を失
ってしまった。これはすべて日本人のせいだというふうに,大きな
声で叫んでいました。
村の人たちが同情して,母に,強く生きてください,子どもたち
を置いて行ってはダメだというふうに言いました。私たち子どもも,
泣いて母の周りを囲んで,強く生きていくように,私たちも支えて
いくから,というふうに言いました。大きくなったら,きっと私た
ちが日本政府に対してこの無念を晴らすから,と言いました。
私は右腕を失ってから,バランスを失ってよく転びました。右肩
と右肺の発育が不全で,気温がちょっと低くなりますと,切断した
部分に鈍痛を感じて苦しい思いをし,ときどき眠れない夜もありま
した。小さいときは子どもたちによくいじめられました。頭を引っ
張ったり,首筋から泥を入れたり,髪の毛に砂をまいたりするので
す。手のない私が抵抗できないのを見て,蹴ったり,びんたを食ら
わせたりもしました。どうして人は私をこう差別するのか,いじめ
るのかとずっと思っていて,誰も人が住んでいないところに住みた
いと思っていました。
高校進学のとき,杭州市のどの高校も私の申込を受け付けてくれ
ませんでした。国が障害者を教育するのは浪費だと言うのです。私
にとっては晴天の霹靂で,もう私の人生は終わるのではないかと,
とても悲しくなりました。私はこの不幸な境遇を,新聞社に投稿し
ました。反響があり,教育庁長が私に会ってくれました。成績表や
卒業証書を見せ爆撃を受けたときの経過などを話すと,庁長は「私
の願い」という作文を書くように言いました。私は,一生両親に養
われ,社会から救済されるような人にはなりたくない,まして母も
障害者なのだからなおさらだ,さらに自分を磨いて,国や社会のた
めになる有能な人材になりたいと書きました。庁長は受験の機会を
与えてくれ,高校に進学しました。私は杭州市の仲でも二番目の成
績だったそうです。その後も大学進学や結婚,就職,転勤のとき,
同じような大変な目に遭いました。
日本政府に対し損害賠償請求をしようと思ったのは,腕を失った
小さいときからです。1991年に新聞に載った童増氏の文章を見て,
日本政府に損害賠償できるのでは,と具体的に思いました。翌年,
日本の天皇が訪中した際には,北京の日本大使館に,日本政府の謝
罪と賠償を求める要求書を,合わせて三通送りました。反応があり
ませんでしたので,童増先生にお会いしたところ,日本の弁護士を
紹介されたのです。
私たちの被害の事実は明かです。証拠も豊かです。日本政府に謝
罪と賠償を求めますが,これは私の家族,友人たちの50数年の長
きにわたる強い要求と願望でした。私には,普通の,健常者のよう
な幸せな少年時代はありませんでした。日本の軍国主義が,私から
幸せな少年時代を奪ってしまいました。そして母の生涯を苦しみと
不幸のどん底に陥れ,また私たち一家も苦痛と不幸にさいなまれま
した。私は中国にいる数多くの被害者の一人にすぎません。私たち
は,全世界の多くの人が平和に暮せるように,日中両国の友好のた
め新しく素晴らしい21世紀を迎えられるように,日本の裁判所が,
人道,平和,正義,真理と人間の尊厳の立場から,公正で理にかな
った判決を下されるよう,心から希望します。
(1998年7月29日 東京地方裁判所)
都市に対する無差別爆撃は非戦闘員を殺戮の対象にする行為とし
て,国際法に違反する戦争犯罪です。しかし,アメリカ軍が日本の
各都市に対し無差別攻撃を行ったこともあり,戦後の極東軍事裁判
では日本軍の無差別爆撃が加害行為として追求されることはありま
せんでした。
日本軍の戦争犯罪に苦しめられた被害者の方々の思いはひとつと
して同じものはありませんが,少しでも知っておくべきだと思い,
紹介しました。
中国での残虐行為を認罪した元憲兵
おり証言しました。
三尾豊です。83歳になります。1934年1月に軍隊に入り,1943年の今
回の事件に関与しました。1945年から56年までは,捕虜としてロシアや
中国で過ごしています。
入隊後,非常に過酷な訓練,古年兵の不条理なリンチで,憧れていた軍
隊が嫌になってきました。憲兵は上等兵から営外に住むことができ,給料
が非常に高く,また弾の来る第一線に出ることも少ないことから,憲兵を
志願しました。1936年に憲兵として,チチハル憲兵分隊に配属されました。
満州における憲兵の任務は,関東軍の治安工作,特に中国の抗日部隊に対
する作戦の情報収集のほか,一般民衆の動向査察,特に中国共産党満州省
委員会の策動に対する内偵,などです。
1936年のたしか5月,部隊が出動した帰りに怪しい朝鮮族の女性1名
を連行してきました。私は憲兵の上等兵になったばかりであまり経験はな
かったのですが,この女性が朝鮮独立軍のスパイだろうとにらみまして,
直ちに取り調べにかかりました。最初は上衣を脱がして竹刀で乱打します。
女性はアイゴ,アイゴと言うだけで何も答えません。そのうち背中の皮膚
が破れて血が吹き出す。それでも答えない。通訳にたしなめられて一応中
止しましたが,翌日さらに激しい拷問をかけました。女性の下衣を脱がし,
陰部に竹刀の先を突っ込みました。それでも,何らその女性から独立軍の
情報を取ることはできませんでした。一週間ほど後,女性を釈放しました。
1943年6月,憲兵隊の無電調査班が,大連地区からソ連向けの怪電波
をキャッチしました。無電の発信地は,大連市の海岸にある中国人の写真
館でした。10月になってこの写真館を襲撃し,逮捕したのが朝鮮族の沈
得竜です。ソ連の諜報員であったこの沈を,今度は日本側のスパイにしよ
うということで,拷問はせず食事等を優遇するという懐柔工作を行いまし
た。その結果沈が関係者として名を挙げた一人が,天津の王耀軒です。
私は天津で捜査に当たり,10月末の早朝,王耀軒の経営する紡績工場の
労働者宿舎を襲撃し,門を蹴破りました。宿舎から一人逃げ出した者がい
て,その裏へ私が飛び出すと,屋根の方から足を滑らせて一人の男が落ち
てきました。これが王耀軒だったのです。私は王耀軒を大連憲兵隊に連行
し,取り調べました。中国共産党の相当の地位にあるものだろうと考え,
厳しく追及しましたが,私の期待する回答は一向に出ません。そこで拷問
を始めました。
特に目新しい拷問ではありません。六尺机の上に寝かせて,手足を動か
ないように縛り付けて,鼻にハンカチを掛けて水をちょろちょろとかけて
やる。呼吸ができないので,供述すると言う。そこで水を止めて聞きます
が,詳しく知らないと言う。一向に取調べが進まないので,水拷問をやめ
て,足の裏をろうそくでじりじり焼く拷問をしました。しかし,結局中国
共産党関係の情報を取ることはできませんでした。
検挙から約3ヶ月捜査が続きましたが,事件は沈得竜らによる国際諜報
事件であることがはっきりしましたので,憲兵隊は沈や王耀軒ら4名を
「特移扱」として731部隊に送ることにしました。当時,我々は731部隊
という呼称を知りません。ただ,あの部隊に一旦入ったら二度と出てこな
い非常に恐ろしい部隊であると,もう一つ,家畜に細菌を注射してソ連国
境から放し,ソ連側の住民や部隊に伝染させることをやっているというう
わさを,憲兵同士が話し合っていました。
王耀軒らのハルピンへの護送の命令が私に下りました。自分が取り調べ
をしても何も出てこない者を,一旦入れたら二度と出てこれない所に送る
という非常に不愉快な命令でしたが,命令である以上これを拒むこともで
きませんでした。当時,特急アジアという列車が大連からハルピンまで行
っていて,私は部下を指揮して,王耀軒らを列車に乗せました。ハルピン
に着いたのは夜の8時ごろでした。憲兵が出迎え,4人を車の鉄の扉から,
豚の子を蹴り込むように車両の中に蹴り入れました。当時の状況は今も非
常に,後味の悪い印象として残っています。
現在は,731部隊がいかにおそろしい部隊であったか,という認識を私
は持っています。石井四郎という軍医中将が,細菌兵器を決戦兵器として,
対ソ戦の場合,住民を皆殺しをする兵器を造ると。その決戦兵器を造るた
めには,実験用の生きた人間が必要であると。1933年に実験を始めるわけ
ですが,その当時は抗日軍の捕虜を使って実験をしていたので,さほど材
料には苦労しなかった。しかし1938年ごろになると「満州国」の治安が
確立して,戦闘による捕虜を手に入れることができない。そこで「特移扱」
という,憲兵による人材確保を決めるわけです。私は資料を整理したので
すが,撫順戦犯管理所に拘禁されていた憲兵,警察の供述によれば,500
人を超える人が特移扱で731部隊に送られている。撫順戦犯管理所に送ら
れた憲兵の数は104名,「満州国」全体の憲兵の数は相当の数になるはず
です。
先ほども申しましたが,私が送った4名,とりわけ王耀軒については,
全く当時の憲兵の立場からしても,罪行というべきものは何もない。特移
扱に該当しない普通の人が犯罪事件の一味として731部隊に送られたとい
うことです。私がこの4名を実験場に送り込んだこと自体,殺人行為であ
り,殺人者と言わなければならないと思います。人体実験の材料を選ぶ憲
兵がいたからこそ731部隊が存立したわけで,このような運び屋がいなけ
れば,石井の細菌兵器生産はできなかったと考えています。私は殺人者で
あったと,今認識しています。
1995年の夏に,王亦兵氏とお会いしました。王氏は,私に会ったとき,
しばらく言葉が出ませんでした。おそらく,父親を殺した下手人に会って,
気持ちを整理する時間が必要だったんだと思います。最初に言われたのは,
君が逮捕したから731部隊で殺されたんだと。もし君が逮捕しなければ,
父親は殺されるずがない,何もしていなかったのだから,と。そうおっし
ゃったときに.本当に何とも申し上げる言葉もありませんでした。
私は,1934年から11年間,中国大陸とりわけ満州において,731部隊
送りといったような問題を含め,さらにそれ以上の大きな罪責を重ねてお
ります。満州における憲兵は,満州全体の治安確立のための権限を持って
おりました。憲兵自身,いばりちらして中国人民を弾圧し続けてきました。
少なくとも満州における3千万の中国人民は,がんじがらめの状態に置か
れたと.大きな監獄の中に置かれたと,客観的にはそのように私は思いま
す。731部隊へ私が送りましたこの4名の被害者はほんの一部分でありま
して,大連ほか(部隊の)五つの支部のいずれも人体実験をやっているに
もかかわらず,この事実がまだはっきりしません。
さらに731部隊が化学兵器の実験のために,その他の満州の部隊と一体
となって,ガス実験,ガス兵器の実施をやって,大変な数の中国人を殺戮
していますが,いまこのガス遺棄弾処理のために,日本政府が非常に困っ
ております。ただ困っているだけでなく,その当時使ったガスの毒によっ
て,2千人の被害者が今も悲惨な生活にさらされているというのが実情で
す。これらについても憲兵がかかわっているわけで,憲兵は余りにも膨大
な事件を扱っていたのです。
私は,自分自身が経験した事実を通じて,もっと多くの国民に過去の
侵略戦争の実態を知ってもらいたいし,認識してもらいたい。あまりにも
この過去の侵略戦争が知られていない。たしかに南京大虐殺とか,平頂山
事件とか,あるいは強制連行だとか,いろいろ出ておりますけれども,そ
れぞれの事件のみであって,731部隊が行った細菌戦争という恐るべき皆
殺しの戦争の実態が全く隠されていて,被害者の実態もわからない状態で
す。私は,残された生涯は短いですが,私自身が行った4人の被害者に対
する謝罪の償いは,これらの事実を徹頭徹尾追及し,国民に知っていただ
くことだと思います。日本政府がこのような事実に対し謝罪をし責任を取
ることを,賠償することを願っていますし,そのことが国民全体の声とな
ることを念願してやみません(1997年10月1日 東京地方裁判所)。
1998年3月,王亦兵さんが東京地方裁判所の法廷で証言しました。傍
聴席には癌に冒され歩くのも精一杯の三尾豊さんが坐っていました。その
後の集会で三尾さんは「自分は自分の加害の事実について語り,謝罪をし
てきたつもりでいましたが,被害者のご家族の方がこれほどまでに辛い思
いをしていることを知りませんでした。今日法廷で王亦兵さんの証言を聞
いて,どんなに私が王耀軒さんやその家族の方々に辛い思いをさせてしま
っているのかを改めて身にしみてわかりました」と涙ながらに語り,王亦
兵さんに再び頭を下げて謝罪しました。王亦兵さんは優しい目をして三尾
さんに歩みよりました。7月2日に三尾さんが亡くなり,葬儀の際に読ま
れた王亢兵さんの弔電には「老朋友」と語りかける言葉があったそうです。
以上は,「中国人戦後補償裁判の記録JUSTICE」(中国人戦争被害賠償
請求事件弁護団編著/高文研)から引用しました。
戦争が始まったら「従軍慰安婦」に志願したいという愛国女子
宋神道(ソン・シンド)さんは語りました。
多いときには1日70人も相手にしなければならない日もありました。
入れ替わり,立ち替わり,表の方,蹴っ飛ばしたり,早くやれだの,なんだのかんだのって,自分のズボンを脱いで,自分の手でセンズリ掻いて立っているバカもいるし,いろんな人間がいました。
慰安所で何度も妊娠し,出産もしました。軍による慰安所利用規定では,将兵に衛生サックの使用義務を課していましたが,規則に違反し,衛生サックを使わない軍人もいました。
一個中隊なら一個中隊,部隊づきでくっついて歩って,兵隊さんと一緒に戦争しているのと同じだよ。家も何もないから,防空壕みたいに人間ひとり寝られるぐらいの穴掘って,毛布でも敷いて,そこでやるんだ。だって,明日死ぬか分からないんだもの。兵隊さんたち,はめて死ねば本望だって頭でいるから、夏はいいけど,冬はいやだよ。死ぬより辛かった。おなごの尻はひゃっこいからなあ,土の上でやるんだもの。凍るように寒い。それで,やった後,すぐに討伐さ行かねばならね,って発っていくべ。われわれも寝ていられねえんだ。洗濯したり・・・。
空襲されたら,ひでえもんだよ。とにかく兵隊さんが上に乗っかっちゃって「大丈夫だ,大丈夫だ。こうやって,空襲されて,一緒に爆弾に当たっても本望だ」なんていって,絶対やめる気はないし,逃げるといったって放さないし,本当に辛かった。弾に当たって死んだらどうしよう,と思って。
弾薬庫や糧秣庫などの日本軍の施設が集中的に空爆されました。日本軍はその場所を教えた者がいるに違いないとスパイ探しをしました。兵隊は慰安所に「いいものを見せてやる」と誘いにきました。スパイかどうか分からない中国人5,6人が目隠しをされ,後ろ手に縛られて大きな穴を掘った前に跪かされていました。軍刀がその人たちの首に降り落され,血が噴き上がりました。その晩,宴会が催され,「慰安婦」は酌をするために呼び出されました。
殺した後,帰ってきて宴会やっぺ。そこが兵隊なんだな。きつい。オレもよく兵隊に殺されないで一緒に歩ったもんだ。だけど,人間として,あんな残酷なやり方するもんじゃねえんだ。朝鮮人だって,支那人だって,どこの人間だって生きていたくねえ人間いねえんだよ。
大学進学のため九州のある地方都市に住んだ時はそりゃあ驚きました。小中学校では運動会や開校記念日でもないのに毎日国旗が掲揚されていて、大学の入学式でも国歌斉唱ですよ(国立大にも関わらず)!後年、出身地に近い国立大の大学院に入学した時には入学式には国旗も君が代もありませんでした。
私は中学・高校をミッション・スクールで過ごしたため、日の丸とも君が代とも全く縁がない少年時代を過ごしていました。それでも今はこの国をもっと良いものにしようと政治運動や社会運動に励んでいます。
あの愚かな戦争に負けたことで大日本帝国は崩壊しました。そのシンボルであった日の丸も君が代も現在に残ることに何らの正統性もありません。
音楽の知識は殆どありませんが、君が代は西洋の音階でしょう?不気味にしか思えない靖国神社の大鳥居と同じ印象があるのです。
不思議ですよね。由緒ある地元の神社では微塵も感じることがない、あの靖国神社だけに感じる強烈な違和感が。
マルクス主義で言うところの封建制だった江戸時代以前がパラダイスだとは思いませんが、戊辰戦争の賊軍となってからの東北地方の歴史、特に教科書に載るような出来事は暗い話題ばかりでした。
三内丸山遺跡や奥州藤原氏が興した平泉、江戸の生活を支えた豊かな穀倉地帯、京大坂の美を支えた北前船などなど江戸時代までの東北地方は他の地域に比べ別段遅れているようなことはなかったのです。
私に逆賊の血が流れていることは誇りです。主流から外れた辺境にこそ積極的な意義を見出せることもまた誇りです。それゆえ、分断の、そして後退の象徴たる日の丸も君が代も認めることはできません。
長々と失礼しました。
教育勅語と軍人勅諭
会津戊辰戦争において,大垣藩兵士に捕らえられた神保雪子(じんぼう・ゆきこ 家老神保修理の妻 23)は,尋問されたものの「照姫を守るために城に入ろうとした」と言う以外まったく答えませんでした。土佐藩士の吉松速之助(のちに西南戦争で33歳にて戦死)が哀れに思い「女を殺しても益なきこと,許してやってくれまいか」と言ったものの,大垣藩の隊長は「敵の捕虜を殺すのは軍法である」と聞き入れず,斬首にすると言いました。雪子は速之助に目で心情を伝え,速之助は縄目を切り自分の脇差を与えました。雪子は脇差を手にすると,即座に腹に刀を突き刺して自刃しました。敵による凌辱を恥として自らの命を敵軍の陣営で断った女,その女の心情をおもんぱかって脇差を与えた土佐の武士,この会津婦道と土佐武士道の両方を「神保雪小伝覚書」は賛美しました。軍人勅諭は敵の捕虜となって生きながらえるよりは自殺しろと命じる勅諭でした。軍人勅諭が皇軍兵士に受け容れられたのはこのような武士道賛美の気風があったからではないでしょうか。江戸時代までは武士だけの心構えであったものが,国民皆兵によりすべて戦える日本人はこの勅諭に取り込まれてしまいました。悪いことに戦争捕虜を殺害してはならないと国際間の取り決めがあったにも関わらず,相変わらず捕虜を殺害していったのは武士時代の気風をそのまま受け継いだひとりよがりな戦争観から脱却できなかなったからだと思います。
虎ノ門事件の真相
天皇制打倒を目指した共産主義者の犯行のように理解されていますが,まったくそのようなことはなかったそうです。皇太子裕仁は梨本方子(後の李方子)との恋愛がうまくいかず,貞明皇后が皇太子妃にと紹介した久邇宮邦彦の長女である良子(ながこ)と結婚することを決めました。ところが陸軍元帥の山縣有朋が良子の母筋に色盲の血統があると難癖をつけた「宮中某重大事件」が起きました。伊藤博文は朝鮮総督府長官の時にロンドンでステッキ銃を買い,土産として難波家の当主だった難波作之進に与えました。作之進は山口県選出の衆議院議員でした。裕仁と難波大助は学習院の同級生であり,大助は下級生の良子と親しく交際していました。それを裕仁に奪われたと怒った大助が犯行に及びました。当時摂政だった裕仁皇太子の車駕に接近し,「オレの女を取りゃーがってー」と叫びながら追跡し,父のステッキ銃を空に向けて威嚇射撃をしました。ところが裁判では弾丸が皇太子の車の窓ガラスに穴を開けたことになってしまいました。空に威嚇射撃をしたのであれば殺意はないわけですが,何が何でも処刑してしまいたい当局は事件を捏造しました。はたして大助は非公開の裁判で死刑になりました。大助は「皇太子に自分の女を取られた」といい,郷里の青年たちは大助の言い分を支持し,大助が上京する際は柳井津駅で「万歳」と叫んだそうです。難波作之進は一切の食を断じて餓死し,一家は離散しました。即位後に山口県を巡幸した昭和天皇は「難波(の一族)はどうしているか」と聞いたそうです。大日本帝国政府は,単なる女性問題のこじれを政治問題にすり替えたわけです。
知花昌一さんの日の丸引き下ろし・焼却のできごと
米軍の沖縄本島上陸で,沖縄の人々は帝国軍人に殺されました。沖縄の人間は二流の日本人であり,アメリカのスパイかも知れないという思いが皇軍にはありました。戦争に敗れた枢軸国で国旗を変えなかったのは日本だけでした。読谷村長の告訴状では,建造物侵入罪と器物損壊罪を告訴事実としていたにもかかわらず,まだ日の丸が国旗とされていなかったのに検察官の起訴状では一貫して「国旗」と表現されていました。「(村の人たちが旗を焼くまでしなくてよかったと言っているのは)焼くのは国家への反逆のように思えるってことでしょう。そうしないとまただれかが揚げてしまうと思ったから」と知花昌一さんは言ったそうです。「だれかにおまえは日本人かと訊かれたら,ぼくは琉球人だと言いたい。すんなり日本人だと言うのをためらわせる何かがあるんだ」「外から,アジアから見れば,ぼくは日本人で,アジアに戦争をしかけたやつらと同類だってこともわかっている。でも日本の中では,ぼくは違う。少なくともヤマト民族じゃないんだ」。
1987年3月,村議会の日の丸と君が代反対決議にもかかわらず,村民8千人(総人口3万人)が署名した高校への押し付け抗議反対にもかかわらず,読谷高校は日の丸を壇上に掲げて卒業式を開催しました。1人の女子生徒が壇上にのぼり,旗をむしりとって歩みさりました。すぐに2人の女生徒が続きました。教頭が興奮して言いました。「これは大人だったら犯罪だよ」うなだれて泣いていた少女はキッと頭を上げて答えました。「いいです。それもいいです。だれがこんなことをしていいと言ったんですか?学生の許しはとったんですか?」少女は体育館を走り出て,旗をどぶの歩水に突っ込みました。
なぜ少女はわが手で問題を引き受けてしまうほどの怒りにかられたのか。なぜ沖縄人は日の丸と君が代を強いる国の教育政策に屈服し順してしまったのか。
昭和天皇が死んだとき,読谷村では新しくできた高層ホテルだけが米軍基地とならんで日の丸を掲揚したそうです。知花昌一さんは読谷村のオジー,オバーの言い方が気に入っていたそうです。「バチがあたったんだよ。自分のやったことを省みないから沖縄の天罰が下ったんだ」。裕仁はついに沖縄国体には来ませんでした。「アメリカが沖縄をはじめ琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している」(1947年9月裕仁マッカーサーへのメッセージ)
No title
人は生まれる場所を選べない。
たとえ生まれた国が戦争ばかりしている国でも、大半の人はその国で暮らし、その国で死んで行く。
つまり、好き嫌いに関係なく、人は生まれた国で生きるしかないのだ。
人がいるから国家が形成されるのであり、人の上に国家は存在しない。
つまり、人は国家のために生きるのではなく、自分の幸福のために生きるのだ。
________________________________________________________________
人が国家を形づくり国民として団結するのは、人類として、個人として人間として生きるためである。決して国民として生きるためでも何でもない。宗教や文芸、あに独り人を人として生かしむるものであろう。人の形づくり、人の工夫する一切が、人を人として生かしむることを勇逸の目的とせるものである。
かくいわば人あるいはいうであろう。しからばいかにして宗教と国家、文芸と国家との相衝突矛盾することが あるかと。
しかしその衝突するのはその本来の目的、その本来の立場が異なっておるがためでなくて、その1つの目的を達するため、1つの立場をとるために、一時矛盾撞着するのである。言い換えれば、時代に相応せざる制度、思想を時代に相応するものに改造せんとする努力である。
されば、「国民として生きる前に人として生きねばならぬ」と言う言葉は、私の意味を以てすれば、「国民として生きる前」ばかりでなく、「宗教の中に生きる前」「文芸の中に生きる前」「哲学の中に生きる前」 に人は人として生きねばならぬのである。否、生きざるを得ないのである。何となれば、国家も宗教も哲学も、文芸も、その他一切人間の活動も、皆ただ人が人として生きるためにのみ存在するものであるから、もしこれらの或るものが、この目的に反するならば、我々はそれを変改せねばならぬからである。
石橋湛山
__________________________________________________________________
【国旗掲揚と国歌斉唱】
https://ewkefc.blog.fc2.com/blog-entry-269.html
京都国際高校の夏の甲子園高校野球優勝を祝福する。
異端審問の思惑には難点が一つあった。イベリア両国が植民地帝国建設に成功したのは,一つには両国とも建国当初は異なる信仰が共存する国だったからである。多文化的な土壌は,イベリア両国民がアフリカ,アメリカ,アジアの各地で異民族と接するにたいへん役立ち,征服者や貿易商として活躍する要因となった。この多文化主義や,かつて国内で寛容の精神から許されていたものを,異端審問によって破壊することで,スペインとポルトガルは,自国民が国境を越えて行動する力を自ら削いでしまった。異端審問の思想と植民地への制度拡大とが,異民族や異なる現実に対処する力を植民地帝国からだんだんと奪っていき,やがては帝国崩壊へと導くことになる。
以上で引用を終わります。
たしか明治初頭では,日本の強さは多民族・多文化尊重にあるとされていたはずですが,いつのまにか日本は純粋なヤマト民族のみが居住するところであるとされていきました。ヤマト民族=日本国民は天皇の赤子であるというフィクションを貫徹させるためでしょう。日本にはヤマト民族のほか,アイヌ,琉球族,在日朝鮮人・韓国人,華僑,日系ブラジル人,ベトナム人,タイ人などさまざまな民族が住んでいます。多民族・多文化を尊重することは,外交,貿易などで非常に有利に働きます。朝鮮学校は日本社会のカナリヤとも言われます。今回の夏の甲子園高校野球で京都国際高校が優勝し,韓国語の校歌が流れたことに憤り,中傷・非難する輩がいるそうです。京都府知事が中傷をやめるように声明を出しました。京都国際高校の優勝は祝福されるべきものです。ラグビーでは大阪朝鮮高校が強豪として知られています。こちらもラグビー全国大会での優勝を期待しています。
芸能人、局アナ、すぽーす選手…言葉は悪いですが「〇ホ」の一つ覚え…でもジミンだけで津木野宇佐儀個人経営の餃子屋さんへの堀江貴文による誹謗中傷に法の裁きを。強きを助け弱きを叩くジミン支配下ニッポソなら>工作員zさん
>返済できずに破産かもしれないネ
ホリエ某は、ジミンpowwwwwwwwered by 財界& assssssssssisted by 電通 がいる限り、そうはならないでしょうね(憤怒)
ass津木野宇佐儀全国民のための正しい政治を求めることは「共産主義的な物言い」だとする石原伸晃の発言が、「政治は自民のもの」という自民党の基本姿勢をよく示していた。補足です。 インドネシアにおける共産党員虐殺の主体には,イスラム法学者もいました。必ずしも共産党員及びそのシンパが犠牲になっただけでなく,中国人も犠牲になりました。軍が武Takeshi欧日間の経済連携協定で、欧州連合が人権後進国日本に「人権条項」を要求するのは当然である。天賦人権論最近の記事のコメント欄では脈絡がないので、村野瀬玲奈と天賦人権論を検索ワードにして出てきた記事にコメントします。
「こどもには権利も義務もない」と言っている地方kuroneko個人経営の餃子屋さんへの堀江貴文による誹謗中傷に法の裁きを。この方は、大阪万博の特別顧問だそう。ライブドアceo時に証券取引法違反で逮捕された前科。ロケット打ち上げ失敗の融資先はたぶん政府系金融機関でしょう?返済できずに破工作員z「まるで中国、北朝鮮」と言うのではなく、「まるで大日本帝国」と言おう。北朝鮮への帰還事業から65年 北朝鮮への帰還事業は1959年12月14日に新潟港から出発したのが第一陣で,2024年12月14日には65年を迎えました。当時朝鮮人は日本社会において貧困と差別に苦しみ,「地上Takeshi政治を知らないスポーツ選手や有名人の自民党からの選挙出馬が悲しいNo title来年は確か統一地方選挙もあるので、「地獄逝こう」と立憲で有名人を候補に擁立する猟官運動の類が頻発しますね。
「頭数にしかならんだろ」と冷めた目で見ています。今井アンドリュー・バルトフェルド政治を知らないスポーツ選手や有名人の自民党からの選挙出馬が悲しい体育会系芸能人はともかく、スポーツ選手つまり体育会系エリートは、割と自民党に近い思想を持っていると思います。
体育会系は軍隊であり、そこに民主主義などありませんから。怒りの日政治を知らないスポーツ選手や有名人の自民党からの選挙出馬が悲しい打越さくらvs中村真衣か オリンピックでのメダル受賞者の自民党議員となると,堀井学や橋本聖子のようにかんばしくない人を思い出します。中村真衣さんは早くから自民党の参議院議員になりたいとTakeshi全国民のための正しい政治を求めることは「共産主義的な物言い」だとする石原伸晃の発言が、「政治は自民のもの」という自民党の基本姿勢をよく示していた。インドネシアにおける共産党員大虐殺インドネシアは17500の島から成り,人口は2億3500万人。300の民族から成り,365の言語が話されています。留学生のリクルートのためにジャカルタに出張したとき,インドネシTakeshiハン・ガンさんのノーベル文学賞授賞講演のテキスト (メモ)No titleトピズレすみません
山口放送制作のNNNドキュメント「アボジが眠る海」は必見です
山口県宇部市の長生炭鉱の惨事は、恥ずかしながら、知りませんでした津木野宇佐儀ハン・ガンさんのノーベル文学賞授賞講演のテキスト (メモ)ハン・ガンさんの小説が尹錫悦大統領の弾丸を求めるデモに参加した若者曰く「今までデモに参加したことはなかった。でもハン・ガンさんの小説を読み光州事件のことを知り民主主義の危機を感じたの閉口ハン・ガンさんのノーベル文学賞授賞講演のテキスト (メモ)民主主義の勝利ハン・ガンさんの韓国でクーデターを起こして失敗した尹錫悦大統領への弾劾訴追案が一昨日(14日)可決されました。
心より歓迎したいと思います。
これは民主主義の勝利その閉口島根原発再稼働。大事故が起こったら日本政府も自民党も電力会社も誰も責任を取らないのに。そもそも原発は多くの欧米列強は脱炭素を悪用し原発を推進しようとしています。
しかし原発は核兵器の開発のためにつくられた悪しきものです。
さらにウラン採掘から運転・廃炉、廃棄物処閉口島根原発再稼働。大事故が起こったら日本政府も自民党も電力会社も誰も責任を取らないのに。危険だとわかりきっている原発が避難計画の策定が不十分の中、島根原発が再稼働されました。
これは暴挙そのものです。
一時盛り上がりをみせていた脱原発の声はすっかり下火になってしまいました。
なり閉口修学支援新制度において、成績要件によって機械的に支援を打ち切ることは低所得家庭の学生の学びと人生を危機にさらす偏った富を吐かせるもちろん、無償化は「学費」だけでなく、教育全般の無償化です
「GDP」では中国に続き、さらにドイツに抜かれましたが
まだまだ経済「大国」日本にはそれくらいの富はある津木野宇佐儀玉木雄一郎ドヤ顔の公約「手取りを増やす」は「玉木を衒いて石を売る」行為ではないか (国民民主党への強い疑問 (3)) #国民民主党に騙されるな #玉木雄一郎に騙されるな予想。給与所得控除55万円はいじれない。特定扶養控除での調整か年少扶養控除の復活かでしょう。柿ノ木扇蔵ハン・ガンさんのノーベル文学賞授賞講演のテキスト (メモ)疑問:M上青樹にどんな演説ができるのか??…∞またまたトピズレ、すみません
ここ何年か、過剰に喧伝され続けてきた某M上ペラ樹氏のノーベル賞受賞…
彼には絶対にない!
それより、生前に谷川俊太郎さんが受賞されてい津木野宇佐儀「原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい」 (被団協、田中熙巳(てるみ)代表委員、2024年ノーベル平和賞授賞式で)No title 田中熙巳さんが日本政府が原爆被害者への国家補償をかたくなに拒んでいることを批判したことについて、ネットでは「補償ならアメリカに求めろ」とか「結局は金か」と罵倒クテシフォン島根原発再稼働。大事故が起こったら日本政府も自民党も電力会社も誰も責任を取らないのに。鼻先の馬は必死、目先のジジイ・オヤジは「一代主義」の「お主も悪よのう」福島原発事故でまき散らされた放射能はしばらくしてドイツでも観測されたそうですし、海洋汚染もアメリカに到達しています。
推進派はともかく、世界からはニッポソの核お津木野宇佐儀大日本帝国のおかしたたくさんの過ちの一つ、太平洋戦争の開戦。(1941年12月8日、真珠湾爆撃)No titleそして、南京と・だけでない「蝗軍」の蛮行…
「ゴメンで済んだら警察いらん」と言いますが、まだきちんと「ゴメン」も済ませていないニッポソ…
いつになったらアジア全土で津木野宇佐儀論外取締役デマ工作についての最初のぬるい謝罪を批判されてやっと「沖縄の方々」に謝罪した弘兼憲史と講談社。しかし、まだ問題は残っています。 @morningmanga @KODANSHA_JP講談社は滅ぼされて然るべき理由を自分で作っている一つ
ワニブックスを買収したこと。私としては「アイドルのグラビア雑誌などの収入でヘイト本を作っている」扱いなので「やっちまった」という感があります。
新書は「石しアンドリュー・バルトフェルド1937年12月13日は大日本帝国軍による南京占領の日。南京虐殺の蛮行の歴史を忘れず、犠牲者を悼み、蛮行を繰り返さないと誓う。8月6日と8月9日に原爆被害を思い出すように。12月13日は聖ルチアの記念日でもある。イタリアの歌謡でサンタ・ルチアとして歌われるシラクサのルチアの記念日は、西欧では12月13日とされています。ルチアは生涯を神に仕えることを決意し、自分の財産を貧しいTakeshi1937年12月13日は大日本帝国軍による南京占領の日。南京虐殺の蛮行の歴史を忘れず、犠牲者を悼み、蛮行を繰り返さないと誓う。8月6日と8月9日に原爆被害を思い出すように。2024年12月13日は南京大虐殺から87年2024年12月13日は、南京大虐殺から87年を迎えます。日本人学校の生徒が殺害される事件が起こり、かなり緊張感が高まっているようです。今の中国では大学を卒業しても希望しTakeshi「原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい」 (被団協、田中熙巳(てるみ)代表委員、2024年ノーベル平和賞授賞式で)カーチス・ルメイカーチス・ルメイは東京大空襲の指揮者。東京大空襲では死者10万人以上,被災者100万人以上を出しました。あまりの非道さに「鬼畜ルメイ」とあだなされました。ところが196Takeshi「原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい」 (被団協、田中熙巳(てるみ)代表委員、2024年ノーベル平和賞授賞式で)国家無答責,受忍限度論,統治行為論 国家無答責論は明治憲法下での大原則でした。戦後国家賠償法が施行されましたが,政府及び司法にはまだこの考えが残っているように思います。
大阪空港騒音公害訴訟上Takeshi婚外女性を玉木の輿に乗せて、自分に都合が悪くなったら切り捨てた #玉木雄一郎に騙されるな #玉木代表の議員辞職を要求する #国民民主党に騙されるな橋下徹のずれた発言橋下徹が小泉みゆき嬢を国民生活党で職員として雇うことを提案したそうです。いくら不倫を擁護するにせよ、橋下徹の発言はやはりずれています。Takeshi玉を衒いて維新を売る立憲民主党の誤り @edanoyukio0531 @izmkenta @okada_katsuya @nagatsumaakira @tsujimotokiyomi @OogushiHiroshi @junyaog @kikuta_official @s_mizuoka @shigetoku2 @hirofumi_ryu @sokuno2 @masayo_tanabu @saito_yoshitakaNo title 野田代表の政治センスの無さは相変わらずのようです。一応リベラルな政党という事になっている立憲民主党がバリバリ保守の維新の会と組めば政党の理念が死んでしまいますクテシフォン新型コロナウィルス感染症は終わっていません。不織布マスク着用による最大限の予防を。 #感染症から子どもを守れ #学校園は流行期の対策をNo titleさらに「リンゴ病」も流行っているそうですね。
本当に油断できません。
以前購入したN95マスクとゴーグル、一度、最寄りの政令指定都市に行ったときに使ったきりですが、津木野宇佐儀新型コロナウィルス感染症は終わっていません。不織布マスク着用による最大限の予防を。 #感染症から子どもを守れ #学校園は流行期の対策をNo title「コロナはまだ終わってない」と吐き捨てたくなるときがあります。
それに「インフルエンザ」と「マイコプラズマ肺炎」が終息するどころか「これからじゃないか」と間違いアンドリュー・バルトフェルド