Bruce Springsteen "Long Walk Home" (Reprise)

2020-01-27 20:13:11 | æ—¥è¨˜
昨夜 君の家の戸口に立って考えていた
いったい何が間違いだったのかと
君は僕の手に何かを握らせ、いなくなってしまった
夏の深緑の匂いや夜空の輝きは変わらないまま
遠くには生まれ故郷が見える

きっと家へは遠い道のりになるだろう
愛しい君、起きて待っていることはないよ
きっと家まで長い長い道のりになるだろうから

町ではサルの雑貨店やサウスストリートの床屋を通り過ぎた
誰の顔を覗きこんでも知る人などひとりもいない
丘の上にひっそりと立つ退役軍人会館
廃業したダイナーには「退去」とだけ書かれた板がかかっていた

ここでは誰もに隣人がいて友人がいる
誰にだってやり直す理由がある

父は言った
「息子よ、俺たちはこの町にいられて幸せだ、生まれ育つには素晴らしい場所だ
両手を広げお前を受け容れてくれる
何かを押しつけたり他人を拒む者もない
裁判所に掲げられた旗をご覧 それは不変の真理を教えてくれる
自分が何者であり、何をし何をしないかについて」

きっとへ家へは遠い道のりになるだろう
愛しい君、起きて待っていることはないよ
きっと長い長い道のりになるだろうから

ENGLISH


大変ご無沙汰しております。今でも当ブログをご覧くださっている方、本当にありがとうございます。いつしかブログからもSNSからもずいぶんと遠ざかってしまい、インターネット上の世捨て人のようになってしまいました。そんななか、2007年10月よりお世話になったヤプログもサービス終了となり、このページも世界から消えてしまう日が近づいているようです。ブログの管理人である私よりも早くそのことを知り、コメントをくださった方々、本当にありがとうございます。また、それ以前にもコメントをお書きくださった方々へこの場をお借りし心よりお礼申し上げます。個別にお返事を差し上げず誠に申し訳ございません。ですが、記事の更新がなくなってからも足をお運びくださり、過去の文章を読んでくださったり、コメントをいただいたりしたことは本当に嬉しいことでした。

このブログを通じて、たくさんの素晴らしいブルースファンの方や音楽好きの方に出会い、様々なことを教わり多くのチャンスやきっかけをいただきました。夢見がちで傲慢で自信たっぷりで自分のことばかり考えていた私の言葉を多くの方にとても温かく受け取っていただきました。ブログを始めた頃よりひと回り以上歳を重ねた今の私にそのような余裕や優しさがあるかと思うと甚だ疑問ですが、そのような方々に集まっていただけたのは、やはりこのブログの核となったブルース・スプリングスティーンの人柄や音楽の為せる技なのかなと思います。

このブログを書きながら、ブルースのことを本当に一生懸命考えました。そしてそれは自分を考えることでもあった。ブルースのことを考えながら自分について考え、変わることのない価値を、自分が何者であり、何を為し何を為さないかを考えてきた。今いる場所はまだどこでもない場所。家からはまだ遠い。世界が変わったように私も変わってしまった。でも家は遠くに見えている。起きていなくてもいいと言ってもきっと君は起きているだろう。明かりをつけて温かいものでも飲みながら。それとも暗い夜道を曲がり角まで迎えに来てくれるかもしれない。そして一緒に私達は帰り道を探すことになるのかもしれない。

どうかみなさまお元気で。ありがとうございました。


Bruce Springsteen, Born to Run: Foreword

2016-08-18 04:39:45 | Bruce Springsteen Miscellaneous
まえがき

 俺が育ったボードウォーク沿いの町ではどんなものもどこかしらインチキめいたところがある。俺自身もそう。俺はドラッグレースにはしる反逆児ではなかったけれど、20歳になる頃までに、アズベリーパークでギタープレーヤーになっていた。そして真実に尽くすために「嘘をつく」連中、すなわち「アーティスト」の仲間入りを果たしていた。俺たちはいわゆる芸術家なんかじゃなかった。好きなことを一生懸命やっているだけだった。だけど、俺には最高に素晴らしい切り札が4つ揃っていた。若さ、約10年にわたる筋金入りのバーバンドの経験、俺のパフォーマンススタイルとぴったり合うような音楽をやっていた地元の良いミュージシャンたち、そして語るべき物語。
 この本はその物語の続きを語り、起源を探るものだ。語るべき物語や俺の作品を形作ってきたと思う人生の様々な出来事を取り上げている。これまで道端で出会ったファンのみんなに繰り返し尋ねられてきた問いのひとつは、俺がどうやってこの暮らしや仕事をやっているのかということだ。この本ではその問いに少しだけ答え、そして、「どうやって」よりももっと大切な「なぜ」こういうことをやっているのかという問いにもなんとか答えたいと思う。

ロックンロールのサバイバルキット
 DNA、天賦の才能、優れた技術の研究、芸術的思想を発展させ、それに心を砕くこと、むき出しの欲望…その対象…は名声?…愛?…称賛?…注目?…女の子?…セックス?…そしてもちろん、お金だ。そして…、もしも夜の果てまでそれを携えていたいなら、決して燃え尽きることのない危険で荒々しい炎のようでいなくちゃならない。
 もし君が魔法のようななにかを見せてくれることを待ちわびて大声で叫んでいる8万人(または80人)のロックンロールファンの前に立つことがあるのなら、そうしたことはきっと役に立つと思う。彼らは君が何かを取り出して見せてくれるのを待っている。帽子から、薄い空気から、この世の中から、今日ここに信じる心を持つ者たちが集まる前には歌に駆り立てられた噂しかなかったところに何かを生じさせて見せてくれることを。
 俺はこの捉え難い、いつもどこかリアリティに欠ける「俺たち」が本当にいるってことを示すためにいる。それが俺のマジックなんだ。そしてあらゆる優れた手品がそうであるように、まずは舞台設定が肝心だ。さて、というわけで…。




ブルース・スプリングスティーンの来月出版される自伝『ボーン・トゥ・ラン』(早川書房・2016年)の序文が公開されています。すでにNMEに訳文が掲載されているのですが、どうしてもブルースの言葉を自分で日本語にしたくて訳をしました。とても難しかった…。ブルースの言っていることを理解したくて英語の勉強を熱心にするようになってもう13年くらいになるけれど、まだまだ修行が足りないなと思いました。

でも、ブルースの言葉は相変わらずとてもロマンティックで、想像をかき立てられ、最後には胸を鷲掴みにされるようでした。こういう気持ちになるのは、初めて"The Rising"を歌うブルースの姿をテレビで観た時からずっと変わらない。ブルースの歌うところを観たり、彼の声に耳を傾けたり、彼の言葉を読むとき、いつも同じような気持ちになる。

最初のアズベリーパークの描写もたまらないです。何もかもが少しインチキめいている海辺の町。もともとアズベリーパークは有閑階級のリゾート地として開拓されたところから歴史が始まるので、あまり地に足のついた生活と結びついた土地ではありませんでした。そのせいなのか、確かにずっとふわふわとした妙な現実離れしたような雰囲気があるような気がします。あるいは私のそうした印象はブルースの歌のせいなのかもしれないけれど。でも、昔あったという遊園地の奇妙なマスコットキャラクターのティリーの看板やカジノビルディングの廃墟、寂れたボードウォーク(今は特に夏の季節は全然寂れていないけれど)、がらんとしたコンヴェンションホールには不思議な感覚が宿っている。いかにもロックンロールの物語が潜んでいそうな、たくさんの物陰、たくさんの秘密、たくさんの野心の跡が見える。

ブルースは自分のことも「インチキめいている」もののひとつに数え、ロックンロールに打ち込んだ仲間たちを「真実のために嘘をつく」と描写している。この表現はつい最近もも似たようなことを誰かがどこかで言っていた気がするけれど、どこだったでしょうか…。ロックンロールというのはあんまりにも良いもので、とても日常や現実とは信じることができないし、実際に日常ではないんだ、みたいな話で結構なるほどなと思ったのです。確かにロックンロールは、実際にそれで食べていったりしていたらともかくとして、日常や現実ではないのかもしれない。でも、その気持ちいい瞬間、昂ぶる瞬間、胸がいっぱいになる瞬間、何もかもどうでもよくなる瞬間、暴れている瞬間、叫んでいる瞬間、めちゃくちゃに悲しくなっている瞬間になにか本当のことに近づくことがある。あるいはそんなことを繰り返しているうちに、どこにもなかった現実が少しずつ立ち上がってきたりすることもある。嘘から出たまこと、というものなのかもしれません。

そして、その最たるものは「私たち」そのものです。ブルースを前にしたときの「私たち」とは一体何なのだろう?自分の真っ暗な部屋でひとりでブルースの声に耳を傾けている「私たち」。ブルースファンの「私たち」。そんな「私たち」なんて本当にいるのだろうか。コンサート会場に集まる「私たち」はなんらかの意味で本当にひとつの「私たち」なんだろうか。ブルースはそうだと言っている。本当にいるか分からない不確かな「私たち」を魔法のように、巧みなマジックのように、実体のある確固たる「私たち」として出現させてみせる。「私たち」自身に「私たち」のことがちゃんと感じられるようにしてみせる。何度も何度もいろんなときにいろんな歌のなかで、ブルースが言っていた通りだった。誰も糸の切れた凧のようでなんかない。たとえひとりだと思っても、信じる気持ちがあるなら、今夜俺の声に耳を傾ければきっと魔法を感じられるだろう、と。


Stereophonics "White Lies"

2016-08-13 03:37:48 | ROCK
君の居場所もしたいことも分からない
最近そんなふうに感じるんだ 君が離れていってしまっているって
君は遅い時間に帰り 僕は君がどこにいたのかも知らない
本当は抱きしめたいのに叫びたいような気持ちにさせられる

そしてこうやって街なかで喧嘩してるんだ
息もできないよ 君の言うことなんて信じられない
君の優しい嘘は僕を守ってくれなんかしない
本当のことを教えて 2人がやっていくにはそれしかないじゃないか

午前中ずっと車を走らせて
やり直すことについて考えていた
良いことには背を向けて
代わりに車で道を引き返した

罪のない嘘で僕が傷つかないと思うならそれは違う
正直になってよ 2人がやっていくにはそれしかないんだ
もう通りで争うのはやめよう
息が詰まりそうだよ 君の言うことが信じられないんだ

罪のない嘘で僕を守れると思うならそれは違う
本当のことを教えて 2人がやっていくにはそれしかないじゃないか
もう通りで争うのはやめよう
息もできないよ もしも君にもう会えないのだとしたら

ENGLISH



ステレオフォニックスのコンサートについてのもうひとつの話。このバンドを観たのは今回が初めてではありませんでした。ちょうど3年前の夏にも観ていたのです。あの夏の日も雨が降っていて夜はとても涼しかった。たった3年前のことだけど、大昔みたいに思える。大昔みたいに思えるけれど、忘れ去ることのできない年だった。

時間が経つにつれて、そのときには分からなかったことが少しずつ見えてくるということがある。今から3年前の夏、秋、冬くらいの時期は、今振り返るとちょっとぎょっとするくらいに私は荒んでいた。そしてなによりもこわいことに、そのときには自分がどうしようもなく荒れていることさえ分からなかった。あらゆる制約や責任や義務から逃れて、すごく自由でいたいと思っていたし、自由だと思っていた。だけど、たぶんそれはかなり間違ったことだったのだと思う。少なくとも、自分のそうした欲望がなんらかの暴力のようなものになっていたのだとしたら。

3年前の冬、8月にステレオフォニックスを観てから秋が来て、それからまた季節が変わって、そろそろその年も終わるかという頃、突然に啓示が訪れた。衝撃的で未知なる啓示だった。それはとても強引で有無を言わさぬものであると同時に、かなり儚いものであることはなんとなく理解できた。今もしもこの啓示に従わなかったから、きっとそれは去り、私はすごく後悔するだろう。だから私はそのときのどうしようもなく荒んだ部分をばっさりと切り捨てて、薄ぺらい自分に戻って全部やり直すことに決めた。もしかしたら東京に来てから下したなかでも最も自発的で最も覚悟を伴った決断だったかもしれない。下した決断への疑いや気持ちの揺らぎはその後もあったけれど、それでも今なおそういうふうに思えるような啓示だった。

決めたことについては全然後悔していないし、私にとってはすごく良い決断だったと今でも思っている。でも、そのときに断絶したいろいろな物事のなかに、気がかりが残ることが少しだけある。気がかりの原因は冬の断絶ではなくて、それよりももっと前、たとえば3年前にステレオフォニックスのコンサートを観た夜の私の荒々しさ、暴力性にあった。そして、そのあと罪のない嘘をつく必要も、正直になる機会もなくなってしまった。争いも和解も、なにも。

でも、今でも言うべき言葉はやっぱり見つからない。言うべきことがあるような気がしていたのに。

3年経って観たステレオフォニックスは以前よりもずっと良かった。こつこつと続けていくことの尊さを感じずにはいられない眩しさがあった。そして"White Lies"はずっと前から知っている曲みたいな気がした。3年前にも知っていて、あの夏の夜にも一緒に聴いたみたいな気持ちがした。


Stereophonics "Dakota"

2016-08-12 23:55:51 | ROCK
昔のことを思い返して 君のこと考えたりしてる
夏、確か6月だった
そう、6月
寝転がって 芝生の上に頭を乗っけて
ガムを噛みながら笑って
楽しい話をしたよね

君といると自分が特別な存在なんだって思えた
君にとってのいちばん
大切な存在だって
君といると自分が特別な存在なんだって思えた
君にとってのいちばん
大切な存在だって

飲み干すつもり 2人分を
君と飲んだ頃は
飲むこと自体が新鮮だった
俺の車の後部座席で眠ったりして
遠出はいちどもしなかった
遠くになんて行く必要なかった

どこへ向かってるのか分からない
俺たちがどこへ行こうとしてるのか

モーニングコール コーヒーとジュース
君のことを思い出すよ
君はどうなったの?
また君と会うことってあるのかな
あれ以来どうしてたかとか
2人の関係が終わってしまった理由を話したりすることって

君といると自分が特別な存在なんだって思えた
君にとってのいちばん
大切な存在だって
君といると自分が特別な存在なんだって思えた
君にとってのいちばん
大切な存在だって

どこへ向かってるのか分からない
俺たちがどこへ行こうとしてるのか

こっちを見て 俺のことを見てよ

ENGLISH



7月の終わりに渋谷のO-Eastでステレオフォニックスというウェールズのバンドを観ました。ものすごくストレートで衒いのないステージがとても清々しく、とても懐かしくて、それ以来、何度もこの夜のことを思い返しています。それくらい、胸に突き刺さるコンサートだった。

ステレオフォニックスにとって、今年はデビューから20周年にあたる節目の年であるとのことです。私が初めてこのバンドの曲を聴いたのはちょうど15年前の2001年のことでした。今と同じ夏の季節で、行ったことのない土地へ向かう飛行機のなかで"Have a Nice Day"を聴いたことが深く印象に残っています。本当はそれより先に"Mr. Writer"を聴いたことがあって、そのおかげ初めて聴いたときにも"Have a Nice Day"がステレオフォニックスの曲だと分かりました。私はまだティーンエイジャーにもなっていない年齢だった。学校もない季節で、見知らぬ土地が待っている。ステレオフォニックスは「良い1日を」と心地良く歌っている。なんて完璧な夏の1日だろう。

その次にステレオフォニックスを聴いたことを鮮やかに覚えているのはそれから更に3年半くらい経ってからのことです。記憶のなかではもっと後の時期のような気がしていたけれど、受験生になる直前の春休みのこと。1年後には大嫌いな高校生活は終わっている。でも、高校を出ていったい私は何をしているだろう。どこにいるだろう。私は高校受験をしなかったから、自分で進路を決めるというのはこのときが初めてでした。自分の可能性と希望とを秤にかけて、夢を見たり、不安になったりする時期だった。でも、この頃にはすでにブルース・スプリングスティーンに出会っていたし、"Thunder Road"は人生のテーマソングになっていて、きっと自分はここを出て行くんだと心に決めていたんだと思います。毎日自分にそう言い聞かせて、それまでよりも夜更かしをして勉強をするようになった。たぶん、その頃、母親が入院したために早く寝るように言う人もいなくなっていたのかもしれない。

田舎の夜は本当に静かです。私の部屋の真下にある書斎で、父親が起きている音以外、なにもしない。みんなが眠っている時間。この頃、新しい習慣を作りました。夜の勉強に区切りがついたら、FM COCOLOというラジオ局にチャンネルを合わせておやすみタイマーをつけてベッドに潜り込む。部屋は真っ暗だけど、シーリングライトのカバーに貼った星型の蓄光シールが灯りを消しても暫くぼんやりと光っている。ラジオではイギリスのBBCがいろいろな国際ニュースを伝えている。英語が得意になりたかったから少しでもたくさん英語を聴こうと思って毎晩寝るときにはこのニュースが聴けるようにしていたのです。どれくらい分かったのかもう今では全然思い出せません。でも、ずっと育ってきた田舎の自分の部屋でイギリスのことを想像するのは最高だった。きっとイギリスは今は夜じゃない。私が想像もできない人たちが今頃、昼の光のなかで私のことなんか考えもしないで学校に行ったり、仕事をしたり、普通の生活をしている。それはすごく自由を感じることだった。世界は本当に広くて、私は行きたいところに行ける。いたくないところなんかにいなくていい。誰ひとり私のことを知らない場所に行って、なにもかも自分の望む通りに生きることができるように思えた。そして、この習慣を始めた頃にFM COCOLOが今月のパワープッシュソングに選んでいたのがステレオフォニックスの"Dakota"だったのです。だから私のなかで、この曲はずっと未来とつながっている曲でした。真っ暗な夜の闇のずっとずっと先には昼間がある。この曲を聴くといつでも当時の不安とじりじりするような気持ちと自由への渇望を思い出しました。真っ暗な自分の部屋で天井を見つめていたときのことを。

そして今や私はそのとき思い描くことのできた未来よりも遥か先の未来を生きている。こうしてこの年齢になって、渋谷で迷子になることもなくクラブに来て、ステレオフォニックスを観ることになるなんて考えたこともなかった。"Dakota"がこんなにもたくさんの人にとって大切な曲だなんて思ってもみなかった。ひとりきりの暗闇の外で、こんなにも多くの人と一緒にこの曲の歌詞を口にするなんて想像したこともなかった。同時に"Dakota"が本当は過去を振り返る曲だなんて思ってもみなかった。私の記憶のなかではミュージックビデオのなかのケリー・ジョーンズは車を運転して、どこかへ向かっていた。けれども、本当は彼はどこかの古びたモーテルで運転していた過去の自分の姿を眺めている。これから自分がどこへ向かうのかなんて知らない。でも、あの時に故郷の町を出て行くことを、暗闇のなかで昼間の世界のことを強く強く望んだから、今私はここでステレオフォニックスを観ている。そう思うと本当に胸がいっぱいだった。自分のやってきたすごくランダムなことやたくさんのいい加減なことのなかにもこうしてちゃんともっと真面目だった頃の自分自身とつながっている部分があるのだと実感できた。そしてたぶん、想像しなかった未来だってきっと悪いことばかりじゃない。


Bruce Springsteen "It's Hard to Be a Saint in the City"

2016-03-15 22:54:12 | Greetings from Asbury Park, NJ.
革のような肌 ダイアモンドみたく容赦ないコブラさながらの目つき
生まれながらにブルーでくたびれてるが超新星みたいに爆発した
ブランドのように日の射すなかを歩き
カサノヴァよろしく踊るのさ
ブラックジャックとジャケットを身に着け
髪はきれいになでつけて
服には銀の星のスタッド、熱気にさらされたハーレーみたいさ
通りをキメて歩けばその鼓動が聞こえる
女の子たちは立っていられず言ったね「あの人すてきじゃない?」
街角の足の悪い男が「小銭のお恵みを」と叫ぶ
ダウンタウンのガソリンスタンドの野郎どもの話は的を射てるぜ
都会で聖者になるのはたいへんなのさ

俺は路地の王で 話も下手じゃなくてさ
物乞いの派手な騒ぎで乞食の王子に祭り上げられた
ヒモのいちばんの預言者で 俺のおかげ何もかもがクールだった
負ける運命に魅入られた裏通りの賭博人みたいにさ
熱気がやってくる頃には通りに置き去り
通りの蒸気のあいだからイエスみたいに現れた悪魔
おまわりだってどうにもできないと俺にも分かる手の内を見せた
熱気に飛び込もうとして首元に奴の熱い息を感じた
通りのしがない若者が都会で聖者になるのはたいへんなのさ

生きる屍のように座る地下鉄の賢者
線路がリズムを刻むあいだもじっと前を見据えたまま
綱渡りでもするみたいにぎりぎりのところで捕まってるのさ
だけどトンネルのなかは蒸すようで 熱さにやられちまいそう
よろけているうちに動悸が激しくなり
穴から抜け出るとまたストリートに戻ってる

サウス・サイドの美人な女の子たち
街角の足の悪い男は「小銭を恵んでくれ」と叫ぶ
ダウンタウンの野郎どもの話は的を射てるぜ
都会で聖者になるのはたいへんなのさ

ENGLISH


If it's hard to be a saint in the city, how about in the air?

オルバニーとハートフォードでブルース・スプリングスティーンのコンサートを観たあと、日本に帰ればいくつかの向き合いたくない現実が待っていることが分かっていたので、家に帰るのはずいぶん憂鬱でした。いやだいやだと思いながら空港に行って機械でチェックインをすると、ひとりだというのに、3列・3列・3列の飛行機の座席のいちばん真ん中の席になっている。変更しようとしたけれど、無料で選べるのはあと1席だけで、同じ列の右側3席のやはり真ん中。別に真ん中の真ん中でもはしの真ん中でも変わらないのだけど、なんとなくあてがわれたものをそのまま受け取ることに対する抗いと少しでもはしに行きたいという心理からかはしの真ん中を選びました。ところが搭乗してその席へ行ってみると、自分でわざわざ選んだ座席の窓側にすでに座っていたのは、冗談のような巨漢の男性だった。人の身体つきなんてもちろんなんだっていい。でも私の座席にはっきりと入ってきているのは本当にいやだった。これから13時間も0.7席くらいの空間に甘んじなければいけないなんてあんまりだ。それもわざわざ自分で変更した席でこうなるなんて。もともと与えられていた真ん中の真ん中の席はいたって普通の状況だった。とはいえこういう些細な不運というのはネガティブな気持ちでいるときにはつきものなので、結構すぐに諦めはつきました。

***
英語には、"blessing in disguise"という表現があって、辞書には「悪そうに見えて実はありがたいもの」とか「不幸に見えても結局は幸福となるもの」というふうに説明されています。
***

暫くすると隣に座って挨拶をしたときにはさほど感じが良いわけでもなかった巨漢の男性が「ところで、」と言って自己紹介をしてきた。話を聞くと、彼はオクラホマからやって来た26歳の青年で宣教師としてマニラへ向かっているところだといいます。オクラホマと言えばウディ・ガスリーの故郷だね、と言うとよく知っているね、と驚き、音楽は大好き、特にビートルズとかチャック・ベリ―とか昔のロックンロールが好きなんだ、と活き活きと話し出しました。ひとりで旅をしていると時々、こうして自分についていろいろなことを話してくれる人に出会うことがあり、多くの場合、それはあとあとになっても忘れることができない印象深い記憶となってきました。だから、基本的に孤独だった今回の旅の終わりに、こうして話好きの青年の隣に座ったことはなんとなく運命的に感じられたし、喜ばしいことでした。少なくとも、座席を0.3席分くらい諦めた甲斐はあったというものです。

職業柄ということなのだろうけれど、早い段階で青年は私に「神を信じる?」という質問を投げかけてきました。私はよく分からないけれど困ったときには神頼みする、と言ったので、青年は「それは神を信じているということだね」と言い、それはそうかもしれない、という気がした。こういう話がカジュアルに持ち出されたことと、相手の生来の話好きとが合わさって、話は自然と割とディープな内容にまで及びました。それは基本的には彼のキリスト教信仰に関わる内容だったのだけど、相手は私の曖昧模糊とした宗教観をある方向に導くと共に自分の信じている事柄について試してみようという気持ちがあり、私には親しい相手ではないからこそ直截に問うことのできる疑問などもあったからです。彼の信仰や信念には納得できる部分もあったし、よく分からない部分もあったし、共感しない部分もあった。でも、彼の話のところどころにはとても印象的な内容が含まれていて、それはブルースが『The River』(1980)について語っていたことやオルバニーで寒空のもとGAの順番待ちをしているあいだに読み始めた『カラマーゾフの兄弟』と重なり合うところがあったりして、不思議なシンクロニズムを感じさせたのでした。(ブルースはロシアの作家が好きだと公言していて、ドストエフスキーの書いた『カラマーゾフの兄弟』はトルストイの『アンナ・カレーニナ』と並んでお気に入りの作品と言っています。ただ、ロシアの小説は昔から好きだったわけではなくて2010年頃から読み始めて心を奪われたようです)。

「人生の目的ってなんだと思う?」という青年の問いに対しては、私は軽薄な答えしか返すことができなかった。もう少し前だったら、もっと自信を持って恐らくはなにか利己的なことを答えただろうと思います。でも、今はそうではなかった。利己的な答えとどちらがましなのかはよく分からないけれど、薄ぺらな答えだとは自分でも感じた。それに対して青年はなんとも言わなかったけれど、自分は「人との関わり(relationships)」だと思うんだ、と答えました。彼にはなにか私にはよく理解できない宗教的な根拠があるようだったけれど、私は彼の答えを聞いて、彼が言っているのは「ties that bind」のことなんだ、と感じました。「自分以外にだあれもいない世界で生きていくことなんて考えられる?ほかの人がいるから生きていけるんだよ」。ブルースが『The River』を丸々演奏するのを聴いたあとに、こんなことを言う人の隣にたまたま座ったなんて本当に驚きだった。

13時間もの飛行時間、私たちはほとんどずっと話をしたり、チェスをしたりして過ごしました(私はチェスのやり方を知らなかったので、青年が根気強く教えてくれた)。家に帰るのが憂鬱だったから、この間そういうことをあまり考えずに済んだのはありがたいことであったし、なによりも彼の話はおもしろかった。信仰のある人にとって、こんなにも世界は違って見えるのだなと感じ、家に帰ってもまだ祈りの効力をなんとなく信じられそうな気がしたくらいでした。でも私の信仰はやはり彼のものとは違っていて、日が経つにつれて彼の宗教的な考えについてのインパクトは私のなかでは薄れていきました。それでも、彼との少しクレイジーな空の上でのやりとりは深く心に残っています。都会で聖者になるのはたいへんだ。でも、空の上なら事情は少し違っているのかも。