(514)ドイツのこれからの4年間に世界の未来を見る・公正な世界経済の確立を!

黒と赤の連立政権誕生と未来につながる

投票率の画期的成果

黒(CDU・CSU)と赤(SPD)の政策は大きく異なっており、ショルツ首相は連立をはっきり拒否していたが、民主政治の責任としてメルツ政権の連立パートナーとなることが、SPDの総意となってきたことから、黒と赤の連立政権誕生は間違いないだろう。

今回の連邦議会選挙結果はほぼ予想された通りであったが、ドイツの公共放送ARD(第一)とZDF(第二)がより民主的な政治を目指して報道した性もあり、投票率が各段に上ったことは大きな成果であった。しかも公開討論会での各党党首への質問で、ファクトチェック(事実確認)を採用したことは、トランプフェイクの時代に民主主義の大きな対抗手段になり得ると思った。

例えば極右政党AfD党首ヴァイデル女史は、ドイツのエネルギー価格が世界一高いことから企業がドイツから逃げ出しており、原発を再稼働させれば電気料金は下がると明言した。ARDの「ファクトチェック」では、虚偽発言と断定して、その根拠を明瞭に載せている。

先ず「ドイツのエネルギー価格が世界一高い」では、企業向け電気料金は1キロワット時24セントで世界第15位、家庭向けで36.7セントで世界第3位、天然ガス価格に対しては企業向け第13位、家庭向け第14位、ガソリン価格第19位、ディーゼル価格21位、暖房用灯油19位と、2025年2月10日の公式データ(Verivox)で否定している。

そして「原発を再稼働させれば電気料金は下がる」では、最も信頼性の高いフラウンホーファー研究所のクリスティアン・クレペルトが下がらないと明言し、シーメンス・エナジーの監査役会会長ジョー・ケーザーも同意し、「経済的に実行可能な原子力発電所は世界に一つもない」(2024年11月27日ARD番組での発言)と語っている。国際エネルギー機関によれば、原発の資金調達は、計り知れないリスクがあるため民間投資は期待できず、政府の保証と融資によってのみ可能であるとしている。また価格に関しても最初の建設費用と核廃棄物貯蔵処理の費用を含めれば、決して安くならないことを指摘している。

またフラウンホーファー研究所は、余り解体が進んでいない8基の原発は理論的に再稼働可能としながらも、コストと時間がかかり、再稼働には5年ほどを要するとし、現実的でないと解説している。事実ドイツの巨大電力企業の一つEnBWの原子力部門責任者イェルク・ミシェルズは「原発の解体は不可逆的」と述べ、「ドイツで新たな原発建設を行うことが、現在のエネルギー供給問題を解決するとは考えていない」と語っている。

また原発は二酸化炭素排出はゼロではなく、ウランの採掘と輸送、燃料としての加工、放射性廃棄物の貯蔵などで、1キロワット時あたり68グラムから110グラムの二酸化炭素が排出されることを検証している(褐炭火力発電所は約1150グラム、風力発電17.7グラム)。

このように二つのドイツの公共放送は、各政党の党首インタビューや党首討論や質問を単に放送するだけでなく、各党首の発言を「ファクトチェック」することで国民の政治への関心を高め、年々投票率が減少する傾向にあるにもかかわらず、1990年のドイツ統一以来最高の82.5%の投票率を達成させたと言えるだろう。

確かに現在のドイツは外からも内からも難題が押し寄せてきているが、ドイツの民主主義はそうしたなかでも進化してきており、新しい政権に期待したい。

現在の世界危機の原因はどこにあるのか?

AfD党首ヴァイデル女史の発言が虚偽であるとしても、ドイツがロシアにエネルギー依存していた時に比べ、恐ろしくエネルギー価格が高くなったことは確かである。しかもドイツは他国より遥かに安いエネルギーを利用できることで、ドイツ産業がこれまで活気づいていたことも事実である。

しかし遥かに安いロシアへのエネルギー依存は、ドイツ統一後国際競争力を高めるために、ドイツ企業が政府と一体になって進めてきたロシアでのエネルギー開発に起因している。

そのロシアでのエネルギー開発がドイツ企業に莫大な利益を与えると同時に、ロシアにも莫大な富を与え、現在のプーチン帝国を誕生させたと言えるだろう。本来公正な世界経済のルールが築かれていれば、ドイツを通してロシアの安いエネルギーが欧州連合のすべての人々を潤わせるだけでなく、ロシアの人々も潤わせた筈であり、ゴルバチョフの「欧州共通の家」実現も可能であったろう。

そのような公正な世界経済をこの2月1日に死去した元大統領ホルスト・ケーラーは、2004年に大統領就任以来訴え続けてきた。彼は政治家出身ではなく、IMF理事の経済専門家であり、特に公正なアフリカの開発をすることが、ドイツ及び欧州連合の将来への発展につながることを説き、公正な世界経済の確立を力説し続けた。

ケラー大統領はメルケル首相自身が選んだ選んだ大統領にもかかわらず、第一期メルケル政権で連邦議会で決議された航空管理局の民営化や、消費者に不利になりかねない消費者情報法に大統領の拒否権限で阻み、民営化を中止させ、消費者情報法を企業より消費者よりに改正させたことでも知られている。

世界金融危機に対しては、IMF専務理事やドイツ貯蓄銀行会長の専門家の体験を通して、「金融をコントロールする銀行が世界の金融市場をモンスターに育てた」と非難していた。しかもそれらの金融部門のマネージャーたちは恐ろしく高額な報酬を得ていると非難し、金融取引の公正さ、透明性の向上を訴え、国際金融システムの安定性を監視する独立したグローバルな機関の必要性を強調した。

したがって国民の人気は高く大統領支持率は絶えず80%を超えていたが、絶えず政府とは衝突し、余りにもが個性が強く妥協が難しかったことから、第二期で辞表を提出した。もっともメルケル首相と対立していたのではなく、メルケル首相はケーラー大統領の講演には必ずと言ってよいほど出席し、エールを送り、ケーラー大統領から学んでいた。

事実メルケル首相の2007年ストラスブルグのEU議会での欧州理事会の議長就任演説では、節々でケーラー大統領から学んだ、ヨーロッパ諸国の平等な共存発展やアフリカの投資を通して欧州連合とアフリカの共存発展など公正な経済を求める主張が溢れていた。

それゆえ第一期メルケル政権が始まった際は、メルケル首相はドイツが国際競争力を高めるため自ら出した「新しい社会的市場経済」論を唱え、規制撤廃と民営化による小さな政府を求めていたが、第一期を終える2009年には福祉重視の大きな政府を求めるまでに、大きく変わっていた。

もっともメルケル首相の取組んだものは、ほとんどが最初の取組みとは大きく反転しており、そこにこそ人間メルケルの輝きが感じられる。事実第二期政権以降のメルケル首相からは、ケ―ラー大統領から学んだ公正な世界経済と、メルケルの信仰からくる利他主義を感じずにはいられない。

私自身も2007年から2010年までの4年間のベルリンの暮らしでは、しばしばケーラー大統領の講演をパソコンでの字幕付きで学んだものである。今改めて思うのは、現在の世界の危機は規制なき弱肉強食の経済世界に原因があり、本質的な解決には「公正な世界経済の確立」にこそ危機克服する道があると確信する。

先ずは停戦を最優先すべき

確かに緑の党のハーベック経済相やベアボック外相のように、ロシアの力による侵攻に侵攻側に有利な停戦はあってはならないことであり、将来の力による領土拡大を容認することにもなりかねず、戦争の継続は正論だと思う。しかし3年にも渡るウクライナ戦争の人々の悲惨な状況を見るにつけても、先ずは停戦が最優先されるべきである。

確かにトランプの取引きと呼ぶ停戦と平和には反発を感じるが、先ずは一歩も二歩も下がって、停戦を実現し、停戦協議や和平協定協議に持ち込むことが先決であろう。事実ドイツ国民もこれ以上の戦争拡大を望まず、ハーベックやベアボックの正論を支持しなかったことから、新しい黒と赤の連立政権は大きく退歩してトランプの取引きと呼ぶ停戦に道を開くように思われる。

確かに欧州連合の大きな退歩であるとしても、先ずウクライナの人々の幸せを最優先して(ガザ地区でも同様であるが)、粘り強く停戦協議や和平協定協議で頑張るしかない。本質的には現在の戦争を起している原因は、規制なき弱肉強食を容認する世界経済である。

それを解決するには産業に支配されている政治家では、限界もあることは確かである。しかしドラキュラも太陽に晒されることを恐れているように、ドイツ公共放送が「ファクトチェック」で見せたように晒していけば、世界のすべての人々を平等に幸せにする「公正な世界経済の確立」も夢ではないと思う。

(513)黒が白になる世界・米副大統領「欧州には言論の自由がない」発言が意味するもの

物議を醸すバーンス発言

世界各国の首脳や閣僚が安全保障を議論するミュンヘン安全保障会議が3日間の予定で14日から始まっている。初日の14日にはバーンズ副大統領が発言し、大きな物議を醸している。

ドイツ公共第一放送のTagesushauの「欧州に対する前例のない報告書Eine beispiellose Abrechnung mit Europa」記事によれば、バーンズはこれまでの価値観の共有という前例から逸脱し、欧州連合が民主主義を理解していないと非難した。

バーンズ副大統領は、「私が欧州で最も危険だと感じているのは、ロシアや中国、あるいはその他の外部勢力ではない"Die Gefahr, die ich in Europa am größten sehe, ist nicht Russland oder China oder ein anderer externer Akteur." 」と述べ、最大の危険は欧州内部にあるという趣旨で30分に渡って話を展開し、欧州の民主主義が堕落していると非難した。

すなわち言論の自由がなく、移民問題では移民が無秩序に流入し、有権者の懸念に答えないのは民主主義の破壊だと述べている。さらにミュンヘン安全保障会議主催者がポピュリスト政党の代表者(AfD)が招かれていないことを批判した。

そして国内の政敵を標的として、「バイデン政権は“コロナウイルスが実験室での事故によって世界にもたらせた”と主張する人々を脅迫してきた。トランプ政権下では、誰もが自分の意見を表明することが許されるだろう」と述べ、「アメリカの民主主義はグレタ・トゥンベリの暴言を10年間耐えたのだから、(欧州に民主主義があるなら)、イーロン・マスクの数か月も耐えられるはずだ "Wenn die amerikanische Demokratie zehn Jahre Schimpftiraden von Greta Thunberg überlebt, dann haltet ihr auch ein paar Monate Elon Musk aus.”」と皮肉を込めて結んでいる。

 

このバーンズ発言に対して、ドイツ公共第一放送本部のクラウディア・バッケンマイヤー女史は「異なった世界へのタンニングポイント」なる感想記事を載せている。

この記事は、「アメリカの副大統領J・D・バーンスの登場は、ヨーロッパ人に旧約聖書レビ記を読む説教者の登場だった」と書き出し、「彼はミュンヘン安全保障会議を利用して、私たちヨーロッパ人を“表現の自由の権利を侵害している”と批判した。これはロシアや中国よりも大きな脅威だ」と感想を述べている。

さらにドイツのボリス・ピストリウス国防相が、インタビュー記事「私はバーンズ発言に異議を唱えずにはいられなかった」で述べた思いは、的を得た共有する思いだったと書いている。

そして最後に「バーンズの登場は、アメリカがヨーロッパから離れるという、異なる世界へのターニングポイントだった」と結んでいる。

黒が白になる世界であってはならない

私から見れば、人差し指を上に挙げて始まるバーンズ発言はナチの復活を連想させるもので、これまでバイデン政権では黒だったものがトランプ政権下では白になると宣戦布告しているように思えた。

イーロンマスクはこの二か月ほど欧州を回り、ドイツでも極右政党AfDを支援するため各地で講演し、彼の場合は4回も人差し指を上に挙げてAfD支持を訴えるだけでなく、多額の献金をして、多くのドイツ市民及び連邦議会のすべての民主政党の党首から激しく非難された。

それ故バーンズ発言の最後では、「アメリカの民主主義はグレタ・トゥンベリの暴言を10年間耐えたのだから、(欧州に民主主義があるなら)、イーロン・マスクの数か月も耐えられるはずだ」という皮肉を込めた言葉になるのである。

そしてバーンズ発言でもっとも気になるのは、「バイデン政権は“コロナウイルスが実験室での事故によって世界にもたらせた”と主張する人々を脅迫してきた。トランプ政権下では、誰もが自分の意見を表明することが許されるだろう」という発言である。少なくともドイツでは、“コロナウイルスが実験室での事故によって世界にもたらせた”と主張する人々(AfD)を陰謀論者と見なし、憲法擁護庁はAfDの監視措置を強化してきた。

そしてトランプ復活前の世界では、少なくともドイツでは議事堂襲撃を指示したトランプは陰謀論者であったが、復活後の世界では、救世主に祀り上げようとしているようにさえ見える。

しかもそこでは、もはや民主主義の敵ではなく、「国民の望みを叶えられない民主主義は欠陥民主主義であり、(独裁的に)国民の望みを叶えるトランプ自国第一主義こそ本物の民主主義である」を容認しているように思える。

しかもトランプ政権は直ちにパリ協定離脱や世界保健機構(WHO)脱退を届けるだけでなく、ウクライナ戦争に対しても「NATO離脱、米軍派遣なし、ウクライナは領土を譲渡しなければならない」と表明しており、まさにこれまでの白が黒に変わろうとしている。

陰謀論者は、地球温暖化は嘘であり、ホロコーストも嘘と発言する(ドイツでは「自由の敵には無制限の自由を認めない」との憲法裁判所判決で刑罰がかせられる)。

そのように白を黒とする世界になるとするなら、人類は滅びることを覚悟しなければならないだろう。

 

尚23日の連邦議会選挙は、メルツのやり方に週末の抗議デモは拡大し続けているが、世論調査は殆ど変わらないことからメルツ政権の誕生は避けられないだろう。もっともメルツはメルケルの批判を受けて、AfDとの連立はないと明言していることから、黒と赤、もしくは黒と緑の政権誕生しかない。

(512)ナチ復活を阻止するドイツ市民・声明を出して闘うメルケル・私のYouTubeアカウント停止について

CDU首相候補メルツの極右との議会共同動議

 前回のブログで2月の連邦議会選挙で大きな変化はないと書いたが、突然CDU首相候補のフリードリヒ・メルツが1月29日に、移民規制法案を決議する動議を提案し、キリスト教民主同盟CDU(キリスト教社会同盟CSUを含む)、自由民主党(FDP)、さらに問題の極右政党のドイツの選択肢AfDが賛成して過半数に達し、31日の議会で採決されることになった。この移民規制法はキリスト教民主同盟が昨年9月に議会に提出していたが、事実上移民を禁止し、不正移民をすぐさま強制帰国させるものであり、与党社会民主党SPD及び緑の党が反対し、合意が得られず留保されていた法案であった。

 確かにこの法案も大きな問題があるとしても、これまですべての民主政党がAfDを極右政党と名指し、憲法裁判所の監視下にあるAfDと次期政権が有力しされているキリスト教民主同盟が共同して動議を突破したことは遥かに大きな問題であり、ナチス帝国再来を市民に呼び起こすものであった。

声明を出して闘うメルケル

 元首相のメルケルは翌日30日に直ちに国民に呼びかけ、次のような要旨の声明を出した。

「キリスト教民主同盟首相候補のメルツさんは、2024年11月13日のドイツ連邦議会の提言で、社会民主党や緑の党など民主政党と合意のできた法案だけを議会に持ち込み、極右AfDとは議会行動を共にしないと明言されました。その提言には、私はメルツ首相候補の大きな政治的責任を感じましたし、全面的に支持します。しかし昨日の動議でAfDの協力を得て過半数を得たことは、メルツさんの提言を破るものであり、間違っています。すべての民主政党は枠組を越えて協力し、難局を乗り切ることが必要です」

このような元キリスト教民主同盟党首でもあったメルケルの呼びかけで、党則に違反して反対票を入れたり、本会議を欠席するCDU議員がでたことから、この法案は31日の本会議で僅差で否決された。

ナチ再来阻止の16万を超えるベルリン市民デモ

否決されたにもかかわらず、4月1日にはドイツ全土で市民の抗議デモが拡がり、4月2日には公式発表でさえベルリンの市民抗議デモは16万人に膨らみ、想像できない規模で拡がった。

市民の怒り恐れているのは、与党復活が確実視されているキリスト教民主同盟の首相候補が11月の議会での「極右とは議会行動を共にしない」という約束を破り、極右政党AfDの協力を得て、移民規制法を強行突破しようとしたことである。それは、ドイツの市民の掲げる抗議プラカードに見るように、1933年ナチスが合法的にワイマール共和国の民主主義を終焉させた「授権法」を思い出させるからである。

1933年3月23日ドイツ帝国議会では、ナチ党が過半数でなかったにもかかわらず、保守党とカトリック中央党の協力によって、ヒトラー政権に議会決議なしに法律を布告する権限を与える「授権法」を決議し、ヒトラー独裁第三帝国が誕生させたからである。

嘆かわしい朝日新聞の間違い報道

私の長年購読している朝日新聞は、このようなドイツの抗議を2月3日まで無視続け、ようやく2月4日の9面で縦見出しで、『「極右」と移民規制決議 16万人抗議デモ』のタイトルで載せた。しかしこのタイトルは、明らかに間違っている。ベルリン支局の寺西和男氏の記事本文を読むと、移民規制法を議会採決する提案が1月29日に可決され、31日の採決で否決されたことがしっかり書かれるだけでなく、キリスト教民主同盟首相候補のメルツ氏に痛手となった記者の見解もしっかり書かれている。それが横見出しには、「独 支持率首位の野党会派に逆風」と書かれていることから察すれば、間違った縦見出しは世の流れに迎合する本社のデスクが出したことは明らかである。なぜなら最近は連日一面でトランプの関税問題を扱い、経済優先であるからである。

それは、私の愛読していた「論座」を一昨年終了させたことからも明らかである。もっとも朝日新聞の後ろ面のオピニオン・フォーラムでは、マイケル・サンデルのインタビューなどを載せて、トランプ復活のアメリカ第一主義に抗し、民主主義の立て直しをはかろうとしている。確かにイソップ寓話にある「金の卵を産むガチョウ」を育てようとしないのが、目先の利益に取りつかれた現在の経済最優先の日本であるが、「金の卵を産むガチョウ」を育てたいものである。

 

私のYouTubeアカウント停止について

理由は、(509)で載せた私の見た動画『混迷の世紀・パラレルアメリカ』に対して、NHKからYouTubeにクレームが出されたからである。そのようなクレームは過去にもあったが、その際は投稿動画を削除するだけであった(注1)

。しかし今回は私の投稿した500ほどのすべての動画が見れなくなったのは、私にとって大きなショックであり、禍である。

もっとも昨年出した『核のない善なる世界・禍を力とする懐かしい未来への復活』で書いたように、

私自身禍を力としてここまで自由奔放に生きてきたことから、今着手しているものをやり遂げるだけである。さいわいラッキーセブン二つの77歳になっても、豪雪のなかで元気に、自由に生きれることは、感謝、感謝である。

。

(注1)

公共放送NHKは二度と戦争を許してはならないと強い思いから、『日本人はなぜ戦争へと向かったのか』シリーズなど見事な多くの作品を放映しており、それを是非見てもらいたいという思いから、『私の見た動画』というタイトルで、60分放送を10分から15分ほどに短縮し、私が是非伝えたい箇所で編集して、非営利で100本近く載せてきた。

確かにNHKの許可は得ていないが、私がドイツで暮らした4年間、絶えず見ていたドイツの公共放送は番組放送の後受信料を払っていなくとも、放送されたすべての番組がパソコンで見られ、公共放送の民主主義を守る責務と奉仕を感じたものであった。もちろん一定の収入のある家庭は受信料を払わなければならず、公共放送を見ることが義務付けられているとも言えるだろう。しかも第二公共放送ZDFのニュースや重要テーマを扱ったフィルムは、REALなど無料ソフトで簡単にダウンロードでき、公共放送の科学的根拠を持って製作したフィルムを世界に拡散してもらいたい心意気を感じたものである。

そのようなドイツから帰国して見ると、日本の公共放送の在り方に疑問を持たずににはいられなかった。特に2014年5月に放送されたNHKスペシャル『エネルギーの奔流』は、ブログ(207)で書いているように、「ドイツのエネルギー転換は失敗している」という間違った嘘に基づき、イノベーションによる石炭維持路線と原発推進路線へと巧みに導いているプロパガンダ番組であった。この『エネルギーの奔流』フイルムに関してはNHKも気が付いていたようで、オンデマンドでも削除されており、私のテレビを撮影した動画も削除されている。しかしそれ以外の100本近くの動画「私の見た動画」は、YouTubeでこれまで見られたことから、トランプ復活でNHKも一変したように思う。YouTubeにしても、Twitterの二の舞にならないように、ルールを厳しくし私のYouTubeアカウントが停止された次第である。

(511)メルケル回顧録インタビュー(2)・メルケルの泥臭く謙虚な利他的手法とトランプの狡く高慢な差別的手法

今日新たなブログを刷新しようと思ったところ、私のYouTubeアカウントが停止されたのことで全ての動画見れなくなっており、新たな動画を載せることも困難になっているので、先ずは文章だけ載せます。

 

脱原発でのメルケルの手法

インタビュー(2)では、2月23日の連邦議会選挙でメルケルが首相になる前に党首選で争ったフリードリヒ・メルツがキリスト教民主同盟(CDU)の首相候補となり、原発復活を仄めかしていることから、原発を廃止したことに反省はないか聞かれている。

しかしメルケルははっきりと後悔のないことを伝えている。理由は日本のような科学先進国で福島原発事故が起きたからであり、アフリカなどで原子力開発を望まないし、原発なしの再生可能エネルギーで賄う道も見えてきているからだと謙虚に語っている。

もっとも原発に対しては、1994年から1998年までの環境大臣を務めた際、既にこのブログで述べたように、原発推進政策を推し進めている。そこでは旧東ドイツの核廃棄貯蔵施設モアスレーベンが安全性が問題となり、「モアスレーベンは安全である」と明言して、継続使用を指示している。もっとも何度も現場を視察しており、優れた物理学者であったメルケルが放射線汚染に気が付かな筈はない。しかし当時のコール政権では原発推進が国策であり、当時他の貯蔵施設がないなかで、安全性に問題があると言えるはずもなく、継続できるように処理することが、メルケル環境大臣に割り当てられた役割であった。

2008年メルケル第一期政権で、モアスレーベンでの地下水混入による激しい汚染が発覚し、専門家警告を無視した当時の環境大臣メルケルの責任がメディアを通して問われた。それをメルケル首相は無視したが、内心は絶えず考え続けていたように思う。なぜなら第一期政権の首相府環境顧問は、原発の危険性と廃止を唱えるオラーフ・ホォフマイヤー教授でり、第二期政権でも留任させたからである。それはメルケル首相が原発の危険性と廃止を絶えず考え続け、脱原発の機会を待っていたという見方を裏付けている。

2009年の連邦議会選挙ではキリスト教民主同盟が大勝利し、選挙の争点とならなかった政党公約の原発稼働期間28年間延長が浮上した。この時メルケル政権はすぐさま党公約を連邦議会で決議せず、その必要性を説き、国民理解を求めていた。しかしそれは国民の考えが熟するのを待っており、一年後国民の考えが稼働期間延長反対に熟する至って、党の強い要請である原発稼働期間延長を大幅に短縮して12年延長を決議している。この際の大幅短縮は原発産業と癒着して、原発継続を掲げるキリスト教民主同盟には受入れないものであり、連邦参議院の過半数を占めるキリスト教民主同盟の州首相たちからはメルケル首相辞任要請が高まっていた。

しかし福島原発事故が起きると、メルケル首相は待ち受けていたかのようにすぐさま倫理委員会を編集し、誰を倫理委員に選び、どのような方法で脱原発へ導くか用意周到であった。事実福島原発事故後に日本の脱原発を求めて何度も来日した倫理委員の一人ミランダ・A・シュラーズ教授によれば、すでに倫理委員会招集時に脱原発の結論が方向付けられており、25名委員の内10名はメルケル自ら選び、残りの15名はメルケルの信頼するクラウス・テプファー議員(メルケル環境大臣の前任者)が選び、最初から脱原発の倫理委員会であった。

しかもその議論過程は、長時間に渡って何日も公共放送でガラス張りに公開され、議論が終わる頃にはキリスト教民主同盟支持者さえも多くが脱原発に傾いていた。そうしたなかでは、キリスト教民主同盟の過半数を占める原発維持議員も脱原発反対を唱えることさえできなかった。

そのようにメルケル首相の手法は、殆どの場合絶えず考え、国民の考えが熟するまで機会を待って実現し、国民の決断によって為されるほど謙虚であった。

メルケルの手法とトランプの手法

2019年にメルケル第四期政権が出した気候保護法は、パリ協定の実現にブレーキー踏むものとして、「未来のための金曜日」に集う若者を失望させ、メルケルへの激しい批判が巻き起こった。そして若者たちの代表9人は、2020年2月に憲法裁判所への提訴がなされた。しかしメルケル政権としては、「2050年までに二酸化炭素排出量ゼロとし、2030年までに排出量を90年比で55%削減する」気候保護法は、ドイツ産業の強い圧力のなかで、最大限努力したものであった。

もっともメルケルは、そのような激しい批判と憲法裁判所への提訴を見越していたかのように、上の写真で見るように、2020年8月20日には気候活動家代表としてグレタ・トゥーンベリルとイーザ・ノイバウアーを首相府に招き、彼女たちの要求を真摯に聞いて、ドイツの気候保護をさらに進める用意があることを個人的に約束していた。

そして2022年4月の憲法裁判所の「人為的気候変動は基本法第2条の生命と身体の自由権を侵害しており、パリ協定の実現性に欠く現在の気候保護法は基本法20条a項の自然的な生活基盤保護義務に違反しており、2022年末までに改正しなくてはならない」という判決がでると、それを待ち構えていたかのようにメルケル政権は気候保護法をすぐさま、「2045年までに二酸化炭素排出量ゼロとし、2030年までに65%削減し、2040年までに88%削減する」と改正した。

このようなやり方こそ、党内やドイツ産業界の激しい圧力に抗するメルケルの手法に他ならない。

確かにメルケルの批判者は、絶えず考え(イマ―デンケン)、「避ける」「遅らせる」「先送り」することを、皮肉を込めて「メルケルン」というが、必ずやり遂げる泥臭い手法は見事ではないか?

しかも気候保護法改正では、メルケルは進んで敗者として振舞ったと言えるだろう。

そして今トランプのパリ協定離脱や世界保健機構(WHO)脱退は、人類の生命と身体の自由権の侵害であり、既に人類の生活基盤を脅かしており、アメリカ司法への提訴、国連司法裁判所への緊急提訴が為されるべきである(確かにトランプはアメリカ司法裁判所の裁判官を変える力があるとしても、開かれた裁判では違法判決がでると信じたい)。

まさにメルケルのやり方は、トランプのやり方を狡く高慢な差別的手法と呼ぶなら、泥臭く謙虚な利他的手法に他ならない。

尚2月23日の連邦議会選挙は、世論調査でキリスト教民主同盟支持率30%、社会民主党15%、緑の党15%、AfD20%にほぼ定着しており、メルツ政権誕生は間違いないだろう、そこでは緑の党との黒と緑の連立政権誕生の公算が極めて高いことから、連立協議で原発復活など認められる筈もなく、これまでのドイツの方針は変わることはないだろう。むしろ環境や外交を緑の党が脇役とし受け持つことで、緑の党にとっても本領が発揮されるだろう。

 

(510)「なぜ今メルケルなのか」の詩・メルケル回顧録インタビュー(1)

世界は民主主義の危機にあり、トランプによる力による支配が世界を呑み込もうとしており、それを救うものとしてなぜ今メルケルなのか、考えて見て欲しい。

新しい年の初めに、トランプとメルケルの詩、及びメルケル回顧録インタビュー(1)を載せ、トランプのアメリカ第一主義の世界が同一の価値観を強いる社会であり、メルケルの辿り着いた世界が異なる価値観を尊重する社会であることを噛み締めたい。

トランプとメルケルの詩

トランプは利己的民主主義と叫ぶが、メルケルは利他的民主主義と囁く

トランプは競争、自己責任、民営化と叫ぶが、メルケルは連帯、社会責任、公共化と叫ぶ

トランプは自画自讃して傲慢に叫ぶが、メルケルは控えめに反省して謙虚に囁く

トランプは即興で感情的に叫ぶが、メルケルは絶えず考えて叫ぶ

トランプは原発推進、化石燃料継続と囁くが、メルケルは脱原発、脱化石燃料と叫ぶ

トランプはフェイク(嘘)と叫ぶが、メルケルはファクト(真実)と叫ぶ

トランプは人種差別を囁くが、メルケルはすべての救済を叫ぶ

トランプはアメリカ第一主義の成長を叫ぶが、メルケルは万人の幸せを叫ぶ

トランプの叫びと囁きは今世界に木霊しているが、メルケルの囁きと叫びは木霊していない

なぜなら世界は未だ肥大を欲しており、トランプの叫びと囁きは高鳴り、メルケルの囁きと叫びは消えかかっている

トランプテクノ・リバタリアンの実行支配は、規制緩和と民営化による国家機関乗っ取り、同じ価値観の独裁帝国の誕生

それは、世界の終わりの始まり

それでも耐えて、世界がメルケルの利他的民主主義の足跡を踏襲するなら、希望ある未来が切り拓かれる

(509)トランプ復活で、なぜ今メルケルなのかのか

トランプ復活が象徴する危機

トランプはお金が支配する社会で競争を求める力が生み出したとすれば、メルケルはシュタージが支配する社会で自由を求める力が生み出したと言えるだろう。

そして今、世界はトランプが最初に現われた時に較べ、寧ろトランプ復活に戦争の終結を期待し、かざされた課税によってトランプに媚びようとさえしている。

それはヒトラーが独裁支配する過程で、ドイツの一般大衆だけでなく、ハイデッカーのような哲学者までがヒトラーの独裁政治に期待した様に似ている。それゆえに、現在の世界が何処へ導かれようとしているか、よくよく考えなくてはならないだろう。

それを考えさせてくれたのは、2024年7月21日に放送された『混迷の世紀 第14回 パラレル・アメリカ 〜銃撃事件の衝撃 分断のゆくえは〜』であった(それを20分ほどにまとめたのが、上に載せた私の見た動画『混迷の世紀・パラレルアメリカ』である)。

正義に対する白熱論議で著名なハーバード大学マイケル・サンデル教授は、「かつての民主党は権力者に対抗する大衆の党であり、労働者の団体交渉の支援や中間層と貧困層を支援する法律を作るなど権力者を抑制する党でした。しかしいまでは共和党と立場が逆転したかのようです。いまの民主党は高学歴のエリートの政党で、多くの労働者を遠ざけています」と述べている。

そのような明言は、民主党への厳しい批判となることから中々いえないことであるが、現在の世界の民主主義危機の本質を抉り出している。事実冷戦後のクリントン政権、オバマ政権、そしてバイデン政権の民主党政権では、地球温暖化阻止、人種差別撤廃、マイノリティーの権利と言った気候正義や社会正義が推し進められてきた。しかしその反面グローバルな市場経済を容認してきたことから、国際競争力優先で労働者の賃金や福祉がカットされ、格差が著しく拡大した。

すなわちグローバルな自由市場経済では、強国が弱国を征し、しかも強国においてもそれを維持するために働く市民の賃金や福祉が蔑ろにされるからである。何故なら強国を維持するためには、市場の公平性が社会の公平性より優先されるからである。そこではグローバル資本主義が、国民国家の社会的公平機能を奪い、結果的に民主主義を壊している。言い換えれば経済の自由、平等なグローバル資本主義が、人間の自由、平等な民主主義を壊していると言えるだろう。

そのような状況のなかでは民主主義が決められない政治と揶揄され、自国利益第一主義のトランプのような独裁者もどきが現われ、専制主義への移行が必然的に求められて行くからである。

事実フィルムで見るように、支部が全米3500を超えて拡がる「タンニングポイントUSA」の若者の異常な熱狂は、まるで「ヒトラー・ユーゲント」を彷彿させる。そこでは勤勉と公正が誓われ、伝統的な家族感や愛国心に基ずく社会を築くべきだと訴えている。またトランプを支える数万人規模の官僚養成は、親衛隊の誕生さえ連想される。さらに国会襲撃以来主要メディアがトランプを排除したことから、SNSによる「もう一つの言論空間」を作り上げ、トランプの正当性を訴え続けている。しかもトランプ支持者は、異なる価値観を排斥するため、同じ価値観の人が集う8万社の参加する「独自の経済園」を誕生させている。

そこでは異なる価値観を排斥するため有害図書リストが作成されており、既にトランプ支持が圧倒的なインディアナ州の法では、有害図書の提供は罰金や禁固刑となっており、ナチズムの禁書さえ差し迫る現状が描かれている。

そして番組の終わりでは、サンデル教授が「現在の民主主義危機は主要政党がこの40~50年説得力ある魅力的選択肢を提供できなかったからだ」と述べ、民主主義の使命と目的を再考する必要性を強調していた。

トランプ復活で、今なぜメルケルなのか

トランプ復活は、既にブログ(506)で書いたように、ヒトラーの「百年後のナチズム復活」を呼び起こすものであり、民主主義の危機を象徴している。そのような危機の中で、なぜ今メルケルなのか、には疑問視が付くだろう。最早メルケルは過去の人であり、年末のメルケルの回顧録出版はノスタルジーとさえ見なされている。

しかし政治に素人なメルケルが、絶えず試行錯誤しながらも民主主義の使命と目的を考え、絶えず危機を救い、利他的な民主主義に辿り着き、それを貫いたメルケルの足跡は、現在の世界の危機を救うものだと確信する。

もっともそこに辿り着く道のりは紆余曲折しており、むしろ反対の途を採ることで目覚めている。例えば弱者の救済では、最初から難民を救うために政治生命をかけて、「私たちにはそれができる。救いの手を差し伸べないなら、私の祖国でない」と言い切る考えではなかった。

むしろ国が富めば、その豊かさが滴り落ちるという新自由主義の側に立ち、2008年の世界金融危機では500憶ユーロ(現在の8兆円)という巨額の血税で銀行だけを救済し、老後のためにサブプライム派生商品を購入した市民を一切救済しなかった。しかし国民世論に耳を傾ける時、徐々に反省に変わり、第二次メルケル政権の2010年の「経済成長加速法」では、、低所得者や中小企業だけを240憶ユーロの大型減税によって救済している。そこでは競争原理優先の新自由主義に逆らうかのように、大企業や裕福者の減税はまったくされなかった。

そしてそれが、2012年キリスト教民主同盟の党大会でのメルケルの「万人のしあわせ」回帰宣言に繋がった。10項目に上る回帰宣言では、戦後民主主義の基盤であった社会的市場経済に戻り、一握りの人たちに冨が集中する社会を否定し、弱者を支援する連帯社会へ舵を切ることを誓ったのであった。

このようにメルケルの政治は試行錯誤で絶えず変わっているが、政権の中頃から絶えず国民の幸せ、他者の幸せに自らを捧げる思いが滲み出してきている。

また2011年の脱原発宣言では、彼女の所属するキリスト教民主同盟(CDU)の三分の二の政治家がロビーイストに取り込まれ、原発稼働継続を求めるなかで、それを実現したやり方の見事さは称賛に尽きる。

もっともメルケルは最初から脱原発の考えではなく、コール政権下で1994年から1998年までの環境大臣を務め、原発推進政策を推し進めている。そこでは物理学者として、核融合エネルギーの平和利用は欠かせないという信念で、旧東ドイツの核廃棄貯蔵施設モアスレーベンの安全性が問題になった際も、危険性を指摘する専門家の意見に耳を貸さず、「モアスレーベンは安全である」と明言して、継続使用を指示している。

しかし2008年モアスレーベンの地下水混入により激しい汚染が明らかにされ、10月のシュピーゲル誌43号に「メルケルのアキレス腱」という特集が組まれ、「旧東ドイツの原子力廃棄貯蔵施設崩壊が実証された」との記事では、専門家警告を無視し、施設再稼働を指示した当時の環境大臣メルケルの責任を問い正していた。

また2009年の連邦議会選挙では、金融危機を切り抜けたメルケル首相の実績が評価され、キリスト教民主同盟は大勝利した。しかし選挙の争点とならなかった党公約の原発運転期間28年延長に対し、多くの専門家がその危険性を指摘し、世論を二分する問題になって行った。そうした中でメルケルは国民世論の反対の高まり耳を傾け、一年後の2010年9月の連邦議会で「私たちはすべての安全基準考慮の下で原発運転期間の延長を必要とします」と訴え、大幅に短縮した12年の延長を決議した。このメルケル政権の大幅短縮の決議は、党決議が28年延長であったことから、メルケル首相辞任やレットゲン環境大臣辞任要請が党内及びキリスト教民主同盟の州首相から高まった。しかし世論はキリスト教民主同盟の支持者さえ脱原発に傾いており、政党自体の危機がそれを救った。

しかもメルケル首相は、第一次政権で採用した首相直属の政治顧問に脱原発を強く主張するオラーフ・フォアマイヤー教授を第二次政権でも継続させていた。そのことからもメルケルは、原発の安全性に対してモアスレーベン崩壊の報道以降も考え続け、原発の危険性に目覚め、むしろ脱原発の機会を伺っていたという見方ができる。なぜなら福島原発事故後すぐさま倫理委員会を編集し、誰を倫理委員に選び、どのような方法で脱原発へ導くか用意周到であったからである。

具体的には、福島原発事故後に日本の脱原発を求めて何度も来日した倫理委員の一人ミランダ・A・シュラーズ教授(注1)によれば、すでに倫理委員会招集時に脱原発の結論が方向付けられており、25名委員の内10名はメルケル自ら選び、残りの15名はメルケルの信頼するクラウス・テプファー議員(メルケル環境大臣の前任者)が選び、最初から脱原発の倫理委員会であった。

しかもその議論過程は、長時間に渡って何日も公共放送でガラス張りに公開され、議論が終わる頃にはキリスト教民主同盟支持者さえも多くが脱原発に傾いていた。そうしたなかでは、キリスト教民主同盟の原発維持議員も敢えて脱原発反対を唱えることさえできなかった。そのように党の原発推進の方針を180度転換させたメルケルのやり方は見事であり、今世界の政治家はそのやり方を学ばなくてはならないだろう。

もっとも試行錯誤しながら変わるマキャベリズムの政治は、絶えず批判されてきたことも確かである。それは、新自由主義のロビーイストを兼業するジャーナリストから絶えず激しい批判攻撃があるだけでなく、私の信奉する反自由主義のハーバマース(EUの経済と政治の統合で超国家的な民主主義の実現を訴えている)さえ厳しいものがあった。

しかしメルケルに絶えず垣間見られるのは、人間メルケルの人々に尽くそうとする熱い思いである。そしてメルケルの足跡を辿る時、絶えず試行錯誤しながらも民主主義の使命と目的を考え、人々を救い幸せにする利他主義の道標に辿り着いている。

それはハーバード大学の講演が示すように、独裁者をなくし、地球温暖化をストップさせ、飢餓に打ち勝ち、病気を根絶する、利他主義の世界の創出である。しかもそれは、世界に拡がるトランプの炎をかき消し、世界を救うものである。

人間メルケルとは、絶えず人に気を配り、スタイルや趣味を国民と共有して楽しむことを自らに強い、ストイックに自らの考えを成し遂げるために、孤独に突き進む人物像に他ならない。そのようなメルケルを理解するため、ZDFが制作した『人間メルケル・メルケルのレジスタンス』を下に載せておくことにした。

 

尚、新しい年のブログの更新は、1月15日頃を予定にしています。

(注1)当時ベルリン大学の環境政策研究所所長であり、私も2007年の講義ゼミに聴講生(ガストヘーラー)として参加したことがあり、シュラーズ教授は水俣病にも関心が強く、人と環境の調和を求める環境政策が印象的であった。

 

(508)メルケル回顧録出版が意味するもの・メルケルの目指した民主主義

元首相メルケルの自ら書き上げた自叙伝

この年末メルケル元首相の700頁にも及ぶ、自ら書き上げた自叙伝が出された。マスメディアや世論は、メルケルの時代にドイツがエネルギーをロシアに依存することになり、それがロシアのウクライナ侵攻の一因であったことから、何らかの反省を期待していたようだが、そのような思いはまったく触れられていなかった。また難民問題でも、何らかの反省する思いも書かれていると期待したようだが、上に載せたZDFニュースによれば、そのような反省の思いは殆ど書かれていなかったようだ。

2015年のシリアからの難民が100万人を超えてドイツに押し寄せた際、それを頑なにメルケルは受入れ、政権与党内からも非難が激しく辞任を求められた。しかしメルケルはひるむことなく、政権放送で政治生命をかけて難民を助けることを国民に訴え、「私たちにはそれができる。救いの手を差し伸べないなら、私の祖国でない」と言い切り、やり遂げた。それは政治家ではあり得ない決断であり、他の人が首相であれば決して出来ないことであったように思う。

また2011年の脱原発宣言では、彼女の所属するキリスト教民主同盟(CDU)の過半数の政治家がロビーイストに取り込まれ、原発稼働継続を求めるなかで、それを実現したことは素晴らしいという言葉に尽きる。一部に福島原発事故以前にメルケルは原発の危険性を認識していたからこそ、事故をチャンスにすぐさまメルケルの選考した倫理委員で倫理委員会を設けれたと言われている。しかも議論を公共放送で国民にガラス張りに公開し、原発継続議員が反対できないように、脱原発を倫理的に方向づけた手腕は見事であり、メルケルでなければ出来なかったろう。

しかも現在の世界は独裁者トランプが復活するように、世界を救済するメルケルの目指した民主主義は失われつつあり、メルケルの回想から聞こえてくる声に耳を傾けなくてはならないだろう。

その声の一つは、(現在ドイツは負債を厳格に守る法律「債務ブレーキ」問題で連邦選挙が繰り上げて2月に実施される模様となったが・注1)、財源不足から再生可能エネルギーへの転換が計画通り進展していないことに対して、未来への投資は憲法を改正しても成し遂げなくてはならないという声である。

(注1)ドイツはハイパーインフレを起こし、ナチズムを許した反省から国の負債には恐ろしく厳しく、公的債務残高の増加を国内総生産(GDP)の0.35%以内に抑制しなくてはならない。もっともコロナ感染危機のような非常事態では、一時的に「債務ブレーキ」を停止して、欧州連合の定めるGDPの3%以内の負債が可能になる。現在のドイツはエネルギー高によって財政不足となり、赤、緑、黄の信号機政府が2025年の予算で債務ブレーキ停止で予算を付けようとしたが、黄の自由民主党が財政厳守で譲らず、結局連立の解消によって連立政府が崩壊し、2025年2月に連邦選挙を繰り上げて実施することになる。

民主党の変質

白熱論議で著名なハーバード大学マイケル・サンデル教授はアメリカ大統領選挙終盤で、トランプの潮流が優勢なのは、既に民主党は中間層や貧困層を守る党ではなくなり、トランプの潮流が彼らを守るものとして支持されるからだと述べていた(注2)。事実そのような原因は、今回の選挙で激選州のすべての州で圧倒的にトランプが勝利したことで裏付けられるだろう。

そのような民主党の変質は、ドイツにおいては1998年のシュレーダー政権誕生の時から明白に見られた。もっとも1998年の連邦選挙の争点は、競争原理を求めるコールのキリスト教民主同盟(競争の潮流)と反競争原理を求めるシュレーダーの社会民主党(連帯の潮流)の激突であった。選挙結果は連帯の潮流を求める社会民主党が勝利し、シュレーダー政権は公約に従い、コール政権で作られた「解雇制限法緩和(必要な際解雇を自由にする法律)」を撤回し、病欠手当削減や年金減額法が撤回されるなど、最初はドイツの連帯の潮流が順調に動き出したかに見えた。

しかしコール政権のドイツ統一によってアメリカから雪崩れ込んだ競争原理の潮流は根深く、ロビーイストの意見交換は国益にとって必用不可欠され、ロビーイストたちの連邦議会の出入りがフリーパス化されていたことから、徐々に社会民主党が変質させられて行った。それはシュレーダー政権が、競争力強化を求める産業側にそっぽを向かれ、行き詰まって行ったからでもあった。

もっともそのような社会民主党の競争原理への変質は目立たず、シュレーダー首相の(ロビーイスト作成原稿による)、「雇用を創出することは正義である。雇用を創出するためには賃金の抑制と社会保障費の企業負担軽減が不可欠であり、国民の連帯によって実現しなくてはならない」といった演説を通して、巧妙に為されたからであった。

しかし2002年の連邦選挙で僅差でシュレーダー政権が勝利すると、「解雇制限法緩和」を復活させ、競争原理最優先の「アジェンダ2010」を打ち出し、労働者の長年築きあげててきた権利を根こそぎに奪って行った。

例えば失業保険では、給付期間を32カ月から12ヵ月に大幅に短縮した。さらにそれまで失業保険期間が過ぎても専門職が見つからない場合、期間無制限に前職場での総収入の57パーセントが失業扶助されていたが、それを廃止し、恐ろしく安い生活保護(失業給付Ⅱ)に一本化した。

そのように社会民主党は、労働者のための政党からドイツ産業のための政党に変質したことから、2005年の選挙では国民の審判で敗北した。その際のキリスト教民主同盟首相候補がアンゲラ・メルケルであった。旧東ドイツ出身の若いメルケルが首相候補になることは普通ではあり得ないことであったが、コール元首相の汚職問題は党内に拡がり有力候補が消えていくなかで、既にメルケルは2000年からキリスト教民主同盟の幹事長であった。しかし旧東ドイツ出身で国民の知名度では問題であり、ドイツではそれまで女性が首相になったことがなく、勝利することは疑問視されていた。それにも関わらず首相になれたのは、国民がシュレーダーの裏切りに審判を下したからに他ならない。それ故メルケル政権が16年にも及ぶ長期政権になるとは誰も予想すらしていなかった。

しかもメルケル政権は保守党政権であり、規制なきグローバル化を推し進めた社会民主党との連立政権でもあったことから、「アジェンダ2010」の流れを受け継ぎ、現在のメルケル像である「自由、平等、法治主義、人権」や、弱者救済への熱い思いはまったく見られなかった。

(注2)2024年7月21日に放送された『混迷の世紀 第一四回 パラレル・アメリカ 〜銃撃事件の衝撃 分断のゆくえは〜』では、何故現在のアメリカがトランプ優勢なのかを見事に描き、サンデル教授がその理由をわかりやすく述べていた。この動画は年内に3分の1ほどに編集して載せたいと思っている。

メルケルの目指した民主主義

それが変わったのは、ドイツを襲ったサブプライムローンによる世界金融危機からであった。その際ドイツは、殆どすべての銀行が定期預金にサブプライム派生商品を組み入れていたことから、その被害はアメリカを超えて甚大であった。そのためメルケル政権は、金融デフォルトを避けるため銀行を2008年10月無条件で救済した。しかし市民や中小企業の被害は救済されなかったことから、2010年「経済成長加速法」によって、240憶ユーロもの大型減税を実施した。その減税では、経済成長加速法というタイトルとは裏腹に、低所得者や中小企業だけを減税し、競争原理優先の新自由主義に逆らうかのように、大企業や裕福者の減税はまったくされなかった。

しかしそのようなメルケルの弱者救済は、キリスト教民主同盟の長年の牙城であるバーデン・ヴュルテンベルク州の原発運転期間延長のための「影の計画」や、原発に関わるキリスト教民主同盟議員の汚職が噴出し、政治のロビー支配が鮮明になったことから評価されなかった。そのためキリスト教民主同盟は州選挙で、2011年3月のバーデン・ヴュルテンベルク州の選挙から2012年の5月のノルトライン・ヴェストファーレン州の選挙まで11州の選挙で記録的に全負し、政党自体が存亡の危機に陥って行った。

それを救ったのはメルケルであり、、しかもメルケルはそれをキリスト教民主同盟の方向転換のチャンスとして捉え、産業に寄り添う政治を国民に寄り添う政治に転換させたと言えるだろう。具体的にメルケルは、2012年の党大会で戦後のアデナウァーの「万人のしあわせ」への回帰宣言を行った。10項目に上る回帰宣言では、戦後民主主義の基盤であった社会的市場経済に戻り、一握りの人たちに冨が集中する社会を否定し、弱者を支援する連帯社会へ舵を切ることを誓った。

しかしこのようなメルケルの方向転換には激しい批判がともない、メルケルを党首から引きずり降ろそうという動きも活発化した。2013年5月には『アンゲラ・メルケルの初期の人生』が出版され、メルケルは20歳頃東ドイツDDR共産党青年部に属し、扇動やプロパガンダの部署で深く共産党組織に関与していたことが示唆された。さらにフォーカス誌は5月の20号で「メルケルの東ドイツでの過去」というタイトルで特集を組み、あたかもメルケル首相がDDR共産党組織に洗脳されていたかのような疑惑を膨らませた。

しかしドイツの公共放送や多くのメディアは、事実は事実として伝え、メルケルを擁護した。その結果2013年9月の連邦選挙では、メルケルが産業側が押す社会民主党のシュタインブリュクを圧倒的大差で破り、メルケルが本来望む政権を誕生させた。そこでは賃金が競争原理によって下がっていく規制なき市場経済にメスを入れ、2015年1月には最低時間給賃金制を導入し、法廷最低時間給を8.5ユーロとした。またメルケルは、徴兵制の停止に加えて、同性婚の容認などこれまでのキリスト教民主同盟の政治では考えられないリベラルな政治を推し進めた。

(明らかにアンゲラ・メルケルは、キリスト教民主同盟を国民に寄り添う社会民主政治に変化させた。社会民主政治とは、社会に公正を求め、資本主義のもたらす格差や貧困などを解消する民主政治であり、1990年から2005年まで社会民主党副党首だったヴォルフガング・ティアゼは、メルケル首相が社会民主党のお株を奪ったと皮肉を込めて述べる程である。)

そのようなメルケルであったことから、2015年の難民問題以降もメルケル批判は党内で尾を引いていき、メルケル首相を引きずり降ろす機会を狙っていたことも確かである。2017年の連邦選挙では、キリスト教民主同盟の具体的政策がないにも関わらず、国民は公正な政治の実現を誓うメルケルを再び首相に選んだ。しかし連立協議で躓き、幹事長選出ではメルケルの意向が叶えられず、党内のメルケル首相降ろしは現実化した。

そのためメルケル首相は2018年10月29日に記者会見を開き、党首退陣を表明した。しかし同時に2021年秋の連邦議会満了まで首相府で首相職に専念することを表明した。そのようなメルケルの決断は、既にメルケル降ろしの党内右派議員が過半数を超え、メルケル自身も最早従来の保守路線を望む右派議員の説得が難しく、党を壊したくない思いからであったろう。(確かにメルケルの国民の人気からすれば、党を割ってメルケル民主党を誕生させることも可能であったが、それをすれば壊れるものも多く、幼少期からの耐えて乗り越える性格が許さなかったのだろう)。

しかしメルケルの民主政治かける熱い思いは、2019年のハーバード大学での2万にもの聴衆を前にして、不動の手放すことが出来ない価値に立ち行動しなければならないと諭し、、独裁者をなくし、地球温暖化をストップさせ、飢餓に打ち勝ち、病気を根絶することを力強く訴えていた。そこでの講演は、民主主義を葬ろうとするトランプ大統領を意識しての講演でもあった。

したがって今回メルケルが回想録を出したことは、退任の際述べた新たな生き方の一環であり、不動の手放すことができない価値に立った行動の開始であると期待したい。

私自身は、少なくともメルケルの脱原発宣言以降メルケルの信奉者であり、このブログにメルケルの講演や新年挨拶、さらにはメルケルを扱ったドイツ公共放送番組を、日本語に訳して数十本載せ続けてきた。そして今トランプが復活するなかで、それを再考しながら書き上げることが、今私が為すべきことであり、出来ることであると思っている(メルケルの回顧録が出るまでは、私の創造的平和構想をすぐさま書き上げたいと思っていたが、それは2025年の世界を見てからにしたい)。

何故なら新しい年からはトランプ独裁の世界が始まり、メルケルの目指した民主主義の衰退は避けられず、世界が不動の価値を手放すなら、恐ろしい世界戦争の時代に突入して行くと思われるからである。