中国共産党の第20回代表者大会が10月22日に閉幕し、翌日の23日には習近平を中心とする新指導部が披露された。ほとんどが習近平に近い人事で、怒りや落胆の声があちらこちらから聞こえてきたが、その日、香港の友人らが主宰するウェブサイト「無國界社運Borderless Movement」に発表された文章(原文)は、中共の自浄作用という幻想をきっぱりと拒否し、社会全体の激しい闘いを通じた大転換という展望を提起している。タイトルは、後漢末期に起こった壮大な農民反乱である「黄巾の乱」が掲げたスローガン「蒼天はすでに死す 黄天まさに立つべし」から。(H)
改良はすでに死す、革命まさに立つべし
楚三戶
中国共産党の自浄作用への希望は以前からあった。鄧小平一派による「改革開放」はこれまでも崇拝の対象となり、89年民主化運動では趙紫陽ら開明派指導者による巻き返しに期待を寄せ、リベラル派知識人はいわゆる「胡温新政」(胡錦濤と温家宝の新政策)に幻想を抱き、習近平政権の当初における「反腐敗」闘争は各階層から賞賛され、李克強はこの20回大会でトップに就任して政策転換を図るだろうという噂が広く信じられてきた…。
しかし、中共の新しい指導部が明らかになると、習近平一味が全面的に権力を掌握し、この国のさらなる暗部への堕落を阻止できる勢力が中共内部から登場することはあり得ないことがハッキリとした。つまりは、そういった幻想を完全に捨て去るときがきたということである。
もちろんそのような期待を嘲笑する必要はない。それは宗教の誕生と同じように、巨大な敵と対峙した人類が救世主の降臨を期待することは、ある種とうぜんの反応でもあるからだ。
中共内部には確かに改良に尽力する人物がいるのかもしれない。だが民主主義を欠いたシステムのなかでは、最も悪辣な手法と弱肉強食のルールに長けたマキャベリストだけが最後の勝者となる。しかも彼らはこのシステムを一世代ごとに悪化させてきた。その結果、改良はますます困難となり、それに挑戦しようとする者はますます減り、最終的にはほぼ皆無となる。今日われわれが迎えたのは、体制内から救世主は現れず、中共に改良の可能性がなくなったという歴史的岐路である。
しかし統治下にある人々が、このようなシステムが完全に終わってしまったという結論を、おのずと導き出すことはない。現状に満足する習近平一味のファナティックな信奉者と異論派の救世主に期待する人々以外に、さらにこの現実を受動的に受け入れる多くの人々がいる。政治への無関心からかもしれないし、支配機構を突き動かすことができないとあきらめていのかもしれない。人々の意識はバラバラであり、ここにあげた3つのタイプはあくまでおおざっぱな分類である。しかし、彭載舟(※)のように、革命を真剣な選択肢の一つとして考える人間は、いまだごく少数にとどまっている。だが人々の意識は常に変化するのであり、しかも変化の速度も一定ではなく、決定的な歴史の瞬間にはいつも集団的で巨大な変化をもたらす。
(※)彭載舟は、大会直前の北京で掲げられた横断幕に書かれた反政府スローガンの発案者と言われる。
楽観的な点でいえば、習近平一味は国家経営に関しては無能で、ファナティックな信奉者が今後も持続して増加することは難しいということである。宮廷内の権力闘争や民衆に対する弾圧には長けていたとしても、日々その困難さを増している経済状況(失業率、財政赤字、成長率の停滞、投資引き上げ、対外投資の失敗など)、帝国主義の国際競争において有利な地位を勝ち得ない(西側の技術封鎖を突破できず、軍事的にも台湾を圧倒できず、頼りになる盟友もなく、国際的イメージもガタ落ち)、無数のファナティックな信奉者らに実質的な利益を実感させることもできていない(社会保障の縮小、実質賃金の低下、対外投資からの利益にあずかっていない)。過去十年の経験が示しているのは、高級幹部あるいは最重要の暴力装置構成員(軍や警察)でなければ、忠実な信奉者による苦労はそれほど報われるものではないということである。これまで以上に多くの時間、精力、子宮(人口減少への対策として党国家に奉仕するために子どもを3人産むことを奨励している)、忖度、治安維持、政治学習と引き換えに得られるものは、十年前とたいして変わらない世間並みの生活とかつて以上に厳しい昇進の道だけにすぎない。曖昧模糊とした「偉大な事業」という口約束も、かれらをそれほど長く引きとどめて犠牲を強いることは難しいだろう。
逆に楽観的になれない点で言えば、かつて救世主に期待をかけたかどうかにかかわらず、いま異論派に最も多くみられる選択肢が中国からの逃亡、つまりいわゆる「潤」(ルゥン)である(これは「潤」の漢字の発音を表す「run」[=中国語で「ルン」と読む]と英語のrunをかけたもので、中国からの逃亡を意味する:編集者)。習近平の徒党どもは大富豪の逃亡は許さないかもしれないが、多くの資本家と中産階級にとってはまだ移民は容易である(全ての財産を海外に持っていけるかどうかは別問題だが)。しかしこれらの階層の中国人は往々にして惰弱で利己的である。長年にわたり海外で中国共産党に反対する政治運動への参加や支援を見ればそれが分かる。このような人々が国内に留まっていたとしても、それが革命の主体になると考えることは難しい。その下の階層はどうかといえば、仕事や留学で海外にいく道筋は狭まってはいるが、都市部の青年(とくに大学生やホワイトカラー)にはまだまだチャンスはある。この階層の個人においては、「潤」は最適解であるが、親のコネや財産でなく自分の努力で「潤」が可能な青年たちは、往々にして中国共産党のことをよく理解しており、海外ではもっとも活発な反中国のアクティヴィストになっている。この若者たちは海外において中国共産党を打倒するための力を発揮するであろうが、しかし革命の決定的な一撃は、やはり壁の内側から発生するものでなければならない。
今日までに、中国共産党が代表するのは、官僚階級、紅い貴族、そしてその両者のためにマネーロンダリングにいそしむ資本家ら全体の利益であった。そして今日からは、党内には習近平一味の一ファミリー独裁だけが残り、ほかの系列は誠心誠意こころから党のために働くことはなくなるだろう。もちろん習一派も簡単には他の派閥に隙を見せることはない。習一派の武将たちによるこの間の「業績」をみれば、中国の内政と外交が今よりも悪化することが予測できる。現状を受動的に受け入れてきた人々のなかには、すでに「寝そべり」や「放棄」といった風潮が横行してはいるが、状況がよりいっそう悪化した時にはどのような反応をおこすだろうか。多くの場合、民衆が革命に向かう理由は、革命宣伝によってではなく、飢え、失業、巨額の借金で、すべてを失い、自由も奪われ、権利を損なわれ、尊厳を奪われ、戦争に敗北し、約束が破られることがきっかけになってきた。
壁の内側の多数の民衆は中国共産党支配の終焉を願ってはいるが、それは必ず革命がおこるということを意味するものではない。恐怖、弾圧、戦争、矛盾の転化、あるいはいくらかの突発的事件の発生が、蓄積されつつある革命情勢を破綻に追いやることも可能である。歴史上の革命もまた偶発的なきっかけで始まったことが多い。それが成功するかどうかは、その機会を逃すことなくつかみ取ることができるかどうかにかかっている。武昌蜂起(辛亥革命)や1917年のロシア2月革命、近年においてはアラブのジャスミン革命などがあげられる。つまり、我々は(破滅への)「総加速師」(※)が鎮座することで「その時が必ず来る」といって傍観して待ち続けていてはならないのである。
(※)「総加速師」とは習近平のあだ名。破滅の道へ加速するという意味が込められている。鄧小平が改革開放の「総設計師」と称されたことに由来する。
漆黒の闇が一番深いこのとき、革命の暁の光がどこから射すのかは分からないが、革命家は今できることを精いっぱいやるだけである。工夫した方法で革命の必要性と可能性を宣伝し、アトム化・個人化に陥らないために志を同じくする仲間と結びつく。健康を維持し、敵よりも長く生き延びる。社会の最も抑圧された人々──女性、少数民族、底辺労働者、貧困者など──これらの人々は往々にして最初に抵抗に立ち上がる人々でもある。先人の経験、教訓、戦術、組織化の方法を学ぶ……。
當然,還有很重要的一件事是培養自己的勇氣,這樣當千萬人開始行動之時,我們才不會退縮。
そしてもう一つ重要なことがある。それは、大衆が行動を始めたときに我々自身が委縮することのないように、自らの勇気を養うことである。
2022.10.23