虹とモンスーン

アジア連帯講座のBLOG

中国:改良はすでに死す、革命まさに立つべし

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中国共産党の第20回代表者大会が1022日に閉幕し、翌日の23日には習近平を中心とする新指導部が披露された。ほとんどが習近平に近い人事で、怒りや落胆の声があちらこちらから聞こえてきたが、その日、香港の友人らが主宰するウェブサイト「無國界社運Borderless Movement」に発表された文章(原文)は、中共の自浄作用という幻想をきっぱりと拒否し、社会全体の激しい闘いを通じた大転換という展望を提起している。タイトルは、後漢末期に起こった壮大な農民反乱である「黄巾の乱」が掲げたスローガン「蒼天はすでに死す 黄天まさに立つべし」から。(H)

 

 

改良はすでに死す、革命まさに立つべし


楚三

 

中国共産党の自浄作用への希望は以前からあった。鄧小平一派による「改革開放」はこれまでも崇拝の対象となり、89年民主化運動では趙紫陽ら開明派指導者による巻き返しに期待を寄せ、リベラル派知識人はいわゆる「胡温新政」(胡錦濤と温家宝の新政策)に幻想を抱き、習近平政権の当初における「反腐敗」闘争は各階層から賞賛され、李克強はこの20回大会でトップに就任して政策転換を図るだろうという噂が広く信じられてきた

 

しかし、中共の新しい指導部が明らかになると、習近平一味が全面的に権力を掌握し、この国のさらなる暗部への堕落を阻止できる勢力が中共内部から登場することはあり得ないことがハッキリとした。つまりは、そういった幻想を完全に捨て去るときがきたということである。

 

もちろんそのような期待を嘲笑する必要はない。それは宗教の誕生と同じように、巨大な敵と対峙した人類が救世主の降臨を期待することは、ある種とうぜんの反応でもあるからだ。

 

中共内部には確かに改良に尽力する人物がいるのかもしれない。だが民主主義を欠いたシステムのなかでは、最も悪辣な手法と弱肉強食のルールに長けたマキャベリストだけが最後の勝者となる。しかも彼らはこのシステムを一世代ごとに悪化させてきた。その結果、改良はますます困難となり、それに挑戦しようとする者はますます減り、最終的にはほぼ皆無となる。今日われわれが迎えたのは、体制内から救世主は現れず、中共に改良の可能性がなくなったという歴史的岐路である。

 

しかし統治下にある人々が、このようなシステムが完全に終わってしまったという結論を、おのずと導き出すことはない。現状に満足する習近平一味のファナティックな信奉者と異論派の救世主に期待する人々以外に、さらにこの現実を受動的に受け入れる多くの人々がいる。政治への無関心からかもしれないし、支配機構を突き動かすことができないとあきらめていのかもしれない。人々の意識はバラバラであり、ここにあげた3つのタイプはあくまでおおざっぱな分類である。しかし、彭載舟(※)のように、革命を真剣な選択肢の一つとして考える人間は、いまだごく少数にとどまっている。だが人々の意識は常に変化するのであり、しかも変化の速度も一定ではなく、決定的な歴史の瞬間にはいつも集団的で巨大な変化をもたらす


)彭載舟は、大会直前の北京で掲げられた横断幕に書かれた反政府スローガンの発案者と言われる。

 

楽観的な点でいえば、習近平一味は国家経営に関しては無能で、ファナティックな信奉者が今後も持続して増加することは難しいということである。宮廷内の権力闘争や民衆に対する弾圧には長けていたとしても、日々その困難さを増している経済状況(失業率、財政赤字、成長率の停滞、投資引き上げ、対外投資の失敗など)、帝国主義の国際競争において有利な地位を勝ち得ない(西側の技術封鎖を突破できず、軍事的にも台湾を圧倒できず、頼りになる盟友もなく、国際的イメージもガタ落ち)、無数のファナティックな信奉者らに実質的な利益を実感させることもできていない(社会保障の縮小、実質賃金の低下、対外投資からの利益にあずかっていない)。過去十年の経験が示しているのは、高級幹部あるいは最重要の暴力装置構成員(軍や警察)でなければ、忠実な信奉者による苦労はそれほど報われるものではないということである。これまで以上に多くの時間、精力、子宮(人口減少への対策として党国家に奉仕するために子どもを3人産むことを奨励している)、忖度、治安維持、政治学習と引き換えに得られるものは、十年前とたいして変わらない世間並みの生活とかつて以上に厳しい昇進の道だけにすぎない。曖昧模糊とした「偉大な事業」という口約束も、かれらをそれほど長く引きとどめて犠牲を強いることは難しいだろう。

 

逆に楽観的になれない点で言えば、かつて救世主に期待をかけたかどうかにかかわらず、いま異論派に最も多くみられる選択肢が中国からの逃亡、つまりいわゆる「潤」(ルゥン)である(これは「潤」の漢字の発音を表す「run」[=中国語で「ルン」と読む]と英語のrunをかけたもので、中国からの逃亡を意味する:編集者)。習近平の徒党どもは大富豪の逃亡は許さないかもしれないが、多くの資本家と中産階級にとってはまだ移民は容易である(全ての財産を海外に持っていけるかどうかは別問題だが)。しかしこれらの階層の中国人は往々にして惰弱で利己的である。長年にわたり海外で中国共産党に反対する政治運動への参加や支援を見ればそれが分かる。このような人々が国内に留まっていたとしても、それが革命の主体になると考えることは難しい。その下の階層はどうかといえば、仕事や留学で海外にいく道筋は狭まってはいるが、都市部の青年(とくに大学生やホワイトカラー)にはまだまだチャンスはある。この階層の個人においては、「潤」は最適解であるが、親のコネや財産でなく自分の努力で「潤」が可能な青年たちは、往々にして中国共産党のことをよく理解しており、海外ではもっとも活発な反中国のアクティヴィストになっている。この若者たちは海外において中国共産党を打倒するための力を発揮するであろうが、しかし革命の決定的な一撃は、やはり壁の内側から発生するものでなければならない。

 

今日までに、中国共産党が代表するのは、官僚階級、紅い貴族、そしてその両者のためにマネーロンダリングにいそしむ資本家ら全体の利益であった。そして今日からは、党内には習近平一味の一ファミリー独裁だけが残り、ほかの系列は誠心誠意こころから党のために働くことはなくなるだろう。もちろん習一派も簡単には他の派閥に隙を見せることはない。習一派の武将たちによるこの間の「業績」をみれば、中国の内政と外交が今よりも悪化することが予測できる。現状を受動的に受け入れてきた人々のなかには、すでに「寝そべり」や「放棄」といった風潮が横行してはいるが、状況がよりいっそう悪化した時にはどのような反応をおこすだろうか。多くの場合、民衆が革命に向かう理由は、革命宣伝によってではなく、飢え、失業、巨額の借金で、すべてを失い、自由も奪われ、権利を損なわれ、尊厳を奪われ、戦争に敗北し、約束が破られることがきっかけになってきた。

 

壁の内側の多数の民衆は中国共産党支配の終焉を願ってはいるが、それは必ず革命がおこるということを意味するものではない。恐怖、弾圧、戦争、矛盾の転化、あるいはいくらかの突発的事件の発生が、蓄積されつつある革命情勢を破綻に追いやることも可能である。歴史上の革命もまた偶発的なきっかけで始まったことが多い。それが成功するかどうかは、その機会を逃すことなくつかみ取ることができるかどうかにかかっている。武昌蜂起(辛亥革命)や1917年のロシア2月革命、近年においてはアラブのジャスミン革命などがあげられる。つまり、我々は(破滅への)「総加速師」(※)が鎮座することで「その時が必ず来る」といって傍観して待ち続けていてはならないのである。


(※)「総加速師」とは習近平のあだ名。破滅の道へ加速するという意味が込められている。鄧小平が改革開放の「総設計師」と称されたことに由来する。

 

漆黒の闇が一番深いこのとき、革命の暁の光がどこから射すのかは分からないが、革命家は今できることを精いっぱいやるだけである。工夫した方法で革命の必要性と可能性を宣伝し、アトム化・個人化に陥らないために志を同じくする仲間と結びつく。健康を維持し、敵よりも長く生き延びる。社会の最も抑圧された人々──女性、少数民族、底辺労働者、貧困者など──これらの人々は往々にして最初に抵抗に立ち上がる人々でもある。先人の経験、教訓、戦術、組織化の方法を学ぶ……。

 

當然,還有很重要的一件事是培養自己的勇氣,這樣當千萬人開始行動之時,我們才不會退縮。

 

そしてもう一つ重要なことがある。それは、大衆が行動を始めたときに我々自身が委縮することのないように、自らの勇気を養うことである。

 

2022.10.23


追悼:湯川順夫さん「民族問題の歴史からウクライナ問題を考える」(2022年6月28日絶筆)

アジア連帯講座で何度も講演されてきた湯川順夫さんが闘病の末に、2022年7月6日に亡くなった。79歳。7月8日と9日の通夜と葬儀には三鷹地域で続けてきた野宿者支援運動「びよんどネット」(21年解散)、「トロツキー研究所」(19年解散)の仲間など大勢が集まり、湯川さんを送った。以下は、お通夜のときに、お連れあいさんから頂いた湯川さんの絶筆「民族問題の歴史からウクライナ問題を考える」。お連れ合いさんによると、入院前日の6月28日まで、苦痛にたえながら病床の上で、毎日数行ずつ書いてきたという。原稿は途中で終わっている。写真は2022年3月21日に東京・代々木公園でおこなわれた「ウクライナに平和を!原発に手を出すな!3.21市民アクション」に参加した際のもの。スターリンのウクライナ、グルジア自決権はく奪に抗したレーニンの最後の闘争と同じく、湯川順夫さん最後の闘争だった。遺志を引き継ぎ、世界の仲間たちとともに新しい時代を切り開こう。(H)

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湯川順夫:民族問題の歴史からウクライナ問題を考える(2022年6月) 

(誤記等は*印で修正・補足した:ブログ管理者)

A一一当面の中心的で本質的な問題は。まず何よりもロシア・プーチンの大ロシ
ア民族排外主義政権によるウクライナ軍事侵略を阻止すべきだ。なぜなら、今回の侵略は、ウクライナに対するロシア排外主義によるあからさまな、民族抑圧、軍事的占領、直接的なその軍事侵略そのものであり、それ以外の何物でもないからだ。従って、私たちの議論、取り組みは、まず何よりも、以上の立場からから出発しなければならない。

B一一でもプーチン政権をそうせざるを得ない立場に追いやったのは、NATOを初めとした日本をも含む欧米日の西側大国ではないのか?

A一一ということは、あなたは、ロシアのプーチン体制が圧倒的軍事的優位を背景に。ウクライナを全面的に軍事侵略して、それを支配しようとしているのに、悪いのは主として西側大国だと言いたいのだろうか? 西側大国の責任非難することだけで。済ましてそれで終りだということだろうか? この事態に当面何をすべきなのか?

B一一いや、それは……。そうは言っていない。でも、これは結局、西側と東側の両大国間の対立ということなのでは?

A-一問題を戦略的に考えなければならない。

B一一「戦略的」とは、上から目線だね!

C一一戦略的とは上から目線などということではなく、全体的な今日の情勢を考えて、まず何に集中的に取り組むべきかを考えるべきだ、ということだ。当面集中すべきは、まず何よりもプーチンの政権の軍事侵略を阻止し、それを挫折、ロシア軍のウクライナからの撤退を勝ち取ることであり、これをウクライナの民衆とロシア国内の戦争に反対する勢力、全世界の民衆の力を結集して、この点を勝ち取ることだ。
 その点を明確にせずに欧米日の西側大国に責任があるというだけしか言わないのは、それは当面、何に集中して闘うべきか、その焦点を曖昧にすることになるだろう。

B一一でもそれでは、ウクライナの「ネオナチ勢力と一緒になってロシアと闘うことになるのでは? それでよいのか?

A一一極右勢力がウクライナ国内で一定の勢力を保持しているのはその通りだ。隣国の大国ロシアがウクライナはロシアのものだとして軍事侵略をして来ている状況のもとで、極右がー定の勢力をもつことは、ある程度、想定される。
 だが、ロシア軍の無差別攻撃によって、殺害され、家を破壊され、避難したり、故郷を迫われて国外に逃れたりしている圧倒的多数の人々はネオナチの人々なのだろうか? このように考え、宣伝しているのはプーチン政権の側であって、現実は、こうした苦難に遭遇しているウクライナの人々の圧倒的多数は、ネオナチではなくて、大国ロシアの圧倒的な軍事侵略を前にして、ウクライナ民族主義の立場を取らざるえなくなっているということなのだ。ネオナチとウクライナ民族主義とは区別しなければならない。圧倒的に強大な力をもつ大国の不当な力による軍事侵略を前にして、人々は時として民族主義に自分たちの怒りの表現のよりどころを求める。
 「ル・モンド」紙(2022年3月)によれば、ネオナチだと非難されているアソフ大隊は、ウクライナ軍全体の2%未満の割合を占めているにすぎない、という。
 同じく国政選挙でも同紙は、ネオナチと言われている政治勢力がきわめて弱体であると指摘している。そのうちの二つの政治勢力のうちの一方である、プロヴィイとセクトルの二党合わせた候補者の得票率は3%未満であり、すなわち、スボボダの候補者のオレグ・ティアグニボクが1.8%、プラヴィイ・とセクトルの党首、ドウミトジ・ヤロシュが0.9%であった。同紙は、要するにこれらの勢力は反ユダヤ主義とは何の関係もないとしている。これが、ウクライナの極右勢力の現在の実態なのだ。


B一一でも、それはネオファシストと一緒に反ロシアで鬪うことを意味しないだろうか?


(*A一一)きわめて大規模な反原発運動が存在しています。大衆鉄器(*「的」の誤り?)であるがゆえに、この運動には保守派をも含めて実に多様な政治潮流が登場します。でも、人々は、その中に保守派がすこしだけ参加しているからと言ってそれにについていちいち目くじらをたててはいません。そうした保守派が参加しても、それはごく少数であって、反原発運蔵(*「動」の誤り?)全体の性格に影響を及ぼすことなどないということなどはないと十分承知しているからです。
 同じことは、フランスの「黄色いベストの運動」についても言えます。この運動は、きわめて大規模で長期にわたって持続した重要な全国運動になりました、Bさんは、囗に出しては言わなかったのですが、当初、この運動に批判的だったのでないだろうか? トラック輸送業者が極右勢力と結託して、運動を代表しようと試みました。しかし、こうした姑息な試みはすぐさま運動地震(*「自身」の誤り?)から排除されてしまいました。デモに参加していた極右派の隊列も、CGTやNPAに対する武装襲撃を試みて、排除されていきました。フランスの社会運動は、この運動の中で地区から代表を選出する全国会議を何度か開催する努力を続けました、これは、これまで既存の労組や政党と関わったことはなく。
そうした官僚機構に強い不信感を抱いていた運動参加者にとっては、容易に応じることができるものではなかった。しかし、この運動は、こうした社会運動の地道な努力によって、いくつかの地城で、社会党・共産党の左の立場に立つ地域の社会運(*「動」が抜けている?)の共闘の結成へとつながり、それらを通じていくつかの地で地方議会の議員を当選させるに至りました、わずかな成欧(*「成功」の誤り?)ですが、極右派の介入を危惧するのではなく、社会運動の地道な活助によって、それを克服できるのだ、ということをこのことは物語っていないだろうか?

C一一この戦争は結局、両大国間(欧米日)ロシア(中國)という2大国陣営の対立・戦争ということになるだろう。

Aーーそこだけを取り出せば、それ事態間違っていない、でもそれでは余りにも抽象的で、第一大戦以降にも当てはまり、具体性に欠け、何も言っていないことになるだろう。
 こうした大規模な戦争では、ひとつの形だけではなく、さまざまな形態が複合的に結びついている。
 Cさんが問題しているてん(*「点」か?)を、エルンエスト・マンデルは、次のように説明している。今回のロシアの侵略のような大規模な戦争はいくつかの形の複合的組み合わせとして展開される、と。
 たとえば、第二次世界大戦の全体的な性格は次の5つの異なる戦争の組み合わせだ。
 ①帝国主義相互間の世界的ヘゲモニーを目指す戦争(米英仏など 対 日独伊)。アメリカがこれに勝利を収めたーCさんの指摘している側面
 ②ソヴィエト連邦を破壊植民地化して、1917年のその成果を破壊しようとする帝国主義の試みに対する、ソ連による正義の自衛戦争
 ③にほん帝国主義に対する中国人民のさまざまな軍事大国に対する中国人民の正義の戦争
 ④さまざまな軍事大国に対するアジア、インドシナを含むアジア人民の正義の戦争
 ⑤ヨーロッパの被占領地城の民衆よって民族解放の正義の戦争(ユーゴスラビア、ギリシャ、フランスイタリアなどのレジスタンス)。
  この5つの戦争の密接不可分の関係に関係しているので、①の戦争の携帯(*「形態」の誤りか?)も民衆の戦い(②、③、④、⑤の形態を内包していた、とマンデルは主張しているのです。この要素を彼は「正義」の戦争と表現している。そこには、旧ソ連邦の赤軍だけでなく、労働者、抑圧を受けている人々、大地主の下で搾取・収奪されている人々、女性をはじめとする、いわれないさまざま差別を受けている人々がそれに参加していたのだ。

 C--えつ、、、ソ連の官僚体制を評価するのですか?

 A--でも、①の戦争は②、③、④、⑤のような民衆の闘いと不可分に結びっいていたのではないのか?
  この視点を見ないと、今日の「歴史修正主義」の歴史的総括、「レジスタンスもナチも暴力の行使という意味では、同列だ」とする歴史的評価が台頭してきている。エンツッォ・トラヴェルソの批判は的を射ている。だから、抽象的何にしょせんは、大国間の争いにすぎないと酋長的(*「抽象的」の誤りか?)に言うべきではないのだ、という「歴史修正主義」的な歴史総括となってしまうだろうだろう。
 冷戦が終結したアメリカのブッシュ大統領の統治時代に人々は大きな期待を抱いた。第二次世界いわゆる「国際社会」を根本的に改善できる時代が到来したのだという大きな期待だ。
  エンツォ・トラヴェルソ『ポピュリズムとファシズム』(『作品社』)

A--このようにして戦われた第二世界大戦後の世界がどうあるべきか、ロシア革命の専門家であるE・H・カーは、つぎのように語っている。
 「新しい国際秩序新しい国際調和というものは、寛容なおかつ圧政的でないものとして、あるいは……実行可能な他のどんな選択肢よりものぞましいものとして、それぞれ一般に受け入れられる支配を基礎にして切めて築かる。支配下の領土に対するドイツないし日本による、事実、イギリスやアメリカの場合がの方が大きな要素となっている」
 「不平等を緩和して紛争を解決するため、経済的利益は犠牲にされなけれぱならない」。
  以上の国際的枠組みは、われわれの社会運動にとってまったく不十分なものだがー-社会主義やスターリニズ厶の指導部の抑圧、弾圧の結果として--、第二次世界大戦後の世界そのものであった。 国連、IMF、人権、福祉制度、人権、平等など

 A-ーこれについて冷戦終結がさらにここから質的に前進する機会が訪れ、冷戦時代の莫大な核・大量破壊兵器軍拡の決定的な削減、その費用を世界の貧困、地球環境の決定的な費用に振り向けることが可能となった、これは、ロシアや中国にとっても基本的に受け入れられるものだっただろう。そして、こうして軍拡に使われてきた膨大な予算、ロシア・東(*「欧」が抜けている?)官僚体制の再生に振り向けることが可能だっただろう。
 ところが、ブッシュ政権はそれとは正反対の方向へと走ったのだ。
  自国経済を優先し、EUに支援を求めるリシア(*「ロシア」の誤り?)東欧体制に対しては、IMFのかの悪名高き「構造調整」を求めるだけだった。
 経済についても、自国経済を優先し、「貿易戦争」に走った。そればかりでなく、アメリカが単独で世界の覇権を握るチャンスとばかり、「国連」すら無視し、イラク、アフガニスタンへの軍事侵略、占領にのめりこんでいった.
 まさに、今、ロシアのプーチンやっていることことにほかならない。当然、このアメリカの軍事的侵略は、見事破産した。
 ジルベール・アシュカル『野蛮の衝突』

A--以上の点を、欧米日の側の責任として指摘するCの主張は正しい
でも、再度繰り返すが、大国ロシアが大規模な軍事斟酌を展開しているこの時点で、その点触れず、プーチン政権の侵略に触れないのは、間違っている。

C--でも、ウクライナのネオファシストと一緒にかつどうするのはどうなのか?それで、国際労働者救援輸送隊の運動がある。今はヨーロッパへの送金は不可能なので これであれば、 直接、ウクライナの労働者へ救援物資を渡すことができりだろう。


C--ところで、ウクライナなどの東欧はどうしてヨーロッパの穀倉地帯になったのだろう、

Aーそれは大航海時代の世界の一体化の時代にさかのぼる。
  西ヨーロッパの中世の古典的荘園では、封建領主=農奴の力環形(*「力関係」の誤り?)は次第に農奴に有利になりつつあり、地代は、賦役→物納→貨幣地代へと変わっていた。
こうした中で、世界の一体化によって、南米のポトシ銀山の、日本の銀がヨーロッパに大量に流入し、「価格革命」がおこり、農奴の力がさらにつよまり、その中から自立した市民層も形成されていく。覇権は、古代地中海から、ヨーロッパの大西洋岸に移り、アムステルダムに移行した。
他方、東欧ではそれと逆行する事態が進行した。封建貴族が農奴への締め付けを強化するという逆行が生じ=「再販農奴制」。こうして、東欧の支配層は農奴制の強化に基づいて、「資本主義的な」取引に基づいて穀物を西ヨーロッパに輸出するが関係が成立する、
中心 対 周辺   西ヨーロッパ 対 東欧
オーデルナイセ川を境に、東欧の西半分は、オーストリア・ハンガリー帝国、東半分は帝国」の支配下に、

(*テキストはここで途絶えている) 


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追悼:ベル・フックスbell hooks

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ブラック・フェミニストのベル・フックスが20211215日に亡くなりました。こういう活動を始めてしばらくたった2004年ころ、偶然『フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学』を知り、大変勉強になったことを憶えています。近年ではあまり思い出す事がなかったのですが、第四インターの三里塚女性差別事件を考える機会をきっかけに、『ベル・フックスの「フェミニズム理論」周辺から中心へ』をぼつぼつと読み始めていたところでした。本文の冒頭にも書いていますが、ベル・フックスを知ったのは香港の仲間の機関紙から(こちら)ですが、彼女の死去を知ったのも香港の独立ウェブメディア「端傳媒」の記事(こちら)からでした。もう15年以上も前の古い文章ですが、押し入れの奥から探し出した『青年戦線』200421日号に掲載した読書案内を、追悼と反省の気持ちを込めて再掲します。(早野一、20211223日)

 

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読書会を始めるにあたって

『フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学』
(ベル・フックス著、堀田碧 訳、新水社1600円)

 

早野 一

 

◎スバリと核心に迫り明快

 

香港のトロツキストが出している機関紙『先駆』2003年秋号に、中国大陸で200110月に翻訳・出版されたベル・フックスの『フェミニズム理論──周縁から中心へ』(邦訳『ブラック・フェミニストの主張』清水久美 訳、勁草書房、1997年)の書評が掲載された。情けない話だが、この著書どころかベル・フックスの名前すら知らなかったので、「ベル・フックス」とウェブで検索してみたところ、この本と一緒に検索されたのが『フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学』という20035月に発売されたばかりの本だった。

 

しばらく気にかけていたが、ふと立ち寄った大型書店のフェミニズムのコーナーを眺めていると、この本が目にとまった。価格もお手ごろで、ざっと見たところ20のパーツに分かれた各章は、フェミニズムの何たるかをほとんど勉強してこなかった僕にとっては、とてもとっつきやすかったのだ。

 

「欲しいものは、コンパクトで読みやすく、分かりやすい本だ。長たらしいものでも、学者にしか分からないような専門用語で書かれた分厚い本でもなく、ズバリと核心に迫り明快で──読みやすいけれど、けっして短絡的というのではないような本」(7頁)を目指して書き下ろしたのだから、当然だ。実際に、フェミニズム運動の歴史の中で作り上げられてきた理論のエッセンスが、ほとんどのテーマを包括する各章の中にちりばめられている。そう厚くもない本書だが、読むほどに引き込まれ、あっという間に読み終わってしまった。こんな爽快な読了感をあじわったのは久々だ。

 

◎思い描くのは、支配というものがない世界にいきること

 

それも、第一章「フェミニズム わたしたちはどこにいるのか」の冒頭で「ひと言でいうなら、フェミニズムとは〈性差別をなくし、性差別的な搾取や抑圧をなくす運動〉のことだ。」(14頁)と社会主義革命を目指す人間にとっては、非常にストレートに納得のいく基調がこの本を貫いていたからかもしれない。「思い描くのは、支配というものがない世界に生きること。女は男と同じではないし、いつでもどこでも平等というわけではなくても、交わりの基本は互いに相手を思いやることだという精神がすみずみまで行き渡った世界に生きることだ」(11頁)という彼女の目指す世界は、僕らの目指す世界とそう大差のないものだと感じる。そうだ、僕らの目指す社会はフェミニズムの社会なのだ。この本を読み終えたいま、そのことをはっきりと自覚することができる。

 

◎はっきりしていたのは、リーダーは男性で、女性はただ従うことがもとめられている、ということだった

 

またこの本は、アメリカを中心とするフェミニズム運動の変遷の中で、支配的システムに女性が参入することがフェミニズムであるかのように主張するフェミニスト(ヒラリー・クリントンのような女性をいうのだろうか)を批判する。アメリカを中心としたフェミニズム運動の歴史を反映したものといえるが、一般的にはすべての国や地域のフェミニズム運動にいえることだろう。

 

その一番の大きな理由は、フェミニズム運動にたいするオトコどもの敵対があるだろう。第一章「フェミニズム わたしたちはどこにいるのか」では、簡潔にフェミニズム運動をまとめており、僕にとっては深く印象に残った。少々長くなるが、その箇所を引用する。

 

「初期のフェミニズムの活動家(その多くは白人の女性だった)のほとんどは、階級闘争や反人種差別運動に参加したとき、そうした運動の中の男性たちが、得々として自由の大切さを語りながら、運動のなかで女性を差別するのを見て、男性支配とはいかなるものかという意識を高めていった。社会主義運動に参加した白人女性にとっても、公民権運動や黒人解放運動に参加した黒人女性にとっても、先住民の権利のために闘ったネイティブ・アメリカンの女性にとっても、事態は同じだった。はっきりしていたのは、リーダーは男性で、女性はただ従うことが求められている、ということだった」(16頁)

 

◎フェミニズムをみんなのものに!

 

さて、本編の紹介は、連動で企画される「フェミニズムをみんなのものにする読書会」の報告を反映していくという形で共有化していきたいと考えている。一つの章は短いので、レジメ作りもそう苦にはならない。読書会での発言もできるだけこの連載に掲載していきたい。遠くにいて参加できないという同志や友人も、ぜひこの本を読み、部分的にでも、箇条書きにでも、殴り書きでもいいので感想を寄せてほしい。

 

目次

はじめに フェミニズムを知ってほしい

一  フェミニズム─わたしたちはどこにいるのか

二  コンシャスネス・レイジング─たえまない意識の変革を

三  女の絆は今でも強い

四  批判的な意識のためのフェミニズム教育

五  わたしたちのからだ、わたしたち自身─リプロダクティブ・ライツ

六  内面の美、外見の美

七  フェミニズムの階級闘争

八  グローバル・フェミニズム

九  働く女性たち

十  人種とジェンダー

十一 暴力をなくす

十二 フェミニズムの考える男らしさ

十三 フェミニズムの育児

十四 結婚とパートナー関係の解放

十五 フェミニズムの性の政治学─互いの自由を尊重する

十六 完全なる至福─レズビアンとフェミニズム

十七 愛ふたたび─フェミニズムの心

十八 フェミニズムとスピリチュアリティ

十九 未来を開くフェミニズム

訳者あとがき

 

◎「爽快な読了感」のあとの「一抹の不安」

 

「爽快な読了感」からしばらくして、この「爽快な読了感」に対する一抹の不安がよぎった。不安の根源は、本書で書かれている内容やベル・フックス本人によるものではない。どういうことかというと、「フェミニズム運動は男性に反対する運動ではないということだ」(8頁)、「もしフェミニズムについてもっとよく知れば、男性たちはフェミニズムを恐れなくなると思う。なぜなら男性たちがフェミニズムに見いだすのは、自分自身が家父長制の束縛から解き放たれる希望なのだから」(9頁)という、おそらく進歩的フェミニズムとしては当然の理論が、受け止め方によってはオトコの免罪符になるかもしれないということ。また、これまで、そして今まさにオトコや家父長制と格闘している女性たちに対するオトコの「冷ややかな眼差し」を再生産させかねないのではないか、と感じたからである。

 

ベル・フックスは何十年にもわたって、フェミニズムの歴史の中で鍛えられてきた理論と実践をこの本に凝縮したが、整理され、理路整然と提起される文言の行間には、苦闘する女性たちの存在が見え隠れする。抵抗する人々の訴えや行動は、ときには「乱暴」で「整理」されていない。本書を読んで「フェミニズムとは理路整然とした訴え」であると勘違いするオトコどもが、「乱暴」で「整理」されていない「抵抗」に直面したらどうなるのか。僕にはそうならないという保証があるのか、自信があるのか、いまだに答えは出ない。これが「爽快な読了感」のあとに感じた一抹の不安だ。

 

そういう漠然とした不安を抱きながら、本書を購入したのと同じ書店で手にしたのが『ドウォーキン自伝』(柴田裕之 訳、青弓社、2003730日初版)だった。彼女の活躍は、キャサリン・マッキノンとともに、人権侵害であると当人から告発されたポルノグラフィーを禁止するインディアナ・ポリス条例の制定や、レイプ被害者やサバイバーへの取り組みで有名だ。この本には深く踏み込まないが、痛快でエッセー風の本書は、ドウォーキン自身の叫びであり、オトコどもへの絶望が語られ、オトコどもに深く突き刺さる言葉がちりばめられ、そして女性たちのために涙を流している。

 

ベル・フックスの著書を読んで「スッキリ」したオトコが、現実を再確認するためにも必読の一冊だ。あわせての一読をおすすめする。

 

(『青年戦線』163号、200421日発行:日本共産青年同盟「青年戦線」編集委員会)

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中国新左派の更なる右傾化(転載)

週刊かけはし2021年2月8日号に掲載された汪暉批判の論考は、ウェブサイトの移行でリンクが切れていることから、以下に再掲する。当ブログに掲載した解説「【中国】国家主義と階級協調で党指導部を擁護する汪暉教授もあわせて再掲しておく。

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中国の「左翼」ナショナリストとは?

ナチスの思想家の作品に強い関心を示す中国の知識人集団
 

ブレイン・ハイオレン

 

【解説:この文章で主な批判対象となっている汪暉(1959~)は現在清華大学教授、魯迅研究者として出発したが、幅広く現代思想、世界状況を論じ、一九九〇年代の中国思想界の論争では、「リベラル派」からは毛沢東主義復興を目指す「新左派」の一人と見なされていた。區龍宇氏の『台頭する中国』(2014年、柘植書房新社)にも汪暉批判の論考が掲載されている。近年、習近平寄りのナショナリスト的言説が物議を醸している。本稿は在外香港人左翼のプラットフォーム「流傘/LAUSAN」のウェブサイトに掲載されたものを翻訳した。原注は( )、訳注は[ ]に入れた。:週刊かけはし編集部】

 

米中の緊張が高まる中、多くの人が国際情勢の現状を表現するために歴史的な比喩に向かいがちである。中でも、勢いづく突出した比喩の一つが、中国をナチス・ドイツに例えることである。これには多くのパターンがあり、「CHINAZI」(チャイナチ)のような下品な罵詈や、習近平国家主席のことを「Xitler」(シトラー)と呼ぶなど、ナチスとの連想で惹起される罪の形も含まれる。-中国のナチス・ドイツとの関連性は、中国政府が新疆ウイグル自治区で運営している大量収容所への怒りの声が広がっていることでさらに強まっている(脚注1) 。これはウイグル人や他の先住、少数民族集団を多数民族の漢民族に強制的に同化させようとする民族浄化と名付けられてきた企図の一環である。

 

一方で、中国の知識人の中には、ナチスの法学者カール・シュミットに代表されるナチスの思想家の作品に強い関心を示す者もいることが注目されている(脚注2) 。彼らにとって、シュミットの魅力は、その反個人主義、国家の優位、一人の指導者に委ねられた中央集権的権力の擁護という点にある。興味深いことに、これらの中国の知識人たちもまた、明らかに伝統的左派の出身であり、「中国新左派」といった緩いグループの一員である。私はこうした知識人たちを中国左翼ナショナリストと呼ぶ。

 

中国の美術評論家で元研究者の栄剣(ロン・ジエン)の最近のエッセイは、中国の最も著名な左翼ナショナリストの一人を批判して波紋を呼んだ。汪暉(ワン・ホイ)である。栄剣は、汪氏をナチス党のメンバーであり支持者でもあったドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーに例えている。栄剣によれば、汪はレーニンや毛沢東のような20世紀の革命家によるカリスマ的な政治的指導力の重要性を主張しているが、それは同時に、習近平の周囲の個人崇拝の高まりを擁護するものでもある。それは、ハイデガー自身が行った、ファシスト的形而上学の中心的、神話的人物としての[ヒトラー]総統賛美を私たちに想起させる主張である。

 

◆新自由主義と民主主義に反して

 

中国の左翼ナショナリストは、中国を西欧諸国から切り離す本質主義的な差異を信じている。この差異の源は、文明化した術語でいえば、「中華文明」と「西洋文明」のような、あるいは、より近代的な術語で言えば共産主義と資本主義の違いというように考えられてきた。これらの思想家にとって、この違いの本質は、中国の文脈における党・国家の優位性と、西洋の文脈における自由市場や規制されていない民主主義の優位性との間の衝突にある。これはまさに、中国の民族主義的左翼が、国家統制主義概念を支持するシュミットのような人物の方に引き寄せられてきた理由である。実際、シュミットの政治活動を「友と敵」の区別に還元する見方は、中国の民族主義者が、冷戦時代にすでに存在し、今日の米中地政学の中で復活している二項対立で現在の世界秩序を描き続ける限り、彼らに訴えかけるのである。シュミット主義的な考えに寄り添うことで、彼らは主権者としての国家の優位性を保証し、外部の脅威に対抗して国境を強化したいという願望を正当化することができるようになる。

 

過去数十年間、中国の左翼ナショナリストたちは、欧米左翼学界の新マルクス主義やポスト構造主義的なアプローチを参考としてきた。80年代から90年代にかけての中国の自由市場への移行を、西洋左翼の新自由主義分析に沿って位置づけてきたのである。このような流れの中で、デヴィッド・ハーヴェイやナオミ・クラインのような西洋の理論家は、中国の新左派を同伴者として見る傾向があり、この親和的関係は、ハーヴェイの『新自由主義』やナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』のような新自由主義秩序批判の基礎となる書物の中で、汪暉がたっぷり引用されていることからもわかるだろう。しかし、中国の左翼ナショナリストのシュミットへの関心が開花したのもこの時期である。

 

汪はまた、民主主義を実践していないにもかかわらず、民主的コンセンサスを表現する思想を提供しているとして、歴史的に党を擁護してきた。その一例が、毛沢東が政策決定の際に大衆に相談するために用いた戦術である「大衆路線」を過大評価したことである。彼は、このような実践は、欧米のモデルでは成し遂げられなかった民主主義の表現であると主張している。汪は次のように述べている。「人民戦争の基本戦略は大衆路線であった......階級の自己表現、ひいては政治的意味での階級を生み出したのは、人民戦争の状況下での党とその大衆路線であった」(脚注3)。 汪はまた、国家は民主的ではありえないという主張から国家を擁護して、こう主張する。「国家の政治システムが問題に対応する能力を持っているならば、その社会には民主主義の要素があり、その可能性があることを示している。しかし、私たちの民主主義に関する理論は、その政治的形態に焦点を当てすぎたため、これらの実質的な可能性を無視してきた」と(脚注4)。

 

◆党=国家体制の防衛

 

対応力のある国家装置は必ずしも民主的なものではないが、おそらく効率的なものであるとよく言われている。民主的であるふりをすることに関心のない権威主義国家はときに、民主的なシステムよりも効率的であると主張することで、その支配を正当化してきた。

 

実際、歴史を通じて、党や国家は、たとえ特定の利益集団を代表していたとしても、人民の代弁者であると主張してきた。多くの人は、現代の中国の党=国家体制[党が国家を代行しているシステム]は、まさにこのように批判してきた。それは中国国民全体の制度というよりは、党の創始者の子孫である少数の権力者や政治的に影響力のある一族を守ろうとしているだけの制度である、と。ニーチェが言ったように、「国家はすべての冷酷な怪物のうち、もっとも冷酷なものとおもわれる。それは冷たい顔で欺く。欺瞞はその口から這い出る。『我が国家は民衆である』と」。[『ツァラトゥストラはかく語りき』]

 

汪暉は、党と国家を区別してきており、党と国家が完全に同一ではなかったことが中国のシステムの強みであり、鄧小平時代に両者が次第に合体していったときにその区別は失われたと主張している。今なお汪は、党と国家の双方を立て直そうとしている。

 

これは[党に比して機能を]減じつつある国家の弁明に他ならない。国家は西洋の政治モデルと並置して評価されているが、その西洋政治モデルの主要な欠点は、中国の政治システムにおける国家の比較的強い役割とは対照的に、国家の役割が弱いことであると汪は見ているのである。このような党=国家体制の擁護は、人民、党、国家の差異を解消して一つに融合しようとするものである。汪は頻繁に大衆路線を参照することで隠そうとしているが、党=国家はルソーの一般意志[全人民の総意]のようなものを表現することができると主張しているのである。

 

もちろん、ここでの分析の基本的な単位は国家(中国の場合は党=国家)である。国家を欠く人民とは関わることができないため、汪は自己決定の原則に否定的な評価を下すことになる。特に、汪は、国家不在の場合の自己決定の要求を真剣に考えていない。汪が中国の周縁地域でも自決に広く反対してきたのは、このような分析的なレンズを通してであった。彼は、チベットとウイグルの独自のアイデンティティは、中華国家の支援の下では歴史とともに消えていくだろうと主張してきた。香港と台湾のアイデンティティに関する彼の見解は一貫しているが、汪によれば、これらのアイデンティティの出現はかなり最近のことであり、同様に突然崩れる可能性があるのだと。

 

このように考えると、中国の左翼ナショナリストに属する胡安鋼のような人物たちが、中国の民族国家化を直接主張しても不思議ではないかもしれない。胡氏は2012年の論文の中で、「いかなる国家であれ長期的な治安と安定は、統一された民族(ナショナル)アイデンティティを構築し、ナショナル・アイデンティティを強化し、エスニック・グループ(民族)アイデンティティを希薄化させるようなシステムの構築の上にこそ成り立つ」と書いている。胡の主張はその後、文字通り、エスニック・グループのアイデンティティを希釈するために漢人とウイグル人との結婚を奨励する努力を正当化するために使用され、汪氏のアイデンティティに関する見解に論理的帰結をもたらした。

 

◆革命的人格

 

汪暉の断固とした党=国家体制擁護は、最近では習近平の「革命的人格」に対する擁護へとシフトしているが、これは実際彼の初期の研究とは矛盾していることがわかる。汪はかつて、大衆路線の利用が民主的意思決定の効果的なシステムであると主張して党=国家体制を合理化していたのに対し、最近では、声を張り上げ、党の他の指導者たち─彼らが党を指導しているのであるが─を凌駕する権威を持つ非凡な指導者を支持している。汪暉はこの指導者を「革命的人格」と呼んでいる。

 

COVID-19パンデミックの最中に書かれた最近のテキスト『革命的人格と勝利の哲学』の中で、汪は次のように述べている。「差し迫った瞬間に神話的な方法で使命を果たした党指導者は、党システムそのものと完全に同一視することはできない。レーニン、毛沢東、その他の革命的指導者たちは、しばしば自党とその指導路線に反対し、長期にわたる、時には痛苦に満ちた理論的・政治的闘争の後にようやく指導権を獲得したのである」。その結果、汪によれば、「労働者運動、階級政党、社会主義国の衰退を背景に、革命的人格(特に革命的指導者の人格)の問題をあらためて探求することは、現代世界の再政治化を推進しようとする者にとって、意義がないわけではない」とのことである。ここでの政治指導者についての例外論者的見方は、国家主義的プロジェクトに対する汪暉の傾注を圧倒しているように見える。「革命的人格には独特の力があり、社会的・政治的条件が熟していないときでも、この巨大な能力を使って革命を推し進めることができる」のだそうだ。

 

であるなら、栄剣が汪暉の「革命的人格」にハイデガーの総統観を想起するのは驚くに当たらないだろう。この点において、「革命的人格」とヘーゲルの世界精神やニーチェの「超人」のような他のメシア的思想家との比較が可能となる。しかし習近平が、毛沢東や鄧小平型の無制限の権力を持つ他の指導者の台頭阻止を意図して、安全装置を解除した今、汪が「革命的人格」の重要性について書いたのは、習近平の政治的台頭によるものであることは間違いないだろう。たとえ、汪があからさまに個人崇拝を推奨しているわけではないにせよ、汪の「革命的人格」の重要性に対する評価は、習近平の最上位の地位を公認するものである。

 

◆国際主義に扮した膨張主義

 

中国の新左派の中でも特に汪暉の作品の主たる内容は、中国の左翼ナショナリストが、国家とは関わらない者の間で連帯を構築しようと願ってはおらず、中国と西洋の間の大国競争で勝利したいと願っているだけだということを明らかにしている。これは、国際主義的な労働者運動によってのみ対抗できる総体化する力としてのグローバル資本の論理を危険なまでに捨象した偏狭な見方である。その代わりに、汪は、歴史の動因としてのカリスマ的な指導者を持つ党=国家のみを見ているのである。

 

これらの中国の左翼ナショナリストによれば、西洋は資本主義を代表するものであり、中国の国家権力によってのみ対抗可能なのである。この論理では、中国の社会主義は、国家権力にのみ結び付けられ、もっぱら国家権力の行使という観点から構想されており、マルクスが描いた「国家の死滅」に続く無階級社会については、ほとんど言及されない。世界的なポスト資本主義の未来は提示されず、結局のところ、「社会主義」とご都合主義的に名付けられた中国の国家的繁栄という限定的なビジョン以外、何も提示されていないのである。

 

国家権力とポスト資本主義の未来をめぐるこのような議論は、根本的に古く、現在の問題の多くは、第三インターナショナルの形成に伴うソビエト連邦の初期の歴史の中でも論点となっていた。しかし、スターリン政権下のソ連の場合、国際主義的な社会主義プロジェクトを推進すると主張していた第三インターナショナルは、実際にはソ連の国益を推進するために利用されたにすぎなかった。(栄剣は汪が、「革命的人格」を称賛する言い回しをスターリンにではなくレーニンに置き換えることで、スターリン主義的個人崇拝の復活をあからさまに擁護するのを回避している点に注目している)。

 

習近平の中国とスターリンのソビエト連邦の類似性は、非西洋圏の帝国主義プロジェクトと今日の帝国主義の形態にまで及んでいる。1930年代、日本帝国主義は「大東亜共栄圏」を展開し、東アジア諸国間の文化的・経済的統一を促進した。当時の日本の知識人たちは、これを、具体的な日本的「伝統」概念を破壊したとされる西洋近代を克服する世界史的なプロジェクトであると主張して正当化した。中国の左翼ナショナリストにとって悪名高い試金石は、1942年に東京で開催された「近代の超克」座談会であるが、彼らは日本帝国主義に対する知的擁護と自分たちの政治的プロジェクトとの間にある居心地の悪い類似性について、いまだに意識的無知を保ったままであるように見える(脚注5)。中国人の日本に対す鋭い敵意─現代の中国の国家主義の中心的構成要素である─が説明するように、[中国以外の]他の集団でも日本帝国主義を解放者と見たものはまずいなかった。国際主義を装った中国の国家主義プロジェクトもこれと同様である。

 

この意味で、多くの中国の左翼ナショナリストの「左翼主義」は、実際には、社会的生産手段の根本的な再構築としての資本主義的国家主義に根ざしている。その結果、中国周縁部での自決闘争の排除、内部植民地主義の正当化、中国の地政学的拡大の擁護など、国家主義的なプロジェクトは、左翼的な国際主義的イニシアチブとして甚だしく誤った枠で考えられてしまうのである。

 

対照的に、アメリカ帝国主義は、自由と民主主義を世界的に広めるための努力として自らを正当化する。この点で、中国の左翼ナショナリストは、西洋のオルタナ右翼[アメリカの伝統保守に対して、新興の人種差別主義的、白人至上主義的、排外主義的等々の傾向をもつ極右的右翼勢力]の懐古趣味で、現代の世界秩序を考えている。オルタナ右翼は中国の左翼ナショナリストと同様に中国とアメリカの対立を文明の衝突と見なしている。このようにして、現在のグローバル資本の危機は、アメリカと中国の間で類似の反応を引き起こしており、双方が置かれた状況を背景に、国境を強化し、取り締まることに強い焦点が当てられている。これは中国では、チベットや新疆のような内部国境の取り締まりや、香港や台湾のような外部国境の確保に重点が置かれていることからも明らかである。アメリカでは、国内的にはマイノリティグループに対する悪意に満ちた反移民言説や暴力の増加という形を取っている。したがって、アメリカと中国の衝突は、たとえ双方の民族主義者は、行動において同一化するのだというようなことはイデオロギー的に認めることはできないとしても、帝国としてはそのような民族主義的行動を共有する近代的国民国家の衝突なのである。

 

20世紀の歴史は、帝国主義プロジェクトの残骸で埋め尽くされている。かつて植民地化された国や、不均等発展によって不利益を被った国は、支配的な西洋の勢力に取って代わろうとする企てにおいて最高潮に達するような民族主義的自強プロジェクトに乗り出している。西洋の覇権に対抗するプロジェクトは極めて重要なものであるが、そのようなプロジェクトの多くは、大国間の競争のサイクルから完全に脱却するというよりは、むしろ歴史的に西洋に押さえられてきた世界の覇権的地位を切望することに終始してきた。これは現在の中国に見られるものであり、中国の左翼ナショナリストたちが、極右のプログラムやファシスト的な理想に頼って精力的に支持してきたものである。これらの考えを論議するまでもなく、この米中近代帝国の衝突は、それ以前の帝国の衝突と同様に進行すると予想できるのである。

 

20201213

 

 

脚注1)ここで「新疆」とは、新疆ウイグル自治区(別名「新疆」、「西北中国」、「東トルキスタン」、「ウイグル」、「グルジャ」、「タルバガイ」、「アルタイ」、「ズンガルスタンとアルティシャール」、「ズンガリアとタリム盆地」、および/または「ズンガリアとタリム盆地」とも呼ばれ、以後「新疆」と呼ぶ)のことである。「新疆」という固有名詞は、18世紀の乾隆帝が最初に使ったもので、19世紀後半の左宗棠の再占領によって獲得されたものである。中国語では、「新しい領土」、「新しい国境」、「新しい辺境」を意味する。


(脚注2)Sebastian Veg, “The Rise of China’s Statist Intellectuals: Law, Sovereignty, and ‘Repoliticization’” in The China Journal, Volume 82, Number, July 2019, P. 23-45,

https://www.journals.uchicago.edu/doi/10.1086/702687https://www.journals.uchicago.edu/doi/10.1086/702687


(脚注3)同上、P.140


(脚注4)Wang Hui, China’s Twentieth Century: Revolution, Retreat and the Road to Equality, ed. Saul Thomas, London:
Verso Books, P. 160


(脚注5)Harry D. Harootunian, Overcome by Modernity: History, Culture, and Community in Interwar Japan, Princeton: Princeton University Press, 2000.

中国共産党の六つの歴史的画期

20210813china

無國界社運Borderless movementの中国語ブログから訳出(こちら)。原文はイングランドとウェールズのマルクス主義者らによってつくられたグループAnti★Capitalist Rasistanceのサイトに掲載されたもの(こちら

 

中国共産党の六つの歴史的画期

peter wong

2021714

 

今年6月初め、つまり中国共産党の建党100周年のひと月前、当局は何人かの毛沢東主義者らを捕まえた。逮捕された中には2019年に釈放されたばかりの馬厚芝もいた。彼はかつて毛沢東主義共産党を創設し、毛沢東時代の中国を実現しようとしたとして10年の禁固刑を受けていた。習近平政権は毛沢東思想を継承していると言ってきたが、多くの毛沢東主義者らが逮捕されている。奇妙なことである。

 

ほぼ同じ時期に、北京当局は普通選挙を求める香港の運動への弾圧を強めている。興味深いのは192627年の省港大ストライキにおいて中国共産党の要求のひとつに普通選挙の実現があったことである。

 

100年前に建党されたとき、中国共産党は民主勢力として登場した。しかるに20年後には大きく変質を遂げ、1949年の建国以降は建党時の綱領にも背くことになった。われわれはここで「中国共産党の六つの歴史的画期」を追うことで、この党が決定的に変質した点を理解し、革命的な労働者政党がいかにして官僚の党、搾取階級の党に堕落したのかを理解を手助けするだろう。

 

1921

 

1921年に中国共産党は設立された。1925年までのあいだ、それは千人にも満たない小さな政党にとどまっていた。しかし1925年から27年の中国大革命の時期に、百万に上る労働者と農民が帝国主義列強の植民地主義や中国の軍閥に抗して立ち上がったことで、この誕生間もない党が6万人にまで急速に膨れ上がったが、その半数が労働者であった(残り半分は学生、知識人、農民)。この若い民主的な革命的労働者党は1926年末から27年の春にかけて、三度の労働者蜂起によって上海の軍閥政権を打倒し、この重要な都市の支配権を握った。だが国民党への加入戦術による規律の統制から、蜂起した労働者たちは権力を蒋介石に差し出してしまった。この「国民党への加入戦術」は党の創設メンバーである陳独秀らのアイデアはなく、むしろ反対していた。だが当時のソ連共産党の指導者であったスターリンは中国共産党指導部の反対を顧みることなく、中国共産党が国民党に加入することを押し付け、国民党の指導のもとでの北伐(軍閥打倒の遠征戦争)を進めた結果、蒋介石は軍閥に向けていた銃口の照準を共産党に向け直し、幾千幾万の共産党員が虐殺され、中国大革命は敗北を喫することになった。このときの(第一次)国共合作は国民党の独裁を強めただけだった。

 

1928

 

蒋介石による粛清ののち、共産党は本来なら戦術的な退却で勢力を温存させておくことができた。しかし慌てふためいたスターリンは自らの方針の失敗を覆い隠すために、粛清で勢力を大いに損なっていた中国共産党に対して武装蜂起の方針を強制した。まず1928年に広州で蜂起が実行された。この自滅型の武装蜂起の鎮圧することで、国民党は都市部における共産党の都市部の勢力の9割方を粉砕することができた。これ以降、共産党は基盤を農村に移し、労働者党員がごくわずかになり、農民党に転換した。また共産党のスターリニズム化が進むとともにゲリラ戦中心となり、かつて活発だった党内民主主義は上意下達の権力集中型の政党に転換していった。

 

1942

 

1942年は共産党の変質にとって一つの分水嶺である。この年、毛沢東は悪名高い「延安整風運動」を展開した。歴史家の高華の著書『紅太陽是怎樣升起的: 延安整風運動的來龍去脈』(赤い太陽はいかにして昇ったのか:延安整風運動の原因と結果)によると、この「運動」は実際には、党内にわずかに残っていた五四運動の民主的要素を一掃するものであった。これらの要素は1919年の偉大な五四運動と新文化運動を発端としており、その指導者は陳独秀であった。これを一掃したことで毛沢東は党内の最高権力者となった。こうして中国共産党は公式に毛沢東の個人崇拝を進めることになった。このような個人崇拝は、実際には一連の冤罪の犠牲者の屍の上に、そして徳先生と賽先生(デモクラシーとサイエンス=当時陳独秀が掲げたスローガン)の抹殺の上に打ち立てられたものである。共産党は国民党に対抗する革命を続けていたが、それは専制的な指導と個人崇拝によって主導されることになった。その政治形式は、「民主革命」という初心ではなく、ますます中国伝統の「易姓革命」に似通っていった。易姓革命とは封建的な中華王朝というシステムはそのままで、皇帝の血筋が変わるだけの革命をいう。社会政策から見ると中国共産党の「革命」と従来の「易姓革命」との間には異なるところがある。とはいえ、政治的に言えば1942年の中国共産党体制はますます専制政治の様相を呈することになる。

 

1953

 

1949年、中国共産党はついに国民党を打倒し、中華人民共和国が樹立された。全国的に農地改革が進み、土地なし農民に農地が分配された。しかしその数年後、最高指導者である毛沢東は新民主主義の党綱領(農地改革を経て農地を農民に所有させる、集団化は農民の自発性にゆだねる、私的資本の経営を認める等)を破棄、1953年には「過渡期の総路線」に転換し、それはすぐに大混乱のなかで「大躍進」から「共産主義」に至るとされた。小農の農地は公社に没収され、小商人や技術者らもいわゆる「合作社」〔協同組合〕に編入させられ、私的企業は政府系企業との合弁をへて吸収合併され消滅した。中国の体制は「ソ連一辺倒」のスローガンのもと、完全にスターリン体制に取って代われた。1942年に打ち立てられた個人独裁が、いまでは毛沢東の一声で嵐を巻き起こすことができるほどになった。国策は朝令暮改となり、それに敢えて反対する者もいなくなった。1949年以降も真の自由選挙はなく、反対党も禁止され、1950年代中後期には、自治的な民間組織も消滅していった。

 

この転換は、いわゆる「中国共産党は1928年以降に農民党になった」という主張が不適切であることを気づかせてくれる。たしかに28年以降には農民が党員の多数を占めるようになったが、これらの農民党員が指導部にほとんど影響を及ぼすことはなかったからである。むしろ党指導部がもっとも影響を受けたのは「外国勢力」、つまりソ連共産党の指導を受け入れたと言える。当時のソ連共産党は左派と右派が同居しており、いっぽうで資本主義に反対しながら、他方で1917年の十月革命に象徴される労働者民主主義と公平な資源分配の原則(これこそ社会主義の本来のあり方)をとっくに放棄していた。ソ連共産党もその初心を早くに裏切っていたのである。毛沢東の「ソ連一辺倒」とは、ソ連の官僚専制と個人独裁を中国に移植することに過ぎなかった。だがそれはソ連よりも滅茶苦茶な形で移植されたことで、たとえば大躍進では人類史上最大の、そして全く不必要な悲劇が発生することになった。

 

毛沢東の冒険主義は惨めに敗北したが、彼はそこから教訓を学ぼうとしなかった。毛沢東はすぐにもう一つの大混乱をもたらす運動、すなわちプロレタリア文化大革命を発動し、劉少奇のような大躍進の大混乱を収束させて人気があった指導者らを完全に淘汰した。毛沢東は社会主義と革命の旗印を掲げはしたが、政治と経済に最も影響を与えたのはこれらのプロパガンダではなく、毛が革命といえば革命に、反革命と言えば反革命にされてしまう1942年に確立した個人独裁のロジックであった。社会主義と革命の旗印を掲げながら行われた個人独裁は、社会主義の栄光を完膚なきまでに叩き壊し、将来の資本主義復活の基盤を築いた。

 

1976

 

毛沢東が死去した1976年、この国はすでに文化大革命によってその大半が混乱していた。「老幹部」はすぐに権力を奪還した。実務的な彼らはすぐに人民公社や文革関連の政策を廃止するとともに、「階級闘争」にかまけることはしないと公言し、「四つの現代化」〔工業、農業、国防、科学技術の分野における近代化〕を堅持した。1979年に鄧小平が指導者としての地位を確立したとき、彼が約束した「現代化」は人々から歓迎された。だが実際には、鄧小平は毛沢東型の「共産主義」の惨めな失敗を利用して、全面的な官僚資本主義を発展させたに過ぎない。国家が戦略的に資本主義への発展方向をコントロールし、党が国家をコントロールするという党と国家の一体化である。時間が経つにつれ、少数の「紅二代」と「官後代」〔革命世代と高級官僚の子弟ら〕のファミリーが党を全面的にコントロールすることで、中国の最も重要な国有企業をもコントロール下に置き、官僚と資本家の一体化が進んだ。

 

1989

 

1989年の民主化運動は中国共産党による人民搾取に対する反発であるとともに、政治と経済における独裁体制に対する抗議でもあった(ゆえに89年民主化運動で人々を捉えたスローガンに「打倒官倒=官僚ブローカーを打倒せよ」があった)。中国共産党は自らを省みるどころか、逆に血の弾圧を以て人民に応え、完全に独裁と腐敗の党に変質したことを余すことなく示した。中国共産党は1930年代に国民党政権を「官僚資本主義」として批判したことがあったが、いまでは自らが同じような怪物に変身するという皮肉な現実に直面した。現在の中国共産党員の主な構成は労働者でもなく農民でもなく、官僚たちである。89年の天安門事件から30年が経ったいま、共産党は再び人民に牙を剝いた。今回は香港の民主化運動が標的になり、中国共産党の本性を明らかにした。中国共産党が実現しようとしている「中国の夢」とは、完璧なオーウェリアン国家〔ジョージ・オーウェルの『1984』に描かれた監視国家〕なのである。それはまた「易姓革命」を完全に体現したものともいえる。つまり皇帝の首は挿げ替えても専制体制は変わらないということである。あるいは中国共産党はかつての国民党を再生しただけとも言える。ただ、それがかつての国民党よりも大いに成功してはいるのだが。奇妙なのは、海外のタンキーズ左翼〔公式共産党の応援団〕のなかには、いまだに中国共産党を「社会主義」の名のもとに形容しようとする、あるいは少なくとも「進歩的」だと称する輩がいるということである。

 

中国共産党はとっくに創成期の共産党ではない。それはかつて民主主義を求め、搾取に反対した。だがかなり以前から逆の方向に向かい、

 

クローニー資本主義の党に変質してしまった。このような資本主義のただ一つの長所は、中国経済の急速な現代化を実現したことである。それは客観的には中国における民主化運動の物質的基礎を打ち固めた。1949年の中国の農民は人口の90%を占めたが、今日では40%にまで減少した。労働人口における農民の割合はさらに小さく、2019年の農業労働力は労働人口の四分の一にまで低下している。逆に製造業とサービス業を合わせると74%に達している。中国はすでに基本的な工業化を完了している。また同じく注目すべきは、サービス業の労働人口の割合が半分近く(47%)、3.6億人にまで達していることである。このモデルは先進国とますます似通っている。

 

工業化の巨大な飛躍に伴い、労働者階級の総数はすでに5.7億人に達している。しかるに労働者階級の抵抗は依然としてバラバラのままである。中国共産党の長期にわたる独裁は、あらゆる形態の自主組織を抑圧し、組織的な抵抗を困難にしている。このようなオーウェリアン体制においていかにして民主的な労働運動を発展させるか。それはアクティヴィストにとっての最大の課題のひとつとなっている。

IPCC第6次評価報告書:「社会のエコロジー化とエコロジーの社会化」というエコロジー社会主義へのシステム・チェンジ(体制転換)が必要

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【解説】2021年8月9日、IPCC[気候変動に関する政府間パネル]が、第6次評価報告書の第I作業部会報告書(以下「報告書」)を公表した。第I作業部会は、地球温暖化と気候変動についての科学的根拠の解明を担当している。報告書の公表は8年ぶりであり、その内容の一部については、すでにメディアでも報道されているが、英文1300ページに及ぶ膨大なものであるが、環境省のサイトでは第I作業部会の報告書に関する「政策決定者向け要約(SPM)」(以下、要約)の概要やSPMにおける主な評価が日本語で掲載されている(こちら)。

ベルギーの農学者であり、エコ社会主義の主導的な提唱者の一人でもあるダニエル・タヌロは、報告書と要約について、それが「最良」かつ「最悪」のものでもあるとして、論評を執筆した。

報告書は冒頭で「人間の影響が大気、海洋および陸域を温暖化させてきたのは疑う余地がない」と指摘している。しかし「これまでのあらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である」(共産党宣言)の歴史観にたてば、産業革命以降の人類の歴史は資本主義の歴史であることから、報告書のいう「人間の影響」とは言うまでもなく「資本主義の影響」のことであり、そのことを曖昧にさせてはいけない。タヌロは報告書が決して示そうとはしないエコ社会主義に向けた闘争的解決策を提起する。

「1・5℃以下に抑えるためにエネルギーシステムを変える一方で、貧困層の正当な権利を満たすためにより多くのエネルギーを費やすことは、生態系の破壊と社会的不平等の拡大をもたらす資本主義的蓄積の継続とは相容れない」

 

「この大惨事を人類にふさわしい形で食い止めるのは、世界的な生産量の削減および民主的に決定された、大多数の人間の真のニーズに応えるための根本的な方向転換からなる二重の変化によってのみ可能である。この二重の変化には、無駄な生産や有害な生産の抑制および資本主義独占企業-何よりもまずエネルギー・金融・アグリビジネス-の収用が必然的に含まれる。」

 

「富裕層の過度な消費を大幅に減らすことも必要である。言い換えれば、選択肢はきわめて単純なものである。つまり、人類が資本主義を一掃するか、資本主義が、傷を負っておそらくは生存不能な地球上で破滅的な道を歩み続けるために、何百万人もの罪のない人々を一掃するのか、のどちらかなのである。」

 

「社会をエコロジー化し、エコロジーを社会化することが、大惨事を食い止め、より良い生活への希望を復活させる唯一の戦略である。現在も長期的にも、人々と生態系に配慮した生活。落ち着いた、楽しく、意味のある生活。それはIPCCのシナリオでは決してモデル化されない生活であり、そこでは自然を尊重した上で、民主的に決定された真のニーズを満たすための使用価値の生産が、少数者の利益のための商品生産に置き代わるのである。

クライメート・ジャスティス運動などが提唱する「システム・チェンジ」は現行の法的制度や体制内における修正ではなく、資本主義というシステム(体制)の闘争的変革を意味する。以下のタヌロの論評は、第四インターナショナル・ベルギー支部のサイトにアップされている(こちら)。

(ブログ管理者)

崖っぷちに追い詰められても今なおIPCCが
モデル化しようとしない、もう一つのシナリオに向けて

ダニエル・タヌロ

IPCC第I作業部会は、2022年初頭に予定されている気候評価に関する第6次評価報告書への貢献として、自然科学的根拠に関する報告書を発表した。この報告書とその要約は、「客観的」な記述をおこなう科学出版物の正確なスタイルと語彙で書かれている。しかし、地球温暖化の専門家による報告書が、避けられない物理法則に照らして事実を分析したことによる苦悩をこれほどまでに印象づけたことは今までになかったことである。

◆恐るべき展望

この苦悩は、次のような状況に起因している。つまり、地球の隅々にまで荒廃・死・恐怖をもたらしている恐るべき洪水や火災は、まさにIPCCが30年以上も前から警告してきたことであり、それについて各国政府が全く何も、あるいはほとんど何もしてこなかった。その苦悩はまた、たとえCOP26(11月に英国スコットランドのグラスゴーで開催)が、気候科学者によって検討された安定化シナリオの中でもっともラディカルなもの、すなわちCO2排出量をもっとも急速に削減し、遅くとも2060年までに世界の実質排出量をゼロにする(と同時に他の温室効果ガスの排出量も削減する)シナリオの実行を決定したとしても、人類は依然として恐るべき展望に直面しなければならないという事実の深刻さにも起因している。その展望とは以下のようなものだ。

*パリ協定[で定められた気温上昇の]上限が突破される。世界の平均表面温度は、[工業化以前と比較して]2041年から2060年の間に1・6℃(±0・4℃)上昇し、その後2081年から2100年の間に1・4℃(±0・4℃)低下するだろう。

*これはあくまで平均値にすぎないことに留意すべきである。陸地の温度が海面温度よりも速く上昇する(おそらく1・4~1・7倍)ことはほぼ確実である。また、北極圏が今後も世界平均を上回る速度で気温上昇し続ける(2倍以上の速度になる可能性もある)こともまたほぼ確実なことである。

*一部の中緯度・半乾燥地域と南米のモンスーン地域では、もっとも暑い日の気温上昇がもっとも大きくなり(世界平均の1・5~2倍)、北極圏ではもっとも寒い日の気温上昇がもっとも大きくなるだろう(世界平均の3倍)。

*陸上では、10年に1回発生していた熱波が10年に4回、50年に1回しか発生しなかった熱波が50年に9回近く発生するだろう。

*(現在の1・1℃の気温上昇と比べて)さらなる温暖化は、豪雨を激化させ、その頻度を増加させる可能性が非常に高い(世界的には1℃の気温上昇で降水量は7%増加する)。また、激烈な熱帯低気圧(カテゴリー4〜5)の頻度と強さも増加するだろう。アフリカ・アジア・北米・ヨーロッパのほとんどの地域で、豪雨やそれにともなう洪水が強まり、その頻度が高くなることが予想される。また、農業や生態系における干ばつが、アジアを除くすべての大陸で、1850年から1900年に比べて一部の地域でより深刻かつ頻繁に起こるだろう。

*言うまでもなく、このさらなる温暖化(現在と比較して0・5℃±0・4℃)は、永久凍土の融解をますます進行させ、メタンの放出を増やし続けるだろう。この温暖化の正のフィードバックは、モデルには十分に組み込まれていない(モデルはますます精密になっているにもかかわらず、現実を過小評価し続けている)。

*海洋の温暖化は、21世紀末までに、1971年から2018年までの間に比べて2〜4倍になる可能性がある。海洋の成層化[表層の海水と中深層の海水の密度に差ができて混じりにくくなること]・酸性化・脱酸素化は今後も進行するだろう。この3つの現象はいずれも海洋生物に悪影響を及ぼす。それが元に戻るには何千年もかかるだろう。

*山岳地帯やグリーンランドの氷河が何十年にもわたって融解し続けることはほぼ確実であり、南極でも融解が続く可能性が高い。

*また、21世紀には、海面が1995年から2014年に比べて0・28~0・55メートル上昇することがほぼ確実とされている。今後二千年以上にわたって上昇(2~3メートル)を続け、その後もその動きは止まらないだろう。その結果、潮位計が設置されている場所の半分では、これまで100年に1度しか観測されていなかった例外的な高潮が、少なくとも年に1度は観測されるようになり、低地での洪水の頻度が高まることになるだろう。

*温暖化がラディカルなシナリオで想定される範囲内(1・6℃±0・4℃)にとどまったとしても、可能性は低いものの非常に大きな影響を与える事象が地球規模および地域レベルで発生する可能性がある。この1・5℃のシナリオでも、突然の反応や限界点-たとえば南極における融解の進行や森林の枯死-が発生する可能性を除外することはできない。

*可能性は低いが、起こりうる事象の一つは、大西洋南北熱塩循環(AMOC)[大西洋の海水を南北で循環させ、表層水と深層水を混ぜる働きをしている海流システム]の崩壊である。21世紀にはその循環が弱まる可能性が非常に高いが、その現象の程度には疑問符がついている。もし崩壊が起こると、熱帯雨林帯が南へ移動したり、アフリカやアジアのモンスーンが弱体化する一方で南半球のモンスーンが強力になったり、ヨーロッパが乾燥化したりなど、地域的な気候や水循環に急激な変化が起こる可能性が高い。

◆最良のシナリオの場合

われわれは、この報告書によって現実を直視せざるをえなくなる。つまり、われわれは文字通り瀬戸際に立たされているのだ。そうであるからこそ、われわれは次のことを繰り返し主張するのである。(1)海面上昇の予測には、非線形であるためモデル化できない氷冠[陸地を覆う5万平方キロ以下の氷河]の崩壊という現象が含まれておらず、大惨事をあっという間に大災害に変えてしまう可能性があること。(2)上記のすべては、科学者が研究した排出削減シナリオの中でもっともラディカルな、1・5℃を超えないことを目的としたシナリオの実施を世界各国の政府が決定した場合に起こるとIPCCが考えているものであること。(原注:他のシナリオの影響を詳しく説明すると、この文章が不必要に長くなってしまう。海面レベルについて例を挙げてみよう。通常通りのシナリオでは、2100年に2メートル、2150年に5メートル上昇することが「排除されない」とされている。そして、長期的には、二千年以上にわたって、5℃の温暖化のために、海は必然的かつ(人間のタイムスケールでは)不可逆的に19~22メートル上昇することになる!)。

もう一度最初から始めると、政府に提案されたシナリオのうちもっともラディカルな提案を実行することは、政府がおこなっていることではない。各国政府の気候計画(「各国別確定削減目標」)は、現在のところ、3・5℃の気温上昇へと導くものである。COP26の開催まであと100日となったが、「目標値を引き上げた」国は数カ国にとどまっていて、必要なレベルの排出削減を達成するには到底十分なものではない。(原注:たとえば、「気候チャンピオン」であるEUは、2030年には65%削減が必要なのに、55%削減という目標を掲げている。) 

◆単純な数学の問題とその政治的結論

グレタ・トゥーンベリはかつて「気候危機・エコロジー危機は、現在の政治・経済システムのもとでは解決できない」と言ったことがある。これは意見ではない。単なる数学の問題なのである。彼女は完全に正しい。それは以下のような数字を見れば一目瞭然である。

(1)世界は年間約40ギガトンのCO2を排出している。

(2)「カーボン・バジェット」(炭素予算=1・5℃を超えないようにするために全世界でまだ排出できるCO2の量)は、(50%の確率の場合で)わずか500ギガトンしか残されていない(83%の確率の場合は300ギガトン)。[1ギガトン=10億トン]

(3)IPCCの1・5℃特別報告書(日本語解説https://www.env.go.jp/press/106052.html)によると、2050年にCO2の実質排出量をゼロにするには、2030年までに世界の排出量を59%(先進資本主義国はその歴史的責任を考慮して65%)削減する必要がある。

(4)これらの排出量の80%は化石燃料の燃焼によるもので、再生可能エネルギーの躍進を政治やメディアが喧伝しても、2019年にはまだカバーされておらず、実に人類のエネルギー需要の84%(!)が化石燃料によるものである。

(5)化石燃料インフラ(鉱山、パイプライン、製油所、天然ガス基地、発電所、自動車工場など)-その建設は全く、あるいはほとんどスローダウンしていない-は重厚長大であり、それらへの資本の投資は約40年間にわたる。そうした超集中的なネットワークは再生可能エネルギーに適応できない(再生可能エネルギーは別の分散型エネルギーシステムを必要とするからである)。資本家が償却する前に、それは破壊されなければならず、埋蔵されている石炭・石油・天然ガスは地下にとどめたままにしておかなければならない。

したがって、30億人が生活必需品に事欠く一方で、人口の10%の最富裕層が世界のCO2排出量の50%以上を占めていることがわかれば、次のような結論に達せざるをえないのだ。つまり、1・5℃以下に抑えるためにエネルギーシステムを変える一方で、貧困層の正当な権利を満たすためにより多くのエネルギーを費やすことは、生態系の破壊と社会的不平等の拡大をもたらす資本主義的蓄積の継続とは相容れないということである。

この大惨事を人類にふさわしい形で食い止めるのは、世界的な生産量の削減および民主的に決定された、大多数の人間の真のニーズに応えるための根本的な方向転換からなる二重の変化によってのみ可能である。この二重の変化には、無駄な生産や有害な生産の抑制および資本主義独占企業-何よりもまずエネルギー・金融・アグリビジネス-の収用が必然的に含まれる。また、富裕層の過度な消費を大幅に減らすことも必要である。言い換えれば、選択肢はきわめて単純なものである。つまり、人類が資本主義を一掃するか、資本主義が、傷を負っておそらくは生存不能な地球上で破滅的な道を歩み続けるために、何百万人もの罪のない人々を一掃するのか、のどちらかなのである。

◆「ネガティブエミッション(炭素除去)技術」で泥棒たちが団結

言うまでもなく、世界の支配者たちは資本主義を一掃しようなどとは思っていない。では彼らは何をしようとしているのだろうか? トランプのような気候変動否定論者で、化石燃料ネオファシズムを確信し、貧困層を搾取して地球的破滅へと陥らせているマルサスの信奉者たちのことはさておくとしよう。マスク[テスラの創業者]やベゾス[amazonの創業者]のような連中で、貪欲な資本主義者のネズミどもによって住めなくなった地球という船を離れることを夢見る醜悪な億万長者たちもさておくとしよう[マスクやベゾスの宇宙飛行を指している]。他の、より狡猾な者たち、つまりマクロン、バイデン、フォン・デア・ライエン[EU委員長]、ジョンソン、習近平のような連中に焦点を当てよう。彼らは山賊のように、競争相手よりも優位に立とうとしてグラスゴー合意のために闘うつもりだ。しかし、彼らは、メディアの前では一緒になって「すべてはコントロールされている」とわれわれを説得しようとするだろう。

こうした紳士どもは、上述の選択から逃れるために何を提案するのか? もちろん第一には、消費者に罪悪感を抱かせること、違反すれば厳罰に処するという条件で「行動を変える」ように要請することである。一連の計略の中には、全く粗雑なもの(たとえば、国際航空輸送や国際海上輸送からの排出量を考慮していない)がある一方で、巧妙だが効果のないもの(たとえば「南」で植林すれば、「北」での化石燃料によるCO2排出を持続的に相殺するだけの炭素吸収が可能となるという主張)もある。しかし、こうした計略を超えて、すべての政治的資本管理者はいまや、奇跡のような解決策を信じている(あるいは信じているふりをしている)。それは、「低炭素技術」(原子力発電、とりわけ「マイクロ発電所」を指すことば)の割合を増やすこと、そして何よりも、大量のCO2を大気中から除去して地下に貯蔵することで気候を冷やすとされる、いわゆる「ネガティブエミッション技術」(TENs、またはCDR[二酸化炭素除去技術])を導入することである。これが、1・5℃という「危険限界値を一時的に超える」という仮説である。

福島原発事故の後では原子力にこだわる必要はない。「ネガティブエミッション技術」については、そのほとんどが試行・実証段階でしかないが、その社会的・エコロジー的影響は甚大なものとなることは間違いない。それにもかかわらず、われわれは、それらが生産力主義・消費主義のシステムを救い、自由市場がそれらを配備する面倒を見てくれると信じさせられている。実際には、この空想科学小説的シナリオは、地球を救うためではなく、資本主義の成長という神聖にして侵すべからざるものを守り、混乱の最大の責任者である石油・石炭・ガス・アグリビジネスの多国籍企業の利益を守るためのものなのである。

◆科学とイデオロギーの狭間にあるIPCC

そして、この愚の骨頂と言えるものをIPCCはどう考えているのか? 適応・緩和戦略は第I作業部会の任務にはなっていない。それは他の作業部会が考慮すべき科学的な考察をおこなっている。「ネガティブエミッション技術」については、第I作業部会は注意深く、崖っぷちに突進しないようにしている。『政策決定者向けの要約』は「人為的に発生したCO2を大気中から除去すること(二酸化炭素除去、CDR)は、CO2を大気中から除去し、貯留層に持続的(原文のまま)に蓄えることができる可能性がある(信頼度が高い)」と述べている。さらに『要約』には「CDRは、CO2の実質排出量をゼロにするために残存する排出量を相殺すること、あるいは、人為的な除去量が人為的な排出量を上回るような規模で実施されれば、地表温度を下げることを目的とする」と書かれている。

第I作業部会の要約では、技術的に脱炭素化が困難な分野(航空分野など)の「残留排出物」を回収するためにネガティブエミッション技術(TENs)を導入することができるだけでなく、「技術的」理由からではなく「利益第一」という理由から、グローバル資本主義が化石燃料を手放そうとしないことを補うために、大規模に導入することも可能であるという考えが支持されているのは明らかである。さらに、今世紀後半に排出量の実質減を達成するための手段として、この大規模な導入のメリットを強調している。「世界的な排出量の実質減につながるCDRは、大気中のCO2濃度を低下させ、海洋表面の酸性化を逆転させるだろう(信頼度が高い)」。

『要約』は一つ警告しているが、それは不可解なものである。「CDR技術は生物・地球化学的循環や気候に広範な影響を及ぼす可能性がある。そのことによって、こうした方法によるCO2除去や温暖化抑制の可能性を弱めたり、強めたりする可能性があり、水の利用可能性や水質、食料生産や生物多様性にも影響を及ぼす可能性がある(信頼度が高い)」。

明らかに、いくつかの「影響」が「CO2除去の可能性を弱める」可能性があるため、ネガティブエミッション技術(TENs)がそれほど効果的であるかは明確ではないのだ。この文書の最後の部分は、その社会的・エコロジー的影響を表している。炭素回収・隔離をともなうバイオエネルギー(現在最も成熟したネガティブエミッション技術TENs)は、現在の永久耕作地の4分の1以上に相当する面積をバイオマス・エネルギーの生産に使用した場合にのみ、大気中のCO2濃度を大幅に削減することができるだけであり、それも水の供給や生物多様性、世界中の人々への食料供給を犠牲にしての話である。

このように、IPCC第I作業部会は、一方では、気候システムの物理法則にもとづいて、われわれが奈落の底にいること、想像を絶する大災害に不可逆的に転落する寸前であることを伝えているが、もう一方では、資本主義が、無制限の利潤蓄積という論理と地球の有限性との間の不倶戴天の対立を再び先送りしようとして、政治的・技術的に猪突猛進することを客観化・矮小化している。われわれがこの記事の最初に書いたように「IPCC報告書が、避けられない物理法則に照らして事実を分析したことによる苦悩をこれほどまでに印象づけたことは今までになかったことである」。自然を一つのメカニズムと考え、利潤法則を物理的法則として考える科学的分析は、本当の意味で科学的ではなく、科学主義的であること、つまり少なくとも部分的にはイデオロギー的なものであることをこれほど明確に示した報告書はかつてなかった。

したがって、IPCC第I作業部会報告書は、最良のものでもあり、最悪のものでもあることを理解した上で読まれるべきである。最良のものであるというのは、それが権力者とその政治的代表者を告発するための優れた論拠を導き出す厳密な診断を提供しているからである。最悪のものであるというのは、それが恐怖と無力感の両方を植え付けるからである。「持てる者」は診断で非難されているにもかかわらず、そこから利益を得ているのだ! その科学主義的イデオロギーは、「データ」の洪水の中で批判精神を溺れさせる。したがって、それはシステムによる原因から注意をそらすことになり、次のような二つの結果を生もたらす。(1)「行動の変化」やその他の個人の行動に関心を集中すること。それは善意に満ちてはいるが、哀れなほど不十分なものである。(2)科学主義は、エコロジー意識と社会意識の間のギャップを埋める手助けをするのではなく、そのギャップを維持することになる。

社会をエコロジー化し、エコロジーを社会化することが、大惨事を食い止め、より良い生活への希望を復活させる唯一の戦略である。現在も長期的にも、人々と生態系に配慮した生活。落ち着いた、楽しく、意味のある生活。それはIPCCのシナリオでは決してモデル化されない生活であり、そこでは自然を尊重した上で、民主的に決定された真のニーズを満たすための使用価値の生産が、少数者の利益のための商品生産に置き代わるのである。 

2021年8月9日

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【コロナ緊急事態宣言延長】検査体制の強化と医療の充実を!宣言延長は補償とセットだ

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 1都3県に出されていた緊急事態宣言が2週間延長された。1月7日に発令されて以
降、2度目の延長である。1月7日の発令に際して私たちは、「緊急事態宣言の実態は「夜の宴会禁止令」でしかない。秋以降、過半数が感染経路不明になっている。またクラスターが発生しているのは病院、介護施設、家庭内である。すでに新型コロナウイルスの感染は市中に広がってしまっており、飲食店だけを、しかも夜間だけ営業制限してしても効果は極めて限定される。」と指摘し、「今回の緊急事態宣言は労働者の暮らしを破壊する副作用ばかりが大きく、感染を抑え込む効果が出ない可能性が大きい。」と厳しく批判した。

 その後の事態はまさに指摘通りの展開となった。抜本
的な対策の変更がないままの2週間の延長は、まさに「労働者の暮らしを破壊する副作用ばかりが大きく、感染を抑え込む効果が出ない可能性が大きい」。今回の再延長に際して国は具体的な解除の要件を明らかにすることをしなかった。これは今後も感染が蔓延し続けることを前提にして、感染状況が改善していなくてもオリンピック等の日程に合わせて宣言を解除できる布石を打っているとしか考えられない。

具体性を欠く7項目の提言

 政府諮問委員会の尾身会長は7項目の対策を提言した。7項目の柱は検査・医療体制の強化とされている。しかしその7項目の対策は具体策にかける。「感染リスクの高い集団・場所への検査」、「高齢者施設の感染対策」を掲げ、「変異ウイルス用の検査体制強化」、「保健所の調査の強化」をあげている。政府は今月中に全国3万か所の高齢者施設で検査を実施するとしている。感染リスクの高い集団への検査は定期的に繰り返し行っていかなければならない。また無症状者も含めて1都3県で1日1万件の検査を実施するとしている。しかしその具体的体制は全く明らかになっていないし、1都3県で1万件は少なすぎる。

 1都3県で宣言が延長された理由の一つが医療供給体制のひっ迫である。そのため「再拡大に備えた医療提供体制の強化」が掲げられている。しかし実際の政府の姿勢は真逆である。疲弊した医療機関の減収を補填すべきだという国会での共産党の田村議員の質問に対して田村厚労大臣は「減収補てんをどういう意味で言われているのかわからない」と答弁している。2週間で医療提供体制の強化などは行えないことは明らかだが、田村厚労大臣の答弁に明らかなように政府は医療供給体制の強化に取り組むつもりは全くない。

 医療供給体制を強化するためには、短期的には離職を防ぐための労働条件の改善、長期的には医療従事者の養成数の増員を行う必要がある。しかし、この間政府が進めているのは、労働者派遣法施行令の改悪による看護師の日雇い派遣の解禁であり、医学部の定員削減による医師数削減である。そもそも日本が欧米諸国よりはるかに少ない感染者数で医療崩壊に至ったのは医師・看護師数が足りずICUのベッド数が不足していたからである。人口8,000万人のドイツには8,000人の集中治療医がいるが、日本は1,800人でしかない。感染症専門医も日本には3,000~4,000人が必要と学会が試算しているが、現実には1,560人でしかない。さらに高齢者施設と医療の療養環境問題がある。日本は多床室中心だが、少ない人数のワーカーが多床室で多くの利用者を担当する体制が、高齢者・医療施設でのクラスターの原因になってきた。多床室から原則個室への切り替えを行うべきである。

今すぐの検査体制の充実・医療労働者の待遇改善を

 このように政府の示した7項目は「やってる感の演出」でしかない。しかし一方で緊急事態宣言の副作用は確実に広がっている。減収になった労働者を直接支援する制度がないためシフトワーカーを中心に多くの労働者がなんら支援を受けられないでいる。減収になった労働者を直接支援する制度の整備が早急に必要である。生活困窮に陥った労働者が生活を再建するために利用できる制度は少ない。権利としての生活保護を定着させる必要がある。感染を抑え込む具体策と補償を欠く緊急事態宣言の再延長はさらに生活に困窮する労働者を増加させるだけである。政府に抜本的な感染対策の変更と生活支援を求めていかなければならない。

 また今月下旬からオリンピックの聖火リレーが開始される。リレーの開催と感染の抑制は両立しないことは明らかで、批判を恐れた芸能人の辞退が相次いでいる。もはやオリンピックの開催は不可能である。感染を拡大させ税金を浪費するだけのオリンピックは即刻中止するべきである。

 検査体制が拡充されれば、感染抑制と社会生活の両立は可能である。多くのキャンパスが閉鎖され学生が学ぶ権利を奪われているが、全学生・職員に定期的にPCR検査を行えば感染抑制を確保しながら授業を行うことが可能であることがわかっている。尾身会長が認めたようにワクチン頼みでは年内に感染症を抑え込むことは不可能である。

 病院・福祉施設の労働者、社会インフラを支える労働者などを中心に定期的な
PCR検査を国負担で実施すること。医療従事者の労働条件を改善し退職に歯止めをかけること、減収になった医療機関の赤字を補てんすること、コロナ患者を受け入れてきた公立病院の削減を中止すること。保健所、地方衛生研究所の人員体制を強化することが必要である。検査・医療体制の抜本的充実を春闘の、そしてメーデーの共通したスローガンにしよう。(矢野薫)

報告 2月17日、ミャンマー大使館前でクーデター抗議行動

217-1 2月20日、ミャンマー第2と都市マンダレーで治安部隊がデモ隊に発砲し、2人が死亡し大勢の負傷者がでた。これで3人目の死者だ。

 軍事政権は裁判所の令状なしに逮捕したり、夜間禁止令に違反したとして、友人宅に泊まっただけで逮捕するなど、弾圧が強化されている。

 アウンサンスーチーは違法に無線機を輸入したということで逮捕された。勾留期間は2月15日とされたが17日に延長され、別の容疑でも勾留が続けられるとも伝えられた。

 市民たちの非暴力抵抗闘争は2月17日に全土で数百万人にものぼっている。

 2月17日午後3時から在日ミャンマー大使館前(京浜急行北品川駅下車)で、在日ミャンマー人が「アウンサンスーチーさんの釈放や軍事クーデターを批判する」行動を行った。大使館前は日中にもかかわらず、若者たち数百人が集まった。スーチーさんの写真を掲げ、指3本を高く突き上げ抗議の意志を示した。

 ミャンマー(ヤンゴン)にいるデモ参加者から、SNSで次のようなメッセージが寄せられている。

 「軍事政権になると何かあっても拘束されるし、刑務所に入れられます。彼らには法律なんてない! 毎日鍋叩くのも違反、ロウソク付けるのも違反、何かを書いたり発信したりするのも違反、デモに参加するのも違反、海外に情報流すのも違反、赤の旗を家に出して見せるのも違反、お医者さんがCDMに参加するのも違反、大衆の前にスピーチするのも違反です。指3本サインするのも違反です」。

 「だから、何かの反抗行為はすべて違反です。今選挙委員会のメンバーたちを拘束するだけじゃなくて、選挙を管理する先生すべて拘束しようとしているから逃げています。今日夕方からお医者さんや学生リーダーたちも次々と拘束されています」。

 「どこに連行され、何をされるかいつ釈放してくれるか分からない。連絡もできない! 2007年に行方不明になって殺害された人は大勢います。デモのリーダーたち、若者たちも次々と拘束されています。夜中に連行しに来ます」。

 「ソーシャルメディアに投稿するぐらいはちっぽけな行為です。私たちはいつ
つかまってもおかしくないし、別に何も感じません」。

 「ただ、自分たちだけじゃなく家族たちまで拘束されたり、海外行く時行けな
くなったり、財産取られたりするからそれだけ気を使っています。私たち道にデモしている若者たちはそれを理解した上に、自分たちの未来のために頑張っています」。(略)

 軍事政権は弾圧を強めているが、それに抵抗する人びとの闘いはより深く広がり、国際的にも軍事政権は孤立を深めている。国際的連帯で軍事政権を退陣に追い込もう。

(M)

報告 「紀元節」と「天皇誕生日奉祝」に反対する 2・11行動

配信:反紀元節 2月11日、「紀元節」と「天皇誕生日奉祝」に反対する 2・11〜23 連続行動は、天皇制を賛美する「紀元節」に抗議する集会(日本キリスト教会館)とデモを行い、90人が参加した。

「安倍政治」の継承

 「建国記念の日」(紀元節)は、1967年、自民党政権が神武天皇の即位によって日本が「建国」されたという天皇神話を天皇制民衆統合強化に向けてデッチ上げた「祝日」だ。連動して神武から数えて「126代目」とされる徳仁の誕生日を祝う日(2月23日)を設定し、新たな天皇制を演出していこうとしている。

 コロナ禍において天皇制賛美行事が縮小・中止に追い込まれているが、天皇一族らはオンラインを駆使しながら菅政権や支配者たちの犯罪を覆い隠すための任務を担わんとたちふるまっている。日本会議、神社本庁など天皇主義右翼は「紀元節」の政府式典の復活、憲法九条改悪をねらいつつ安倍政治を継承して菅政権の強権化を加速させるために背後で動きまわっているが、ことごとく頓挫を繰り返してきた。このいらだちを産経新聞(2・11)は「『国民を守る日本』であれ」と叫び、「国家は国民を守るためにある。この基本的な認識が、現在の日本の政治には希薄なのではないか。」と恫喝し、代弁する始末だ。

民衆弾圧拡大を許さないぞ

 同系列の一つの傾向は、1月26日、自民党議員の「保守団結の会」(顧問・高市早苗)が「国旗損壊罪」を盛り込んだ刑法改正案を今国会に議員立法で提出をねらっていることにも示されている。高市は、(国旗損壊は)「国旗が象徴する国家の存立基盤を損なうばかりか、多くの国民が抱いている国旗への尊重の念も害する」などと「表現の自由」を侵害し、憲法違反を公言する。日本会議の自民党政調会長・下村博文は、会の申し入れを了解し、国会提出準備の着手に入った。

 2012年に廃案になった「国旗損壊罪」は、「日本を侮辱する目的で日の丸を損壊、除去、汚損した場合、2年以下の懲役または20万円以下の罰金を科すとする」と明記していた。「日の丸・君が代」を強制し、あげくのはてに「国旗損壊罪」で民衆弾圧を拡大していこうとする自民党、菅政権の策動を許してはならない。

元気いっぱいにデモ行進!

 集会は、3・1朝鮮独立運動102周年行動、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)、おことわリンク(オリンピック災害お断り連絡会)、即位の礼・大嘗祭等違憲差止請求訴訟・損害賠償請求訴訟から取り組み報告とアピールが行われた。

 最後に集会宣言(別掲)を採択し、デモに移った。

 デモは、高田馬場駅周辺一帯に渡って、「『建国の日』反対! 天皇制はいらない!『国旗損壊罪』の新設を許さないぞ!」のシュプレヒコールを響かせた。

 (Y)
                         
                          集会宣言
                         
     「新型コロナ」感染拡大によって追い込まれた菅政権は、「緊急事態宣言」の延長と同時に、「新型インフルエンザ等特別措置法」などの「改正」にあたって「違反者」への罰則や公表など、個人・私権に対する、人権侵害を伴う強権的な責任転嫁で取り繕おうとしている。こうした政策は、菅政権に対する人びとの怒りを増大させているが、他方でまた、これに便乗する「自粛警察」的な動向に対しても、「お墨付き」を与えるものとして機能するだろう。

 公共施設の貸し出し停止など、「緊急事態宣言」の名の下に、またしても表現
・言論の自由が制約されている。そのような日常の中で、私たちは今年の2・11反「紀元節」、2・23「天皇誕生日奉祝」反対の連続行動に取り組もうとしている。

 2019年に強行された明仁退位・徳仁即位儀式をはじめとする「天皇代替わ
り」は、2020年11月8日の「立皇嗣の礼」を経て一応の終結をみた。しかし、「新型コロナ」状況は、「代替わり」によって新たな「体制」を作りだそうとする天皇一族のパフォーマンスに対しても、大きな制約を課している。新年の一般参賀に続いて、天皇誕生日の一般参賀も中止になった。新年のビデオメッセージや、オンラインでの「行幸」などがなされてはいるものの、明仁・美智子のような「平成流」の、徳仁・雅子へのスムーズな移行は困難である。その意味では、象徴天皇制は、ある種の「停滞」を余儀なくされている。

 しかし、こうした時期においても、やはり天皇制の記念日は、日本国家に不可欠のものとして祝われ続けるのである。2・11「建国記念の日」—2・23「天皇誕生日」というふたつの記念日の近接は、このふたつの日を、我々の側から批判的に意味づける作業を不可避のものとする。「紀元節」は、神武天皇の即位をもって日本が「建国」されたとする天皇神話に基づく記念日である。それが歴史的事実ではないことは、誰しも認めることだろう。しかし、天皇として誕生日を祝われる徳仁は、「神武天皇から数えて126代目の天皇」であると、当然のように語られる。いうまでもなく、天皇誕生日は、かつては「天長節」として祝われ、「紀元節」とともに天皇の祭祀が行われる「四大節」の一つであった。その意味において、神権主義的な天皇と象徴天皇とは、矛盾なく接合されていくのだ。

 そのことのもつ意味は、もちろん「皇国史観」の単なる復活なのではなく、「文化・伝統」という回路から、天皇制イデオロギーを「国民」に内面化し、統合しようとするものである。そしてそれは、「文化・伝統」の場面にとどまらず、現在の象徴天皇が果たしている政治的な行為をも、正当なものとして「国民」に受け入れさせることになる。

 天皇の記念日は、天皇が「神聖」なものであるとみなす感性を再生産するものである。だからこそわれわれは、反天皇制運動の軸のひとつとして、このような記念日を拒否する闘争を続けていく。今年の2・11〜23連続行動に取り組むにあたり、このことを明確に宣言する。
 
   2021年2月11日

報告 2.12 対オリ・パラ組織委員会抗議行動

212-1森辞任で幕引きならず

晴海で抗議のアピール

 森喜朗・オリパラ組織委員会会長の女性差別発言に対する抗議の声を受けて2月12日に急遽開かれた組織委員会の理事会と評議員会の合同懇談会で、森喜朗は辞任を表明した。当初、日本サッカー協会相談役で選手村の村長に就任している川淵三郎氏に「禅譲」しようとしたが、差別発言の本人が次期会長を指名するなどあり得ないという批判が高まり、結局は次期会長選考委員会の設置とジェンダー平等検討プロジェクトチームの設置などが発表された。選考委員長は組織委員会の名誉会長の御手洗富士夫キヤノン会長が就任。他の選考委員は非公開だという。

御手洗は06年の第一次安倍内閣から10年の民主党政権までのあいだ経団連会長を
務めた人物。当時問題になっていたキヤノンをはじめ大手メーカーの偽装請負は法律が悪いからだと国の諮問会議の場で発言して製造派遣の期間を3年に延長したり、法人税率の10%引き下げなどを提唱したことでもわかるように、セクシズムとキャピタリズムの祝賀資本主義の象徴であるオリパラの最後を飾るにはふさわしい人物と言える。

 合同懇談会が開かれた組織委員会のオフィスが入る晴海のトリトンスクエアでは、東京2020の中止とオリンピック・パラリンピックの廃止を求めるスタンディングが行われた。緊急の呼びかけにもかかわらず30人以上が集まった。行動を呼びかけたのは「五輪災害おことわり連絡会」。野宿者排除に抗議して何度も組織委員会に抗議してきた反五輪の会は「森辞任で幕引きなんて許さない! 性差別者たちのための砦 オリンピック・パラリンピックを廃止せよ!」の声明を発表、森の女性差別発言に抗議する声明を出したふぇみん婦人民主クラブの会員や武器取引反対ネットワーク(NAJAT)のメンバーなどが、森の辞任で幕引きを図ろうとする組織委員会の対応や、コロナ禍の中での五輪強行の愚を批判し、根深い差別と競争主義にまみれたオリパラは止めるべきだと次々に発言をした。2月20日には日本オリンピック委員会(JOC)への抗議スタンディングも呼びかけられた。

人びとの怒りは収まらない

 森発言に対する女性たちの怒りは本物だ。男社会のヒエラルキーが貫徹された競技スポーツに君臨するミソジニスト(女性嫌悪主義者)の本音が、コロナに追い詰められた組織委員会のトップから噴き出した。森は懇談会後の記者会見でも「私自身は女性を蔑視するとかなんとか、そういう気持ちは毛頭ありませんし、これまでもオリンピック・パラリンピック、いわゆる障害のある人、ない人、みんな同じだよということですべて同じように扱って、議論してまいりました」と弁明している。だがみんな同じなわけがないのだ。抑圧され、差別された人々は、「そういう気持ちは毛頭ありません」などとうそぶかれればうそぶかれるほど、その深層の意図を鋭く感じ取る。しかも森の発言は、その瞬間にその場にいた記者が「これはアウトですよね」と同僚に語っているほどの内容だ。

一旦は「問題
は解決した」というコメントを出したIOCからもついには「完全に不適切」と言われる始末。自らの利益と権威のためにはすぐに翻意するIOCならではの対応だ。最後まで自らの差別発言とパワハラに頬かむりをして、周囲の無理解の所為にしつづけた森喜朗は、首相時代から20年が経った今でも全く変わっていなかったのだ。それはまた苦難と闘争の20年を歩んできた女性たちの歴史でもある。

 東京オリパラの即時中止を発表し、東京オリパラにおける数多の問題を検証する開かれた委員会を設置せよ。森喜朗はじめ公人らの女性差別発言の再発防止、可能な限りのクオーターを実現しよう。コロナと貧困対策、そして原発被災者と原発廃止と気候変動対策にすべてのリソースを集中せよ。

 被災地の悲しみ、女性たちの怒り、コロナとたたかう人々の叫びが祝賀資本主義の饗宴の前に立ちはだかっている。ポスト・コロナとポストTOKYO2020の混沌たる状況をともに最前線で切り拓こう。        

(H)

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