カテゴリ
以前の記事
2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 01月 2018年 11月 2018年 06月 2018年 02月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 03月 2016年 09月 2016年 07月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 02月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 06月 2007年 01月 2006年 12月 検索
その他のジャンル
|
2019年 05月 13日
新天皇の幼少期からの友人という小山泰生の著書『新天皇と日本人』(海竜社、2018年11月刊)には、いろいろ注目すべき記述があるが、中でも興味深かったのは、以下の箇所である。
・天皇明仁(本書中では「今上陛下」。現在は上皇)は憲法違反の懸念があるのにビデオメッセージを放送した。「天皇の言葉で世論が動いたとき、内閣は動き、国会も呼応して、法律が一本できあがった、この事実が重要なのです。これからも、そのときの世論が沸騰したならば、それに対しての天皇のお考えが内閣を動かしてもいいのではないでしょうか。つまり、今上陛下は、その前例を作ったのです。」(43~44頁) ・国会で可決された法律に憲法上の手続きの瑕疵があれば、日本国憲法第99条の憲法擁護義務により、天皇は法理論上、法律の署名と交付を拒否することができる。法律が可決されたとしても、天皇がそれに署名しなければ、憲法上、その法律は成立しないのだから、天皇が署名を保留し続ければ、いつまでもその法律は公布されない。日本にヒトラーのような危険人物が現れて首相に推された場合や、任期中の首相の人間性が変化した場合などに、天皇のこの権限が役立つはずである。少数政党が乱立して内閣が成り立たないときに天皇が識者を招集して、会議を設営する場合も考えられる。「こうした仕事は、選挙からの時間経過で 世論に変化があったときに、議員内閣制、間接民主主義による「世論の変化に追いつけない部分」を補完する機能になりうるのではないか、と思うのです。そうしたことを含めて、国民は議論をし、民主主義を補完する機能をもつ天皇制について、その役割を見直すべき時期がきたのではないか、私は思っているのです。」(48~49頁) こうした小山の記述については、鳩山由紀夫が言及しているので、既にある程度知られているかもしれない。 <皇太子殿下の学友小山泰生氏の「新天皇と日本人」に、驚愕的なことが書いてある。天皇は国政への権能がないとされるが、法律が憲法上の瑕疵があると思われたら、法律の署名と交付を拒否できるというのだ。新天皇は当然この本の内容を認めておられると思う。首相の暴走に天皇が歯止めをかけられるのだ。> この憲法解釈は荒唐無稽なものかもしれないが、憲法解釈などどうにでも変えられるから、世論からの支持が見込めれば現実化するであろう(この点に関して明文改憲すれば議論の余地もなくなるだろう)。次の参議院選(または衆議院選)で野党共闘が敗北し、左派系政党は今後は勝つ見込みがないということになれば、このような解釈を支持する動きがリベラル・左派から出てくるかもしれない。 そうなると、ハンギョレ新聞が「新しい天皇は安倍の暴走を牽制するか」と書いているように、海外の論調もそのような解釈を支持するように思う。小山も、上の憲法解釈に関連して、「天皇のこうした秘めた力の効用を知っているのは、もしかしたら、日本国民よりも欧米のトップの人たちかもしれません」と書いている(50頁)。
#
by kollwitz2000
| 2019-05-13 00:00
| 日本社会
2019年 05月 11日
#
by kollwitz2000
| 2019-05-11 00:00
| 日本社会
2019年 05月 10日
前回記事で2005・6年頃にリベラル・左派の変動・再編が生じていると書いたが、これには証言がある。以下は、高橋源一郎・小熊英二対談「1968から2010へ」(『文学界』2010年5月号)からの抜粋である。対談の末尾に「3月15日収録」とある(漢数字は英数字に改めた)。 高橋 最初に本が想定した世界についての見通しと、書きながら2005、6年以降に起こった変化についても考えなきゃいけなくなったわけですね。 小熊 そこで「70年パラダイム」の話をせねばならなくなりました。書いている途中で違う時代に突入したなという印象を持っていたので、そこについてはまだ対応ができてないままですね。「70年パラダイム」という言い方自体が、最初の構想にはなかったことで、この本を書いている途中で思いついて言ったことなので、それで新たに対応を図った部分ではあるんです。私の見ている限りでは、やっぱり2006年が大きな区切りだったように思いますね。(中略) 高橋 「70年パラダイム」というのは、簡単には説明できないのですが、「近代化し管理社会化した経済大国日本と、そこで豊かな経済的果実を享受する『日本人』(マジョリティ)が、貧しいアジアとマイノリティを差別し搾取し、管理社会からはみだした人びと(不登校児や障害者など)を抑圧している」といったものだった、と小熊さんは書かれています。常に加害者としての日本人、少数派への抑圧者としての日本人という立場に立てという視点を、「70年パラダイム」への転換と呼ぶと理解してよろしいんでしょうか。 小熊 ええ。(中略) 小熊 要するに豊かなマジョリティが貧しいマイノリティを搾取しているというか、それはマイノリティの部分を女性と入れ換えても、在日と入れ換えてもある程度通用する形で作用してきたわけですが、そのパラダイムが2006年ぐらいから通用しなくなったということはかなり大きいと思います。おっしゃる通り、豊かな経済大国日本が貧しい従軍慰安婦を搾取しているという言い方に対して、それよりも俺たちプレカリアートのほうが恵まれてない、という言い方が出てきちゃったということに対しては、やっぱりマジョリティは恵まれているから問題ないんだという形で処置してきた問題というのが、ここに来て噴き出してきてしまったというときに、今現在どういう語り方をするかというのは、非常に難しい問題になってますね。「70年パラダイム」は、経済の高度成長と安定した雇用を前提として成り立っていたわけですから、92年にその経済成長が止まり、94年に脱工業社会化したことで、その前提を失ってしまった。(中略) 小熊 新しいパラダイムが必要だというのは、次の時代に突入して、一旦パラダイムが終わらないと気づかないことかもしれませんね。「70年パラダイム」が終わったから、次のを出せという形のことは、あれが2005年、06年で終わったから言えたのであって。> いろいろ突っ込みどころがある文章ではあるが(とりあえず小熊と高橋が「70年パラダイム」なるものを終わらせたいということはわかる)、小熊と高橋が、2005、6年に何らかの「変化」が起こり、「新しいステージに突入」したと認識している点が重要である。前回記事で書いたように、2005、6年にリベラル・左派の変容・再編が生じたと私は見ており、その変容に対する評価は私と小熊・高橋とでは正反対だが(事実上、小熊・高橋は肯定的)、大きな変化が生じているという認識では一致しているのである。 小熊と高橋はシールズ界隈と関係が深いが、上の引用に示されている認識・評価の延長上に、シールズその他の動きもあるのであろう。
#
by kollwitz2000
| 2019-05-10 00:00
| 日本社会
2019年 04月 29日
内海愛子・中野晃一・李泳采・鄭栄桓『いま、朝鮮半島は何を問いかけるのか――民衆の平和と市民の役割・責任』(彩流社、2019年4月刊)を読んだ。鄭氏による「あとがき」によれば、「本書のもとになった対談が行われたのは2018年6月」(同書186頁)である。 同書の中で、鄭氏は以下のように発言している。 <戦後体制を批判する戦後民主主義運動とでもいいましょうか。本当はあまり乱暴にこうくくってはいけないんですが、ひとまず1980年代まではその片鱗はあったわけです。/しかしここ最近は、むしろ社会運動の側が戦後体制を擁護する逆転が生じてしまっているということです。1980年代以降に大国化を目指す路線として中曽根政権が登場する。新保守主義ですね。これに対し統一戦線を組んで対抗していかねばならないという動きが出てきた。ちょうどソ連・東欧の解体もかさなり、既存の左派・左翼ではなく、かといって中曽根型の新保守主義でもない。「リベラル」と自称する政治的な動きがあらわれてくる。これはおそらく当時新しさをもって受け取られたのでしょうが、この結果、戦後体制へのオルタナティブがほぼ完全に消滅してしまった。ある立場に収斂してしまった。私はそう思っています。>(鄭氏、同書96~97頁) 戦後民主主義運動への評価や、新保守主義への統一戦線という規定にも疑問はあるが、それらはさておくとして、上の認識は、鄭氏の著書『忘却のための「和解」――『帝国の慰安婦』と日本の責任』(世織書房)の韓国版に収録された文章の、以下の一節を、より詳しく展開したものと言えよう。 <本書を書き終えての私の結論は、『帝国の慰安婦』への日本の論壇の礼賛現象は、1990年代以来の日本の「知的頽落」の終着点である、というものである。>(日本軍「慰安婦」問題webサイト制作委員会編『増補版 Q&A 朝鮮人「慰安婦」と植民地支配責任』御茶の水書房、2018年7月に所収、67頁) これまで私が鄭氏の文章を読んできた中で、この「『帝国の慰安婦』への日本の論壇の礼賛現象は、1990年代以来の日本の「知的頽落」の終着点である」という一節は、初めて強い違和感を感じたものだった。ただ、このような短い箇所だけで何かを書くのもはばかれるのでそのままにしていたが、そこに前々回の記事で取り上げた鄭氏の発言を目にし、やはりちゃんと書いておいた方が良いと思い前々回記事を書いた次第である。 私も「<佐藤優現象>批判」で、2005・6年以降の<佐藤優現象>に関して、1993年の「平和基本法」の流れで捉えたことがある。しかし、そこで書いたように、<佐藤優現象>は従来の流れからの連続と、そこからの飛躍の両面から捉えなければならないのであって、これはリベラル・左派の変動・再編という現象全般にも当てはまる。鄭氏は、『いま、朝鮮半島は何を問いかけるのか』の上記の引用で「ここ最近は、むしろ社会運動の側が戦後体制を擁護する逆転が生じてしまっている」と書いているが、そのような論調にリベラル・左派が全般的に流れたのは、「「戦後社会」批判から「戦後社会」肯定へ――2005・2006年以降のリベラル・左派の変動・再編について」で書いたように、私見では2005・6年以降である。この点は姜尚中に関する私の連載を読んでいただければより明らかになるはずである。 「1990年代以来の日本の「知的頽落」の終着点」という主張は、それ自体としては間違ったことを言っていないように見えるが、2005・6年頃のリベラル・左派の飛躍という点を同時に述べない限り、あまり意味のない、批評性を欠いた言説になるのではないか。 素朴な疑問だが、1980年代・90年代で「戦後体制へのオルタナティブがほぼ完全に消滅してしまった。ある立場に収斂してしまった」のならば、季刊(NPO)『前夜』(第1~12号。第1号は2004年10月刊、第12号は2007年7月刊)のような雑誌・運動がなぜあったのか。こうした雑誌・運動は一定の読者層・書き手・担い手(の見込み)がないと成立しないのであって、『前夜』が終わった背景にも、2005・6年頃のリベラル・左派の変動・再編という現象があると考える。結局、「1990年代以来の日本の「知的頽落」の終着点」という主張のみでは、あまり意味のある批判を展開できないのではないか。 なお、以前私がブログで紹介した、日本語版の『忘却のための「和解」』の関連箇所を見直して気づいたのだが、「1990年代以来の日本の「知的頽落」の終着点」という趣旨の主張は同書の137頁に既に書かれている。同書141頁で私の「<佐藤優現象>批判」がリベラル・左派批判の趣旨から肯定的に紹介されていたので、気づかなかった。しかし、朴裕河の日本での最初の単著『反日ナショナリズムを超えて――韓国人の反日感情を読み解く』(安宇植訳、河出書房新社)の刊行は2005年8月であり、慰安婦問題を論じた『和解のために――教科書・慰安婦・靖国・独島』(佐藤久訳、平凡社)の刊行は2006年11月である(刊行年月はいずれも日本語版)。<朴裕河現象>に関しても、2005・6年頃のリベラル・左派の飛躍という観点からの説明も必要ではないかと考える。 リベラル・左派への批判に関して、2005・6年頃の飛躍を無視すると、当のリベラル・左派にとっては痛くも痒くもないものになり、逆に利用されるものになってしまうのではないか。『いま、朝鮮半島は何を問いかけるのか』の鄭氏の発言・文章には、いくつか気になった点はあったとは言え、相変わらず教えられることが多かっただけに、一層その点を危惧する。再検討していただきたいと思う。
#
by kollwitz2000
| 2019-04-29 00:00
| 日本社会
2019年 03月 22日
以下は大宅壮一「日本人民共和国の可能性」(『大宅壮一の本8』サンケイ新聞出版局、1967年)からの抜粋である。文章の末尾に「二十五年十一月」とあるので、1950年11月に書かれたもののようである。「草の根の強固な天皇制イデオロギー」などといった主張よりも説得力のある、興味深い指摘だと思うが、大宅が指摘している特徴は、管見の範囲では在日朝鮮人にも当てはまる(ただし本国の韓国の人間には当てはまるとは言えない)ので、「日本民族の性格的な特異性」というよりも日本文化の特徴と読み替えた方が良いであろう。 これを別の言葉でいえば、日本人は革命を遂行するのに、錦の御旗を必要とする国民にはちがいないが、それは必ずしも天皇制であることを必要としない。 日本が国家らしい国家になったのは、徳川の封建制度が確立してから後のことであるが、これには別に錦の御旗はなかった。家康の老獪な政治力と武力によって、かれの旧同僚たちも改めてその配下に組織され、元の主筋に当る豊臣家が打倒されて、国家的統一が完成したのである。そのこと自体は、別に珍しくはないが、秀吉が死んで家康にヘゲモニーが移ったと見てとると、多年秀吉の恩顧をうけた武将までが、「風を望んで」これになびき、一切の権力が徳川家に移ってからは、数多い諸侯の中で、これに組織的、計画的叛逆を企てるものが、三百年間にわたり、ほとんど一人も出なかったなどという例は、これまた世界史上にも珍しいことである。 この「風を望んで」行動することは、日本人に限ったことではないが、それは特に日本人のもっとも得意とするところである。「風を望む」というのは、大勢のおもむくところを見究めることであり、ひとたびその見究めがつくと、本来の立場も、これまでの行きがかりもすてて、無条件に、争って、これに賛同することである。いいかえれば、機会主義であり、事大主義であり、便乗主義である。 これが各時代、各層を通じての日本人の基本的な性格であり、特に革命のような非常時においてもっともよく発揮されるのである。前に私が、日本の革命には錦の御旗を必要とするといったのは誤りで、実はこの機会主義、事大主義、便乗主義こそが、錦の御旗なのである。(中略) 日本国民は、天皇の詔勅によって、ピタリと戦争をやめたのだが、もしこの詔勅が出なかったら、いや、こういう場合に詔勅を出して国民の動向を指定する天皇というものが存在しなかったら、日本はどんな混乱状態に陥ったかもしれないといわれている。確かにそうにちがいない。私もそれは否定はしない。しかしそのすぐ後で、天皇を完全に無力にし、ロボット化した日本憲法が制定されても、国民の間に、強力な反対の意志表示をしたものも出なかったし、もちろんこれに反対する運動が頭をもたげるような気配すら見られなかった。 戦時中、何百万という日本人が、天皇の名において死んで行った。だが、それから二、三年後に天皇が、哀れな無力な存在になっても、国民は平然としているのだ。(中略) だから、天皇以上に強力なものが出現すれば、それだけで権力のうけわたしは、つまり革命は、きわめて平穏に、無造作に、するすると行われる公算が大である。それはマッカーサー元帥であってもいいし、スターリン元帥であってもいい。徳田球一でも野坂参三でもいい。或は国連であってもよろしい。要は何人も抗しがたいほどに強力であればよろしいのである。いや、事実それほど強力でなくても、強力だという印象を人々に与え、そういう「大勢」をつくりあげてしまえばいい。そうすれば、国民の大部分、いや、ほとんどすべては、「風を望んで」われもわれもとこれは参加してくるにちがいないと考えられないこともない。(中略) 「貧すれば鈍する」という諺があるが、日本人は「貧すれば争う」国民である。職場においても、勝っているときは大いに協力するが、旗色が悪くなってくると、四分五裂してしまうのが常である。順調に行くと手がつけられないほど強いが、難局に処すると非常に脆い国民である。>
#
by kollwitz2000
| 2019-03-22 00:00
|
ファン申請 |
||